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19インチvs24インチ

ここ2年くらいは24インチのモニターを使ってきた。
最近季節が変わって座る場所を変えた。
そこには19インチの昔のモニターがあったので
それを使っている。
パソコンも昔のセット。
使ってみるとむしろ文字が大きいようで、
そのほかに特に不都合はない。

小さく軽くもいいスタイルだと思っている。

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2008年的光景 個室ビデオ店放火事件

個室ビデオ店放火事件で死者15人。

最近メディアが人の心にどう影響を与えるかなどまとめて読んでいた。

防災対策がずさんだったという問題点は第一だが、
第二はそれがアダルトビデオ鑑賞施設であることだ。

施設で眠るときに何を見ていようと勝手であるが
そのことが長い目で見て心にどのような影響を与えるものか
考える必要はあるだろう。

たぶん、どの親も、自分の子どもがそのような映像で性を認知することに
心配を感じるだろう。
自分の子どもは見ていないとしても、
子どものパートナーになる人は見ているかもしれず
いずれにしてもそのような時代に生きているのだと認めざるを得ない。

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マナーの二種

マナーというものは難しいもので
社会の均質性と関係する

マナーにも二種類あると思う

こういうときにはこうしましょうとあるとき教えられて
その通りにするとする

1.
およそ人間ならば誰でも喜んでくれる納得するマナーで
たぶん次からその人もやるかもしれないマナー
合理的で人間的で普遍的である。

道ばたや公園のゴミを拾って片付けるなど。

2.
そのことをマナーだと知っている人だけが納得できるもの。
これはそうしないとマナー知らずと思われることもある。
人によってはなぜそんなことをするのか分からないこともある。

これはかなり教育や社会の均質性に依存していて、
儀式や手紙の書き方などに現れる。
「用件が伝わればいい」という考えと、「ルールも知らないのか」という考えとがあると思う。

たとえば、儀式では、一般庶民のルールと、
皇室やお公家さんのルールでは違いがあり、
そんな人たちの中には、一般庶民のやり方をしきたりも知らない下賤なものとの感覚もあるようだ。
しかしそんなことをいわれた方はたまらない。
合理的に考えても何も理由はなく、ただ昔からのしきたりだといわれて威張られる。

私はそんなものはルールではないしマナーでもないと思うのだが
そのようなマナーの通りにやればその場では一人前と認められ仲間と認められるので便利である

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日本的犠牲主義 マゾヒズム

日本人は契約に従って人間関係を結ぶのではなく
暗黙のうちの義理人情が大事なのだといわれ
実際サラリーマンでも微妙な貸し・借りの世界ではある

その中で昔からいわれる
日本的マゾヒズムというものがある

真性のマゾヒズムは勿論虐待されることが目的であり最終的な報酬であり
虐待されることで快楽が完結しているものだ
日本的マゾヒズムは違う
だから日本的と形容詞がついている

すすんで我慢して耐え、その報酬を未来に期待する
そこには契約もない
期待を無視すれば義理も人情も分からないやつだと
言われる

どのくらいの我慢をしてどのくらい耐えたのか本人にしか分からないことも多く
そのつらさを相手にくみ取ってほしい、くみ取るのが当然だと思うわけで
なかなかややこしい

この場合はマゾヒズムという言葉はあまり適当ではないと思うのだが
昔からそのように呼んでいる

確かに自己陶酔的に自己犠牲に酔っている人もいてマゾヒズムとも呼びたい状態なのだが、
ここまで犠牲になったのだから
私の言うことを聞けとの強い主張でもあるわけで
マゾヒズムどころの話ではない

日本的マゾヒズムの困ったところは
自発的日本的マゾヒズムは誰にも止められないことだ

やめてくれといっても勝手にやってしまうし
だから余計なことだと言っただろうと言っても、
私の気持ちが伝わらないのかと
さらに犠牲を強調する

そのような事態になって
無視して進める人は強い人で
たいていの場合は
何かしらの妥協案を用意する

半ば強制なのである
恐ろしいことを考えたものだ

さらにすごいのは
日本的マゾヒズムを利用して、食い物にして、太っていく人間もいるということだ
犠牲だけさせておいてあとは知らぬふりで心が痛まないなら
丸儲けである
上には上がいるものだ

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結局アメリカは落ちない

マスコミではアメリカがさんざんにたたかれているが
個人的にはやはりどうしてもアメリカの凋落は
信じられない

一部のアメリカ人についていえば
あのタフな奴らがこのまま黙っているはずはないと思う
たぶん日本人の二倍は食べるし
二倍はしゃべって
休みなしに仕事をしている

そしてアメリカを支えひいては世界を支えているのは俺なんだという
強烈な自負心がある

そばで話を聞いていても
自然に巻き込まれてしまうようなエネルギーがある
そんな人間が多数いる。

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京都のウエイトレス

どう考えても京都のレストランのウエイトレスは美人が多いような気がする

簡単に言うと
京都で一緒に食べている女性とウエイトレスの女性と比較すると
ウエイトレスさんの方が美人である
そのときはちょっと複雑な心境である
旅先ということで頭がおかしくなっているのだと思う

東京で誰かと一緒に食べていると
たぶんウエイトレスさんよりものその女性の方がきれいだ
その場合には余計な心理的葛藤は生じない

個人の経験は役に立たないが
それでもどうしてだろうかと思う

京都には美人さん向けの仕事が少ないのかもしれない

装いの仕方が好みに合っているのかと思うが
どうせデパートのコスメコーナーで指導されるもので
東京都あまり違いはないと思う

西日本の美しい人が選抜されているのかと思う。

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自己愛の言葉の意味の範囲

自己愛 ナルシズム ナルシシズム の言葉が何を意味するのかについては
幅がある

文献で言えば、フロイトからコフートなどを経由して現在に至る、
精神分析の流れが大切なのであるが
一般向けに分かりやすいともいえない。
そして精神分析自体がもはや斜陽である。

極端に自己愛パーソナリティ障害といえばやはり病気なのであるが
それが様々な程度に薄まっているならば、
特に病気というほどではなくて正常範囲の心理になる。
正確な境界は決められないし環境との兼ね合いなので決める必要もない。
環境が変われば適応的になる場合も多い。

病気を論じるのではなくて
個人の一般の心理や社会全般を論じるときには
元々の意味でのうぬぼれとか自分も少しはすごいんだという密かな確信とかを扱うことになり
そうなると言葉の意味としてはますます拡散してしまう。

特殊な例では性的倒錯の一種としての自己性愛がある。
それはあまり話題にならない。

一般向けの本は、
ひっょとしたら自分のパートナーは、あるいは自分は、パーソナリティ障害ではないかと思って
読み始めると
微妙に当てはまる感じがするように書いてある

いろいろな人のいろいろな思惑が総合されているのだが
勉強してみるとして
古いものだと小此木先生、
新しいものだと市橋先生、牛島先生が標準的なものかと考えられる。

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初めての心療内科で、パニック障害と診断された私

大変落ち着いたレポートで参考になります。

*****
【1】初めての心療内科で、パニック障害と診断された私
2008年10月3日 金曜日 藤岡 清美
パニック障害  心療内科  うつ  メンタルヘルス  カウンセリング   読者の皆さん、はじめまして。このコラムを書くにあたって、まず皆さんに知っていただきたいことがあります。

 私は、精神科医でもカウンセラーでもありません。ひょんなことからパニック障害になり、心療内科に通ったことのある、いわゆる「患者」です。

 これを聞いて、皆さんはどう思われますか? 私のプロフィールを読み直して「ふうん、この人がねえ」と好奇心に駆られるかもしれません。それはきっと、当たり前のリアクションだと思います。

 日本ではまだ、精神科や心療内科にかかることがタブー視される文化があります。私もつい何年か前までは、この文化や思考にどっぷりと浸かっていた一人でした。ですから、カウンセリングに行きたくても行けない人が日本にはたくさんいるだろう、ということは、想像するに余りあります。

 私は専門家ではありませんので、この連載の中で専門的な知識や対処方法をご披露することはできません。ただ、私のささやかな(しかし私自身にとっては大きな)体験談や、そこから得た気づきをお話しすることで、同じ悩みを持つ人、そしてその家族や友人に対して、何かのきっかけづくりになれば幸いに思います。

 誰だって、“心の壁”にぶつかる素地を持っているのですから。

友人が抗うつ剤を処方された、と聞いて…
 かれこれ10年以上も前、大学を卒業して就職するまでの暇な期間を、のんびりとサンフランシスコで過ごしていた時のことです。

 居候先の女友だちに、「プロザックを処方された」と打ち明けられました。プロザックとは、米国で当時大変なブームになっていた抗うつ剤で、一般人の私でさえ名前を知っていた薬でした。それを聞いた私は、その薬の名前への抵抗感や、やめられなくなるのでは、という勝手な憶測から、その友人に「薬に頼っちゃだめ!」とか、「病気なんて、気持ちの持ちようよ」などと励ましたものでした。

 サンフランシスコを離れた後、その友だちから「プロザックを飲んだら、よく効いて、飲んで本当に良かった」というメールが届きましたが、そのメールに対しても私は、「えー、飲んじゃったの?」といった態度で返事を送ってしまったのでした。彼女は律儀にも、私が家を出るまでプロザックを飲まずにいたようなのです。

 当時は彼女の親友を気取っていましたが、今考えると、なんと身勝手で無責任なアドバイスをしていたのだろうと思います。そしてまさに因果応報というか、数年後に自分自身にも同じ状況が降りかかってくるのでした。そのきっかけについては、詳しくは次回以降でお話しします。

 こうして30代のある時、心療内科に通うようになってから、いくつかの貴重な発見がありました。第1の発見は、世間には、専門家に相談したいと思っても、勇気がなかったり、恥ずかしがったりして、なかなか行けない人たちがたくさんいるということです。

 例えば、心療内科に通うということで、会社や周囲の人から張られる“レッテル”への怖さ。今のままでもどうにか我慢できるのに、わざわざ診療を受けて「あなたはパニック障害です」「あなたはうつです」「あなたは不安神経症です」などと、病名をつけられたくない、という人が多いのではないでしょうか。

 その気持ちは、私もよく分かります。初めて行った心療内科で、医師に自分の症状や考えていることなどを告げた後で、「パニック障害ですね」と言われ、病名をさらさらとカルテに書かれた時は、やはりショックでした。「さっき私が言ったことは、全部でっち上げなんです! どうか取り消してください!」と言いたい衝動と、どれだけ戦ったことか。

 原因が明らかな怪我やウイルス性の病気と違い、心療内科ではたいてい自己申告をベースに病名が決められます。その過程で、自分が医師に対して発する言葉の重さに突然気づき、恥ずかしさや罪悪感で、いても立ってもいられなくなる…。これは、相当肝の据わった人でなければ、誰もが感じることだと思います。

 ちなみにパニック障害とは、突然激しい動悸が起きて呼吸困難になったり、心臓発作に似た感覚に襲われたりする「パニック発作」を体験し、また起こるのではないかという不安(予期不安)をはじめとする精神的な辛さが、生活するうえで障害になった状態を指します。この症状の経験者でよく知られている芸能人には、スポーツコメンテイターの長嶋一茂さん、KinKi Kidsの堂本剛さん、女優の高木美保さん、メイクアップアーティストのIKKOさんがいます。

「病気が知られる」ことが怖くて、医者にかかれない
 会社勤めの人たちやその家族の方には、「自分が病気であることが、加入している健保組合に知られる」という抵抗感もあるように思えます。

 今は保険証の多くがカード型に切り替わっていますが、保険証が紙だった時代には、医者にかかるたびに医療機関のゴム印が押されていました。つまり専門家にかかれば、その「証し」が保険証に記載されてしまうのです。保険証は、身分証明としても提示する機会の多いものです。ゴム印を人に見られるのを恐れて、心療内科にかかるのを躊躇した人も多かったのではないでしょうか。

 そして、保険証がカード型になっても逃れようのないのが、毎月の医療機関利用明細。これにもドキッとさせられます。家族に内緒で専門家に通うということが、極めて困難になります。特にビジネスパーソンの夫が、専業主婦である妻に「心療内科に行こうかと思う」などと打ち明けた日には、過敏に対応されるのではないかといった不安があるでしょう。

 こうして人に話せず、診療してもらうのを避けていると、症状が悪化するまで放置する原因になりかねません。こういう人々が我慢に我慢を重ねてしまい、医師にかからなかったばかりに最悪の結果にならないように、社会的なメカニズムの導入が進むことを期待せざるを得ません。

プロのカウンセラーに、対等な関係で相談すべき
 2つ目の発見は、心療内科に関する悩みに関しては、専門家でない友人や家族に相談してアドバイスしてもらうには、限界があるということです。勇気を振り絞って話をしても、私がサンフランシスコで友だちにしたのと同じように、いい加減な助言しかできない恐れがあるからです。これは、自分にとっても相手にとっても不幸なことです。相談を通じて彼らに過剰に依存したり、逆に関係を悪化させることは、自ら問題を複雑にさせるだけなのです。

 3つ目の発見は、カウンセラー(ここから精神科医、心療内科医、臨床心理士などの専門家をカウンセラーと呼ぶことにします)と自分は、フェアな関係であるべきだということです。

 私は複数のカウンセラーによるカウンセリングを通じ、良い経験と悪い経験の両方を経験しました。そこで悟ったのは、たとえ専門家であっても、自分と「ベストマッチ」と言える相手にはなかなか巡り合えないということです。例えば、“カリスマスタイリスト”に髪を切ってもらっても、100%納得できるヘアスタイルにしてもらうのは容易ではない、というのに似ています。

 だからこそ、患者とカウンセラーとは何でも言える関係でなければならないと思います。状況を改善させるために通院するのですから、それがストレスになるようでは元も子もありません。症状のこと、薬のこと、カウンセラーのアドバイスに対する自分の意見など、何でもフェアに話せる勇気が、患者には必要だと思います。カウンセラーはそれが仕事であって、私たちは対価を払っているのですから。

 姜尚中さんのベストセラー『悩む力』の要約に、こうあります。「自己肯定もできず、楽観的にもなれず、スピリチュアルな世界に逃げ込めない人たちは、どう生きれば良いのだろうか?」。

 姜さんはこの本で「とことん悩む」ことを提言されています。悩みの上にたどり着くのは、あっけらかんとした開き直りであってほしいと思います。しかし悩んで悩み疲れたら、また悩むのが怖くなったら、カウンセリングを打開策の1つに加えてほしいのです。そういった意味で、私の「カミングアウト」が一助になれば幸いです。



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インターネットで広がる新しいがん医療の可能性

インターネットで広がる新しいがん医療の可能性
成松宏人(日本対がん協会がん対策のための戦略研究推進室室長補佐)
関連ジャンル: インターネット コミュニケーション その他の癌

なりまつ ひろと氏○1999年名大医学部医学科卒業。2008年名大大学院医学系研究科分子細胞内科学(血液・腫瘍内科学)修了。2008年4月より現職。
【がん医療における情報伝達の研究は世界的にも注目されはじめている】

 このたび筆者らの研究グループは、「がん関連ウェブサイトの訪問者特性」について解析を行い、その結果がJournal of Clinical Oncology誌9月1日号に掲載されました。

 『Journal of Clinical Oncology』誌はアメリカ腫瘍学会の機関誌で、臨床腫瘍学の分野で最も読まれている学術雑誌の一つです。今回の研究成果の掲載は、がん医療における情報伝達が世界的のがん研究者にも注目されはじめていることを示しており、今後ますますこの分野の重要性が増してくると思われます。

 そこで本稿では、私たちの今回の研究を紹介させていただきたいと思います。なお、この研究は厚生労働省の班研究(主任 中田善規 帝京大学麻酔科教授)の一環として行われました。

【インターネットから情報を得るがん患者が増えている】
 がん患者さんにとってインターネットは貴重な情報源です。自分自身や家族が初めてがんと診断されたとき、手術や抗癌剤の治療を受けるときなどをきっかけとして、インターネットでがんに関する情報を集めることが多いと思います。しかし、インターネット上には情報があふれており、自分に本当に重要な情報を得るのは簡単ではありません。

【患者にとって使い勝手のよいウェブサイトとは?】
 がんに関する情報を提供しているサイトは、提供する情報の種類によって大きく二つに分類されます。

 一つは、一般的ながん情報を提供する国立がんセンターのホームページなどのサイト。もう一つは、闘病記サイト(もしくはブログ)といった、提供する情報の範囲は狭いものの、より特殊な情報を提供するサイトです。

 患者さんの個別のニーズに対応できる使い勝手の良いウェブサイトを構築するためには、いろいろな種類のウェブサイトが有機的に連携することが必要です。

 そのためにも、「いつ訪問するか」「どのような頻度で訪問するか」などの訪問者の特性をウェブサイトの種類毎に把握して、患者の個別のニーズに合致したウェブサイトを作っていく必要があります。

【影響力の強いがん関連100サイトを抽出】
 そこで私たちはまず、「がん」や「悪性腫瘍」といった、がんに関係するキーワードを使用してYahoo!検索を行い、ヒットする2000ウェブサイトを抽出しました。そのなかで、より検索されやすいウェブサイトを独自の基準で100サイト選びました。

 そして、これらのサイトに対してアクセスログ(訪問者がウェブサイトに残す「足跡」)の解析をお願いしました。結果、匿名を条件に25のウェブサイトに協力に応じていただきました。

【患者闘病記サイトは今後重要なカテゴリーに】
 今回協力25サイトの内訳は病院関係6サイト、製薬会社関係5サイト、闘病記関係14サイトでした。今回の研究で私たちは特に闘病記サイトに目をつけました。

 このカテゴリーは今までの研究ではほとんど注目されていませんでしたが、私たちの今回の調査ではがん関連サイトの中で約1割の影響力を占めるまでになっていました。

 ウェブサイトで闘病記を書けば、時空を超えた患者同士の情報伝達が可能になり、従来の対面型の患者会よりも利便性がよく低コストでコミュニケーションを図ることができます。

 また、医療者からは提供されないが患者にとって有用な情報が、このような媒体を通じて提供されている可能性もあります。このように闘病記のサイトは今後、重要なカテゴリーになってくるでしょう。

【ウェブサイトの種類によって訪問者の特性が違う】
 つぎに、ウェブサイトがいつ訪問されるかについて、病院系ウェブサイトと闘病記サイトで比較しました。病院系ウェブサイトは平日午後に訪問頻度が多く、休日に低くなっていました。

 一方の闘病記ウェブサイトはほとんど曜日変動がなく、夜間にアクセスが多いことが分かりました。病院系ウェブサイトへの訪問のピークは実際に病院に受診する時間と一致していますので、受診目的の利用が多くを占めるのではないかと推測できます。

 また他方、夜間にアクセスが多い闘病記ウェブサイトでは、訪問者が余暇の時間を利用して訪問する傾向があると推測されます。これは闘病記ウェブサイトが一方向の情報発信だけではなく、患者や家族同士の情報伝達のツールになっていることを反映しているのかもしれません。

 また、闘病記ウェブサイトの訪問者がそのサイトを再度訪れる割合(リピート率)は、一般的な情報提供型のウェブサイトよりも高いことがわかりました。これは特に乳がんの闘病記で顕著でした。

 さらに、訪問者がどれだけウェブサイトに対して熱心に訪問しているかを評価する訪問者親密度解析でも、乳がんの闘病記サイトには熱心なファンが多いことが分かりました。

【訪問者の特性を考慮したウェブサイトの構築が必要】
 私たちの今回の研究では、がんのウェブサイトの訪問者の背景や行動は、ウェブサイトの種類により様々であることが分かりました。これは訪問者が多様なニーズを持っているからだと思われます。がんのホームページを利用者にとって使いやすく有益なものにするためには、訪問者の背景や行動をふまえたウェブサイトの構築が必要だと考えます。

【研究の詳細は・・・】
 がん医療における情報伝達、なかでもインターネット(ウェブサイト)の重要性は、今後ますます増してくるはずです。私たちの今回の研究の詳細については、下記URLより論文(「Detailed Analysis of Visitors to Cancer-Related WebSites」)をご参照ください。



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