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ミッキーは

ミッキーは、笑うという目的のためだけに
任命された小さな人格なのだ
 
『ウォルト・ディズニー 夢をかなえる100の言葉』

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アイルトン・セナ

生きるならば、完全な、そして強烈な人生を送りたい。
僕はそういう人間だ。
事故で死ぬなら、一瞬のうちに死にたい

人生の中には、抵抗しようとしても
出来ないものがある。
僕には走るのを止めることは出来なかった。
僕に生命を与えてくれるのは戦いだよ。
この挑戦が無ければ、僕はもう、存在しないだろう

*****
ぼんやり生きているわたしには
コメントしようもない



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いろんな人の七転び八起き

考えてみれば、あの時も、この時も、この人生の中で何度か、
少なくとも三度、
私はすべてを失っている。
こんなにも大変だったかなと思ってね、
年表みたいなものを作ってみたの、
やっぱり変だわ、私の人生。
これは性格のせいなんだ、多分。

あの事件ですべてを失いました。
それでもこうして生きています。
これでいいです。
表面上のことじゃないです、
私は結局神様に誉められたいのだと思っています。
別に信仰しているわけではないんですが、
そんな表現がぴったりかな、と。
改まって言葉で言うのは難しいです。

そしてそこから新しく出発したのだ
一からやり直しは意外といい
プロ野球選手を辞めて
自動車整備工になるみたいな
すっかり新しい人生みたいでさ

屈曲点があります
私の人生には

私の人生は直角に曲がってしまう
いつもご破算なんです
過去を生かしながら はできないんだな
そしてまた初めからです
それでもこうして生きてきたよ
自分でも忘れているくらいのものです
そうね やっていけるものだよ
大変だったけどね
これも神様が私に割り当てたことなんだし
私だって神様の前で威張っていられるような立派な人間でもないし

むしろね
いつもいつも過去を引きずっているというのは
ばかげてるね
ご破算って好き

曲がっても、そのままでまっすぐに進みます
だってそれしかできないんだもの
それでいいの
全速力で前に進むしかないもの
時々休みながら



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目取真俊「群蝶の木」

単行本に収められている他の作品とは少し違う。
テーマとして錯綜している、私には少し複雑。
他の作品は、何といえばいいか、
絵で言えば、バラのデッサンみたいな感じ、
この作品は、いろいろなデッサンを集めて、
テーマを伝えたいと意図している感じ。

古い同級生Tの死、故郷の祭り、沖縄出身のゴゼイおばあ、戦争、
戦争で帰らない親戚、本土決戦、沖縄の男、女、本土の兵隊、
朝鮮半島の女、
これらの要素が作り出すテーマは、重い。

沖縄の土地に折りたたまれて圧縮された何かが、
解凍されて私たち読者の前に供されるが、
時間構造も解体されていて、それらを総合するには
読む側の構成力が必要とされるのだと思う。
そのようにして小説の中で事態を構成する練習をしたら、
今度は自分の人生について、また自分の現在について、
事態を構成してみればよいのだろう。
そのためのよい練習問題だと思った。

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W.シェィクスピア

やや古い翻訳から

*****
真実は行為で示され、
それを飾る言葉はない
『ヴェローナの二紳士』

恋ってのは、それはもう、
ため息と涙でできたものですよ

人生は動く影、所詮は三文役者。
色んな悲喜劇に出演し、
出番が終われば消えるだけ
 『マクベス』

悲しみの耳には
素直な言葉こそ入りやすいもの

涙流すな 嘆くな乙女
『から騒ぎ』

本を読んでも、物語や歴史に聞くところからでも、
真実の恋は滑らかに運んだためしがない

君、時というものは、
それぞれの人間によって、
それぞれの速さで走るものなのだよ
 
われわれは夢と同じものでできている。
そうして、われわれのささやかな人生は
眠りにつつまれているのだ
『テンペスト』

手負いの鹿は泣かせておけ、
傷なき鹿は、たわむれ遊べ。
眠らぬ人に眠る人、
世はさまざまじゃ

仕草をせりふに合わせ、
せりふを仕草に合わせたまえ
 
愛は境遇を左右するか、はた、
境遇が愛の先達となるかは、
われらに残されたる問題じゃ

女はバラのようなもの。
ひとたび美しく花開いたら、
それは散る時
『十二夜』

口に出してお嘆きなさい。
物言わぬ悲しみは、
張りつめた心へ向けてこっそりと、
裂けるように命ずるものです
『マクベス』



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愛してるなんて 誘ってもくれない

愛してるなんて 誘ってもくれない
キャンドルライトが 素敵な夜よ
ガラスの靴なら 星屑に変えて
真夜中のメリーーゴーランド
ついて行きたいの 

今夜だけでも
シンデレラボーイ Do you wanna dance tonight
ロマンテックをさらって Do you wanna hold me night

 ダンシングヒーロー 荻野目洋子  1985 

*****
動画でみると
なんとなく時代がかっていて
ジッタンン・ジンに似ているなと思い
そのころはみんながそうだったのかと
思う

*****
元曲があるわけで、
それに日本語をはめていったわけだが、

ロマンテックをさらって 

でぴたり決まりました。お見事!



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仕事に逃げる

苦しすぎるので仕事に逃げている人は結構いるものだ

仕事をしている限りは他人は褒めてくれる

だから問題は起こらないように見える
しかし実際は仕事に逃げているだけである
仕事に閉じこもっている
仕事でバリアーを張って現実を見ないようにしている

実際は逃避だけれど逃避に見えないようになっている

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必死に仕事をする

ただ必死に仕事をすることで
忘れられることがある
仕事に必死にならなければ忘れられない
世間に褒められ人に褒められ
そのことで自分で自分を褒めて
やっとの事で忘れることを肯定できる
やっとの事で忘れられる
そして忘れ続けるために
また必死で仕事を続ける
その先には何もないと知っている

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目を見て話しなさい

僕は母親に言われたことがあって、
それはとっても記憶に残っているんですが、
話をするときは、人の目を見て話しなさいというんですね。

いま自分で親になってみて、子どもに同じことを言ってまして、
親もこんな気持ちだったのかなと思ったりしています。

手紙を出すときはもう一回読んでから出すようにしなさいとか。
そんなことも。

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パンにカラシ

パンにカラシを塗るととてもおいしくなるので驚く
今更だが

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レストラン クレッセント

芝増上寺の近くにあるレストラン

最近は高級フレンチといえばホテルの中などにあるのが普通だけれど
ここは昔から独立しているらしい

果てしもない贅沢があるものだ
無論、こわいので近寄らない

ホテルに泊まるくらいなら
ここで食べたらどうかと一瞬思ったが
もちろん却下

マキシムのほうが少し安い

フォーティー ファイブ
東京ミッドタウン 45F
ここはすこし新しい

自分で肉を焼いて食べることにする。

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夫の知らない妻の本当の人生

そんなことが実際にある

不思議なくらいにちょうど露見しないらしい

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酔ってるの?あたしが誰かわかってる?

「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
穂村弘

弘というなまえが渋い
小学校の先生の名前と同じだ

終バスにふたりは眠る紫の〈降りますランプ〉に取り囲まれて

体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

*****
もう私の周囲の風景は固定してしまっていて
終バスにも乗らないし
体温計も使わない
酔うこともないし
ブーフーウーを知ろうともしない

世の中に散らばっている宝石を
多分あるのだろうなと
思いつつ探検しなくなっている

ただベッドに横になり
古い本を読んでいる

*****
落語の本を読んでいたら、
「鼻ほしい」と「おかふい」という話があった。
粋なお道楽が過ぎると
鼻の障子がなくなってしまう。
夏座敷と言って、
言葉が鼻に抜けて具合の悪いことを言う。

余り出来のいい話とも思えないし、
第一、発声の不自由な人の事を笑うようにも受け取られるので、
もう演目としては難しいだろう。
しかしどうやって芸人が稽古をしたものか、
不思議ではある。

和歌を読んでしかもそれが鼻に抜けているので
分かりにくいから笑えない。

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ゼロから出発

私はいつでも
明日から
ゼロから出発
でいいと思っている

過去なんてないのだし
未来なんてないのだし
あるのは明日だけだ

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谷川俊太郎 5

すぐれた古典が音楽に限らずすべてそうであるように、ベートーヴェンの音楽も聞く者の生長につれていつまでもその意味を新しくする。私にはベートーヴェンがすっかり分かってしまってもう要らないということがない。

本当に苦しい時に私はベートーヴェンを求める。

私はベートーヴェンをまるで今生きている人間のように身近に感じる。
彼にはどこかしら音楽を超えたようなところがあるのだ。彼には自分を芸術家としてとどめておくことの出来ない何ものかがあるような気がする。
その何ものかのために、私はベートーヴェンと人間的に、実に素朴に人間的にむすびつけるように思うのだ。

「……私は、尚、二、三の大作をこの世に残し、それがすんだら、年とった子供になり、どこかで善良な人々に取り囲まれて、地上の命を終えたいと希っている。」ヴェゲレルに宛てた晩年の手紙の中で、ベートーヴェンはこう書いている。
子供になること、それはもしかするとベートーヴェンが一生の間夢みていたことではないだろうか。彼はあまりに感じやすく、あまりに傷つきやすかった。
しかし本当の子供のもっているあの一番の宝、やすらぎというものを彼はもてなかった。
それは客観的な環境によるよりも、彼自身の生まれながらに負うていた感受性によるものだと私は思う。

彼はおそらく必要以上に苦しむ悩む人間だった。しかし正にその点で彼は偉大だったのだ。



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谷川俊太郎 4

小学生時代に私も少々ピアノを習わせられたことがある。先日久しぶりにぽつりぽつり叩いていたらその頃の思い出が、別に具体的なことは何も思い出さないのだが、ありありとよみがえったのにわれながら驚いてしまった。音楽は不思議な力を持っているものだ。それはわれわれの記憶の中に長い間深く眠っているのだが、ふと引き出されることがあると、まるで長年沈んでいた舟のように沢山の記憶の貝がらをくっつけて出てくる。私は小さな小学生にもどってしまう。そして漠然としたかつての幼いかなしみや喜びの中に身をひたす。それらは限りなくやさしく、そしてかなしい。時の重さのためにその深い表情をあらわにしている。プルウストにとってのマドレーヌ菓子のように、それは私にとって果てもなくなつかしい不思議なものなのだ。

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谷川俊太郎 3

私は毎日のようにくり返しくり返しそれを聞いた。私はただ感動していた。私は生まれて初めて感動ということを知ったのだった。私はその感動からくるどんな思念もなく、ただ純粋にひたすらに音楽に身をまかせていた。そしてそうすることで、私は不思議に元気づけられるのだった。

人を楽しませる音楽はある。人を慰める音楽もある。だが、人をはげます音楽はそう沢山あるものではない。ベートーヴェンの音楽は人をはげます。それはリズムの空元気やフォルテシモのこけおどしではない。もっと内面から、たとえその音楽がどんなにはげしくとも、さらがら救いに似た静かな力強さでわれわれをはげましてくれるのだ。
それらは単なる凱歌以上のものだ。私にとって殆ど宗教的な意味を持っていた。それらは生命の根本からの最も力強いほめ歌なのだ。それは最も効力ある薬でもある。ベートーヴェンの音楽は人を生へと駆り立てる。

彼は沈黙に初めて人間的な戦いを挑み、そして勝ったのだ。

どんなに心の乱れている時にも、いや心だけではない私の肉体の病んでいる時にも、私はこの始まりの音を聞くと落ち着くことが出来る。子守歌のように、それは私を日常的なものから眠らせてしまう。そして私はもっと大きなもの、もっと深く力強いものに目覚め始める。

これは行為への祈りなのだ。ベートーヴェンは諦念の中で何もせずにじっとしてはいられない。彼はあきらめを知りつつも、人間の出来る限りのことをしたいと欲する。

私は沈黙してしまう。それは言葉にすることの出来るにしてはあまりに強く大きい。私はただ太陽に身をさらすように、その烈しさに身をさらす。そうするだけで、ひとつの大きな力が私を貫き、考えることもなく、思うこともなく、ただ馬鹿のように涙を流しているだけで、私は強くなっている。



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谷川俊太郎から引用 2

私は彼の音楽を愛した。わたしは彼の音楽を通して、ベートーヴェンその人をも愛した。感傷ではなく、私はそれを信じている。

私は彼の音楽を、芸術としてというよりは、むしろ私の愛する人間の私への親しい言葉、やさしい身振りのように受け取っている。
心挫けた時、私は一人の親しい友人に会うように、またそれ以上に、愛する者に慰めとはげましを求めるようにベートーヴェンに会う。
わたしはベートーヴェンを愛し得たことを幸せだと思う。ひとつの芸術作品を愛することさえ、たやすいことではない。まして、その作品を通して一人の人間を発見し、その人を愛することが出来るというのは稀な幸運なのだ。
それはひとつの運命的な出会いのように私には思える。
ひとつの作品をいくら理解し得たとしても、私たちとその作品とのむすびつきはしれている。本当のむすびつきは、理解という言葉を超えたひとつの共感、おそらく時には愛とさえ呼ぶことの出来るひとつの肉体的な感動に始まるのではなかろうか。その時、芸術もまた本当の芸術として私たちの中に生きる。

彼の偉大さは、彼の不幸の大きさによるのではない。むしろ彼が己の不幸を感じとるその度合いにあると云っていい。彼は不幸さえ偉大にものにすることが出来た。
誰にでもある不幸を、彼は人間の存在そのものの不幸の象徴として感じとった。

モーツァルトは小鳥のように歌った。ベートーヴェンは人間として、あくまで人間として歌った。
彼の悲しみ、苦しみ、喜びそれらはすべてあまりにも人間的なものだ。
彼は初めて音楽を本当の意味で人間的なものにした。
われわれはバッハの音楽を聞いても、その生涯には興味を持たない。バッハの音楽に彼の生は無いからだ。ベートーヴェンの音楽は、まるで彼の生そのもののようだ。



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谷川俊太郎から引用 1

自らの若さに忠実であることができたという自負が私にはある。

これは以前から好きな一節だ。



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スランプとうつ

松井の場合スランプと言われることはあっても、
うつと言われることはない

きっかけはあったりなかったり
時間がたてばやってきて
時間がたてば去ってゆく

松井も自分の能力のぎりぎりで勝負しているから
波が出てくる

松井がもっときつくない場所でプレイしていれば、
もっとスランプの波は目立たなくなる

しかし自分に挑戦できるはずのもっときつい場所がある事を知っていながら、
簡単な場所で仕事を続けていることはできそうにない

本当の満足をもたらさないからだ
しかしぎりぎりで挑戦する限り、
好不調の波は出てしまう

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後追い自殺

後追い自殺というものがあり
なかなか難しい

残されたものは二重に取り残される

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ジャン・カルバン「キリスト教綱要」

堀田善衞「ミシェル 城館の人」の中で紹介されている。
カルバンは1536年、27歳の時に「キリスト教綱要」を書き上げた。
まさに天才である。
1531年には最初の本、セネカ「寛容について」の翻訳・注釈書を書いている。
22歳だ。
堀田氏は
最初は自由と寛容を求め、
最後は宗教的独裁に至った
と評している。
プロテスタント運動は弾圧され迫害され、
非寛容の権化となり、
自らをジュネーヴの独裁者とする、
宗教的共和制を完成した。
各国に秘密組織を張り巡らせることさえした。
この変貌は、人間を見つめるものにとって、他人事ではないと書く。

これはドストエフスキーの描く大審問官の話でもある。
蟻塚の蟻として生きる人間は自由に耐えられない、
ただ教会に従っていればよろしい、
それで間違いはないと言い切る。
信仰の内面化を言うイエス・キリストは不要であるとする。

自由と寛容は最初歓迎される。
しかし民衆はそれを自発的に教会に捧げ返納する。
そのあとは独裁制が心地よいのだった。

免罪符の販売と、宗教的独裁と、
いずれがより大きい害悪であるか。

カルバンの場合、一人の人間が、ここまで大きな振幅で振れるものかと、
瞠目させられる。
環境または体験が人の思考を変えてしまうのか、
あるいは時間が経って、即ち加齢に伴いカルバンの内部に変化が生じたものか。
内部の変化というのなら、そこに、病気の可能性はなかったか、とまで考えさせられる。
かなりの屈折と感じられる。
しかしまた、当時の状況を勘案すれば、このような屈折も自然な経過として
理解できるのかとも思う。

このあたりの判定には、他の歴史的人物を複数引用するのがいいのだろう。
その上で、歴史的経験値として、ある程度評価できるのかもしれない。
独裁者たちの人生を掘り返してみるというわけだ。

*****
このブログの右下の検索ボックスに「堀田」といれればいろいろ出て来る。

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Ave Maria

Celtic Woman - Ave Maria
http://jp.youtube.com/watch?v=SsTJU27a1uc&feature=related

Ave Maria -Sarah Brightman-
http://jp.youtube.com/watch?v=yXuw9icKXnU&feature=related

Piazzolla - Ave Maria for Viola & Strinq quartet
というのがあって
http://jp.youtube.com/watch?v=tNQcpMU5zCY&feature=related

こっちは歌つき
http://jp.youtube.com/watch?v=sVxZn9cwA4c&feature=related

一味違う

Pavarotti - Ave Maria
http://jp.youtube.com/watch?v=2uYrmYXsujI
やっぱり圧倒的



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Kyung Wha Chung plays Vivaldi Four Seasons 'Spring' - 1

Kyung Wha Chung plays Vivaldi Four Seasons 'Spring' - 1
http://jp.youtube.com/watch?v=v7LAyb336os&feature=related

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休日なのに工事中

工事の音で目を覚ます冬の日の休日
どうして休みの日なのに轟音を立てて工事なんかするのだろう
不思議なことだ
そんなに急ぎなのかな
分からない

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隣人愛

薄いものではあるが、日々、隣人愛の実践である。
おおげさではなく、私にできることならば、してあげる。
私が疲れているときは、勘弁してもらう。

それが神が私を愛してくれていることにつながっているとも思えるが、
もうそんなことも強くは思わない。
ただ目の前にいる苦しんでいる人に何をしてあげられるか、
それだけだ。

そんなことで世の中の苦しみの総量は少なくはならない。
大海の一滴である。

しかし、確かに私はその時間にその人と出会い、
その人の人生に触れている。

人として生まれて、これほど興味深く意味深いものもない。
同時代に生まれ合わせて、相談をするなんて。
すばらしいことだ。

できることしかできないが、
できることならするつもりだ。

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散り敷く落ち葉3



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リーダー幻想と脱幻想

原初的な話、
マスコミの原型と言える口コミや物語のひとつの機能は
リーダーの幻想を作り出すことにあった
当然である

古事記などからしてそうである

そして現代、マスコミは芸能界や政治の世界の幻想を作り出し
それを脱幻想して追い落とし、その往復運動に忙しい

星野を持ち上げて落とす
長島・王は別格で脱幻想化されない

政治家は軒並み脱幻想化されている
二世や三世は理想化されてB層相手には幻想を振りまきやすい
物語を作りやすい
しかしそれはかなり嫉妬の入り交じった物語となる

現代マスコミは脱幻想化機能の方がずっと強い
生身の人間であればいろいろあるわけでそれは当然である

むしろ読売の渡辺氏の幻想化などが進行しているのだろう

しかしながらそうした状況は国民にとって不幸だと思う
フィクションであってもいいので
よいリーダーを据えて
よいリーダーと擬製されたその人はよいリーダーたろうと真剣に努め
そのようにして社会を健全な方向に持っていけないものだろうかと思う

選挙直前の給付金などは
あまりにもひどい政治家とあまりにもひどい国民の政治劇であると
あまりにもひどいマスコミがいい
あまりにもひどい批評家的国民があきれて見せ
しかし何も事態は変わらない


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マスコミは父性像を消去する

マスコミの分かりやすい機能は
権威の化けの皮をはがすことである

そのことが進行すると
父性像が消滅する

会社の偉い人たちはいつもテレビで謝罪している
芸能人はスキャンダル

野球チームをマスコミが持っていて
その関係の人が何かいろいろ活動しているようで
権威の化けの皮を着たものと
分かっていても放置されている

昔軍隊今マスコミである
みんなあきれているのにどうしようもない

マスコミの暴走をゆるしている現状は
軍の暴走をゆるしていた当時と同じで
民主主義が機能していない

マスコミは企業社会にひざまずき資本に顔を向けて
民衆に映像を投げかけている

民衆としては視聴率や不買運動があるものの
マスコミに対しての直接の決定権はない

現状では政治権力が民衆操作のためにマスコミを保護し
民衆の直接民主主義から隔離している状態である

新聞と電波放送が許認可で縛られている以上、
仕方がない。うまくできているものだと思う。
新聞社や放送局に入社した人の精神の変化をたどってみればおもしろいだろうと思う。
最初は様々に志があったはず。

ネット社会はどうかと言えば自由なはずなのに
果てしなく無意味なものばかり。
愚民政策の工作員がいるのではないかと疑うくらいだ。

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貧根問題

貧しい男根で貧根という

日本人男性は国際的に見ると性的にはさして成熟した部類ではないし
日本人女性はやはり国際的に見ると各種成熟指標においては貧弱である

そんなわけで
グローバル化が進むと必然的に
草食獣のオスは肉食獣にメスを渡してしまう

草食獣同士では競争もやる気もあったらしいが
肉食獣と闘う気にはなれないようで
あっさりと草食獣というポジションを受け入れている
草食オスはむしろメスのポジションにあこがれている様子もあり
困ったものだと思う

ボスにならなくてもいい
メスも要らない
そのかわり働かず餌が欲しい

したがって
かつてはメスを手に入れるためのアイテムであった
高収入、高学歴、高身長、かっこいい車、スポーツ、教養、男らしさ、
すべて不要のものとなった

むしろ男同士が鉄道やフィギュアについて語り合い
村上春樹的世界で静止している

世間にはますます中性的な人間が増えて
他人と薄くだけ関わっている

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ど真ん中のストライク

野球でど真ん中のストライクを見送ってしまい後悔することがあるといいます

人生の出会いも同じで
ど真ん中のストライクの人にいま出会っているかもしれません
見のがさないようにしましょう

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ジューイッシュ・コネクション

やっぱりユダヤ人はすごいと思います。実際、中国のプロジェクトのクライアントですら、実はその後ろにジューイッシュのコネクションが付いていることが多いんです。ジューイッシュは、大英帝国の後にアメリカを席捲して、その後はロシアと中国をどうやってコントロールしようか、がテーマだと言われていますが、クライアントを見ていると、それが実感できますね。ロシアや中国だけど実はこれはユダヤのプロジェクトだろう、という場面は多いですよ。

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貧困問題

貧困問題は国内問題なのか国際問題なのかと考えることでだいぶ様子が違う

国際問題と考えてみると
これまで国際的な搾取の構造に乗って儲けてきた人たちが
情勢が変わってきて儲けられなくなり
国内の搾取で「しのごう」としているので
搾取がはっきりと目に見えるようになったということなのだろう

時代が変わって搾取の対象になった人は
時代が変わる前に搾取の対象であった海外の人に同情しなかったし
現在もあまり同情はしていないらしい

報道によればブータンなどという国では
国民みんなが幸せになる秘密の方法があるらしいが
日本にはそんなものはない
幸せになるには他人から搾取して金儲けするしかないと考えている

これまでの生活水準を維持するためには
誰かから搾取するしかない

幸せのためにそんなことが必要なのだろうか
みんなが幸せになる方法はないものかと考える人もいるだろう
しかしくっきりと像を結ばない

同調圧力が強いのは確かであるが
それはみんなで不幸せになる方に向いてしまう
これも国民性というもので
認知療法でいう悲観的な認知というものだ
グラスにまだ半分水はあるのに
あと半分しかないと思ってしまう

考えてみれば
お腹いっぱい食べてさらに捨てるほどの食料があり
テレビを見れば平和な番組でバカになり
平均年齢はほぼ世界最高を維持しているがほとんど笑わないで暮らしている
問題があるとはいえ基本的にこんな幸せなことが他にあるだろうか
世界のどこの人でもいまの日本に連れてきて不幸か幸福かと聞けば
かなり幸福と答えるのではないだろうか

でもそれは
背景に50億の貧しい人たち、
さらその中の10億の最底辺の人たちを配置する「固定構造」を
私たちが先祖から受け継いだから実現していることだ

私の考える本当の意味での構造改革は
ガンジーのイメージだ
生きていくのに必要なものは何だろうかとまず考える
経済成長は必要なのか
GDPを形式的に維持するためのばらまき給付金が必要なのか
必要な食料はどれだけなのか
贅沢をしたいなら文化的に贅沢をすればいいのであって
食料や石油を浪費しないことだ
メールなんか使わないで立派な練られた文章を
毛筆である種の作品にまで高めて手紙にする、
そしてそれはそのまま文化遺産になる、
そのような贅沢をすればいいのである

たとえば古典文学を勉強して味わうなどということは誰からも搾取しないで楽しめるわけで
大変いいことだと思う

日常のすべてを文化の創造だと決めて心がければ
搾取も浪費もなくなるだろうと思うのだ

現実的でないといわれるだろうが
これから現実への通路を作る
それは意義のあることだろう
未来に向け定義のあることに生きる
これが一番贅沢である

誰をも貧困にしない贅沢を楽しもうではないか

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ブータン

ブータンにもまた民族対立があり
ブータンから逃れて難民になってしまう人もいて、
容易ではない。

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政治の迷路と行き止まり

ブータンの政治はうまくいっているようだとの話が出た

政治の専門家は
多分二種類ある

たとえていえば文学者に二種類あって
書きたいことがたくさんあるが各方法についてはやや素人だという人と、
書きたいことは貧しいが書く方法については専門家だという人とがいる

文章がうまくても書く内容がなければどうしようもない

文章は下手だけれど書く内容がある人の方が少しはいいと思われる

政治についてもそうで
何を実現したいかのビジョンはなくてただ政治技術があるだけの人がいる
一方に実現したいことはあるが政治技術がない人がいる

官僚・テクノクラートというものは誰かに問題設定してもらったらその解決策は提出できる
しかし何が問題であるかを積極的には考えない
考えるとすればテクノクラートの組織防衛である
それだけは強烈な動機を持って考える

政治において何が問題であるかを
明確に把握できるのは生活者である
しかし生活者の体験は個別的でしかない
普遍化できない
普遍化できたとしてもその先の政治技術に転化できない

二種間の政治家が協力する
自民党でいえば党人派と官僚派が協力する
その中で一体化した推進力になる

しかし最近は政治課題の取り上げ方がまずすぎる
筋の悪い課題を取り上げて、しかもその後の取り扱いが悪すぎる、
問題選定も素人だし、問題解決もしろうとである。

一言でいえば素人になってしまった。
なぜなのだろう。

選抜システムが悪すぎる。その一点に尽きる。
何を選ぶための選抜システムなのか考え直した方がいい。
無能者が多数決で無能な政策決定をして
日本が沈没していくのは
冷笑者でない私にはつらすぎる。

選挙の仕方が悪い。
悪すぎる。
自分たちで決めて自分たちを選ぶのだから
一番悪いゆがんだ制度ができるに決まっている。

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