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セクシー You

今日の君はとってもセクシー
オヤジは千人単位くらいで悩殺されています

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三菱UFJ モルガンに9千億円

三菱UFJはモルガンに9千億円出資、
ユニオンバンカル・コーポレーションに3800億円、
以前みずほがメリルリンチに1300億円、
三井住友がパークレイズに1千億円と新聞にある。

リーマンのアジア部門は野村が買収とあり、数億ドル規模と書かれている。

新聞記事の読み方も経済記事に関してはよく分からないが、
銀行にお金はあったのだ。

貸し渋りで困っている人がこんなに多いのに。
こんなにも低金利なのに。
このお金を国民で割り算したらいくらになるのだろう、
2万円くらいになるのだろうか。

みんなで預金を全部一度に下ろしたらどんなにか驚くだろう。
一度くらいは慌てさせたやりたいと思わないか。

まあ、そんなこともないので、気を落ち着けたいが。

それにしても日本人が低金利でお金がなくて
毒入り餃子や不正米を食べ吉兆の変な料理を食べているうちに
アメリカ人は遊びほうけてお金を使いすぎて結局破綻して
だとすればなぜそれに出資したりするのかと言ったら
別にアメリカ人は遊んでいない、庶民はまじめに働いているのだ、それに
今買わないと損だからと答えた。

そんな答えがあるのかと驚いた。

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なし崩しの横須賀

横須賀に原子力空母
これが なし崩し

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強行採決した後期高齢者制度を変える?

舛添厚労大臣が
75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度に代わる新制度の創設を検討
というので驚いていたら
公明党が
「真意がよく分からない」
ときたもんだ。

総裁が代わったとはいえ自民党なのだし
ましてや厚労大臣は同じ人ではないか
厚労省だって同じなのだし
強行採決までしたのは自信・確信があったからではないのか?

政治家の皆さんのやっていること全体の「真意がよく分からない」。
選挙に勝つためというのだろうが、
勝つための作戦とは到底思えない。

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サイバースペースでは有能な人Pの問題について

いろいろと論文を読んでいると
相変わらず
サイバースペースでばかり時間を過ごしていると
バーチャルとリアルの区別がつかなくなるといった具合の
断定が多いが、
実際は皆さんそれなりに区別はついているようにも思う。

なかで、次のようなくっきりとした論文もあり、注目に値すると考えられる。

*****
◆現実
18歳の男子で、高校に進学した後、不登校になり、ひきこもり、部屋には家族も入れず、
食事は母親に運んでもらい一人で食べていた。
用があってもメモでやりとりするだけで全く話さない。
被害妄想や幻聴の存在を示すメモ。

面接場面では服装は奇異で薄い化粧、一貫した緘黙、硬い表情。

*****
◆電子メール
この人がメールの中では非常に饒舌で長文を好み、
パソコンやインターネット、音楽の話題をごく自然な文体で綴る。
万能感や尊大さが目立つ一方、
自己評価の低さや見捨てられる不安も抱える。
典型的なスプリッティングの機制が見られた。
同時に特権意識、平凡恐怖、自己イメージの不安定さ、羞恥、怒り、優越感と同時に劣等感があり、
総合してみると、自己愛性人格障害または境界性人格障害と思われた。
奇異な服装や化粧も本人なりの美意識に基づいたものであった。

*****
◆インターネット空間
インターネット空間ではたくさんのホームページを訪れて意見を書き込み、
リアルタイムのチャットにも参加していた。
シェアソフトをダウンロードして機能拡張したり、
好きなミュージシャンの写真を貼ってホームページを作ったりした。
インターネット空間でのルールには完全に適応的に振る舞っていた。

*****
病態水準としては
現実は精神病
電子メールは人格障害
インターネット空間では過剰適応
がそれぞれ対応していると、その論文の筆者は指摘している。
そしてこの三層で混乱はなく
バーチャルとリアルの区別がつかなくなるといった事態もないようだったと記している。

筆者のいうインターネット空間に過剰適応しているという言い方は、
やっていることを見るとたいしたことではなくて、すこし過剰表現だと思うが、
現実適応の水準に比較するとやはり違うとは言える。
少なくとも普通に振る舞っている。

このタイプの人がMS-DOSを作ったりGoogleを作ったりすれば、
緘黙のままで成功とも考えられないが、適切な補助者がいたとして、
たぶん大部分は誰かに横取りされて終わりになるだろうけれど、
それでも生活はしていけるようになるかもしれない。

従って、少し訂正して書き直すと、
現実は精神病
電子メールは人格障害
インターネット空間では正常
となる。

筆者は、いったいどの状態を病理の本質と見なすべきか、
全く異なる言動はどう理解すればいいのだろうか、と問いかけている。

しかし現実と電子メールとインターネット空間とで
それぞれの面を露出させているだけではないだろうかと私は思う。

病理の本質は何かと言っても、それぞれの場所で違う面を見せているだけで、
各場面での病理もあるし、それらが統合されていないことも病理である。
それだけのことではないだろうか。

インターネット空間で正常に適応しているからといって、
現実世界での精神病状態がなくなるわけでもないし、本人も苦痛であるに違いないのだし、
治療を求めるなら、治療した方が良いに決まっているだろう。

*****
インターネット空間には
尊大さと弱々しさ、
誇大自己と自己不全感を併せ持つ、
そのようなメッセージが膨大に
日記や詩の形で公開されていると
筆者は書く。

誇大な自己であるからこそ、現実では小さくならざるを得ず、
自己不全感に至るのであって、
そこに矛盾はない。

尊大であるから、現実には有効ではなく、
従って弱々しいのであり、
そこにも矛盾はない。

そのような存在の様態を自己愛的と名付けているのであって、
それはそれで完結している。

矛盾を見いだして、その矛盾を解決していくエネルギーはないように思われる。
むしろ矛盾に鈍感になり、こぢんまりとまとまることが多いのだろう。
まとまり方がみんな似ているのは、
みんな中流という時代が続いて、与えられた条件が似ているからだろう。
与えられた条件が桁外れに違う人もいて、
そんな人たちは、かなり違った適応の仕方をして違った生き方をしている。

*****
上で紹介した論文は、よくある、
「バーチャルとリアルの区別がつかなくなる病理」を論じる水準は超えている。
そして三つの場面で三つの水準の病態を取り出して見せている。
大変鮮やかである。

しかしながら、インターネット空間での適応の程度を過大に評価していると思う。
この程度のことをして人間が生きていけるだろうかと考えれば、
小さな部分的な適応に過ぎないと思う。
たとえばスーパーに行って買い物ができた程度だろう。

現実場面と電子メール場面とでの食い違いが著しいが、
この場合は食い違っていること自体が病気なのであって、
そのように食い違わざるを得ないメカニズムがあるのだと考える。

思考の内容は電子メール場面で現れている。
対他交流の様式は現実の人間には緘黙、電子メール場面では饒舌と現れている。
それでいいのではないか。

病気の形式は統合失調症型である。内容は人格障害型である。
あるいはDSMでいえばⅠ軸が統合失調症・破瓜型で、Ⅱ軸が自己愛性人格障害である。

そう言うのも割り切り過ぎと分かっているが
ここではそのように論じてみた。



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ひきこもりもよい。しかし出るときが危ない ネットなら出なくていい

ひきこもりは、それはそれで自分を守る方法である。

しかし稼ぐために、また配偶者を求めるために、ひきこもりから出なければならない。
出るときが危ない。

ドーパミンで言えば、
ひきこもりしているうちはドーパミンは少なくてすむ。
過剰に出て怖い思いをすることはない。

しかしドーパミンが少ない状態で慣れたあとに、
仕事や性行動に出掛けて行くと
ドーパミンが一度にたくさん出て怖い思いをする。

*****
これまではそうだった。
しかしネット社会ではどうだろうか。

ネット社会の中で働き、
実際には誰にも会わないで仕事もできる。
(まだまだ少ないけれど)

ネット社会で出会い、
交際することだってできる。
実際に出会うのはかなり後になってからでもいいとすれば、
あまり焦らなくてもいい。

これはドーパミン系が強くない人にとっては
かなりよい知らせではないだろうか。

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どれも虚しかった

人生の途上での
さまざまな試み
しかしそれらはどれも
虚しかった

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メディア漬けが子どもの発達を歪める

・子どものメディア接触は早期化しかつ長期化している。
・半数以上が一日6時間以上接している。
・授乳しながらテレビ・ビデオ・携帯を使用している母親が7割を超えている。
・母親たちは子守、しつけ、教育をテレビ・ビデオに期待している。
・子どもが裸足で走り回ることができる空間はこの50年で1/100まで減少した。
・気に入らないメールを発信してくるクラスメートを「消去」した11歳の少女。
・4歳の幼児の性器にいたずらをして殺した12歳の少年。
・自分の祖父母をゲーム感覚で襲った高校生。
・人を殺す実験がしてみたいと本当に人を殺した17歳。
・言葉が出ない、視線が合わない、表情がない。
・現実と非現実の混同。
・生き物に対する畏敬の喪失。
・抑制欠如。
・5歳児の1日の歩行数は、この20年で12000歩から5000歩に減少。
・背筋力低下。
・運動能力は低下して、子育てや介護も難しい程度。
・視力低下。
・視力の左右差拡大。
・立体視力がない。
・テレビ・ビデオ・携帯・パソコンが子どもに安全であると証明されたことはない。
・日本は他国に比較して学校以外での勉強時間が短く、テレビ・ビデオを見る時間は調査参加国の中で一番長い。
・1990年代になると、生まれた時からテレビがあった世代が親になっている。テレビ・ビデオを見ながら、メールを打ちながら授乳している。
・0歳から育児ビデオや早期教育ビデオを見せ始める。
・アイコンタクトを拒絶した授乳でよいのか。
・年間でメディア接触時間は2200時間、小中学校の年間授業時間は1100時間。
・マイナス面としていくつかあげられる。
 ・触覚、嗅覚、味覚は使われない。
 ・立体視力が発達しない。
 ・言語形成期に応答性のない電子画面を見ているので、言語発達が遅れる。
 ・歩かないので、歩行が発達しない。
 ・気温変動の少ない場所にずっといるので、自律神経が発達しない。
 ・前頭前野の働きを低下させる。
 ・外遊び、読書、勉強、家族との対話が減少する
 ・学力低下、コミュニケーション能力の低下。
・雅子様は愛子様にテレビを見せない方針。
・「ノーテレビデー」「ノーメディアデー」の試み。

*****
いくつかの論文から抜き出したが、どうも今ひとつ信頼性に乏しい感じがする。
テレビがあってもビデオがあっても親が普通にきちんとしていれば問題はないような気がするのだが。
ことがらをこのように単純化して因果関係を断定する態度はまさに「テレビ的」であり、受け入れ難い。
生活の中にテレビもビデオも携帯もあるでしょう、それでいいでしょう。必要なら使えばいいだけだ。
実際、テレビ・ビデオが子育ての邪魔になるとして、それさえコントロールできないようでは、
これから先も大変そうである。世界はもっと複雑で恐ろしいことになっているのだから。
ある種の事件は「現実と非現実の混同」としかいいようのないものもあるのだろうが、
それは端的に言って精神病状態というものであり、
そういった特殊な状態をテレビ・ビデオが引き起こしているという因果関係の推定は不正確である。



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情報は多すぎて心は耐えられない

テレビで現在の犯罪のレポートを見て
そのあと
ベトナム戦争のレポートを見て
実に深く落ち込む
これが現実なのか?
心は耐えられない
情報は多すぎる

*****
仏典を読む



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ネットを見つめているうちに

ネットを見つめているうちに
脳が壊れるのではないか
心が壊れるのではないかと
心配されている

たしかに
ネットは疲れないし休まない
人間の脳は疲れるし休みが必要である

ネット画面の脇に、
脳の疲労程度を表示したらどうだろう
「一休みしてくださいモード」になり
強制的にスリープになってしまうのもいいかもしれない。



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ゲーム脳と子ども

森 昭雄 2006年

ゲーム依存になると古い脳がドーパミンにより刺激され、
快楽的になりなかなか止められなくなる。

ゲームばかりしているとセロトニンが不足し、無表情になったり、キレやすくなったり、
姿勢が悪くなったりする。
過剰なゲームは、無気力、無計画、創造性の欠如、善悪の判断がつかない、理性、自己コントロールなど、にまで影響を及ぼす。

子どもたちは外で遊ばなくなったので、家の中で遊ぶ。するとコンピュータで遊ぶようになる。ゲームが上達するほど、脳の前頭前野の働きが低下する。β波の活動が低下する。
ものを考える、計算する、精神活動をするときに出るのがβ波である。

おとなしい子だと思い子守代わりにテレビやビデオを見せていると、赤ん坊は無表情になる。

このこにテレビ・ビデオを見せないでいると表情が出てきて笑うようになった。

テレビよりももっと母親に相手をして笑って話しかけてほしかったのです。

生と画面という違いは大きいのですが、
とにかく、相手からの話しかけもお顔もある。
赤ん坊はそれに返す。
しかしそこから先は何も返ってこない。

人間同士であれば、相互のストロークとして、いつまでも続く種類のものである。

6歳児にテレビを見てもらます。視聴一時間まではβ波の低下はほとんどみられません。
2時間を超えると低下し、3-4時間になると、低下はさらに顕著になります。

ゲームの時間を15分にして、その3倍の読書をする。

前頭前野の改善には読書、会話、音楽、自然に触れる、身体運動をする。



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OA症候群

最近では事務処理や受付業務、レジも改札も電子化されている。
昔は伝票をそろばんで集計していたものだが、
電卓になって感動していた。
するとあっという間にロータス123の時代が来て若者が有利になった。
Win95が普及してExcelの時代になり
何でもかんでもエクセルで処理できることが分かった。
データのやりとりもメールで飛ばすようになり、
このあたりでついて行けない人はバスを降りた。

各種集計は一発だしピポットテーブルをつかいさらにグラフを使えば
非常にスマートなサラリーマンである。
しかしそんなサラリーマンはいくらでもいたので、特に有利ではなかった。

昔に比べれば何人分も仕事をしているはずなのに
ちっとも楽にならない
それどころかリストラされている
なぜなんだ

欧米では1980年頃、職場がOA化されることになったとき、
労使間で協約を結び、労働者のリストラや過重労働を防ぐことがよく行われたらしい。

考えてみれば、会社内のいろいろな数字は独立しているのではなく、
深く連動しているのであって、それらを扱うときに、なるべく少人数で
深く理解しながら進めた方が効率はいいし、アウトプットの質がよくなることは確かだ。
人数が増えれば、ただの入力屋も多くなるはずだ。

この場合に、実質の情報処理をする人間は少数の正社員で、
データを入力するのは派遣社員でいいとなれば、
企業にとっては都合がいい。
よすぎる。
実際に内部留保がたんまりできて、
今度はアメリカの大企業に手助けをするそうだ。

時給860円で働いてきた私たちが
アメリカの金遣いの荒い人たちの無駄遣いの後始末をさせられるのかと思うと
絶望的だ

本当は、電卓を使って10人でしていた仕事をパソコンで10人でやっていればいいのであって、
余った時間は息抜きに鬼平犯科帳全巻読破にでも当てればいいのだ。
それを実現するために労使交渉をやるはずだった、日本でも。

しかしそうはならず、リストラは断行され、
残った正社員はぎりぎりまで働き、データ入力は賃金の安い派遣に回された。
だから政府は平気で景気は上向きだなどと言えていたのだ。

儲かっているように見えたのは
人件費を削ったからで、
いい商品を作ってヒットさせたからではない。

昔はブルーカラーとホワイトカラーと言われたものだが
ホワイトカラーはいまやVDT労働者である。

ブルーカラーは筋肉が疲れれば休憩が必要である。
VDT労働者は筋肉の限界がない。
神経に限界があるはずなのだが、わかりにくい。

そんなわけで、コンピュータを相手に働く人たちの困難な状況について
cyberphobia サイバーフェビア コンピュータ恐怖症、コンピュターアレルギー
という言葉もあてられた。

1984年、Craig Brodは"Technostress"のなかで
techno anxious テクノ不安症 と techno centered テクノ依存症 を語った。

テクノ依存症はコンピュータ中毒ともコンピュタへの過剰適応とも言える。
シリコンバレー・シンドロームと名付けられたものもこの頃の話である。
さらに夫をコンピュータに奪われた妻をcomputer widow と表現した。

OA化が進んだ事務部門では一般事務部門に比較して5倍程度の精神不調発生率とも言われる。
これは生産工場でのライン労働者の二倍の数字になる。

technostressの特徴は一時的に急性に発生するものではなくて、慢性発症である点である。
慢性の疲労から精神不調を訴えるに至る。

この同じプロセスは、子供がテレビ、携帯、ゲームなどに接していて、慢性疲労、不眠、自立神経症情、さらには精神症状に至ることと同じである。

疲れを知らないコンピュタは人間の心をむしばむ。

近年のVDT労働は、自動車を組み立てるごとく、レポートを組み立てるのであって、
締め切りに終われ、頻回のデータ差し替えに追われるのであれから、
実際、ライン作業者よりもつらいストレスにさらされて毎日働いている。



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