風のガーデン 2008年12月11日放送分
ハイビジョンでも意味がない
*****
周囲の人たちが嘘をつくのはどうしたらいいものだろうか
優しさから発しているものだとは理解できるが
果たしてそれでいいものかと思う
人に対する信頼感の方が大切なのではないかとも思う
結局嘘なのだから
言葉の誤用であると私は思う
人間は本来
脳を「並列に」つないで現実に対処すべきなのである
嘘をつくことは
その人の脳に間違った情報を入れることで
並列ではなく直列につないでいる感じがする。
軍隊も官僚組織も非人間的なのであって
脳は並列に水平に結合されるべきである
現実を共同して正しく認識して
現実に対して共同で働きかけるべきだと思う
誰かが嘘の言葉で現実を作り出しても
幸せにはならないだろうと思うのだ
そのような人たちは結局、自分の人生も嘘で飾るし
人生の最後には何が嘘で何が言い訳だったのかも
分からなくなっているものだ
たしかにむき出しの現実はきついものである
誰しもつらい思いはする
しかしそれもまた共同の認識になれば
少しは耐えやすいと思う
孤独の中で推理することは実につらいものだ
なるべく誤解のない関係を築いていきたいものだと思う
*****
このように親切な嘘をついてしまうことと
男が結婚したあとも恋にうつつを抜かして家庭を壊してしまうことも
根はつながっているのだと思うのだ
いいことは悪いし
悪いことはいい
結局よく分からないところがあると感じる
*****
それにしても花々の美しいこと
そして
それにしても人々の好ましいこと
時間に遅れて生きている
電車の駅を歩いていても人に追い越される
新聞はたまる
ビデオはたまる ハードディスクは一杯で何も録画できない
郵便もたまる
読まなくてはいけない書類が積まれたままで
締め切りは実質無視
会議にはやっとの事で出ているものの
寝てばかりいる
夏は夏で眠かったが
冬は冬でやはり眠い
食事をしても自分だけ遅い
みんなつばが出ているのかな
考えてみて
私の時間速度が遅いのではないかと思われる
ついて行けないと思い始めている
たばこ税
たばこ増税をやめるのだという
財務省もおかしなことを
政治家に言わせている
政治家のリモコンぶりが可笑しい
増税してたばこが売れなくなればそれはそれでいいことだし
増収したらそれはそれでいいことだし
増税して悪いことは何もないと思うのだがどうだろう
あたりまえだよね
財務省の天下り先を保護するためらしい
本を書くコツ
本を書くときに
困るのはたぶん全体の構成です
部分部分についてはそれぞれの人の体験や発想がありますから、
何とかなると思います。
ブログなどはそんな感じですね。
それをどのように一冊の本にするか。
それが構成になります。
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簡単な方法は、本を見開きで一つのテーマを扱う、
全部で20項目を立てて、40ページくらいにする、
という具合に、単純化してしまいます。
そして見開きページの大半はイラストか写真としてしまいます。
文章は少なくなります。
たいてい人は他人の文章など読む気力はありません。
短ければ短いほどよいのです。
分かち書きしていなければ読む気がしません
詩でも長いし、短歌は短歌で密度が高くて難しい
石川啄木くらいの分かち書きがいいのですが、
しかしそれができるのが天才です
一握の砂は見開きにたった4首です
啄木でさえ
それくらいしか人間の注意は届かないものです
ですから、ポイントだけに絞り、あくまで分かりやすく、
論理もストレートに、
あとで恥ずかしくなるようなレトリックは排除して
そんな感じで
20個の項目を選定します
私が好きなのは
1.導入……言いたいことの元になった体験、過去、基礎的おさらい、これまで分かっていたこと
2.言いたいこと……簡潔に、細かいところは読者に任せる
3.応用……そのことを元にしてどんなことが考えられるのか
くらいの構成です
図、表、イラストで理解を助けてくれるといいと思います
絵を描く才能があったら絵を添えます
写真もいいと思います
思ったより情報があって、読む人がいろいろと解釈してくれます
*****
簡単に言うと
あなたの書いたブログの中から20個だけ選んで
見開き40ページに配置して、
あとは図、表、イラスト、絵、写真で作る、
ということでどうかという提案です。
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たとえば、誰かからの手紙があったら、
その中から短く20この部分を選び出します。
成長に従ってでもいいし、季節に従ってでもいいですから、配置します。
あとは絵や写真を添えます。
いまは写真集を手軽に注文できますから、
そんなサービスを使ってもいいと思います。
自分の絵とか手紙をそのまま写真にしてしまってもいいでしょう。
*****
亡くなった人の記録を作るのもいいと思います。
20個のテーマを選んで
短い文章と写真、絵などで
構成すればいいでしょう。
テーマごとに見開きでまとめて、思いはたくさんあるでしょうが、大胆に省略してまとめます。
ポリアンナとピカソ そしてフロイトへ
それはそれで微妙ですよね
どんな?
人間はつらい時には、本当は現実にあるいいところも見えなくなってしまう性質がありますね。
悲劇のまっただ中にいると、
すべてが悲観的に邪悪に見えて、将来もいいことは「ひとつも」ないだろうと思えてしまいます。
オセロが全部黒く見えてしまいます。
でも現実はそうではないと考え直すきっかけになりますね、ポリアンナの話は。
また一方で、ポリアンナは人物に対しても状況に対してもいいところしか見ないですから、
それは悲観的思考とは逆の意味で偏った見方であるということができます。
フロイトが好みそうな
現実的で理性的な見方は
現実の黒の面と白の面をきちんとありのままに見ることだと思います。
なかなかそうはできないですが。
悲観的に考える人は物事に慎重になりますから、大ケガはしないようになります。
それは利点とも言えます。
「よかった探し」をして物事や人物のいい面を評価しながら生きるのは、
心が明るくなって、元気が出て、頑張りがきくようになり、自分に自信も出て来ます。
それはいい点だと思います。
傷ついても、またその事柄の中からいいところを見つけていけばいいわけです。
認知療法の一つの重大な課題は
過度に悲観的思考からの脱出です。
まさにポリアンナの態度が役に立ちます。
*****
しかし一方的にポリアンナであることもまたつらいものです。
元気がないとポリアンナでいることができませんし、
ポリアンナでないと元気でいることはできません。
ポリアンナに対してピカソはどうでしょうか
「いろいろな角度から物事を見て総合している」
それもまた大切な態度です。
たぶんフロイトならば
ポリアンナ的片面を見る思考から
ピカソ的複合的視点を経過して
さらに
平凡で安定した日常的な視点を
提唱すると思います。
ピカソ的複合視線は途中経過としてはとてもすばらしいものですが、
最終的に人間がそれで落ち着くかといえばそうではありません。
いろいろと体験した後に、
やはり伝統的で安定した、共有できる視野を獲得するのがいいと思います。
ポリアンナは陽です
反対を陰のポリアンナと名付けてもいいでしょう
それらを一つの画面に乗せてしまえばピカソです
そして二つをなじませて日常的な風景にしてしまうのがフロイトです
分解していけばピカソが現れ、
さらにその要素としてポリアンナも陰のポリアンナも現れるわけです。
精神分析ですから、分析すれば、そうした風景が現れます。
分析を終えて、最後には総合して、普通の風景に戻るわけです。
精神総合と言ってもよいものです。
ポリアンナ
統合してピカソ ⇒ さらに統合してフロイト
陰のポリアンナ
過労によるうつ病
判決によると、男性は自動車メーカーのシステム開発を担当していたが、2000年6月から8月にかけて月100時間を超える残業を強いられたため、うつ病になり休職。その後、復帰したが2001年8月に自殺した。
大段亨裁判長はJFEシステムズについて「男性の負担を軽減する措置を講じなかった」として男性の自殺に対する責任を認めた。一方、JFEスチールについては「直接管理監督する立場にはなかった」として賠償請求を棄却した。
*****
過労によってうつ病が起こると認定しているんですが、それでいいんですか?
過労とは何か、本質が決定しにくい。過労の測定ができない。
うつの本質が分からない。うつの測定ができない。
それなのに過労によってうつ病が起こったと無邪気に認定している。
ナイーヴとしか言いようがない。
12月の銀座から東京駅まで 明日を信じて
12月になってすこし活気が戻ってきているような気がする
活気と言うべきか
金策に駆け回っていると言うべきか
いずれにしても
皆さん、仕事なんか諦めてもいいから、
人生は諦めないでいきましょう
苦しい思いをして
そこから立ち上がることも
人生ですよ
応援します
助け合いましょう
何とかなりますよ
悪い人もいるし
いい人もいる
それが人生です
苦しいときの相談相手が本当の相談相手じゃないですか
ワセリン加湿器漢方薬ユニクロ
ワセリンと
加湿器
漢方薬と
ユニクロ
こんなもので乗り切ります
久しぶりに煎茶を入れて飲んでみたらおいしい
自分で入れてもずいぶんおいしい
まだあの人ほど上手ではないけれど
あの人は本当に上手でした
私にぴったり
ありがとう
大岡昇平「ハムレット日記」「野火」「狂人日記」幻覚妄想
ハムレットの綴る日記という形である。
シェイクスピアのハムレットが背景にあるのでなおさら楽しい。
本歌取りのようなものか。
シェイクスピアと比較してみると、
シェイクスピアの豪華絢爛なレトリックが際だつ。
大岡昇平は心理描写が際だつ。
*****引用
可哀そうなオフィーリア。小川の岸に枝をたらし、白い葉うらを水にうつしている一本の柳の木がありました。そこへ、きんぽうげ、いらくさ、雛菊の花、それから羊飼いはみだらな名で呼ぶけれど、乙女たちは死人の指と呼んでいる紫蘭を添えた花冠をかぶって来ました。垂れ下がった枝に登って、その冠をかけようとした時に、意地悪の細枝が折れ、オフィーリアは、花冠もろ共、泣きむせぶ小川の流れに落ちたのです。裳は水面にひろがる。古い唄のきれはしを歌っていました。水のこわさを知らぬげに、それとももとから水に棲む妖精ででもあるかのように、浮かんで流れて行きました。されどそれも束の間、やがて裳は水をふくんで重くなり、あの子は水底に引き込まれ、歌は途絶えたのです。
*****引用
畢竟、彼らはそれぞれ領地の利害を持っている。象徴として王座にあるのは、父上であろうと、クローディアスであろうと、乃至はこの私であろうと、同じことだったのだ。彼らの封建の所領からの収穫と城館と飲酒の習慣の永続を許すものなら、何でもいいのだ。私が彼らの心と正義感をあてにしたのは愚かであった。
*****引用
人間の心は黒く、汚れている。思いはとかく罪に向かう。さればこの怖れと悩みに満ちた体が、この機会に水となって溶けてしまえばよい、と思っていた。この腐りきった世の中におさらばするなら、早い方がよい。
*****引用
古い土地にかじりついている貴族、フランス流の口舌の猿真似する廷臣、どら声の軍人、嘘吐きの坊主どもが、柄になくデンマークの宮廷の体裁を整えようとあくせくしている有様は、浅ましいというほかはない。かかる宮廷に王として臨むことに、どれだけの値打ちがあるというのだ。しかも彼らは私のあれほど条理を尽くした言葉を、狂人の妄語としてしか取らない無礼者なのだ。
*****
ハムレットはここであからさまに、自分が狂人として扱われていることに腹を立てている。
しかし、客観的に見れば、やはり、理性からの逸脱を呈しているとしか判断しようがないだろう。
従って、これは「ハムレットの狂人日記」と見なすことができる。
大岡昇平の「野火」は、最初「狂人日記」と題されていた。
戦争末期、しかも敗戦と病気と外地という極限状況の中で、いかにして狂気は発生し、発展したかという記述である。
同様に、ハムレットが置かれた状況の中で、如何にして狂気は胚胎し、発育し、最期を迎えたかを記述している。
ハムレットの内面に即していく限り、狂気の発展は大きくないようであるが、結果として概観してみれば、やはり狂気である。
内側からと外側からと、こんなにも景色が違うのだという発見。
大切なことだと思う。
人は誰しも、自分は正しいと思う。
論理ならば訂正されることもあるが、
自分の体験は否定しようがない。
聞こえたものは聞こえたのであって、他人に訂正されようがない。
そこに幻覚妄想の出発点があり、
その出発点を頭ごなしに否定されることがどんなに非人間的な扱いであるか、
はやり反省が必要だろう。
「野火」や「ハムレット日記」をよんで、「ここが妄想」とくっきり判別できないようならば、あなたもいつの間にか、幻覚妄想の中に生きていることになるかもしれない。
とはいえ、人間はもともと、そのように頼りない存在なのであるが。
だから、人に優しくしないといけない。
*****引用
人間がこの世にある限り、少しばかりの感官の混乱はまぬかれないのであって、それが亡霊という形を取るか取らないか、要するに程度の差にすぎない。フォーティンブラスはデンマーク人の幻覚を嘲ったが、彼の目標とするポーランドが幻覚でないと誰がいえる。人はそれぞれの人の精神にふさわしい亡霊を持っている。大事なのはいかにして、亡霊と共に生きるかということだ。
西行の心すむ
仏教での悟りに至り、
それを生活に反映させるために、
草庵での安らかな定住を理想とする。
そのことを一語で表す言葉が、
「心すむ」であるという。
ちょうど清らかな水に月影が映るようにして静かに庵で暮らす生活を
送りたいと願いながら、西行は旅を続けた。
「心すむ」は彼の理想の要約であった。
まことにそのようでありたいものだ。
明鏡止水
方丈の庵
粗食で
親朋一字なく
ただ古典文のみが友人である
そのうち老病が訪れる
それを待つのが人生である
心を澄ませるには
親類も友人も遠ざける必要がある
孤独が心を澄ませる
だから旅がいい
しかしまた、隠遁生活をしたとしても、
人生の苦悩も生活の逼迫も草庵に迫る。
そこを窓口として現実生活との最小限の妥協を探す。
それさえ片付けておけば、あとは仏典なり漢籍なり、
古典作品の中で自由に遊ぶことができる。
これほどの幸せがあるだろうか。
他には考えられないほどの幸せである。
2007-01-14
芽を育てたい
認識の芽と感情の芽を充分に与えたのだと思う
そして私はそれを成長させたいと思う
疲れ果ててしまわないうちに
生活はあったが
私はそれだけで充足できない
覚醒したい
コリン・ウィルソンとケン・ウィルバー
コリン・ウィルソンとケン・ウィルバーである。
ウィリアム・ブレイクや空海も参考になりそうだが、
手に取ってみても、難解である。
明け方に見た夢
時代は現代かもしれない、あるいは宋代くらいかもしれない。
場所は多分、宗の国。
アジア各国から踊りの名手が揃っている。
音楽に合わせて踊っている。優雅に回転する踊りが多い。
衣装はさまざまで、みなあでやかだ。
私は男性で、自分もその中に入って踊っている。
今回は自分参加型の夢のようだ。
踊りのコンテストかと思ったら、
踊り子たちは手に何か国特有の食べものを持っている。
どれが美味しいのかとひとしきり話題になる。
知っている人にあれこれ尋ねたりする。
何が美味しいと言っていたのかなあ、もう記憶があいまいになっている。
踊りのコンテストは進行している。
中にアオザイを来たすらりとした女がいて、
××(確か何か言っていたが忘れつつある)という踊りを披露している。
あまりにゆかしく一緒に踊り、
手に持つ食べものを分けてもらう。
また団体の踊り。
いろんな踊りが交錯する。
皆それぞれに興がある。
男たちはどの女がいいのか決意を表明している。
お似合いの組が出来上がる。
また踊り続ける。
多様な民族的特色がでているのだが、文字に書けない。
日本、朝鮮半島、中国本土はいなかったような気がする。
もうすこし周辺の民族のようだ。
話しかけては踊り続ける。
話しかける中でいろんなストーリーがあったのだが、
再現できない。
久しぶりに、「みっちりと」見た夢であった。
少し、汗。
*****
そう言えば、モンテーニュは、エッセーの中に、夢のことは書いているのだろうか。
堀田氏の解説の範囲では、書いていないようである。
自分を探索するという観点からは、
非常に大切な題材と現代では考えられている。
モンテーニュ氏はどう考えていたのだろう。
睡眠に関しては、死の予行演習という考えが披露されていた。
Sadistic Mikaela Band タイムマシンにお願い
最後のリフレインで息継ぎが巧み。プロだ、カエラ。
または
http://www.youtube.com/watch?v=GUCNvhUAkUQ&mode=related&search=
こっちの方がVocalの状態がよい。
さらっと弾いてる感じのギターがかっこいい。
加藤和彦や高中正義だから当たり前か。
加藤和彦をたとえて言えば、
福島の精神病院で二代目院長をしているけれど、
大学からアルバイトの医者が来なくなって
自分で当直をする羽目になり、
昨夜はとうとう二連直をこなし、
しかもナイスなおまけもあった夜で、
疲れているのだけれど、
予定の飲み会には若いジーンズで決めて出席し、
余興の演奏では一番注目されてしまう、
そんな人と見えた。
もうひとつ
http://www.youtube.com/watch?v=mB1Hv4D2f3U&mode=related&search=
ドラムからオーラが出ています。 高橋幸宏。
加藤和彦、ミカ、つのだひろの3人で「サディスティク・ミカ・バンド」を結成。
グループ名は、ジョンレノンの「プラスティック・オノ・バンド」のもじり。
「サディスティック」となった理由として、当時加藤和彦夫人のミカの包丁さばきがサディスティックだったからという話。
加藤和彦は、映画「四月物語」に長髪で出演、自然ないい感じです。
映画「イングリッシュ・ペイシェント」
でも、ところどころしか覚えていないな。
主役の眼窩がかなり凹んだ人、似た人を知っています。
なかなか幸せになれません。だって怖そうなんだもん。
ジュリエット・ビノッシュに似た47歳の女性を知っています。
笑うとますます童顔で、得をしていると思います。
印度人に似たきれいな瞳の青年を知っています。
澄んだ瞳で、切れ長です。
登場する俳優さん達にそれぞれに似た人がいて、面白かった。
映画を見ただけでは、二人の恋愛感情を深くは理解できないので、
文庫本二冊組の原作翻訳を買った覚えがあります。
読まないでいるうちにどこにに行ってしまいました。
今回見てみて、やはり話はもう少し複雑なようで、
文章で読みたい気もします。
そんなにもマジになるのはなぜなの?て感じ。
砂漠と戦争、すごい話だ。映像もいい。
愛の話としてはいまひとつ納得できていない。
最後の場面なんて、見事なものだな。
長い映画だけれど、意味がある長さ。
砂漠の様子をもっと無意味に長く写してもよかったと思うくらい。
とんぼ玉
紐を通す穴のあいた刺玉(穴あき玉)のことである。
作り方は、金太郎飴の感じと思えばいいらしい。
最初は金属の棒に捲きつかせて、伸ばし、それを何度か繰り返して、
立体的な模様にする。
夫選びと大学選び
当然だろう
でもいつまでためらっていても特にいいことはない
ある時期を過ぎると今度は焦りが追いかけてくる
夫を選ぶのは大学を選ぶのにも似ている
選んで終わり、入学して終わりが一番よくない
大事なのは結婚してから入学してから何をするかだ
それを考えればどの男性でもどの大学でもあまり違いはない
いつまでも浪人していても始まらない
いつまでもお見合いを断っていても始まらない
手の長さはどう決まるか
手の長さは、性器に届く程度に調整されていると思われる。
*****
人間の手の長さはどのようにして決まっているのだろうか。
長すぎると、邪魔だ。
ぶつけたりして、痛い。
末梢まで血液を回すのに、大変だ。
指先が冷えてしまう。
短すぎると、困る。
お尻がふけない。
性器のお世話もできない。
したがって、手の長さは、お尻と性器に届く程度で、長すぎない程度になる。
*****
足の長さはどうだろう。
長すぎると困るのは手と同様。
血行の点では、なおさら問題がある。
短すぎて困ることはあまりないと思う。
歩幅が狭くなると、走るのが遅くなり、
原始社会では、いろいろな場面で困っただろうけれど。
足の長さは、女性でもそうだが、男性の場合も、スタイルのよさと関係していて、
セックスアピールにつながると思われる。
ある程度栄養がいいことの証明にはなるだろう。
足が長くなるのは成長ホルモンが大きな要因である。
親がこっそり成長ホルモンを投与すれば、子供の足を長くすることができる。
実用的には、足が長くても短くてもあまり関係はないと思われる。
*****
お相撲さんくらい太ってくると、
お尻を自分で拭けなくなるのだと聞いたことがある。
それも困ったことで、それは人間としては太りすぎだということになるのだろう。
若年性アルツハイマー型痴呆
難しい問題である。
しかも増加が報告されているとのこと。
増えている?
なぜ?
何か原因があるはずと考えていいのか?
イタリア人貴族は
ワインを鉛の樽に貯蔵して
滅びたと書かれていた
庶民は滅びなかった
たこつぼ型心筋症
一過性で比較的予後良好な疾患。時間とともに検査結果も正常化する。
1990年に急性心筋梗塞に類似した胸部症状と
心電図変化、画像でたこつぼ型の形態。
高齢の女性で精神的ストレスを誘因として発症。
ストレス関連疾患と分類される。
どう関連しているか、詳細は不明。
エストロゲンとかカテコラミンの関与が言われている。
新潟大医学部の調査により、2004年の新潟県中越地震の直後、
被災地の女性に、たこつぼ心筋症が多発していたことが明らかになっている。
心筋症というので大変な病気かなと思ってしまうようだ。
心臓の問題だけに重大なのであるが。
くり返しになるが、
一過性で比較的予後良好な疾患で時間とともに検査結果も正常化する
ので、安心を。
家族のぬくもり
家族のぬくもり。
ドラマ「役者魂」に刺激されて言うなら、そうなる。
わたしが欲しいものは、ただそれだけである。
中国映画「小さな中国のお針子」
題名も、「中国の小さなお針子」がいいのだろう。
ラスト10分までは、
どちらかといえばつまらない話なのである。
ラスト10分になって、ようやく見る人の感情を動かす要素が出てくる。
文化大革命のころの大変さも、
いろんな映画で繰り返し見た。
芙蓉鎮など。当時は教養として、岩波ホールで見たものだった。
そうした意味での新味もない。
地方の風物、踊り、歌というのもありふれた作法である。
でも、最後の10分はやはり、見ていて辛い。
過ぎた青春を持つ者はみんな辛いだろう。
そのようにして、人生は、誰にも平等に、過ぎて行く。
だんだん時間に鈍感になりながら。
人生設計の根本3原則
1.健康
2.生きがい
3.それを実現するお金
といわれている。
生きがいは時期によって、仕事であり、子育てでり、趣味である。
中には、健康が生きがいとか、お金が生きがいとかいう人もいて、
その場合には、原則は二つになる。
1.健康
2.お金
シンプルだ。
二つを比較すると、どうしたって健康が大切である。
1.健康
やはりこれが人間の基本だと思う。
ところが、国の財政の基本として、
命を縮めてもいいから、お金を節約しようという。
命を縮めてもいいから、道路は造ろうという。
システムの復元
何か困ったときにとりあえずうまくいっていた昔を復元してみるというものだ。
なんてすばらしいタイムマシン
人生もそのようにできたらいいのにと痛切に思う
ほんと痛切に
あそこの判断が間違いだったと思うことがたくさんある
ほんと沢山
いかんな 人生を かわらけよりも 軽々と 放りだし いい気になって 結果がこれだ
目も当てられないが
無論誰も関心はない 自業自得である
*****
考えてみれば、
新しい環境に変わるけれど、
もし問題があったら、ここまで戻ることはできるな、と確認して、
自分なりのタイムマシン、復元ポイントを作っておくのもいいことだ。
古い取引関係とか下請けを切ってしまってはいけないのだろう。
何かの時にはまたお世話になりますと言ってつないでおく。
予期せぬ事態に直面したとき過去を復元できるように。