SSブログ

心地よい言葉

あなたにとって心地よい言葉を話す人こそ
あなたに合う人です。
新聞より

*****
これはストライク。
そう思います。

共通テーマ:日記・雑感

偉大な父権のシンボル・ベートーベン

偉大な父権のシンボル・ベートーベン
と新聞記事で書かれていた。
そうかもしれない。

共通テーマ:日記・雑感

ソクラテスと見解を異にする

なんだかんだ言って
太ってきているから
現状は幸せの部類なのかもしれない

痩せるよりはいいと思う

わたしはソクラテスと見解を異にする

共通テーマ:日記・雑感

コミュニケーション耐性と自殺

 ネット・携帯社会は後戻りはできないのだから、コミュニケーション耐性が必要である。これは、多少変なことを言われた位では何とも思わないくらい精神的に強くなることで、たとえばメールで「バカ?」と言われたとしても、簡単に傷つかず、逆に「何の根拠があるのか?根拠もなく他人を評価するのは賢くない」と言い返せるくらいの気持ちになろうということだ。

そんな風になれば
自殺も減るのだろう

*****
カウンセラーとしても
一緒に嘆き悲しむのもいいが
「何の根拠があるの?根拠もないのに悲しんでいてどうするの?
間違っている人はやっつけちゃいなさいよ」
くらい言ってもいいのかもしれない。

共通テーマ:日記・雑感

自殺のことはよく考えると分からないことが多い

自殺のことはよく考えると分からないことが多い。

DNAとしては中国人や半島の人たちと特に大きな変わりはないように思うので、
たぶん文化の違いだと思う。
韓国でも自殺が多い。
北欧やロシアも多い。日照時間やアルコールが関係しているといわれる。
ムーミンはうっかりすると自殺する。

切腹の文化とか、輪廻の思想。
王監督が清原に、生まれ変わったら同じチームでホームラン競争をしようといったとか。

自殺する人はあの世のことをあまり厳密には考えていないようだ。

農水大臣だった人が自殺して、当時の大臣だった人が死人に口なしといった。
これは昔からの考えで理解できる。
防衛省事務次官だった人が追い詰められても居直って、
自分が口を開けば大臣の首も飛ぶとか言っていた。
これは昔の日本人的ではない。
このような人が増えれば、日本の自殺率も低くなると思われる。

キリスト教が自殺を禁じていることも大きな要素だと思う。

自殺するときに靴をそろえてきちんとして死んでいくのも謎である。
アンケートで理由を尋ねると映画で見たからという意見もあった。
めがねを外して屋上に残す人もいるらしい。

8丁目のお姉さんの話によれば
学生服の第二ボタンは映画で最初に登場したもので
戦中にはなかったことのようだ。

アジアゾーンで韓国、日本に自殺が多い。
日本国内では東北、秋田に自殺が多い。
このパターンは似ていて、すこし辺境の部分に自殺の傾向が出るのかとも思う。

秋田美人が自殺の圧力になっているのか、不明。
秋田大学の調査では男性に生き甲斐があると死亡率が低くなる
秋田の男性の生き甲斐とは

京都からの北前船はお姫様たちを秋田に届けていた。
同じ東北でも岩手や青森はアイヌ系なのかもしれない。
京都と秋田の関係が中央と辺境の関係で、
京都と岩手青森は平泉のことを考えてもかなり異国だったのかもしれない。

京都のお姫様の中で誰が秋田に行くのか難しい駆け引きがあったものではないか。
その中で秋田に行くとの決定を受け容れた人は何か特徴があったのかもしれない。
美しくて運命に従順な人。

行きなさいと言われても徹底抗戦するようなお姫様は秋田には行かないのだろう。
私じゃなくてあの人が行くべきですと主張できる人は行かない。
主張できない人が行く。

行けと言われて受け容れた時点で精神的には自殺したと同じなのかもしれない
秋田はそんなにひどいところだとは全く思わないが、誇張した思弁
何しろ昔の話だ
秋田はあの世だったかもしれない

あの世に行きたい自殺と、この世からいなくなりたい自殺との区別もありそうだ。

リストカットしているうちに間違って死んでしまったりもする。
厳密に言えば事故死になるのだろう。

「なかったことにして欲しい」という表現は何か言い当てているような気がする。



共通テーマ:日記・雑感

老年問題回避

老年に直面することは実際つらい

当面の問題は
介護が必要になったときどうするかの問題だ

もちろん誰も介護してくれるはずはない
お金を払って雇ったとして
その人がまじめにやってくれるかどうか保障もない
虐待されるかもしれない

人間は都合の悪い現実を見たくないものだし
一方では被害妄想を抱きやすいものだし
いずれも不幸の原因になりやすい

老人ホームに入居したとして
幸せになれる保障もない

第一そんなお金がない

どうするか、かなり難しい
とりあえず解決をのばし、考えること自体をのばし、直面化を回避している。

しかし時にこうして考えこんでいる
実際恐怖である

風呂場で転んで電話もできなかったら
寒い中でそれきりである

寒いのと痛いのは嫌だ
だけど時間はじりじりと進行している

超越はできない
いまのところ無理

共通テーマ:日記・雑感

ストレス夜食

ストレス反応で夜食を食べて
朝になってテーブルの上を見て気がつき
しまったと思い
一日のスタートでつまずく

そんな場合どうしたらよいか
考える

嫌なことは一つもしないで暮らせたらたぶんそんなこともないだろうと思うが
そんなわけにも行かないはずだ

*****
嫌なことは一つもしないで生きていける人たちも実はずいぶん沢山いて
それがうらやましいかと言われるとそうでもない。
あまり幸せそうではない。
どうしてだろう。

親から財産をもらった人とか、
若い頃に稼いで財産があるとか、
夫が稼いでいるから私は何もしなくていいとか、そんな人たち。

食事も掃除も家政婦任せで、自分はスポーツジムに行ってヨガのポーズをしているだけ
という人もいる。
誰もその人を必要としていない。
たとえばその人が入院しても旅に出ても誰も何も変わらない。
商売する人たちはその人がいないと売り上げが落ちるので必要かもしれない。
その人が必要と言うよりはお金が必要なだけ。

そんな人生が楽しいはずはなくて
いつも不平不満ばかり。

どうしたらいいかと言えば
一度貧乏になって派遣にでも行けばいいのだと思うが
現実にはそんなわけにも行かない。

仕事に行けば行ったでもっとつらくて
それくらいなら不満を言いながらも
現状維持でいいということになる。

しかし自分が進歩しているとか
努力が報われるとかの実感がなく
ただ年老いていくだけの毎日

人間に必要なのは財産ではなく
仕事と健康だと思う

共通テーマ:日記・雑感

人生をリセットしてゼロから始める

人生をリセットしてゼロから始める
ことだって決心さえあればできるわけです

世の中は意外とどうにかなるものです

共通テーマ:日記・雑感

Wikipediaの三大方針

Wikipediaの三大方針というものがあって

・独自研究は載せない
・中立的な観点
・検証可能性

という。

話をしてもつまらない知性とはたぶんそんな人だろうと思い、それは自分に似ていると思う。

独自研究は載せないは、情報源を明記すること。自分独自の判断を忍び込ませない。

中立的な観点は、何が正しいかの意見を書くのではなく、全ての観点を提示すること。自分の主張を書くのではなく、それぞれの立場の人が自分の立場の記述については満足できるような書き方をすること。世間にはこの問題についていろいろな考え方があって、その背景としてはこんなことがあって、などと説明する。

p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というようなの記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。

意見を述べたいような時には、その意見を誰かの意見として提示することで事実の記述に変えます。つまり、「神は存在する」と意見を書く代わりに、「アメリカ人のほとんどが神が存在すると信じている」という事実や、「トマス・アキナスは神が存在すると信じた」という事実を書けばいいわけです。

検証可能性は、「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」。信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。

*****
つまり、オリジナリティのない実況中継者を求めているということで、
これは私などの性分には合っている。

独自なことを思いついて主張する能力はない。
しかしいつ、誰が、どんなことを言って、その背景は何で、現在それを支持しているのはどんな人たちで、等々、そんなことをかなり客観的に記述するのはできると思う。

しかしそれを私は自分の欠点だと考えている。たぶん、誰からも引用されないし、引用されても出典は私ではないことになる。

最近の薬の使い方はこう、病気についての考え方はこう、こんな意見の背景はこれ、そちらの文章を書かせたのはこの人たち、そんな説明はできるけれど、別に自分が強い信念を持って何かを推進しているわけではない。人々はこんな風に思っていますよ、根拠はこれ、と言えるだけ。

共通テーマ:日記・雑感

定年後

定年退職がたとえば60歳として
その後何をするかが大問題だというのが
団塊の世代のようだ

女子アナがダンコンの世代と読んでいたのを思い出す
麻生さんばかりではない

何でも好きなことをすればいいといわれても
無意味に何かをする気にはなれない

田舎暮らしを始めるとして
妻が賛成してくれるかどうかが問題らしい

会社とは関係のない場所で人間関係を新しく作るのは
プライドもあり大変なことだ
ここまで自分を築きあげてきたのにどうしていまさらと考えてしまうらしい
何も築いていない人のほうが新しい環境に飛び込みやすい

周囲の人間としても、
話すごとに私は昔……とやられたのではあまり話したくなくなる

家にいると妻に邪魔にされる
そのことも心を暗くする

相手にしてくれるのは犬くらい
まるでグールドのようで
グールドは妻がいなかったからかえって良かった

自由な時間があったら
何をしようかとあこがれ続けていたものだが
実際に自由になってみると
無駄な時間が続くだけでちっとも楽しくない

*****
多分そうなのだろう
退職すれば新橋などにも出てこなくなる

私の場合は定年のない仕事だから
体力が続く限りとも思うが
さしあたって冒険する気分でもないので現状維持である

*****
体が動かなくなり気力が衰える前に何かしたいという焦りの一方で
いい年をしてみっともないことをしてもいけないし
大失敗をしたら取り返しのつかない年齢だという自制も働く

60歳になってさあ冒険だといわれてもきつい
どうしたものか

現在を延長しようと思っても会社員としては難しい
会社員がすぐに何か自営業を始められるわけでもない
資本金もないし特殊な技能もない

年金生活になっても
妻の側は特に変わらない風景が続くらしい

妻はこれまでも消費者でこれからも消費者である
夫はこれまで生産者でこれからは消費者になる
この落差は大きい

銀行で書類を書かされると無職とか記入せざるをえない
寂しいものだ
身分証といっても特にないのでそれも心細い

性的にも活発とは言えない世代になるので
ちょうどいいパートナーも難しい
酒を飲んでも小遣いが続かない

テニスでもして楽しければいいのだけれど
そんなに性格のいい人間ではない
健康のためと思えばそれでいいが
人間関係はそれなりに煩わしい

*****
やりたいことは仕事
自由になったら思い切りしてみたいことは前職
それしか思い浮かばない元新橋のサラリーマンであった



共通テーマ:日記・雑感

親はありがたい

実際親はありがたいものだと思う
世の中でそこまで心配してくれる人は親しかいないだろうと思う
心配する親はそれはそれで大変なのだけれど
また親の側にしても自分の付属物として子どもを見ているから
自分のこと以上に心配するものなのだと思うが
そんなことも含めてありがたいものである

年をとって今度は自分が心配する側に回る
うまくできているものだと思う

共通テーマ:日記・雑感

2008-9-5の新聞

古い新聞2008年9月5日
自民総裁選は10日の告示に向けて候補者の調整段階。
いまの株安と円高を見れば、こんなことしている暇があったらできることがあったはずと思う。

女性候補者が入っているが、
たしかに女性でもできるのかもしれない。
人をたらし込むのが仕事だから
別に筋肉を使うことではないし。
男性脳でなければできないことでもない。
議員と役人の多くが男性ならば女性であることはむしろ有利でもある。
女性も酒も飲めるし嘘もつける。
看護職の代表の議員さんが法務大臣を務めたこともある。
要するにほとんど誰でもできるということだ。
役人にすれば議員は猿の方がいいかもしれない。
イエスのボタンだけ押す。

*****
NHKが75歳以上の受信料を免除するとの記事。
たしかにNHKを一番よく見ているのはこの層かもしれない。
しかしだとすればこの層からはお金を支払ってもらえるはずと思う。

無届け老人ホームが15%もあるとの記事。
老人ホームを造るときは補助金目当てということがあるのではないかと思っていたが
そうでもないらしい。
施設基準を満たさない場合は無届けで営業しているとのこと。
困った話だ。

*****
受益者負担の原則を考える。
どうせ誰かがお金を払わなければならないのだから、
税金を経由しないで自分で払えばいいというのも一理ある。

NHKも受益者負担で行くべきだ。老人ホームも補助金行政などやめた方がいい。

弱者はどうするかといわれるが、
老人の場合には日本で一番資産を蓄えている人たちである。
オレオレ詐欺で何百万円もぽんと支払える。

税金を経由すると役人が介在しておかしなことが起こるし経済効率が落ちる。
それが一番の問題だ。おかげで全国のしゃぶしゃぶの店が繁盛するのだが。

道路も利用者から使用料を徴収して、建設費を返済したらよいのであって、
日本全国の道路整備のために関係のない都市サラリーマンの税金が使われるのもおかしな話だ。
ガソリン税で道路整備というのは一見分かりやすいが、
そうではなくて、ガソリン税は代替エネルギーの普及とかそんな方面に使うべきであって、
道路整備に回していたのではいつまでたってもガソリンを使う方向の循環になってしまう。

道路整備費募金付きガソリンとただのガソリンとを売ればいいだろう。
それが実質的な投票行動になる。

ひとり暮らしでずっと家にいる人などは寂しいからテレビをずっとつけているなどという人もある。
民放はただだからいいというがもちろん企業を通じて結局はお金を払っている。
出演者のギャラは全部見ている人が払っているのである。
お金を払って馬鹿な番組を作られて結局見なくなり
それでもつけっぱなしにしている人たちのおかげで視聴率は出るらしく
まったくばかげた話である。

*****
新橋のサラリーマンが支払う税金が一部分は地方の土建屋さんに回っていって、
無駄な道路を造り、雪が降れば誰も通らない道路を雪かきし、
それで道路が傷むので春にはまた修理をして、そんな感じでお金がつぎ込まれ、
土建屋さんに継続的にお金が回る。

そんなことより、土建屋さんに土建業ではない新しい仕事をして
本当に社会のために役立ってもらおうというのが考えるべき道だと思う

地方にお医者さんがいないという話も
半分は選挙地盤を手放したくない議員の都合だろう

共通テーマ:日記・雑感

勘違い型自己愛

未熟な自己愛は友達をなくし配偶者をなくし寂しい晩年になる

勘違い型自己愛もある
才能型自己愛は、他人にはない才能や財産や幸運があって、
それにふさわしい自分を演出しているし、その点では自己愛的なくらいでちょうどいい
またそのとり巻きにはスターを自己愛の延長物として認識する人たちがいて、
スターの成功は自分の成功である
そんな風にして自己愛共同体ができあがる

問題はその外側の自己愛者である
才能がないのに自己愛的で、才能のある自己愛者と同じような行動をとりたがる
周囲のものにすれば驚いてしまうし
いったい何が起こったのかと言うことになる

才能のある自己愛者は約束を破ってもかまわない
それも忙しい人には仕方のないことであり
破られた方も、こんなにも忙しい人と約束ができてうれしいくらいに思っているものだ

しかし才能のない自己愛者が同じ事をすれば
意味が分からないということになる
まねをしてみたかったということであるし、
問いただせば、「私の知り合いはみんなやっている」と言うだろうが、
あんたの知り合いは才能がある、あんたは才能がない、
だからあの人たちは約束を破る権利があるけれど、あんたにはない。

簡単なことではないか。
「みんなやっている」というその「みんな」は、
才能があったり、お金持ちだったり、美人だったり、裏付けのある人たちでしょう。
あなたには客観的には何もない、それなのにどうしてそんなことが許されるのか、どうしても分からない。

分からないのは周囲の人だけで、
本人は「自分もすごいもんだ」とうぬぼれていて、本人にとっては矛盾は何もない。
何もできないじゃないかと言っても、
それはやらないだけで、本気でやれば私はすごいと確信しているようである。
現実把握が悪い、未熟な性格、人に褒められようという元気もない。
もうすでに自分はすごいのである。だから努力もしない。

共通テーマ:日記・雑感

月曜の朝

朝目覚まし
あたりの空気が冷たいと感じる
もう少し寝ていたい
今日も何もいいことはない予定
しかしそこは社会人だ
何とか起き上がって出かける
昨夜ゴミ出しをして洗濯をしてあれこれ
少しはきれいになっている
外に出て歩くと鼻の奥が乾燥するのが分かる
銀杏は散り尽くした
空が青いと書きたくなるくらい空が青い
ひまわりが黄色いのと同じくらい青い
横断歩道で待っていると排気ガスのにおいがする
冬の方が匂うのだろうか
良くないガソリンでも使っているのだろうか
月曜の朝は社長の訓辞やミーティング、会社によっては「明日は変えられる」というビデオを見せられたりする。
電車はやや空いている。
月曜のせいではなくて最近は電車が空いているような気がする。
会社についてお茶を入れて白色ワセリンを塗る
家で使っているワセリンは黄色く変色しているが会社のは新しくてとても気分がいい
黄色いのはやはり何か雑菌が入っているのかもしれず
脂質の変成があるのかもしれない
今日は新聞休刊日

共通テーマ:日記・雑感

子どもにとっての当たり前 コミュニケーション耐性

技術は、それが発明される前に生まれた者にとってのみ、技術である。
子どもたちはITも各種メディアも単に最初から当たり前にあったものであり、
当然のように適応していく。

大人と子どものギャップが生まれる。新人類などといわれることもあった。

母親は、ゲーム機が家に来てから、子どもと自分との間に見えないバリアができてしまった気がすると語る。
子どもがテレビゲームをなぜ止められないかが理解できない。
やめなさいというと、言い争いになってしまう。

子どもはネットや携帯を使いこなしているのに、親はついて行けないと感じたりする。

幼児パソコン教室というものもあるらしい。

*****
確かに、自分も子どもの頃には親が分からないような新しい機械が自由に使えた。
自分の直感によく一致していた。
しかし老年になった最近は、新しい機械を直感的に操作すると期待通りに動かないことがある。
マニュアルを読み直すことになる。子どもの頃はマニュアルなどは必要なかった。
昔のテレビやラジオはそのくらい単純なものだったと考えていた。
しかし最近の子どもを見ると、実に賢く新しい機械に適応しているので、たぶん、直感とマニュアルは一致しているのだろう。

*****
テレビゲームだけが本当に大好きでたまらない子どもはどのような特性があるか調査した。
共感性が低い、
コミュニケーション耐性が低い、
批判受容耐性が低い、
科学への信頼が大きい、
現実体験を軽視する、
映像思考が強い、(映像志向かもしれない)
人との浅いつきあいを好む、
機械親和性が高い。

*****
コミュニケーション耐性については以下の引用を参照。

保護者の方へ
このサイト(ホームページ)は、高畑勲・宮崎駿両監督で有名なスタジオジブリの作品について扱っています。基本的にはスタジオジブリ作品の面白さを国内外に紹介し、その作品世界を考察していくことを考えており、掲示板やチャットは、サイトを訪れてくれる皆さんの交流を深めるのに役だってくれればという思いで設置しています。18歳未満に有害と思われるコンテンツは含みませんし、掲示板においても18歳未満に悪い影響を与え得る書き込みがなされないか常に注意しています。

このサイトは、ジブリの世界に没頭して現実から逃避することを推奨するものではありません。ファンがファンとして楽しめさえすればそれで良い、という快楽主義的な方向性を指向するものでもありません。ジブリの作品世界に接することによって、また同好のファンとのコミュニケーションを行うことによって、自分自身の客観的な現在を再確認し、将来の自分についても考えていく機会を持ってもらう機会の一助になればと幸いであると考えております。青春や努力・思いやりの心といった要素は、ジブリ作品の登場人物に代行してもらえば良いものではありません。それらは、たとえ理想ではなくても自分自身の手で体現していくべきものであると考えます。作品中の登場人物がそれぞれに迷い、悩み、努力しながら目標を達成していくように、現実の社会に生きる私達も、迷ったり悩んだりしながらそれぞれの目標を見定めることが出来れば、その目標に向かって頑張っていけることが出来れば、そして成長していく喜びをみんなで共有していくことが出来ればいいな、と思っております。

さて、このサイトで私が作ろうと思ったのは「空き地」でした。誰に気兼ねすることなく、好きなときにやってきて、好きなときに遊び、好きな時に帰ることが出来る、そんな「空き地」を提供しようと思っていました。なぜ、サイトに掲示板やチャットを作ろうと思ったのか、それは失われて久しい「空き地」の機能がインターネットの時代において部分的ながらも復活しているかもしれないと感じたからです。

昔の日本には、街のあちこちに「空き地」がありました。高度経済成長期以前、「空き地」は子供たちの遊び場所であると同時に、社会性を身につける場所でもありました。遊び仲間は年齢が異なるのが普通で、上級生は下級生の面倒を見て、下級生は上級生の姿を観察しながら時と場合に応じた行動のしかたを学んでいました。これを専門用語で「社会化」といいます。「社会化」は、教室で詰め込まれる知識だけで身につくものではありません。むしろ、「空き地」で遊びながら体感的に習得していく性質のものであり、それはすなわち社会性を獲得していく過程そのものであると言えます。

もちろん、昔から「空き地」には様々なトラブルがありました。ケンカもしょっちゅう起きていました。しかし、度が過ぎると上級生からの注意が入り、謝るべき人を謝らせるなどして秩序の回復が図られました。そのようなトラブルの発生と解決への流れを目の当たりに体験していくことを通じて、例えば「どういう言葉を言ったら人を傷つけてしまうのか」といった"加減"を習得していきました。そして、"加減"を知ると、今度は知らない人を注意する立場に回っていきました。"加減"を積み重ねることで他者からの視点が獲得され、「相手の立場に立って考える」習慣も身についていきました。

ところで、時代が下るにつれて「空き地」はどんどん消滅していきました。それは単に物理的な「空き地」がなくなるという意味だけではなく、「年齢の異なる集団の相互作用による社会性の獲得」という大事な機能までもが失われることを意味しました。実際、同じ学年の友達とはよく遊ぶけれども、違う学年の人とはあまり遊ばなくなってきています。同じ学年の同じような考えの友達とばかり遊んでいては社会性はなかなか身につきません。年齢が違い、立場が違い、ものの見方・考え方が違い、知識や常識の習得段階が違った様々な人達と接しなければ「相手の立場に立って考える」習慣は身につきにくいのです。「空き地」の消滅によって年齢の異なる遊び仲間がいなくなり、したがって注意してくれる上級生もいなくなれば、他者からの視点が獲得されず、自己中心的な考えはなかなか改善されません。昨今、「教育崩壊」が叫ばれて社会問題化していますが、その一因として「空き地」の消滅および付随要素の消滅があるのではないかと、私はひそかに考えています。

時代は平成に入り、インターネットの時代になりました。ここで、サイトにおける掲示板やチャットは、バーチャルリアリティといわれる間接コミュニケーションをベースとしていながらも、かつての「空き地」機能が部分的に復活しているのではないかと、私は考えています。すなわち、「年齢の異なる集団の相互作用」の復活であり、その相互作用による「社会常識の習得」機能の復活です。ここでいう「社会常識」は、インターネットにおけるマナーを指します。それはネットワークのエチケットという言葉をつなげて、ネチケットとも呼ばれています。大人ばかりが集まるサイトでは問題は少ないかもしれませんが、小中学生が大勢集まるこのサイトでは、このネチケットを習得していく「空き地」としての機能は大いに注目されるべきであると思われます。

例えば、チャットで乱暴な言葉遣いをするという行為には当然ながら限度というものがあって、限度を超えた場合はトラブルに発展します。そうなった時、もしチャットの参加者に健全なマナー感覚を持った人がいれば、先述のような相互作用の機能が働くことによって、自浄的に問題が解決されていくことは充分に可能なのではないかと考えております。(その意味では、トラブルの解決を管理人に委ねることは、子どものケンカに大人が介入するのに似て、あまり望ましいことではありません。このサイトには管理人の他に管理手伝いの人もいますが、管理者としての立場に頼ってしまうことも望ましくありません。参加者同士がお互いに注意しあい、話し合って納得することを通じて問題の解決が図られることが、最も理想的な展開であると考えます。)

「○○することは管理人がダメと言うからダメ」という強制力で問題を解決しては、自分で考える習慣は身につかず応用がききません。「そこにルールが書いてあるからダメ」という発想で押さえつけては、ルールをすり抜ける方法ばかりを考えてしまいます。何故トラブルが起こってしまったのかを考え、何が問題であるのかを考え、今の例でいえば「○○することは相手を傷つけるからダメ」というふうに相手の立場に立った視点から理解していかない限り、暴言を吐く人は同じことを繰り返してしまうでしょう。

乱暴な言葉遣いは、管理人がダメと言うからダメ・・・・・・・× (何故ダメなのかを考えないから応用がきかない)
乱暴な言葉遣いは、ルールで禁止されているからダメ・・・× (ルールにさえ書いてなければ何をしても良いと誤解する)
乱暴な言葉遣いは、それで傷つく人がいるからダメ・・・・・○ (ダメといわれる理由が理解できるから、応用がきく)

また、暴言を浴びせられて傷ついてしまう人にも、頑張ってもう少し強くなって欲しいと思っています。もちろん、傷つきやすさは人それぞれであり、それは個性の一部なのですが、ちょっとした言葉で簡単に傷ついてしまうようでは、これからの人生が大変です。例えば、風邪を引きやすい子は、部屋に閉じこもったままでいるのではなく、運動して体力をつけて風邪を引きにくい強い体質にすることが、風邪を予防する最も効果的な方法です。これと同じように、多少変なことを言われた位では何とも思わないくらい精神的に強くなることも必要です。これを専門用語では「コミュニケーション耐性」といいます。この「コミュニケーション耐性」をつけることは、出会いの幅が格段に広がったインターネットの時代には特に求められる能力です。

チャットで「お前はバカか?」と言われたとしても、それで簡単に傷ついてしまうのではなく、逆に「あんた私のこと知ってるの?ろくに知らないくせにバカと決めつけるあんたの方がバカよ!」と言い返せるくらいの気構えを持って欲しいものです。バカと言い返された方もそれなりにショックを受けて、相手の痛みが分かるようになってくれるかもしれません。

掲示板やチャットには、様々な年齢の人が訪れます。もっとも、かつての「空き地」で見られたような「学年別」の上級生・下級生という区別はありません。インターネットでは、より多くの知識や常識・マナーを身につけた人が"上級生"です。"上級生"は、まだ知識が少なく、マナーの知らない"下級生"の面倒をみることが求められています。分別のある中学生が、常識知らずの大学生を指導することが実際に起こりうるわけで、ここがインターネットの面白いところです。このように、様々な立場の様々な人達とのコミュニケーションを通じて、長所を伸ばし、短所を改善し、お互いに切磋琢磨することを通じて、インターネットにおける常識・知識・マナーを体感的に身につけていくことが期待されています。その経験は、必ずや実社会にも通じる社会性の獲得にも良い影響を与えていくものと信じます。

そんなことを言っても、たかがアニメーション作品を通じたコミュニケーションに過ぎないかと思われるかもしれません。しょせん通信回線を媒介した間接的なコミュニケーションに過ぎないと思われるかもしれません。確かに、そのような側面があることは否めません。けれども、その本質は、アニメーション作品を見るだけのような片方向コミュニケーションではなく、テレビゲームのようなプログラム相手の擬似的双方向コミュニケーションでもなく、通信回線の向こうに確かに存在している相手との「人間と人間との双方向コミュニケーション」であることは紛れもない事実であり、そこには必ず一定の相互作用があって人間的に成長していく可能性が秘められているのです。

どうか、温かい目でインターネットを通じたコミュニケーションを見守ってあげて下さい。21世紀の時代において、インターネットにおけるネチケットを習得していくことは、今後ますます重要になってくるでしょう。ただ、あまりに長い時間利用すると、実生活とのバランスが崩れて、いわゆるネット依存症に陥ってしまうことがあるかもしれません。また、インターネットは善人ばかりとは限りませんから、ウイルスの添付されたメールが届けられるかもしれません。もっとも、それらは適切な対処を行えば心配するほどの影響を被らずに済みます。安全にインターネットを利用するための知識も、今後ますます求められるようになっていく知識であると思います。

インターネットを全面的に否定するのではなく、全面的に容認するのでもなく、そのメリットとデメリットを充分に見極めた上で、お子さまに適正な範囲でのインターネット利用を勧めて下さいますよう、お願い申し上げます。文責:毛利(大学院社会学専攻)
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/ghibli/welcome2.htm#book9



共通テーマ:日記・雑感

脱いだらすごい極上バディ

脱いだらすごい極上バディ
というキャッチコピーがあるのだけれど、
困ったことに、
本当に脱がなければ分からない極上バディというものが存在する

それは澄んだ青い海を見る体験と同じで
体験として明らかなものだが
体験しない限り何を言っても無駄というものだ

ところがそれを匂わせて
商売にする人たちがいて
商売にしないまでも
それらしさを自分の魅力として押し出す人がいて

実際にはそんなでもないこともあり
なあんだということになり
本当に脱いだらすごい極上バディの人が
損をしていることもある

「本当に脱いだらすごい極上バディの人」たちが、
「本当に脱いだらすごい極上バディの人のように見せかけている人」たちの価値を支えている。
これはおかしな構図だと思う。
本当の価値を持つ人たちが報われず、
価値を持たないが持つように見せかけている人たちに報酬を掠め取られている、
そんなおかしな話である。

簡単に言えば男がバカだからいけないが、
男のバカを利用する女もいけない

本当の価値を持つ人たちが報われる
とは、この場合どういうことかよく分からないが

価値あるものが本当に価値のままに認められる世の中でありたいと思うものだが
この分野については
話が微妙である

女同士が極上バディを比較し合うことは原理的にできないことなので、
(もちろんそのレベルの話で、ビデオで比較できる次元の話ではない)
ますます困ったことだ。

自分のいまの女が一番いいと思っていれば
世の中平和なのだけれど

でも、そうではないから戦争が起こるのだ

世界にある希少資源の
最大の価値はこれだと思う

これだけはハリウッドも大量生産ができないのだ
だから戦争をして決着を付けるしかない

男性ホルモンはそのためだけに存在する



共通テーマ:日記・雑感

幸せな場所

勘違い型うぬぼれというものは
まわりには迷惑であるが
本人にとっては自分をすごいと信じているのだからかなりこころがぱんぱんでいい状態である

もちろん現実を認識する能力があれば、
自分が中学ですでにに肘を痛め、中学大会でさえ勝てなかったということは客観的には何を意味していたのか、分かりそうなものである。
ほかのスポーツもすごいとはいっても、大会で実績があるわけでもなく、
ただ自慢話をするレベルのことである。
島根の田舎中学で始まって以来という話が、どの程度のものなのか、
分かりそうなものである。
しかしそれを重々分かっていて、その認識については、回避しているのである。

分かるはずなのに分からないようなふりで、通してしまう。

だから自信満々と現実否認がセットになっている。
本人は幸せだろう。

いや、やっとかろうじて、幸せな場所を見つけたというところだろう。

共通テーマ:日記・雑感

自己愛的クレーマー

すぐに感情を荒げてとげとげしく毒々しい言葉を吐き出し、目をギラギラさせて、
自分の衝動や欲求を抑制することができず、
相手が傷つこうが構わず平気で強引にわがままを押し通す。
あるいは相手を傷つけることが快感である。
業務の都合上、相手は面と向かって反論することができない。
教育と訓練が欠如した未熟で幼稚な人格。

客に向かって接客係が「その態度はあんまりだろう」と言ったとすれば、
上を呼べの騒ぎになる。
そんなことはできないはずと見越して
思いっきり傷つける。
そんなことが許されてよいのだろうか。

ここもかつては儒教の国であったはず。

*****
飲食店や企業でクレーム窓口を見ているとこんな風景である。

未熟な自己愛全開なのであるが、
困ったことに母娘で一緒にクレーマーになっている。
娘が未熟でクレーマーになったとしても、
母親が円熟した知恵でとどめて、教育することが期待されているのに、
火に油を注いでいるのではどうしようもない。

タクシーに乗っていて
客がいきなり怒鳴り出す。
道が分からないのか、わかんないならはじめから言え、すぐに降りてやったのに!
という具合

タクシーの中には悪いのもいるだろうから
そのくらいの勢いでないといけないのかもしれないが
そのときに本性を見たような気分になり
わたしはしばらく吐き気がとまらないのだった

*****
自己愛的クレーマーは際限がなく限度がない
このエネルギーはどこから来るのだろう

何かとてもネガティブなエネルギーの蓄積がなければ説明できない感じがする。
つらい人生だったのかなという気もする。

共通テーマ:日記・雑感

「わたしは本気になれば実はすごい」うぬぼれ全開

「わたしは本気になれば実はすごい」
というのが
うぬぼれというものです

自分に惚れていると言うことで
間違った自己評価です

*****
飲み屋でこんな人がいます
今は事業で成功しているのですが
酒を飲んで頭がバカになると同じ話です

オレは島根の中学校で
始まって以来のピッチャーだった
エースで四番
いつでもストライクが取れていつでも三振がとれた

野球部の監督は俺に惚れ込んで
とにかく練習をした
そしたら肘を痛めて
市の大会であと少しのところで優勝できなかった

怪我さえなかったら全国優勝していた
そのあとは大リーガーになっていたかもしれないんだ
野茂よりも早く

みんな、わーすごい!などと無責任にお囃子を入れている

だいたいオレに言わせればみんな鈍くさいよ
テレビで野球見ていても才能が感じられないね
野球神経が切れてるんだ
オレが怪我さえしてなかったら
プロ野球の歴史を変えてたね

基礎ができているから
何をやってもすごいわけ
長距離も一番だったし
テニスだってテニス部の奴らがオレに教えてくれって言うんだ

お金を払っているから相手は聞いているが
そうでもなければとっくの昔にバカ扱いだろう
島根の中学校の教師もさぞ扱いに困っただろう



共通テーマ:日記・雑感

AD残酷物語

ADは一週間家に帰れない
風呂に入れなくて
着替えもできない
そこら辺で雑魚寝する
奴隷である
食事もカップ麺かコンビニ弁当で
とにかく体がくさくて恋愛どころではない
上からの指示は間違いが多くて
言われたとおりにやればどうして自分で考えないのかと怒鳴られるし
自分で考えてやればなぜ指示に従わないかと叱られるし
あらかじめ打ち合わせしたいというと責任逃れかと言われ
この忙しいのが目に入らないとはいい神経だと絡まれる
職場は性格障害の見本市だという

上の失敗はADのせい
仕事がうまくいけば上の手柄
出世はないし給料は上がらない
区切りが来れば首になってそれだけの使い捨て
技術の進歩もないし
人脈の広がりもない
将来の展望など全くないのである
ただ職場全体で焦っていて
ADが生け贄のように当たられる

ニュースで臨時工を首にする企業はひどいなどといっているが
放送局のADは臨時工以下の待遇でやめる自由さえない奴隷なのだ
好きでやっていることになっているから労働時間なんていう考えはない
ただ締め切りがあるのみ
やめさせてくれるなんてうらやましいという

おかしな人間関係でややこしくて仕方がない
何重にも不倫して昔の愛人と新しい愛人が一緒に働く職場で
家族の価値を描くドラマなどを作っていて
嘘くさくて仕方がない

ニュースで取材に行ったとしても、真実をとるのではなくて、注文に応じた画面をとるだけ。
困っている子どもを撮ってこい、怒っている子どもを探して撮ってこい、
もう全部決められていて、それに合った映像を集めるだけ。集まらないときはねつ造。
オン・エアに間に合わせるだけのやっつけ仕事

局の人たちは平均年収1500万円
この給料の格差を何とかして欲しい。
ADも家に帰りたい。風呂に入りたい。普通に寝たい。
とにかく結婚できないのだけは間違いない。
可能性は職場結婚だが
人間のくず、またはそれ以下の扱われている私に可能性はない

あ、女の子です、あたし
え、それを早く言えっていうんですか、どうして上司と同じこと言って私をいじめるんですか、と
泣く。



共通テーマ:日記・雑感

知的レベル低下

すごく悩んでしまったときには
普段は考えられないようなミスをしたりする

弱り果てての後に話をしていると
やはり知的レベルが低下しているような場面がある

これまでの業績とか
任されている仕事内容とポジションからは考えられないような
頭の働きだったりする

特有の頭の固さが現れて
自分を縛り周囲を困らせる

しかしそれはいい方に解釈すると
もっとも悪い選択を回避するための生命の手段のようだ

悪くはないのだけれど
周囲の人の困っている姿が見えるようになればいい
一歩前進だ

共通テーマ:日記・雑感

しばらくは泣けばいいけれど

しばらくは泣けばいいでしょう
大切なことです

でも泣いていても現実は変わらないことも
分かっていますよね

自分が変わればまわりの人も変わるかもしれません
それは試みてもいいことでしょう

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。