ジェニファー・コネリー
Once upon a time in America でデビューしたのが1984、
それから25年が経ったと記事にある。
四半世紀。
年をとるわけだ。
その頃生まれた赤ん坊はもう二十歳を超えている。
不眠と日内変動
睡眠リズムの乱れ、早朝覚醒、入眠困難、
日内変動、特に午前の不調と夕方の軽快、を説明できる。
M細胞がその人にとって適正なレベルで活動していれば普通の睡眠と日内リズムになる。
そこからM細胞が活動停止してM成分が抜けると不眠と日内変動が起こる。
不眠と日内変動はM細胞の不在で説明できる。
睡眠をとったあとはM細胞が元気なはずであるが
そのような短いスパンの話ではない。
M細胞がサーカディアンリズムと関係していると考えればM成分の不在により不眠と日内変動を説明できる。
A細胞系やD細胞系は24-26時間ではないのだろう。もっと長い。
規則正しく生きる
睡眠時間
睡眠の質
食事の量
食事の傾向
お通じの具合
仕事のはかどり方
寝汗をかくとか
月経痛がひどいとか
規則的な生活をしていると「いつも」がどの程度か分かる
いつもと違うと変化を把握できる
そのためにも規則正して生活をしばらく続けるのがよい
ペースを変えることも必要なので
充電電池をいったんすべて放電するみたいに
一度すっかりペースを崩してみて
そのあとまた規則正しい生活をすれば
何となくリセットになっていると思う
人は人に何かの影響を与えることができる
それは信じていいことだ
その人は高校生の頃に妊娠してしまった
妊娠を知った男性は無責任に逃げてしまった
体についての不安と人間に対する不信で不安定になっていた
ぎりぎりの期限で処置は行われ
その前後でナースさんが付き添ってくれた
親は恥だというばかりで人間不信を増大させた
ナースさんはあまり語らなかったが
そばにいてくれた
すべてが終わって麻酔から覚めたあと
血圧が回復しなくて左腕には点滴が刺さっていた
ナースさんは右手を握っていてくれた
温かかった
その人は悲しくて泣いていたけれど
手の温かさがありがたくてそのことでも泣いた
そんなこともあってナースになる学校に進んだ
人間の命の現場はあまりにも冷酷で燃え尽きてしまいそうになる
それでも時々あの場面を思い出しながら仕事をしている
恋は苦しいのか楽しいのか
あなたに逢えてうれしいという歌とを比較すると、
苦しい歌が多い。
苦しい歌は、逢ってくださいという求愛のコールだから切実だ。
一夜が過ぎて、男は、何をするか。
いい夜だったよと感謝や賛辞を言うのではなくて、
別の女に苦しいから逢ってくれと贈るのである。
だから、苦しい歌ばかりが積み重なり、
恋愛とは苦しいものだという日本和歌の世界が出来上がる。
しかしよく考えてみると、苦しいから逢って下さいとレトリックとして言っているだけで、
逢ってくれてうれしいとも思い、久々にあってうれしいとも思い、ますますうまくなったとも思い、
いろいろと書き送ることはあったはずだと思う。
習慣として、歌わなかったようだ。
しかしそんなことよりまず今夜の段取りをつけなければならないので、
苦しすぎるから逢ってくれと言い続けるのだ。
相も変わらずである。
妹之見師 屋跡尓花咲 時者経去 吾泣涙 未干尓
悲しみに終りはない
涙の枯れるときもない
あの時君はここにいた
今はただ花が咲いている
長夜乎 獨哉将宿跡 君之云者 過去人之 所念久尓
長き夜を 独りか寝むと 君が云へば 過ぎにし人の 思ほゆらくに(03/0463)
過去人之 を 過ぎにし人の と読んでいる。かこびとのでどうか。
所念久尓 は 思ほゆらくにという。
獨哉将宿跡 を 独りか寝むと と読むのもなんだか怪しい。
跡 の字が よく分からない。音の「と」と考えていいのか。
五七にまとまらない。
長き夜。ひとり。まさに寝んとす跡。君の言ふ過去人の、思ふところ久くに。
よく分からない。
状況は
弟大伴宿祢書持、即和歌一首
という。
弟が来て、一人寝る夜は長かろうというので、
昔の人を思い出した。
*****
弟が今夜は独りかと聞いている あの人のことなど偲んでいる
出会いと悟り
わたしにはそれで充分だ
あなたと出会ったことの意味を考えていると
あのバラの色と香りと
あなたのすべてとが
一挙に存在の秘密を解き明かしてくれるようだ
*****
密教で即身成仏
禅で解悟
カトリックでspiritual awakening
コリンウィルソンは超越体験
マズローは至高体験
ケン・ウィルバーがトランスパーソナル
ドストエフスキーならてんかん発作またはその前兆
*****
若い頃の一滴の雫は
その後の人生を支配しするし
豊かにしてくれる
私の人生は
君に出会った瞬間に
ばら色に染められた
いまもバラ色のままだ
*****
このような妄想的解釈を与えられるとは
あなたも困るだろうが
誰にも迷惑がかかるわけでもない
そんな出会いもあるということだ
藤井省三「現代中国文化探検」
四つの都市の物語ということで、
北京、上海、香港、台北を取り上げ、それぞれについて、
歴史、文学、映画などを紹介している。
北京では盲目の詩人・エロシェンコ、茅野裕城子、単位、
上海は魯迅、張愛玲、
香港はセントラルからの散歩、路面電車、ウォン・カーウァィ、そして「ラヴソング」を
取り上げている。
台北については、文学も映画もあまりなじみがなかった。
ウォン・カーウァィの映画はいくつか見ている。
「ラヴソング」はなぜか好きな映画で、テレビで放映されるたびに録画していて、
現在も何本か残っている。
ミッキーマウスのエピソードが好きなんです。
最近で印象深いのは莫言である。
上海の町並みの図を見ていて思いだしたのは、
年配の男性が、株式投資を続けていて、ある日上海旅行に行って、
その発展途上ぶりに驚き、
これからは中国だとさかんに言い始めたことだ。
彼は中国株に熱中し、
ひねくれ者の私は中国株は危なくていやだと思い、手をださなかった。
中国以外の国、たとえば、インドとか南アフリカには投資しているだが。
結果は、中国積極派の大勝である。
中国株に手を出さなかった私は、相対的に負けたことになった。
壊れたピアノを弾く
ピアノでは、低音域を除き、各音に3弦ずつ使われている。調律の前に、フェルトで、3本のうちの2本の弦を押さえて響かないようにする。最初に中央ハの上のイ音を音叉など基準音を用いて合わせる。以後、中央のオクターブについて、色々な2音程間のうなりを用いて音を合わせる。十二平均律に合わせる場合、うなりをなくすのではなく、規定のうなりの数になるようにする。次に、中央のオクターブの音からオクターブ関係を用いて、すべての音について音を合わせる。最後に、フェルトを入れ替えたりはずしたりしながら、3本の弦が同じ高さになるまで調律する。近年ベートーヴェン以前のピアノ曲を演奏する際、中全音律等の古典調律法が一般的に採用される。
ピアノの調律も、今日では電子チューナを使った方法が一般的になりつつある。電子チューナを使うと、200本以上ある弦を迅速かつ正確に調律できるだけでなく、高音部のピッチをわずかに高めにしたり、同じ音の3本の弦のピッチをわざとわずかにずらすことによりうなりを生じさせて音にふくらみを持たせるなど、従来調律者の経験と感性に頼ってきた「味付け」まで機械の表示あるいは指示を参照しながら行うことができる。
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壊れたピアノで思い出の歌
片手で弾いてはため息ついた
(時の過ぎゆくままに)
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壊れたピアノを弾くのは
微妙に合わない薬を飲むようなものだ
5-HT1A受容体のダウンレギュレーション仮説
リリィ歌 「ときの過ぎゆくままに」
むかし、沢田研二が歌った。
たとえていえば、いま、疲れてけだるくて
このまま沈んでしまいたいと、
現在形で歌っている。
リリィの歌は
ねっとりからみついて
いい情緒。
たとえていえば、むかしのけだるさを歌っていて、
いま現在は恨みもあり後悔もありしかしそれでいいのだという諦めもあり、
あるいは、あんなにつらかったむかしだけれど、
いまよりはまだましだったなあなどと、
大人の感情を歌う。
そんなリリィである。
悲しい過去さえいまよりましさ
過ぎたむかしを歌うこと、いとおかし、である。
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あなたはすっかり疲れてしまい
生きてることさえ いやだと泣いた
こわれたピアノで思い出の歌 片手で弾いては
ため息ついた
ぽつんと残った指輪を見つめ
あなたはむかしを思って泣いた
からだの傷なら治せるけれど
心のいたではいやせはしない
ときの過ぎゆくままに
この身をまかせ
男と女が漂いながら
おちてゆくのも 幸せだよと
ふたり冷たいからだ 合わせる
もしも二人が愛せるならば
窓の景色もかわってゆくだろう
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個人的に、調律の狂ったピアノもなんとなく好きなのは
どうしてなんだろう
フロイトは調律がぴったり合っていた人なんだと思う
ユングはすこしずれていたのではないかと思う
方法としての行動療法 山上敏子
方法としての行動療法 山上敏子/著
金剛出版 2007年7月
行動療法は「方法」で構成されている治療法であり、他の多くの精神療法のように「意味」で構成されている治療法ではない。病理理論や大きな人間理論に基づかない行動療法は、それだけではたんに技術の体系にすぎないのである。しかしそれらの「方法」を、少しでも苦痛が軽くなるように、生活しやすくなるようにといった臨床の目的に向けて、具体的に、ていねいに、患者とともに考え、個別に工夫して用い、役立てることで、初めて精神療法としての意味や価値を生ずるのだ、と著者は述べる。本書では、そのような視点から、行動療法理解の基本、身につけるべき技法、治療の進め方等が豊かな症例とともに平明な言葉で詳述されており、著者ならではの行動療法治療の実際を学ぶことができる。
日常臨床における行動療法・行動療法をすすめる技術
第1部 行動療法理解の基本(行動療法を臨床のはしばしで用いるための行動療法理解;行動療法を構成している技法と理論)
第2部 技法を知る(技法・変容技術;技法・対象認識把握技術)
第3部 治療をすすめる(行動療法のすすめ方)
第4部 方法としての行動療法(行動療法の経験と展開;わたくしの治療法)
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上の解説はとってもくどいのだけれど、中身は明快。
山上先生は認知行動療法と言われる以前からの、行動療法の専門家。