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サンタクロースの存在

わたしは、
サンタクロースが本当に存在すると思ったことは、
一度もない。
子どもの頃から、それはお話だと思っていた。
プレゼントは、リクエストして、実際にもらったけれど、
親にもらったと思っていた。
小学生の頃、他の子どもが、本当に信じているらしいのを知って、
驚いた。
当時はまだ他人がこんなにも愚かで卑劣で下品だとは知らなかったのだ。

その後、タクシー運転手の話を聞いた。
彼は、子どもに、すこしの間でも、サンタクロースの存在を信じるような子どもであって欲しいと願っているそうだ。だから今年もサンタクロースを演じるそうだ。

何ということだろう。
しかしそれも親心だ。こころ温まる話だ。いいだろう。

それでもやはり、それは子どもが馬鹿であることを前提にした話ではないか。
そのような、物理的に不可能であることが明白であるものを、信じる方がおかしいのだ。
そんな子どもでいいはずがない。
そんな子どもはそもそも情けなくないか?

夢を持つならもっといい夢を持った方がいい。

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理由なく買った薔薇の花



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汐留ビル群 浜離宮から

浜離宮から汐留ビル群を眺めた。
ビル容積はどのくらいだろう。
一体投下した資本を回収できるのはいつなのだろう。
それまでに日本はどのくらい変わるのだろう。
日本人が働くのではなく、
外国人が働くビルになるのだろうか。
あるいは外国人は直接中国にオフィスを求めるのだろうか。
そうだろう、当然。
だとすれば、すぐにでも空き室がたくさん生まれるだろう。

現在地方で進行しつつある産業の撤退が、
都心でも起こるだろう。

そして日本は東洋のギリシャかイタリアのようになるのだろう。
かつて繁栄を誇った国、
観光立国、日本。

江戸時代に描かれたと説明しつつ、
現代の画家が描いた浮世絵を売ることになるだろう。






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庭園の一部



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緑の重なり2



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落ち葉

拾う代わりに撮影



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露に濡れる下草

2006-11月27日は湿度100パーセントくらい。
午前中は雨。その午後に行ったので、
とても心暖かにしめっていた。



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お茶室と紅葉



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落ち葉2 モディリアーニみたい



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秋の若芽

秋は秋で若い緑がたくさんあるものです。





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散り敷く落ち葉



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散り敷く落ち葉2

 

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紅葉2



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横に走る枝のたくましさ



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丸の内5景
















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青山墓地2



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ナショナル麻布マーケット



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神の存在の問題

神が存在しないならば
すべては許され

来世が存在しないなら
現世での偶然の不幸は償われない

そんなことが重大問題に思えたのは昔のことだ
いまはもうどうでもいい

あるものはもともとあるのだし
これからもあるだろう

ないからといって
明日から世界が変わるものでもない

いましなければならないことは同じなのだ
こうして歳をとる



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神の存在を私が知ること

問題なのは、
神が存在するかどうかではなくて、
神の存在を私が知るかどうかなのだ。

知っても知らなくても何も世界が変わらないとき、
知ることには何の意味があるだろう。

こんな話があった。

盲目の人とルームシェアしているとする。
少し灯りが暗いようだったので、
盲目の人の分をこちらに向けて、
自分の周囲を明るくした。
盲目の人の周囲は暗くなったが、
それで盲目の人は損をするわけではない。
これは許されるだろうか。
盲目の人が知れば、怒るかも知れない。
許可を得るべきだと考えられるが、どうだろうか。
盲目の人が何も知らなければ、
何も言わなくてもいいのだろうか。

またたとえば、こんな話もあった。
昔、コンピュータシステムがまだ原始的だった頃の話のだろうか。
銀行の会計で、利息を計算する。
利息には多くの場合1円に足りない端数が生じる。
1円に足りない分は支払いようがないので、切り捨てる。
銀行としては、一定の利息で計算しているので、その分は暗黙の利益になる。
ある銀行員が、客に発生する、1円に足りない利息をかき集めて、
自分のものにした。
客は損をしていない。
銀行は、一応、損をしていない。
銀行員はやはり罪は罪だけれど、誰のどんな利益を損ねたことになるのだろうか。
銀行が損をしているというならば、
それは不当に得をしていたものを失っただけではないか。
本来は客の利益であり、支払いようがないから、
一時的に銀行が預かっているだけだともいえるが、
それならば、一時的に銀行員が預かっていても、いいと言えないか。
多分、いいとは言えないし、罪であるが、どのようにして罪を構成するのだろう。
もちろん、このことを知っているのは銀行員だけで、客も銀行も知らないとしてである。
銀行が知るということと、銀行員が知るということの間に、差があってはいけないということか。
もちろん内部の規則があって、きちんと処理しているに決まっているが、
理屈の上での話。

またたとえば、こんな話。
ある特殊な趣味をもつ人がいて、
人の爪に異常に興奮するとする。
いろいろな場所で他人の爪を隠し撮りする。
爪を撮影するだけなので、個人を特定することは出来ない。
もちろん、その人は個人でこっそり眺めるだけで、他に使うことはしない。
撮影された側には何の損も発生しないように思うが、
やはり罪にあたるだろうか。
もちろん、自分の爪がある場所でこっそり鑑賞されているとすれば不愉快だと思うなら、
それは個人の権利を侵害しているので罪である。
だとすれば、撮影されたことを知らなければ、
損害は発生しないのだろうか?

もう少し複雑にして、
風景を撮影しようとして、
携帯電話に附属のかめらのシャッターを切ったところ、
とても魅力的なネコの尻尾が映っていたとする。
その人はそのネコの尻尾を携帯の待ち受け画面に使っていたとして、
それは罪だろうか。
損害賠償するとしていくらにもならないから考えても仕方がないというのも現実であるが、
原理的にどうだろう。
偶然にでも写ったものを鑑賞してはいけないのなら、
偶然にでも写らないように防衛する義務があるだろうか。

結局、私が知っても知らなくても、
神は勝手に存在または非存在しているだろう。

また、神は、私が神の存在を知っても知らなくても、
うれしくも悲しくもないだろう。



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菊を採り地を踏み行けばわが衿に幸せの来てとまるこの午後

菊を採り地を踏み行けばわが衿に幸せの来てとまりいる午後



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Aishwarya Rai Jhumpa Lahiri

インド系女性小説家の作品が映画化されて話題。
ジュンパ ラヒリ、Jhumpa Lahiriは
「その名にちなんで」もいいが、
「停電の夜に」という短編集があり、
楽しくというか、興味深く、読んだ一時期がある。
新潮クレスト・ブックスの一冊であるが、
すでに文庫になっているので、そのほうが安い。
実をいうと、楽しくは読めなかったけれど。

写真の人はインドの人だけれど、
生きていくには難点がいくつかある。
顕微鏡を覗くときまつげが邪魔であること。
電車に遅れないように走るときに胸が邪魔であること。
目の前で話す男性は全員緊張しているので、話がよく分からないこと。
ま、顕微鏡は覗かなくていいから問題ないか。

 

http://www.youtube.com/watch?v=TwKCh5_LAO0&NR=1
ロレアルでマスカラをコマーシャルしているらしいので、
日本で、インディラから、オリジナル・レトルト・カレーを発売して欲しいものだ。
味の決定の際に、意見しますが、インディラさん、どう?
日本の下層階級の、古い冷凍のお米とよく合うレトルトカレーの味があるんです。
http://www.youtube.com/watch?v=obyBXBH9Kbk&feature=related
DNA資源という観点から見れば、インドと中国はやはり興味深い。
http://www.youtube.com/watch?v=NiVpmv7M6d8&feature=related

アメリカの下層階級は、普通に稼いでもものが買えないので、
今回のようなサブプライム・ショックなどが起こる。
無理にお金を貸して家と自動車を買っても一回だけ、
スナック菓子で太り、ダイエットに何か買ったりして、
それでも、消費としては限界がある。
購買力の観点でも中国とインドは見込みがある。
中国人とインド人が買いたいものを作る会社に投資。

私の周りでは、最近まで、ハワイと沖縄のブームだった。
ハワイの踊りは中高年女性に人気で、
沖縄舞踊の軽やかな動きは、若い女性が披露して、飲み会で盛り上がる。
お風呂でこっそり、腕の動きを真似てみたりするが、できない。
実はハワイでウクレレを買ってきたという人は多い。

インド舞踊をマスターしたら、きっと人気者だ。
沖縄よりすごいし、ヒップ・ホップとかストリート系に似た動きもあり、
ずっと越えている。
ヨーガの国だけれど、無理な動きがあるようで、
整形外科にお世話になるかもしれない。
Indian Dance Syndrome.



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優しいお顔

東禅寺の建物は幕末の一時期にイギリスの公使館となった。





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US-city

20040925191100.jpg

20040925191918-3.jpg

君が住むのはこんな街
愛は
二つ目の愛は見つかりましたか?
僕にはずっとひとつだけだよ

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カフェ・ミケランジェロ ランチ1360円

ここがカフェ・ミケランジェロ。
1000円から2000円くらいでランチ。

今日は小さなスープ、フォッカチャのサンドイッチ、パンナコッタ、コーヒー。
このセットが1360円。私はこれで充分。
サラダ、ボルチーニのリゾット、パンナコッタ、コーヒー、これで1600円。
良心的と思う。

みんな長々と話し込んでいる。

芸能人らしい人もいて、みんな注目。なんとなく得した気分になる。
白人割合が多いのもなんとなく雰囲気を作り出している。
ASOはその奥のレストラン。

イタリア文化会館でのイタリア語・イタリア文化コースという講座のパンフレット。
また
"Nosso Tom"というCDの紹介パンフレット。
これはアントニオ・カルロス・ジョビン生誕80周年記念作品とのこと。

こんな感じでイタリア文化の紹介をしているらしい。





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心やさしくあたたかい男性

心やさしくあたたかい男性こそが
真に男らしい頼りになる
男性なのだということに気づくとき、
たいていの女はもうすでに
年老いてしまっている

*****
『ベルサイユのばら』 池田理代子

それでもいいので
私は心やさしく
あたたかく
真に男らしく
頼りになる
男性になろうと思う

年老いてからが長いのが現代である



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さよならあなた 私は帰ります

ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと
見知らぬ人が指をさす
息でくもる窓のガラス ふいてみたけど
はるかにかすみ 見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります
風の音が胸をゆする泣けとばかりに
ああ

津軽海峡・冬景色/石川さゆり

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吉田兼好

吉田兼好
初心の人、二つの矢を持つことなかれ

我を知らずして
外を知るということわりあるべからず。
されば己を知るものを知れる人というべし

一事を必ずなさんと思はば、
他の事の破るるをもいたむべからず。
人の嘲りをも恥ずべからず。
万事にかへずしては、
一の大事成るべからず

『徒然草』

*****
現代では本職で食えなくなった人が
解説する側に廻り大声で何か言って儲けていることがしばしばある
害悪も大きい

難しい事情を簡略化したり
誰かの依頼を受けて事実を歪めたり
生活のためなら何でもする

そのうち何でもしてしまう人々の集まりができて
内輪褒めが始まり
正しい意見を封殺してしまう

しかしその人たちを非難することもできず
たぶん立場が違えば私もそのようにしたかもしれないと
悲しい気持ちで見つめている



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真は独り真なるにあらず

真は独り真なるにあらず、
必ずこれ俗の真なり

『観心覚夢鈔』 良遍



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棟方志功

驚ろいても  オドロキキレナイ
喜こんでも  ヨロコビキレナイ
悲しんでも  カナシミキレナイ
愛しても    アイシキレナイ
棟方志功

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人間がもっとも精神統一しているとき

およそ人間たるもの
便器に座っている時ほど
真剣で思いつめ、
精神統一を果たしている時は
他にない
 スウィフト

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ジャニス・ジョプリン

自由とは何も持たないことよ
 ジャニス・ジョプリン

JJ72というグループがあって
ジャニス・ジョプリン72キログラムのことに違いないと言う人もいて真偽のほどは分からない

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自尊心

人間は例外なく自分はたいしたもんだと思っているもので
謙遜している人も
自分は謙遜できるくらい人間ができているのだと思っているもので
なかなかにてごわいところがある

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セールスの言葉

どんな商売であれ
セールスの言葉には微妙に嘘が入っている

受け取る側は嘘の分を差し引いてきいている

何かの具合嘘の分の割引ができなくなるとき
引っかかってしまう

引っかかる人がいるので商売が成り立つ

つまり他人の不幸や不調に依存しているのだ

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心がかたくなで独りよがりで頑固で傲慢な人

心がかたくなで独りよがりで頑固で傲慢な人に
どうやって現実を認識していただくかと言っても
それは実は大変難しいことだ
しばらく成り行きを見守るしかないのかもしれない

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祖先の生の海

精神分析は、なるほど、こういう感動は、
おそろしく複雑なもので、
個人のいろいろな経験と織りまざっているものだ、
ということを明らかにしたけれども、
とにかく、どんなばあいにも、
感情のごく深い波は、
けっして個人的なものではない。
かならず、それは、人間が生きてきた
祖先の生の海から、
ほうはいとして打ち寄せてくるものである

『心』 ~前世の観念~ 小泉八雲

 



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極端な未来のための微妙な理屈

極端な未来を考えてみると、
自動車でもテレビでも全自動でできるようになるはずで、
自動車製造機械を製造する会社には技術者が必要だけれど
自動車製造工場には人がいらなくなるだろう。

製造業はそんな風で、
サービス業もかなりそんな風になって
自動化が進んでいくだろう
ATMとか自動販売機のようになっていくだろう。
それで充分だから。

そうなった場合、失業者が増えることになるのだろうか。
失業した人は自分にもできる仕事を探すべきなのだろうか。

一見失業者が増えて困るように見えるけれど、実はそんなことはないのであって、
トヨタ全自動自動車工場で稼いだ利益は適切な分の内部留保を残して、
あとは社会還元されるべきで、ベイシック・インカム(B.I)のような形で、国民に還元されればいいはずだ。
そのお金で国民は消費生活をする。
つまり国民は国からお金をもらってただ消費するだけの存在になるのだ。
生活のために働くということはなくなる。
生き甲斐のために何かの活動をするだろうけれど、
それは労働というよりは生き甲斐そのものだ。

そう考えると、現在でも製造業のラインが簡単になってきていて、
労働力に支払うお金が少なくなってきている分は、
企業が内部にとどめるべきではなくて、
国民に還元してもいいのだ。
機械化で儲かった分は機械化で首になった人のために生活費を支給してもいいのだ。

というわけでとても変な理屈。
一理あるようなないような。

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国境

これは受売りなんですが、

ある本で、
川端康成の小説「雪国」の、冒頭部分を「声に出して読んでみよう」とのことで、
国境の長いトンネルを越えると雪国だった。
の部分を、
「こっきょう」と読み仮名を振ってあった、
でもそれだと国と国との境ということになって、トンネルの先は日本国外になってしまう。
その本の著者は注意されたあとで「くにざかい」と訂正したという。

「僕の翻訳人生」といった感じの本にも、
翻訳をやるには言葉という物に敏感でなければならない、
雪国冒頭を「こっきょう」と読んで平気でいるようなら、
翻訳家になれる見込みはまずないので、
別の道を探した方がいい、
などと書いてあった。

私の感想としては、
まあ、いいじゃないか、大雑把に生きている人が多いのは結構な社会だし、
川端康成は自分の作品がラジオで朗読されるのもいやがった人であって、
「わたしの小説は目で見て読むようにできている」
みたいなことを言ったらしい。
そのひとが読み仮名を振っていないのだから、
好きに読めということなのだろうと思う。
極端に言ったら、読む人が、自分の口調から言えば、
「くにきょう」だ、なんて言っても、わたしなら許しちゃう。
どうでもいいことなんだもの。

いずれにしても、意味の取り違えはない。
汽車に乗っていたらトンネルに入って、出たら雪が見えたということだ。
でしょう?

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言葉に反応する広告

広告が載るようになって何となく見ているのだが、
ときどき言葉の切れ端に反応していることがある。

グッドバイ→ドバイ旅行
太田治子→太田の不動産
?→鴨川シーワールド

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小泉八雲

本を見る、いけません。
ただあなたの話、あなたの言葉、
あなたの考えでなければ、
いけません

『思出の記』 八雲夫人著

今後ますます
検索しやすくなって
言葉や思考パターンが検索されるようになると
二次引用は意味がなくなる

また、初出ばかりに意味があるともいえず
その言葉の意味の深さをきちんととらえた用例が尊重されるようになる



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代官山 奈良県の紹介センター

代官山に奈良県の観光名品や名所を紹介するセンターがあり、
立ち寄ってみた。
さすがに国宝級揃いの名所。
お庭があって、お花。
そこでお茶。

奈良県の人はここに宿泊するんですね。



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人生をかけるに足る真理探究と現実対応 胎児の人権

試験というものは、ガリレオ・ガリレイのように、
「それでも地球は回っている」と
カトリック教会を相手に回して闘うことではないのだ
と書いた。

書いていて、やっぱり科学はいいと思った。真理探究である。
真理も相対的と言われようが、そんなことは外側で議論してくれればいい。
内側では、くっきりと真理があるのだから、取り敢えずはそれでいい。
一種の取り敢えず主義である。

社会科学というが、社会科学のどこが科学なのか、さっぱり分からない。
そのうち科学になりたいという気持ちは分かるが、
科学になってから標榜してはいかがか?

自然科学のいいところは、実験で証明できるところで、
理不尽な人事もあり、イジメもあり、予算枠もあり、いろいろと問題があるとしても、
結局実験できるのだし、当座は無理でも、長い時間の後には正しいことが証明されたりもする。
そのことのためになら、人生をかけてもいいではないか。

たとえば、夫婦喧嘩があって、どっちの言い分がどれだけ正しくて、慰謝料はどうするとか、
そんなことに付き合ってみても、どうも永続する価値には結びつかない。

たとえば、犯罪があって、その構成要件はどうで、妥当な量刑はどうかなどという議論も、
地球は回っているかどうか、のような、真実をめぐる議論ではない。

会社の会計をどのよにすれば税務署も株主も納得してくれるかなどに至っては、
真理とはかなり遠い感じもする。
ガラス張りにして全部出すべきものだと思うが、よく分からない。

*****
逆に言えば、地球が回っているのかとか、神は存在するのかとか、
一時的に棚上げにしておいてもいい程度の問題ではある。

当面、生活費をいくら、養育費をいくら、出さないのなら差し押さえとか、そんな話のほうが
母子が当面きていくには大切だ。

収賄罪を構成する要件はこう、罪刑はこう、と決めて、どの程度の社会的抑止力があるかを議論するのが、とりあえずは大切だ。

生きる意味については当座よく分からないところもあるが、
目の前にある命は助けたい、それも大切だ。

*****
これは真理探究の気分に通じるのだけれど、
自分を主張できない人の人権を代弁するという仕事があり、大切だ。
たとえば、精神障害者がそうだ。
相手を充分説得できない場合がある。
その場合、代理となって、本当は、こういうことが言いたいのだと、説明する。

またたとえば、胎児や子供の人権である。
胎児が堕胎されようとしているとき、胎児は何を叫んでいるか、
それを代弁する人間が必要だと思う。
父母、そのまた両親、周辺の人、いろいろと事情はあるだろう、
しかし、胎児は自分の立場を主張できない。
それでも、命である。
むしろ未来の命であり、
今生きている人が全部死んだ後に生きているかもしれない命であり、
その命のために代弁することは、
ガリレイの仕事と同じくらい大切なことだと思う。

胎児の人権はいつ発生するかと議論があり、
人間の側で恣意的に決めているが、
胎児としては、連続した人生を生きているだけで、
どこから人権が発生するかなど、生きている人間の決めた事情に過ぎない。

*****
堕胎に当たる産婦人科医師もある意味で死刑執行人といえるだろう。
苦悩は深いと思う。

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試験の意味

4月になって、
試験の結果をかみしめている人も多いことだろう。
試験をする側としては、選抜の結果をいま実感しているところだろう。

勉強する側は必死になって試験を目指して勉強している。
試験を作る側は必死かといえば、必ずしもそうではない。
予備校教師などは、試験を作る専門家で、
平均点いくつ、標準偏差いくつ、という明確な目標がある。
一応作って、学生の反応も見て、目標値に行かないかなと心配になれば、
事前に少しだけリークしたりして、
点数を上げたり、そんな小細工もする。

大学の先生は、問題を作る側と、出題する側、採点して合否を作る側が一応全部切れていて、
問題を作る側は、自分の作った問題が出題されるのかどうかも知ることができない。
ことによったら、プールされていて、別の年度に使用されるかもしれない。

そんな感じで、しかも、大学の先生は、高校生が何を勉強しているのかなど知ったことではなく、
一応教科書をみて、こんなことを知っているはずという前提で、
問題を作る。

それぞれ専門分野の大家だから、ある意味でいい問題はできる。
しかしそれが試験問題としていいのかは評価が分かれる。

いい試験問題には二つあり、
ひとつは学生の努力を評価できるもの、努力していない生徒は悪い点がつくもの、
もうひとつは生まれつきの頭のよさを見るもの。

たとえば、ある大学の入試問題は、これまでの努力を見たいのではなく、
生まれつきの頭のよさをみたいのだということが分かるつくりになっている。

例で言えば、数学の問題があって、
問い1が、1.2.3.の枝問に分かれているとする。
1.と2.はいままで学んだことが身についているか、どの程度秀才であるかを見る試験、
3.については、その先の才能を見る試験、というようなからくりもある。
点数配分としては、どれも各5点とすることもできるし、
2.2.10くらいに配分することもできる。
何を評価したいかによる。

またたとえば、試験問題には判別力の高い問題と低い問題がある。
みんなができるような問題だと、間違えるのは、ケアレスミスと考えられ、
そんなものを採点しても、仕方がない。不注意な人を落としたいのではない。

みんなができない問題ができたとして、
その人は才能があると決めていいかも、問題である。
まぐれかもしれないから。まぐれ当たりに点数を配って、入学させて、
二度目のまぐれを待つのは愚かなことだ。

だから、みんなできる問題と、みんな間違う問題は、いい問題ではない。
不注意とまぐれをチェックしているだけのよくない問題である。

よく努力した人について判別力の高い試験問題というのがある。
これはプールしておいて、時々使う。
過去問をよく研究していてもらえば、できるはずであって、その努力を評価する仕組みである。
この種の問題は、高校の定期試験でも
取り上げられているはずで、勉強していれば、できる。していなければ、できない。

たとえば、クエン酸回路のこととか、脳神経の番号とか、そんなことは理屈も何もなくて、
しかし、覚えていなければ、その先の話が通じない。
また、その先のことを話し合っているなら、自然に体得されるもので、
特に覚えるこつなどなくても、覚えてしまうものだ。

つまり、その先のことを考え、議論する習慣があれば、身についているはずのことを、
もう一度確認してみる類である。

英語で、negotiationという単語の意味を知らないで、その先の議論はできないだろう。

*****
もうひとつ、普通の論理を常識的に推論できる能力を試す試験がある。
これも生まれつきのもので、鍛えようもないものだ。
勉強できるのは、その手前の、道具立てまでだ。

英語でも、このitは何をさすのだろうかという話は、
ネイティブでも、頭が悪ければ間違えるし、
論理的思考ができれば、正解できる。

頭の中に常識的な論理が組み込まれているか、見ている。

数学はその典型だし、
国語も、その方面の能力を実は見ている。
空想力豊かな人を選別しているのではない。

特別な才能のあるひとを識別できる試験というものが
概念的には考えられるのだけれど、これはうまく行かないことが多い。

数学難問集にのっていたり、エレガントな解答求むのようなものになるが、
それはもうその道の有名人であり、
なにもわざわざ入学試験で振り分ける必要もない。
大学に入らなくても、個人的に入門してくれてもいいし、
本格的な研究は院に行ってからだから、そのときに入門してもらってもいい。

論理的思考は生まれつきのもので、もう仕方がないと思う。
本能のようなものだ。

*****
したがって、お勉強というものは、
論理的思考に必要な道具立てを一通り学ぶこと、
そして常識的論理的に考えられれば、さらに一段高い点数が取れること、
それだけだ。

みんなができない問題を解けば偉いというのは誤解だと思ったらいい。
約半分が間違う問題をきちんと正解できて、
半分の人がよく間違う理由も知っている、
それが賢い人だ。

正答率50%の問題を20問中18問正解するとすれば、
どのくらい偏差値がすごいことになるかは、想像がつくだろう。
逆に言えば、正答率50%の問題が解ければいいだけなのだから、
易しいことなのだ。

なにも、ガリレオ・ガリレイのように、
「それでも地球は回っている」と
カトリック教会を相手に回して闘うことではないのだ。



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アフラックの生命保険代理店募集とのこと

日経ネットなどを見ていたら
アフラックの生命保険代理店募集の大きな広告
なんでも初期費用を免除するとか
電話でダイレクトはやめたのかな?

なんだかまた悲しい人が増えるような気がして
悲しい

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正規職員も痛みを分かち合いましょう

非正規労働者の雇用規制を「強めて」安易な解雇をできなくしようとの話の一方で
当然だが、それならば抱き合わせで、正規雇用者の解雇を部分的にでもしやすくしようとの話が出ている

ここしばらく
派遣切りという歯切れのいい言葉の定着、
日比谷公園の派遣村で年越しをする演出など、
一部勢力の思惑通りに進んで正論を封じ込めている印象だが、
ここに来て、それに乗るから、正規職員とワークシェアリングしましょうとか、
正規職員にも痛みをとか、そろそろと重大課題にアプローチが始まっている。

非正規の人は「こんなにも」大変なのだから正規の人も同じように痛みを分かち合い連帯しましょう、
そっちの流れに利用されると
どっちが勝ちなのか分からなくなる。

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刺激が強くなってもやはり慣れてしまう

日本のような四季の移ろいのくっきりした場所では
一年中春のような気候の場所よりは
自然のありがたさに気がつくことが多い
しかしそのうち忘れている

テレビや雑誌などで盛んにきれいな画面を提供していて
たとえばデジタル画面の始まりの頃ははっとさせられることもあったけれど
最近ではまた慣れてしまい
美しいものが垂れ流しになっている状態である

何にでも慣れてしまうものだ
それが悲しい

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お一人様の生き甲斐

今後ますますお一人様の老後が増える
死にたくないから生きているのは当然として
それ以上の、
生き甲斐、日々を生きる喜びを
どこに見いだしていくかが大切になる。

子どもや孫がいて変化が分かるようだとずいぶん違うのだが
老人一人で生きていると
自分では変化に気付かず
何もかもが灰色に見えてしまうこともある

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海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
寺山修司

*****
海を知ろうと知るまいと
少女は私に関係がない
ただ学問に励む日々である

*****
我が生は淋しからずや日記買ふ
高浜虚子

*****
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ
山口誓子

*****
新しい枕などうれしいこの頃である

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髪なんかなでられて 眠りたい

こんな日は少しだけ お酒をのんで
あの人が好きだった
詩をうたうわ
ゆらゆらと酔ったら うでに抱かれて
髪なんかなでられて 眠りたい
ねえあなた ここに来て
楽しかった ことなんか
話してよ 話してよ
こんな日はあの人の 思い出まくら
眠りましょ 眠りましょ
今夜も一人

想い出まくら 小坂恭子

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液晶なんか他社から買ってもいいじゃないかと思う

ドバイの建築現場からも外国人労働者が解雇されて消えつつあるとのこと。

考えてみれば、ソニーが一時、液晶の生産ラインを持たずにサムスンと契約して買い付けていたのは、
こんな時のためだったはずだ。
テレビの製造などというものは、サムスンでもシャープでも、液晶を製造する機械をある会社から買って、
製造ラインを組み立てているわけで、独自技術などは映像の調整をどんなテイストでやっているかというあたりらしい。
どうせ同じ製造機械を買ってラインを組み立てるならばサムスンかシャープから買っても同じだろうということになる。

しかし世間の印象としてはソニーは独自製品を作っていないのか、中身はサムスンなのかといわれることになり、
ばかばかしいことだけれど一応自社生産ラインにしたものらしい。
だからこそ堂々とブラビアと宣伝できるわけではあるが、自社技術はほんの小さな部分らしい。
その部分が最終的な映像を大きく変えるからいろいろな宣伝をしているのだろうけれど。
その点では東芝の低解像度画像を高解像度に変換する技術はたいしたものだと思う。
どのくらい売れるのだろう。まあ、実際は、古いビデオは古いビデオのままで特に不満はないのだけれど。

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自己愛的恋愛

自己愛の満足のための恋愛というものがある

これは厳密に区別できるわけではないけれど
献身とは少し違う愛のあり方だ

自己愛の延長として相手を愛している場合である

彼がクリスマスプレゼントを贈ったとして、
彼女が彼が期待したほどには喜ばず
感謝もせず
プレゼントの意義もよく理解していないようだったという場合、
ちらっとではあるが、彼は気分が悪い

それは彼の自己愛が満たされなかったからだ
彼女を喜ばせたいなら彼女が気に入りそうなものを贈ればいいだけで
自分がいいと信じているものを送るのは
なんだか教育しているみたいなところもある

自己愛的であり賞賛を求めている
こんなにも趣味がいい人だとは思わなかったとか
さすがだとか言われたいのだ

しかし恋愛のプロセスの中ではこのようにして
お互いの価値観を開き合うことが大切でもあるので
ある程度傷つきながらも
つきあっていく

軽く自己愛的であることは
お互いを教育し合うことになり
その点では若い人たちの恋愛が自己愛的であってもかまわないだろうと思う
それだってかわいいのだから

そのうち相手の考えていることはすっかり分かるようになる
それは多分若い恋愛の特権だと思う

年をとってからの他人との関わりが自己愛的だと
多分あまり相手にされないと思う
つまらないから

そんな人は一人で遊んでいるのがいい

あるいはお金を出せば8丁目の女性たちが話を聞いて頷いてくれる
そのほうがいいだろう

恋愛しているのに相手のうぬぼれにつきあっているなどおもしろくないことだろう

しかしながら
相手が自己愛的ナルシス・ナルくんなら
その自己愛部分こそ攻めの壺になる
うぬぼれを肯定すればよい

賞賛を惜しまず、その人の得意に思っている部分を褒めておけば、
簡単に好きになってくれるので扱いは難しくない
しかしそのあと一緒に生きてもかなりつまらないとは思う

うぬぼれ屋にとっては他人とは
自分を賞賛してくれるか
使用人であるか
そんなところだ

自己愛人間にとって
他人とは
敵か家来かどちらかである。

まるで猿山の猿のおとぎ話みたいであるが
多分そのおとぎ話はあまり外れていないと思う

猿山の猿についてはどうか知らないが
人間についてはそんな感じだと思う

自己愛人間はお山の大将で
山のてっぺんにいるのだと
錯覚している人と言える

味方にははっきりした序列があり
特別な人だけが自分よりも上にいる

味方でないなら敵である
友達というものがうまく成立しない

味方であれば
自分の生存を助けてくれる使用人であるか
自分の自己愛を満たしてくれる賞賛者であるかということになる

恋愛パートナーとなったときに要求されるのは
食事と生活費の面で生存を助ける
性的な満足を助ける
心理的に賞賛を求めるというわけで
いい加減なところでうんざりするだろう
まるでお母さんなのである

困ったことに現実のお母さんがいて
やむことなく賞賛し
生活費も食事も助けていることも多い



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医者はいてもぴったりの医者がどこにいるのか分からない

医者はいても、
その人にぴったりの医者がどこにいるのか、
分からない。
それが問題だ。


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夫婦の生活スタイル 融合と反目

夫婦の生活スタイルの話を聞いていると
さながら文明の衝突である

溶け合い一段高い文化を形成する夫婦もあれば
ぶつかり合いお互い悲しいだけの夫婦もある

融合と反目
時間がたって、そして、子供がいれば、反目は背景に退き、
融合が目立つようになる

しかしそこまで我慢できない人も多く
離婚し
あるいは我慢しきってあきらめて
離婚する

別れた後、「ああ、あの人は私の生活にも人生にも何も残さなかった」と感じるとしたら
何という悲しいことだろう

*****
実際、立派な家庭の娘さんは、自分に自信もあるし、生活スタイルにも自信がある。
男は粗野で浅薄で、下品な女に誘惑されるものと決めている。

それなのにどうして結婚するのかが不思議である

少なくとも自分と同程度に立派な男性だと信じられる人を
じっと待つほうがいい

自分が傷つくだけではなく、
男性だって傷つくのだから。

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伊丹十三「女たちよ!」

カバー挿画も自分で描いて、著者自装の新潮文庫である。
文章の中に「おんな」も「セックス」も登場するが、
そこで思い浮かぶのは、日本の伝統的体型の女性たちである。
最近の整形美女ではないのだ。
それがこの著者の文章が本物だという証拠なのだろう。

なかに、死に至る病という一項があり、
もてる男は幸せになれないという話である。
もてる男は、いまに最高の女が現れて自分を幸せにしてくれることをあてにしている。
だから自分がおんなを幸せにする気持ちがない。
適当に世話を焼いてもらい、時間が経つと飽きてきて、
理想と違う、どうせいまの生活は仮のものだ、などと思い、
また次のおんなを探す。
受け身の人間で、いつも人に愛されたいと思っている。

今でいえば、自己愛性格と似ている話だろう。
自己愛の備給をいつも他人に求めている。
そして備給基地に対して自分の理想を過剰に投影するので、
いつも夢は破れる。
なぜもっと愛せないのかとおんなに文句をつける。
愛ではなく、うぬぼれである。
目の前のおんなに対して申し訳がない。

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人生の意味

人の役に立つ
人を幸せにする
世の中を少しでも明るくする
人に愛される
人に褒められる

そんなことが積み重なって
やっと生きていける

人とつながっている感覚はやはり大切だ
人とつながっている限りは
人生の意味が感じられる

よく考えると難しい感じるするが
人とつながることはたぶん麻酔のようなもので
無意味さの中枢を麻痺させるのだろう



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資本主義はお金で画一化する

現代資本主義は大量消費社会を出現させて
貨幣価値で測定する点で画一的な価値観を生み出した
その範囲内で微細に見ると
自己愛を満たすような様々なイメージを買っているので
価値観の多様化とも言える

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マスコミは自己愛を総和して

白雪姫の女王様は鏡に向かって聞いていた
自己愛は鏡の中にあった

最近は自己愛はマスコミに映る像にある
メディアの中の自分を見て、
自分も、他人も、その人を認める

マスコミは自己愛を総和して
レバレッジを効かせているようなものだろう

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大江健三郎「取り替え子」

面白く読んでいるのだが、
著者の性質というよりは、読者としての自分の性質として気付いている部分がある。
この書物でも、私は前半の語り口にはとても親和性を感じている。
しかし後半の語り口には自分は親和性がないと感じる。

全般に同じことが言えるようで、
小説については、テイストが合わない。
エッセイその他、「グロテスクな芸術的変形」のない文章については、
とても納得させられる。

芸術的に変形させられた文章と付き合うことで
読書の体験が得られるのだけれど、
この著者の文章に付き合うのはなかなか大変である、自分としては。

高橋和巳なども文章はかなりグロテスクと評価されると思うが、
私にはとても親和性がある。

平たい言葉で言って、好みの問題ということなのであろうけれど、
一人の著者の書く文章の中で、これほどまでに自分に合う合わないがくっきりと感じられるものも珍しいと思っている。

多分、私は著者の抱く「何を」書くかに関心があるのであって、
「いかに」書くかについては、すでに何度も、自分としては好まないと結論を出しているということなのだろうか。

そんなことを考えつつ、読んでいる。

今日もくもり、肌寒いくらいの一日だった。
窓から見える桜はもう葉と同居を始めている。
ときに吹く風に応じて花びらを散らしている。
下の道は鮮やかな彩りで点描を施されている。
桜の木の隣に銀杏の木がある。
先日までは枯れ木だったのだが、
昨日から突然、まったく突然に、若芽が吹き出して、
目に見える黄緑に変わっている。
何というめざましい春だろう。
別の場所では柳の若い緑が桜の薄い桃色に寄り添っている。
人生と同じに、次々と新しい課題が出番を待っているのだ。

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映画「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」

イザベル・アジャーニ。
前に見たことがあるがまた見ようと思っていたら、
うっかり時間が過ぎてしまった。
ビデオがないとこうなるが、
見ないでもいいわけだ。
老人はどうせすぐに忘れるのだし。

ニュー・シネマ・パラダイスとかと似ていて
少年の成長とそれを見守る老人。

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奥はシャローン・ストーン。
イザベル・アジャーニは
モノが違います、モノが。

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続々誕生する新種のネット依存症

続々誕生する新種のネット依存症 

 動画投稿サイト、ネット百科事典、SNS、オンラインゲーム……魅力的なサービスが次々に登場し、ますます便利になるインターネット。だが、喜んでばかりもいられない。ネットの利用者数が増え続ける一方で、新種の「依存症」が広がっているのだ。その恐ろしい実態と処方箋を探った。

 一人暮らしのOL、タカコさん(30・仮名)は、若手お笑いコンビの大ファン。2人が出場する勝ち抜き戦方式のお笑い番組をたまたま見逃してしまい、がっかりしていたが、週末、何げなく立ち上げたパソコンの中で、思いもかけずその番組を発見した。動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」に、誰かが番組を投稿していたのだ。

 2人の名前を検索していくと、関係する番組も次々に現れた。すっかりユーチューブのとりこになったタカコさんは結局、土日の2日間、机に突っ伏してわずかな睡眠を取った以外は、ほぼぶっ続けでパソコンにかじりついた。風呂にも入らず、食事は宅配のピザ。はっと気がつくと、月曜日の朝を迎えていた。

 「掲載されている番組を全部、見たくなって、もう夢中。仕事があると、われに返らなかったら、ちょっと危なかった」

 タカコさんは、こう振り返る。

 2005年に米国で誕生したユーチューブには、利用者が自ら撮影したり、集めたりした動画のほか、テレビ番組など著作権を侵害するような画像も多数、掲載されている。民間調査会社のネットレイティングスによると、昨年1月には75万人だった日本からの利用者(家庭ユーザー)が、11月には813万人に急増する人気ぶりだが、同時にタカコさんのような依存症にかかる人も増えているという。

 ユーチューブと同じく、昨年、利用者が急増したのがインターネット上の巨大な百科事典「ウィキペディア」だ。日本語版には約31万件もの記事があり、大半は一般の人がボランティアで書いている。誰でも「編集者」として記述を変更したり、追加したりできるのが特徴だ。自分と他人の書き込みが連鎖して、知恵や知識が集積していく過程に魅力を感じる人も多いが、テクニカルライターの三上洋さんは、最近、自分の書き込みに過剰な思い入れを抱く「編集マニア」が目立つようになったと指摘する。

 「ウィキペディアの記事はなるべく公正中立な立場で書き、何か事件が起こってもリアルタイムで物事を追わないのが原則。とはいえ、結局は個々人の判断に委ねられるので、時々、『自分のほうが中立公正で正しい』と記述をめぐる争いが起きる」

 昨年、著名起業家に関する記述をめぐって、「でたらめな記述」と主張する本人と、ネット上の編集者との間で「編集合戦」が起きたが、いたずらや嫌がらせだけでなく、編集マニアの存在が指摘されているという。

ネットストーカーも登場…
 
 「前に、NPOで活動していたよね」

 20歳代のOL、ユウコさん(仮名)は、一度しか会ったことのない男性にいきなり声をかけられ、思わずゾッとした。男性とは以前、友人の開いたパーティーであいさつを交わしたくらい。確かにユウコさんは、発展途上国への支援活動を行っているNPOにいたことがあったが、そんな話をした覚えはない。男性は、ユウコさんのネット上のニックネームを推測し、検索サイトのグーグルや、ネット上で会員同士が交流するミクシィなどを使ってこうした情報を集めていたのだ。

 ユウコさんは、

 「その後、特につきまとわれることはなかったので良かったのですが、何とも言えない薄気味悪さを感じました」

 と打ち明ける。

 ミクシィに代表される「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)」に詳しい、フリーライターの高橋暁子さんのもとには、ネットによるストーカーまがいの行為についての相談が時折寄せられる。

 「過去の情報を調べられるだけでなく、ミクシィの個人ページに書き込みをすると、すぐにコメントがきたり、毎日、訪問した跡がついていたり。ネット上でずっと見られているような感じを受けるというのです」

 検索技術の向上は目覚ましい。本人は個人情報をさらしていないつもりでも、例えば、過去に参加した団体の活動記録などがネット上に掲載されたりすることもあり、検索を続けると、思わぬ個人情報が集まることがある。ストーカーではなくても、「検索マニア」は増えているようだ。

 昨年、NHK職員の夫婦が、心臓移植手術を希望する長女のために募金を募ったところ、中傷が相次ぎ、支援者の個人情報までがネット上でさらされる事態になった。前出の三上さんは、

 「ネットのなかで何か話題がないかずっと追いかけている『祭り好き』がいて、個人情報を検索してつかんだ『成果』を披露しあうことで、どんどんエスカレートする」

 と話す。

 もちろん、気になる相手のことを、グーグルなどで試しに検索してみるのは、もはや当たり前。学生の採用にあたって、事前に学生の個人情報を調べる人事担当者も出てくるほどだ。自分の名前を検索して、ネットでの評判を知る人も少なくない。

 ただ自分の評判をチェックするだけなら問題はないが、

 「自分の悪口を言っている人のブログを見つけ出し、『攻撃』することもある」(ITジャーナリストの井上トシユキさん)

 という。

個人情報を自ら暴露
 他人の個人情報をあら探しするマニアがいる一方で、自らブログやSNSの個人ページで深刻な個人情報をさらす人もいる。心の病気や過去のトラウマについて語るケースが多く、時には飲酒運転などの犯罪歴を自ら暴露し、批判が殺到することもある。

 井上さんは、

 「ネットは誰もが見られる開かれたメディアだということを忘れ、自分だけが読む日記をつけている感覚で書いている」

 と話す。

 もっとも、SNSでは、個人的な趣味や悩みを披露して、現実には探すことが難しい仲間を集めることが簡単にできる。実際、ミクシィには女装趣味を持つ男性同士など、さまざまなコミュニティーがいくつも出来ている。

 ただでさえ近所づきあいや職場などの人間関係が希薄になるなか、新たな交流の場を提供しており、「現実ではなかなか居場所を探せない人にとって、大きな救いになっている側面もある」(三上さん)のだ。

 そのSNSをめぐっては、「ミクシィ疲れ」という言葉もよく聞かれるようになった。自分の書き込みにコメントや訪問歴がつくと、それが快感になり、何度も書き込みを繰り返すようになるうえ、さらにはコメントをくれた人に対してお返しをするようになる。このサイクルを繰り返すうちに、やめられなくなってしまうのだ。

 ブログについても同様だ。ブログを更新しないと不安になり、今度はコメントがつくかつかないか、気になって気になって仕方がない。コメントにも、いちいち返事を書かないと気が済まなくなっていく。

 ネット上のコミュニケーションに神経をすり減らしてしまうこうしたケースとは別に、前出の高橋さんが気になっているのは、現実の対人関係が二の次になっている人が多いことだ。

 対面して会話中にもかかわらず、突然、一方的にさえぎり、携帯を取り出してミクシィの書き込みをチェックする人を何人も見てきた。なかにはSNSやブログに書く材料を集めるため、生活のスケジュールを立てる「ネタ探し病」のような人もいるそうだ。

 「(ネット上の仲間と実際に顔を合わせる)オフ会に年間200回参加した人がいますが、どの会にも少し顔を出しただけで、参加者と写真を撮るのが最大の目的。それをすぐにアップして、ネット上の仲間から楽しそうに過ごしているとか、人脈が広いなどとか思われたい。直接、目の前にいる人より、ネットの世界でどう思われるかを大事に考えているようです」(高橋さん)

 一方で、ネットの世界では、現実の世界ではちょっと考えづらいような親近感を示す人もいる。高橋さんは、一度会っただけの女性から突然、長文のメールを送られたことがある。

 「彼氏から二またをかけられていて、一回、自分のもとに戻ってきたのだけど、これからどうしようといった内容の恋愛相談でしたが、『なぜ親しくもない私に……』と驚きました。ネットには密室感があるため、人間関係の距離感が少しおかしくなるのかもしれません」

重症なら治療が必要
 
 冒頭に登場したタカコさんのように、一時的にネットにはまっても、すぐに現実生活を取り戻せればいいが、そうでなければ、本格的な治療が必要になる。

 精神科医で、成城墨岡クリニックの墨岡孝院長のもとには、毎月20人近くのネット依存症患者が訪れ、このうち3~4人が初診患者。5年ほど前から目立つようになったという。

 最も多いのは、オンラインゲームが原因の引きこもりだ。たいていは、ゲームに熱中するうちに自分の部屋に閉じこもるようになり、手を焼いた家族が連れて来る。都内の私立大学2年生の男子学生は、大学入学後にオンラインゲームにはまり、半年後には自分の部屋に閉じこもるようになった。食事は部屋の前に置かせ、好きなときに寝て、好きなときに起きる生活で、風呂に入るのはせいぜい1週間に1回。髪はボサボサで身なりも不潔になり、体重も増えていったがお構いなしだった。

 両親が注意しても全く聞かず、大学に行くよう強く勧められると怒ることもあった。対人関係とは裏腹に、男子学生は、ネットの世界では雄弁に自分の意見を語っていたという。男子学生は約1年後に、両親に連れられて来院した。

 まれではあるが、ゲームと現実の世界を混同する深刻なケースもある。ある会社員は、ゲームの世界で「金持ち」として振る舞っているうちに、現実との区別がつかなくなり、実際に借金して高級車を買っていた。

 オンラインゲームはそもそも、「時間をかければかけるほどレベルが上がって楽しくなるので、終わるきっかけがつかみにくい」(前出の井上さん)。お隣の韓国では、熱中しすぎて死亡するケースが報告されている。

 深刻な依存症の原因は、オンラインゲームだけではない。なかには、ネットでの株取引に熱中するあまり、こっそりと親のクレジットカードに手を付けた高校生もいる。ゲーム感覚でお金もうけを楽しんでいるうちに、朝から晩まで売買に励むようになり、学校を休むようになっていた。

 墨岡院長によると、依存症にかかりやすいのは、「きまじめで論理的な思考を好み、マニュアルにこだわるタイプ」。20歳代から30歳代前半の若い男性が多い。

 対処法は他の依存症と同じで、パソコンから切り離すことが大切。家族と過ごす時間を増やしたり、スポーツで体を動かすようにしたりと、少しずつネットの時間を減らし、1日2時間以内に抑える。問題に気づきさえすれば、アルコールやたばこなどの「物質依存」と違い、4か月から半年ぐらいで治るケースが多いそうだ。

 底知れぬ魅力を秘めたネットの世界。向き合う際には、引き込まれすぎないように気を付けたい。


* * *

海外でも大問題のネット依存症
 
 ネットの依存症については、イギリスの科学雑誌「New Scientist」が、昨年12月発行のクリスマス・新年号で4ページにわたる記事を掲載し、いくつかの「症例」を伝えている。本文中に登場した、ウィキペディアの編集に過剰な情熱を注ぐ依存症(「ウィキペディホリズム」と命名)や、自分の名前をネットで検索し、世間でどんな評価を受けているか常にチェックする「エゴサーフィン」などのほかに、こんな具合だ。

▽「サイバーコンドリア」――体の調子が少しでも悪くなるとすぐネットで該当する症状を検索し、病名を診断する

▽「フォトラーキング」――会ったこともない人の写真アルバムを見続ける

▽「クラックベリー」――欧米で人気の携帯端末ブラックベリーを確認せずにはいられない

巷に流行る依存症あれこれ
 高橋さんは、本文で紹介した以外にも、こんな「症例」をあげる。

▽メール依存症――近くにいる人にでも、言いたくないことはメールで済ます

▽メールの返信が遅いと怒る病――メールには時間単位で返信するのが当たり前と思っている

▽ネット過信症――新聞などは読まず、ネットのみで情報を補完しようとする

▽井の中の蛙病――狭い世界のなかでの有名人と接したがったり、狭い世界で言われていることを常識だと思い込んだりする
 



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長時間テレビみる乳幼児に言葉の遅れ

長時間テレビみる乳幼児に言葉の遅れ
2005年08月01日
 昨年4月、日本小児科学会は、「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」と題する緊急提言を発表した。

 これは、同学会の「こどもの生活環境改善委員会」が実施した調査の結果、(1)長時間視聴は1歳6カ月時点の意味のある言葉(有意語)の出現の遅れと関係がある、(2)特に日常やテレビ視聴時に親子の会話が少ない家庭の長時間視聴児で、有意語出現が遅れる率が高い、(3)このようなテレビの影響にほとんどの親が気づいていない――などが明らかになったためだ。

 同委員会は2003年に、乳幼児のテレビ視聴の発達への影響を検討するため、3地域(首都、中核市、農村地区)の1歳6カ月健診対象児について調査を行った。無記名方式による質問紙調査で、回答が得られた17カ月から19カ月児1900人について解析した(回収率は地域で異なる。平均75.2%)。

 視聴時間別に運動、社会性、言語の発達状況を調べたところ、1日4時間以上の子ども(長時間視聴児)で、4時間未満の子どもに比べ、有意語出現が遅れる率が1.3倍高いことが分かった。

 また、子どもの近くでテレビが8時間以上ついている家庭(長時間視聴家庭)で4時間以上視聴している子どもと、子どもの近くでテレビが8時間未満ついている家庭(短時間視聴家庭)で4時間未満視聴している子どもを比べたところ、有意語出現の遅れの率は、前者が後者の2倍と高かった(「インターネットの普及と“心の問題”」参照)。

 調査では、子どもがテレビを視聴しているときに親がどのようにかかわっているかで運動や社会性、言語の発達状況に違いがあるのかも調べている。

 その結果、テレビを見ながら親が一緒になって歌ったり、内容について語りあったりする家庭では、子どもの視聴時の反応(たとえばテレビの視聴時に「にこっと笑って親の顔を見る」「指さして質問する」など)が活発だったという。しかし、テレビの視聴時に親がかかわっていても、長時間視聴する子どもの場合は、有意語出現が遅れる率が高かった。

 視聴時の親のかかわりが少なく、かつ長時間視聴する子どもの場合は、視聴時に親のかかわりがあり、かつ視聴時間が短い子どもの場合より、有意語出現が遅れる率が2.7倍と著しく高かった。この両群の比較では、言語理解や社会性、運動能力にも遅れが見られたという。

 これらの結果を元に、同学会では以下のような提言をまとめた。

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携帯電話持つ中学生は非行に走りやすい!?

携帯電話持つ中学生は非行に走りやすい!?
2005年08月01日
 性犯罪や子ども同士の暴力による死傷が相次ぎ報道されるなか、「何かあった時のために」と、中高生に携帯電話を持たせる親は少なくない。しかし、昨年6月末に警察庁が発表した調査結果をみると、その親心も裏目に出る可能性がある。

 警察庁が発表したのは、「青少年の意識・行動と携帯電話に関する調査研究」。調査対象は、6府県(宮城県、千葉県、石川県、大阪府、岡山県、大分県)の一般中学生1880人(男子960人、女子920人)、一般高校生1509人(男子718人、女子791人)と、2002年10〜12月に全国で検挙・補導された中学生(男子374人、女子180人)と高校生(男子305人、女子134人)の計4382人。一般少年は2002年9〜12月、非行少年は検挙・補導時期の2002年10〜12月に無記名調査票で調査した。

 非行少年と一般少年で携帯電話の所持率や使用頻度について見ると、非行少年の所持率が高く、使用頻度も高い傾向が見られた。中学生男子では一般少年の携帯電話所持率が20.4%だったのに対し、非行少年では52.4%と約2.5倍多かった(「インターネットの普及と“心の問題”」参照)。高校生では一般少年と非行少年に所持率の違いは見られなかった。

 また、非行少年では電話回数(非行少年7.7回対一般少年2.7回)、メール回数(42.6回対30.5回)が多く、そのことで親に怒られたり、料金分を賄うためのアルバイトをする回数が顕著に多かった。性犯罪の温床になっている出会い系サイトの利用は、非行少年(30.4%)だけでなく、一般少年(18.5%)でも驚くほど多い。

 「家でどのくらい勉強をするか」という問いに対して、中学生では男女、非行/一般の別なく、携帯電話所持者は非所持者よりも「しない」傾向が高かった。特に一般女子中学生では44.6%対28.2%と、所持群の「勉強しない」比率が非所持群より6割も高く、携帯電話所持と勉強しない傾向の関連性を示唆する結果になった。

 このほか、携帯電話所持群では、努力、がまん、責任、迷惑をかけない、などの「好ましい性格」を大切だと思う意識が低い傾向や、学校の成績に対する自己評価が低い傾向、部活動をしない傾向、アルバイトをするなどの比率が多かった。

 携帯電話利用が非行や「好ましくない」行動の原因になっているのか、非行行動に携帯電話の利用が伴うのか、この調査結果からだけでは不明だが、携帯電話を持たせる親は、利用について十分な教育や監督を含む子どもとの意思疎通が必要と言えそうだ。

 本調査結果の概要は、以下のPDFファイルで見ることができる。

・「青少年の意識・行動と携帯電話に関する調査研究」
http://www.npa.go.jp/safetylife/syonen16/keitaityousa.pdf



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