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適正な出生率

出生率が少ないので
日本の人口が減ってしまう、
それが問題だという。
だから、産み育てる意欲が出るような環境を作ろうという。

一方では、
エネルギー自給率、
食糧自給率などの点から、
日本の人口は現在の40パーセント程度が適切であり、
従って当分は出生率が低くてもよいとする考えもある。

それぞれの立場で結論が異なる。

わたしとしては、
活力が維持できて、税収が維持できる程度の人口がいいと考えている。
若い人が少なくなると寂しい。

そして多分若い人は希少価値ゆえにどんどんわがままになる。
さらに、少ない人口の中から選抜されるので、
芸能界も人材不足で、テレビに出るのはがらくたばかりになる。
もう、なっている。
社長もがらくたになる。

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加賀乙彦「悪魔のささやき」

人間の意識にはきちんとした意識と、そうでない意識があります。ふわふわと漂うように、中心になる意識の周りにいろんな意識がうごめいている。これをわたしは「辺縁意識」と名付けました。心理学で問題にしているのは、人間が注意力を集中した中心の部分だけです。ふわふわしている意識は絶えず移動し、ぼんやりと自分たちを包んでいるものだから、きちんと記述することが不可能です。不可能である以上は、心理学の対象にならない。
その部分はぼんやりしているけれど、実は非常に大事ですね。しばしば辺縁意識が人を動かす原動力になっていく。マインド・コントロールは、中心の意識の外側にあるものを動かしていくのです。長いこと同じ状況で同じことを繰り返すと、辺縁意識がぶわっと燃え上がるようになります。例えば一晩中お祈りをしていると疲労してきて、真ん中の集中力がすっとなくなり、辺縁意識だけになってくる。その瞬間に一種の法悦を覚えるという宗教体験があります。松本智津夫は完全な拘禁反応状態であると診断できた。環境を変えれば解除できる。

裁判では、
異常な人間を正常だと決めつけていると
指摘。

*****
考えてみれば、人間の生活はある程度拘禁されているのだ。完全な自由はない。毎日の生活はスケジュールに縛られているし、刑務所の壁と同じくらい不自由な日常の人間関係や契約に縛られている。
そんな中で、辛うじて自由を錯覚し、自己の精神の正常を錯覚しているのだ。それだけのことだろうと思う。

わたしの生活も、刑務所ほどではないが、やはり狭いもので、死刑囚ほどではないが、やはり未来のないものだったと思う。
なぜそのような生活に甘んじることができたのか、分からない。誰からも強制されたわけでもないのだ。
進んで自分の精神に視野狭窄を強制していた。
それは、結局、何も見たくないからだったかもしれない。何も感じたくなかったからかもしれない。多分、そのような解釈が正しいだろう。



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恋に満たされて夕日を背にした枯れ木を見つめる

テレビを見て恋を思う

恋で泣くことはなかった 結局

恋に満たされて
武蔵野丘陵の枯れ木を見ていたことがある
空気がくっきりと澄んで
夕日が美しかった
胸はいっぱいだった

私の場合実った恋は一つもないが
そのときは私は美しい感情に満たされていて
空気が冷たくなってくると
当時のことを思い出す
思い出すだけで私には充分だ

この年寄りにそんなこともあったなんて
恥ずかしいことだが
私はわずかに謙虚にもなる

人生は私にいいこともつらいことも与えてくれた

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漆かぶれ アレルギーという本質

新旧で見解の違いはある

わたしから見ると診断とは
たとえばイチョウの葉っぱを見るようなものである
アヒルの足のような形の葉は、春は若い緑で、夏に深い緑になり、秋には黄色く黄葉し、落葉する、
という具合に時間経過とともにひとまとまりのものとしてある
全部イチョウの葉っぱ以外ではありえない

アヒルの足の形をしたこげ茶色の葉っぱは
わたしにはイチョウの葉の、日当たりの悪かった部分の珍しいものに見えるが
最近の医者のディシジョン・ツリーはまず茶色い葉で、
次に形としてはアヒルの足に近いと見えるようだ

たとえ「DSMのdepression」を満たしていても
Schizophrenieの「形」をしていればSchizophrenieである
理屈にも何にもならないが
そうなのだ

典型的なヘベフレニーなら異論はなく
典型的なメランコリー型デプレッションなら異論はない。
紛らわしいものはいくつか想定できる。

ヘベフレニーのプロセスが頓挫して
陰性症状のみが残り
環境に反応して不適応症状を呈している場合、
どういった時間のものさしを当てるか、
どの観点からを強調するかで、
ヘベフレニー
ジンプレックス
適応障害
うつ病
うつ状態
のいずれも当てはまらないでもない

そういったひとまとまりのものを名づけることが診断の本質であるが
社会が変化すればその中に住む人間の精神病理も変化するようだ

漆のないところに漆アレルギーはない
タコを食べない社会ではタコアレルギーはない

しかし学問としてはアレルギーという共通構造を抽出することができる
社会が変化しても変化しない人間の本質みたいなところだ
それを言いあてる言葉が必要なのだが

古い医者は「漆かぶれ」と言っているようなものだ
昔から、山にきのこ狩りに行って漆にかぶれるのだと認識している

新しい医者はアレルギーが根本の病理としてあり、
今回は漆がそのアレルゲンになったのだと考えを進める

それが正しい
そうに違いはない

ただ、「漆かぶれ」というのも、悪くない言い方だと思うのである。

いまどきの若い医者は優秀である
私のような老医師から見れば働いている医師は9割以上が若い人ということになる

ほとんど芸術的にキーボードを叩き
紛らわしい薬品名を間違うこともない

老医師が漆かぶれといったとしても、
翻訳して多めに見て欲しい
ローカルな見方であるがきちんと翻訳すれば間違いではないと思うから



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メビィウス的めまい造形



下段左のドーナツ型のもの。
内側と外側が微妙にねじれて、
わたしとしては大好きな造形。
2006 Visualization Challenge Winners:Science より。

人間の内耳を参考にしたもの



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意識不明

被害者は意識不明の重体ですなどと報道で言う
意識不明という言葉は
すこし特殊である

他人の意識について観察者が混濁しているとか完全覚醒、過覚醒、無反応、などと言うことは普通だと思うが、
意識不明というのはおかしいわけだ

患者さんの意識状態については?と聞かれて不明ですと報告したらおかしな話だ

そうではなくて、意識不明は本人には意識がないことの言い換えのようで
本人が意識について不明となっているという表現だろう

発語なし、閉眼、痛覚反応なしなどと報告して
意識状態のスケールを使い暗号のように伝える

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表現と内心

中身がなくても表現だけはある人もいるし
反対に
中身があっても表現が乏しい人もいる

中身がなくて表現が乏しいのか
判別する必要がある

表現が乏しいと言えば
私の場合でも
楽器は弾けないし歌もまずいし
絵を描いてもうまくは描けないしというわけで
その点では歌心も絵心もない人なのだと判断されてしまいそうである。

でも私なりには絵がいいとか音楽がいいとかは思うわけで
内心の活動がゼロというわけではない。

言葉が少なくても、表情が少なくても、内省を働かせていることはいるもので、
何かの機会に、そんなことを思っていたのかと驚くことがある。

こちらの引き出し方が下手だったということもあり、
また、いずれにしてもその表現に行き着くまでに時間を要するということだったのかもしれないが

*****
表現を控えているという場合、
表現してはいけない内容であることもある。
よほど信用しない限りは内心を出さない
それを見た時には驚きすぎてもいけないし驚かないのもいけないし
なかなか難しい

やっと表現したものが
なにかのダークな感じのアニメに影響されていたり
自殺サイトで見つけた表現だったりすると
そのあたりの影響が大きいのかと思い
この人の孤独は深いと思う

*****
絵を感じるけれども絵を描けないことについては納得してもらえるとして
何か考えているけれども言葉にできないことはなかなか納得してもらえない

言葉のない思考が成立するものだろうかという疑問になる

もちろん言葉にならない思考はあるもので
それは言葉で他人に伝えることは難しい

むしろ言葉というものは他人と共有する公共の経路みたいなもので
非常にプライベートな思考になじむのかという問題はいつもある

なぜ公共の言葉で
プライベートな思考をするのか

これは言葉の公共性を重く見れば
プライベートな思考はないのだということになり

プライベートな思考を重く見れば
いったんは公共の言葉を学びながらもプライベートに使っているのだともいえる

心が痛い
と言ったとして、それはその人の内面でどのような意味、色、イメージを伴っているのか、
内的意味のシステム、内的イメージシステムに即して考えなければならない

判断する側のイメージシステムがすべてではないのだから



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朝の気分

夜になってうどん、さらにはカシューナッツ、ポテトチップスまで食べた。
吉永小百合の映画「母べえ」を見ながら途中で寝ていた。
朝、胃がもたれている。
ピンクグレープフルーツジュース特売99円のパックを開ける。
輸入物はやはり安くなっている。
ヨーグルトを食べる。

不幸につけこむ宗教について考えている

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自己愛的主張の均衡点

日本の若い男の子と言うと、まず最初にXXのようなイメージが想起されて、すぐに感情を荒げて刺々しく毒々しい言葉を吐き出し、目をギラギラさせて、自分の衝動や欲求を抑制することができず、相手が傷つこうが構わず平気で強引にわがままを押し通す人間像が思い浮かぶ。教育と訓練が欠如した未熟で幼稚な人格が想像される。

*****
ある人の書いた幼稚な自己愛性格者の描写である。

昔は抑制できていたものが
いまは抑制できないのはどうしてなのだろう。

社会が変わったといえばそうかもしれず
とりあえずメディアとネットなどが原因として思い浮かぶ

人との交流が国際的になったことも影響しているかもしれない
共有する基盤の少ない人たちとどうやってつきあうか
出た答えは自己愛的主張をぶつけ合い均衡点を見いだすこと

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毒にも薬にもなる言葉

人から人に伝えられる言葉がどんなに影響力のあるものか知っていれば
言葉に慎重にならずにいられない

ほんの少しのことで人は喜んだり悲しんだりするものだ

実際に喜んだり悲しんだりしているはずだから
他人に言葉を伝えるときには
それが猛毒にもなるし元気の素になることを知って伝えたいと思う

言葉を受け取るときには
毒については差し引いて受け取ろうではないか
ポリアンナみたいにいいところだけをまずは受け取ってもいいではないか

心底悪い人はいないのだと信じたい



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風のガーデンのとんぼ

トンボが絶妙のタイミングで肩にとまったり
ペットボトルにとまったりしている

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猫背

猫背ってすてきだな
人のこと考えてないもの

自分にとって一番楽な姿勢をとって
それで平気な人

猫は基本的にそういう存在なのだろう

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ばら

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はな

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