一目ぼれとおくて
女性は男性ほど
一目ぼれを信じていないようだ
8丁目の女性たちの話では
営業で仕方がないから何度かデートに付き合ったりすると
三度目とか四度目に、
あ、わたしはこの人が好きなんだなと思う瞬間が来たことがあるのだという。
複数人で複数回。
したがって、男性は少なくとも四、五回はデートに誘って、
自分の気持ちを熱心にアピールする必要がある。
六回目以降はやはりただの営業で、無駄かもしれない。
女性は自分の本当の気持ちに気付くのにおくてなのである。
"The course of true love never did run smooth."
(A Midsummer Night's Dream)
まことの恋が平穏無事に進んだためしはない。(小田島雄志訳)
ヘアメイク意気込む
ビデオ取り直前のヘアメイクさんが
全国に向けて
俺らの地方ではヘアメイクはこんなに進んでいるんだぞと
自慢するために
とってもオリジナルなヘアメイクをすることがあるようです
それをみて
負けてはいられない、もっとすごいヘアを見せてやると
各地方が意気込んでいるとのこと
野次馬総裁選
これから各局でしゃべるというので注目点
1.眼は心の窓である。瞬きの回数を比較せよ。そこから何が分かるか考察せよ。
2.発言内容と表情の齟齬を指摘せよ。そこから何がわかるか考察せよ。
3.言い間違いを比較考量せよ。言い間違いを手がかりとして深層心理を推量せよ。
4.言葉の反復に注目せよ。そこから選挙参謀にお説教されたことは何かを推量せよ。
5.言いよどむ時間をストップウォッチで計れ。どんな言葉の前で言いよどむか、傾向を計量し、考察せよ。
6.辞任会見で誰のせいにしそうか、推定してメモしておこう。
*****
ほとんど瞬きをしない人っているんですね。
ビデオが止まっているのかと思った。
父性系治療と母性系治療
父性系治療と母性系治療という言葉を
まず書いてしばらくいじいじしていた
何か言いたいのだけれど
うまくヒットしない
父性的なものと母性的なものの
イメージはあるけれど
言葉で言えば父性的、母性的としかうまくいえない
たとえば
人間は年を取ると
女性でも男性みたいに見えたり
男性でも女性みたいに見えたりする
たぶん年を取らなくても、
服装や化粧などの要素を取り除けば
トランス・ジェンダーみたいなことはあるのだろう
*****
カウンセラーと言って思い浮かべるのは
どちらかといえば
母性系で抱え込んで
無限の愛を注ぎ
といったイメージが強いのではないかと思う
はげているおじさんなら
かつらをつけておばさん顔にした方が
カウンセラーという雰囲気が出ると思う
日本において父性系治療者とはどのようなものか
考える必要があると思う
*****
父性性の欠如が指摘されてしばらくたって
ますます父性は薄くなり変質しているようである
そしていろいろな言説があるのだけれど
どっちでもいいし
もういいやという気分
言わなくてはならないことだけを言う
言わなくてはならないことならはっきり言う
それが立派とも思う
新橋は結構父親原理が機能している場所だと思う
それが社会格差と関係しているかもしれないとも考える
*****
男が男でいられるための条件
とでもいうものがあるのではないだろうか
そして父性を受け入れる条件というものもあるのではないか
いろいろな父性があることも確かで
むつかしいけれど
*****
相撲部屋で弟子が大麻疑惑
検査結果は陽性、本人は否定、
その場合
おかみさんは「弟子の言うことを信じる」
師匠は「それじゃあ世間が通らねえ、世間が許しても俺は許さん」
という風景を私は想うのだが
どうもそうでもないらしい
子を信じるのが親の務めとかの言葉もあったように思うが
それは母親の務めであって
父親の務めはそうではない
法よりも厳しく裁くのが父である
父性は何だ
相撲部屋にもないのか
愛と寛容に対比して
法と秩序と言われるが
現状では
愛も寛容も法も秩序もない
*****
若貴の場合、
強い父と美しい母とがいてエディプスの構図がぴったり当てはまると
感じられる
変質する前の父性と母性があったと感じる
*****
父はいつでも強力なもので
父はいつでも魅力的なもので
父はいつでも先行している
私が考えることも記す言葉も
既に父の本棚にあったのだと
愕然とすることもある
知らんふりしているくせに
こんな過去もあったのかと
思わせられることもある
誰とも共有できない生活
一体どうすれば生きていけるのだろうか
その人にとっては本当に切実なことで
訂正できないことだとは理解できるのだ
しかし一人で生きればいいだろうけれど
うっかりパートナーになってしまった人はどうすればいいのだろうか
それにあたしが付き合うの?
と考えれば、少ししり込みするだろう
だから相手の事を考えて
多少の妥協が必要になる
多少の妥協でいいんだ
考え自体を変えるまでは必要ない
ただ他人にとって不都合でなければそれでいいんだ
でも
でも
それが
むつかしいんだね
原初の景色 生存権の倒錯
原初の景色はこれである
母が赤ん坊に乳をくれている
母は気まぐれで乳をひきあげることもできる
赤ん坊はただ泣いて哀願することができるのみである
生存権の倒錯の景色はこれである
赤ん坊が母の乳を吸ってやっている
母は安心して喜ぶ
赤ん坊は怒って母の乳を吸ってあげない
母は後悔して泣いている
赤ん坊が支配者になってしまう倒錯がここで起こっている
*****
この倒錯の延長で拒食と過食を考える
拒食は母を拒むこと
過食は母を喜ばせること
*****
この倒錯は広い範囲で起こっている
一般に支配者と被支配者の倒錯
被支配者が生存権の物語に守られ
支配者が生存権の物語により精神的に縛り上げられる
親は子供に支配され
学校教師は親に支配される
そのようにして連鎖は延々と続き
日本は絶望工場の燃え尽きた煙突になる
忙しいよ 時間がないよ
いつまでたっても残りの仕事があるし
本もビデオもたまる一方だし
ネットがあるから無駄に忙しいんだな
飽衣飽食飽性
満たしたい欲求といっても
衣食住は満たされているし
性の欲求も満たされている
飽衣飽食飽性である
あと残る欲求は
自己愛とか自己実現とかくらいしかないような時代に私たちは生きている
しかしその部分が厄介である
自己愛とか自己実現は具体的な数字に置き換えられるものでもなく
誰かの巧みな宣伝によりいくらでも需要の創造ができる
不安と焦燥を創出できる
イメージのインフレーションである
さらに進んで
衣食住性も 実体のないイメージの売買になってしまうこともある
ブランド物というものがその例である
実体がないことは
最近産地偽装などで騒がれ
いったいどこ産の何を食べているのか分からない状態で
舌は判別できず嘘の情報だけが流れる
お前の舌は嘘で充分と言われているようで
しかし結局嘘で充分なのだった
食べ物であれば
本気になって追跡すればもともとどのようなものなのか実体を把握できる
しかし
自己愛とか自己実現とかの領域については
そのようなわけにもいかない
実際に人生にぜひ必要なものはそんなには多くないのだと思う