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United Auto workers

Bail Out the Big Three Auto Producers? Not a Good Idea-Becker


The big three American auto producers General Motors, Ford, and Chrysler, are in terrible financial shape. They have asked the government for a bailout, and the Democratic leadership in Congress is eager to give them one. The United Auto Workers union was a strong supporter of President-elect Obama and of Democratic candidates.

These companies have lost tens of billions of dollars during the past few years, and they will shortly run out of cash. GM's shares have lost almost all their value, and Ford has not done much better. Cerberus Capital, a private equity company, owns Chrysler, and it has lost most of what it invested in the company. For this reason Cerberus is trying get out of the automobile manufacturing business. All three companies were heavily into producing trucks and SUV's when the sharp run up in gas prices induced consumers to shift away from these gas-guzzlers and toward smaller and more fuel-efficient cars. Moreover, what money GM had been making came mainly not from car production but from its automobile credit business, (GMAC). This company would borrow from banks to lend to consumers who needed help in financing their GM car purchases. The financial crisis has dried up the money available to auto financing companies, and hence eliminated the major source of their profits.

If GM is not bailed out, the company claims it will be forced into bankruptcy within a few months, and Ford's situation is only slightly better. GM is blitzing Congress, President Bush, and President -elect Obama with pleas for a bailout, followed by a warning that bankruptcy will also hurt auto suppliers throughout the nation that depend on GM's business. GM is also claiming that bankruptcy will put major financial pressure on the Pension Benefit Guaranty Corp, the federal agency that insures benefits to retirees in the auto industry as well as to million of other workers.

Nevertheless, I believe bankruptcy is better than a bailout for American consumers and taxpayers. The main problem with American auto companies is that during the good times of the 1970s, 1980s and 1990s, they made overly generous settlements with the United Auto workers (UAW) on wages, pensions, and health benefits. Only a couple of years ago, GM was paying $5 billion per year in health benefits to retirees and current employees because their plans had wide health coverage with minimal co-payments and deductibility on health claims by present and retired employees. In those days, the UAW was one of the most powerful unions in the US, and it bargained aggressively with the auto manufacturers, carrying out strikes when its demands were not met. When the American auto industry began to face tough competition from Japanese and German carmakers, they were saddled with excessive pay to their workers, and vastly excessive pensions and health benefits to their current and retired workers.

It is not that cars cannot be produced profitably with American workers: the American plants of Toyota and other Japanese companies, and of German auto manufacturers, have been profitable for many years. The foreign companies have achieved this mainly by setting up their factories in Southern and border states where they could avoid the UAW, and thereby introduce efficient methods of production. Their workers have been paid well but not excessively, and these companies have kept their pension and health obligations under control while still maintaining good morale among their employees. In recent years GM and the other American manufacturers have chipped away at their generous fringe benefits, but their health and retirement benefits still considerably exceed those received by American auto workers employed by foreign companies. As a result of lower costs, better management, and less hindrance from work rules imposed by the UAW, about 1/3 of all cars produced in the US now come from foreign owned plants.

Bankruptcy would help GM and Ford become more competitive by abrogating significant parts of their labor contracts with the UAW. One of the greatest needs would be sizable reduction in their health costs through sharp increases in the deductibility and co-payments, and a reduced coverage of medical procedures. Bankruptcy should also help bring the wage rates of GM and Ford in line with those of foreign producers in the US. Some of their pension liabilities may be shifted onto the Pension Benefit Guarantee Corp, but even that would be preferable to an overall bailout.

A good analogy is what happened to United Airlines. By entering bankruptcy it was able to reduce its inflated cost structure by breaking contracts it had with the pilots union and other employee unions. It exited bankruptcy a slimmer and more efficient airline. Whether it is able to compete effectively in the long run is still not certain, but it is in much better shape to compete than before it entered bankruptcy.

Bankruptcy may also force out the current management of GM and Ford. I do not know for certain whether they have competent management- GM surely did not have top management for much of its recent history. I do believe, however, that when a coach of a team loses a few games, he might legitimately explain that by injuries, bad luck, or even bad officiating. These excuses become lame when he consistently loses many games, and the correct and common practice is then to fire the coach. The same considerations apply to top management. When a company consistently does badly while some of its competitors (like Toyota) are doing well, its time to fire the management team, and see if another team can do better.

Is GM "too big" to fail? I do not believe the company is too big to go into a reorganization-which is what bankruptcy would involve. Such reorganization would abrogate its untenable labor contracts, and give it a chance to survive in long run. A bailout, by contrast, would simply postpone the needed reforms in these labor contracts, the business model of GM, and its management.

GMなどBig3をbailoutすることで、論争があるが、ここでベッカーが説明しているように、bailoutをせず一旦bankrupt(破産)をさせ、再建をさせるしか方法はない。
#普通の人は、破産すると会社が消滅すると思っているかもしれないが、再建という手段があるのだ。

もともとBig3が急速に競争力を失ったのは、UAW(United Auto workers )の圧力が強すぎて、とてつもない福利厚生を元従業員にまで行っているからである。
これではコスト競争力で全くお話にならない状態だ。
一方、日本のトヨタやホンダはUAWの影響力を逃れるために、南部などUAWの影響の小さい地域に工場を建設している。

ここでビッグ3が破産→再建の道を選べば、このUAWのパワーを減殺することが可能になる。このUAWの力が法的に保護されている限り、いかなる救済案をとっても、競争力が回復することはあり得ない。
破綻は、それを一旦破棄させるための絶好のチャンスとなるのだ。



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「ロウソク職人の請願」

http://www.panarchy.org/bastiat/petition.eng.1845.htmlより訳出
請願書
 ロウソク、小ロウソク、ランタン、燭台、街灯、ロウソク消し、消火器に関わる製造業
者、並びに、獣脂、植物油、樹脂、アルコール、そして照明に関連する一般的にすべての
生産者より。
 立法議会の名誉ある代議士各位へ。
 方々
 皆様は正しい方向に向かっておられます。それは抽象的な理論を拒否し、余剰や低価格
ということについて関心を持っておられないこと、そして主に生産者の命運について御心
配になっているということです。生産者を外国からの競争から解放しようとなさっている
こと、つまり、国内市場を国内産業にとっておくということです。
 私たちは、皆様に対して、皆様の――何とお呼びすれば良いのでしょうか?皆様の理論?
いいえ、理論ほど詐欺的なものはありません。皆様の原則?皆様の体系?皆様の原理?し
かし皆様は原則などお嫌いですし、体系性には恐怖をお持ちです。そして原理につきまし
ては、政治経済にはそんなものの存在を否定されています。ですから皆様の実践とお呼び
しましょう――理論と原理のない実践を適用していただく素晴らしい機会をお持ちいたし
ました。
 私たちは、外国の競合者からの破滅的な競争に苦しんでおります。競合者は明らかに我々
の光の生産よりもはるかに優れた状況で働いており、信じられない低価格で国内市場に洪
水のようにやってくるほどです。現在のところ、その様子は、私たちの売り上げはなくな
り、すべての消費者は競合者に流れ、数え切れないほどの影響を持つフランス産業の一部
門が、完全に停滞してしまうほどに減産しているのです。この競合者は、まさに太陽その
ものなのですが、私たちに対してまったく無慈悲な戦いを挑んできており、その有様は、
不誠実な白国1によってそそのかされている(今日においては、すばらしい外交政策で
す!)と私たちは憶測しているほどです。特にこのことは、太陽があの傲慢な島に対して
は、私たちには示すことのない敬意を払っていることに明らかです。
 私たちは、すべての窓、屋根窓、天窓、内外にある雨戸、カーテン、覆い、円形ガラス、
ガラス窓、ブラインド、つまり、太陽光が屋内へと入りがちである、すべての開口部、穴
部、隙間や割れ目、を閉めることを要求する立法を、皆様に通していただく道徳的公正さ
を求めております。それらが、我が国に与えられたと私たちが誇りを持って言える公正な
産業の損失につながるのであり、我が国は、これまでの恩を裏切ることなしには、私たち
業者をこれほど不公正な今日の競争状態に捨て置くことはできないのであります。
 名誉ある代議士各位、私たちの要求を真剣に取り上げていただく公正さをお持ちいただ
き、そして少なくとも、私たちがこの議論を補強するために提出する理由をお聞きになら
ないままに拒否されることがありませぬようお願いいたします。
1訳(kura)注:イギリスの雅称、その白い白亜紀地層からなる沿岸部に由来する。執筆の1845年当時、
フランスとイギリスの関係はひじょうに険悪であった。太陽はイギリスでは霧で隠れることが多いが、
フランスでは燦々と降り注ぐことを、ここでは「太陽のイギリスへの敬意」と表現している。
 最初に、もし太陽光が入ってくることを出来るだけ遮断して、人工の需要を作り出すな
ら、一体フランスのどの産業が、最終的な拡大の利益を受けないというのでしょうか?
 もしフランスがより多くの獣脂を消費するなら、牛や羊はもっと多くなり、その結果、
開けた草地、肉、羊毛、皮革、そしてすべての農業的な富の基盤となる糞尿の増加につな
がるでしょう。
 もしフランスがより多くの植物油を消費するなら、ケシ、オリーブ、アブラナの栽培の
拡大につながります。これらの豊饒な、しかし土壌の養分を消耗してしまう植物は、牛の
放牧によってより肥沃になった土地を有益に利用することを、まさに適切な時に可能にす
るのです。
 フランスの原野は樹脂性の樹木で覆われるでしょう。無数のハチの群れが山々から、現
在は無駄になっている芳しい財宝を、ちょうど花から出るもののように、集めてくるでしょ
う。よって、大きく飛躍することのない農業分野は一つとしてないのです。
 同じことが運送についても当てはまります。何千もの船が捕鯨にいそしむことになり、
間もなくのうちに、フランスの名誉の維持ならびに、請願書の署名者とロウソク業者、そ
の他の者の愛国的な熱望を可能にするだけの海運力を獲得するでしょう。
 しかし、パリの製造業者の特産品については何が言えるのでしょうか?これから皆様は、
金装飾、青銅、そして水晶細工が、燭台やランプ、シャンデリア、装飾枝付きの燭台など
にほどこされ、広大な商業広場にきらめくのを見ることでしょう。それらに比べれば、現
在あるものなど、まがい物という程度でしかありません。
 砂丘をのぼる困窮した樹脂の採集者、暗い穴の奥に行く貧乏な鉱夫といった、結局は、
高い賃金を得られず、より大きな繁栄を享受することのできないような人もいなくなりま
す。
 方々、ほんの少しばかり考えただけで、アンザン株式会社の裕福な株主から最も小さな
マッチ売りに至るまで、私たちの請願がかなうことによって状況が改善されないものなど
フランス人にはおそらくいないことを確信されるでしょう。
 方々、私たちは反論があるだろうことを知っています。しかし、それらのすべては自由
貿易の信奉者によるカビ臭い古本に書かれていることです。私たちは、私たちに反対する
意見が、皆様と皆様のすべての政策を導く原理に即座に反するものではない、という考え
に挑戦いたします。
 皆様は、この保護政策によって私たちは得をするものの、消費者がその負担を課される
ということから、フランスは得るところがないとおっしゃるのでしょうか?
 私たちの答えは、以下のように、すでに用意されています。
 皆様は、もはや消費者の利益を引き合いに出す権利など持っていないのです。皆様は、
消費者の利益が生産者の利益と反する場合には、常に消費者を犠牲にしてきました。それ
は産業を振興し、雇用を増大させるためでした。同じ理由から、皆様は今回もまたそうし
なければならないのです。
 実際、皆様自身がこのような反対を予想されていたでしょう。鉄、石炭、ゴマ、小麦、
織物の市場への自由な参入が消費者の利益になるといわれた時、皆様は「そうだ、だが生
産者はその締め出しから利益を得る」と答えられました。すばらしい!当然に、もし消費
者が太陽光が入ることから利益を得るのであれば、生産者はその遮断から利益を得るので
す。
 皆様はなおもおっしゃるかもしれません。「しかし、生産者と消費者は同じ一人の人間
なのだ。もし製造業者が保護によって利益を得るのであれば、彼らは農民をも繁栄させる
だろう。その反対に、もし農業が発展していれば、それは製造された商品の市場をつくる
だろう。」すばらしい!もし皆様が私たちに日中の光生産の独占権を与えていただけるな
ら、まず最初に私たちは、我々の産業に供給するために大量の獣脂、松脂、植物油、樹脂、
蜜ろう、アルコール、銀、鉄、銅、そして水晶を購入いたします。そしてさらには、私た
ちとその無数の商品供給者が豊かになり、大量に消費して、国内産業のすべての領域に繁
栄をもたらすのです。
 皆様は、太陽光は自然からの無料の贈り物であり、それを利用する手段を促進するため
の言い訳として、それを拒否することは富を拒否することだとおっしゃるのでしょうか?
 しかし、もし皆様がこのようにお考えであるのなら、皆様自身の政策に致命的な一撃を
与えることになってしまいます。御記憶ですか、これまで皆様は、外国の商品を、それら
が無料の贈り物である程度に応じて、あるいはそうであるために、排除してきました。皆
様が他の独占業者からの要請に応じるための理由づけは、皆様の確立した政策に完全に適
合している私たちの要請を許容するための半分でしかないのです。そして私たちの要求を、
まさに他の者たちの要求よりもより理由付けられているという理由から拒否することは、
+ x + = - という等式を受け入れることと同値なのです。つまり不条理に不条理を重ねる
ということです。
 労働と自然は、国や気候に応じて異なった割合で、商品生産において協働します。自然
が貢献する部分は常に無料です。そして人間の労働による貢献部分が価値を持つのであり、
対価が支払われるべきなのです。
 もしリスボンからのオレンジがパリからのオレンジの半額で売られるのだとしたら、そ
れは太陽からの自然の熱、それはもちろん無料です、が、パリにおいては人工の熱によっ
てなされることをリスボンでしてくれているからなのです。そして、人工の熱は市場にお
ける代償を支払わざるを得ません。
 よって、ポルトガルからオレンジがやってくる場合、それは半分無料で提供されている
といえるのです。あるいはまた別の言い方をすれば、パリのオレンジに比べると、半額で
提供されているともいえるでしょう。
 さて、まさしくそれらの準無料(この言葉をお許しください)ということに基づいて、
皆様はそれらの禁輸を維持してこられました。皆様はおっしゃいます。「フランスではす
べての仕事をしなければならないのに、外国ではその半分しかする必要がなく、残りは太
陽がやってくれるのに、どうやってフランスの労働者は外国の労働者との競争に耐えられ
るというのだろうか?」しかし、もし生産物が半分無料であるという事実によって、皆様
が競争から排除するというのであれば、完全に無料であるという事実によって、どうして
皆様が競争に参入することをお許しになることができましょうか?つじつまが合わないこ
とをお認めになるか、あるいは、半分無料のものを我が国の国内産業に有害であるとして
排除した以上、完全に無料であるものもまったく同じ理由で、2倍の情熱を持って排除し
なければなりません。
 別の例を挙げてみましょう。石炭、鉄、小麦、織物といった産物が外国から来る場合、
あるいはそれらを私たちが自分で生産するよりも少ない労働量によって獲得する場合、そ
の差は私たちに与えられた無料の贈り物です。この贈り物の大きさは、その差に比例しま
す。それは、外国人が国内価格の4分の4、半分、4分の1を要求する場合、その生産物
の価値の4分の1、半分、4分の3なのです。このことは、ちょうど太陽が光を与えてく
れる場合のように、送り手が何らの対価も求めない場合に、まったく完全に当てはまりま
す。私たちがここで正式に提示する疑問とは、皆様がフランスに望むものが無料の消費か
らの便益であるのか、それとも面倒くさい生産というものにおける想像上の利益なのかと
いうことなのです。論理的になることなく、どちらかをお選びください。なぜなら、皆様
がなさっているように、外国の石炭、鉄、小麦や織物を、その価格がゼロに近づくに比例
して禁止する限り、一日中ただである太陽光をお許しになるというのは、なんとつじつま
が合わないことでしょうか?

共通テーマ:日記・雑感

Bastiatの「見えるものと見えないもの」

www.mind-trek.com/treatise/fb-twins.htm から訳出
見えるものと見えないもの
フレデリック・ バスティア 1850
 経済の領域では、行為や習慣、制度や法律は単一の結果を生み出すだけでなく、結果の
連続を生み出す。これらの結果のうち、最初のもののみが直截的なものであり、それは原
因と同時に明らかとなる―――それは見えるのだ。その他のものは連続のうちに隠れてい
る―――それらは見えない。もしそれらが我々にとって予見できるのであれば結構である。
良い経済学者と悪い経済学者の間においては、このことがまったくの違いとなる―――片
や見える結果について考慮し、片や見える結果についてだけでなく、予見する必要のある
結果についても考慮するのである。さて、この違いは巨大なものである。なぜなら、ほと
んど常に、直後の結果は好ましいものである場合、その究極的な結果は致命的であり、そ
の反対もまた真なるからである。よって、悪い経済学者は、その後に大いなる悪を呼ぶ小
さな現在の善を追求するということになるからである。その反面、本当の経済学者は来る
べき大いなる善を、現在の小さな悪と引き換えに追求するのだ。
 事実、これは健康の科学、芸術、そして道徳についても同じである。最初の習慣の結果
が甘いほど、その結果は苦いものであるということが頻繁にある。例えば、放蕩、怠惰、
浪費をとりあげてみよう。その見える効果に酔いしれている人が、未だに見えないものに
ついて認識する必要がある時、その人の性質によってだけでなく、計算によってさえも致
命的な習慣に屈してしまう。
 このことは人類の致命的に嘆かわしい状況を説明する。無知はそのゆりかごを包囲して
おり、その行動は最初の効果、最初の段階で見えるようなものだけによって決定される。
その他の効果を考慮することを学ぶのは、長期においてのみなのである。人はこの教訓を
二つのひじょうに異なった主人から学ばねばならない。それは経験と先見である。経験は
効果的に教えてくれるが、そのやり方は荒っぽい。我々は、無理やりに感じさせることに
よって、ある行動のすべての結果を知ることになる。もし火に入れば、火がこがすもので
あることを知らないことはできないのだ。この荒っぽい教師を、もしできることなら、私
はもっと心やさしいもので代用したい。つまり、先見だ。この目的をもって、これからあ
る種の経済現象の結果を、見える結果と見えない結果を対置することで検討してみよう。
1、壊れた窓
 気のいい店主であるジャック・ボノムが、彼の息子が不注意にもガラス窓を割ってしまっ
た時に怒ったのを見たことがあるだろうか?そういう場合に居合せたなら、そこにいるす
べての目撃者が、それが30人にも上ろうが、明らかに常識として、この不幸な店主に決
まり切った慰めを口にするのを、確実に見ることになるだろう。それは「みんなにとって
悪をもたらす風が、本当に悪い風というものなのだ。誰しもが生きる必要があるが、もし
ガラスが決して割れなかったら、ガラス屋はどうなるのだ?」というものだ。
 さて、このような形の慰めは、この単純な場面に十分に表れているような、全体的な理
論を含んでいる。不幸にもそれは、我々の経済制度の大部分を支配しているものと完全に
同じであるようなものである。
 ガラスを直すのに6フランが必要だとして、その事故はガラス業者に6フランの取引を
もたらしたと言う――6フランの取引を促進したのだと――。私はそれは認めよう。私は
それに反する言葉を持ってはいない。その理由づけは正しいのだ。ガラス屋が来て、その
仕事をして、6フランを受け取り、手を拭いて、不注意だった息子に内心では感謝する。
これらのすべては見えるものだ。
 しかしその反対に、よくあることだが、もしあなたが窓ガラスを割るのは、お金が回る
という点でいいことであって、その結果が一般的に言って産業の振興になると結論するの
であれば、私はそれに対して叫ばねばならない、「ちょっと待て!あなたの理論は見える
ものに限定されている。それは全く見えないものを考慮していない。」
 店主ジャック・ボノムがあることに6フランを使い、その他のことには使えないという
ことは見えないことだ。彼が窓を取り換えなくても済んだのなら、たぶん彼は古びた靴を
買い替えたか、あるいは蔵書棚にもう一冊を加えたことだろう。つまり、彼は6フランを、
事故によって実現しなかった、異なったものに利用できたのである。
 この状況によって影響を受けた、一般的な産業について吟味してみよう。窓が割れ、ガ
ラス屋の取り引きは6フラン促進される。これは見えるものだ。もし窓が割れなかったな
ら、靴屋の取り引き(または別のものの取り引き)が6フラン促進されただろう。これは
見えないものである。
 そしてもしプラスの効果を持つ見えるものと同じように、マイナスの効果を持つ見えな
いものを考慮に入れるなら、窓が壊れようが壊れまいが、一般的にどの産業も、また国民
労働の総合計も影響を受けないことが理解されるだろう。
 そしてジャック・ボモム本人について考えてみよう。もし窓が割れたという前者の場合、
彼は6フランを支出するが、窓から得られる恩恵は以前よりも多くも少なくもない。
 窓が割れなかったという第2の場合、彼は6フランを靴に支出して、窓と靴からの恩恵
を同時に享受することになっただろう。
 我々が「社会は、無意味に破壊されたものの価値を失う」という予期せぬ結論に至ると
き、我々は、保護主義者の髪を完全に逆立てるような格言に同意せねばならない。壊す、
ダメにする、ムダにする、というのは国民労働を促進することはない、あるいは、もっと
簡単には、「破壊は得にならない」。
 あなたはなんと言うのか、ミスター産業さん。パリを焼き払った場合に再築が必要とな
る家の数から、非常に正確にいくらの取り引き上の利益があるかを計算した、良きM・F・
シャマンの弟子たちよ、あなたたちはなんと言うのか。
 これらの天才的な計算を混乱させたことは申し訳ない。なにせその精神は我々の立法に
も及んでいるのだから。しかし、私は彼に、見えるものと同時に見えないものをも考慮に
入れて、もう一度計算することを乞う。読者は、2人の人がいるだけでなく、ここで提出
された小さな状況には3人が関係していることに注意なければならない。その一人、ジャ
キク・ボノムは消費者を代表しており、窓の破壊によって、一つの恩恵にしか与れなかっ
た。もう一人のガラス屋として登場したものは生産者であり、事故によってその取り引き
が促進された。3人目は靴屋(あるいは他の業者)であるが、その労働は同じ原因によっ
て同程度に害された。この3人目こそが、常に陰に隠れてしまうのであり、見えないもの
を体現しており、この問題に必要な要素なのだ。彼こそが、破壊行為に便益を見るという
我々の思考が、いかにバカげたものかを示しているのである。彼こそが、結局は部分的な
破壊でしかない規制というものを便益だとすることが、同じほどにいかにバカげているか
を教えてくれるのだ。よって、有利な証拠とあげられた議論の根本に遡るなら、見つかる
ものすべてが次の通俗的な物言いの言い換えでしかない――もし誰一人窓を壊さなかった
ら、ガラス屋はどうなってしまうのか?
2.軍隊の解散
 一つの民族に当てはまることは、一人の人間に当てはまることと同じである。ある民族
が満足を得ようというのなら、その費用に値るするかを考慮しなければならない。国にとっ
て、安全保障というのは最重要事項である。もし、それを確かにするために10万人の軍
隊が必要であるというのなら、私はそれに対して何の反対もしない。それは、それだけの
犠牲の上に成り立つ安楽なのである。私の主張の範囲については誤解しないでいただきた
い。ある議員が1億人の納税者の負担軽減のために、10万人の軍隊を換算しようと提案し
た。
 仮に私たちの答えが次のようなものにとどまるのなら、――10万人の軍隊と、数100億
の金は国家安全のために不可欠である。確かにそれは犠牲を伴うが、その犠牲なしにはフ
ランス国家はバラバラに引き裂かれてしまうか、他国の侵略を受けるだろう――私はこの
議論、それが事実正しいかもしれないし、正しくないかもしれないが、それが経済に悪い
影響を与えないことから、それには何ら反対しない。間違いが起こるのは、犠牲そのもの
が誰からを利するものであるから利点なのであると主張されるときだ。
 さて、先ほどの提案者が席に戻って途端、別の演説者が立ち上がって、次のように発言
しなかったとするなら、私は非常に勘違いしているのだろう。「10万の軍を解散するだっ
て!あなたは自分が何を言っているのか、分かっていのか?彼らはどうなるのか?どこに
行って生計を立てるのか?どこでも職などは滅多にないことを知っているのか?すべての
牧場は人手あまりなのだ?あなたは、彼らを放り出して競争を過当にし、賃金を引き下げ
ようとするのか?今現在、生きることそのものが難しい中で、10万人のために国家が生
活をさせてやら中ればならないというのは、なかなかに結構なことだろう。さらに、考え
て見たまえ、軍はワイン、衣服、武器、――それらは駐屯都市の産業活動を促進するだろ
う――を消費する。そして、つまりそれは神の使わした大量の食糧調達者なのだ。いった
いなぜ、この巨大な産業的運動を捨て去るという単なるアイデアに震えなければならない
というのか。」
 この論説は、明らかに、サービスの必要性と経済的な考慮から、10万人の軍隊の維持
に賛成することで結語する。私が論駁するのは、これらの経済的考慮のみである。
 1億ものお金を納税者のコストとする10万人の軍隊は、生活して1億フランで買えるだ
けのものを調達者に持たらす。これは見えるものだ。
 しかし、納税者の財布からとり上げられた1億フランは、その限度において納税者の元
での購入はできなくなる。これが見えないものだ。ここで、計算してもらいたい。合計し
て、人々にとってどんな利益があるというのだろうか?
 どこに損失があるのかを指摘しよう。議論を簡単にするために、10万人と1億フランに
ついて語る代わりに、1人の人間と1000フランにしよう。
 ここで、我々がA村にいたとしよう。リクルート隊員が巡回して、1人の男を連れて行っ
た。徴税官が同行し、1000フランを徴収した。男とお金はメス市に行き、お金は男を1年
食わせるだけに使われた。メス市についてだけ考えるなら、あなたの考えは正しい。その
方法は非常に有益である。しかしA村について考えるなら、異なった考えを持つだろう。
なぜなら、盲目でもない限り、村は1000フランの消費によって広がったはずの経済活動
を失っていると同時に、1人の労働者とその労働報酬である1000フランを失っていること
が見えるからである。
 一見して、これには補償があるように感じるかもしれない。村でおこったはずのことが、
メス市で起こっている、それだけだというのだ。しかし、損失は次のように計られなけれ
ばならない――村では男は穴を掘り、働く。メス市では、彼は右を見たり、左を見たりす
る。彼は兵士なのだ。金銭とその循環は2つのケースで同じである。しかし、一方では
300日間の生産労働が存在し、他方では、300日間の非生産的な労働がある。もちろんこ
れは、軍隊のある部分は公共の安全には不可欠ではないと考えてはいるのだが。
 ここで、軍の解散が起こったとしよう。あなたは10万人の余剰労働者が生じ、競争が
刺激されて、賃金が低下するという。これは見えるものだ。
 しかし、見えないものは次のものだ。あなたは、10万の軍を解雇するということは、
100万フランを捨てるということではなくて、納税者に返すのだという点を見ていない。
10万人の労働者を市場に投げ出すということは、同時に、それらの労働者の支払いに必
要な1億フランもまた市場に投げ出すということだ。結果的に、人手の供給を増加させる
ということそのものが、重要もまた増加させるのであり、賃金の低下のおそれが幻想だと
いうことを見ていない。軍隊の解散以前にも、以後にも、国内には1億フランと、それに
応じた10万人の男がいることを見ていない。すべての違いは次のような点にある。解散
前には、国は10万人の兵士に1億フランを何の対価もなしに配っていた。解散後は、彼
らに同額を労働の対価として与える。つまり、あなたが見ないのは、納税者がその金を兵
士に無償で与えるか、商品と交換に労働者に与えるかという場合に、この貨幣流通の究極
の結果のすべてが、この2つのケースで同じだということであり、ただ2番目のケースで
は納税者は何かを得るのに対し、1番目のケースでは何も受取らないということなのだ。
その結果は、国としての完全な損失なのだ。
 私がここで戦っている謬論は、理論の試金石となる、論理の拡大テストに耐え得ない。
もし、すべての補償がなされ、利害関係者が満足した場合に軍隊を増やすのが利益になる
のなら、なぜ国中の男を入隊させないのだろうか?
3.税
 もしかして、あなたは次のような発言を聞いたことがあるだろうか。「税は最高の投資
なのだ。それによってどれだけの家庭が生活しているのかを見て、そして税が産業に与え
る影響を考慮するだけで良い。それは尽きることのない流れであり、生命そのものなの
だ。」
 この教説に反対するには、私が前述した否定法に言い及ばなければならない。政治経済
は、この議論をあまり好ましいものだとは感じない程度には発達しているので、こういっ
たことが言われるとき、繰り返しによって好ましくなる。よって、口頭での繰り返しが教
えるため、この考えは独自性を獲得し、納得されるのである。
 役人が勧める利点というのは、見えるものだ。その提供者に生じる利益もまた、見える
ものである。これがすべの目を見えなくするのだ。
 しかし、納税者が取り除けない不利益は、見えないものだ。そして、税が持たらす納税
者への被害もまた、自明なものだとは言え、見えないものである。
 役人がその利益のために余計な数フランを使うとき、それは納税者がその利益のために
数フラン少なく使うということを意味する。しかし、役人の出費は実行されるために見え
るものであるが、納税者のそれは、嗚呼、彼はそうすることを許されなかったために見え
ないものなのだ。
 おそらく、あなたは国家を干上がった土地にたとえ、税を肥料となる雨にたとえる。そ
うするのも良い。しかし、あなたはその雨の原因を自問しなければならない。もしや税そ
れ自体が大地から湿気を奪い、乾き切らせているのかを。
 またしてもあなたは、土が雨によって、そこからの蒸発と同じだけの貴重な水を受け取
ることができるのかを自問する必要があるのだ。
 一つ非常に確かなことがある。それは、ジャック・ボノムは徴税官に数百フランを計上
しても、見返りに何も得ないということだ。結局、役人がその数百フランを使って、ジャッ
ク・ボノムに返すというとき、それは同じ価格のコーンや労働の代わりにである。最終結
果は、ジャック・ボノムの5フランの損失である。
 確かに、多くの場合、多分、非常に多くの場合、役人はジャック・ボノムのために相応
なサービスを提供しているというのは真実だ。この場合、双方に損失はなく、単なる交換
があるだけである。よって、私の議論は、有益な役人についてはまったく当てはまらない。
私が言っているのは、もし役所を作りたいのなら、その有用性を証明せよということなの
だ。ジャック・ボノムに対する役所の価値が、彼へと提供されたサービスによって、その
費用と等しいことを示せ。しかし、こういった内在的な効用から離れて、役所がもたらす
役人やその家族、その取引業者にもたらす利益といった議論を持ち出してはならない。そ
して、役所が仕事を生み出すという主張はしてはならないのだ。
 ジャック・ボノムが本当に役に立つサービスの対価として百フランを政府の役人に支払
うとき、それは彼が百フランを靴を買うために靴屋に支払うのとまったく同じだ。
 しかし、ジャック・ボノムが政府の役人に百フランを支払って、迷惑以外の何ものも受
け取らなかった場合は、それは泥棒に与えたのと同じだ。政府の役人がその百フランを国
民労働の大いなる利益のために使うだろう、などと主張するのはナンセンスなのだ。泥棒
も同じことをするだろう。そして、もしも彼が路上で余計な寄生的官憲に、あるいは合法
的なハイエナに呼び止められなかったら、ジャック・ボノムだってそうなのである。
 それなら、見えるものだけで判断するというのは避けて、見えないものによっても判断
するように、自分たちを習慣付けようではないか。
 去年、私は財政委員会の一員だった。なぜなら、有権者の賢明な判断によって、投票に
おいて野党党員がすべての委員会から組織的に排除されるということはなかったからだ。
委員会では、「彼らのもの」氏が次のように述べたのを聞いた、――「私は正統派や宗教
派に反対することに人生を捧げてきた。しかし今や、我々の共通の危機のために彼らとも
交流し、知るようになった。そして個人的に話をしてみると、彼らは私がかつて考えてい
たような怪物ではないことがわかった。」
 その通り、不信は誇張されており、憎しみは互いに交流しない党派から生まれる。そし
てもし、多数派が委員会において少数派の存在を認めるなら、おそらくは異なった党派の
考えもそれほどお互いに離れたものではないということ、そして何より、その意図におい
てはそれほどひねくれてはいないことがわかるだろう。しかし、昨年度、私は財政委員だっ
た。私たちの同僚が、共和国大統領や大臣、大使たちの予算をわずかでも変えようとする
と、必ず答えが帰ってきた――
 「そういった役職の価値のためには、有能な人物を引き付けるべく、ある程度オフィス
を華麗で威厳あるものにする必要がある。共和国大統領には、不幸な人々が大量に陳情に
来るのであり、それを常に拒否する義務を負うというのは、大変な苦痛を伴う仕事になっ
てしまうだろう。ある種の貴族的スタイルが大臣応接室にあるというのは、立憲政府機構
の一部なのだ。」
 こういった議論には反論があるとはいえ、確かに真剣な考慮に値するものである。正し
く見積もられているかどうかはさておき、それは公益に基づいた正しい議論である。そし
て、私の関与する限りでは、狭隘な倹約心や嫉妬に精神に突き動かされている、我々の多
くの指導者たちよりも私の方が強い尊敬の念を持っている。
 しかし、私の経済的な良心に反し、この国の知的資産に照らして私が赤面するのは、こ
のバカげた封建時代の名残が、いつも起こっていることだが、次のように拡大されて、好
意的に受け止められてもいるということだ――
 「さらに、偉大な政府の役人たちによる贅沢というのは、芸術や産業、労働を促進させ
ている。国家のリーダーと大臣たちが夜会を開けば、必ずや社会という体の血管を循環さ
せることになるのだ。そういったやり方を減らせば、パリの産業、そして結果的には国全
体の産業を窒息させてしまうだろう。」
 皆さん、私は皆さんに、少なくともこの計算に対してよく注意してもらわねばならない。
そしてフランス国民議会の前で、恥ずかしいことに議会は、足し算を上から足すか、下か
ら足すかによって合計が違うのだという点において、皆さんとは意見が合わないなどとい
わないでもらいたい。
 例えば、私は下水工事人と、土地に排水溝を百フランで作ってもらいたいということで
合意している。前述したように、私たちの制度では、徴税官が来て百フランを私から持っ
てゆき、内務省に送る。私についてはこれでおしまいだが、大臣はテーブルにもう一皿加
えることになる。一体全体、どういった理由から、この公金支出が国家産業を助けている
というのか? この場合、満足と引き換えの労働という事態とは反対のことしかないこと
が、見えないというのか? 大臣はテーブルをより良いものにした、それは事実だ。しか
し、ある農家がその土地の排水が悪くなったのも、また同じように事実なのだ。パリの酒
場の店主は百フランを得たかもしれない、それは認めよう。しかし同時に、下水工事人が
5フランを得ることができなかったということも認めねばならない。それは結局、次のよ
うなことなのだ、――役人と酒場の店主が満足するということは見えるものだが、排水の
悪いままの土地や仕事を奪われた下水工事人は、見えないものなのだ。なんということだ!
2足す2が4だと証明することが、こんなに大変だなんて。そして証明が成功して、言わ
れるのだ、「そんなことは自明で、本当に退屈なことだ。」そして彼らは、まったく何事
も証明されなかったかのように投票するのである。
4.劇場と工芸品
5.公共事業
7.産業規制
8.機械
9.信用
10.アルジェリア
11.倹約と贅沢
12.働く権利を持つ者は、利益を得る権利を持つ
 
 
 

共通テーマ:日記・雑感

Freedonomics

Freedomnomics 『自由の経済学 なぜ自由市場はうまくいくが、残りの半分はダメなのか』 
概要
この本は、アメリカでベストセラーになった”Freakonomics” 『ヤバい経済学』によって
流行っったnomics (経済学)という表現を使っている。『ヤバい・・』の内容を一部批
判しているが、それは主眼ではなく、全体としては、自由市場の効率性、有効性を、厳密
な学術研究に基づきながらも、わかりやすく説明するシカゴ大学教授の著作である。
前書き
 市場はうまく機能している。これはアメリカの経済のことだが、1848年にマルクスが
資本主義に疑義を示して以来、常に懐疑的な見方は存在している。しかし、かつて存在し
た計画経済はソヴィエトから北朝鮮まで、すべて商品の不足に悩んで、その経済制度を放
棄してきた。現実に成功している社会主義国の中国は、自由企業を再導入してきたのだ。
 自由市場はスミスが指摘したように、利己的な精神を持つ人々が、自発的に交換をする
ことから利益が得られることで成り立っている。これはすべての財について当てはまって
いて、コンピュータからクルマまで、それを買う人は、金銭以上の価値を見出すからこそ
商品を買うのだ。
 レヴィットとダブナーによる『ヤバい経済学』は、驚異的な成功を収めたが、そのテー
マである「医者や葬儀屋、保険外交員まで、すべての人があなたから金を巻き上げている」
というのは、行きすぎだろう。不動産屋、相撲とりからクー・クラックス・クランのメン
バー、政治家にいたるまで、ウソをつきまくっているというのは、マイケル・ムーアの映
画と同じで、訴えかけるところがあるのだろうが、間違っている。
 本当に市場では、騙しが横行しているのか?大企業のトップから販売員に至るまで、あ
なたから金を巻き上げようとしているのだろうか。私の研究はこれらの問題にこたえよう
としてきた試みなのであり、その結実が本書である。人々は確かに時にはウソツキかもし
れないが、市場は大まかに言って誠実なものに報いている。
 一つのエンロン(破たんした詐欺的エネルギー企業)に対して、すべての市場において
順法的な企業の数は数千社以上ある。市場では、単なる「貪欲な企業」という見方以上の、
複雑な力が働いているのだ。
 これは市場が、誠実さを評価するからである。消費者のだれもが騙されたくないと感じ
ているため、一度でも騙されたなら、他の会社の商品に移ってしまう。対して、誠実な企
業は、リピーターとなる顧客を獲得して大きな利益を上げることになる。
 市場を批判する人たちが見逃しているのは、評判の価値だ。通常、企業が詐欺をすると
き、その損失のほとんどは、罰金から生じるのではなくて、評判を失って、顧客を失うこ
とから発生する。そして、テクノロジーの発達は、新たな評判の獲得機会を生み出してい
る。例えば、インターネット・オークションのeBayを見てみよう。評価の高い出品者か
らは、多少高くても人々が買おうとすることがはっきりしている。
 これは政治家についても言える。政治家は、特殊利益から金を集めて、そのために働い
ていると考える人も多いが、再選される必要のない議員の活動を見ると、彼らが心から自
分の信じる価値を持っているということが分かる。再選の必要がなくても、議員の多くは
同じ行動をとり、つまりミシガン州の議員は自らの政治信条から自動車産業を守ろうとす
るのだ。
 選挙活動に多くの金が必要になったことを批判する人もいるが、つまりそれは、政治が
昔よりもはるかに多くの金を扱うようになったからにすぎない。では、なぜ政府は肥大化
してきたのか?興味深いことに、それは女性参政権が確立したことが原因なのだ。
 インセンティブを理解しないことは、企業の高い値段づけから、企業や政治家を誠実に
させること、政治家に特定の方向で投票させること、に至るまで、政府規制を正当化する
ことにつながる。市場が機能していないのなら、政府が公正を確保すべきだというのだ。
その結果、政府系の企業は肥大化し、マーケット・シェアを求めて、掠奪的な価格付けを
行うことになる。
 犯罪もまた、インセンティブを理解するべきことでは同じである。なぜ1990年代に犯
罪が減少したのかは、死刑の再開、高い検挙率、銃の携帯の許可、など複数の政策の結果
である。反対に、「壊れた窓」の理論や、警察組織のアファーマティブ・アクションは、
あまり関係ない。『ヤバい経済学』の議論とは反対に、中絶の合法化は婚外子とシングル
マザーを増やし、犯罪を「増加」させたのだ。
 
学会でのインセンティブ:個人的な経験
 私はUCLAで経済学の博士号を取った後、しばらく間、モンタナ州立大学に勤務した。
その時、固定資産税が高すぎると主張する高齢の女性たちの意見を弁護することになった。
当時、固定資産税は州税の4分の1ほどであったが、税率を下げることへの弁護意見のマ
スコミや議会への陳述は、大学の他学部だけでなく、学部内からも批判された。
 私はほどなくカリフォルニアのフーヴァー研究所に転勤したが、その後も学術的な応援
を続けたが、私の評価は、純粋な学術研究を除くすべての項目で最低になってしまい、学
部からも白眼視されることになってしまった。
 私はこのとき、公共教育が税金で行われているという事実は、学問の自由と相いれない
という感覚を強く持った。そしてそれは、後述するように、大学だけでなく、義務教育や
高校においても同じように当てはまるのである。
やってみて学習する(Learning by Doing)
 学会が税金で賄われているという事実に加えて、学者のほとんどすべてが学校で一生を
過ごすという事実がある。学者は他の学者に対してのみ論文を書くが、それは自動車会社
が自社の労働者に対してのみクルマを作るに等しい。要は、誰も自分のやっていることが
よく分かっていないことが多いのだ。
 私は1988年から1989年まで、アメリカの裁判判決委員会に属して、どういった企業犯
罪や個人犯罪がどの程度の罰を受けるべきかを検討する機会を持った。このとき、多くの
制度的な情報を得ることができたが、学会で議論されている多くの犯罪論は、まったく的
外れであったり、制度を理解していないことが多いことに気づかされた。
 経済学では、独占の弊害を取り除くために適切な量の補助などを考えるが、実際にはこ
れはまさに推計することの難しいものだ。同じように、公害などについても最適な税率と
いうのを考えるが、その算定は、郊外が公害であるという事実によって、非常に難しい性
質を帯びるのである。
 フリードマンが言ったように、政府の適正な政策は理論的には望ましいが、現実には害
をもたらすことがほとんどである。1970年代のガソリン不足に際して、政府規制がなかっ
たらもっと価格は上がっていただろうが、どこへ行ってもガソリンが変えないという予想
外の事態は起きなかっただろう。
 計画経済には訴えかけるものがある。市場は何の規則もない混とんであり、どうして適
切な機能が期待できるだろうか。しかし、現実には、価格の決定に際して、当局がすべて
の要素を事前に計算することなどできないのであり、分散的に自由にやってみるしかない。
政府規制の結果は、必ず不足なり、ブラック・マーケットなりを生み出してしまう。スミ
スがいうように、高価格はそれに対するインセンティブを与えるため、人々の努力を引き
出す。計画経済がうまくいくように見えても、市場の方がはるかに機能するのが現実なの
だ。
1章、あなたはヒドい目にあっているのか
投機家、欲張り、と残りのいい人たち 
 通常、投機家や強欲家が、いい人たちを食い物にしていると信じられているが、事実は
その逆だ。例えば、オイルショックにおいても、投機家がガソリンの値段を上げることは、
節約につながり、結局は後日のガソリン価格を下げることを意味している。つまり社会的
に有用なのだ。
独占と価格差別がどうやって人の命を救うのか
 エイズの薬が高すぎることによって、多くのエイズ患者の命が失われていると、市場を
批判する人が言う。しかし、エイズの薬を強制的に安くするなら、薬の開発は止まってし
まい、逆にエイズ患者の命が失われてしまう。裕福なアメリカ人に対する価格と、貧しい
アフリカ人への薬価を差別することによって、製薬会社はアメリカから利益の8割を得て、
同時にアフリカ人の命を救っている。
なぜレストランのアルコール飲料は高いのか
 レストランはアルコール飲料を高く売ることによって、ボロ儲けをしていると考えられ
ている。しかし、事実は、アルコールを飲む人は、食事だけをする人に比べて非常に長い
時間レストランの席を占領してしまう。そのため、次の客を入れることができないレスト
ランとしては、アルコール飲料を高くせってせざるを得ないのだ。
なぜギリギリの飛行機チケットは高いのか
 飛行機のチケットは、事前に予約すれば、直前に予約する場合の半額程度であることが
多いが、これも価格の差別だとして批判されることがある。しかし、直前にチケットを購
入する人は、時間の価格が高いビジネスマンが多いが、事前に購入する人は学生や高齢者
など時間の価格の低い人たちである。チケットの価格が異なることによって、それぞれに
応じたサービスを提供できているうえ、会社は効率性を高めているため、これらのチケッ
ト価格を平均すれば、利用者は大きな利益を得ている。
どうして、セルフサービスに比べたフルサービスの価格がハイオクとレギュラーで違うの

 セルフの給油価格は、ハイオクとレギュラーのでは異なっている。別に異なる理由もな
いように思われるが、これはどういう理由があるのだろうか。実は、レギュラーを入れる
人たちはハイオクを入れる人たちよりも所得が低いことが多いため、満タンにすることが
少ない。そのため、少量を入れることになって、効率が悪いため、レギュラーの方がハイ
オクよりも、セルフとの格差が大きくなるのだ。
侵略的な価格設定というのは、それほど簡単ではない
 多くの人々は、大企業は中小企業をつぶすために侵略的な価格をつけて、中小企業を市
場から追い払っていると考えている。しかし、スタンダード・オイルの例を調べれば明ら
かなように、実は大企業が低い価格をつけるというのは、自滅的なことがほとんどで、実
際にはほとんど不可能なことなのである。
典型的な「市場の失敗」神話の間違い
 『ヤバい経済学』で扱われている、市場の失敗には、中古車の急速な価格の低下がある。
新しい中古車は、それが隠れた問題を抱えている可能性があるため、安売りされていると
いうのだ。しかし、実際に価格を調べてみると、価格の急速な下落などは全く起こってい
ない。自動車メーカーが3万マイルあるいは3年保証ということをするようになったため、
市場の失敗は全く起こっていないのだ。
 また、住宅市場についても『ヤバい経済学』では、業者は自分が儲けるために、売り手
に売り急がせるという。その証拠として、業者が自分で保有する物件では、平均より3%
高くうっている、あるいは半年長く売るのを待っているというデータを挙げている。しか
し、自己保有物件の場合、時間的な都合は自分で完全に知ることができるが、顧客の時間
的な都合を知ることは難しい。また、業者が自分で保有する物件が高いのは、彼らが毎日
仕事として不動産取引をしているからであり、その中には掘り出し物があるのは不思議な
ことではない。
ロジャックという非効率的な商品
 自動車の盗難を防ぐ防犯用品に、GPSでその位置を知らせるロジャックという商品が
ある。ある研究によれば、これをつければ盗難は大幅に減少するが、自動車のオーナーは
そのコストを支払いたくないために普及していないという。これが「市場の失敗」である
とされる。
 しかし、現実は違う。ロジャックがそんなに素晴らしいものならレクサスやポルシェな
どの高級自動車メーカーはすぐにでも自社製品に取り付けるするはずだ。そうしないのは、
実は自動車が盗難された場合、場所を特定して自動車を見つけた時には、すでにすべての
部品がバラバラに取られた後で、残骸になった車しか発見できないという現実によるのだ。
つまり、市場はまったく失敗していないのだ。
良き意図を持った判決とその悪しき結末
 市場に弱者と強者がいれば、裁判所は弱者を勝たせようとする。それは意図としては素
晴らしいが、結果としては悲惨なことがほとんどだ。
 例えば、小児ポリオの予防接種を受けて子どもが、それ以前にかかっていた病気のせい
で、麻痺が残った。これを救うために、裁判所は、「病気の理由がポリオワクチンの製造
会社にないとしても、子どもを救う義務が生じる」と判決した。この結果、少女は救われ
たが、現在のポリオワクチン価格の90%以上は、万が一の場合に備えた保険費用になっ
てしまい、100万人を超える貧しい子どもがワクチン接種を受けることができなくなって
しまった。
 また別の例では、有毒物質を扱う仕事などのリスクの高い仕事は、保険によって危険を
カヴァーすると同時に、リスクプレミアムとしての高い給料を受けることで、成立してい
た。しかし1970年代の一連の判例によって、リスクは会社が直接に保障する必要がある
ことになった。このため、損害を受けた労働者は、それまでの高い給料と実際の損害の補
償という2重の利益を得たが、その結果、多くの企業が倒産し、労働者が職を失うことに
なったのだ。
2章、 評判のもつ価値
 市場は悪いプレイヤーを排除するために、評判というものを利用するが、これは実際に
ひじょうにうまく機能している。
政治家や企業を誠実にさせるもの
 政治家の多くは他人からの推薦を得て、政治の階段を少しずつ昇るが、評判はもっとも
重要な要素である。ブッシュ大統領を見ても、政治家が父親からその評判を受け継ぐこと
はもっとも普遍的であり、政治においては金銭よりもはるかに重要である。40%の政治
家は引退後にロビー活動を全くしていないが、それでも選挙公約を守っていることは、信
念が時に金銭以上の価値を持つことを意味している。
なぜ人々は選挙キャンペーンに金を寄付するのか
 人々が政治家に寄付をする時、何らかの見返りを求めていると考えられることが普通だ。
しかし、多くの人々は見返りよりも共感によって寄付をしている。多くのメディアが腐敗
した政治について書きたてるが、実際に引退する直前の政治家の法案への賛否の投票を研
究してみると、選挙資金という見返りがないにもかかわらず、政治家のほとんどは一貫し
て立法活動をしている。長期的には、評判によって人々は正しい人を選んでいるのだ。
選挙資金改革
 選挙資金を規制するマッケイン=ファインゴールド法案は、政治活動には金のかかりす
ぎるという批判を受けて、人々から支持されている。しかし、そもそも寄付金を多く受け
る政治家は、人々から支持されていることがほとんどであり、規制は能力のある政治家と
そうではない政治家を平等にするかもしれないが、それはそもそもバカバカしいことだ。
 あるいは、『ヤバい経済学』には、選挙資金は勝敗とはほとんど関係しないと記されて
いるが、これも実証研究によれば明らかに間違っている。キャンペーンの資金量は、現職
の候補よりも挑戦者にとって、より重要なのだ。結局、政治資金の規制は、知名度に勝る
現職の有利さを増長させているだけなのである。
なぜ選挙費用が高騰してきたのか
 選挙資金を規制するために、直接的な寄付を禁止する法律があっても、寄付をしようと
するものは自分とは別の法人を作って、結局目的を達成しようとする。例えば、銃器規制
に反対する全米ライフル協会は、選挙資金の寄付を禁止された際に、テレビ局を買収して
目的を達成しようとした。法を迂回する方法は数多く存在しており、結局は政治資金を規
制しない方が害悪がない。
 政府の予算は200兆円であり、その予算を動かす政権を得るための資金はその1000分
の1の2000億円である。P&Gが1年につかう広告予算が4000億円であることを考えれ
ば、選挙資金が多すぎるというのは間違った認識だ。政府が巨大化すれば、当然に選挙資
金も大きくなるのである。
共和党、民主党の「両方への献金」という神話
 メディアによると、多くの政治団体が民主・共和両党に献金して、どっちが選挙に勝っ
ても影響力を保持しようとしているという。そして、これがアメリカの政治不信をますま
す大きなものとしているのである。
 しかし、現実はそうではない。両党に献金しているという団体をよく調べてみると、そ
のほぼすべてが、団体としての政党献金と、その構成員が異なった意見を持っている個人
の政党への献金が、同じ団体による献金であると報告されているにすぎない。人々や団体
は確かに政治的な信念を持っており、利益を確保するために両方に献金するというのは神
話である。
個人の評判と犯罪
 世間では、アメリカの司法制度には、良い弁護士を雇える金持ちに対して不当に軽い刑
を課し、弁護士を雇えない貧乏人に対しては厳しい判決を下すという不正が横行している
と考えられている。しかし、現実には、高額所得者が有罪判決を受けた場合、その後の所
得は激減し、金銭的な罰を大きく受ける。これに対して、低所得者の場合、それほど金銭
的な不利益は顕著ではない。
 実際、株式のインサイダー取引で有罪となったピーター・バカノビッチやマーサ・スチュ
アートは、その後の収入はほとんどなくなってしまった。同じことは、有罪判決だけでな
く、被疑者となっただけでも当てはまる。大学生が被疑者になった場合でも、その経済的
な損失はひじょうに大きなものとなるのである。こうした評判の持つ効果は、有罪・無罪
の判決よりも重要であるが、それらとは違ってメディアではほとんど報道されない。
評判、それは企業を誠実にするもの
 多くの人々は、企業による会計詐欺をはじめ、あまりにも多くの企業の強欲さが、社会
的な問題なのだと感じており、それを反映して罰金を高額化する法律が次々と作られてき
た。1980年代では、企業の詐欺行為に対する罰金は、1ドルの詐欺につき75セントに過
ぎなかったが、環境規則の違反については1ドル当たり3,71ドルにもなっていたのだ。
 しかし、実証研究をしてみると、企業が顧客に詐欺行為を行った場合、その90%以上
の損失は顧客を失うことによる反面、環境規制の違反の場合には、損失のすべてが訴訟と
罰金によるものであった。取り引き詐欺に対する罰は、環境詐欺の場合の11倍にもなっ
ており、これ以上、取り引き詐欺の罰金を挙げるのは、結局は企業の生産コストをあげて、
経済を弱体化させてしまう。すべての商品に完全を求めるなら、全員がレクサスを買うこ
とになってしまい、結局は過剰にタカついてしまうのだ。
 ガソリンスタンドのフランチャイズでも同じことが言える。地元密着型のフランチャイ
ズ店では、サービスは評判となるため、中央からの監視の必要はない。しかし、高速道路
の入り口にある店は直営店である。なぜなら、そこでは客はブランドを信頼してくるが、
2度と戻ってこないことが多いからである。評判を守るためには、直営店にしなければな
らないである。
3章 政府は万能か?
 市場が失敗しているように見えるとき、人々は政府による完全な政策を期待する。しか
し、現実には、政府の行為を待つよりも、市場による解決の方がはるかに優れていること
がほとんどなのである。
急いでただ乗りをしろ
 前に、自動車セキュリティの商品であるロジャックについて説明した。そこでは、ロ
ジャックは外部経済性を持つために、政府がロジャックの取り付けに対して補助金を出せ
ば社会的な効率化が達成されると主張された。しかし、その額の算定をすることは現実的
には不可能だ。
 この状況は、すべての人がピストルを隠し持っていれば、犯罪はなくなるというのと同
じだ。しかし、現実にピストルの携帯許可証を得るためにはお金がかかり、この意味で負
の補助金が課されている。フリードマンはこのような場合にも、私的な理由だけでも十分
にうまくいくことを主張した。
 教育はその例だ。高等教育は外部にもメリットをもたらすが、個人的なメリットだけで
も十分に教育を受ける理由となっている。ラジオについても、初期にはラジオ放送は外部
経済性はあるが、金銭を回収できないという理由から、政府が放送をするべきだという意
見があった。しかし、広告によって放送資金をまかなうという方法が、市場によって発明
された。政府が放送をしていたなら、こういった方向での努力はなされなかっただろう。
 ミツバチは果樹に受粉するという外部経済性を持っている。実は、果樹園のオーナーと
ミツバチのオーナーは相互契約によって利益を得ていたのだ。しかし、政府がミツバチの
外部経済性を法制化し、ハチミツを高値に維持したため、1984年までにはアメリカの納
税者は、年間100億ドルを失うことになってしまった。
 政府の予算となる税金は57%が上位5%の納税者から集められ、下半分の納税者はわず
か3.3%しか支払っていない。これが、政府がいい加減な法律をどんどん作る要因なのだ。
洪水保険は政府が直接に運営しているため、リスクに応じた保険費用となっていない。
ヒューストンのある家は16回も洪水に流され、それに対して80万ドルが支払われてきた。
これが民間企業であれば、すでに倒産しているだろう。つまり、納税者の負担になってい
るのだ。
 政府は一般的に、保険金などの価格設定することが致命的にできないのだ。政府の行っ
ていた銀行預金の保険金はあまりにも低額で、1980年代の銀行倒産によって、納税者は
1750億ドルを失ってしまった。
 無料で行われる登山遭難者の探索活動も同じだ。一度オレゴン州は、登山者にGPSを
携帯するよう義務付けようとしたが、登山家の反対にあってしまった。それでは、「登山
のすばらしさがなくなってしまう」というのだ。しかし、それなら遭難者には1万ドルの
捜索費用を請求するべきだろう。
 道路や鉄道の建設のための、土地や建物の公共収用にも同じ問題が生じている。ゴネる
人がいる場合にうまく解決できないのだ。連邦最高裁の判決では、公共性がある場合には、
公正な市場取引価格で政府や企業が不動産を収用できることになっているが、これは不当
であろう。所有者は不動産に愛着を持っているだろうからである。しかし、問題はそれが
どの程度の金銭的なものなのかということだ。
 これに対する最も良い方法は、ガス・電気事業を行っている私企業であるコーク・イン
ダストリーのものだ。彼らは、異なった路線を候補として、所有者たちに金銭を提示する。
これによって、最も早く応じたものが実行に移され、ゴネる人が得をすることはなくなる
のだ。
 クレムゾン大学の経済学部でも、新任教員の採用に際に同じことをしている。同じ程に
望ましい教員候補がいる場合、一人に採用通知を出すと、その人物はその採用通知を持っ
て、他の大学を探そうとする。このプロセスを省くために、複数の候補者に採用通知を送
り、最初に応諾した人物を採用するのだ。
 政府の不効率性について、ワシントン大学のカーポフは、1818年から1909年までの極
地探検を調査した。政府が資金提供している場合、個人的な資金による探検に比べて、4
倍以上の予算で臨んでいるにもかかわらず、結局のところ、より高い確率で遭難している。
6度の最重要な探検のうち、5度は個人によるものなのだ。おそらく、これは私的な冒険
ではクルーの選択にチームワークが生まれるが、政府の場合は多様な利害関係者が集めら
れてチームワークがなくなることや、私的な冒険はその結果が完全に個人的な功績となる
ことによるのだろう。
 公共教育では40%以上が教員以外に費やされるが、私立教育では20%以下でしかない。
市場は完ぺきではなくとも、政府ははるかに完璧からほど遠いのである。
分散投資、それは企業の平和を意味する
 現代の常識では、資産は分散してポートフォリオを組むことになっているが、これは同
時に企業活動の平和的な安定に貢献する。
 私がウォートン・ビジネススクールで教えていた時、教員共済資金の副社長をしていた
人が興味深い話をしてくれた。テキサコとペンゾイルという二つの巨大石油会社が、ひじょ
うに長引いた法廷闘争に大きな金をつぎ込んでいた。そのままでは、どちらかが勝つが、
それは単なる金の移転であり、法律事務所が大きな利益を得るだけであった。教員共済は
両方の会社の株を持っていたので、この係争をやめさせて、両社に和解をさせることによっ
て、莫大な法定費用を節約したのだ。また、彼はアップルとマイクロソフトの法廷闘争も
やめさせることに成功している。
 これと同じことは、日本の「系列」会社にも当てはまる。アメリカ人投資家であるピケ
ンズ氏が、日本の小糸製作所の大株主となり、トヨタへのライトの低廉な納入価格に対し
て、価格引き上げの株主提案をした。しかし、小糸製作所の他の株主はトヨタ系列の会社
と株の持ち合いをしており、ピケンズ氏は、その意見を通すことができなかった。小糸だ
けを見れば、納入価格の引き上げは利益を増大させただろうが、系列全体としてはそれは
生産的ではなかったからである。
 系列と同じような役割を果たしているのは、アメリカでは大きなミューチュアル・ファ
ンドである。例えば、アップルの29%、マイクロソフトの20%の株式はミューチュア
ル・ファンドによって保有されており、無意味な法律的係争が回避されているのだ。
 私とハンセンの研究では、企業買収にもこの効果が表れている。買収される企業の株価
は、買収の発表と同時に上昇するが、買収する法の株価は下がる傾向があり、これは近年
顕著になってきている。二つの会社の株を持つ関係者が多ければ、彼らは全体の株式価値
にのみ興味を持つだろう。彼らにとって、企業買収は二つの企業の業績の分散をなくして
しまう分だけ、望ましくないのである。このことは、買収される企業が私企業であり、株
式を公開していない場合には、買収会社の株価が上昇していることに、裏付けられるので
ある。
 市場は長い時間をかけて、政府に頼らなくても、自然とうまいメカニズムを生み出すの
だ。
国家的な侵略者と私的な被害者
 人々が侵略的な企業というとき、ほとんど私的な大企業を思い浮かべる。教科書的な例
は、ロックフェラーのスタンダード・オイルのような会社である。スタンダード・オイル
は1800年代の終わりから1900年の初頭まで、他者を飲み込んで、あるいは工場閉鎖に追
い込んで、最高裁によって分割されることになった。最近では、アメリカン・エアライン
が同じような嫌疑を受けたが、この種の私企業がやり玉に挙がるのは公正とはいえない。
 私企業が侵略的な価格付けをすることは、あまりにも犠牲が大きいのだ。価格を下げる
ことによって、会社は侵略することができるかもしれないが、それではコストが引き合わ
ず、利益を落としてしまうのが実情なのである。
 しかし、政府系企業は利益を上げつ必要がなく、雇用を優先したり、あるいは市場での
シェアを重視したりすることが可能だ。政府系企業の多くは、税制上の優遇を受けたりと、
私企業にない特権を与えられること多く、私企業を閉鎖に追いやっている。
 例えば、ヨーロッパのエアバスを見てみよう。2006年にエアバスはA380の納入の
遅れによって、巨大な損失を出したが、にもかかわらず、ドイツもフランスもイギリスも
より多くの株式を保有しようとした。どの国でも雇用者がいて、その失業を恐れたからで
ある。
 イギリスの納税者はA380計画だけでも1000億円以上も失っている。機体はドイツ、
主翼はイギリス、尾翼はスペインから、最終組み立てのためにフランスまで運ばれてきて
いるのだから当然である。
 政府系の企業はまさに侵略的な存在だ。1980年代のアメリカには、天気予報をする企
業があったが、これを気象庁が行うことによって消滅してしまった。
 同じことは、教育市場でも当てはまる。私が卒業したUCLAでは学生一人当たり400
万円が使われているが、授業料は65万円でしかない。大学内での書店や販売にも、無料
のテナント料が適用されるなど、私企業が競争できない状況を作り出している。1965年
から2005年の間に、私立大学に比べての公立大学の授業料は、22%から18%に減少
した。これに応じて、公立大学に進学する学生も67%から79%になった。コストを下
回る価格は、政府のみが与えることができるのである。
 公立大学は、多くの私立大学を破産の危機に脅し、公立大学へと吸収してきた。ジョー
ジ・メイソン大学法学部、バッファロー大学、ヒューストン大学、ピッツバーグ大学など
である。バッファロー大学では、ニューヨーク大学の一部にならないのなら、大学の隣に
公立大学を作ると脅されているのだ。
 私企業は、独占禁止法によって市場を独占できない。ライバルを閉鎖に追い込んだとし
ても、その設備を使って、別の会社が挑戦することができるのだ。
 郵便局は世界中で、政府からの独占力を付与されて、競争者を閉め出している。2001
年にドイツ・ポストは、第1種郵便の利益を別のセクターに回すことで、競争者を閉め出
した。2005年には、デンマーク、スペイン、フランスでも同じことが起こっている。
 アメリカでも、翌日配送の価格がすでにコストを下回り、大きな赤字が出ていたにも関
わらず、さらなるシェアアップのために、価格が引き下げられた。競争者を閉め出す意図
がなくても、シェアを上げれば、同じことになってしまう。
 こういった例にはキリがない。アメリカ森林サービスは、木材購入企業に対して、売れ
る木材と売れない木材を抱き合わせて、購入させている。なぜなら、利益よりも木材の総
量を増やすことによって、林業道路建設などの予算がより多く獲得できるからだ。
 NASAもまた、コスト以下でのサービスを提供して、私企業の参入を阻止してきた。
本来NASAのような組織は、より高い独占価格を要求するものであるが、NASAの興
味は利益ではなく、宇宙事業の独占という栄誉にあるのだ。
 面白いことに、アメリカ政府は中国の衛星打ち上げビジネスを、侵略的な行為だとして
批判している。こういったことは珍しくないが、政府系企業による侵略的な価格の方が、
他国政府からより大きな批判を受けるのだ。
 政府系企業は侵略的なシェアの上昇そのものを目的とできるが、私企業は利益を上げる
必要があるために、侵略的であることは難しい。そういった脅しをかけることも難しいが、
政府系企業だけが、そういったことを容易にできるのだ。
現代のギルド
 政府は直接に予算を使うだけでなく、ビジネスのあり方に規制をすることで、間接的な
影響も与えている。競争をより「フェア」にするためと称して、自由競争を巧妙に阻む免
許制が採りいれられているのである。
 こういった制度の歴史は長く、中世ヨーロッパのギルドでは、10年にも及ぶ徒弟制を
経てのみ、開業が許された。この状況を見た、経済学の父アダム・スミスは、その意義が
自由競争の阻止と、賃金の引き上げにあると結論している。
 中世のギルドは、親方たちの主張とは異なり、その生産物の品質を保証するためにあっ
たのではない。薬などと違い、生産物の質が一目でわかるような、留め具、机、ボタンな
どにもギルドがあり、13世紀のパリでは10年、ジェノバでは11年の修業が開業のために
必要であった。親方たちは、相互に住居や給与などの条件を守り合い、労働市場の流動性
を抑えていた。
 政府の許可は、これと同じ役割を果たしている。特殊な教育が本当に必要なのだろうか?
弁護士になるのにロー・スクールに通う必要があるのか?ほとんどの教育機関では、2年
分の授業を1年にとって、早く卒業することも許していない。
 眼鏡作製のの検査技師になるためにも、資格試験を受けるためには、8か月のコースを
6期以上取る必要がある。医師になるには、少なくとも3年半の学業を経る必要があり、
それより早く卒業を許す大学は、医学協会から除名されてしまう。
 39の州では、最低でも9カ月以上の理容学校に行かなければ、理容師になれない。皮膚
美容師になるのは、さらに厳しい。麻薬中毒カウンセラーや歯科衛生士、インテリア・デ
ザイナー、ネイル美容師から看護師、ポリグラフ検査士でも同じだ。クラスの出席率も求
められる。22の州では、不動産業を営むには、授業への100%の出席を要求される。
 これを博士号と比べるといい。博士号の取得には平均5.5年がかかっているが、必要
とされる授業と論文執筆を3年以下で終えている学生も1%いる。10%が8年以上かけ
ており、20年もかけるものもいる。
 博士号では、能力とやる気を、必要時間の短さによって示すことができる。そういった
学生は有利に職を得ることができ、教授たちも誰が最も優秀であるかを話し合う。時間の
短さは、学生のやる気と能力を示す明確な証拠なのだ。
 資格取得においては、もっとも優秀な人がその才能を示すことを許さない。最もできな
い人に合わせられて、競争が排除されている。
 不動産取り引きの資格試験では、単純な算数と不動産に関する法律の知識が問われる。
やる気があれば、自分でも勉強できるだろう。もっとも優秀な人は、ペンシルバニア州の
試験が要求する9か月も授業を受けないだろう。
 私はシカゴ大学ロースクール、ペンシルバニア大学ウォートンビジネススクール、ライ
ス大学など多くの一流大学で、新入生から博士過程まで教えてきた。しかし、私は公立高
校で教えることはできない。内容がわからないからでも、やる気がないからでもない。実
際、私は息子の高校でゲスト講師として授業をしてきた。つまり、私は規定年限の「教育
課程」の授業を受けていないのだ。
 教育学の学位、または3年以上の教育課程の取得が必要である。このために多くの優秀
な人物が教育職を得ることができない。アーカンザス州では、絶対的に不足している数学
と科学の教師に、この要件を緩和して優秀な人材を確保しようとしているほどだ。
 私は、多くの大学院教員にこの理由を聞いてきた。理由はないというものもあり、ある
いはアメリカ弁護士会、アメリカ医師会が要求するからだというものもあった。あるいは、
そういったカリキュラムが必要なのだというものもいた。しかし、なぜそういったカリキュ
ラムが必要なのか?なぜ理容師や弁護士にそれが必要で、経済学博士や科学博士には必要
ないのか。急ぐ学生はBグレードしかとれないかもしれないが、それは順番に授業をとっ
てBをとる学生と同じことだろう。
 なかには、医師になるためには、臨床経験を積み、実験スキルを経るなど、容易には判
断できない内容を習得する時間が必要だと主張する者もいた。これはそうかもしれないが、
しかし、卒業までの時間短縮を許さないほどのものではないだろう。その他の資格につい
ては、まったく理由になっていない。理容師になりたいものや、不動産取引業者になりた
いものが自習できないというのは、その理由が参入障壁であるためなのだ。
 アダム・スミスが正しくて、専門業者たちがより高い賃金を得たいために、新規参入を
阻止したいのなら、なぜ資格試験を難しくしないのだろうか?難しい試験は能力を測るの
にはいいが、優秀なものが成功し、そうでないものは失敗する。必要年限を長くすれば、
優秀なものは来なくなるだろう。つまり、多くの既存業者は優秀な新規参入者が来て、競
争が激しくなるのを避けたいである。
 政府関係の職はこういった政府の資格によって永続化されている。自由な参入を妨げる
ことによって、既存業者は大きく利益を得ているが、産業としては活力を失っているのだ。
喫煙禁止
 これまで見たような、市場の創造性と政府の非効率は、政府の干渉が常に望ましくない
ということを意味するわけではない。なかには、企業が他社に対して不当な不利益を課し
ている場合もあり、政府の規制が必要な場合があるが、その一つが公害規制である。
 公害は、ある者の行為のコストが他人にかかってくるという点で、公共の場での過剰な
漁業と同じである。公共の場では資源がなくなるまで、漁業がおこなわれてしまう。しか
し、私的に管理された場所では、漁業者は必ず翌年の分を残し、漁獲量を確保する。
 屋外の公害は共有地の問題に似ている。クルマや工場からの排気ガスは有害だが、それ
らを禁止するという人はいない。海で漁をしている人と同じく、公害の不利益は他人にか
かるのだ。利他主義には限界がある。政府が、総量規制、排出税、その他を使って公害を
規制する必要がある。
 問題は、政府がその規制を次第に拡大し、市場に任せるべきところにまで、強制力を行
使し始めることである。明らかに、地方政府は、飲食業において喫煙を禁止しようとして
いる。レストランのオーナーは、食事の質や量、飾り付けと同じように、喫煙制限につい
ても真剣に考慮している。そうしないレストランは、すぐにつぶれてしまうだろう。
 これが、レストランでの喫煙が、共有地問題とは異なる点だ。レストランでは、喫煙者
がタバコを吸いたいという欲望だけでなく、すべてのことに注意する必要がある。完全に
クリーンな空気から、一寸先も見えないほど煙った状況の2者択一だけでなく、二つのセ
クションを分けることもできるのだ。しかし、この解決法も禁止されてしまっている。
 レストラン業は大変に競争的な産業であり、サイドディッシュからバックグランドの音
楽まで、すべてが重要である。煙草への好みが、好きであれ、嫌いであれ、そんなに強い
のなら、レストランのオーナーはそれに反応して、その問題を解決するはずだ。
 レストランの喫煙は、共有地ではなく、私有地の問題であり、客が望むような空気を市
場において提供させればいい。結論として、市場は信じられないほど想像力に富む反面、
政府はその動機においては良くても、政治的・経済的な問題から金を食って、非効率になっ
てしまう。フリードマンが指摘したように、「誰も、自分の金を使うのと同じ程に注意深
くは、他人の金を使わない」のである。NASAや各種の免許制度を見ると、この意見に
反対することはできないだろう。
4章、犯罪と刑罰
 なんであれ、コストが上がれば消費は減る、というのが経済学の教えである。大学バス
ケットボールにおいて、審判が2人から3人になった時、ファールの数は38%も減った。
見逃されていたものを含めれば、もっと大きな現象だったはずだ。
 アメリカンリーグで1973年にDHが採用され、ピッチャーが打席に立たなくなると、
ビーンボールが増えた。これは、仕返しをすることができなくなったからだ。
 反対に、価格が下がれば、それは多くなる。倫理的であろうとなかろうと、そうなのだ。
飛行管制官がストレスによる職務不能を訴えることが容易にできるようになると、飛行機
のスケジュールは遅れがちになった。これは、犯罪にも、死刑にも、その他のすべてのこ
とにあてはまるのである。
90年代の犯罪の低下
 1960年から91年までに犯罪は378%に増えたが、2000年までには30%以上も減少した。
これはカナダでも少なからず起こったのだが、未だに多くの学者にとって大きな謎だ。犯
罪の減少は、実ははるかに大規模だ。人々は46%も多く犯罪を警察に報告するようになっ
たからだ。
 窃盗では20%しか報告されないが、レイプや暴行では63%、68%である。これは当然
のことだろうが、90年代の犯罪率の低下に伴って、人々はより多くの犯罪を報告するよ
うになった。警察の態度の変化と検挙率の増加、罰の厳格化、死刑の再開、銃器所持の解
禁、警察のアファーマティブ・アクションの廃止、その他の多くの理由があったのだろう
が、まず、理由とならなかったものから検討しよう。
何が犯罪を減少させた理由ではありえないものなのか、パート1
中絶の合法化
 主要な新聞によると、すでにアメリカの子どもの10人に4人は婚外子であり、白人で
は3分の1、黒人では3分の2がそうだ。1973年のロー対ウェイド事件判決では、最高裁
で中絶が認められた結果、それ以降は「求められない子ども」は中絶によって生まれなかっ
た。これが90年代以降の犯罪の低下の理由であるといわれることがある。これは「ヤバ
い経済学」でも主張されているものだが、現実はその逆だ。
 求められない子どもについては、1970年73年と過去から様々に指摘されてきた。ス
ウェーデンの調査でも、そういった子どもは非行に走りやすいと結論されているが、これ
は因果関係ではなく、単なる相関関係でしかない可能性がある。ドノニューとレヴィット
の研究でも、犯罪減少の半分、さらに殺人減少の81%が、中絶の合法化の結果だとする。
 実際には、70年代初頭にも、中絶はリベラルな医師たちによって行われていたのだ。
例えば、中絶禁止のカンザス、ワシントンDC、ニューメキシコ、オレゴンでは、1000
人の出産に対して、277、703、219、206の中絶が起こっていたが、中絶が合法化されて
いたアラスカ、ハワイ、ワシントンでは、それぞれ160、261、265、の中絶があった。
 なるほど、求められない子どもが中絶によって生まれなければ、犯罪が生じることはな
いように思われる。現実にアフリカ系アメリカ人は白人の6.5倍の犯罪を起こすが、その
中絶率は3倍であるからだ。これは確かに、あまり議論されないことであり、ドノニュー
とレヴィットの議論でも完全に抜け落ちている。一体、誰が、「犯罪が減少したのは貧し
い黒人の数が減少したからだ」などと主張できるだろうか。
 この問題は、もっと複雑なのだ。まず、中絶が合法化された場合、男にとっては子ども
ができて相手と結婚して子どもを養うというリスクが減るために、セックスのコストは下
がることになる。女にとっても、同じように望まない子どもを育てなければならないとい
うリスクが減ることによって、セックスのコストが下がることになる。結局、より多くの
男女がセックスをするような文化を作り出すことになって、逆に貧しい婚外子が増える結
果を生んでいるのだ。
 73年の中絶の合法化以降、80年代の終わりまでに、婚外子は5%から16%に上昇し、
黒人については、30%から62%にまで上昇した。それまで存在した「できちゃった婚」
は消滅し、男は女が出産を決めるのは、中絶を拒む自分勝手な行為だと考えるようになっ
たのだ。
 婚外子が養子に出されることも減少した。白人では19.3%から7.6%へ、黒人では1.5%
から0.2%になり、子どもたちは母親だけに育てられるようになった。一人で育てれば、
二人で育てるよりも世話をすることはできなくなる。同棲しているカップルの子どもも同
じように、世話を受けることは少ない。結婚に比べて、同棲を選ぶということは自分を犠
牲にする用意がないことを意味するからだ。(データは同棲している場合の子どもの問題
が、シングルマザーと同じ程度であることを示している。)
 中絶の合法化は、望まれない子どもの数を減らしただろうが、同時に婚外子の数も増や
した。どちらの要素が犯罪の減少に関係しているのだろうか。
 ドノニューとレヴィットの分析とは反対に、ボストン連邦銀行での研究や私とウィット
リーの研究では、中絶の合法化は7%の犯罪の増加につながったと結論されている。ドノ
ニューとレヴィットは犯罪減少の80%までの要因が、中絶の合法化によると報告してい
る。もしこれが本当なら、まず70年代以降に生まれた世代から犯罪は減少しているはず
だが、これは事実とは異なる。69年生まれの少年による同年齢時の殺人率は、77年生ま
れの殺人率よりもはるかに高いのだ。
 同じ反論は、カナダのおける中絶の合法化がアメリカよりも5年から15年も遅れてい
るにもかかわらず、その犯罪率の減少が3年ほどしか遅れていないことにも表れている。
中絶の合法化は婚外子を増やし、その結果、アフリカ系アメリカ人が多くの被害にあって
いるのだ。
 次に、もう一つ別の、犯罪を増加させた原因を検討しよう。
何が犯罪を増やしているのか パート2
警察組織におけるアファーマティブ・アクション
 1990年代に犯罪は減少したが、その時代はまた警察におけるアファーマティブ・アク
ションが始まった時期でもある。だが、これは犯罪を減らしたのではなく、むしろ増やし
たのである。
 警察に女性や黒人その他のマイノリティを採用することそのものは、犯罪を増やすわけ
ではない。人種に根ざしたギャングなどはその人種の警官の方が調べやすいし、その地域
に生まれた警官はより詳しく犯罪について知りえるだろう。また女性の警官は、DVなど
の検挙や防止に役立つことは間違いない。
 アファーマティブ・アクションでは、警官の構成が周辺住民とおなじ人種構成となるこ
とを求める。体力テストは女性に不利であり、知能テストや過去の犯罪歴は黒人に不利で
あるため、各地でこれらのテストの置き換えが進んできた。
 女性に対して異なった体力テストを課すという方法がある。また、知能テストに代えて、
気性や生活習慣などによって、警官を採用するようになってきた。黒人層に配慮して、知
能テストでは現在の警察官の下位1%に入ればよい、とするものまである。
 ルイジアナのケースはとくに注目に値するだろう。ある黒人応募者は、66%の白人がテ
ストを通過するのに、黒人では25%にしかすぎないことが差別であるとして、州警察局
を訴えたのだ。テストのどの部分が職務と無関係であるのかの主張はほとんどなされず、
また過去の別の町での連邦裁判所の判例でも、テストは差別的ではないと判示しているの
もかかわらず、ルイジアナは訴訟費用を嫌い、100万ドルを原告に支払い、さらに黒人を
18人警官として採用したのである。
 ワシントンDCでは、1986年から1990年の間に、3分の1の事件が不起訴になってい
るが、それは警官の書く報告書がまったく読めないものであったためである。多くの警官
は、理解可能な英語を書く能力を持たないのだ。
 シカゴでは500万ドルを支払って、人種バイアスの入らないテストを開発したが、結局
抽選で警官や消防士の採用を決めている。
 あるいは女性を採用するための採用枠では、女性の筋力が男性の半分であることを考慮
したテストがなされるが、それはつまり体力に劣る警官を意味する。このため、一人でパ
トロールをすることが減り、同時に自転車の代わりに車が必ず必要になった。
 アトランタの法廷では、100キロの男性被告を、50歳の155センチの女性警官が警護し
ていたところ、力ずくで銃を奪われて、裁判官、書記、検察官、警官が殺されてしまった。
メディアはこの事件を警察の配置の問題だとしたが、それはアファーマティブ・アクショ
ンの結果なのだ。
 私は、地方自治体のレベルで、アファーマティブ・アクションの与えた犯罪への影響に
ついて調べてみた。結果、アファーマティブ・アクションは犯罪を大きく増加させるが、
採用枠を設ければ、それほどでもないということがわかった。黒人警官を1%増やそうと
すれば、殺人が2%、暴力犯は5%、財産犯は4%増加するのだ。
 黒人警官が犯罪を増やすのではなく、黒人を採用しようとする際に、警官にふさわしく
ない心理テストを使って、白人、アジア人などの警官を採用することが問題なのだ。これ
に比べて、女性に低い体力テストを課すことは、男性の体力テストを上昇させることにな
るため、それほど大きな負の効果をもっていない。
 体力の低い女性警官の採用は、一人での徒歩や自転車でのパトロールを不可能にして、
二人でのクルマを使ったパトロールを要求し、結果、パトロールの量は減り、犯罪につな
がってしまう。銃の使用は女性警官の価値を平等化するが、しかし物理的に力があった方
が犯罪者を拘束しやすい。女性を採用しようとした地方では、拳銃の発砲が増加する結果
を生むのは、この理由からだ。
 アファーマティブ・アクションはマイノリティを保護するためだが、マイノリティこそ
が犯罪の被害者でもある。知能テストをやめるよりも良い解決法があるはずだろう。
何が犯罪を減少させたのか パート1
死刑
 犯罪を減少させた唯一の原因を特定することはできないが、死刑の復活はその一因だろ
う。76年に死刑宣告が再開されたが、90年代までその執行は行われなかった。
 警官という職業では、2005年に5600人に一人が死んでいる危険なものだ。彼らは、防
弾チョッキを着たり、その他あらゆる対策を行っている。これに対して、殺人犯では278
人に一人が死刑になっている。
 死刑が犯罪を抑止するとは思えないという考えはよく耳にするが、犯罪者が会計士や教
師ほどにはリスク回避的でないとしても、死刑のリスクを考えないほどに不合理であるは
ずはない。
 例えば、ニューヨークタイムズは、死刑を執行している州でも高い犯罪率のところはあ
る、としゅちょうしているが、これは何の意味もなさない。68年から76年まで死刑は不
採用となったが、この間、暴力犯は急増した。その後、死刑を再開した州では、76年か
ら98年までに38%の殺人の減少となっているのだ。
 76年にシカゴ大学の助教授であったアイザック・アーリックは、一回の死刑執行が20
-24人の人命を救うと結論した。リベラルな学会でこの発表は嫌われ、彼はシカゴ大学
を追われ、他の大学からも採用を拒否された。しかし、その後の研究は大まかに、彼の結
論を肯定している。(135ページ、グラフ、136ページ 表)
 90年に再執行され始めた死刑によって、犯罪は1991年から200年までに減少し、年間
9114件の殺人が減少し、年間71人が死刑執行されている。1件当たりの殺人減少効果は、
15-18人の殺人の潜在的な被害者を救っているのだ。90年代の殺人の減少の12-14%が
死刑に起因するものである。
 死刑によって影響を受けない殺人もある。大量殺人では、犯罪者が自分がその犯罪中に
射殺されるか、後に自殺することを覚悟しているため、そういった事件は減少しない。こ
れは私とランデスがシカゴ大学で行った研究で明らかになった。
 死刑は殺人だけでなく、レイプや傷害なども減少させているが、だからといって、こう
いった犯罪に死刑を適用すべきではない。死刑を多く使えば、犯罪の総数は減少するかも
しれないが、軽犯罪でも死刑を恐れる犯人が、被害者や目撃者を殺すことになり、かえっ
て殺人の被害者が増えてしまうことが考えられるのだ。
 アメリカでは死刑に68%が賛成しており、ブラジルやイギリス、日本でも同じである。
死刑を廃止した国はすべて国民ではなく、司法部による強制によって死刑が廃止されてき
たのだ。死刑が暴力犯を抑止することはようやく広く知られるようになってきている。
何が犯罪を抑止しているのか パート2
法の厳格な執行
 90年代の犯罪の減少にもかかわらず、収監されている犯罪者の数は増加してきた。こ
れは検挙率の上昇を意味している。これこそが犯罪の減少につながったのだ。殺人の減少
の16-18%が検挙率の上昇によって説明され、さらに12%が有罪率の上昇によって説明
される。これは暴力犯にはさらに大きな効果を持っており、財産犯ではさらに大きい。
 実際の服役期間のデータは研究者が得られないものだが、検挙率は確実なものだ。収監
率の増加によって、さらに12%の犯罪減少が説明される。逮捕や起訴でさえも、評判な
どを通じて大きな犯罪の抑止となるのである。
何が犯罪を抑止しているのか パート3
拳銃の携帯
 拳銃を護身用に携帯することは、死刑ほどには大きな話題にはならなくなってきた。
2007年までに40の州で銃の携帯が許可され、イリノイとウィスコンシンだけは銃の携帯
を許可していない。銃の携帯には、通常、20歳以上であったり、犯罪歴がない、許可証
を携帯する必要がある、などの条件が伴うが、すでにアメリカには400万の銃の携帯許可
証が発行されている。
 問題は、それがリスクを高めているのか、あるいは犯罪を抑止しているのか、である。
許可証を得ようとする人々はそもそも順法意識が高いのであり、犯罪者は許可証など申請
しない。フロリダでの100万の許可者のうち、0.01%が違反を犯しているが、そのほとん
どは許可されていない場所への意図せぬ銃の持ち込みであった。
 警察は犯罪に対する最大の抑止力だが、個人としては銃を持つのが最も効果的である。
これは134万人の調査でも答えられていることだ。実際、全負傷者のうち、銃を持って威
嚇しケガをするのは3.6%、走ったりクルマで逃げたものが5.4%、叫んだものは12.6%、
武器を持たずに威嚇したのが13.5%である。55%は何もしなかった人である。
 ガンジーは非暴力でもイギリスに抵抗できたかもしれないが、犯罪者にはそれは通用し
ない。ブロナースと私は、銃を携帯許可している地区と、していない地区にまたがる都市
を研究した。許可されていない地区は、暴力犯罪が4倍も多いのだ。犯罪者は残虐かもし
れないが、バカではないのである。
 銃の携帯許可は年間犯罪を1-1.5%減少させる。100万件の許可証の発行は、649件の
事故による死亡につながっているが、これは携帯を許可してもしなくても変わらないのだ。
 反論するものもあるだろうが、マーク・ダガンのサーヴェイでは、30の研究のうち16
が抑止効果を示しており、犯罪を誘発するとしたものは1件しかない(143、144ページ
表)。死刑の執行、検挙率の上昇、銃の携帯許可の3つで90年代の犯罪減少の50-60%
が説明されるのだ。
何が関係ないものだったのか パート1
年齢と人種
 殺人は20歳をピークにして、17-25歳の男性が起こすことが多い。20歳に比べ、30歳
では殺人の確率は半減する。しかしアメリカ全体が高齢化したことが、犯罪の減少の理由
とまではいえない。若年人口は増えているのだ。
 黒人の場合、白人の2倍以上の殺人を起こす確率がある。91%の黒人被害者は黒人によっ
て殺され、84%の白人被害者は白人によって殺されている。黒人の人口は1974年の
11.7%から2004年の13%まで増えているが、犯罪の減少はすべての年齢でおこっており、
人種の構成比率の変化はあまり関係ない。
何が関係ないものだったのか パート2
銃規制
 2004年の銃規制法の失効によって、銃規制賛成派は、大量の犯罪が起きるだろうと予
想したが、現実には、犯罪はまったく増加していない。独自に銃規制を持つ州では犯罪率
が若干低いが、そのうちどれだけが銃規制の結果であるのかは、はっきりしない。
 ブレイディ法案によって銃の所持が禁止されているのは犯罪歴のあるものであるが、犯
罪者はそもそも違法に銃器を手に入れるため、順法精神の高い人々から銃を奪うことが、
犯罪の抑止に効率的であるとは考えられない。
未だによくわからないもの
「壊れた窓」の理論
 1980年に犯罪学者のウィルソンとケリングは、「壊れた窓」の理論を提唱した。それ
は、壊れた窓は、さらなる破壊行為を生み、犯罪を生み出す温床となるというものだった。
小さなほころびが次第に大きくなり、犯罪文化を誘発するというのだ。
 1990年にニューヨーク警察はこの理論を採用し、落書きから道での泥酔、立ち小便に
至るまでの小さな犯罪が残らず罰せられた。7900の殺人減少のうち、ニューヨークでは
1580であり、全米の5分の1になる。ニューヨークの犯罪の減少率は全国の2.4倍にもな
るが、しかし今も全国の2倍以上である。
 ニューヨークの警官は2700人から40000人になり、給与も上げられた。アファーマティ
ブ・アクションは中止され、銃の引き金を引けないという体力的な理由で解雇者も出た。
 犯罪は確かに減ったが、それが「壊れた窓」の理論が正しいことを意味するわけではな
い。私の全国1万人以上の自治体を使った研究では、効果ははっきりしなかった。数字で
は、殺人と自動車窃盗は増加し、レイプや窃盗は減少していたのだ。ニューヨークでは何
かうまくいくための要因があったのかもしれない。
犯罪についてのいくつかのおかしなこと
家賃規制がどうやって子猫を殺してしまったのか:関係者すべてが望まない法規制
 暴力犯罪の被害を食い止めるのは難しいが、関係者が望まない法律の場合、状況ははる
かに複雑になる。この場合、関係者に法を順守させるために、相互不信というインセンティ
ブが必要になるのだ。
 かつて私がUCLAの学生だったとき、大学を離れる友人が、彼のネコをもらってくれ
ないかと頼んできた。私と妻はかわいそうに思い、アパートの管理人にネコを飼えないか
と聞いたが、管理人は、アパートのオーナーに聞くから、その返事が来るまではダメだと
言ってきた。
 2,3週間連絡がなかった。その間、私たちはネコがネコ白血病にかかっていることを
知った。ネコ白血病は伝染性で、抗体を与えないとすぐに死んでしまう。しばらくして、
私たちはオーナーが高い家賃を支払えばネコを飼ってもいいと言っていると管理人から聞
いたが、管理人は、これは家賃規制法に違反するから不可能なのだとも告げてきた。私の
友人たちにも聞いて回ったが、皆がすでにペットを飼っていた。アニマル・シェルターで
働く人は、伝染病のネコは処理しなければならないと伝えられた。
 私は規制委員会に電話をかけて、状況を説明し、許可を求めた。担当者は、「オーナー
がいいといえばいいし、ダメだと言えばダメです」と告げた。私は、高い家賃の許可が関
係していることを説明したが、担当者は同じ返事を繰り返すだけだった。次第に担当者は
怒り出し、オーナーの許可を得ることを繰り返し、40分以上もこうした会話が続いた。
 フラストレーションを感じて、UCLAのロースクールに相談したところ、相談員は
「単に規制を無視して、高い家賃を支払って、ネコを飼えばいいのだ。しかし、オーナー
たちはそれを受取らないだろう、なぜなら家賃規制違反が見つかった場合、2倍額を払い
戻す必要があるからだ」といった。
 短期間であれば、あるいは違反は機能するかもしれない。しかし、長期間化すれば、誰
かにゆすられる可能性は高まり、賠償額は膨大になる。入居者が同意した契約であっても、
オーナーが責任のすべてを負う。入居者は、犠牲者として扱われる。
 こういった区別は、家賃規制では普通だ。ロサンゼルスでは、3倍額を払い戻す必要が
あるが、委員会によれば、家賃規制を実効的にするために、こういう制度が採られている
という。1件の報告では十分ではないが、数件の報告で十分に違反を認定できるのだとい
う。最終的には、家賃規制に違反するものはほとんどいなくなってしまう。入居者が出て
行った後でさえ、賠償を請求される可能性があれば、誰も違反はしないのだ。
 悲しいことに、私たちは仕方なく、ネコを処分することになった。ネコの話は何を経済
学に教えるのだろうか?契約者の片方を犯罪者、片方を被害者と定義することによって、
法律は契約者間に不信感を生み出すことになる。長期間のうちには、被害者が裏切るイン
センティブが高まり、結局はこの規制は機能せざるを得ないことになるのだ。
 こういった不信による法律の順守というのは異例に思えるが、最低賃金法もまた同じだ。
最低賃金法は、それ以下の労働価値しかない人を失業に陥れてしまい、失業率を増加させ
るが、順法的な企業は法規を破ろうとしない。
 アメリカで最低賃金以下で働くアメリカ市民は1%にも満たない。それらの場合も、単
なる間違いによるものであることがほとんどだ。労働者が違反を申告すれば賠償を得るこ
とができるため、長期間のうちには申告を行うインセンティブが増大する。違反事件の
75-80%は労働者による深刻である。
 しかし、この状況はアメリカの不法移民には当てはまらない。企業が不法移民を雇うの
は、彼らがより低い給与で働くからであるが、彼らは不法に滞在しているために裁判所に
状況を訴えることができないからなのだ。これはギャングに入るためには重大な犯罪を犯
す必要があることに似ている。警官に訴えることによって失うものがあるものになって初
めて、ギャングの仲間入りができるのだ。
ガン・ロックと安全保管法
 ガン・ロックをつけることが、命を守ることだと思われている。銃を撃つのが大好きな
カウボーイだと思われているブッシュ政権の間でさえも、ガン・ロックは3200万ものガ
ン・ロックが配られたのだ。2005年にブッシュは、銃のメーカーを訴訟から守るために、
ガン・ロックをつけることを義務付ける法案を通している。各州でも同じであり、若者に
よって銃が使われた場合には、それを犯罪とするようになってきている。残念ながら、こ
ういった努力は実りがないものだ。ガン・ロックと安全保管法は、より多くの人命を奪っ
ているからだ。
 経済学者は、この他にも、予想に反して安全規制が安全性を下げ、犠牲者を増やす例を
発見してきた。これは、安全規制によって、人々がよりリスクを取りやすくなるからだ。
クルマの安全規制によって、より早く、不注意に運転する人が増えたのだ。事故あたりの
死亡率は下がっているが、事故の総数は上昇しており、結局死亡数は増加した。1980年
代には、「子どもに開けられない」キャップの採用によって、人々は子どもの手に届くと
ころに風邪薬をおくようになり、3500人の子どもが薬の誤用によって死亡した。それ以
上の子どもが、別の研究ではケガをしているという。なぜなら、公園が安全になったため
に、退屈を感じた児童がもっと危ない行動をとるようになったからだ。
 ガン・ロックについても同じだ。確かにガン・ロックは偶発的な事故を減らすが、防御
のための銃の使用を難しくしてしまい、犯罪者への攻撃は困難になり、犯罪はより容易に
なってしまう。ガン・ロック法が成立した後、屋内での強盗や殺人は20%も増加してい
る。防御のためにガン・ロックが邪魔をするのだ。
 偶発的な事故による死亡はまれだ。4000万人の10歳以下のアメリカ人のうち、2003年
に銃の事故で死んだのは20人だ。窒息ではこの40倍、水死はこの32倍、火事では20倍
の子どもが死んでいる。
 9000万人のアメリカ人が銃を持っていることを考えると、銃を持っている人々は非常
に注意深いのであり、ガン・ロックを必要とはしていない。
 とはいっても、子どもが誤って銃を発射し、兄弟や友人を殺してしまうのを防ぐために
は、ガン・ロックが必要だと考える人もいるかもしれない。しかし、これは誤りだ。偶発
的な事故は20代の男性によって引き起こされており、そういった人はアルコール中毒で
あったり、犯罪歴があったり、運転違反があったり、免許の停止を受けたりしている可能
性が極めて高い。悪意の大人は確実にガン・ロックを外せるが、10歳以下の子どもは実
は、銃のトリガースライドを引き上げることすらほとんどできないため、ガン・ロックは
機能しない。
 あるいは、自殺を防ぐためにはガン・ロック法と安全保管法は意味があると考える人も
あるかもしれない。ホイットリーと私が研究したところ、50州のすべてにおいて、この
効果は見られなかった。銃の所持は順法的な家庭によってなされており、規制法は、反撃
手段としての銃の有効性を下げるにすぎない。1977年から1998年までに、こういった安
全法は年間300の殺人の増加と4000のレイプの増加を生んだ。
 銃をロックし、持たせないようにすることは、死亡数を引きあげてきた。もっとも良き
意図を持つ法が、人命という代償を要求する予期せぬ効果を持っているのだ。
小さな環境汚染への大きな罰:驚くほど良い政策
 1990年代に、企業犯罪への罰の見直しが行われた。それまでの法律では、重油タンカー
の転覆による汚染などの大きな罪には比較的小さな罰が与えられていたが、海上に重油缶
をすてるなどの小さな環境汚染に対しては、被害額に比して大きな罪が与えられてきた。
委員会はこれを見直し、大きな罪にも大きな罰を科そうとしたのである。
 しかし、これはあまりいい考えではない。大きな汚染は発見されないことはないだろう
から、必ず罰が与えられるが、小さな犯罪は見つけることが難しいため、ほとんどを見逃
すことになる。被害額をはるかに上回る罰金は、めったに見つからない小さな犯罪に科せ
られるべきなのだ。
5章 投票権・正しい投票と間違った投票(Voting Rights and Voting Wrongs)
 自由市場と政治的自由は、通常、同時に存在する。権威主義的な政府が自由市場を維持
することも稀にはあるが、それは例外だ。人々の民主的な選挙を信じない体制では、経済
活動や情報規制においても人々を信じていない。
 選挙はあまりにも重要であるため、それを分析してみるのも面白いだろう。政府の膨張
はルーズベルト大統領によって始まったとされているが、私たちの第一の結論では、ある
政治集団の政治参加によって引き起こされた。第二には、選挙を改良するための秘密選挙
などの制度は、投票率の低下につながったのである。第三に、最近の選挙における詐欺に
ついて分析した。最後に、我々が世界についてもっとも多くの情報を受け取る、メディア
と公共教育における隠された目的を発見した。
女性参政権と政府の膨張
 19世紀にGDPの2-3%に過ぎなかった政府支出が、20世紀に急速に増えた理由は多
くの人にとって謎だった。ルーズベルトによるニューディールがその原因であるといわれ
ているが、政府支出は1920年代には急速に増大しており、ルーズベルトはその傾向を加
速させたにすぎない。本当の理由は女性の参政権獲得にある。
 世論調査によれば、女性は男性とは異なった意見を持っている。1980-2000年において
は最大22%にもなる民主・共和党の支持格差がある。女性が投票しなかったとすれば、
1968-2004年までのすべての大統領は共和党になったはずだ。
 最も大きな違いは、小さな政府と減税というものへの態度だ。女性は1996年の、生活
保護の受給にはある程度の諸局生活を必要として、受給総額に上限を設ける法案に、大き
く反対している。また医療保険、社会保障、教育支出にも賛成である傾向が強い。
 女性は男性よりもリスク回避的であることが知られている。人生のリスクを回避するた
めの政府プログラムを支持するのは理由がある。また、女性は平均的に所得が低く、また
所得変化も少ない。独身の女性が、累進課税を肯定するのは当然である。結婚している女
性は、その夫の所得も重視するため、高い税率に反対することが多くなる。
 結婚によっても、政治への態度は変化する。主婦になった女性は、市場でのスキルを上
昇させることができないため、離婚の恐れがある場合には、累進課税や各種の所得移転に
賛成する。離婚をすることがないと考えている女性は、そういった所得移転に反対する。
これは、誰も何の利益もなければ、自分の家庭の財布と政府の財布を一緒にさせる気がな
いだろうことを考えれば当然だ。
 本当に女性の参政権が、政府を肥大化させたのだろうか。48州の歴史を見ると、女性
参政権は西部家ら始まり、ワイオミング1869年、ユタ1870年、コロラド1893年、次い
で、1910-14年には8州で、17-19年には17州に拡大した。20年には憲法修正第17条が
認められ、女性の参政権が憲法に記された。
 女性参政権が政府を拡大させたのなら、それは統計に表れているはずだ。実際、女性参
政権が認められるとすぐに、政府支出は急速に拡大し始めているのだ(163ページ)。確
かにグラフは参政権が原因であるように思われるが、他の要因が存在し、女性参政権を拡
大すると同時に、政府支出も拡大したのかどうかを調べる必要がある。
 修正17条の規定にも関わらず、9州は即座にそれを実行したが、10州はそれを実行し
なかった。もしかりに、女性参政権以外の理由が政府を膨張させたというのなら、二つの
グループでは、女性参政権と政府の拡大時期が異なるはずである。しかし、データは、両
方が同じであることを示している。
 1960年までに女性の投票率は男性と同じになり、この事実は政府の肥大化の多くを
説明する。女性は、次第に大きな政治勢力となり、有権者として、組織されるようになっ
たのだ。
 だが、1970年代には、女性の多くが離婚してあるいは結婚しないでシングルマザー
になるようになった。離婚率が高いほど、女性はリベラルになる。結婚する以前の女性は、
男性よりも50%も民主党を支持しているが、結婚するとその差は3分の1になる。離婚
をすると、75%、より多くの女性が民主党を支持するというように、女性の人生では政
治思想は変化する傾向があるのだ。
 おそらく、政府政策は、より大きな政府を作り出しているのだろう。離婚しやすければ、
それだけ離婚者は増え、政府の生活保護が必要になる。離婚に相手の問題という理由が必
要なら、男性は離婚する際に、より多くの生活費と慰謝料を妻に支払う必要がある。しか
し、離婚に理由がいらないのなら、女性の地位は大きく弱まってしまう。この結果、女性
は結婚しても職を続けるようになり、その結果、夫婦の時間は減って、離婚が増加すると
いうわけなのだ。
 女性参政権が政治の世界を大きく変えたのは、政府のサイズと税制だけではない。女性
はより抑制的であるため、中流階層の女性によって、各種の規制法が作られることになっ
たのだ。アメリカでの女性の政治的な活躍は1960年代からだとされているが、実は、
それ以前からはるかに大きな影響を与えてきたのだ。
 
投票率の低下: 投票税、秘密投票と識字テスト
 
 ほとんどのアメリカ人は、秘密投票は民主主義を向上させるが、投票税と識字テストは
アフリカ系アメリカ人を選挙から追い出すため、民主主義を抑圧するひどい不正義だと考
えている。投票税は、投票時にお金を集めるもので、その資金はもともとは、ほんのわず
かな量であっても、選挙費用として献金されるものだった。しかし、世論では、投票税は
もっとも選挙を害するものだとしている。
 1870年代から続いた投票税は、1964年には連邦選挙、1965年には州選挙か
らなくなってしまった。主に南部諸州で行われていた投票税は、黒人を投票させないため
のもので、わずか1-2ドルで安定していたが、10%程度投票率が下がったと考えられ
ている。
 投票税は、廃止された後も長く影響を残した。税がなくなると4%程度の投票率の増加
がみられたが、1980年代になっても、1%程度の影響を残している。これは女性の場
合もそうだが、選挙行動には組織的な部分があり、政治活動への参加には長い時間が必要
だということを意味している。
 秘密投票は、投票税とは違うと考えられている。アメリカの伝統であるとも考えられる
秘密投票は19世紀にはじまり、20世紀に完成したもので、その選挙によって他人を怒
らせたり、傷つけたりしないために、投票をより公正にするだろうということで採りいれ
られた。
 秘密投票は理念とは異なり、実際には、投票税と一緒に採用された。当時の投票は色に
よって候補者を選ぶことができたために識字できないものでも可能だったのが、投票税の
廃止とともに黒人に投票させないために、秘密投票によって字を書くことを要求するよう
になったのだ。これによってわずかに投票率は下がったが、さらに票の買収ができなくなっ
たために、4-5%の投票率が低下した。
 識字テストは1900年後ころから使われ始め、それは合衆国憲法の一文を読ませるよ
うな形で行われた。1930-50年代には投票税に代わって南部諸州ではアフリカ系ア
メリカ人の投票を妨害するために広く使われ、5-6%の投票率を低下させていた。19
65年になって初めて全廃されたが、南部の政治に与えた影響は、投票税と秘密投票の方
が、識字テストよりも大きかったのだ。
 
投票詐欺
 席虚は公正で正確でなければならないが、不在者投票や身元確認方法、郵便による投票
などには論議がある。もちろん、投票税のように、投票のコストを引き上げれば投票率は
低下するが、研究によると選挙規制のいくつかは確かに投票率を低下させるが、逆に信頼
性の向上によって投票率が上昇するというものもあるようだ。
 アメリカにおける投票詐欺は、深刻な問題になってきた。フィラデルフィアでは、ニュー
ジャージーに住む男が、100回以上も死人の名をかたって、投票していたことが分かっ
ている。アトランタでも同じような例があり、セント・ルイスの投票者名簿は10年も更
新されていないため、死亡者の名をかたった詐欺が起こっている。
 2000年の大統領選挙で有名になったフロリダでは、1997年のマイアミ市長選挙
の際に、数千もの不在者投票詐欺が起こっている。翌年、八百十万人の有権者のうち、1
7702人は死亡しており、47000人が複数の投票所で登録し、50483人は刑の宣告
受けた重罪人であり、選挙権がなかった。他の州でも、投票数が住民数よりも多いという
ことが起こっている。ウォール・ストリート・ジャーナルの記者は、モンタナとヴァージ
ニアの2006年の上院選挙は、選挙詐欺によって当選が決定したと考えている。
 投票率の向上のために、不在者投票があるのだが、これが詐欺の大きな原因である。養
老施設の管理者は、その管理者の名簿にアクセスしやすいが、これがまた買収行為につな
がっているのだ。不在者投票はまた、投票者が明らかになるため、買収行為の対象ともな
りがちだ。
 郵便投票もまた買収にかかりやすい。ある左翼団体は、セント・ルイスでは1500、カ
ンザス・シティでは3000の、投票権のない子どもや死亡者の名をかたった明らかな詐欺
が起こったと報告している。
 このため、ジョージア、アリゾナ、ミズーリなど多くの地区で登録法と身元確認の要求
を巡って、訴訟が起こっている。
 他国を見れば、投票詐欺が投票率をどう変えるかがわかるだろう。メキシコでは、1990
年代の詐欺を受けて、不在者投票、郵便投票が禁止され、6か月前に選挙登録をし、身元
確認には写真や指紋を要求している。その結果、大統領選挙では改革前の59%に比べ、
改革後は68%の投票率になった。公正な選挙は、より多くの人を投票させるのだ。
 アメリカでは、メキシコほどの腐敗が起こっていないため、これほどの効果は期待でき
ない。しかし、どういった選挙投票規制も、投票率を下げるという結果は出ていないのだ。
この結果というのは、選挙規制によって、低下させられた投票率と、選挙規制によって、
人々がより多くの信頼をして投票率が上昇したという二つの効果の産物だ。
 詐欺が最も起こっている地区においては、選挙方法の規制は投票率をわずかに上昇させ
るが、詐欺が起こっていない地区では、そういった効果は見られない。選挙期日前投票も
また、投票率を低下させているのは、多くの人々にとって驚きであったが、それだけ、人々
は選挙の公正を気にかけているということなのだ。
投票に使用する機器
 投票詐欺は大きな問題だが、パンチカードを使った投票機が、組織的に多くの人々の投
票をカウントしないようになっているとも、広く信じられている。投票機をめぐって、
2003年にはカリフォルニア州知事選挙で選挙訴訟が起こり、2004年にはオハイオでも訴
訟が起こっている。世論では、30%のアフリカ系アメリカ人が、45%の民主党員が投票機
に問題がないと考えている。そして、すべての有権者でも、その60%しか完全に信頼し
ていないのだ。
 パンチカードは2000年には3400万回使用されたが、2006年には400万回し
か使われていない。光学スキャンは7000万回、電子投票は6700万回使用された。
パンチカードは問題があるが、他の方法よりも優れた点もある。
 2000年の大統領選挙では、パンチカード利用者が候補者を選んでいないという点を
めぐって、その解釈をめぐって大きな議論になった。しかし、パンチカードは他の方法よ
りも、10%程度の投票率の上昇を生み出す。2006年のオハイオの上院選では、10
分の1程度の投票が減少しているのだ。
 投票が重なっている場合、電子投票は10%程度よけいに時間がかかり、また高齢者に
はその使い方がよくわからなくなる。アフリカ系アメリカ人は、パンチカードを使った方
が、白人よりも投票率が高いのだ。これは、教育程度に依存していない。義務教育程度か
ら、大卒、大学院卒まで一貫した傾向だ。興味深いのは、高所得者層は投票を棄権するこ
とが低所得者層よりも15倍も多いことだ。
 電子投票はハッキングの危険性があるとされるが、これもまた誤りだ。電子投票機はオ
ンラインではないし、投票は書き換えできない方法によって記録されている。過去にハッ
キングされた例もない。ハッキングの可能性は、投票前と投票後のプログラムチェックに
よって阻止されており、その可能性は低い。
 陰謀理論は根強いが、そういった可能性は低いし、またそういった形での選挙批判は実
りがあることもないままに、将来の投票率を低下させるだけだろう。
2000年大統領選挙
 2000年のフロリダでの大統領選挙では、パンチカードの問題がクローズアップされた
だけでなく、組織的な黒人票の無効化が議論された。そういった疑問を呈したのは、黒人
指導者のジェシー・ジャクソン氏だけではない。
 確かに黒人の民主党員の投票は少なかったが、それ以上に黒人の共和党員の投票は少な
かった。ハッキングなどの陰謀理論は、これを説明できないし、その可能性は低いだろう。
選挙での「当選確実」の報道
 メディアによる当選確実の報道は、東部での選挙で確定すると、西部諸州での投票率を
大幅に下げてしまう。2000年のフロリダでも、ゴアが勝利したようだとの報道を受けて、
おそらくは10000票程度の共和党支持者が投票をしなくなったと見積もられている。報道
は、投票を阻害する重大な要因となっているのだ。
犯罪者の投票
 フロリダの選挙は537票差での共和党の勝利というものであったため、もしフロリダで
犯罪者の名誉回復による選挙権の復活が行われていたら、状況は異なっていただろう。驚
くことに、犯罪者の多くが、選挙権を獲得したのちに民主党の大統領に投票しているのだ。
 なお、犯罪者の多くは、出所後に所得も低いままに、貧困地区に住んでいるのが普通だ。
彼らが望むのは選挙権ではなく、銃の保持許可であるが、これは許可されていない。
 犯罪者が民主党を支持する確率は、同年齢、同じ社会階層、性別に比して、30%以上も
高い。93%もの選挙権回復者が、2004年の選挙で、共和党のブッシュではなく、民主党
のケリーに投票しているのだ。民主党が、犯罪者の名誉回復に熱心である理由が理解でき
るだろう。
メディアは偏っているのか?
 投票は市民の義務であり、多くの人は、自分が投票していないことを認めたがらない。
選挙後の調査では、20%も多くの人が自分が投票したと答える。2004年の大統領選挙で
は40%が、2000年の大統領選挙でも45.6%が投票しなかった。
 選挙民が議論の内容を理解していないのだろうか?それなら、彼らは自分の好きな団体
に、候補者を聞けばいい。全米ライフル協会に聞けば、銃規制反対派が誰か、シエラ・ク
ラブに聞けば、誰が環境保護派であるかを教えてくれるだろう。
 とはいえ、多くの有権者はメディアから情報を得る。立場の違いによって、どこがどち
らにどの程度のバイアスがあるのかという認識の違いはあるが、メディアが偏っていると
いうことについてはコンセンサスがあるようだ。
 保守主義者からすれば、ジャーナリストが自分をリベラルであると考えることそのもの
がバイアスの存在の証明だ。ジャーナリストが自分を保守であるとする割合は、
1994-2005年にが4%から7%に上昇したのに対し、リベラルは22%から34%になった。
 テレビ局員による政治献金もまた民主党寄りだ。CBSの98%、NBCの100%、保守
といわれるFOXでさえも81%が民主党に献金している。
 私はニューヨーク大学の歴史学教授から、メディアがすべて左派であるというなら、重
心が左派によっており、少しぐらいの左派では、保守的とみなされてしまう、というメー
ルをもらった。もし、すべてが偏っているとしても、どうやってそれを確証するのだろう
か?左派にとって重要な事実は、右派にとっては重要ではないため、確認することは難し
い。
 私とハセットは、メディアが偏っているかどうかを、1985-2004年の経済ニュースを分
析することで確認しようとした。客観的であるというのは、失業率、GDP、小売、耐久
財消費などである。我々は、ヘッドラインだけに注目することで、メディアの与えようと
するインパクトを推定した。
 大統領が民主党である場合、共和党である場合よりも、20%以上もよいヘッドライン
ニュースが流れていた。下院が民主党であれば、なお良いが、大統領も下院も共和党であ
る場合が、もっともニュースが悪い報告になっていた。
 10大新聞を見ると、シカゴ・トリビューン、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・
ポストやその関連新聞は同じように民主党を支持していたが、共和党には「ご当地効果」
があるようで、レーガンはロサンゼルス・タイムズに、ブッシュはニューストン・クロニ
コルに支持される確率が高かったようだ。
 メディアの偏りによって、おそらくは民主党の支持者は4%ほど増加していると推定さ
れる。これは2000年、2004年の大統領選挙が僅差であったことを考えると、大きなこと
である。
 
情報の政府規制:公共教育からメディアへ
 メディア以上に多くの人々が情報源としているのが、公共教育である。教師の言うこと
を信じない学生はいないし、教科書には何が未来の世代にとって覚えるべきことかが記さ
れている。そして、公共教育は、政府の信じる価値を広めるために存在しているのだ
 アメリカの教育史について語る前に、全体主義国家での教育についてみてみよう。彼ら
がそのイデオロギー教育を徹底する時、保守的な価値観を教えるとして、その対立者とな
るのが家庭なのだ。ソヴィエトでは1920年代、また50年代に、家族の価値観を破壊する
ために、子どもを共同寄宿舎に入れて、教育した。これは、ソヴィエトがアフガニスタン
を占拠した際にも繰り返され、3,4歳の子供たちがソヴィエトでの教育を受けて、将来
の共産主義者となるように養育された。
 大戦後のソヴィエトは、家庭教育を伝統的な価値の温床として完全に否定することから
始めたのだ。これは共産主義国家だけではなく、1969-73年のスウェーデンでも同じだっ
た。「反動的で、望ましくない」価値観を払しょくするために、スウェーデンでは子ども
の養育院が作られ、両親が共に働くための税制度を作り、家庭をバラバラにしたのだ。
 社会的な価値の伝達所としての公共教育が重視され、政府による独占となる。政府は公
正で正しいという考えが植え付けれるため、公共教育を受けた子どもは大人になってから
政府を支持することが圧倒的に多くなるのだ。
 全体主義では、教師の採用や解雇は政治的な目的によって行われるため、ソヴィエトで
は学術ではなく、政治的な要請によって昇進が決定されるのが普通であった。官僚も同じ
ように行動した。チェコスロヴァキアでは、学生による自主的な情報が当局に集められ、
教師が監視された。そヴぇ絵とでも、「クラスからの情報提供者」が教師を悩ませた。
 アパルトヘイト時代の南アフリカでも、教育機関は白人用、黒人用、アジア人用、混血
用、の4つに分けられ、それぞれの人種の教師によって教えられ、白人の優越を教えてい
た。黒人教師は頻繁に黒人社会からの恨みを買うため、殺されたりし、その結果、黒人教
師の給与プレミアムはもっとも高くなっていた。
 こういった教育は、イスラムでも同じだ。サウジアラビアその他のイスラム原理主義国
では、ユダヤ人は畜生と同じであり、彼らを殺しても構わないこと、アメリカが悪魔の使
いであること、すべてのイスラム国家が滅びる運命にあること、などが教えられている。
 これらの全体主義国家とは違い、アメリカの公共教育は偏っていないと思うかもしれな
いが、アメリカの公共教育制度の発達は国家的な価値の普及のためだったことは間違いな
い。
 1820年代には、教育は宗教的なものだった。ニューヨークでは、すでに93%の子ども
が学校に通っていたが、カソリック教会学校に通う子どもが将来犯罪を犯すため、そういっ
た犯罪と社会費用を減らすためと称して、プロテスタントの学校が補助金を受けるように
なった。
 その結果、カトリック家庭の子供を引き寄せるために、プロテスタント学校では、より
多くの数学、国語を教えるようになり、反対にカトリックの親の嫌うプロテスタント教育
は減少してしまった。そして、もともとのプロテスタント教育という目的にはそぐわなく
なったのだ。
 1867年までに、ほとんどの公共教育は競争を排除するために、政府からの支出で賄わ
れるようになった。これが、アメリカの教育の始まりだった。
 アメリカの公共教育が教えようとした理念とは、「すべては政府が解決できる」という
ものだ。これが広まった結果、前述したような、私自身の公立大学での経験が発生したの
だ。それは、公立学校が税金で賄われており、税金を減らすような改革は大学の基礎を掘
り崩す可能性があるために、大反対されるということだ。私は、減税に賛成することを大
学から禁止されたのだ。これは、高校の教師でも同じである。彼らは、その給与を税金か
ら得ている以上、政府の維持と拡大に権益を持っているのだ。
 各政党は、どちらがより多くの支出を教育に回すかを競い合っているが、これは大きな
疑問だ。全体主義国家では、教育予算は自由主義圏の2倍を超えているが、医療費ははる
かにわずかでしかないのだ。これはしかし、子どもを重視しているというわけではない。
ツベルクリン、DPT、小児ポリオなどの予防接種は、自由主義圏の方がはるかに普通だ。
東ヨーロッパで社会主義国が崩壊すると、教育費は激減し、代わりに医療費が激増した。
 アメリカでは医療を受ける自由は保障されており、公立病院でさえも自由に選ぶことが
できるが、学校は選べないことになっている。これは、これまでの議論に照らせば、納得
できるだろう。それはなぜなら、医療機関の競争は医療の質の上昇をもたらすが、教育機
関の競争は、政府の価値を覚える妨げになるからなのだ。
 
後書き
 利他主義は美徳であるが、大きな経済では、それは大きな役割を果たさない。アダム・
スミスは、利己性こそが社会を豊かにするという洞察において、正しかった。コストが高
くなれば、人々はそれをしなくなる。スミスは経済学の原理を理解していた。日常的な意
思決定のインセンティブを理解することは、経済、犯罪、政治、共通善の追求に至るまで、
重要だ。それは、自分の行為のもたらす便益を享受し、不利益もまた支払わせる、そして
民主主義への参加をも促す制度なのだ。
 人々が企業から搾取されているという考えは、一つの局面しか見ていない。政府なしで
も、発展し得る重要なメカニズムを見逃しているのだ。それは評判のもたらす効果だけで
なく、商品の品質を保証するようなメカニズムの進化も見逃している。テクノロジーの進
歩は、こういった制度の進歩ももたらすのだ。
 経済に不満を感じ、市場には問題があるため、政府が介入すべきだというのはやさしい。
8道製品からロジャックに至るまで生産者補助を増やすようにロビー活動をし、職業規制
に賛成する人々は、人々が自分の金が関係する時には、何か考えだすことを見逃している。
フリーライダーの問題はあまりにも多く目につく。しかし、ラジオ広告のように政府が乗
り出したら生まれなかったようなメカニズムは数多い。規制は往々にして、解決するより
も多くの問題を生み出してしまう。
 市場では、常に二面性がある。誰かがよりよい商品を提供して信頼を得れば、それは利
益を生む。政治でも、有権者は大まかにいって、誠実な人々を政治家として選んでいる。
 市場は完ぺきではないが、それは判断基準として適切ではない。政府もまた完ぺきでは
ないからだ。市場は富を生み出すだけでなく、自由も促進する。人々が自由に行動する限
り、アメリカ経済はもっとも生産的で、もっとも誠実な面を含んで発展するだろう。
 

共通テーマ:日記・雑感

自分を肯定する生き物

人間は根本的に自分を肯定したいものだ

自分を肯定する理由がほとんどない場合にもやはり肯定する

現代はなおさらである

自己肯定が肯定されている社会

共通テーマ:日記・雑感

自己愛修復

睡眠中に自己愛を自動的に修復しているのだという説もある
外界の現実を生きることは
自己愛を傷つけられることなのだという面がある

その意味でも睡眠は大切なのだが
睡眠自体がストレスにより妨げられる代表なので
話が難しい

ストレスがあると眠れないし眠れないと修復が進行しないしでなかなかよくならない

最近は仕事がきつくて会社近くのホテルに泊まらされて突貫工事みたいに
納期に合わせる話もよくある
ぎりぎりの睡眠でつなぐようだ

こんな条件の中で
キミは期待したほどで気ないんだねなどと言われると
修復が難しい

家族の中で修復され
睡眠の中で修復されるのに
家族とも切り離され睡眠の剥奪されでは
まるで新興宗教のマインドコントロールテクニックである

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睡眠は生理的な自己愛状態という説

大人の場合で、生理的な自己愛状態は睡眠であるといわれる。
これはなかなか思い切った説だ。

人間は夜になると睡眠の中で赤ん坊の時代の一次的自己愛の状態に回復し、
朝に目が覚めると、赤ん坊から大人までの自己愛の発達を毎日繰り返しているのだ
という説もある。

これなどはフロイトが個体発生は系統発生を反復するという原則を精神発達にも当てはめて
口唇期、肛門期、性器期などと論じていったのと似ている論法で、
フェダーンの思いつき。
朝起きてすぐは自己愛状態。身繕いをしているうちにだんだん現実感覚を取り戻して外向きの自己愛を整える。そして仕事に出て行く。

寝付きのよい人は楽しい空想で一杯になって全能感に満たされて自分のことを楽観的に考えられる人。
自己愛状態にぱっとなれる人は寝付きがいい。

反対に自己愛状態に戻れない人は寝付きが悪い。

周りへの配慮を捨て去り、本来の自分に戻れる人は寝付きがいい。
眠るときも関心が外に向いていると眠れない。

自己愛をここまで拡張すると
概念の輪郭も保てないような気がするがいろいろな説があってもいいのだろう

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風吹けば落つるもみじ葉 水きよみ 散らぬ影さへ底に見えつつ 

風吹けば落つるもみじ葉 水きよみ 散らぬ影さへ底に見えつつ (凡河内躬恒 古今集)

大意
風が吹いて紅葉が散る。池水が澄んでいるので、一方では池の底にある葉の像があり、他方ではまだ枝にある葉が池に映った像がある。この両者が重なり合って見える。

*****
紅葉のようにいくつかの恋があった
池の底にも恋は見えていて
水に映る恋もある

重なり合って見えているのは
どの恋にも宿る私のだめさ加減だし
女たちの涙だろう

同型を反復し
それは美しい模様を描く

*****
この歌をタクシーの中で女の人に話していた
タクシーの運転手がいい話を聞かせてもらいましたと
いわれて
さらに自身の体験を話し出し
驚きました



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どこか悲しい音がする

のんきと見える人々も、
心の底をたたいてみると、
どこか悲しい音がする

『吾輩は猫である』 夏目漱石



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日本文明の謎を解く 竹村 公太郎

江戸学の助けになる

*****
 赤穂浪士の騒動を延々とさかのぼっていくと、長良川の水利権争いに行き着くんだって。長良川では、吉良と徳川が、上流、下流の利権を持っていたんだけどね、吉良の方が古くから上流の水源地を押さえて、いつもそこで威張っていたんですよ。
 しかも、徳川と吉良にはもうひとつの確執があって。徳川といえども、征夷大将軍の称号は1代限りだから、徳川家は将軍が代わるたびに称号をあらためなければならない。そのときの取り次ぎが吉良という高家で、徳川家はいつも吉良家に相談をしなきゃいけない。ということで、日ごろから吉良家をわずらわしく思っていて、それで赤穂浪士の討ち入りが起こったときも、ちょうどいいから吉良をつぶしちまえ、ということだった、と。今、僕はすごくはしょって言ったけど、それを証拠を上げながら丁寧に解き明かした本が、『日本文明の謎を解く』竹村 公太郎なんです。

*****
アマゾンでは
土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く (単行本)
竹村 公太郎 (著)

地形とデータにもとづいて、大阪の五・十日渋滞など国内11都市の謎を解き明かし、日本人と日本文明の本質を炙り出す野心作。
忠臣蔵は、徳川幕府の吉良家への復讐劇であった。地図を見るとそれがわかる。▼まず、皇居すなわち江戸城の正門は、一般的には「裏門」であると言われている半蔵門である。江戸の古地図や、半蔵門周辺の地形を考えればそうとしか思えない。いっぽう赤穂浪士たちは、半蔵門周辺にまとまって潜伏していた。そこから見えてくる真実は……後は、本書を読んでいただきたい。▼著者の竹村公太郎は、地形や気象、下部(インフラ構造)から、日本の各々の土地の謎を具体的に解き明かしてゆく。歴史文献だけでは決してたどり着けない真実、そして日本人と日本文明の本質があぶりだされる興奮の快著である。北海道、東京、鎌倉、新潟、京都、滋賀、奈良、大阪、神戸、広島、福岡、これらの土地について少しでも興味がある人、いや、日本に関心がある人なら、本書によって今までにない知的興奮を得ることができるだろう。特別編として、「遷都」「ソウル」の章も収録した。

*****
抽象的なものを思弁的にもてあそびそれで楽しいならば何も言う必要はないが
このように具体的におもしろいものが提示されると
知ることや考えることの楽しさが腑に落ちる。

*****
下部構造から歴史の必然を論じたとある。なるほど。



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会議中の私語 了解不能な他人

若者は子どもの頃から私語を注意されない環境で育ってきた。大学生になっても講義中に私語をしている。
年よりは昔は私語をしなかったのに現在は会議中に私語をしている。

これは一体どう言うことなのだろうかといわれていて、
たぶん、テレビを見ていて、食事をしたり、話をしたりで、ながら族になっていて、
授業や講演会もテレビと同じ感覚ではないかといわれたりもする。
しかし他人に迷惑になるのは明白だし
自分の部屋ではないのだから
区別はつくだろうともいわれていて、
なぜなのかよく分かっていない。

*****
会社での会議中にも問題になるのだが、
大学でも講義中の私語が話題になっている。
注意しても学生さんは私語をやめないし携帯もやめないという。

90分くらい我慢すればいいのにと思うが、それに講義を聴きに来ているのだからきちんと聞けばいいだろうと思う。
聞くのは嫌だが出席だけはしていたいというなら迷惑にならないように静かにしていればいい。

前の方で講義に集中したい人から意見が出て、教室の後ろに固まった人たちが私語をしてうるさい、静かに講義に集中したいとのこと。
大学側は講堂の後ろのほうに係員を二名おいて、私語を注意し、携帯使用を注意しているらしい。

嫌なら講義なんかでないで自分で勉強すればいいし、
出席点が必要といわれるなら、自分は出席するよりも有効に時間を使うからといえば、
強制はせずに試験だけで点数がもらえるのではないかと思う。
勉強しても理解できないのは本人の責任ではない部分が大きいので、
何とかしてあげようということで、講義も工夫するし、場合によっては出席点も加味することにして、
単位をあげたいと思っているはずだ。
そこまで配慮してもらっていながら邪魔をするというのはどういうものかと話題になる。
邪魔をしている気持ちもあまりないというのが実際らしい。
90分の間も携帯の電源を切っておけないのだから
もう価値観が根本的に違うのだろう。

会社ならばさすがに少人数ではあるし、誰かが頭に来るとして、上司に言いつけるので、上司はさっさと評価を減点することになり、それが怖いのである程度は抑制になる。
会議中に仕事はないけれどノートパソコンで他のことをしていたりするので、
大事な話の時には、「ノートパソコンは閉じて、携帯も切って」と前置きして集中させるらしい。

このような傾向は最近はお年寄りも同じで何かの会合でずいぶんお年寄りで地位もある人で、全く人の話は聞く気がなくて、これは俺は偉いんだということの示威行為なのだろうとか思ったくらいだ。
この人が小学生だったときはきちんと私語なく先生の話を聞いていたはずだ。

学級崩壊を防ぐために壁のない学校というものがある。
実験的な試みだと数年前に聞いた。
学級ごとの壁がなく、いくつもの学級が体育館みたいな広さのところで
それぞれの勉強をしている。
うるさくて大変らしいのだが、
それでも、誰かが暴れていたりすれば教員はそちらに一気に集中することができて、学級が孤立して崩壊しないですむ。
ふらふら歩き回る子がいてもいずれにしても視界の中にいるから大丈夫らしい。

*****
テレビを見る態度の延長だろうというのは分かるけれど、
まさかいまテレビなのか講義中なのか区別ができないはずはない。
理解できないというのが本当のところだ。

一体どうなっているのか。
そのような「了解不能な他人」が実際増えていると思う。



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古内東子 - 返事

http://www.youtube.com/watch?v=iuyxz-Z6rNc&feature=related

別れた人からの返事が宝物になる歌
どのようにして納得できるか

失恋を別の恋愛で置き換えているのは
終結がうまくいっていないということなのだろうか

この歌ではきちんと終結している

強がりのような気もする

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自分の馬鹿な性質を

自分の馬鹿な性質を、
雲の上から見下して笑いたくなった私は、
自分で自分を軽蔑する気分に揺られながら、
揺籃の中で眠る小供に過ぎなかった

『硝子戸の中』 夏目漱石



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継続である

私は私の病気が
継続であるという事に気が付いた時、
欧州の戦争も
恐らく何時の世からかの
継続だろうと考えた

『硝子戸の中』 夏目漱石



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ネットの言論は残る

ネットの言論は流れないし消えない
残る

しかし書く側はさして気にせず
おしゃべりのつもりで書いている
それが特徴であると思う

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平原綾香 - 明日

平原綾香 - 明日

http://www.youtube.com/watch?v=ZK_8zMlDxyA&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=6G1w0kYHiSg&feature=related

平原綾香 -- ありがとう --

http://www.youtube.com/watch?v=0gfpDTEEC9w&feature=related

どこかですれ違う わたしたち

夢の続き

古い古い思い出のために

こんなにも静かな晩年があるとは 思わなかった

静かな人生を求めていた
読書をして少しだけ書いて
そのあとで散歩をして
花の手入れをして
そんな日々があると思っていた
早い時期に信州に引っ越したかった

現実は激動の続きだった
どうしてか今はまだ分からない


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夜会巻きとハーフアップ編 ヘアアレンジ

夜会巻きとハーフアップ編 ヘアアレンジ
http://www.youtube.com/watch?v=iUHrJYCSmYU&feature=dir

なるほど

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「現実」の拡張

我々が日々接している現実はメディは発達のあとでは拡張し続けている

リアルでもバーチャルでも脳にとっては情報処理で
1時間は1時間ということになる

江戸時代を考えれば
耳にする事件は極端に少なかっただろうと思う
マスコミは存在しなかったし
言い伝えで伝言ゲームをしているうちにどんどん変形し
それは情報というよりはお話になってしまったものだろう

江戸時代のバーチャルは多分朱子学とか陽明学とかそんなものではないだろうか
江戸の現実と関係があるようでないようでやはり結局バーチャル

現代は非常に緊急で重要な事件が次々に起こる
事件が起こるとそのことを専門に研究しているという人が必ずいて
だいたいはカツラを付けてテレビで何か話す
キャスターは徹底的に絶対とか言い続けている
キャスターの言葉はもうすっかりハイパーインフレで聞いている方はなんといわれても驚かない

人気投票をすれば組織が動員されて
多数形成を根ざす

世論調査では質問項目に微妙な手加減が加えられる

ニュースの言葉も時間も順番も
編集権により決定される

編集権は誰が管理しているのか不明確である

*****
脳にとってはバーチャルな情報という区別はあまりないし
現実にゲームを現実と思う人はいないだろうが
ニュースを現実と思う人はいるだろう
そうではなくてニュースは新聞やテレビ局が再構成したもので基本的にバーチャルで
その中から慎重にリアルを探さなければならないということになる

国語の読解のように素直に筆者を信頼して読めばいいというものではない
いろいろな事情が背景にあって記事と解説ができているのだから
背景にある力の動きをそこに読む必要があるのだろう

バーチャルの奥にリアルがあるという構図になる

そのような意味で「現実」は拡張されている。

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多少自己愛的でいい

こんなにしつこく自己愛について書くとは思わなかったけれど
自己愛についてこんな問題があると書きながら
それでも多少自己愛的でいいのだと思う
うぬぼれて独りよがりで世間が見えなくて
そのおかげで自分を信じて前に進めるのならそれでいいではないかと思う
それぞれがそれぞれの道でどんどん前に進んでくれる姿の方がいい
他人に気を遣ってひっそりしているよりは
やかましいくらいに自分を主張して
自分を信じ切って
自分を認めてくれる人を真剣に探してさまよい
そんな感じで道を切り開いていくたくましさがないと
これからの社会では
特にグローバル社会では頼りない

政治的な意見の対立の局面でも
若いうちはうぬぼれていてもいいと思う
年をとったらうぬぼれに対応するくらいの実力がついていればいい
年をとってもうぬぼれだけだとそれは有害

国家主義的な感覚を
ナルシスティックというかアイデンティティというかは難しいところだろう
社会が容認すればアイデンティティに近くなるし
社会が容認しなければ独りよがりな未熟な考えということになる
まただからこそ、仲間を作りたがる
自分はひとりでも論理の正しさで優越していると信じて、それで事が済むものでもないのだろう
ある程度支配の感覚を含んでいるのではないかと思う
社会のために犠牲になってくれる人を誰も悪くはいわないが
その人が、だからおまえも犠牲になれとか、だからおまえは俺のいうことを聞けなどと
言い出すと賛成できない人も増えることになる。

程度の問題である。

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古内東子 - そばにいて

古内東子 - そばにいて
http://www.youtube.com/watch?v=UDtIoxCjAco&NR=1

この人の歌はつらいものが多い
別れを必死に耐える情景など

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このしぐれ いたくな降りそ 我妹子に 見せんがために もみぢ取りてん

このしぐれ いたくな降りそ 我妹子に 見せんがために もみぢ取りてん
万葉集巻19-4222

しぐれよ、あまり降るな
妻に見せてやるために
この美しい黄葉を折り取って送ってやるつもりだから

秋の雨よ
紅葉を散らさないでおくれ
あの人に
折って送りたいから

紅葉散らすな
秋の雨
あの人と
見たいから

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今年もただひとり見上げる紅葉

空が青い
青さをまじまじと見る

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おもしろお肉

人と話していたら
ミートホープの社長の技は実は捨てがたいのではないかとのことだった

牛肉にいろいろ混ぜものをして
牛肉100%と表示して
売れてしまうのだから

牛肉100%の挽肉の中に豚肉、鶏肉、パンの切れ端などの異物を混入させて水増しを図ったほか、色味を調整するために血液を混ぜたり、味を調整するために化学調味料を混ぜたことなどが明らかになった。

さらに、消費期限が切れたものをラベルを変えて出荷したり、腐りかけて悪臭を放っている肉を細切れにして少しずつ混ぜたりするなどの不正行為も明らかになった。これらは創業間もなくから始まり、後に常態化したと見られている。

餃子に混ぜものをいろいろ加えて
鶏肉、豚肉、牛肉、魚、いろいろな味を
野菜から作ってしまう
中国の餃子名人夫婦というのが
莫言の小説に登場して、
自分たちは人類の未来を救うと豪語している。

*****
その人によればミートホープの加工技術は
食品の未来を示しているらしい

牛肉と表示しないで
おもしろお肉 くらいならよかったのにとのことだ。

普段おもしろハムとか
おもしろアイスクリームとか食べている
せつない私たちである。



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