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9.11に

鈴木重子「Fragile」「Close your eyes」Like tears from a star 9.11Sting

人間は戦争をするようにできていると思うこともある

アメリカはいつでも戦争をしているし

国というもの自体が
戦争の単位であるわけだ

誰かを「敵」と認知し「殺してもいい」と認知するのはなかなか大変で
入念な装置を必要とする。

国家はそのための装置である。

オリンピックで自分の国の選手だから自動的に「味方」になる。
「敵」をやっつけろと怒鳴り、ある程度ずるくてもいいのだと言っている
テレビの放送を消さないでいる。
これはもう戦争回路そのものである。

そして「敵」を報道することが統治の有効な道具になる。

そう考えれば、
テレビを見ることは
統治の対象として自分を固定し決定することに他ならない

人間の脳の自動反応部分を利用しているのだから
どうしようもない

*****
心理学科を歩いていると
ストップウォッチをぶら下げた学生が歩いている
測定することが科学的心理学だと信じて人生を捧げている
それは実は正しい
こうして書いているわたしも
その法則からは逃れられない
かれらはそのような確実さを探求しているのだ

その確実さを利用して
統治の道具にするのだから
ここの人間としてはもうどうしようもないという無力感にとらわれる

*****
しかしよく考えると
そのような統治の戦略も
どこかでだれかが決定していることで
数名の人間のしていることで
対抗できないことではないのだ

彼らは常に自動的に作戦を遂行しつつある
対してそれに抗する者は休みがちであり
疑問を抱きすぎ
弱気になりすぎる

持続的破壊作用に対して
常に反抗して建設する努力を続けよう
9.11の一つの教訓はそれだと思う

平和は戦争の不在ではない
真の平和という未知の状態に接近するための巨大な努力を要する

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自己愛の発生

自己愛という言葉で何を意味するかもいろいろあるのだと思うが
とりあえず平明に考えるとして、

現実の自分よりも空想の自分がすばらしいと信じて感覚しているとき
自己愛性だと言っていいかと思う

反対は自己評価の低い悲観的な人で、
生きていて楽しいのは自己愛的な人だろう。

(自己評価の低い悲観的な人をうつとすれば、反対の軽躁状態くらいの人は、誇大的自己像を持つので自己愛的部分が膨らんでいるともいえる。
性格構造として自我膨張しているのが自己愛性で、
病気として一時的に自我膨張しているのが軽躁状態である。)

人間はそもそも最初から自己愛的コースに乗せられてしまうことが多い。
最近は少子化なのでますますそうである。
最初の子供が生まれたとき、
比較の対象もないので親はどうしても理想化する。
そしてそれが男の子であればなおさら王子様扱いをする。
母親にとって王子様は格別である。
お姫様もとてもいいのだが、王子様ほどではないことが多い。

子供が二人いて男と女である場合、
その辺のライバル意識も複雑微妙になる。

いずれにしても、生まれたばかりの状態では、
そのこの実際の才能も分からず、
あるのはただ親の闇雲な空想ばかりである。
そして最初に形になるのが名前である。
自分たち夫婦の子供なのだからどの程度の人間になるかは大体想像がつきそうなものなのだが、
そこを過剰に期待する。そして誰も読めないような名前をつけて祝う。
気持ちは分かるのだが、ここですでに親の自己愛性が発揮されている。

現実の自分と理想・空想の自分の違いをわきまえていない。

その後も子供に対して、理想を投影して、期待したり喜んだり失望したりして、子育ては進行する。

子供にしてみれば、初めから何も期待されず、
かえるの子はかえるだ、親と同じでせいぜいだと言われたのではつまらない。
とんびが鷹を産んだと言われて
ちやほやされていたいものだ。

しかしそのうちにそうした過剰な理想化と空想化は内在化される。
親が褒めてくれなくても、自分で自分を
自分だってなかなかすごいぞと信じていたりするのだ。

この場合、たいてい、「本気になれば」「いつか」と思っているはずで、
いつまでも本気ににならないのが自分の欠点だと認識している。
これは親も同じように考えていることが多くて、
この子は能力はあるんですけど、やる気にならないんですよ、のんびりしていて、
などと自己愛性の親の意見を聞くことも多い。

普通に体験を重ねて
周囲と現実の自分を比較していれば、
自分はどのくらいのものなのか、分かってくる。
それが現実把握というもので、大切なものである。

これが大幅にずれていると、
こんなに優秀な自分をいつまでも不遇なままにしておくのは社会が悪いなどと言って
爆発する。

世の中には上には上があり、
下には下があり、
さらにそのように一列には並べられない、
さまざまな要素があるものなのだと
認識するのが普通の現実認識である。

一つの面で優れていても、別の面では凡庸であるのが普通であって、
この点でも、理想の自己像の修正をしながら生きるものである。

優秀血統はこの点で理想的自己像にある程度の客観的理由があるので、
また周囲の扱いもそのようになるので、
現実を受け入れることが難しい場合がある。
修正作業は誰にとってもある程度つらいものだが
優秀家系に生まれて自分は優秀ではない、ほどほどでしかないと認めることはなかなかつらい。
そしてそのあともハスに構えないで素直に物事に取り組めたら、
それはかなりの人徳なのである。

現代は自己愛性理想自己を修正しにくい時代ではある。
錯覚の中に逃げ込んでいる余裕が充分にある。
言い訳をいつまでも許容する時代である。
ネット社会の中に入り込めば、
そのような弁解が山のように渦巻いている。
多分、みんなそうなのだと安心する。
安心していて、現実を勇気を持って生きる機会を逃してしまう。
もうすこしモラトリアムしていたいと思う。

現実を生きるということは
理想を捨てて空想を捨ててある種の失望を受け入れて、
その上で生きるということに他ならない。

自慢も失望も相対的なものだ。
100メートル走がクラスで一番早かったという自負もあるし、
100メートル走が県大会で3番でしかなかったという失望もある。

車のハンドルに遊びが少しだけあるように、
ほんの少しは自己愛性の成分を残し、
しかし概ねは現実の自分を客観的に名受け入れるというタイプが
一番生きやすいだろう。

きっちり現実の自己分しか期待しないというのもなにか大変な感じはする。
少しは過剰に期待して、でも、はずれても、あのまり失望しないで、と
まるで宝くじを買うときのような程度でちょうどいいだろうと思う。

外れて当たり前のものを
お金を出して買うのが人間というものである。
微妙な程度でいいから、夢を見たいのだ。
その夢までを奪ってしまうのはよくないだろうと思う。
だから適度の自己愛は生きるエンジンになるのだ。

場面にもよる。
たとえば、恋愛の場面。
きっちり現実的な自分を見つめて、
きっちり現実的に相手を見つめて、
それでどうして燃えるような恋愛が成立するだろうか。
するはずはないのだ。

しかし恋愛場面ならばいいと割り切って、
多少は自己愛的になり、燃えたりすればいいではないか。
あとで失望するとしても。
徐々に冷ましていくのが名人である。

仕事もそうで、上司は、これは君にしかできないと思うなどと
自己愛をたきつけるような事を言って、頑張らせようと操縦してくる。
それを見透かして現実的にばかり言っているのもおもしろくないのだ。
よっしゃ、やります、やらせてくださいと
多少自己愛的になってやる気をみなぎらせてみるのもいいではないか。
ある種、演じるのである。

現実の自分よりも5ミリ程度大きな理想自我像を心に抱いて、
軽く失望しながら、それでもまたくじけないで、生きて行こうではないか。

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インターネット中毒 ネット中毒

インターネット中毒やネット中毒という
新種の病気があるわけではなくて
実際の診断では
表面的な症状としてネットにのめりこんでいるが
その本態はうつ病とか統合失調症とか嗜癖の一タイプとかそのような言い方をしている。

それでもネット中毒には独特な特徴がある。

昔からキーボートを叩きながら長時間モニターに向かっている人はいたもので、
特に中毒と呼ぶことはなかった。
それは内容として、大体がプログラム言語を操って何かをクリエイトしている人たちが多かったからだろう。
親から見れば、よく分からないながら、普通でいう遊びとも違うし、何か特殊な才能なのかと思うところだろう。

最近でもそのような人はいるわけだし、
プログラム言語に熱中するあまり学校を長期欠席
なんていう話はあまりない。
あったとしても一種の天才であって、大切にしたほうがいいくらいのものだろう。

*****
最近は会社も学校も欠席して
ネットにつなぎっぱなしにして
オンラインゲームをしていたり
チャットをしていたりするらしい。

それで本来の場所を欠席するというのも変な話で
携帯でも使えるし無線ランでも使えるのではないかと思うが
そうでもなくて部屋に閉じこもるものらしい。

だからオンラインゲームが悪いとかチャットが悪いとかのものでもないようではある。

しかし悪い要素もあるので検討する必要はある。

嗜癖・中毒系で問題になるのは
仕事をしないで金を使ってしまい借金が膨らむということで、
ギャンブルでもアルコールでも、そんな問題がある。

ネットに熱中したからと言って
借金が出来てしまうというものでもない。

*****
ネット中毒にも二種類があって、
まず引きこもりがあり、引きこもって退屈なのでできることは何かと考えたらネットがあったというケース。引きこもりの生活の中で、お金もかからず人に迷惑もかけない楽しみということで選んでいるようで、ある種の良識がある。
もうひとつはネットでいろいろやっていたらはまってしまい、引きこもりになったというケース。

つまり、ネット中毒と引きこもりとどちらが先立ったかという話で、
引きこもりが先だったら、まずそちらの手当てをしないといけない。
これは少し話したくらいで治るものでもない。
さきにネット中毒があって引きこもりになったのなら、
それはいけないねえと話をすれば何とかなるようだ。

*****
チャット中毒の人の中には
現実の人間よりもネット上のチャット仲間に強く惹かれてしまう人もいる。
現実の関係では満たされないものをチャットの中の人物に求めているというケースもあり、
心の中の空想をチャットの相手に投影している場合もある。
いずれも現実の人間よりも魅力的な相手がネット空間にいるということになり、
取り残される現実のパートナーは落胆し、
その人が妄想的になったりうつになったりして、治療が必要になることもある。

たとえば、アイドルのA君についてのルームに行くと
自分はかなり年上でも、年を少しごまかして、わいわい話すことができる。
「いい年をしてやめなさい」という禁止が来ないのでいいらしい。
趣味の上での同好の士を見つけるにはネット世界は好適である。

その場合何が問題になるのかといえば、
取り残される側の問題が大きい。
独身者ならば、空き時間に誰かとチャットしていても、特に問題はない。
経済的な問題がなければ。

ところが現実のパートナーや家族がいる場合、
家に帰ってきてろくに口もきかずパソコンに向かってしまい、
現実の家族よりも親密な誰かがいるような気配になってくると
むしろそちらで話がこじれてくる。

特に話がないから話をしないだけのことなのだろうが、
パートナーは、ネットの中の嘘つきと話に夢中になっているから私のことが嫌いになったと
受け取るらしい。
ここでパートナーの側の病理が発展してしまい、
妄想的になることが多い。
そうするとそのように妄想的になった人にまともに付き合っていても看病するだけのことになるのでますますつまらなくなり、
ネット世界はますます魅力的になる。
このようにして悪循環が成立してしまう。

*****

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舌痛症の一例

舌がピリピリ、口の中が変…歯は問題なし 歯科心身症、抗うつ薬で症状改善  
 
記事:毎日新聞社提供:毎日新聞社【2008年9月12日】
歯科心身症:舌がピリピリ、口の中が変…歯は問題なし 抗うつ薬で症状改善

 「舌がずっとピリピリする」「矯正や義歯のかみ合わせがいつまでも合わない」「口の中が何とも言えず気持ち悪い」--。こんな症状を訴える人がいる。歯科医で診察を受けても原因が分からず、治療を繰り返しても一向に良くならないことも。一体どうしたらいいのか。

 ◇脳内情報伝達に原因か 違和感に敏感な人に多く

 ■歯治療後に発症

 この状態は「歯科心身症」と呼ばれる。東京医科歯科大の豊福明教授は15年以上、この原因と治療の研究に取り組んできた。

 症状としては舌がザラザラ、ピリピリとした痛みを覚える「舌痛症」が最も多い。次いで、口の中がネバネバ、ベタベタ、ザラザラする異常感を訴える「口腔(こうくう)異常感症」▽口腔内や歯、あご、顔面に慢性的な痛みがある「非定型顔面痛」▽かみ合わせの違和感を訴える「咬合(こうごう)異常感」などがある=グラフ参照。歯科診療を受けた患者のほぼ10人に1人にみられるという。

 症状の程度は日によって変わり、午前中は比較的軽く、夕方から夜に強く表れることが多い。また、食事中やものをかんでいる時、何かに熱中しているときにはあまり感じないのが特徴だ。

 同大学病院頭頸部(とうけいぶ)心療外来を07年4潤オ9月に訪れた新規患者は218人。このうち女性が174人と、圧倒的に多い。年齢は18歳から87歳までと幅広いが、平均年齢は56歳で比較的中高年が多かった。

 歯科心身症の患者のほぼ7割は歯の治療後に発症する。治療が原因と思って別の歯科医を次々と訪ねがちだが、症状が改善されなかったり、治療を重ねるほど症状がひどくなるケースもある。

 歯科心身症の統一診断基準はなく、「日本歯科心身医学会」でガイドライン作りを進めている。目安としては、(1)口腔内の痛みの場合、痛み止めや麻酔などが効かない(2)複数の病院で診察を受けて歯自体に問題はないのに、口腔内に違和感がある(3)歯の治療をしても改善されない、などがある。

 ■熱中すると緩和

 原因は特定されていないが、脳内での情報伝達に問題があるのではないかと考えられている。豊福教授は「心の問題と一蹴(いっしゅう)されがちだが、本当に心因性のものは全体の1%程度。歯の治療後の口腔環境の変化に脳が適応できなくなっている可能性が高いと考えられる」と推測する。

 食事中や睡眠中、何かに熱中している間は症状があまり出ない理由についても、口腔内の痛みを感じる脳内の回路より、何かに熱中して他の回路が活発に動いていると、痛みをあまり感じなくなるためだと考えられている。

 ■専門医少なく

 治療では、医師の指導を受けて慢性の疼痛(とうつう)を緩和させる抗うつ薬を使う。日常生活に支障をきたすような場合でも、薬を服用すれば、症状は改善できる。個人の症状に応じて薬の種類を変えたり、薬の量も調整する。最初は少しずつ量を増やし、効果をみていく。症状が出なくなったら、量を少しずつ減らし、3カ月から半年後には飲まなくても済むことが多いという。

 「口腔内の違和感に敏感な人に症状が出やすいようだ。治療を受けずに我慢している人が多い一方で、こうした治療をしている歯科医が少ないのも大きな問題」と、豊福教授は指摘している。
 
 



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オンラインゲームになってから ネット中毒

意見を聞いていると
オンラインゲームになってから
ネットユーザーとしても
ネットとの付き合い方に変化があるらしい

以前はゲームについてこう言われていた
いつでも好きな時にはじめることが出来て
好きな時にやめることができる
途中までやって初めからやりたくなったらリセットもできる
一人で遊んでいるから他人のことに関心がなくなる
いつでも自分が中心である
社会性が育たない
自己中心的になる
攻撃性や衝動性を増加させてしまう内容が多いので危険である

つまり、自己中心的で社会性のない、衝動的な人間を作るのではないかとの懸念であった

しかし最近はオンラインゲームになっていて
その特徴は
24時間いつでも継続していて進行中である
自分が電源を切っていてもゲームは進行している
孤独ではない
仲間と共同して作戦を実行したりする
武器などを分けてもらったりもする
そこでは義理や遠慮や人情やいろいろな人間関係そのものが発生する
すぐに別の誰かになることは出来ず継続的である
上手な人が少しの時間やるよりも
下手でも長時間へばりついている方がいろいろと有利であるらしい
したがって仕事もせず学校にも行かず風呂にも入らず
ずっとゲームに没頭できる立場の人がどんどんヒーローになるらしい
するとますます現実の自分との差が大きくなり
現実に帰りたくなくなるらしい
ゲームそのものはだんだん飽きてきたとしても
適当にイベントが開催されて
ゲームという空間にぶらぶらしていれば飽きないようにできているとのこと
ますます仮想空間として充実してきているらしい

ラグナロクオンラインのヘビー・ユーザーとして知られる声優植田佳奈現実世界は出稼ぎ、ネット社会が現実」と発言して物議を醸した例がある。

課金システムにもいくつかあるようだ。

こうしてみるとますます現実の時間感覚に近くなり、
対人関係スキルも要求されるようだ。

*****
ネット中毒といわれる話の中でもいろいろあるのだが
大体は
オンラインゲーム熱中と
チャット熱中が多いようだ。



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格差社会と機会の平等

格差社会という
上は勝手によくなっていればいいじゃないか
下には関係ない

下が問題なのは
もう限界なのかということだろう

下の人たちは決して限界ではないとの議論がある
下の人たちはどのくらい努力をしているかと批判される

たとえば他人が遊んでいる時間に勉強しているくらいのことはしているのか
資格勉強をしているか
技能研鑽を積んでいるか
そうした努力を続けてもなお、最低賃金にも届かないのなら、社会制度が間違っている。

汗が報われない社会は悪い社会である。

そして但し書きとして、どのくらい汗をかいているかときかれる。

下の人たちは勉強しないし努力もしない
根気が続かなくてあき易いといわれればなかなか反論のしようもない
単純でつまらない労働を続けさせられているとあき易くもなるしミスも犯すようになるのではあるが
やみくもに時給の高い難しい仕事を担当してもらってもできるはずもない

*****
所得の再分配は、機会の平等と結果の平等でいえば、
結果の平等に近く、社会主義的・共産主義的な考え方になる。

個人の資質の優秀性も自然が与えた社会資源であって、個人のものではないのだ。
だから才能はすべての人のために役立てられるべきであると考えるわけだ。

しかし最近共産主義に勝利したとはしゃいでいた自由主義は
結果の差は個人の才能と努力の差であって、それは個人に属すると主張する。
しかし機会の平等は保障されるべきである。
そうでなければ、正しい競争にならない。

*****
そこまで言っておきながら、
相続税は100パーセントではないのだ。
仮に相続税を100%にしたとしても、
生きているうちに子供たちに特別な恩恵を与えるはずだ。
その分は金持ちの側のアドバンテージになる。

しかし最近の風潮として、
勉強してもたいしたことはない、
金持ちの二代目の方が楽しそうだという考えもあり、おもしろいことだと思う。

*****
機会の平等なんていうもの
嘘八百のフィクションである。
親の年収が高いほど成績はいいとデータに出ているのだから。
これは試験の仕方が悪いのかもしれない。

機会の平等は保証して
結果の格差は100%認める、
これはリバタリアン的である

アナルコ・キャピタリズムの立場では
相続税は100%にして、
全員ゼロからスタートして
頑張ってもらう。

*****
いずれにしても、
本当に日本の国際戦略資源となるような頭脳を探し出して教育するしかないのである。

遺伝論の立場から言えば、
概ねは知能も遺伝するが
突然変異もかなりある

むしろ品種改良に必要なのは
突然変異であるということも確かなのである

したがって比較的貧しい家庭に生まれた有用な突然変異個体を早く見つけて大切に育てる必要がある

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総裁選から総選挙へ

広告代理店はどれだけ儲けているのだろう。

ニュース番組では特に批判的な事を言われるわけではないので
ほぼコマーシャルとして時間を買い取ったのと同じ効果になるだろう。



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自分の人生はこれでいいのかと

自分の人生はこれでいいのかと考えれば、
ずいぶんつらい感じもする

たとえば自分が物語を書いてその一人の人物の運命を
このように構想したとすれば
もっとましな話にしたらいいのにと
思うに違いない

しかしそんなことは考えても仕方がない
ここまできてしまったものはもう取り返しもつかない
考えれられるのはこれからのことだ
すこしでも自分として納得の行く時間を持ちたい
わたしにできることをこつこつとやる
それしかないだろう

私として
夢みているのは
こうしたすべての経験が次世代の若者にとっての資料となればいいと思う
そうすれば少なくとも無駄ではないと感じている

ということは詳細に語り残すことだと思うのだ
教師でもいいし反面教師でもいい

また現在20代くらいの人には自分が直接に話しかけることができる
それは大切なことだろう

私はこの人生でたいしたことは出来なかった
しかしそのことも含めて次世代が役に立ててくれればとわずかに希望する

このようにしてはいけないんだなと考えてもらってもいい
本当にいろいろなものを無駄にしてきた

ギッシングの
ヘンリー・ライクロフトの手記があり
ギッシングがそれを書いたのは
私より遥かに若い頃である
そしてその中に書く尽くされているともいえるので
新たに何をというものでもないとも思うのが一方にはある

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