グリーンスパン謝罪のなぜと未来
よく分からないと
リバタリアンは相変わらず言い張り、
自分もずいぶん損をしているのに
そう言っていられるのは、
現実には損がなくて、また株があがるまで待てばいいという結構なご身分だからだ。
彼にとっては円高は資産価値が上がるのでいいことなのだ
もう一人はリバタリアンではなく
それなのに
現実に株も外貨も損切りしていかなければならない悲しい身の上なので
とても矛盾していると思う
この状況ではリバタリアンが損をして決着を付けるのが一番いいのだが
そのような構造にはなっていない
リバタリアンが反省するにはもっと大きな地震が必要なようだ
たとえばこんな地震
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中国が膨大なアメリカ債権を行使して
軍事兵器や軍関係の技術者、さらには産業技術、基礎研究に至るまで大幅に買い取る、あるいはスパイして模倣する
時期を見て債権を放出して売り浴びせ、アメリカ合衆国を破産に追い込むと宣言、米英の自由主義に対する最終戦争の布告
アメリカ合衆国政府は防戦のため国民に節約と生産を説くが国民は一向に聞き入れず遊びほうける
アメリカはしばらく抵抗した後、アメリカ合衆国破産を宣言
アメリカ合衆国は解散して各州が独立国となり北アメリカ共同体となる NAU
中国は勝利宣言して東アジア共同体を結成する EAU
世界決算通貨として元が君臨する。
続いて南アメリカ共同体 SAU
アフリカ共同体 AFU
ロシアは中央アジア共同体 CAUを結成
各ブロック間で会議を定期的に開き
持ち回りで世界銀行の議長を務めることとなり
世界経済は統一的な権力の下に置かれることになる
この頃から中国の資産家が共産党政権内部で新フリードマン主義を掲げて活動
最強国の中国の内部でモラルが崩壊し
新フリードマン主義のインセンティブに群がる
一時的に中国共産党の世界覇権の時期が続く
しかしやはりバブルがはじけて新フリードマン主義者が一掃される
中国の覇権は崩れ上海地域は独立する。
各経済ブロックでインド、ブラジル、上海などが覇権を握り、緩やかな多極主義に移行する。
錬金術の伝統
錬金術がある
卑金属を組み合わせて反応させると貴金属になるのではないかと
様々に探求された
結果としては成功しなかったけれど
それで科学はずいぶん発展した
金はできなかったけれど
それでよかった
今回米国の金融工学の行き詰まりが錬金術の破綻ともいわれる
無から有を作り出す幻想であった
最終的には無から有は生じなかった
*****
このようにして破綻が明らかになってみると
吹き出すように新自由主義の批判になっている
このように一気に振り子が振れてしまうのも
おかしなものだと思う
精神医学の世界でも
成果主義と市場主義がうつ病を引き起こしていると名指しされたりして
フリードマン一派もさんざんである
星野仙一さんは「ストップ!いじめ」では
「大人に言いたい。子どもがいじめられていて、わからないか?」と
いじめをストップしようと語っていた。
その星野監督が持ち上げられた後で批判され
日本はいじめの国だとかの言い方も出ていて、
この激しい振幅はやはりすこし大人ではないような気もする。
低金利政策が低所得層の所得を奪った
円キャリートレードを招き
金融危機でそれを解消しようとして円が動いて
今回の円高の原因になっているとのことで
経営者さんたちも大変だ
銀行の利息を減らしてその分
銀行が儲けた形になっているが
主に利息を銀行に献金させられたのは
低所得・引退世代であると怒っている人もいた。
お金持ちはさっさと外貨にしたり株にしたりしていたとのこと
しかし今回は株も下がり外貨でも損が出て
みんなが大変だ
役割理論 新経営家族主義
今井保次氏は次のような見解である。
職場でのうつ病発症を説明する「役割理論」
心の病にも多くの種類がある。例えばアメリカ企業で心の病といえば、酒を含む薬物依存が圧倒的に多い。ところが日本企業の場合は、うつ病が一番多くなる。私どもの調査では、職場の心の病で一番多いのは「うつ病」であるとの回答が過去3回の調査で常に90%を超えている。日本企業に求められるべきは、このうつ病対策である。
うつ病の理論としては、脳内にあるセロトニン、ノルアドレナリンなどの神経伝達物質の機能不全によるものという説がもっとも有力だが、これは医師がうつ病に抗うつ剤を投与することの根拠にはなるものの、職場でうつ病を予防しようとする時には役に立たない。
あまり知られてはいないが、ドイツ精神医学者であるアルフレート・クラウスの「役割理論」は、職場の現状からうつ病の発症を説明できる唯一の理論である。
アイデンティティー(自己同一性)を、つまり自分自身であることを、自分に求めるのではなく社会的役割に求めることが危険な状況をつくるという説である。他者から期待される役割に自分を同一化しすぎるために、役割の喪失、役割矛盾に対応できなくなる。役割に同一化するということは、義務感・責任感が強く、行動に裏表がなく、規範にしがみつくことになる。また役割としての人間関係にはきわめて同調的となり、他者との安定した人間関係に依存することになる。そして同じ対象に愛と憎しみの両面を許容することができなくなる。以上、クラウスの理論はうつ病の特徴を見事に説明している。
私たちは他者の提供した役割(他者との関係)にのめり込み、役割を果たすことで他者からの承認を得ようと必死になっている。グローバル化と技術革新によって、職場環境の変化はめまぐるしいものになっている。この時、仕事の失敗、仕事の変更ないし消失、人間関係の破綻は、自己を失い危機的な状況をつくることになる。
過酷な現実を生む市場主義、そして成果主義への反省
市場主義がどんなに過酷な現実を生むかということは、最近の穀物価格の高騰で貧しい国の人々が食物を得ることができず、暴動まで起こしている事実から明らかである。この市場主義の理念が職場に導入されたのが成果主義である。
市場主義に正当性の主張があるように、成果主義にも正当性はある。例えば成果に応じて評価することはアリストテレスの倫理学以来、正義にかなった行為といえる。しかし成果が集団や管理職ではなく従業員一人ひとりに求められているため、人々の協力やコミュニケーションを阻害するという副作用をもたらした。そして当然のこととして、成果が出なければ責任をとらされる。もちろん担当者としての責任はあるが、しばしば過度に責任を追及される危険がある。
責任追及への過度な恐怖、オストラシズム(陶片追放=古代ギリシャの秘密投票による追放制度)ともいえそうな、仲間外れになることへの過度な不安、これらを解消する成果主義もあり得たと思われるが、事態は変化しなかった。先に記したように、役割を果たすことで他者からの承認を得ようと必死になることは、うつ病への親和性を高める。職場でうつ病が問題になる理由はこの点にあると思われる。
今後の方向は、各人が協力し合う「新経営家族主義」
今後の方向としては、成果主義を規定した就業規則上の文言を変えることではなく、オストラシズムともいえる企業文化を変えることだろう。その目指す方向に名称を与えるとすれば、新経営家族主義とでもなろうか。そこには共通の目的があり、役割分担を明確にし、他のメンバーが何をしているかを配慮しながら各人が協力してその目的実現に貢献し、結果としての成果を分かち合う集団のことである。例えば、QC(品質管理)サークルや創意工夫の提案のために特定の者が無給で残業をしたり、仕事のミスの謝罪に上司同伴でなく担当者個人が行かされたりする職場ではない。
日本独特のうつ病観
Q.社会の指導原理や儒教精神が崩壊したことが要因急に増えている原因は何でしょうか。
A. すでにお話した診断基準が変わったことが一つ。もう一つは社会医学的な仮説になりますけれども、バブル経済の崩壊、リストラ、成果主義、そういった一連の経済情勢の変化、これが現実的には非常に影響が大きい。それから家族制度の崩壊。それぞれ孤独になっていますよね。
もっと大きな流れで言えば、70年代に言われた、ポストモダニズムの変化ということが相当関係あるんじゃないかと思います。世の中の全体が「大きな物語」を失った世界になったと言われますよね。その中で日本という国は、特に衰えがひどいと言わざるを得ない。高度経済成長期にあだ花のように咲いた希望ある世界が、バブル経済の崩壊でなくなり、その代わりに与えられる価値観がないんです。
それから、刻苦勉励できちんと働くのが正しい生き方であるという、非常に明解な儒教哲学が江戸時代から400年続いてきましたが、それが90年代に崩壊した。几帳面で真面目だという日本独特のうつ病観ができたのは儒教の影響が大きく、私は儒教がいいとは思わないのですが、とにかく儒教的なものが徹底的に崩壊しましたよね。それはもう見事なほどに崩れ去り、まったく秩序のない社会になっている。
うつ病を患っている方は、おそらく社会全体の指導原理を求めているんです。どういう生き方をしたらいいか、ガイドが欲しいんですよ。だけど、そのガイドしてくれるものがない。社会全体が指導指針を失っていますから。
もう少し具体的なレベルで言えば、今の経済成果主義だったり、まったく文化を異にするアメリカの価値観を単純に持ってきてしまう。これも日本の劣化だと思いますね。今の政治状況を見ても、政治家は非常にプアになってきた。指導原理がなく、頼りない。
私は社会思想家ではありませんから、大きな指導原理が世の中にあるべきだということを言っているのではないんです。けれども、どうしてうつ病が増えたのか語れと言われれば、こういう思いで語らざるを得ないという気がするんです。
青春の言葉
自分の青春はもちろんテレビほど鮮やかではなかったが
記憶の中で純化されている
しかし
いまも喪失の感覚が痛い
青春の言葉が失われたことが取り返しのつかないことのように感じられる
愚かなものだ
あの世に行ったときは
老年でさえ
懐かしいのだろう
失ったことを
思い出すときに
不可避にまつわる
レトリック
夢が思い出せない
映画の中の
とてもいい場面
思い出せない
映画の場面という概念だけが残っている
それが不思議だ
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夢の中で思いついたことが再構成できない
ダーウィン的セレクションが三層にわたって起こると
概念記憶されているのだが
思い出せない
人間の行為に関してのダーウィン的セレクション
はまずDNAに関して起こる
次に脳の特性に関してセレクションが起こるがそれは
一面ではDNAのセレクションに還元される
もう一つは文化が脳に教育する側面に関して起こることで
文化に対してセレクションが起こる
違う文化があればそこに淘汰圧が発生する
違うな
三層と考えたはず
DNAと脳と文化の三層について、かな
それは違うはずで、脳というものは、
DNAで作られる脳の容器に
文化という内容が入るはずで、
容器と内容の全体に対して淘汰圧がかかるはずだ
でもそれは少し違うと夢の中でも結論は出ていて
脳の機能に関して二層を考えて、
それぞれに対して淘汰圧がかかるはずと考えたような気がするが
たとえばもともと抑圧機能の高い脳と低い脳でどちらが淘汰されるかという
問題
それとどのような文化を好み、自分の内容とするかについて、
淘汰圧がかかるはずという問題
だんだん夢が薄れてゆく
ニュートン
見つけて夢中になってきたが、
私の目の前には真理の大海が、
依然として発見されることもなく横たわっていた
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ニュートンにとっては、
発見されることなく横たわる真理の大海は
人間の認識能力や特性と関係のない客観的真理であったが
それは結局は脳が認知していることであり、
しかしその認知の全体に脳自身の含まれているはずで、
ここで入れ子になっている。
脳をxとして世界全体をAとすればニュートンにとっては
認知の関数をCとすれば
C(x)=A
となるが
個体の脳としてみれば、
C(x)=ax+b(A-x)
というような具合で、
しかも、そのような脳が複数個あってネットワークを形成し、
言語とか教育によって結合されているわけで、
C(x)の総和=a(xの総和)+b(A-x)
とかになって
ややこしくなる。
ややこしくなるが
結局整合性はとれていて、
ニュートンの言うことで正しいらしいと
ローレンツが解決したことになる。
脳にダーウィン的セレクションがかかり、
ニュートン的知性が選択されて残り、
結局客観的心理に一致する脳が残るので
長い時間の後には
ニュートンで正解ということになる