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自己愛的同一視の範囲

自分の好きなプロ野球チームが勝てばうれしいというのはよくある心理だ
スポーツニュースが根強い人気があるのもそのせいだろう

スポーツマンの技術の成長を見るとか
心理の動きを見るとかという人は少なくて
自己愛的同一視をしているので
勝てば自分が偉大な存在になったかのようでうれしいということになる
そんなバカなこともないはずではあるが
かすかにそんな気持ちがあるだろうということだ

自己愛的同一視の対象として多いのは
スポーツ型と芸能人系、ひいきの政治家などだろう
サラリーマン用のスポーツ新聞のネタを見ているとそう感じる

昭和の初期までは国家とかイデオロギーとか
もっと巨大で力んだ存在と同一視していたと思うが
最近ではインテリ層ではその傾向はないと思う

元厚生省次官殺人事件で自民党の加藤氏がテレビで発言し、
背景にあるものとか、周囲ではやす人のことをいったらしく、
ネット社会が問題だと発言したらしい。

ネット社会特有の心理的土壌があるようで不思議なことである
細菌培養で、ある特定の環境で特定の細菌が選択的に育つように、
現在のネット社会という培地が与えられて、
ある特定の精神傾向が選択的に培養されていると考えられる。

マスコミが想定する典型的視聴者像は50歳高卒専業主婦だそうだ
ネット社会はお互いをどのように想定しているのだろう

多分ネット社会も一つの準拠集団を作っているので
同一化も起こっているのだろう
その場合姿が見えているようで見えていないので
各人が勝手に思い込んでいる集団像があるのだろう

そのあたりがむつかしいところでもある

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自己愛を守るカプセル

自己愛は現実と自己を隔てるカプセルがあるから
自己愛として成立するのだと思う

カプセルは人生の始まりには母親であり、
その後は会社であったり何かの組織であったり
自分なりのイマジナリーな定義であったりする。

それは現実的・経済的にも自己を養っていることが多く、
家族、会社、国家などがその役割になっている。
社会システムがあるところに自己愛人間が成立する。

農業という目に見える自給自足が不可能になっている
自給自足していれば多分自己愛性が肥大していても何も言われないだろうと思う

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カスピ海ヨーグルト

カスピ海ヨーグルトがうまくできると
食器からつるりとはがれて
洗う手間もほとんどないくらいだ

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男は成功、女は幸せ

ドラマのタイトルで男は成功、女は幸せとなっていて考えさせられる。

夢をかなえるゾウ 男の成功篇
夢をかなえるゾウ 女の幸せ篇

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テレビは家族代理業

テレビは家族代理業化しているといわれる

ニュースでもドラマでも
昔なら家族で団欒の時に語り合っていたことを
テレビが伝えて肩代わりしている

脳はお母さんとつながっているのではなくて
テレビとつながっている

誰もいないと寂しいからテレビをつけておくという人も少なくない

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安全に勝てそうな手で勝つと10年後にはそれがリスクになる

「安全に勝てそうな手で勝つと10年後にはそれがリスクになる」羽生善治

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視聴者をバカにしているディレクターの方が視聴率を取る

ある民放のディレクター氏が糸井重里氏との対談で、
視聴者をバカにしているディレクターの方が視聴率を取る傾向がある事は確か。とても残念な事ではあるが。
という意味の発言をしていました。

*****
しかしながら新聞もテレビもとりあえず長い習慣でチェックするのだから
困ったものだ。

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テレビのターゲット

テレビの接触時間は、高齢者と主婦が圧倒的に長い。
だから高齢化社会ではテレビは成長産業。
視聴者はますます片寄り、テレビの影響力は小さくなる。
NHKスペシャルで「遺言」とか「墓場」といったテーマを扱うと、必ず10%以上とれる。
だから視聴者をバカにして老人に迎合すれば数字がとれることはわかっている。

NHKでは「典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思え」とのこと。
高卒50歳代専業主婦からは異論。

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銚子市長リコール請求運動開始

千葉県銚子市の市立総合病院が休止した問題で、市民団体「『何とかしよう銚子市政』市民の会」(茂木薫(もぎ・かおる)代表)は20日、休止は公約違反だとして岡野俊昭(おかの・としあき)市長のリコール(解職請求)に向け地方自治法に基づく手続きを始めた。

 同会は20日、署名活動を始めるための解職請求代表者証明書の交付を市選挙管理委員会に申請。市選管は21日に交付予定で、22日から署名集めを始める。

 市選管によると、1カ月以内で有権者の3分の1に当たる約2万300人以上の署名が集まると、本請求から60日以内に住民投票を実施。過半数の賛成でリコールが成立すると、岡野市長は失職する。

 市立総合病院は、現在の臨床研修制度の影響で医師不足に陥り、収益が悪化。財政難から市の支援も受けられず9月末で休止に追い込まれた。市は来年4月に公設民営での再開を目指している。

 岡野市長は2006年7月、病院存続を公約に掲げ初当選した。



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ゲゼルについて深尾氏の提案

均衡実質金利がマイナスになるようにコントロールするとどうなるかの話。

*****
WSJによれば、アメリカ経済はデフレになるおそれが強いという。現在の激しいdeleveragingを見ると、現金の供給が需要をはるかに上回っているので、すでにデフレ局面に入っている可能性がある。バブル崩壊は短期的な現象だが、このデフレの扱いを誤ると不況が長期化することは、日本経済の貴重な教訓だ。

デフレが起こるのは、クルーグマンのいうように「均衡実質金利がマイナスになる」ためで、その原因は地底人のいうように過剰債務の返済(企業の純貯蓄)だが、これは彼らの信じているような新理論ではない。アーヴィング・フィッシャーは1930年代にdebt deflationによって自然利子率(均衡実質金利)がマイナスになる可能性を指摘し、ケインズは『一般理論』(p.357)にこう書いた:
Gesellは、実質資本の成長は名目金利によって制約されると論じている。[・・・]これを解決する方法として彼が提案したのが有名なスタンプつき貨幣だった。これは彼の名とともに知られ、フィッシャー教授から祝福を受けたものだ。[・・・]このアイディアは健全なものである。
残念ながら、フィッシャーもケインズも、これをパーティ・ジョークとしか考えなかった。毎月すべての国民が全財産を郵便局に持って行ってスタンプを押してもらうのは、物理的に不可能だからだ。しかし実質的にマイナス金利にする方法は他にもある。たとえば深尾光洋氏は、国債や現金保有に課税する政策を提案した。この案も当時は冗談と思われたが、私はこれがマクロ経済政策としては一番素直だと思う(加藤涼氏もマイナス金利が可能なら望ましいと書いている)。自然利子率がマイナスになる原因は過少投資と過剰債務だから、それを解決するには政策金利も実質的にマイナスにすればいいのだ。

金利がマイナスになれば、過剰債務を抱えているゾンビ企業の実質債務も軽くなるので、破綻処理も楽になる。他方、銀行は融資したら元本割れになるので追い貸しをやめ、大量に保有している国債も社債などに切り替えるだろう。もちろん国債はだれも買わなくなるので、バラマキ財政を国債でファイナンスすることも不可能になる。

・・・というわけで、90年代の日本経済にとっても今後のアメリカ経済にとっても、(何らかの方法による)マイナス金利が最適な金融政策だろう。現代の金融技術をもってすれば、そういう政策は可能だと思うのだがどうだろうか。

追記:ケインズは「未来の社会はマルクスよりもゲゼルに多くを学ぶだろう」と書いている(p.355)。ゲゼルの代表作『自然的経済秩序』の和訳の全文がウェブで読める


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ゲゼル理論

どこかで採録した文章。ハードディスクに残っていたので紹介。

電子マネーとゲゼル理論を組み合わせて、合理的な解決ができないか、思考実験すること。

*****
以前、「価値が減っていく貨幣(中立貨幣、又は減価貨幣)」という概念を読んだ事があります。

 「ゲゼル理論」と言った方がピンと来る人もいるかもしれません。
 この理論で私が最初に面白いと思ったのは、「どうしてお金を借りたら利子を払わなければならないのか?」ということを問いかけていた点です。
 
 さぁ、どうしてお金を借りたら利子を払わなければならないのでしょう?
 
 「当たり前だろ、借りたんだから。」
 
 というのが一般的な回答だと思います。しかし、それでは根本的な理由の説明にはなっていません。
 ゲゼル理論は、それに対して回答を与えてくれます。
 
 なぜ、利子を払わなければならないのか。
 
 逆の視点から考えて見ましょう。
 例えばスイカ農園を営む人が、「今年は取れすぎちゃったからどうぞ」とスイカをくれたとします。
 スイカの出荷量は決まっていて、それ以上出荷しても値崩れが起きる為、毎年必要以上のスイカは要らないのです。
 そして普通、その余ったスイカをくれるときに対価を要求する人はいません(あったとしても激安です)。
 
 なぜ、対価を要求しないのか?
 
 その人がいい人だから?
 
 そうではありません。作りすぎたスイカは、保存しておけないからなのです。
 もしスイカを永久に保存しておける(そして場所も取らない)とすれば、おそらく来年あるかもしれない不作の為に保存しておく事でしょう。
 それがビジネスというものです。
 それができないからこそ、スイカ農園の経営者は気前良くスイカをくれるのです。
 
 対価は要求しませんが、彼の周囲には非常に良好な人間関係が生まれるでしょう。
 腐ってなくなるより、そっちの方が得なのです。
 
 腐ってなくなる・・・つまり、時間が経つにつれて価値がなくなっていくのがこの世のモノの本質です。
 ところが、お金は違います。
 お金はどれだけ持っていてもさほど場所を取らない上に、どれだけ持っていても消滅することはありません。
 例えお金が余っていたとしても、わざわざ人にあげたりはしないのです。
 
 するとどうなるか?
 
 余っているお金を人に貸す時に、対価を要求するようになるのです。
 それが「利子」なのです。
 
 「もともとは時間が経つにつれて価値が減っていくモノの対価としての“お金”が、時間が経っても価値が減らないのはおかしい」というのが、ゲゼル理論の出発点です。
 
 「べつにいいじゃん」、と言う人もいるでしょう。
 「お金の価値が減らないのは、誰かがそう決めたからでしょ? その結果として利子があるんなら、別にいいんじゃないの?」
 
 でもまあ、もう少し聞いてください。
 
 例えば、1万円の服を買ったとします。
 服は10年後にはボロボロになっていますが、1万円は1万円のままです。服の存在は有限ですが、お金の存在は無限なのです。
 
 言うなれば「モノを売る」とは、「有限を無限に変える」という行為なのです。そこに無理があるのは明白です。
 
 「いや、それはおかしい。あなたはその服をいつでも好きな時に10年間着れる権利を1万円で買ったのだ。だから、10年後に服が無くなるとしても、それで釣り合いが取れているはずだ」
 
 ところが、それは「服を着たい人」という側から見た側面でしかありません。
 もしあなたが、その服を10年間まったく着るつもりが無いとします。同様に、同価値であるはずの1万円も10年間使うつもりが無いとします。
 
 どうでしょう? どちらが欲しいですか?
 誰もが1万円を選ぶでしょう。1万円は10年後でも1万円だからです。しかし、服は3年経てば「残り7年しか着れない服」になり、価値が下がっていきます。

 これを逆手に取って、服を買う時に「敢えて待つ」という方法を取ることもできてしまいます。服を売る側は、持っていると服が古くなっていくので値下げしてでも売るしかありません。ところがお金を持っている側は、いつまで経ってもお金の価値が減らないので、待つことができるのです。
 
 お金とモノは同価値であることが流通の約束事であるはずなのに、お金の方が価値が高いのです。
 これは価格が高い、低いではありません。もっと本質的に、「お金は価値が減らないが、モノは価値が減っていく」という違いなのです。
 このせいで、モノよりお金の方が強くなり、お金を持っている側が、モノを持っている側に対して強い権利を主張できるようになるのです。
 それが金利という形で現れるのです。
 
 「お金だって、自然なインフレで少しずつ価値が下がっていくよ」
 
 という人もいるかもしれません。
 
 しかしそれは、ここで言っている「モノが腐敗していく」ようなものとは意味が違います。
 「モノが腐敗していく」というのは、あくまで自分が所有しているモノについてだけ意味を持ちます。
 将来自分が購入する予定のモノは、新鮮なモノを購入すればよいだけだからです。
 
 しかし、インフレの状態というのは、自分が持ってないお金も、価値が減っていきます。
 お金という存在そのものが価値を失っていくのです。
 つまり、将来自分がもらう予定であるお金まで、価値を失っていくのです。
 お金をモノに置き換えて考えるなら、まるで1年後に収穫する予定の野菜までが腐敗していくようなものです。意味が通りません。インフレが非常に不自然な現象だということが分かります。
 
 インフレによって企業の収益が上がり、給与も上がるという意見もありますが、インフレによって将来もらえるお金の価値が下がるのは明らかですが、給与が上がる保証はどこにもありません。
 
 お金を持っている人はお金をモノに変えてまた戻せば済む話ですが、お金を持ってない人は将来が不安定になるということです。
 
 どっちにせよ今のデフレ日本を見ると、自然的なインフレによってお金の価値が下がっていくという話も眉唾かもしれません。

 さて、モノは価値が減るけどお金は価値が減らないから問題があると書きました。
 インフレによってお金の価値が減るけど、それは不自然で、弊害がある、とも書きました。
 
 では、どうすればいいのでしょう。
 「モノと同じような仕組みでお金の価値も減ればよい」というのがゲゼル理論の主張です。
 
 インフレによって減るのはお金の「通貨基準」そのものです。基準が変動していく為、将来が予測困難になるのです。基準を変えてしまってはいけません。
 既に述べたように、モノが腐ったりして価値を減らすというのは、そういう価値の減り方とは違います。
 単に、量が減ったり、一部が意味を成さなくなるのです。
 
 お金もそのように価値を減らしていく仕組みを導入しましょう。
 直感的には、手元の1万円札が次の月には9900円に減額されるという仕組みが作れればOKです。
 
 そのような減価貨幣は、お金を持っている人にとっては「早く使わないといけない」という圧力になります。スイカを持っていると腐るので早く売らなければならないのと同じ圧力です。お金がモノと同じ価値を持ち始めるので、モノを持っている人とお金を持っている人がようやく対等に取引できるようになります。
 お金を手元に置いておくより、他の人に使ってもらった方が得(同額返してもらうだけでも得になる)なので、金利は下がるか、もしくはマイナス金利で貸す人も出るでしょう。
 
 そしてこの圧力は、インフレと違ってお金を持っていない人には何の影響も与えません。将来もらえる給与の額は相変わらず同じ額だからです。
 
 ちなみにこの話をすると、「これじゃ、お金を貯蓄しておくことができなくなる。将来が不安定になる。」という人もいるかもしれません。
 しかし、減額されるといっても一気に減る訳ではなく、徐々に減っていくだけです。当面必要な額は手元に置いておけるでしょうし、減り方は一定ですから不安になることもありません。持っている以上にお金が必要になったら、誰かから借りればいいのです。マイナス金利で借りれるかもしれないのですから、必要以上に借金を怖がることもありません。
 
 尚、実際には1万円札が次の月には9900円札になっているというのでは、計算しにくくて仕方ありません。やはり額面は維持しないと、計算もろくにできなくなります。
 そこで、例えば1万円札に、毎月一度100円の切手を貼らないと使えないようにします(あくまで例えば、です)。
 これは実質的にお金が減額されているのと同じ効果を生みます。
 
 実際、このような通貨を導入して大成功を収めた街が海外にあります。
 オーストリアのヴェルグルと言う街です。
 http://www.olccjp.net/wiki/index.php?%A5%F4%A5%A7%A5%EB%A5%B0%A5%EB
 
 残念ながらこの取り組みは国によって禁止されてしまいました。
 日本でも、このような取り組みが行われないかと思っています。
 
 ところで、ゲゼル理論が「地域通貨」と合わせて語られる事が多いようですが、日本で流行っている地域通貨はちっともこの「減価貨幣」の仕組みを取り入れていません。管理がそれなりに大変だから導入が難しいというのもあるのでしょうが、減価貨幣の仕組みなしに導入したところで、誰かが地域通貨を溜め込んでしまい、結局その地域通貨は市場に流通しなくなるでしょう。
 
 だからこそ、国家レベルで減価貨幣を導入すべきなのです。
 
 以上、長くなりましたが、この考えが正しいかどうかは別にして、「なるほど、面白いな」と思って頂ければ紹介した甲斐があります。
 私はこの話を読んで、ようやく今の経済の何がおかしいのか理解できた気がしました。

 だいぶ前に読んだ時は「本質的に正しい気がするが、緩やかなインフレとの違いが分からない」と思った為、ずっと曖昧だったのですが、今回読み直してみて、インフレは緩やかなインフレだろうがなんだろうが不自然な仕組みであり、止めるべきだと理解しました。
 
 今、日本はデフレの時代です。
 だからといってインフレにしたところでダメなのはみなさんお分かりだと思いますが、じゃあどうすればいいんだという答えの一つが、ここにある気がします。

 経済学なんてこれっぽっちも知らない私ですが、ゲゼル理論に惹かれるものがあったので自分なりにいろいろ調べて書いてみました。間違っている箇所などありましたらご指摘頂ければ幸いです。

【参考文献】
 新たな経済/中立貨幣
 http://www3.plala.or.jp/mig/neutral/index.html

 減価する貨幣(PukiWiki)
 http://www.olccjp.net/wiki/index.php?%B8%BA%B2%C1%A4%B9%A4%EB%B2%DF%CA%BE

 シルビオ・ゲゼル 代表作「自然的経済秩序」和訳
 http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo-jp.html


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マルクスは国家に資本主義をまかせようとしたのです ゲゼルの答え

「後世の経済学者は、マルクスよりもゲゼルからより多くを学ぶであろう」ケインズ

*****

マルクスは、資本主義の問題点を、多くの個人企業家のかわりに、唯一の企業家・つまり国家を建てる事で解決できると考えました。マルクスの最大の誤りは、資本主義を変えようとしなかった事です。マルクスは国家に、資本主義をまかせようとしたのです。つまり、私たちは過去50年から70年の間、対立する双子を持っていたのです。つまり民間資本主義と国家資本主義であり、どちらも資本主義のシステムで、それ以外ではなかったのです。マルクスの大きな功績は、経済批判を可能にする概念自体を作り出した事にあります

この風景は、金融機能の暴走を国家がコントロールしようという現在の流れにつながります。
しかしそれは多分、国家という制約もあり、そもそも資本主義の制約もあり、
難しいと考えられています。

*****
エンデ「私が作家として、この点で出来る事は、子孫達が、同じ過ちを犯す事がないよう考えたり、新たな観念を生み出す事です。そうすれば、この社会は、否応なく変わるでしょう。世界は必ずしも滅亡するわけではありません 人々は、お金は変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は変えられます。人間が作ったのですから」

*****
エコロジー建築家マルグリット・ケネディさん

「エンデの金利ともインフレとも無縁な貨幣」の著者である。建築家でもある
環境を損ねない建築が、コストの壁にいつもぶつかる経験を重ねて来ました

全てがお金によって支配されている実感を持ち、お金のシステムの問題を考えるようになりました。利子は未来へ問題を先送りしています。このまま利子が膨れあがって行くとしたら計算上、遅かれ早かれ、大体二世代後に経済的な破滅か地球環境の崩壊かのいずれかへ突き当たります。それが根本問題です

信じる信じないの問題では無く、誰でもコンピューターがあれば計算出来る事です。このシステムから利益を得ているのは、ほんの一握りです。今のアメリカでは、人口の1%が、その外の99%よりも多くを所有しています。つまり一方でどんどん貧しくなる国があり、自然環境も奪われ続けています

(ここの事実関係はよく分からない)

その一方で少数の者達が、法外な利益を吸い上げて行く、それが今の経済システムです

今時代を超えてさまざまに生み出された解決策としての、例えば旧社会主義体制であるとか、あるいは資本主義社会における市場競争原理至上主義のどちらもが、時代的な行き詰まり、閉塞状況に来ており、社会全体が停滞の中に巻き込まれ、閉じ込められてしまっている。こう言う時代から、活路を開く、何とか新しい道を選択する必要がある。その場合にこれまで見た来た実験を見つめ直す広い視点・取組の姿勢が、今私たちに求められている

(確かにそうだと思う)

労働の対価に関し、100の労働に対し、100の対価をきちんと得る事が出来る、つまり報酬と言うものと、捧げた労働・費やされた労働が等価であると言う事になり、貨幣として最も重要な機能を取り戻したと言い得る

(ゲゼル方式がそうなのかについては疑問がある。問いは正しいが答えは正解ではないと思う。価値を何で計るかが問題で、時間や能力で測ることもできないし、結局貨幣を使って、受け取る側と支払う側で合意ができた価格、つまり市場価格で取引される。これが正しい答えでないことは分かるのだが、それ以外に合理的らしく見える取引があるかどうか。)

*****
交換リングは、お金は発行していません。お金の換わりに会員同士が、通帳を持ち、物や仕事を交換する度に、その値段を決めて料金を記入するシステムになっています。この日は、作業代として15デーマークを支払うことで商談が成立しました。クリスティーネさんは、通帳の支払いの欄に15と書き込み、これまでのトータルから差し引きます。木工所の通帳には、プラス15と書き込みます。最後に互いに確認のサインをします。デーマークには、利子は付きません。コミュニィティの中の物や労働の交換は、全体としては、常にプラスマイナスがゼロになる仕組みです

*****
今日のシステムの犠牲者は、第三世界の人々と、自然にほかなりません。このシステムが、自ら機能するために、今後もそれらの人々と自然は、容赦なく搾取され続けるでしょう。このシステムは消費し、成長し続けなければ、機能しないのですから。成長は無からくるのではなく、どこかが、その犠牲になっているからです。



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澄んだ青空

ここ何日も澄んだ青空が続いていて
大変気持ちがよい

あなたのことばかり思い出す

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操作感覚の優位について

人間は生まれ落ちて
自然の中に生きて社会の中に生きる

自然法則と社会の掟を受け入れつつ生きていく
その場合は個人が操作できる部分は小さい
ひたすら受け入れる立場であり
自然と規制社会に合わせることが人生の初期での課題となる

だんだん社会が高度になってゆくと生の自然からは切り離される
嵐が来ても家があるし野生の熊に襲われることもなく感染症にもある程度対処できる

社会の掟も最初は家庭の掟だからある程度は融通が利く
少子化社会では母親を操作するようになる
ついでゲームやテレビ、ビデオ、コンピュータと続いて、
「操作する人間」として成長する。

操作感覚優位の人間になる。
これは昔の農家などは人すら天気と作物の成長に合わせて受動的に生きるのと対照的である。
ボタンを押して、能動的に、操作的に生きられるのである。

操作人間は対人関係でも操作的になる。
自分の役立つように動かそうとする。
自分の思い通りに動かそうとする。
そのためには権力関係も金銭関係も男女関係も利用する。

そのようにして他人を操作する意志がある場合には、
他人は正確に言えば自分と対等の人間ではない。
人間の形をした、被操作機械である。
だから黙って操作されていればいいのだと言い放つ人まで出る始末だ。
他人を使用人としか思っていない。

そのようにして自己愛型人間が成立する。
こうして書くとそばに寄るのもいやな感じであるが、
みんな利用価値があると感じてそばによってゆく。
そして利用したりされたりして、
近寄っていったその人も自己愛型の人格であったことに気付く。

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春の夜のこころにすこしかかるもの

春の夜の
こころにすこしかかるもの

ひとすぢ残る黒髪か
忘すらるる身のいとしさか

長き黒髪かき抱き
果てて眠れば夜も切れて

夢にうつつにまさぐるは
ほのかに甘き壷の香り

味わえば薄き水蜜いとも麗し 
おびただしくおもてを伝ふ

春の夜のいとも懐かしき
景色なり

いともけだるし黄金週間



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救急搬送先が見つからない問題

救急搬送先が見つからない問題については
軽々しく決論も出せない問題なのだがひとつにはこのような事情もあると書くとすれば
次のようになる

いま各自治体病院が猛烈な赤字で
一方で民間病院の淘汰・統合が進んでいる
一部の医療法人は着々と巨大化していて、
ちょうど町にある個人自動車工場から50年くらいかけて
国家的企業になるように、成長しつつある。
多分しばらくすれば巨大医療法人同士の吸収とか合併とかが見られて、
いろいろなドラマがマスコミに流されるだろう

巨大化している病院グループにはいったいどんなノウハウがあるのかと思うと
いろいろと考えさせられる
人事管理から仕入れとか施設管理とか専門家が関与する

救急について言えば、
麻酔科医とか看護職とかのスタッフの問題も大きいのだが、
ベッドも含めて、
腕のいい経営者はどう行動するかを考えて欲しい

腕のいい経営者はベッドをいつも満床にして職員は過不足なくフル稼働させるはずである
余分な在庫を持たないトヨタ方式に似たものである
医療資源をMaxに生かすとすれば
発生するかしないか分からないような救急患者を待つために
ベッドと人員を確保しておくのは経営として腕がいいとは言えない
この部分では明らかに公益と企業利益が相反する

医療を批判するのと同じ調子で自動車産業を取り上げて欲しい
この対比は比較的分かりやすいと思う
人を絶対殺さない車を作れと企業に要求すべきだ
人の命と企業の利益とどちらが大事なんだとニュースショーで叫んで欲しい
自動車人の志の問題だと言い切って欲しい
自動車産業経営陣は儲けすぎていると言い放って欲しい
アクセルを踏めば100キロでも200キロでも出る、
鋼鉄の車体が人を殺しているとはっきり言って欲しい。
徹底的に、絶対に、あらゆる方策を尽くして、必ず、すべての局面から、検討し尽くせと叫んで欲しい。
いつもの調子で。

民間の経営者は赤字部門は遠慮することになり
公立の施設で診てもらえないかということになる
そこでは慢性の赤字

公務員にやる気を出してもらうのが難しいのは
どこの国のどの分野の公務員も同じ

いったん落ち着いたら様子を見て
民間は後方病院として受け入れてもいいということになる

平たく言えば
採算部門ではないから撤退する

採算がとれるようにすればいいだけなのだけれど
予算が取れない

*****
考えて欲しいのだが
たとえば道路予算から医療福祉予算に振り替えたとする
すると労働力が振り替えられて
さまざまな利権もくっついて回る
建築土建関係に関する利権はみんな知っているようないろいろな世界が関与している
予算と一緒にそんな勢力もくっついてくるので
なかなか大変なことになると思う

道路を造るときとか家を建てるときの感覚が医療の世界にも入り込んできたとき
どうなるだろうか

大工さんとお医者さんは似ていないと言えないこともない

土建屋の社長さんが選挙に立候補して議員になることはよくある
土建屋は集票マシンとしてよく機能する
議員は公共事業を決定する
医療法人の代表が立候補して議員になることもたまにある
医療業界も集票マシンとしてよく機能する
議員は医療福祉について予算を決定する
似たところがあるから
将来は似たものになってゆくかもしれない
なんだか灰色の未来だけれど

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新聞で見かけるウツの記事

新聞できれいな感じで
子どものうつ病とか新型ウツや非定型ウツなどが
次々にもっともらしく説明されていて
取り上げられた筋はどの筋で
取り上げられなかった筋はどの筋か
見えてくるので
それはそれでなかなか興味深い
新聞には偏りも多いことをもちろんご存じのはず

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言葉を持った瞬間に成立すること

人間が言葉を持った瞬間に知ったことは
嘘がつけることだろう

言葉が現実とは反対のことも表現できることを利用して
脳はシミュレーション機能を発達させた
その人は実に大きな進歩であったが
同時に嘘を生成してしまい
嘘の中で生きる幻想的自己愛傾向を発生させてしまった

言葉を持ったとき
嘘が生まれ自己愛が生まれた

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規制緩和はノー、医者を増やす

医者を増やせば医療費が増える

家族がおばあちゃんのお世話をしていれば医療費にはカウントされないが
医者でお世話してもらえば医療費になる

それもこれも合計しての医療費である

おばあちゃんが認知症になれば多分月20万円くらいの支払いになり、
奥さんが仕事を続けるなら全部の給料が病院に支払われ
家で介護すれば給料が消える
どちらかを選択しなければならない
見かけの医療費はずいぶん違ってくる

医者を増やせばどうなるかの手本は歯科医である
心療歯科もあるし
咬合専門家もいて
いろいろな病気の原因はかみ合わせであるとして治療をしている

専門家が増えればそれだけ専門の病気が増える
そのことに関しての学会ができて
治療指針が議論されて
専門の新薬が発売されて
新聞や雑誌では特集を組み
いつものビジネスモデルがフル回転する
偏頭痛も過活動膀胱もそんな例
昔からあったものだけれど

医師が増えて医療水準が向上して自然に誰も病気にかからないようになればいいのであるが
当分はそうはならない

病気を超えて生活の質の維持と向上のために医療が使われるので
まだまだ医療費は増えるだろう

アメリカ側の意向は規制緩和だったと思うのだが
マスコミでさんざん宣伝した結果は医師増員で
10年後に新人医師が増えることになった

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2007年11月27日、混合診療に関して

11月27日、混合診療に関して (2007年)
http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2007-12-03-11

という項目を読み、厚労省は自分たちの利権を守ると言うことでもあるのだが、
きちんと反論してくれていたのだと改めて思った。

厚労省も医師会も混合診療は禁止との方針で譲らないので
その後はマスコミを通じての情報操作の時期に入り、
今日に至る。

国民皆保険では受診抑制ができないのでパンクする
だからお金で抑制するようにコントロールしたいというわけだ

受診抑制という言い方が悪ければ適切な受診態度ということ

かかりたいだけ医者にかかれるなら病院はパンクするだろうと言われればそうだけれど

しかし考えてみて命を守る以上に大事なことがほかにどれほどあるのだろうか
お年をとって医者に通うことがそんなに悪いことだろうか

もともと自分のものであるお金を自分の命のために使って悪いだろうか?



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遅漏につきあうってこんな感じ

NHKで11時10分からファン・ジニの放送を観ていたら
途中で画面が切り替わり、
緊急放送だという
元厚生省事務次官殺害関係で自首した人がいたという話
住民票とナイフとスニーカーなどをビニル袋に入れて
川越ナンバーの軽のレンタカーで桜田門警視庁に自首など
延々と同じ原稿を読んでいる
アナウンサー、記者、警視庁、浦和警察、野方警察、少なくとも5回同じ話を繰り返し、
続いてそれをもう一回り循環させている

まったく遅漏な感じ
つきあう女性の大変さが身にしみて分かった

私としてはコンパクトでブリーフなエコでグリーンな態度で臨みたいと思う

NHKは情報が一方的に統制されてどう考えてもあり得ない話ばかり流されて
抗議をしたいがためにこのようなおかしな放送を続けているのではないかと思われる
字幕にして三行くらいで終わると思うが。
台風情報みたいにして画面で流せば充分だっただろう。

民放局はニュースの枠になってから短く伝えただけのようだ。それでいいと思う。
NHKがそうしなかったのはやはり理由があるのだろうと推定する。

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各個人が契約すべきだ

警察や軍隊というものも結局セキュリティ会社なのだから
各人がセコムなり綜合警備保障なりと契約すればいいわけだ
柔道の石井や井上ならばセキュリティはいらないだろう。

医療保険、年金、雇用保険も同じ。
税金だって、どのサービスをいくらで買うかの話なので、
究極的には個人単位でどのサービスをいくらで買うかを契約すればいい
たとえばゴミの収集と処理について、
各会社の内容を確認して個人ごとに契約すべきなのだ。

それを誰かが代理で集団で委任するようなことをするから
汚職が発生する。
まだ懲りないのかと不思議。

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より一層の自由と自己責任

アメリカは金融規制強化できないと言い張る奴もいて
話を聞くとなるほどと思う

日本ではみずほのお金で財務省がノーパンしゃぶしゃぶで飲み食いしていたわけだけれど、
アメリカでは金融界の大物がそのまま政府高官になってしまうのだから
どうしようもない。

規制する人とされる人がほぼ一緒なのだから
どうなるかは目に見えている
目障りだといわれたので
目立たないようにやるだけだ

そうでないとしても
ストライクゾーンが決められれば
ぎりぎりのところに投げ込むわけで、
それがストライクかボールかアメリカの場合は訴訟になり
すったもんだするに決まっている

最初からすばらしい法律なんてできるわけがないし
法律の解釈をくぐり抜けるうまい手をこれまで編み出してきたのだから
これからもそうだろう

大麻はいけませんと言っても、
種を鑑賞するのだと言えば許されるとかの記事があったけれど
似たようなものだろう

さらにそれをクリアできて
すばらしい法律と行政と司法がそろったとして、
そんなところに会社が住みやすいはずはない
どこか居心地のいいところに移動するに決まっている

それは許さないと躍起になったところで、
朝鮮半島のことさえこんなことになっているのであり、
多分国家主権の範囲を超えることはできないだろう

だからだめなんだとその人は言っているのだが
だめかもしれないが一歩進めなければならない
というと

だからもっと徹底的に規制をゼロにして
各自が防衛するしかないという
おかしな金融商品を危険を承知で買った人が悪いという
分からないなら買わなければいいし
分かったつもりでだまされたのならその人が悪いので
どだいそんな個人の取引に国家が関与するものでもない
違法があったら訴訟で片付ければいいので
権力が事前に規制する発想は社会主義であって
それはいつまで経ってもうまくいかない仕組みだと分かっているわけだから
世界一のマーケットでありたいと思えば世界一自由である必要がある

どこにも自由にさせなり権力が発生して
たとえば世界政府のように統治を開始すれば別だけれど
そんなものは遠い夢だろう

それは分かった、
でも何とかならないのかというと
より一層の自由と自己責任
どう考えても原理的にこれしかないだろうという

いまは公的資金が欲しいから
規制強化に賛成みたいな顔をしているだけ
との見立てである

この理屈を論破できないのは
やはり時代の思想に汚染されているのだろう

Political Position
個人的にはこんな感じでアナルコ・キャピタリズムを理解しているつもり



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