SSブログ

子どものポジション変化といじめや不適応

思春期以前、子どもたちの順列(きつい言葉だけれど)を決定するのは、
性格要因である。
引っ込み思案で目立たない子は奥にいる。
目立つ子や威張る子が前面に出る。
これは子どもがまだ生産活動にも性活動にも参加していないからだ。
主に、生まれつきの気質とか、家族内での兄弟の配置、父母の性格・生活様式、そんなものが大きく関係している。

思春期を迎えて、性格ではなく能力が問われるようになる。
のろまに見えていた子が実は数学ができたり、
野球が上手で人気だった子も、将来性はないと分かったりする。
女の子は他人のサポートがうまかったりして、マネージャー能力を発揮したりもする。
急に大人びてきれいになったりもする。
つまりは大人になってどのようなポジションを占めるか、おぼろげながら分かってくる。
それは個人の能力であるから、どうしようもない。

こうしたポジション変化がうまくいかないといじめや不適応が起こるのだと考えられる



共通テーマ:日記・雑感

くすんだ世界で楽しいのかい?

くすんだ世界で楽しいのかい?

矛盾があるのは
まあ害がなければいいけれど
実害も相当あるようだ

しかしそれを大声で言うのも大人ではないだろう
小声で言って
あとは知らんふりだ

共通テーマ:日記・雑感

妄想している人は自分は苦しい

妄想につきあう周囲の人は苦しいのだけれど
妄想しているご本人もやはり
相当に苦しいのだと思う

現実と辻褄の合わないことを信じ続けて
まわりにも言い続けることは
やはり相当なエネルギーが必要だ

人にも嫌われるし
世の中のこと万事うまくいかないしで
一つもいいことはない

それでも妄想し続けなければならないところが
妄想の恐ろしいところだ

妄想は自分を反省しないから
八つ当たりのように
犯人探しをして
周囲の人を責めるようなことにもなり
みんなが困る

ほんとうの原因は何かということが
長い時間のうちに分からなくなってしまう

妄想の怖いところはそこで、
自分の考えていることが妄想なのだと自省する脳の回路が壊されてしまう

そこだけが壊れていて
ほかは理論的だったりすると
自分では正しいつもりで他人には理解されない
いろいろなことをいうようになり
積もり積もって困難が昂じる

非ユークリッド幾何学の大系というものがあって、
非ユークリッド的前提をおくとあとはすべてが自動的に論理によって導き出され
それはそれで無矛盾の世界になる

それと似ていて
なかなかの難物である

共通テーマ:日記・雑感

企業ぐるみ選挙 

麻生太郎議員の選挙は企業ぐるみで、人数が多い飯塚病院はフル回転する。
この時協力しないのは一番が医者であると院長が攻められるそうだ。
社会的常識が無いというのはこのことをさすらしい。
田中眞紀子議員も周りの部下を使用人扱いするといううわさであり、
地方ではこれに近い関係が要求されるようだ。

他人を使用人としてみるというのは自己愛型人間の特徴。
人間同士とは見ない。
お金を払っているのだからサービスしろというのは自己愛タイプの対人関係であって、
お金を出していても何でも、相手は人間であり、
やる気もプライドもあるものだと考えるのが非自己愛タイプの人の発想。

医師確保が難しい理由に
「高給でも確保できず、勤務が楽でも確保できない」という
医師特有の「価値観」があるらしい。
「常識」では、給料を高くすれば人は確保できる。
しかしそれだけでは医師は動かない。
また、楽で給料が良い療養型病床の病院も医師確保が困難。
勤務がきつくて給料も低い大学病院や基幹病院、指導医が沢山いる病院は
勉強ができるから医師が集まる。
そこが、世間と「価値観」が大いに異なる。

医療費や年金は企業のコストになるから
後期高齢者医療制度などについての批判なんかするなという
車会社の人となら経営者として常識は通じるということらしい。

車会社も回り回って社会の基礎を作っていることは確かなのだけれど、
未来社会のために改善の余地があることも確かだと思う。
自動車絶望工場―ある季節工の手記 (講談社文庫) (文庫) 鎌田 慧 (著) で
描かれる状況がどれほど現代的か昔的か知らないが、現状も絶望だと言えるのだろう。

全体にあからさまに貧困の問題なのだと思う。

社会の設計が悪いのか、人間の限界なのか。両方の面があるのだけれど、どうも出口は見えそうにない。



共通テーマ:日記・雑感

ブレゼントはトナカイ

いや、トナカイがプレゼントを運ぶのでしょう?

いえいえトナカイがプレゼントなんです。

すると、トナカイが運べるものなら
いろんなものが手に入るんですね

いろいろなプレゼントを手に入れるための方法を手に入れるということで
メタ・プレゼントになっています

3つだけお願いを聞いてあげる
というときに一つ目のお願いで
100個のお願いを聞いてくれることと
拡張するようなものなんですね

そうです100個めのお願いの時に
忘れずにあと100個のお願いを聞いてくださいと
入れておけばいいんです

うっかり忘れたら
大変だね

皆さんたいてい忘れます
忘れないようにスケジュールを管理してくれる専門業者もいます

いろいろですな

共通テーマ:日記・雑感

自己愛の延長物 それは片思いで充分

いわゆる
ナルシスティック・エクステンション
です

自己愛性の世界の中に生きている
ナルシス・ナル君にすれば
自分がたいしたものであることはもちろんですが、
自分にまつわるいろいろなものも、
もちろん、たいしたものなわけです。

いろんなものにナルチャンしるしがついています

*****
父ちゃんはすげえし
母ちゃんもすげえなんていうわけで
おじちゃんにもすごいのがいて
出身学校はすげえし
習った先生はすげえ
かかった病院の先生はすげえし
呑みに行く呑み屋のマスターはもちろんたいしたもんなわけだ
昔つきあった女なんかそこらにいないくらいすごいらしくてすっげえ

たいていは恥ずかしいからいわないけれど
酒を飲んでいたりすると
抑制が取れているからべらべら喋る

郷土はすごいし
日本はすごいし
東洋は神秘の国なわけだ

新橋には郷土料理を振舞うらしい
分かりやすい名前の呑み屋がいくつもある。
沖縄風、宇和島、その他。

自分はすごいし自分が関わるものすべてがすごいと思ってしまうナイーヴな心が人間には
原初的にあると認める
自民党が教育したいと思っているのは
郷土と国を愛するこころというやつで
それが自己愛の延長なら別に教育するまでもない
客観的に見つめるならば
それぞれの土地にそれぞれの人が住んでいるわけで
自分が生まれたから特別いいというのはなんだかかなり恥ずかしいナイーヴさなのである

是々非々という原則がない

しかしそれはいいとして
自己愛の延長物をこうしてあれこれ並べていくと
二つに大別できる

わたしあんたと関係ないよといわれかねない系統と
いわれる心配のないもの

元かのとかマスターとか医者とかは
お前なんか認めないといわれるかもしれない
勝手に関係者にしないでくれと言われるかもしれない

国とか出身校とかテニスとか
そんなものはなかなか否定する人がいないから
そのまま通ってしまう
お前なんか日本人と認めないと強行に語る怖い人がいたり
お前なんかわが校の恥だなんていわれたり
お前なんかにテニスを語って欲しくないとかいわれたり
いろいろなケースは考えられるが
原則として
国も学校もスポーツそのものも
関係を否定したりしない

自分が熱く語っていれば
それで関係は安定する
片思いで充分なのだ

だとすれば
心配な人は
否定されない系統のものをよりどころにして
ナルシスティック・エクステンションを試みるのがいいだろうということになる

*****
ネットの世界はなんとなく
関係を否定されない種類の
エクステンションのような気がする。

もちろん裏サイトとかきつい関係もあるけれど、
そうではなくて
従順な一員である限りは関係を否定されない
そういう母性的な一面もあるのだ
片思い歓迎である

そうなると
その場所は自己愛が繁茂する培地となる

現実の社会で
どこかの集団に所属しようと思えば
ある程度のハードルがある

あるテニスサークルは二人以上の紹介者が必要で維持費がかなりかかる
ある学校は入学試験があるし
あるマンションに入居するにはかなりのお金が必要
野球部に入っても球拾いだけではつらすぎる
芸能界はまた厳しい
特に努力も必要ない才能も要らない紹介も金も要らないとなれば
ネットはまさにそれだ

日本人だと日本にいて威張るには本当の日本人という一段上のステイタスを自己規定する必要があるが
ネットの世界なら、周囲の誰とも違うステージにいるのだと自己愛を満足させることができる。

そんなものがいくらの金になるんだ、
それで女にもてるのか、
という世間並みの意見はここでは通用しない。
人に認められなくてもいいのだ。
自分でたいしたものだと信じられればそれでいい。
だからそんな系統の人たちがネット世界で、
たいしたものだと褒めあえば、それはそれで自己愛システムが成立するのだ。

否定されにくくて些細なものといえばブランド物かもしれない。
身につける人を選べないのはつらいところではあるけれど。
商売だからたくさん売りたいけれど
たくさん売るとブランド価値が下がるから、
頭が痛い。



共通テーマ:日記・雑感

春の夜にかき抱きつつ眠りたり

春の夜の
こころにすこしかかるもの

忘すらるる身のいとしさか
ひとすぢ残る黒髪か

おだやかな長き黒髪かき抱き
果てて眠れば夜も途切れ

夢にうつつにまさぐれば
ほのかに甘き誘惑の
ヨーグルトの壷の香るなり

味わえば薄き水蜜の味ありて
いとも麗し 
おもてを伝ふ嬉しさよ

春の夜のいとも懐かしき
景色なり



共通テーマ:日記・雑感

頭を空っぽにしたら



何も考えず
頭を空っぽにしたら
心が満たされた

とのことで、
わたしもそうしたいです。

「何も考えず
頭を空っぽにしたら」
というところまでは、
うちのおばあちゃんと同じですなんですが、
どこかがちょっぴり、吉永さんと違います。

吉永さん、黒髪でいてください。

大人になったらしたいこと、
いいメッセージですね。
どんどんやってみようと思います。



共通テーマ:日記・雑感

ルーランの特性

ルーランを16から24ミリグラム、最高で48くらい使う。
錐体外路症状が出ることがあるが、
不思議なことにテグレトールを組み合わせておくと、
錐体外路症状が出にくい。
これは、
ルーランから一段代謝された産物が、
ドーパミンD2受容体よりも
セロトニン5HT2A受容体に強く働くからで、
その物質はID-15036と呼ばれているが、
ルーランをID-15036のプロドラッグとして考えてよいのではないかとの
提案がある。
ID-15036は薬剤プロフィールとしては、クロザピンに近い特性がある。
テグレトールは、ルーランの代謝に影響して、
ID-15036への代謝を促進する、したがって、錐体外路症状が出にくいのだろうと
推定されている。

また、D2レセプターの占有率が70パーセントで臨床効果が出て、
80パーセントで副作用が出るとの、一応の推定があり、
その点で言うと、
ルーランは、D2親和性が強く、作用時間が短いタイプなので、
一日一回、18-24ミリグラム程度を投与すると、
一日一回は、D2占有率が70パーセントを超え、
しかしその後は、緩やかに占有率が下降して、
結果として、きつい副作用も起こらず、
過剰な占有によるアップレギュレーションも起こらないのではないかと
推定され、まことによい具合なのだ。
きつい副作用が起こらなければ、患者さんは納得して飲み続けてくれるだろうと期待される。

分散して投与すると、70パーセントを超えることがなくなってしまい、
患者さんも服用回数が増えて煩わしい。
一日一回投与にすれば、パーシャルな特性を引き出せるのではないかとの推論である。

共通テーマ:日記・雑感

非常な善人と非常な悪人とは感じが殆ど同じです

非常な善人と非常な悪人とは
感じが殆ど同じです

萩原朔太郎

共通テーマ:日記・雑感

自己愛とうつ

自己愛の肥大

自己愛の繭に守られて、現実のつらさとは隔離されている

恋愛
受験
就職
友人からの太ったねの一言
これらは繭を貫通する。

ウツになる 繭を貫通して現実に痛みが襲う

ガラスのハートだから
全部壊れてしまう。
ここからの再建は難しい。

この場合のウツはシゾチームの場合のウツであり、
統合失調症の不全型としてのウツになる。

これは躁うつ病の場合のうつ病とは異なるものになる。

新型ウツ病の一部は
新型統合失調症の一部であろう。

従って、憂うつも、興味喪失も、根本的ではない。

共通テーマ:日記・雑感

事実とマスコミ報道の差

事実の周辺をマスコミは伝えるが、
それは権力側からすれば、犯人へのメッセージであり、言論の誘導である。
マスコミ自体からすれば、視聴率の確保であり、提供会社への配慮である。
ただそれだけで番組は制約され構成される。
それを編集権という。

独自報道と言えるような特ダネはないようで、
専門家と名乗る人たちが半分眠りながら無意味なことを自己防御的に述べている。
何も述べなければ安全であるがそれでは商売にならない苦しいところなのだろう。

マスコミは独自の視点もなく論理の展開もなく、
思考停止になり、当局の発表を反復するだけのようだ。
特に初日の夜9時の解説者はあまりにもひどく、
こんな人たちがニュースを書いているのかと思うと、
二度と視聴料を払いたくなくなった。
質問する側もただ共通点は何ですかと何度も繰り返し、
この人たちは思考停止してると思わせた。

慌てるのは分かるけれど、
プロなのだから、せめてまともに材料を整理することができたはずだろうと思う。
共通点は刃物で、玄関で、職場が共通で、ここまで言うのに5分もかかっていて、
これはじりじりじらすクイズ番組かお母さんと一緒か
大事件が起こってここで緊張してテンションが上がっていいはずなのに
まったくローテンションでくだらないことを繰り返していて
さっさと仕事を変えた方がいいし、その前に健康診断を受けて静養した方がいい。

事件そのものが異様だが、
9時のニュースがさらに異様だった。

どこにでも売っている中国製の靴だったとか。
野球帽か作業帽かつばの角が四角だった。

これを聞いて、専門家が、野球ファンとも考えられますが、断定もできませんだと、
私が知らないだけで年配のおばかタレントなのか。

我々はこのような世界に住んでいて
このようなテレビを見ているのだという絶望。

共通テーマ:日記・雑感

ユニクロ的画一性と多様性

現代社会の多様性と画一性が言われる

たとえばユニクロの製品を見て
画一的だけれど多様だと表現できる

生産側の現実的な都合があるので
やはり画一的にした方が圧倒的に能率がいいし経済的に有利になる

そして多様性を演出するには
色を使うというのがユニクロ的な方法になる

縫製とかの専門の人の話だと
ユニクロは衣料製品としてはかなり入念で凝っているもので、
あのくらいの品質をあの値段で提供すること自体、他社では無理なのだという。

しかし一方、下着などは専門メーカーがあり、そのノウハウにはかなわないのだそうだ
立体形成など

*****
画一性はやはり経済的な要因から出ていて、
衣料品にかけられるお金は限度があること、
たとえば携帯などが出てだいぶ個人消費部分は圧迫されているらしい。

また、衣料関係は雑誌やテレビの影響が大きいのだけれど、
その人の意見では、各女性雑誌とも、昔ほどの違いはなくて、
極端に言えば、ユニクロ的製品を重ね着する、これに尽きるのだという。

ジーンズをはいて、その上に短いミニスカートを着るとか。
重ねる。

井上陽水の歌に
ワンピースを重ね着する女性の不思議な心理世界を歌ったものがあるけれど、
そんな感じに近くなっているらしい。

その人は、最近の若い人のことは私もわかんない、
腰が冷えるのかしらね、などと言って笑う。

実際に低体温の人が増えているらしい。

痩せたい願望は強烈で、
いったい何のために痩せるのか、誰も答えを見つけられない。
しかしやたらと痩せたがっている。

*****
性的な記号表現としてのモードはあるけれど
最近は異性を意識するのではなく
同性を意識するのでもなく
鏡の中の自分を自分だけが見ている様子もあり
その点で自己愛的な要素がある

そのことは自己満足の世界を後押ししていると言っていた

*****
そうかもしれない
販売側はあまり工夫もできなくて
デザイナーは値札とかブランドタックをデザインしているとかで、
値札にもデザイン料が乗っているそうだ。

そういえばガネーシャ・女の子編でも、
水川あさみさんが
わたしなんか勝負下着に値札がついたまま!と叫んでいた

水川あさみさんは

誕生日に彼に振られて家は火事、おまけにガネーシャに転がり込まれる。

*****
水川あさみさんが着ているTシャツなども
画一性の中の多様性だ
シャツとしては画一的な製品である
しかしプリントするデザインを多様にすることで、
商品としては多様であるとの印象を持つことになる。

ついでだけれど
水川さんは自分が他人にどう見られているかだけに興味があって
他人が何を考えているかにまったく興味がない
ペラへペラ女とのことで
まさしく自己愛女です。

彼女は雑誌を恋愛の師匠として行動ていいますが、うまくはいきません。
そのことでもまたペラペラ女と言われます。

*****
ペラペラで言えば、ペラペラのTシャツにも、多様性があり、自分らしさがあるのが現代なのでしょう。。



共通テーマ:日記・雑感

黒が似合う人

黒にもずいぶんと種類があって難しいと思うのだが
エレガントな黒が似合う人がいて
それはもうたいそうな美人である

肌色の質がいいのと
目の表情が生き生きとしていることが
黒に似合うのだと思う

逆に黒を着ていて
魔法使いのおばあさんみたいに見えてしまうことがあり、
それは全体のエネルギーレベルと肌のくすみが影響しているのだと思う

黒を着ている人がどんな女性を目指しているのかはよく分かるのだけれど
よほどの美人でなければ
似合わないのも現実なので
難しいものだと思う

少しだけ青や紺色の入っている黒はまた少し印象が違う

気力に満ちているとき、
あるいは悲しみに満ちているとき、
それらの感情をかっちりとした額縁に納めるという感じがする

サーモンピンクのカーディガンなどは
実にそれらしいものであるが
感情の容れ物としては作用しないのではないかと思う

共通テーマ:日記・雑感

パソコンでかえって残業になる

パソコンが普及して、
ホワイトカラーの労働生産性が上がっているはずだけれど
かえって残業が多くなっているような気がする

昔と違うんだからこのくらいやっくてださい、
というくらいのプレッシャーをかけられて、
結局何が何でもきれいに仕上げる

一応できあがってから
もっときれいにしようとか
インパクトのあるものにしようとか
その部分でずいぶん時間をかけているのではないかと思う

パソコンにはそういう面がある

結果としては寝不足になる

共通テーマ:日記・雑感

対他配慮性人格障害としたら?

いっそのこと、
対他配慮性人格障害として項目を立てたら考えやすいと思う。

まず、Ⅱ軸の人格障害について、
全般的診断基準は以下の6項目からなります。
  1. 次のうち二つ以上が障害されている。
    認知(自分や他人、出来事を理解し、考えたりすること)
    感情(感情の反応の広さ、強さ、不安定さ、適切さ)
    対人関係
    衝動のコントロール
  2. その人格には柔軟性がなく、広範囲に見られる。
  3. その人格によって自分が悩むか社会を悩ませている。
  4. 小児期、青年期から長期間続いている
  5. 精神疾患(精神分裂業、感情障害など)の症状でもない。
  6. 薬物や一般的身体疾患(脳器質性障害)によるものではない。

それはそうだよね、他の病気ではなくて、もう小さい頃からそんな傾向というわけだ。
そして
対他配慮性人格障害は
1.何がなんでも他人に配慮し
2.それが報いられないと自傷他害の衝動的行為に走る。

くらいかな。

他人に感謝されて、感動の涙くらい流してくれないとすまないぞ、というような
勢いだ。
しかしその対他配慮的行為も、
他人から見れば独りよがりで余計なおせっかいで
大変に迷惑、
そこで嫌がるそぶりを見せると、
もう死んでやるとかいうので困ってしまう。
挙句の果てはみんなお前のためを思ってやったことなんだとくる。

対他配慮により他者をコントロールしようとする
間違った欲望を一貫して抱く者。
それを正しい生きただと信じて疑わない者。
こんな人が昔の「うつ病」だったんじゃないのだろうか。

よく言えば善意の存在が信じられた時代。

いまはそんな人が少なくなって、
対他配慮の軸ははずしてもいいような感じになっている。

*****
そういえば、前の時代までの対他配慮はなんだか余剰が一杯あって、
いまから思えば、すこし勘違いなんじゃないかと思えるところがあるようだ。

他人にとって何がいいのかなんて
いまの時代では簡単に判断は出来ない。
しかし昔なら、小規模の集団なら、価値の一元化も考え易かったかもしれない。

*****
日本人の控えめも、配慮も、思いやりも、度が過ぎると
アメリカ人には奇異に映る。
多分、思いやり予算も。

*****
学者先生の中には、上の考えと逆で、

現代は会社全体が対他配慮的になっているので、
対他配慮できない人のうつ病が多くなっていると主張する
人もいる。

たとえば、
発病の主たる要因は,会社,職場自体の「メランコリ-親和型化」であるというのが筆者の最近の論点である。つまり,今日,職場は勤労者に対し間違いを許さない厳密性と完全主義を徹底し,消費者,あるいは利用者(お客さん,患者さん)などに対し不都合やミスがないよう細やかな配慮を行き届かせる他者配慮性を前面にうち出す。そのため,勤労者は仕事課題において高い水準を要求される。それはある意味で職場の「過剰な正常規範」であり,医療に端的に示されるように,確かにそれ自体はたいへん正しく,善い行為規範を示し,正面から異を唱えることはなかなか難しいものの,普通の人が従うには心身の限界を超える危険を内蔵する。いうまでもなく,職場の「メランコリー親和型化」の背景には,生産性と(国際)競争力をできる限り上げようという企業の論理,および職場のミスや虚偽があれば最終的には訴訟にでも訴える構えをみせる消費者,ひいてはマスコミから注がれる厳しい視線の増加が控えている。


昔のうつ病の場合、

うつ病のなによりの病因は,患者の側のメランコリー親和型性格であり,彼らは際立った几帳面さ,完全主義,他者配慮により,自分に課された仕事を自分の強い信念に裏打ちされて,けっして手抜きをすることなく,全力を尽くしてやり遂げることを目指した。
うつ病の病因には,患者自身が自分で招いてしまって,出口のない袋小路に入りこむという自家撞着の側面が強い。そのため,この種のうつ病の患者に対して,「ほどほどにする」「いい加減がいい」などといった言葉の処方箋が適応となったのであった。

現代では、

ところが,現代の職場結合性うつ病患者に対しては,この種の言葉は見当はずれであることが多い。
グローバリゼーションの時代に入り,会社,職場が勤労者に先んじてメランコリー親和型規範を採用・徹底させているからであり,彼(彼女)らが「ほどほど」「いい加減」に仕事をするものなら直ちに解雇や降格という厳しい現実に直面しかねない。

というわけです。

*****
つまり、会社全体が対他配慮で貫かれていて、
対他配慮についていけない人が不適応となり発病する、
その場合には、精神症状と同時にバニック症状のような身体系の症状を伴う、
ということです。

昔は対他配慮性でうつ病となり、
いまは対他配慮性がなくてうつ病になる、
そうした事情を、会社全体が対他配慮を要求しているのだと
解釈していいのではないかというわけです。

*****
我々の感じでは、
社会全体から対他配慮がなくなりつつあると思うのですが。
いかがでしょうか。

会社は適応的な人がたくさんいる場所ですから、
対他配慮があるのは当たり前です。
昔の会社が対他配慮に欠けていたとも思えません。

特に病院などでは対他配慮が当たり前に要求される場所でもあるわけで、
組織的に対他配慮を実行するわけですが、
問題は、それを要求する側に対他配慮がなくなっていることなのです。
対他配慮のない人に対他配慮を要求され続けるから
燃え尽きるわけです。

やはり社会全体から対他配慮の姿勢がなくなりつつあるのではないか、
それよりも、強い自己主張と、堂々とした利己的利益の追求が特徴でしょう。
世の中全体が弁護士と新聞記者と商売人になってしまったかのようです。
わたしは農民が必要だと思うのです。

口先だけで生きていける者はいいのう、
わたしらはお天道様の下で汗を流すしかないでのう、と
悠々といえるようでありたいものです。

そのような者が対他配慮が出来るのです。
弁護士や新聞記者や商人が対他配慮ばかりしていたら商売になりません。
少なくとも弁護士は法廷で双方が立つわけですから、少なくとも一方は、配慮のない人です。
商人も、対他配慮していない人の方が儲かりますし、
グローバルなマーケットではなおさらそうです。
遠慮していたらだめなのです。
農民はそうではありません。
自分が働けばいいだけで、そのことで他人の利益を損ねることはないのです。
米を作る時に勝訴もないし特ダネもないし、
マーケットの勝者も敗者もないでしょう。
ゼロサム・ゲームではないのです。

対他配慮が商売のネタになる頃もありましたし、
いまでもそれは大きな要素ですが、
世界各地で大量生産してそれを大量販売する世の中ではなかなかそうはいきません。
中国で餃子がどのように生産されてどのようにパックされたのか、
アメリカで牛がどのようなえさを食べてどのように大きくなったのか、
チリの鮭はどのようにして育てられているのか、
いちいちこだわっていられないのです。
あまり配慮もせずに機械的に動いている人でなければ何度自殺しても足りません。

ですから、人びとは時代に適応して、
対他配慮を捨てているのだと思います。

*****
農村で、顔を見れば誰だか分かり、家の現状とか、
その人の歴史とかをみんなが承知している社会があったのです。
それはそれで息苦しいものでしたが、
無責任と言うことはありませんでした。
誰が何をしたかはわかっていたからです。
対他配慮をして、それが無駄になることはありませんでした。
結果として、うまく行かなかったとしても、人々の記憶にはしっかりと残るのです。

誰かが、他人が食べるのだと承知していて、
悪い食品をつくり、
売っている世の中で、対他配慮がどこにあるのでしょうか?

対他配慮のない世界の中で、
過剰に期待せず傷つかず生きていかなければならないのです。

*****
ずるい人間とは、他人の対他配慮を引き出しておいて、
それにお返しをしない人です。
人の善意を無にする人です。
そのような人が増えれば、
当然、対他配慮は消滅します。
しかしそれがクールというものです。
多民族国家であればそうならざるを得ません。
対他配慮的であるのも、一族の内部でだけです。
マフィアの振る舞いなどが分かりやすいでしょう。
つまりは対他配慮は「ムラ」の中でだけ通用する善意であって規範なのです。
ムラの外に出たらだれしも自分を守ることで精一杯になります。
その事を責めることは出来ません。
そんな中で、なお対他配慮的であるとすれば、
何か勘違いしているとしかいえません。
そこで対他配慮性人格障害と名づけるわけです。

ムラから都会に出てきた純朴な青年は中年期になってうつ病になるでしょう。
それが一つの時代でした。

現代では、もともと対他配慮の根っこがありません。
そして社会もそんなものを考えていません。
マーケットで、買いたい人と売りたい人とが値段を出し合うだけです。

昔はセールスマンが対他配慮的に仕事をしていました。
NHK土曜日のセールスマン物語によく現れています。
お客さんの幸せとセールスマンの幸せは一致しました。
お客さんのみになって考えることがセールスの道でした。

いまはマーケットで売買が成立する、それでいいのです。

ある抗うつ剤を作った人が誰なのか、
いまどんな情報が集まっているのか、
誰も知らず、日本のセールスマンは情報提供して歩き回ります。
自分の作った薬ではないし、
自分の会社の薬ですが、
本当に詳しい情報は分かりません。
この場合対他配慮があるとしても、
本質的に中心的な対他配慮ではありません。

人間が人間に配慮する、その原型が失われつつあると思います。

*****
昔は対他配慮の過剰ゆえに、
M成分が過剰に反応して反応停止し、
抑うつの波の落ちていきました。
つまり、うつの前には躁があり、その引き金が強い対他配慮だったわけです。

現代では様相が一変しています。
他罰的で自己責任回避的な、会社に部分的にしかコミットせず、
プライベートな生活を守って当然と考えている、
帰属意識は薄く、仕事は出来ないが趣味なら楽しめる、
そんなうつ病です。
むしろ病者としての役割を進んで引き受けるような具合いです。

*****
執着気質・メランコリー親和型のうつ病の時代にはそれ以外はおおむね、ヒステリーと括られたこともありました。
その後、抑うつ神経症というエレガントな名前で、その実は性格障害を含む病態を指したこともありました。
さらに性格障害を論じる事態になり、
その後は双極性障害に収斂させる傾向があり、
これは抗うつ剤・SSRI・SNRIの功罪が関与している部分です。

人格障害とこのようにクロスしているのならば、
対他配慮性人格障害を立て、
それを人格障害の一型とすれば、
あとは、うつ病・躁うつ病の本体については、MAD理論で整理きると思います。



共通テーマ:日記・雑感

風になりたい

風になりたい
http://www.youtube.com/watch?v=MHXorOWBWfw&feature=related

すきま風 が歌われている

共通テーマ:日記・雑感

一つのアメリカ

彼は白人も黒人も、貧しいものも豊かなものも、「すべてのアメリカ人」の統合を訴えた。
とすれば富裕層に課税するような政策は矛盾する。
アメリカを豊かにするための原資はおそらく「アメリカ以外の国」から調達されるのであろう。
アメリカの新大統領は「内側にいい顔」をする分だけ、「同盟国に渋い顔」をするかもしれない。
現にまたしても愚かな資金供与が言明されている。

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。