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長野のそば

長野で食べるそばがおいしいのはどうしてなんだろう。

そうそう。不思議だね。
あたしは長野県上田市のそばを当直のたびに食べ歩いたわ。
どこもおいしいの。

多分、同じのがデパートなんかに売ってるんだと思うな。
それがおいしくないよね。
何だろうね。
水かな。
空気かな。

分かんないな。
上田は美人が多かったな。
優しくて。穏やかで。
それを田舎というのかもしれないんですけどね。
美人で優しくい穏やかなら、田舎がいいな。

病人さんも違う。
それはそうだ。あんなきれいなお母さんがいたら、
人生は違うよ。

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自己愛満足中毒

お客様扱いされるのが普通になると
自己愛満足中毒になる

そのままの感じでお役所に行くと加減が違う
お役所では客が少ないほど仕事が楽でいいのだから
混み合うと職員は機嫌が悪い

お役所でなくても
売り上げで給料が決まる仕組みでないところでは
忙しいと機嫌が悪くなって
忙しさがなくなるまで不機嫌を通している

自営の人は売り上げが収入だから
素直にお客さんを喜ぶ

やはりお客さんなのだから
少しはお店の人に喜ばれて
自己愛を満足させられたいと思う

この忙しいときによくも来たな
なんて思われるのは困る

その点ではお客さんと経営者は
一致する部分もある

その他の部分ではお客さんと従業員の
気持ちや利害が一致することもあるので
簡単ではないが

仕入れを安くしようと思うのは経営者で
仕入れ価格よりも目の前のお客さんに満足してもらいたいのが従業員の気持ちではないか

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ちんまりした携帯少女文字

携帯少女文字

ちんまりして
全体にほどけた感じ

みんな似ているのはどこかにお手本があるのだろう

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同調性の高い自己愛人間

同調性の高い自己愛人間は「分を知る」で対応している。
自分に現実的な限定をつけてその枠の中で生きる。
適切な自己限定ができるので無理をしない。

空気が読める自己愛人間はこんな風に生きられる。

同調性の高い自己愛人間というものも
不思議ではあるが。

共感性が高いのではなくて、
他人の気持ちのとげに敏感だと言うべきか。
自分が被害に遭わないように
あらかじめ遠くのポジションを選んでおける。

傷つけもしないし傷つけられもしないくらいの距離。

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決意の固まり

自分はたぶんあまり長生きしないだろうという予感に支配されている人はいるものだ
中学生くらいから死が身近にあって
友達で死んでしまった人もいるし
自分も20歳くらいには死んでしまうだろうから
その先の予定も考えられないでいる
結婚するとか子どもを育てるとか
全然イメージできないし
その前に私は死んでいると思う
具体的に自殺とかを考えるわけではないが
むしろそれは考えてはいけないことで
必死に封印しているのだが
何となくそうなるのかなと思っている
いま18歳でもうすぐ全部終わるので
そう思うと何もしたくない。
なんだかとても億劫だし疲れるし
どうしてみんなそんなに急ぐんだか
よく分からない
さっき私の隣を追い越していった人も
前のめりになってどんどん歩いていった
決意の固まりのようで怖い

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大変なお仕事

歯医者さんは
生きていて意識のある人の歯を削る
痛がる表情につきあう
実に野蛮

普通はできない

仕事の何分の一かは麻酔をかけること
でも麻酔の注射そのものがいたい
どこまでも痛みがついて回る
気の毒でもある

入れ歯は入れ歯で痛いものだし
困ったものだ

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品格問題

品格の問題は
社会に共有される価値観が消失して
むき出しの自己愛を生きるようになって
それぞれが自己肯定し始めたから
そのような他人が気に入らない人たちが増えたのだろうと思う

品格がないと言われて批判されている人たちと
他人に品格がないと言っている人たちは
実は同じ人たちだと思う

マスコミの言動はそのように
主体と客体が微妙に同じであったりして
おもしろい

何が品格なのかと
突き詰めていくと
自己愛しか残らない
自分を大切にしてくださいと言うしかない

環境主義とか地球主義は
大義をかざしたい人にもってこいだが
からくりは見えていて
すでに冷笑されている

冷静に地球を大切にすればよい
同調を強要するようだとミエミエだぞということになる

そんな状況なのだと思う

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傷つけられたことは忘れないと

傷つけられたことは忘れないと思って傷をつけている

要らないといわれると寂しい

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自分優先主義

モラトリアム人間は組織や集団と一時的で部分的な関わりしか持たない。
組織や集団よりも自分を優先する。

この項目については、
伝統的なメランコリー親和型人間や循環気質人間が
集団の価値に密着して生きるのと対照的で、
気質の部分から説明されることが多く、
メランコリータイプや循環気質タイプ、執着気質タイプとは違うタイプの人間、
つまり統合失調症気質タイプと説明されるが、
モラトリアム人間論ではむしろ
社会状況からの帰結と説明されている。

集団の価値に身を捧げていた人間と同じDNAを持つ人間が、
戦後日本に生きたら
組織や集団と一線を引いて自分を優先する人間になるのだと言っていると思う。

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価値観の多様化と画一化

価値観の多様化と
価値観の画一化・一元化はどちらも進行しつつあるようで、
実質としてどういうことなのかと思っている。
もう少し細かい観察が必要なのだろう。

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4千人

小泉政権で首相補佐官を務めていた岡本行夫氏が、ブッシュ政権は「やらなくていい戦争で約4千人の米兵を死なせた」(朝日新聞11月7日)と発言。

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10兆円の資金をIMFに拠出

麻生政権が外貨準備から10兆円の資金をIMFに拠出する方針を決めたことが報道された。
これは民主党は賛成したのかな?と疑問が提出されている。
総理大臣は外貨準備からIMFに拠出する権限があるの?
国会の議決は?
これは政権がずるをしているのではなくて、制度に不備があるらしい。
無論、知っていて直さず、それを利用しているのはずるいのだけれど。

それにしても金額が大雑把。
内訳を積み上げてどんな金額というなら話も分かるが。

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NHKから相撲協会に30億円

ある記事から採録。

*****
元NHKのスポーツキャスターから、直接、相撲協会とNHKがかなりの取り組みについて、事前に勝敗を掌握しているとの話を聞いた。最近問題になっている八百長疑惑には、構造的に根の深い現実が存在するのだろうと推察している。

問題は、このような問題を抱える日本相撲協会にNHKから巨額の放映権料が支払われていることだ。伝えられるところによると、年間30億円もの資金が提供されていると言う。日本相撲協会の事業収入予算は年間88億円(2008年度)で、NHKの拠出金はその3分の1を占めていることになる。

*****
受信料の使われ方がこれでいいのかと問いかけている。



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日本の進む道

米の対日要求さらにエスカレート
●09年版年次改革要望書のすごい中身

 オバマ大統領の誕生で対日圧力がますます強くなると予想される中、米国が毎年秋に日本に突きつけてくる「年次改革要望書」09年版の内容が明らかになった。
 この文書はいわば日本政府への“指令書”で、自民党政権は93年以降、その要求をほとんど丸のみしてきた経緯がある。小泉元首相の「郵政民営化」をはじめ、耐震偽装の元凶となった「建築基準法改正」、大量のワーキングプアを生んだ「労働者派遣法改正」も、もとはこの文書に書かれていた米国側の要望だ。
 米政府の狙いは日本市場の開放にある。先月15日に出された09年版の中身について、独協大教授で経済評論家の森永卓郎氏がこう言う。
「今回の要望書で、米国が日本の消費者を標的にしていることがハッキリしました。その象徴が確定拠出年金、つまり私的年金制度の拡大です。米国は日本の年金制度崩壊を見込んで、年金分野に参入しようとしています。また、個人の金融信用度を示す得点『クレジットスコア』を金融機関に導入させようとしていて、消費者金融への進出も考えているようです」
 米国のデタラメな対日要求はそれだけではない。
 国際政治学者の浜田和幸氏はこう指摘する。
「まずは医療業界の開放です。新薬承認や医療機器導入の規制を緩和し、米医薬メーカーが参入しやすくなるよう迫っています。さらに農業分野では、遺伝子組み換え食品を導入するための制度改定、残留農薬や食品添加物の検査の緩和を求めている。ほかにも、NTTやドコモを分割して通信の競争促進を迫ったり、民営化後の日本郵政にはさらなるリスクを取るよう要求している。経済の立て直しが急務のオバマ大統領が、圧力を強めてくるのは間違いありません」
 麻生首相は「新しい大統領と日米関係を維持する」とか言っていたが、結局、また米国にむしり取られることになる。

(日刊ゲンダイ2008年11月8日掲載)



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22歳の段差

父性像が曖昧なままなので、
確実なのは産んでくれた人、ご飯をくれる人だけになる
そこでは本質的に二者関係で間に合ってしまうので社会化は起こらない。
誇大的、賞賛欲求、共感不全のままで育つ。
学校はその点にはもう手を触れない。
その状態で会社に就職するといきなりの段差に転びそうになる。

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父性像の消滅

日本の家庭にはおばさんが二人いる
父性像が消滅している

たとえば自衛隊の人なども
本来は父性的な人物がふさわしいのだが
自惚れているだけの子どもである

財界の大物にしても尊敬されているわけではない

星野さんは水に落ちたら一転して棒でたたかれた

頑固オヤジと
肝っ玉母さんというのが
一つの類型であるが
最近はあまりないようだ

無論、世間で目立たずに立派な父性モデルを子どもに提示している親もいるし、
学校の先生なども、その要素が大きいと思う。

学校の先生が不正を剥奪されて久しい。
権威が地に墜ちている。

現代で言えば
社会を批判するマスコミは
比較的他人に批判されない立場を確保していて
たとえばニュース番組などで放言している人たちは
一種の父性とは言えるが
誰が見ても尊敬できるものではないし実際に尊敬されてもいない

尊敬されない人間が毎日
他人を批判して徹底的に膿を出せと叫んでいて
こうした圧力が「脱父性」に拍車をかけている

スポーツ選手などはマスコミの構造から言って
賞賛を集め尊敬される立場になるのだけれど
星野さんの一件の後では
野茂にしてもイチローにしても
いつ叩かれるかわかったものではない

スポーツ選手が父性の典型というのも物足りない話ではある

理想の上司とか理想の父親とかのイメージ調査が行われるが
単に話題の人と言うだけで
父性とは何も関係がないようだ

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内因性うつ

職場不適応
上司不適応
顧客不適応

不適応の原因が
慢性疲労
内因性うつ
性格要因
などあるがはっきり分けられるものでもなく
(しかしかなり区別はできるけれど)
結局全部不適応でまとめられる

*****
内因性うつ病というものも
最近思い直して、一体何だったのだろうかと考えると
不思議でもある

成熟途上の内因性うつとか
内因性うつの不全型とか
言われることもある
アイディアは確かに分かるけれど
そういうものがあるのだろうか
あるといえばあるのだけれど
いろいろな問題もある

*****
内因性うつは確かに生物学的なメカニズムが想定されているし
薬剤が効いたのであるが
現在となってみれば
ひょっとすれば時代の産物だったのかとも考える

*****
内因性うつは躁うつ病や統合失調症やてんかんなどに近いものだというイメージがある
多分そうなのだろう
認知機能を巻き込み、
ときに妄想を固定させる
ある種の病識の欠如があり
長い間にはレベルダウンも起こる
病相のたびごとに脳組織が破壊される

自己破壊的な何か

そしてなぜこのような病気があるのかも謎
自然淘汰の中で何かの優位性があったのか

*****
古典文学のなかで
幻覚妄想はたくさんあるし宗教にも近縁だけれど
うつはどうなのだろう

大伴家持などはうつみたいなことを詠っているが
みたいな気持ちと言うことで詠って見せているようで
あれは芸だろう

50歳代の自殺は依然として多くて減少しない
これは自殺の遺伝子がどのくらい影響しているのか興味はある

*****
やはり考え方としては、
疲労困憊、慢性反復性持続性ストレスの果ての状態と、
内因性うつのようなものは別立てとして考えるべきだろうという感じはする。

疲れ果てたという感覚は共感可能である。
内因性うつの場合には理解はできるが完全には共感可能ではないと思う。

しかしそのような診断ではなくて、
別のレベルでの診断が必要なのだと思う

脳の中で何が起こっているかに関しては、
多少の重なりもあるとは思うが別の場所で不都合が起こっているのだとは思う

慢性反復性持続性ストレスに関しては
反復刺激で一部の神経細胞が活動を停止してしまい、その結果として
自動的に休養に入ってしまうのだと思う

内因性うつの場合には
30歳過ぎくらいに原因の自覚なくこころと体が動かなくなる
年をとると歯が抜けて入れ歯になるようなものだろう
脳の中のどの部分かが耐用年数を超えてしまうらしい
とうぜん不適応が生じる

内因性うつは昔からあり今もあるのだろうが
ストレス障害の方が圧倒的に多くなり
内因性うつのひとも当然ストレスにさらされ発病するとすれば当然うつ病なので
区別は曖昧になるはずだ



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子どもも大変

雑誌のコマーシャルで

男の子の国語力
女の子の算数力
国語の読解は共感力
算数の図形はイメージ

こんなことを言われているようでは子どもも生きにくかろう

社会が要求するように育てるのが教育ではないだろうと思うが

社会が要求する人間を選抜するのは別にかまわないと思う

選抜されたいから社会の要請に合わせているわけかな、それだときつい

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コンビニ受診

コンビニ受診ということがいわれていて
夜中でもいつでも気軽に受診できることらしい

一方、当直医は、夜間外来を開いているわけではなくて
あくまで当直であり、
大半の時間は仕事をしていないと見なされているようで
そんな体制の中に
自分が行きたいから夜中に行くという人を
診察していて果たして正しいのだろうか
と疑問が呈されている

社会主義的な助け合いの安価な医療制度なのだから
自分が受診したいから自由だというのはとても間違いで、
受診が適正かどうかを交通整理できれば
一番いいのだけれど
そこのコントロールを自由市場に任せたらアメリカのように困ったことになるし
社会主義的なコントロールでも困ったことになっているし
イギリスだっていろいろと困っているようだし
難問だ

お金があればどんな体制でも困らないことは確かだけれど
それを言ったらあまりにもむき出しの現実ということになる

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菱川師宣

菱川師宣の肉筆画が新たに見つかった
江戸名所風俗図鑑
上野の山の花見では人々が円になって
体をひねって踊っている
中村座歌舞伎小屋の内外も描かれている。
これが日本だ
いい国だと思う。

いい国だと思えないと
自衛隊はがんばれないというらしいので
この絵を見て
日本はいい国だと思って普通にしていてください

がんばるって何のこと?



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KY と 日本語の構造

空気を読め
といわれるが
結局自分の言うことをきけということなんだろう

はっきり自分の言うことをきけと言わずに
空気を読めと言うところが
なんだか嫌な感じだ

空気を読めという
その空気を支配しているのは
誰なのか
主語を消してしまう
日本語の構造が反映されている

日本語というOSから発生する必然的人間関係とも言えるだろう

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自惚れ史観

数年来、有力者が自惚れ史観を開陳する場面が目立つ
と吉岡忍氏が書いている。

自分が生きやすいように
辻褄を合わせることは
誰しももっともなことではあるが
限度というものがある。

誰でも自惚れているもので
謙虚な人は謙虚な自分に自惚れているといってもいいだろう。
しかしそれは外には見せないのが大人というものだ。

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心を変革する

みんなが幸せになれる世の中を作りたい
そのためにいろいろな人が考えた

社会を変える考えと
宗教や哲学の方面から人間の心を変える考え方とがあった
キリスト教は実に2000年にわたりそんなことをしているのだが
一向に人間の中身は変わらず
むしろ何かが激しくとげとげしくなっている

社会構造を変えても結局
一人一人の人間の心が変わらなければうまくはいかないとの結論を言う人もいて
実にもっともだと思う

しかし人間のDNAはここ100年くらいであまり変わっていないはずで、
たとえばブータンの人々と日本人と大きく違うわけではないはずだ

だとすればやはり環境要因の方が大きいと考えられて
振り出しに戻る

お説教では人間の心に革命は起きないらしい

やはり下部構造が上部構造を決定しているのだと思わざるを得ない

理由もなく急激にメランコリー親和型が自己愛型に変わるわけではないのだ
何かの下部構造の変化がある

メディア漬けと少子化がすぐに考えられる

脳がネットワークとしてつながっているのは
昔は周囲の他人と書物だった
いまはさらにメディアがつながっている
ひっきりなしのどぎつい言葉と映像

大麻が問題になっているが
大麻などは使うことが悪いしそのことで資金の流れを作ることも悪いが
自動車の方がはるかに人を多く殺しているし
マスコミの方がさらに猛毒なのではないかと思う

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朝の交差点

朝、交差点で信号を待つ
排気ガスのにおいが懐かしい
大型車が通ると地面がゆれている

いずれにしても基盤のない人生と思う

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自己愛性人格障害

改めて自己愛性人格障害を眺めてみる

DSM-IV
自己愛性人格障害

誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

過剰な賞賛を求める。

特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

尊大で傲慢な行動 または態度。

*****
一人っ子って、これだなといった人がいて、顰蹙を買っていたけれど、
なるほどそうかもしれないと思うこともある。
自分が一番ちやほやされないといやなわけだから。
中国の一人っ子軍団ではサッカーの集団プレーはできないだろうとの話も思い出す。



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「うつ病」の外延-正常な憂うつ、正常な疲弊

骨折でも、カルシウムが足りなくて骨折するときと、
交通事故で骨折するときは違うわけだ。

*****
臨床精神医学37(9):1163-1165、2008
「うつ病」の外延-正常な憂うつ、正常な疲弊
鈴木國文
Keywords:うつ病(depression)、憂うつ(depressiveness)、外延(denotation)、拡散(diffusion)、疲労(fatigue)

1 「うつ病」概念の外延の拡散
日本において「うつ病」はこの10年ほどの間に2.1倍に増えたという。算出の仕方によってはもっと高い数字を挙げる人もいるだろう。この増加の要因としてすでにいくつかの事柄が指摘されている。DSMにおける大うつ病概念の影響、SSRI、SNRIなど新薬の登場、精神科医療の敷居の低下などである。これらの要因についてはすでに繰り返し語られてきたが、ここではさらに、「うつ病とはいえない落ち込み」の医療化という問題を取りあげておくことにしたい。当然、この問題には、先にあげた3つの要因がさまざまな程度に関与しているが、ここでは、この「うつ病とはいえない落ち込み」を「正常な憂うつ」と「正常な疲弊」というふたつの視点からとらえ、敢えて考察の俎上に載せることにしたい。

2 『正常な憂うつ』について
「憂うつ」とは、さしあたり「気分」において「動きが停滞する様」ととらえていいだろう。では正常な憂うつ」はどのように定義することができるのだろう。そもそも憂うつにおける「正常」と「病理」の境は、停滞の程度の強さや持続の長さによるのだろうか。それとも、停滞の質の違いによるのだろうか。あるいはむしろ、明確な原因の有無によるのだろうか。

確かに「上司がいやな人で憂うつ」とか「試験が間近で憂うつ」というような場合、原因が特定されていて、異常という観は少ない。しかし、憂うつには、正常であっても、あまり原因が明確でないものが含まれるように思う。「憂うつ」は、「悲哀」「恐怖」「落胆」などに比べ、出来事との関連が薄く、どこか身体要因とつながるニュアンスがつきまとう。

10代後半の頃、夜、考えごとをして高揚し、あれもしたいこれもしたいととりとめもなく想いを膨らめ、明け方近くなって眠りに落ちる。翌朝、目を覚まし、ひどく憂うつな思いに包まれていることに驚くという経験は、多くの人にあるのではないだろうか。これが病的か正常か軽々にはいえないが、学生などにこの話をすると皆一様にうなずく。思春期後期には、この種の高揚と落ち込みがある程度の頻度で認められるのだと思う。

実は、「軽いうつ」について、正常と病理とを截然と分けることは容易ではない。むしろ、ここでは、これを分ける線が、文化の側が憂うつをどこまで引き受けているかという点に依存しているという点に、注意を向けておきたいと思う。文化の側の要因が「正常な憂うつ」の医療化という問題と表裏の関係にあるのである。

「ネクラ」という表現がよく使われたのは80年代のことだが、このことばの源は、タレントの夕モリが「こうみえても私、根は暗いのです」と発言したことにあるという。「外向き明るいが根は暗い」という二重性をもったこの表現が、「ネアカ」と一緒に用いられるようになって、「根っから明るい」「根っから暗い」の意味に転じ、80年代、盛んに使われた。「外向き明るいが根は暗い」から「根っから暗い」へのこの転化は、その間の文化事情の変化を反映しているようで興味深い。次第に「明るさと暗さの矛盾を孕む性格」といったものから興味が離れ、「明るいのがよく、暗いのはダメ」という単純な価値観が世を覆うようになった。この間に、「憂うつ」とか「憂い」の文化的価値が大きく下落した。「憂い」「憂愁」さらには「沈思」とか「熟考」までが、80年代のいつからか大きく価値を下げたように思われる。

文化が「憂うつ」や「憂い」を引き受けないようになって、「憂うつ」は医療場面に多く現れるようになった。おそらくある時代までは、人格とか倫理性に統合された「憂い」というものがあって、それが文化の中である機能を持っていたのである。

3 「正常な疲弊」について
「うつ病」と「正常な疲弊」の関係についても考えておこう。疲弊という問題が「うつ病」と結び付けられて論じられるようになる経緯において、電通過労自殺事件に関する2000年3月24日判決の影響は大きい。この判決は、長時間労働と自殺を、その間に「うつ病」という項をおいて結び付けることによって、産業場面における「うつ病」の位置に大きな影響を与えた。訴訟と関連して、長時間労働と自殺との結びつきが認定されたことは、産業場面の健全さを守るという点では大きな進歩であったが、長時間労働と自殺を結びつけるために「うつ病」という概念が使われたことは精神医学にとって必ずしも進歩とはいえないだろう。長時間労働による疲弊と「うつ病」との異同が明確に論じられないまま、長時間労働と「うつ病」という因果関係が一人歩きする結果を招いてしまったからだ。

不眠不休で仕事をした時、疲れ果て、何の対応もできなくなるほどに追い詰められることはある。初期にはぐっすり眠ることで回復するが、この忙しさが、何度も何度も繰り返されたり、長い期間続いたりすれば、回復は難しくなる。この状態は「うつ病」なのだろうか。これは、精神医学的には、まずは「疲弊」と正確なことばで呼ぶべき状態であろう。いずれにせよ、こうした状態の回避は、医療によって行われるべきものではなく、まずは企業の側が対応すべき問題である。これを医療化してしまうことは、社会として成熟とはいえない。あるべき対処の仕方は、早く病院にかかることではなく、むしろ早く休みをとることであり、これを迅速に実現すべきは企業の側なのである。ただ、個人の側の要因で、自分のできる仕事量と社会が求める仕事量との間で調整ができなくなる人がいることはいる。そして、それがある種の性格傾向に起因していたりする。こうした問題を医療の側がどこまで明らかにしていくか、重要な論点ではあろう。

4 「うつ病」の外延拡散から学ぶべきこと
こうして改めて考えてみると、「うつ病」の中核群を正常な「憂うつ」や正常な「疲弊」から截然と分けることは思いの他難しい。「うつ」に関しては、「精神病状態」ほどに明確に内因性を規定する兆候がないのである。「うつ病」の外延拡散から学ぶべき最も重要な点は、実は、「うつ病」の囲いが思いのほかもろかったという点なのかもしれない。しかし、われわれ精神科医は「うつ病中核群」と呼ぶべき、ある意味でかなり重篤な病態があることを確信している。うつ病の中核群について改めて画定することは現在の精神医学にとって極めて重要な課題なのだと思う。

それに関し、一点だけ気づく点に触れておくなら、われわれはむしろ、月経前困難症に伴う抑うつとか、産後うつ病などに、うつ病中核群を特徴づける要因の示唆を得ているのではないかという点である。これらの病態では、脳の機能的変容を背景にして気分の変容が引き起こされている。そうした、脳の機能的変容が関与する「憂うつ」の一群があり、おそらくわれわれは、その程度がある程度以上のものに「うつ病中核群」をみて、それを「内因性うつ病」と呼んできたのである。

「うつ病」の外延拡散から学ぶべきことは、もちろん、他にもいくつかある。紙幅の都合上、ここでは1つだけ言及しておくことにしよう。それは、「軽いうつ」であっても、「軽い躁」との間で周期性をもって現れる傾向があるという点である。双極Ⅱ型に関する知見、繰うつ混合状態に関する知見などは、「うつ病」の外延拡散がもたらした重要な知見であろう。「気分」は、正常なものであっても何らかの周期性、循環性を示すのである。



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祇園精舎の鐘の声

祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。

驕れる者も久しからず、
ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついには滅びぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語

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架空の損失

今回の金融危機でだいぶ損をした友人もいて
話につきあっているのだが
考えてみれば
その人は特に贅沢をするわけでもないし
先祖から受け継いだ土地や株を持っているだけで
特にずるく運用していたわけでもない
だから株もじっと待っていれば3-5年のうちにはまた上げてくることもあるのだろうと
慰めているが、
本人にすれば、潜在的な可能性が失われたことがショックなようだ

しかしそれは誰でも同じだし
第一今さら何が欲しいというわけでもないだろうと聞くと
確かに緊急に何かが欲しいというわけではないがと言っている

気持ちは分かるが多分10年経ってみれば
今回の暴落があってもなくても
だいたい同じ生活をしていると思う

実際は買わないけれど
買おうと思えば変えたものが今は買えなくなったと嘆くのは
何となくあまり賢くない

おまえが親から背受け継いだように
どうせ子どもに渡すんだろう
同じだよと言うと
まだ諦められないようで少し暴れていた

多分この人のご先祖も同じように
使えなくてそのまま子どもに渡したのだろうと思う
どうせお金を使えない性分なのだ
諦めるのがいい
イマジナリーなロス。

パソコンのパーツなどいくら買ってもたかがしれている

電車株とか電力株を持っているらしいが
株主として原発問題に発言して欲しいと思う

六ヶ所村に捨てるというのは
あんまりじゃないか?

よく知らないが
これから頭のいい人が出て
放射能の処理をしてくれると期待して
それまで六ヶ所村においておこうという話ではないか?

おまえのはイマジナリーなロスだけど
六ヶ所村はリアルなプルトニウムだ。

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