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遅れて読む新聞

相変わらず月遅れくらいで新聞を読んでいる
広告で芸能人が笑っているのだが大げさすぎて
引きつっているようにしか見えない

経済には流した汗に比例して報われる面と
リスクをとることに応じて報われる面とがあるといわれる

リスクをとるということははっきり言えば
ばくちを打つということだ
ギャンブルである

それが正当な報酬と言えるのか
そのような報酬を許していることは
ギャンブルを制度化しているようなことで
おかしいのではないかとの議論はある

株は昔からそんな面もあり
株価高騰の局面で、誰が最後のジョーカーを引かされるか、ギャンブルであった

最近は巧妙でジョーカーを分散して隠蔽して売りさばく
買った方もどれだけジョーカーが入っているのか分からない

買った方が、これはギャンブルなのだという意識がなくなっていた
でも、コレハ、汗ではなく、度胸を評価してもらう、リスクと引き替えにしたギャンブルだった

ギャンブルで損をした人たちをなぜまじめに働いている国民が助けるのか
訳が分からない、迷惑者の退場を求めるという声が大きいのも分かる

しかしながら彼らはギャンブルの会場を閉じればいいだけなのだ
おかしな仕掛けの金融商品がたくさん残る

もうけは自分のもの
リスクは「大きすぎたから」国が引き受ける

国際的な金融マネーの動きに対しては
調整したり監督したりする機関がないので
どうにもならないという
マーケットの仕組みをどん欲さが利用した

リバタリアンはマーケットをよりどころとする
やはり市場主義しかない
役所を増やすのはまっぴらだ、ろくなことがない
そして歴史の過程ではこのようなどん欲が出現することもある
しかしそれもやがて是正されていく
事の本質は買う側がだまされていたということだけなのだから
リスクで勝負したかったら買えばいいし
リスク勝負は嫌ならば買わなければいいのだ
得る側はリスクを承知していて
買う側は承知していなかった
承知して勝っていたのならギャンブラーで
さっさと次のギャンブラーにリスクを回すべきだった

マーケット中止の鐘が鳴り、
いまリスクを抱えていた奴の負けと宣告される
その人たちが負けただけなのに
どうしてみんなが巻き込まれて
失業者が増えて自殺者が増えて破産者が増えるのか

やっぱり経済学は大事なんだな
でも経済学はこのことが分かっていたのだろうか
分かっていたとすれば悪人である
分かっていなかったとすれば愚か者である

そんな話あんな話が書いてあるけれど
そんなに分かっているのにどうしてこんなことになってしまったのか
読む側には納得がいかない

それにしても薄くて内容のない紙面
ぱかばかしい下品な広告
ネットで情報は得られるのでもう新聞をやめようかと思うが
習慣で購読を続けている

最近はテレビ欄も用がない


不安定な日本語

負けるのがうまい相撲取り
とかいてしばらく考えると
不安定な日本語だと思う

負けるのが/うまい相撲取り の区切りで、
うまい相撲取りは負けるのがうまい、わざとらしくなく負ける、という意味だけれど
負けるのがうまい/相撲取り と区切りを入れることもできて
これだと、一部の相撲取りは、負けるのがうまいとなる。

このような不安定さで
味や深みが出ることもあるとは思うが
この場合は曖昧で不安定なだけでよくないと思う

ドラフト2

1.現状  下部構造

情報ハイウェイ→
情報化社会
ネット社会
核家族化
塾 
遊び場がない
年長者との遊びがない
ゲームで時間がなくなる
睡眠不足
朝食抜き それらの生活習慣間の変化

地域の崩壊
友人づきあいもネットや携帯での表面的なものだけ。
対人スキルの発達不全

少子化で王子様
ネット世界ではさらに主観的な王子様
好きな人だけとつきあえばいい

嫌いなものは回避するという原則が許されている子ども時代

2.精神的側面  上部構造
社会に押し出される圧力の低下、就職と結婚
いつまでもモラトリアムでかまわない
二人ともパートをしながら同棲している
しかし家庭を持つ都合があり就職して、自己愛性性格は不適応になる。
子供でいるうちはいい適応。しかし家庭を持って仕事をするとなると不適応。
接続がうくまいかない。

職場は自己実現の場所ではなくて、労働力の切り売りだった。
望まない人間関係に気を遣う場所だった。
なぜ自分がここで生活費を稼ぐのかまったく意味が分からない。

モラトリアム。自己愛性、→ディスチミア親和型うつ
社会に受け入れられない自己愛から社会に受け入れられるアイデンティティに変容させる仕事

自己愛性の要素の増加と、それを背景としたうつの特徴。

出来事に反応性がよい。しかし適応的なものではないし、多罰的であったりする。

ディスチミアに見えているのは、会社でだけ。
趣味の世界ではディスチミアを抜け出して生き生きとしている。
趣味を職業にするチャンスはない
最近の趣味は消費者的趣味、お客さん的趣味でしかない

学校と会社の段差の大きさには問題がある。
大学という環境と会社という環境が違いすぎる。
少子化で大学は変わり、法律改正で会社は変わった。
段差が大きくなった。

3.両者をつなぐ整合的な線
不明 実証性はない 物語として語ることはできると思う

*****
共感性があるならば対他配慮ができるはずで、
メランコリータイプのうつはそうだった。
陰性気分の持続+強迫性+精力性が基本で、これに対他配慮(協調性)が加わる。
現代型のうつ病では
陰性気分の持続+強迫性+精力性が基本で同じだが、対他配慮(協調性)は欠如している。
さらに精力性も強迫性も欠如している場合には、
陰性気分の持続だけが特徴となり、
これがそのままディスチミア親和型うつ病の特徴となる。

これは病前性格がナルシスティックまたはシゾイドに近く、対他配慮(協調性)を発達させていないからだと考えている。

*****
対他配慮・協調性・共感性が欠如しているのはなぜだろう。
そこの議論については、子育ての方面の人の意見が強い。子育てをテレビ・ビデオ・ゲームに依存している人があり、まず母親が赤ん坊の反応に情緒反応で返してあげることをしないから、そして、それをしないでも済んでしまうから、必要な時期(臨界期)に学習しないで通り過ぎてしまい、以後、学習の機会は永遠に失われるとする。説得力がありそうでなさそうで微妙なところである。実証研究は、もちろん、ない。たぶん当分、できない。
しかし、メディア漬けが問題視されていることは確かである。

*****
Reality Testingで
ナルシスティックとシゾフレニーとをくくる。
誇大性、賞賛されたいという欲求、共感の欠如と並べて、比較。
 http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2008-10-15-18


ネット社会を感じる旅の宿

普段ネット社会について意識しない程度にまで当たり前のものになっているが、
改めてその欠乏を感じるのは旅先の宿で過ごす夜である。
パソコンは持って行かないし、携帯をいじるのは好きではないので、
ネットではなくテレビを見る。
すると自分のほしい順番に情報が出てこないので新鮮に感じる。

テレビを見るということはこの程度に受動的なことなんだと思う。
操縦されることなんだと思う。
情報には川上と川下の差がはっきりあって、
操作する側・される側、
教育する側・される側、
マスコミ権力を行使する側・される側に、明確に別れる。

しかし最近はネット社会のおかげで、一方的な操縦する・されるの関係から脱することができるのかと期待している。

図書館の中で自分で好きに本を選んで読む人と
誰かの演じる紙芝居をずっと見ている人の違いのようなものだろう。

楽だけれどされるがままになる。

less-gym-more-fun

米国連邦のガイドラインによれば、継続可能な運動を選ぶべきであるという

新しい米国連邦の運動ガイドラインによれば、小児・青少年は毎日1時間以上、大人は週2回、1回1時間半以上の運動を行うべきであるという。

このガイドラインは米国人に対し、体重減少、慢性疾患予防、長生きのために身体を動かすことを推奨している。しかし、これまでの取り組みとは異なり、この勧告ではジム運動の重要性が低下し、人々がもっと楽しめる運動を支持する内容となっている。

「生活に採り入れやすい運動を選ぶべき」とこのガイドラインを発表した米国保健福祉省長官であるMichael O. Leavittは述べる。「身体を動かしさえすれば何でもよい」

本ガイドラインを作成した諮問委員会は、ほぼすべての米国人に対して毎日運動することを推奨し、小児・青少年は毎日1時間以上運動し、週に少なくとも3日はより強度の高い運動を行うべきであるとした。

「木登りをしたり、公園に行ったり、飛んだり跳ねたりするゲーム(hopping and skipping games)をすればよい」と代理長官であるSteven Galson, MDは述べた。

CDCによれば、米国の成人の3分の1以上は、運動量が推奨された量に満たず、また4分の1は定期的な余暇時間の運動をまったく行っていないという。このため糖尿病、心疾患等の慢性疾患および早死のリスクが高くなる。

本ガイドラインでは、健康な成人に対し、1週間につき2.5時間の中強度の運動または1時間15分の激しい運動を行うことを推奨している。本ガイドラインは、成人に対し、活動と強度を「うまく組み合わせる」ことを推奨しているが、最低でも1日10分の運動を推奨している。成人はすべての主要筋群の筋力強化運動を週2日以上実施すべきである。

中強度の有酸素運動の例としては、社交ダンス、早足のウォーキング、10マイル(約16km)/時未満の速度での自転車こぎ、水中エアロビクス、ガーデニングがあげられる。

激しい運動としては、ジョギング、ランニング、なわとび、上り坂または重いリュックを背負ってのハイキング、10マイル(約16km)/時間以上の速度での自転車こぎがあげられる。

本ガイドラインでは以下の事項も推奨されている:

健康な妊婦:妊娠中および産後期の2.5時間以上の中強度の運動
身体障害のある成人:週に2.5時間の運動(可能な者)
65歳以上の成人:能力に応じて週に2.5時間。転倒リスクが高い高齢者にはバランスを保つのに役立つ運動が推奨される。
Leavitt長官は、多くの米国人は「まったく同じこと以前に聞いたことがあると思うかもしれない」と述べた。しかし、本ガイドラインではジムおよび運動クラスの重要性が低下し、多くの米国人にとって継続が容易な運動を支持する内容となっている。
「好きな運動を選んで」とGalson代理長官は述べる。

コロラド大学人間栄養センター(Center for Human Nutrition)長であるJames O. Hill, PhDは、本ガイドラインを運動に関する初めての包括的かつ国家的勧告であると称賛した。

「重要なのは、『多いほどよい』ということである。それで申し分ないと思う。われわれは単に、人々がこのことをどのように達成し、どのように運動を増やすかを理解する手助けをしているにすぎないと考えている」とHill博士は述べる。Hill博士は米国栄養学会(American Society for Nutrition)会長も務める。

exercise-guidelines-less-gym-more-fun
 
*****
Gymはたしかにマゾヒスティックで修行的だと思う
インストラクターの人当たりの良さが印象的だ


いつもの美容院と床屋さん

いまさら
あたりまえのことだけれど
美容院とか床屋さんは「いつもの」ってところが肝心なんだ、多分。

美容としてのできばえは、
本人が思うほど差はないと思う。
他人は大して気にしていないものだ。

本人は何が気になるかと言うと
審美的な基準があるわけではなくて
「いつもと同じ」かどうかが
結局問題なのだ。
それだけなんだ。

だから
いつもと同じ店の同じ人にまかせて、
いつもと同じように仕上げてもらう、
これが一番安心できるはずだ。

*****
いつも違う職人さんにやってもらっていると
伝え方が難しい。
髪の毛の切り方の指示の仕方なんか分かるはずがない。

近頃の床屋さん

床屋さんに行きました
最安店は多分900円。
家の人にカットしてもらってもいいけれど
心配なので
900円に行ってみる。

安いからってわけじゃないんだろうけど
ほんとに愛想が悪いのね、
びっくり。
そんなにいやで仕事をしているのかな。
10分か15分で900円だから
時給にすれば5000円くらいにはなるはずだ。
そんなに悪くないけどな。

*****
たくさんの人でやっているから、
個人の愛想が悪くても商売に響かないということなのだろうか。
自分で床屋さんを開けば
愛想がよくなるだろうか。
でももうお年の人が多いようで、
これから床屋さんを開くのも大変そうだ。

教訓
900円なんだから
何も期待しないこと

*****
自分で満足の行くようにカットすればいいんだ。
できるかな?

はさみをなるべく使わず、
髭剃りで少しずつ短くすればいいらしい。

難しいな。

床屋さんの友達を作ろうか。

ある人が靴を盗んだいいわけ

泥棒が靴を盗んだとする。
盗まれた人はとりあえず靴が必要なので新しい靴を用意する。
泥棒が捕まって責められる。
泥棒は、いう。この靴はあの人のものではない、なぜなら、持ち主はいま新しい靴を履いている。自分のものなら新しい靴は買わず、あくまで探しただろう。
泥棒は頭まで倒錯している。
しかし裁判所の頭まで倒錯することがある。

綾鼓(あやのつづみ)

筑前の国木の丸御殿の庭掃きの老人が、女御の御姿を見て恋慕の情に悩んでいました。この老人に、廷臣が女御の言葉を伝えます。それは、池辺の桂木に掛けた鼓を打って、その音が御殿まで聞こえたら今一度会ってやろうと云うのです。
老人はその鼓を見つめ、打って音が出るならば、そのときこそ恋心の乱れを静めることができるのだと、唯一筋に心をこめて鼓を打ってみますが一向に鳴りません。元より鼓は綾を張ったものなので鳴り響かないのは当然でした。なぶられたと知った老人は、いたく嘆き悲しんだ末、池に身を投げて恨み死にます。
まもなく、女御の様子がおかしくなると、老人の怨霊が髪を振り乱し、すさまじい形相で現れ、今度は逆に女御に綾の鼓を打ちたまえと責めさいなみます。そのために女御は物狂わしくなられ、そして、亡霊は無限の恨みを残したまま、再び池の中に消え失せたのでした。(「宝生の能」平成10年8.9月号より)

*****
綾鼓(あやのつづみ)の話はつらい。しかしこういうお話があってもいい。

綾(あや)は、ななめに交差する織物のあり方の総称。また、これにより単染色の紋織物をさす、ということらしい。
鼓は本来、皮が張られているものだが、その代わりに布きれが張られていたということだろう。

*****
老人の察しの悪さ、常識の欠如が根本なのだけれど、
そして女御の側も困った対応だけれど、
老人の秘めた恋に納める工夫が大人の知恵だと思う。
美しい人はそれくらいの知恵を持つ必要がある。
この場合はあからさまだけれど、なぶられたという感じを与えないで切り抜けなければならないのだろう。
人の世は迷路。


家庭内暴力・無視・虐待を誘発するもの

家庭内暴力・無視・虐待を誘発するもの

家庭内暴力(DV:ドメスティック・バイオレンス)や無視(Neglect)、虐待(Abuse)などは、その部分だけを見れば、行為した本人の問題なのであるが、そうした行為に至る状況を見れば、ケースによっては、行為を誘発したと考えられる要因があるものもあり、注意を要する。

暴力・無視・虐待はいけないというのは、子どもの憲法であり、いつでも有効であり守る必要があるが、背景を理解する必要もあり、相手を暴力・無視・虐待に駆り立ててしまう関係のあり方自体も問題だという次元でみんなが考えないといけない。暴力・無視・虐待を擁護することは決してないが、それらを誘発している要因についても敏感でなければならない。一部を切り取って、自然発生的に行為だけが存在していると思うのはどうかと思う。
その人として、そうせざるを得なかった事情というものがあり、そのことに配慮していく必要がある。
罪はあくまでも罪であるが、その背景にあるものを含めて理解したいものだ。

DVの二次被害ということがいわれていて、
「そもそもあなたはどうなの」
「あなたにも悪いところがある」
「夫婦間のことだから夫婦としての解決があるはず」などという言葉で
被害者当人を更に傷つけてしまう場合をいう。
100%悪くない人もいないもので、そのような言い方をされると、
被害者も、誰もがある程度は悪いことになる。

こうした言葉があることでさらに解決を難しくしている面もある。
教え諭す人がいても、二次被害を受けたと言えば反省しなくていいことになる。

たとえば、自閉症の子どもを抱えて苦労しているお母さんを理解すれば、
一時的な問題行動があったとしても、
状況そのものが相当厳しいのだと理解できる。
お母さんを責めても現実のきつさは変わらないのだから、
現実を変えるにはどうすればいいのかを考える。

*****
親の自助グループ
各保健所や保健センターに問い合わせ

子どもの虐待防止センター
日本トラウマ・サバ゜イバーズ・ユニオン

など


醒め際の現実遂行の夢

朝、非常に眠くて、でも起きなければならなくて、
やっとの事で起きて、いつものことをいつもの手順でまったく何も考えず、
ただ眠いと考えながら、一通り終わったあとで目が覚めて、
今のは夢だったのかと思い、再びさっきの夢と同じように、
いつものことをいつもの通りにやった。

これから考えても、意志と実行との間には時間差が作為的に作られていて、
そこで能動感や現実感が発生するのだと思う。

夢の中の行為は現実からのフィードバックがない。だから現実感に乏しい。

夢が覚めて再びまったく同じにできるということは、すでに実行プログラムがそこにあるということで、特に意志を必要としないということだ。それでも意志の方が先に判定部分に到着し、現実からの手応えがあるから、能動感が発生している。

能動感も現実感もなくても遂行はできるのだ。
だから進化論的にそのあとに能動感や現実感が成立したのではないかと思う。

ネット社会と日本語

ネット社会のすさんだ様子を見ていると
日本も末期だと思い
さらに少子高齢化もあるので
文明はこのようにして終わるのかと思っていたら
アメリカでもティーン・エイジャ(12~17歳)について調査したところ
約4分の3が過去12カ月間に少なくとも1回はオンラインでいじめられた経験があるらしい。
親が良かれと思って子供のネット使用を制限したりすると,
親子関係や子供の社会生活に悪影響が及ぶ可能性があると書かれていて、
なるほど、簡単ではない。

一方韓国では芸能人についてコメントが盛んらしく、
自殺者が連続して、そろそろどうにかしようという話になっている。

アメリカと韓国の様子を見ていると日本だけが最悪と言うことでもなく、
ネット社会に置かれれば、人間はそのようになるものらしく、
新しい道具をどのように使うか、これから学習していく段階なのだろう。

そう考えてみれば、日本人が日本語をもっぱらしゃべると言うことは有利なことでもある。
英語で普段生活してネット社会も英語ネット社会にいるとなると、
ひっょとするともっときついかもしれない。
アメリカも文化によってかなり差があるけれど
たいていは日本、韓国、中国の区別はつかない。
有色人種の一部なのでそういった扱いになる。

さっさとアメリカに行くくらいの人は自我の強さがかなりあるのだけれど、
日本でぬくぬくと暮らしているような人は
英語でのものの言い方に
結構つらい思いをするかもしれない。

韓国や中国とも言葉が違っていて、むしろ良かったかもしれない。
そんな内向きなことも考える。

だんだん開かれていくのがいいけれど、
お互いにマナーを学ぶ時間がある方がいい。
ある種のモラトリアムである。
ネット社会の本免許はまだ先のことだ。


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