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いろいろ美人

いろいろな美人がいる

おしゃべり美人
うなずき美人
電話美人
フォトジェニック
ビデオ美人
唇美人
指先美人
床上手
枕上手、こんな言葉はないか、生き方上手のようなもの
湯煙美人
ナースは白衣美人で
事務は制服美人
料理美人もいるし
ほっとする美人もいる

社会を作るということは
分業することかもしれなくて
それだととても困ったことにもなる

料理を専門化するとレストランになるが
夜を専門化するといろいろと愛情の問題が起きて
さらに最近では出産まで分業化しようとの考え方が出ている

妊娠と出産が得意な人に得意なことをしてもらおうとの考えは
合理的ではあるが疑問もある

しかしなんといっても専門家には素人はかなわないところがある

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マスコミ モザイク

ニュースを見ていたら
株安円高
庶民の苦しみ
星野氏をたたく話の後で
原監督WBC監督を受諾
妊婦死亡事件
30秒ごとに感情が豹変し
怒りに激し
悲しみ喜び期待し絶望し
まことにめまぐるしく
徹底的でとことんであり根本的に抜本的で極限的であり最大速度であり
それら各種最大感情のモザイクである

いきなり隣に並んでいる

物事を深く考える時間はなく
瞬間的に移り変わる

人間の脳はこのような不連続につきあうようにはできていないのだと思う

自然状態の人間が現代のニュースを見たら
その感情の不連続さに驚くだろう

人間は悲しいときにはしばらく深く悲しむもので、
悲しみの感情がすべてを覆う
うれしいときにはうれしさがすべてを覆う

世界がこんなにも極彩色で激しいならついては行けないと感じてしまう

*****
一つには人間が歩く範囲の情報や感情の
サイズと速度に合わせて脳ができているので
過剰な情報と感情には脳は適応できないようにできているし
思慮深い人、
感情の深い人、
思いやりのある人、
これらの人には現代の社会そのものがつらいものに
なってしまうのではないか。

マスコミもネットも大半は商売の意図を持っていることも
うんざりさせられる一因だろう。

しかし問題はテレビのない生活では友達と話が合わないし、
会社の飲み会で話が合わなくなってしまう。

親が子供にテレビやネットを禁止できないのもその点があるからだ。

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株安と円高 矛盾する組み合わせ

株安はもう劇的なくらいダイナミック
まるて劇場で過剰な演出を見せられているようなもので
もう吐き気がするくらい

異様に過剰に笑ったり
実に奇妙に泣いたり
テレビの演出もその傾向だろう

過剰さは市場にも現れて
しかし組み合わせがおかしい
泣き声を出しながら顔は笑っているようで
株安と円高

株の評価額は落ちて
困ったものだ

どうする?どうしよう!

一ヶ月前と何が変わったわけでもない
物理的な測定値を見れば同じようなものなのだが
心理ばかりが加速されている



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何が当然なのだろうか

たとえば、ある人がたくさん稼いでいるとする。
稼いでいるのだから、多少は消費してもいいと思ったとする。
それは正しいだろうか?

たぶん、正しいって言いますよね、現代社会では。

もし、その人の家族が、夫または父がたくさん稼いでいるのだから、
家族は適当に遊んでいてもいいのだといったとしたらどうだろうか。

たぶん、それはあまり正しくないだろうって言いますよね。
妻ならば夫の稼ぎをかなり援助していると考える人と、
そのような内助の功はあまり考えないという人といるかもしれない。
息子や娘だったら、父親が金持ちだからと楽をするのは
いいことではないというかもしれない。
あるいは与えられたチャンスは生かして、
法律に触れるのでなければそれでよいとする考えもあるだろう。

酒を飲んで一生を暮らしても、
社会に奉仕して一生を暮らしても、
大差ないとするニヒルな考え方もあるだろう。

家族が遊んでいたら少しみっともないとしたら、
稼いでいる人自身が遊ぶのもみっともないものではないか。
という点についてはどうだろうか?

*****
またたとえば、
給料を要求するとして、自分の働きはどの程度の給料に値すると
どのようにして判断するだろうか?

どのくらい要求してもいいものだろうか?

あるいはあなたが社長さんだとして、どのくらい支払うべきだろうか。

リバタリアンはそんなことは倫理的な判断からは出てこない、
マーケットがすべてを決める、
自由市場で価格が形成される、
それだけだと言いそうだ。

高く売れるなら高く売って何も悪いことはない、
買う方も納得しているのだからという言い方だ。
一度失敗しても、次から賢くなればいいと言う。

自分がアルバイトをするとして、時給が高い方を選ぶのは当然だと言われそうだ。
意識の高い人ならば、
その企業がどんな活動をしていて、社会的にどのような勢力に荷担しているのかなどを見極めるかもしれない。
たとえば、事務作業があるとして、それが軍事的な使用目的がうっすらと見えている場合、
あなたは積極的に働くだろうか。
自衛力として作用するのだから価値があると考えるのも考え方であるし、
軍事力に荷担するのは嫌だとする考え方もある。

時給が高い方を選んで当然だと考えれば
すでにリバタリアンの入り口である。
そこは怖い。

なぜ自制できるか。
そこに社会規範というものがあるだろうと考える。
伝統的社会であれば習慣があるし、
そうでなければ宗教がある。
二宮尊徳や儒教やカトリックやイスラムやプロテスタントである。

しかし現代日本ではそのような規範がとても緩くなっていて、
残っているのは、かなりむき出しの形の、他人に傷つけられないようにしたいという意味での対他配慮かもしれず、
そうなると、ぎりぎりまでインセンティブを追求していいという
リバタリアンの考えが当然のように広がるだろう。

そこは自制のない社会である。
欲望を追求していいけれど、自己責任である。

欲望を自然な形で抑制する社会規範というものが
果たしていいものなのか悪いものなのか
社会規範をきつくしたり緩くしたりしながら
揺れながら歴史は続いてゆくのだろう

社会全部が揺れるというのも現代的な特徴だろう

昔は社会の一部にかなり開放的な部分があって、
しかし大部分はかなり抑圧的とか、
そんなものだっただろう。

開放的な部分に参入するにはそれなりの壁もあった。
しかし参入することも方法としてはあり
その代わり破滅しても文句は言えない。
そのような部分があっただろう。

江戸時代でもそうだろうし
平安時代にもそうだろう。
戦国時代は尚更そうだろう。

しかしそのような時代には、
見たくない人には見ないでいる自由があり
知らないでいる自由があったと思う

吉原に行かないで一生を終わる人が多かっただろう
芸術の狂気に触れることもなく過ごしたものだろう

しかし現代はそうではない

否応なしにいろいろな人を巻き込む社会
しかも商品の売りつけという形で

何が当然なのか、とても怪しい

昔の遊女の絵を見たりすると
化粧をして晴れ着を着て、
それは現代の女性のままではないか
それで当然なのか、怪しい



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儒教的枠組みの解体

儒教的枠組みの解体と言われるが、
それって一体何だっけ?というくらいのもので、
簡単ではない。

長い間の積み重ねがあり、
ヨーロッパで言えばカトリックの伝統にも近いくらいのものなのだから、
簡単に模式図を提示できるものでもない。

では本当に何なのかと
入り込んでいくうちに人生の全部を使ってしまう
そういうもののはずだ。

逆に、儒教って何だと思いますか?と
聞いてみればいいのだろう。
その人の考えていることの一部が分かる。

封建的という言葉と結びついていると
言った人を知っている

家父長制とか身分制とか長幼の序、男女の秩序、そのあたりも大きな要素かもしれない。

人によっては信義とか格物致知とか。

もっとも古くもっとも因習的なものとも結合していて、
しかしもっとも革新的でもっとも世の中からはみ出している要素もある。

社長さんから放浪者まで
射程は広い。

韓国ドラマは儒教的と言われるし実際そのような要素も感じる

安岡正篤一日一言 ~心に響く366の寸言~(メルマガ)

http://www.chichi.co.jp/366_1.html
というのがある



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安岡正篤 致知

名横綱双葉山と木鶏の逸話
(安岡正篤『人物を修める』致知出版社刊より)

 老子の後学で、恐らく老子とその最も代表的な後進である荘子と前後する人と思われるのが列子であります。しかし、この人については、老子の後学で荘子の流(ながれ)であると推定される以外、全くわかっておりません。その「列子」に「木鶏」の話があります。

紀渻子(きせいし)、王の為に闘鶏を養ふ。十日にして而して問ふ、鶏已(よ)きか。曰く、未だし。方(まさ)に虚憍(きょけう)にして而して気恃(たの)む。十日にして又問ふ。曰く、未だし。なお影響に応ず。十日にして又問ふ。曰く、未だし。なお疾視(しつし)して而して気を盛んにす。十日にして又問ふ。曰く、幾(ちか)し。鶏、鳴くもありと雖(いえど)も、已に変ずることなし。之を望むに木鶏に似たり。其の徳全し。異鶏敢(あえ)て応ずるもの無く、反って走らん。

これと同じ話が「荘子・外編」に出ております。紀渻子という人が闘鶏の好きな王(学者によって説もありますが、一般には周の宣王ということになっています)のために軍鶏(しゃも)を養って調教訓練しておりました。そして十日ほど経った頃、王が“もうよいか”とききましたところが、紀渻子は“いや、まだいけません、空威張りして「俺が」というところがあります”と答えました。さらに十日経って、またききました。“未だだめです。相手の姿を見たり声を聞いたりすると昂奮するところがあります”。また十日経ってききました。“未だいけません。相手を見ると睨みつけて、圧倒しようとするところがあります”。こうしてさらに十日経って、またききました。そうすると初めて“まあ、どうにかよろしいでしょう。他の鶏の声がしても少しも平生と変わるところがありません。その姿はまるで木彫の鶏のようです。全く徳が充実しました。もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものがなく、姿をみただけで逃げてしまうでしょう“と言いました。

大変おもしろい話でありますが、私はこの話を往年の名横綱双葉山関にしたことがありました。これは双葉山関自身が『相撲求道録』という本に書いておりますが、まだ横綱になる前の大変人気が出てきた頃でした。双葉山を非常にひいきにしていた老友人に招かれて一緒に飲んだことがあるのです。なにしろ私もまだ若かった頃ですからつい一杯機嫌で、“君もまだまだだめだ”と申したましたろころ、さすがに大横綱になるだけあって私もそのとき感心したのですが、“どこがいけないのですか”と慇懃(いんぎん)に尋ねるのです。そこで私が木鶏の話をいたしましたところが、大層感じ入ったらしく、それから木鶏の修行を始めたのです。その後は皆さんもご存知のようにあのような名力士となって、とうとう六十九連勝という偉業を成し遂げたのであります。なんでもそのとき、私に木鶏の額を書いてくれということで、書いて渡したのでありますが、その額を部屋に掛けて、朝に晩に静座して木鶏の工夫をした。本人の招きで私も一度まいりました。

今度の大戦(第二次世界大戦)の始まる直前のことでありますが、私は欧米の東洋専門の学者や当局者達と話し合いをするためにヨーロッパの旅に出かけました。もちろんその頃はまだ飛行機が普及しておりませんから船旅ですが、ちょうどインド洋を航行中のときでした。ある日、ボーイが双葉山からの電報だと言って室に飛び込んできました。なにしろ当時の双葉山は七十連勝に向かって連戦連勝の最中で、その人気は大変なものでしたから、ボーイもよほど興味を持ったらしい。そして“どうも電文がよくわかりませんので、打ち返して問い合わせようかと係の者が申しておりますが、とにかく一度ご覧ください”と言う。早速手にとってみると「イマダモクケイにオヨバズ」とある。双葉山から負けたことを報せてきた電報だったのです。なるほどこれでは普通の人にわからぬのも無理はありません。この話がたちまち船中に伝わり、とうとう晩餐会の席で大勢の人にせがまれて木鶏の話をさせられたのを覚えています。

 その後双葉山の木鶏の話が自然に広がり、あちらこちらに鶏ならぬ人間の木鶏会ができました。しかし、これは結構なことです。

*****
かの安岡正篤を捧げ持って
雑誌「致知」がある

稲盛和夫、牛尾治朗、渡部昇一と並んでいる。
渡部昇一もすでに名誉教授とのことで
なるほどみんな年をとるわけだ

安岡正篤と他の執筆諸氏を並べるとやはり日本知識人階層に段差ができていたことに
気づかされる。

学生運動で大学が荒れた頃があって
その頃の傷からまだまだ回復していないのではないかと思う。
あるいはその頃からの愚民化政策が完全に
国民の気質を変えたようにも思う。

致知という雑誌の目指す方向は
もちろん伝統的な儒学であり四書五経なのであり、
その延長の朱子学でありまた陽明学であり、
そのような充分な栄養素が図書館にはあるにもかかわらず、
現代的な花は咲いていない。



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債務者を人質にとる

新銀行東京の元行員ら数人を逮捕へ 警視庁
 新銀行東京(東京・新宿)から融資金数千万円をだまし取ったとして、警視庁捜査2課は27日、同行の元行員や融資先の関係者ら数人について、詐欺容疑で取り調べを始めた。容疑が固まり次第、逮捕する方針。

 新銀行東京は同日、詐欺容疑で元行員らを警視庁に告訴した。

 調べによると、融資担当だった元行員は融資先の関係者らと共謀し、不正な融資手続きで、同行から融資金数千万円をだまし取った疑いが持たれている。

 同行によると、融資が行われたのは2006年9月で、07年7月に不良債権化した。内部調査の結果、同行は今年3月、不正融資の疑いがあるとして、警視庁に捜査を依頼した。 (16:07)

*****
東京都の税金がどれだけ使われたのか。
そして今後も、金融機関の危機に関しては寛大な処置がとられる方向であり、
なんだか末端の債務者を人質に取っているような感じなのだ。

どうすればいいのか難しいが
このように詐欺容疑と出せるならばとても明確である。

しかし詐欺とは言えないながら
灰色のケースがたくさんあるはずで、
事情はとても分かるし同情も大いにするのだが
それでも困ったものだ

世の中は難しい
生きているだけでかなりありがたいという地点までまず
退却してしっかり土を踏みしめてみたいと思う



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社会の仕組みを根本的に変えなければだめ

だからダメって言っただろう
今の社会の仕組みを根本的に変えなければダメ
などと
またまたいつものように論壇でははやしたてている

ここ何十年か
変わらない景色である。

いつでも 根本的に徹底的に抜本的に変えるのだと言い続けているように思う
時によって脱軍国主義、脱アメリカ従属主義、脱官僚主義、脱工業化社会、
何でも代入できる型枠があるのだ
ただそれに代入しているだけの気力のなさ

*****
実際にひどい損切りに耐えている人にとっては、
いま新聞やテレビで
だから今の仕組みではダメなんだなんて言う
後出しじゃんけんみたいな言い方で
小遣いを稼ぐのはやめて欲しいと思う。

ダメならダメではじめからきちんと言って欲しかったと
非専門家としては思うけれど、
たぶん、言っていたんだな。
報道されなかっただけで。

おじいちゃんは
河野洋平が新自由クラブをつくって
自民党を飛び出した昔の頃を
最近は何となく思い出しているよ。

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ゆでられるカエル

急に熱い湯に入れられると
カエルも驚くいてカマから飛び出す

水からはじめてゆっくりゆでられると
うっかりしてゆでがエルになってしまうと
昔からたとえ話で言われる

今回の円高は急激な熱湯で、
いくら何でも麻酔なしにこれはひどい
麻酔が効くまで少し時間があればいい

*****
受け入れ難いことを
受け入れるのも時間の作用であることが分かる

逆に、時間さえあれば
人間はどんなことにも慣れてしまう生き物でもある。

たとえばゼロの状態から今の税金を急に取られたら
徹底的に抵抗するだろう

しかし時間をかけてじりじりと制度を作れば
今くらいの税金でも文句を言わずに支払っている

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26年ぶりの安値7162円

大引けは前週末比486円18銭(6.36%)安の7162円90銭で、
2003年4月に付けたバブル経済崩壊後の最安値7607円を更新し、
1982年10月7日以来26年ぶりの安値に沈んだ。

7600円が一つの壁だったけれどあっさり更新。
7200円も突破。

トヨタやソニーなど主力株中心に換金売り。大手銀行株には売りが殺到。
三菱UFJやみずほFGなどが値幅制限の下限(ストップ安)で売り気配。

政府は銀行保有株の買い取りや金融機関への公的資本注入額の拡大などを柱とする
緊急市場安定化策のとりまとめに動いているが、
市場の最大の関心事である急激な円高への具体的な対策が盛り込まれていないとして、
前向きな評価はひとまず限られた。

金曜日、90円の壁はぎりぎり守られて、今日は93円くらい。

*****
「急激な円高への具体的な対策」これこそが肝心要。麻生さんと中川さんに頼りたい気分。
政権も任せるし高級レストランもバーも構わないから、
ここだけ本気でお願いします。
こんなにも急激なのは実際困る。大資本家以外は対策もできない。
(たぶん、専門家に言わせれば、急でも何でもなくて分かっていたことだと言うのだろう。
そこが憎らしい。)

翻弄されるばかり。こんな気分も久しぶり。
船に出て嵐にあって、もうなるようにしかならない、どうしようもない、
命だけあれば儲けもの、そんな気分だ。

また一日、破綻は延びた。現金がないって、こんなにも苦しいものか、と某社長の弁。

*****
26年ぶりというと、えーと、何をしていた頃かな。



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見よ これがたそがれだ

見よ これがたそがれだ

そのことを諦めたことさえ忘れている

*****
金融危機に似合うのは
中島みゆきの歌のようだ

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リバタリアンの危機

その人は自称リバタリアンで
つきあっていると特に悪い人ではないのだが
合理的と言えば合理的だ

何かを担保にして円を借りてそれを外貨で回せば利息が多く取れるし
それで株を買ってもいいので
それを数社にまたがっていろいろとやっていると
結局レバレッジをかけた取引のようになる

たいていかどうかは知らないが
その国の株が安くなれば信用できないということで
その国の通貨も安くなるようだが、
今回は見事に当てはまらず、
世界中の株が安くなり、
ほぼ全世界の通貨の価値も下がって、
円だけが高くなっている。

こういう特殊な局面だと、
株と外貨を担保にしている人は評価割れが起こる。
生命保険会社とか銀行とかと同じ。
担保を返してくださいということになり、
お金を補給するか、担保をそのまま差し出すかの選択になる。

そのリバタリアンはどっかからお金を補充してそれですむらしいが、
当てにしていた現金が滞ると、土地などの担保があっても、
お金が回らずひどいことになるらしい。

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金融資本主義に献金

金融大変動で
金融資本主義に献金したつもりになればいいのだと
腹をくくるつもりが
どうしても納得しきれない

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日本はまだいいのかな

IMFはアイスランド、ウクライナ、ハンガリーに支援決定。
日本政府がグルジアを支援するとニュースに出ている。

こうしてみると日本はまだいいということなのか。

アイスランド、ウクライナ、ハンガリー、グルジアは愚かな政府ということになるのだろうか。



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まだ壊滅的にはなっていない

外国為替市場の円相場は、1ドル=93円53-56銭と、前週末比1円63銭の円高・ドル安で始まった。その後は、日銀による市場介入を警戒した円売り・ドル買いもあり、同94円台前半で取引されている。

中川昭一財務・金融相は27日午前、臨時の記者会見を開き、このところの急速な円高について「過度の変動がみられる。経済や金融に悪影響を与える。重大な関心をもって引き続き注目していきたい」と述べた。
午前10時では94円。まだ壊滅的にはなっていない。

今回は外貨買い/円売りポジションの巻き戻しによる円高。
円キャリートレードは、投信や生保などの機関投資家による円売り/外貨建て資産購入、個人や企業による外貨預金や外為証拠金取引、ヘッジファンドなどの短期筋による円売り/外貨買いの投機的ポジションなどにとどまらず、北欧やアジアの近隣諸国の個人や企業による円建てローンの借入など、様々な形態があるが、たぶん投機的ポジションの巻き戻しが強烈で、それに引きずられる形で関係筋が円を買ってポジション解消しているらしい。もちろん損切り。

意見を拾うと、
ユーロ/円については、130円を下回ったところで、大方のポジション整理が終わったと見る。だが、ポンド、豪ドル、北欧通貨などは、円売りポジションの投げはまだ道半ばと見ており、これらの通貨の対円での下落余地はまだある。
90円割れの水準では、日本の通貨当局がドル買い/円売り介入を実施することも予想されるが、「今のところ、円高、ドル高が同時進行しているので、単独介入がどれほど功を奏するか疑問」(外為アナリスト)との指摘もある。

とはいえ、しないよりした方がいいだろう。
ポンド、豪ドルはまだ一段の展開があるというのも困る。

*****
米政府が米連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)や連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)を公的管理下に置き、リーマン・ブラザーズが破綻したのは9月初めから半ば。同氏は危機は「もう2カ月目に入り、かなりの進展がみられ始め、政府の対策により展開が早まる時期にある」と述べた。
過去50年の間に起こった危機からみると、大幅な金融ショックが起こった2カ月後に銀行間金利は最高水準に達していると、一部アナリストは指摘する。今回の危機でも、中銀の莫大な資金供給に助けられ、過去1週間で信用状況が一部緩和しているとの兆候がみられており、同様のパターンが確認できる。

この記事にあるように、ある専門家も、上の方として打つ手は打って、あとはそれが下に波及していく時間差の問題だとして、あまり心配していないと話している。ただ、どのくらい時間差が出るか、その間に資金繰りに行き詰まる人たちがどの程度いるか、それはちょっとやってみないと分からないというのだそうだ。



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金融危機と食欲

金融危機で食欲がいきなりゼロになる
食べなくてもとくに空腹を感じない
自分ながら分かりやすい体である

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