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むしろ悲しいとさえ思える

辻仁成の『サヨナライツカ』という小説を読んだことある? 
「人間は死ぬとき、
愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトとに分かれる。
私はきっと愛したことを思い出す」

*****
私は読んだことがないし、
愛することと愛されることは、
ほぼ一体であるとも思うので、
いろいろごちゃ混ぜに思い出すと思う。

愛されていれば愛するものだし
愛していれば愛されるものだと思う。
どっちから出た愛なのか
よく分からなくても、とにかく一回りしている。

愛したという言葉も
なんだかコンプライアンスとか時価主義会計とかと似ていて
なじまない
切ない思いとか
哀しさとか
そんな言葉が近いように思う

当時はうれしかったと思うが今となっては哀しい
むしろ悲しいとさえ思える

「強くなれ!」と言われたって、なかなか強くなれるものではない

辛くて、しんどいとき、
もうひと踏ん張りしたい、変わりたい、もっと強くなりたい、新しい自分、もっと違う自分になりたいと願う。
どうして自分はこんなに弱いんだろうと残念に思う。

ナチスの収容所は極限的なストレス状況の例であるが、
なぜ、彼らの一部は元気でいられたのか?
なぜ、彼らは過酷な経験に意味があると言えたのか?
人間には困難をパワーに変える能力があるのではないか?
彼らが困難を乗り越え、人間的に成長したのはなぜか?

収容所体験はフランクルが有名だが、アントノフスキーは過酷なストレスに耐える力を
コヒーレンス感(SOC)としてまとめている。

*****
さまざまなGRR:健康軸方向に慟く因子を汎抵抗資源generalized resistance resourcesの中からその時々の状況に応じて緊張の処理に適したリソースを選び出し,それを有効に活用する能力をsense of coherence(SOC,コヒーレンス感)と名づけた.SOCは健康生成論における核心をなす概念で次の三要素から構成される.
①理解可能感sense of comprehensibility:人生にはしばしば健康に関わる要求,要請が存在するが,それには秩序があり予測と説明が可能であると理解する能力(認知的要素),
②処理可能感sense of manageability:そのような要求に対応するためのリソースが手元にあり,有効な対処の手段をもって行動を起こすことが可能であるという感覚(対処的要素),
③有意義感sense of meaningfulness:その要求,要請に対処することが自らの人生にとって意義のある挑戦であり,自己を投入して関わるに値するものであるという確信(感情的要素).

このうち有意義感は継続的,動的な信頼感の程度を示し三要素の中で最も重視されている.すなわち,有意義感の高い人は,自分の運命の形成過程にも積極的に関わり,人生に不幸な経験が課せられてもその挑戦を進んで受け止め,それに意味を見出そうとし,それにうち勝つため最善を尽くす.これはFranklがいう「意昧への意志」と共通した考え方であり非常に興味深いところである.
*****
簡単に言うと、「この苦難にも意味がある」と信じられるかどうかである。

処理可能感については、原爆やアウシュビッツは限界を超えるもので、
人を無力感に閉じ込めてしまうのに充分な悲劇だったと思う。

しかしその中でもやはり、この苦難にも意味があると感じている人たちがいた。
それはフランクルの場合には信仰と密接に結びつくのだが、
神を信じなくても、あるいは仮定しなくても、
この苦難にも意味があるのかと問うことはできる。

苦難の中で神や運命について考えるのは自然な成り行きである。

「ストレスに強い人」と聞いて、 思いつくのは次のような項目だ。

・意志の強い人
・楽観的な人
・ポジティブに物事を考える人
・自信のある人
・行動力のある人
・目標のある人
・切り替えの早い人
・けりがつけられる人
・忘れられる人
・目の前のことに集中できる人
・物事の多面的な意味を考えられる人、いろいろな方向から考えられる人
・しかし実はいちばん大きな要素は、信頼できる他人の力を借りること

豊かな人生を送るために必要なのは、ストレスを避けることではない。たぶん避けられない。
真に幸せになるためには、元気になる力・ストレスに対しての復元力を備えることだ。
元気になるにはどんな他人が周りにいるかも大切な要素になる。
宗教の力の半分は、ともに信じる人の共同体の力である。

あなたは運がいいですか?と聞かれて、
自分は運がいいと答える人は、ストレスに対処する能力が高いといわれる。
こういう人は、困難なことに意味を見いだすのがうまいからだ。
例えば大切な人の死に直面しても、いつまでも嘆き悲しむのではなく、
「その人の死」が自分に与えた意味について考えることができる。

品難に直面して、その意味を考えるという点が、
フランクルもアントノフスキーも共通に強調している点である。

「大切な人の死が、命の尊さを教えてくれた」と理解する人もいれば、
「彼の死によって、他人のやさしさが身に沁みた。友人の存在の大きさに気づかせてくれた」と考える人もいる。

一方、運が悪いと答えた人は、「なんて俺は不幸なんだ。なんで俺だけこんなことになるんだ」と、
うまくいかない理由をすべて運(=神様)のせいにしている。
出合った困難に意味を見いだせず、
周りにある自分を元気にしてくれる力に気づかない。
意味を見いだせないのだから、運のせいにするしかない。
そっと傘を差し出してくれた人にも気づくことなく、いつまでも嘆き続ける。

ストレスに対処する能力の高い人とは、ストレスを感じない鉄人のことではない。
人生の雨に濡れた時、自分や他人の傘を上手に使える人なのだ。
どんなにいい傘が近くにあっても、どんなに頑丈な傘を他人が差し出しても、
それに気づかなければ意味がない。
傘の存在に気づくことが、何よりも大切なのだ。

「ストレスの雨」に濡れてしまっても、
元気になる力(傘)の存在に気づき、乗り越えられれば、ストレス対処能力は高まっていく。
まずは自分の傘を使って耐え、それでもダメだった時、他人の傘を使えばいい。
もし、それでも困難を乗り越えられなかったら、
「今回の失敗を無駄にしないように、一緒に頑張ろう!」と互いに励まし合い、
意味を見いだすことができる。まさしく、ストレスを成長の糧にできるのだ。

もし、「もうこれ以上頑張れない」と思ったなら、頑張るのをやめればいい。
いったん、自分だけで頑張るのをやめて、周りの傘に頼ってみる。
傘は自分の中だけにあるわけではない。
ちょっと視点を変えて見回したら、近くに落ちていることだってある。

他人が差し出してくれた傘を、「かっこ悪い」などと思わないで、ありがたく使えばいい。
思わぬところに、頑丈な傘があるものなのだ。

ストレスに対処する力のひとつは、sense of coherence (SOC)という。
直訳すると「首尾一貫感覚」だ。

心理学分野で広く知られる自尊感情(self-esteem)や統御感(sense of control)などでは、
困った時に他人に頼ることは「依存的な自己、弱い自己」としてマイナスに評価される。

だが、SOCでは「頼れる他者がいる」という環境はプラスであり、
そういう感覚を持てる環境に身を置いていること自体が、
個人のストレスに対処する力を高めると考えられている。

SOCをベースに研究を進めていくと、
他人の力を借りて一つひとつ困難を乗越えたり、ちょっとずつ踏ん張ったりすることを経験するうちに、
人間的な強さが養われていくことが分かる。

 「強くなれ!」と言われたって、なかなか強くなれるものではない。
強くなれないから困るのであり、悩むわけだ。
でも、他人の力を借りながらでも、時間とエネルギーを費やしていくと、
気がついたときには強くなっている。
他人を利用することと頼ることは、全く違うのだ。

アントノフスキー博士がSOCを提唱した1980年代、
彼は日本人のストレスに対処する力は高いだろうと語っている。
日本人には母と子の間に強い絆があり、地域の結びつきが欧米各国に比べて強い。
そして、日本人が持つ「我慢」を美とする文化、なんらかの欲求の充足を延期する行動パターンも、
SOCレベルを高くする要因だと説いたのである。

母子の絆、地域の結びつき、耐える文化、どれもこれも現代の日本にはなくなりつつあると思う。
一方で成果主義で締め付けられ、経営陣は時価会計で短期の成果を求められる。
そんな現代だからこそ余計に、自分を強くすることだけにとらわれるのではなく、
周囲の人々や環境ととも生きている自分を考える気持ちが必要なのだ。

自分を取り巻く環境や人間関係に対する信頼感、
言い換えれば、信頼できる環境や人間関係に包まれて自分は生きているという安心感があれば、
ストレスに対処する力は高められる。

また、自分を必要としてくれる環境があると感じることは、生きる意味を与えてくれる。
それは他人を救うことであるが、結果的には自分も救われることになるのだ。

お酒を飲む、会社をサボる、愚痴を言う…といった行動もある。
これらは一般的には「逃避行動」として、本質的な問題解決には至らないと非難されることもあるが、
実は凹んだ気持ちを戻すための大きな傘になるのだ。
常に回避しているのは問題だが、適切なタイミングで回避するのはむしろ必要なことだ。


グーグルとマーケット

グーグル検索のゆがみを考えていると

今問題になっているマーケットのゆがみと似たものを感じる。

マーケットは、売り手と買い手に別れて、
売り手は安い順に並び、
書いては高い順に並び、
交渉が成立した順にみんなが幸せになる。

しかし実際はもっと難しいものだ。
からくりがある。

グーグルも、単純素朴にいえば、
キーワードについて、たくさん見られているページを、
上位に表示する。
だから一番役立つページが一番上に出る。

しかし現実には一番目立ちたいページが上に来る。
上位表示するためのテクニックがあり、
簡単に言えば、お金で買える。

ゆがんだ世界を一応世界と見なして、
生きている。

進化論の帰結

進化論ではどんどん優秀なものが選択されていくように
錯覚するけれどそんなことは決してない。

このくだらない世界にぴったりの
くだらないDNAが選択されるだけである。

その結果私もいるしあなたもいるわけだ。
アインシュタインが滅多に出ないのも当然である。

彼は進化の最先端ではなくて
進化の誤差、ばらつきだから。


2008年9月1日の新聞

そのあたりにあったので読んでみた
防災の日のおおきな広告
ギョーザ事件で中国捜査急転と見出し
落日・小室哲哉がDJでしのいでいるという週刊誌の小さな見出し
オリンピック記事がたくさん
劇団四季オーディションの広告、主役は1000万円超える、アンサンブルで430万円。
サッカー中田のアスリート・ビジネスについての週刊誌記事の見出し。
相変わらず補聴器とかストレッチの用具、白髪染めの通販。
トーマス・マン日記の案内。1951-52、16800円。
ペイリンについて保守派は歓迎。
など。意味のない活字。これで月に4千円弱。高い。

田母神事件

いつでもそうだったしこれからもそうだろう

極端な意見を極端に右側にぽんと一つ置けば
真ん中がずれる

ただそれだけのことだ
民衆は理性などは持ち合わせていない

ただ真ん中あたりで動いているだけなのだから
理性に訴えるよりも
真ん中をずらせばいいだけだ

こうした動きにたいして有効な対策はあるのだろうかと
憂うつになる

*****
国会に呼んで目立たせることが、
右の宣伝になっているのだから、
困ったものだ。

内容ははっきりせず、侵略ではないとか、そんな短い言葉だけが人の記憶に残る。

正しい人の正しい言葉は
当たり前すぎてニュースにならないし国会にも呼ばれない。

このような構造で国と国民は理性と品格を失ってゆく。

世界で子供たちは

コンゴで内線再開
ミャンマーで貧困故にさまよう

大人は知らないが
子どもに罪はないだろう
日本に連れてきて育てたらどうか
2兆円もあることだし

G20閉幕

利害対立表面化
意見調整難航
新興国から不満

だめそう


労働を経過せずにばらまくのは愚民に対する愚政である

迷走を重ね、当事者能力のなさをすっかりさらけ出している定額給付金。
目も当てられない。悪政なら悪政で粛々とできないものか。
愚かなことのやり方が輪をかけて愚かである。

*****
自民、公明両党は7日、追加経済対策に盛り込んだ総額2兆円規模の定額給付金について、1人あたり1万2000円を支給する方向で最終調整に入った。65歳以上の高齢者と18歳以下の子どものいる世帯には1人あたり8000円を上乗せする方針だ。

自民党の園田博之政調会長代理と公明党の山口那津男政調会長が同日、国会内での
会談で合意した。与党は65歳以上と15歳以下に加算する案を検討していたが、
「高校生がいる世帯にも配慮すべきだ」とする公明党の主張を受け入れる方向となった。
加算金を8000円に抑制することで、総額は2兆円以内となる見通しだ。
夫婦と18歳以下の子ども2人の4人家族の場合、支給額は合計6万4000円になる。

支給方法については、世帯の代表者が地方自治体に申請する方式を想定している。
所得制限に関しては今年度内の実施を優先し、法改正を伴わない方法を採ることで
一致した。自分は高額所得者だと思うことは自発的に受け取らないで欲しいとのことだ。

預金をしてしまえば意味がないわけだけれど、地域振興券や商品券ではないから、とりあえず預金して、消費税アップに備えるかもしれない。消費税を選挙の争点にして自民党に有利に運ぼうと思ったとのことだけれど、現状では政策として整合性がないことになっている。

お年寄りに上乗せしてもお金はある程度持っている上に使わないのだから、選挙の票を解体という気持ちが見え見えである。そんなことなら、議員か運動員が直接手渡して、頼めばいい。あるいは投票所近くで、投票用紙に書いたことが映る下敷きと引き替えに配ればいい。それを、地方公務員にやらせようというのだから、虫のいい話だ。ある党はこれをあからさまに手柄にしているし。

これで得するのはパチンコ屋くらい

12000円で何が出来る?国民年金を払ったらあっという間に消える

本当に必要な世帯は申請にいく暇もない。支給の方式が問題。

2兆円あったらもっといい使い道いっぱいあるのにこれ本当に意味わからん

な、何で税金払ってない世代の18歳以下と高齢者が+8000円なの?働いたら負けなの?

これ貰いに行くために役所行かないといけないの?有給使えってこと?

お偉いさんの考えじゃ、子供と年寄りは貯金せずに金使うと踏んでるんだよ。

第二の地域振興券になる

歴史に残る失政になるだろうな。こんな短期的なバラまきじゃ、景気対策にも社会保障にもなってない。

しかもこれで、票が集まると考えているところがさらにイタイ

二兆円あったら凄い電気自動車とか作れないか?たしかに他に有効な投資策がありそうだ。光発電、風力発電、蓄電設備、オール電化の家、電気自動車、電気スタンド、未来交通システム、未来マンションなどを作り込んで未来都市を一つ造ってみたらいい。

取りにいけない人の為に代行で行くサービス。手数料は2000円。貰えないより1万でも貰えた方が得。ここで詐欺とか横領とかいっぱい発生するだろう。

役所に貰いに行く服がない

年金・社保1ヶ月無料の方が嬉しい。いままで払ってない人は困るだろう。

そもそも2兆も返すなら最初から2兆もとるな

いちいち配らないで住民税を1回キャンセルするだけでいいのに。配るのにも膨大な税金がかかる。

老人がこれ関連の詐欺に合う。オレオレ詐欺の人たちは作戦を練っているはず。

効果ないどころか、誰から見ても ここまでひどい政策はないって言われてる政策

高齢者は人口比が高いし投票率も高いある政党のシンパだから8000円上乗せ

給付金は1万2000円 消費税10%にあがると年間3,4万の負担増

商品券で渡さないと貯金やパチンコに使うだけでまったく意味ない

現役の為に年末調整で減税してくれればいい
なんで税金を納めてない年寄り子供に金配る必要あるのか

給付金って一番くだらない消費振興策だよな
手続きに金かかるし
減税よりも優れている点なんて一つもない

公務員のボーナス減らしてその分ばら撒くなら許す

世帯の代表者が地方自治体に申請する方式……また詐欺や着服の温床になる

後期高齢者なんとかをごまかしたいのと、育児支援考えてますよ、っていうポーズだな
国民をバカにしすぎ
現世御利益が大切らしくて
でも朝三暮四ですが

素直に自民党公明党に入れてくださいって渡せば良いものを回りくどい
とはいうものの配るために公務員を動員できるんですよ

*****
労働を経過せずにばらまくのは愚民に対する愚政である。

 


睡眠時無呼吸症候群(SAS)で交通事故死亡させた事件

大型トレーラーで交差点の赤信号を無視し、自転車で横断中の男性(当時46)をはねて
死亡させたとして、危険運転致死罪に問われた名古屋市中川区高畑1丁目、会社員荒浪裕之被告(45)に
対し、名古屋地裁豊橋支部の伊東一広裁判長は5日、無罪(求刑懲役8年)を言い渡した。

伊東裁判長は「睡眠時無呼吸症候群(SAS)の影響で眠りに落ちた可能性が否定できない」
と述べ、故意に赤信号を無視したとまでは言い切れず、危険運転致死罪を証明できないとした。
荒浪被告は3月5日午前7時過ぎ、愛知県豊橋市内の国道1号で大型トレーラーを運転中、
赤信号を無視して交差点に進入し、自転車で横断していた男性をはねて死亡させたとして
起訴されていた。
判決で伊東裁判長は、赤信号を確認してから交差点までの約100メートルにわたって
加速も減速もしなかった行動を指して「信号無視する者の行動としては不自然」と指摘。
SASの影響の可能性を否定できないとした。荒浪被告は07年7月の検査でSASが
疑われ、今年2月の再検査でSASと診断されていた。
名古屋地検豊橋支部は「意外な判決だ。(控訴については)判決内容を詳細に検討し、
適切に対応したい」と話した。

地裁面白判決の一つ。

不注意じゃないなら無罪

SASと診断された運転手は、今後は免許剥奪したほうがいいのかもね

覚せい剤やって強盗して被害者に大怪我させたやつもそういえば心身喪失で強盗傷害にかんしては無罪判決でてたね、地裁で

可能性で無罪になっちゃったら被害者の方はやりきれねえなあ

信号無視する時は加速も減速もしなければ無罪

人を轢き殺しても居眠り運転と言い続ければ無罪

SASの人が運転したら、居眠りして人をひき殺すかもしれない
ということが確定するから、今後はSASで運転してた場合には、
未必の故意が適用されて、より厳しい罰が下されるかもね。

愛知では交通事故裁判が甘い

>赤信号を確認してから交差点までの約100メートルにわたって
>加速も減速もしなかった行動を指して「信号無視する者の行動としては不自然」と指摘。

この論だと3キロ人間を引きずって止まらなかったのも不自然よな、
なんらかの精神障害や意識が途切れ途切れになる病気が疑われる。

>>赤信号を確認してから交差点までの約100メートルにわたって
加速も減速もしなかった行動を指して「信号無視する者の行動としては不自然」と指摘。
信号守る気なかったって解釈するのが自然だと思うが。

今度はSASと診断されたのに乗車させた会社が悪いと訴える訳ですね
これからはSASと診断されたらクビにするしかないですね
乗車出来ない運転手雇ってる余裕は、今の運送業界には無いですから
となると運転手は必死になってSASを隠すようになるでしょう
やっとSASという病気が認知されて、治療も行われるようになってきたのに...

じゃあコイツは次に運転した時点で殺人未遂。
もし交通死亡事故をおこしたら計画殺人ってことでいいんだろうな

例えば突然の心筋梗塞や脳出血みたいに、いつ起こるか分からない病気ならいざ知らず
予め診断されていたにも関わらず車の運転を続けていたという事は確信犯とも言えるだろう
何でこれが無罪なのか

運転中に脳の血管切れて高速道路上で転けた
トラックの運転手は有罪判決になったんだが・・・

故意じゃない不可避な病気で病理症状も明かだったのに・・・

今はモータリゼーションにかかわる仕事をしているお客様が一番大事な時期なの!
ドライバーが減ったら車がうれないでしょ!?
それじゃ日本がこまるんだよ

車も乗らずに道歩いてる貧民なんて全員ひき殺されたって文句言うなよ
家から出るときから車使わない奴は貧民、非国民

わかった?
これが名古屋じゃあたりまえなんだよ

「生理前には異常な眠気で道に倒れる」なんて誇らしげに言う奴が山ほどいる。
この判決の理屈だと、それで人を轢き殺しても無罪だよね。やはり女に免許与えるのは危険だよなあ。

そもそも「危険運転致死傷罪」に定義されている「危険運転」は、「未必の故意による傷害・殺人」で裁くべきもの。
それなのに無理やり条文作ったのは「自動車事故に未必の故意はない」という、戦後の「慣習」があるからです。
ぶっちゃけて言えば、昭和20~30年代の金持ち、とりわけ「議員の息子」みたいな連中が無謀な運転で人を殺しても「未必の故意による殺人罪」にならないように、「自動車事故=過失」とする慣習があったから。

変な条文作るより、最初から無謀な運転による事故を「未必の故意による傷害・殺人」としていれば、こんな問題は起きなかったのです。

重ねて言うが「危険運転致死傷罪」は必要なく、従来の「未必の故意」の法理論で傷害・殺人罪にできる犯罪。
司法の怠慢な慣習と、インチキ法律が重なって、気骨ある裁判官がこんな馬鹿みたいな判決を出さざるを得なくなったのだ。

SASと診断されてんのにわざわざ大型トレーラー運転してるってのは
酒気帯び、麻薬等、過労運転とどういう風に違うんだか。
どう考えても危険運転致死罪じゃん?

「こんな事したら誰かが怪我したり死んだりするかもしれないけど、まぁいいや」ってのが「未必の故意」なんですよ。

この判決がおかしいのは、事故を起こした理由が「病気」によるものだと認め、
且つその病気に起因する事故ならば加害者に責任がない、と認めたこと。
つまり、SASが原因なら人をはねて殺しても仕方がないと認めたということだ。

睡眠無呼吸症はホント怖いよ
いきなり落ちてるから
だから以前追突事故起こして自覚してからキッパリ車の運転はやめてる
もちろん無呼吸症を理由に無罪を主張せず罪を自ら積極的に認めた上で判決をもらい罪はきっちり償った
彼も己の非を認めて罪は償うべき
無呼吸症だからというのは理由にならない
自分が殺人兵器を運転していると自覚しないといけない

業務上過失致死だったら確実に刑務所行きだった
危険運転致死は居眠り運転してて殺意を立証できないので今回無罪

未必の故意って、
「Aという行為をおこなったら、Bという現象が起こるのは分かっていたが、実行した」というものでしょ。
例えば
「ひき逃げして被害者を引きずったまま逃げたら、被害者が死ぬのは分かっていたが、逃げた」
これだと、被害者を故意に死なせたものとみなすと。

今回は
「SASで運転したら、事故を起こして誰かが死傷するのは分かっていたが、運転した」 ってのは論理が飛びすぎ。
「居眠り運転したら、事故を起こすのは分かっていたが、居眠りした」というのは、
積極的に居眠りした訳がないのだからそれも無理。

完全に検察のミス。法理論だと無罪でおかしくない。

しかしこりゃ遺族は本当にたまらんなあ


 


医師がICタグを所有、搬送先瞬時に選定

医師がICタグを所有、救急搬送先瞬時に選定
別にあってもいいけれどムダだと思う。
システム屋が新しいものを売りつけたいだけで、その宣伝。
厚労省も新しい税金を使いたいだけ。

問題はそんなことではないとずっといわれているのに
聞こえないふりをして
新システムの導入だという。
新しい公共事業を一つ見つけたというわけだ。
これでまた本来の医療費にかけるお金が減る。

医師増員もそうで、そんなに簡単に法律改正だけで増員できるならさっさと
増員していれば良かったと思うのだが、
実際はそうはいかないはず。
映画館の定員を増やすために臨時のいすを運び込んで定員を増やすのとはわけが違う。

司法試験のように勝手に勉強してもらって、
試験の合格者数を調整すればいいのかとも違う。

*****
ICタグ屋の商売で、これは実現しないとしても、いい宣伝になる。
お宅の社員にもつけたらいいですよと売り込むのだろう。
宣伝効果は大きいと思う。


厳しい現実

朝、通勤時、前は無理なので、せめて後ろ姿の美しい人に出会いたいと思うものだが
歩いている人たちはもちろんそれどころではないらしい。

デジタルテレビ強制移行

同じように電気自動車強制移行
ソーラーハウス強制移行が実施されるだろう。
反対するならなぜテレビの時は反対しなかったかとやり込めるのだろう。
あらかさまにおかしな行政がまかり通る。
これは社会、行政、立法、市民力の、衰退である。
つくのは国民の総合力の衰退である。

特別給付金

特別給付金を迅速に配るために
そして公平を保つために、
収入の多い人は自発的に辞退してくださいという。
現金を市中に流してなるべく貯金の回すことがないようにして
商売が活発になればいいのだから、
お金持ちに配った方が使って見もらえる計算になる。
結局、みんなに配ってもいいことになる。
しかしそれだと貧しい人たちが反対するという。余裕のある人にも配るのはおかしいと。
何がおかしいのだろう。
そもそもは余裕のある人たちから累進課税でたくさん取った税金ではないか。
余裕のため人たちが会社で儲けたお金を法人税として納めたものではないか。

もちろん弱い人の立場に立ってものを考えようというのが基本であるが、
逆だって思考実験で考えてみたっていいはずだ。

*****
しかしそのそも行政技術としてまた立法技術として、大変拙劣であるという気がする。
窓口に行列を作らせて、現金を配るのだろうか。
何という愚かな話。

所得税申告の時に控除しても変わらないはずで、
それでは時期が遅れるというが、
3月には払わなくてもいいということで、
手元にの頃お金になるはずで、
結局今使ってもいいお金になるはずなのだが。

政府の金庫から現金で配る方が効果が大きいのだろうか。
本当にばかげている。
そんなこともために迷走して時間を空費している。

こんなこともすっぱりできないのでは、だめだろう。
知恵のある人たちが離反していると見える。

おまけに3年後の消費税アップを提示されているのだから、
安心して使う気にはなれないはず。
まずしければまずしいほど。


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