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精神科薬物治療を語ろう 精神科医からみた官能的評価

精神科薬物治療を語ろう 精神科医からみた官能的評価
神田橋条治/編 兼本浩祐/編 熊木徹夫/編
日本評論社 2007年10月
 
個々の精神科医は、日頃何を考え、何を感じながら、投薬を行っているのか。その営為を開陳し、相互に照らしあわすワークショップ。本当に、EBMと精神薬理学の知識を身につけるだけで、薬物治療、ひいては精神科臨床に通暁することが可能なのか。薬を知り、患者を知るとはどういうことか。

第1章 官能的評価を語る意義とは(官能的評価とは何か;官能的評価をいかに考えるか);
第2章 症例検討会を通してみる官能的評価(うつ病として治療されていた双極スペクトラムの親子;体感幻覚を読み解く);
第3章 それぞれの薬の官能的評価を語ろう(ジプレキサ;リスパダール;セロクエル;ルーラン;セレネース ほか) 
 
EBM主体の現在、投薬・服薬体験をもとに精神科薬物をナラティブに語り合う。

*****
神田橋先生ほどの人がいうことだから。

 



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セロクエルとジプレキサ

先日、ルボックスの講演会に行って、
うつの話をチェックしていたら、
アメリカ人教授は、
セロクエルの話ばかりしているのだった。
そううつ病にセロクエル、そればっかり言っていた。
アメリカはそういう時代なのだ。
躁うつ病の復権は日本でも兆しがある。
そのうち、セロクエル、ジプレキサがファーストチョイスとなる
そううつ病が増えるだろう。

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トレドミンで口中苦味

うつ病の人にトレドミンを開始したところ、
口中苦味。
食事の全部が苦いと言う。
自分でネットで調べて、
トレドミンのせいだと決めて、
トレドミンを中止したら、
治ったから、やっぱりそのせいだと語る。

個人的な納得はそれでいいが、
科学的な因果関係は
それだけでは確定できないので、
また別な話。

どこかにトレドミンで食事の全部が苦くなる「ことがある」と書いてあったとして、
その意味については、よく考えないといけない。
うつ病・うつ状態だけで口中苦味は発生するし、
他の抗うつ剤ではなおさら強く発生する。
トリプタノールは口がカラカラ。
でも、トリプタノールでなければ、抑えられないうつもある。

トレドミンは口中苦味少ないほうだと思う。
トレドミンを中止したら治ったという現象は、
いろいろに解釈できて、
トレドミンが合わなかったのだと単純にも考えられ、
トレドミンが効き始めたのだとも考えられるし、
ベンゾジアゼピンが効き始めたのだとも解釈できるし、
休職が効き始めたとも解釈できるし、
納得による心理的効果とも、
もともとうつ病ではなかったのだとも、
またほかの解釈もできる。

-----
一般に、血中濃度が70パーセントを超えれば効き目が現れ、
80パーセントを超えれば、副作用苦しくなる。
しだがって、一日のうち一度は70パーセントを超えること、これが要件になる。
24時間ずっと越えている必要があるのかないのか、議論がある。
パーシャルな方が長期の経過はいいかもしれないと議論されている。

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新薬 ロナセン への態度の違い

おもしろいと思うのだが、
新薬ロナセンへの態度を見ていると
その人についてよく分かるところがある

まずその人は試していないのだから、
自分の感想ではなく他人の感想でものを言っている

実際の開発と治験の仕事をしたのは相模原あたりの先生だから、
そのあたりには治験薬を飲んで、実体験を持つ患者さんがいるが、
その人たちの話をじかに聞いたものではないはずだ。

たとえば、パキシルをはじめとするSSRIについての不安をもらし、
それ以外の薬にしてくださいという人もいて、
それはそれで慎重な態度なのだが、
目の前にいる専門家の意見をどうしてもう少し細かく聞こうとしないのか、不思議だと思う。
この人は何を信じているのか。
何を信じていないのか。

その人の新薬ロナセンやSSRIにたいしての態度を見ていると、
1.その人は何を信じているかが分かる。判断の根拠。
2.その人にとって大切なものは何かが分かる。価値観。
3.思考の癖が分かる。思考経路。
4.人生に影響を与えているのは何か、誰かが分かる。ドミナント・パースン。
5.およそどんな人生を送ってきたか、人生行路が分かる。
6.性格傾向が分かる。
7.ミラーリング回路の発達の程度が分かる。
その他、心理検査用紙よりもたくさんの情報が得られる。

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老人脳に起こること

老人脳に起こることを
たいてい起こることから
最後のほうは病気、
という順に並べると、次のようになる。

神経細胞の減少
リポフスチン沈着
アミロイド小体
トルペード(軸索ジストロフィー)
平野小体
顆粒空胞変性
老人斑
神経原線維性変化
嗜齦性グレイン
レビー小体
ピック小体

大変なことだ
第一、響きが怪しい
このそれぞれに発見の歴史があり
変化の本質についての議論がある
病気の原因だといわれたり結果だといわれたり関係ないといわれたり
普通の老化だといわれたり
そのたびに論文が出る

*****
アセチルコリン系の研究は進んでいて、
実際のアルツハイマー治療薬もアセチルコリン分解酵素の阻害剤である。

加齢に伴い、アセチルコリン系では、
海馬や線状体で、
ムスカリンM1受容体……変化なし
ムスカリンM2受容体……約半分に減少
ニコチン受容体……ムスカリン受容体よりもさらに明確に減少
という具合である。

最近の文献ではムスカリンではM5まで記載されていて、
たとえばジプレキサやエビリファイでがどれだけくっつきやすいかなどが言われている。

血管平滑筋、心筋、膀胱筋、などで関連があるのだが、
アリセプトを使用した時に、あまりひどい副作用は経験しない。
吐き気が起こるが、アセチルコリンの血中濃度に比例しているとは考えられず、
多分局所的なものだと思う。

脳の中ではアセチルコリン系は独立したものではなく、
セロトニン系やドーパミンと結合しあっているのだから、
脳よりも血管、心筋、膀胱などでもっと敏感な変化があっても当然だと思うのだが、
副作用は強くないと感じる。
血流によって運ばれるアセチルコリン濃度はほとんど変わらないからと思われるが、
それでは脳でどうして効くのか、
うまく説明ができない。

アリセプトの脳特異性はないはずだと思うが、どうだろうか。

アルツハイマー病では、
マイネルト基底核での細胞数が減少し、
大脳皮質や海馬でのChAT(コリンアセチルトランスフェラーゼ、つまり合成酵素)活性の低下がある。
結局アセチルコリンが減少している。

アセチルコリン受容体も減少しているのだが、
アリセプトを早めに使っていれば、
活発な活動によって受容体の減少が抑えられるのか、
それとも怠惰になって早く減少するのか、
よく分かっていない。

*****
このあたりの変化は性格変化とも連動しているはずで、
高齢になると
感情をコントロールしやすい、
気分が安定する、
情動が成熟する
といわれている。
安定して温厚な人柄になる。

人生に起こるひどい体験も、
年齢を重ねて、経験も見聞も広がれば、
人生最初の衝撃ではなくなるのだと考えられる。

脳血管性うつ病(Vascular depression)という言い方も提案されている。

脳血管障害の後、リハビリの経過の中でうつ状態を経験することはよくある。
喪失感が大きいという解釈と、
障害の部位によって、直接うつ状態に関係しているのではないかとの、
二つが従来からある。

特段の神経学的な異常が認められない老年期うつ病患者において、
脳MRIで異常所見があるのではないかといわれ、
脳血管性うつ病(Vascular depression)の仮説となるのだが、
報告が蓄積されつつあるところである。

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エビリファイの問題点

エビリファイについて
宣伝文句は聞く
しかしその証拠となる事実は何であるか
よく分からない
どの事実を解釈すればそういう説明になるのか
わたしにはまだよく分かっていない

要するにドーパミンが多すぎるときにはレセプター占有を解除してドーパミンの効果を減殺し、
ドーパミンが少なすぎるときにはレセプターを占有してドーパミン様の効果を発揮する、
そしてくっついたとしてもくっついたきりにならずパーシャルにくっつくだけである。

パーシャル冷凍という冷蔵庫のコマーシャルみたいだ。

そんな頼りない気まぐれな双極性のお人よしみたいなエビリファイでいいものだろうか。

第一、それだと、精神療法をどうしていいかわからなくなってしまう。
精神療法はもっと複雑な側面もあるだろうが非常に単純化すると、
脳内のドーパミンを増やすか減らすかということになるのかもしれない。
その場合に、エビリファイを使っていたら、
精神療法がいいことなのか、無駄なのか、よく分からない。

また、「多すぎる」、「少なすぎる」は何を意味しているのだろうか。
「ちょうどいい」の裏付けは何であるか。

薬の中には、下痢を固くし、便秘を柔らかくし、ちょうどいいくらいにしますという
便利な薬もあるのだが、
エビリファイの場合にはどんな仕組みがあるものなのか。
ドーパミン濃度をモニターするような分子機構があるのか。

たとえば、重力でたとえるとして、
V字型の坂を考えれば、
石ころならば
Vのくぼみにはまるはず。
それをケミカルな仕組みで説明すればいいはずだ。

それはそうだが、たとえば、
エビリファイの血中濃度を増やすことが、
ドーパミンレベルにどう関係するのか。
Vのくぼみが左右にずれるのか、
あるいは、深くなるのか、
あるいは、人により状況によりさまざまなのか。

リスペリドンなら、血中濃度が増えれば、
レセプターの占有率が高くなるとイメージできるが、
エビリファイの場合に
どうイメージすれば現実に近いのだろう。

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薬剤相互乗り入れ

もともとてんかんの薬だったデパケンとテグレトールとランドセンやリボトリールを
現在は広くうつ病や躁うつ病、さらに統合失調症に使う。

統合失調症の薬のはずの
セロクエル、ジプレキサ、ルーラン、エビリファイを、
うつ病や躁うつ病に使う。

うつ病の薬のはずの
SSRIゃSNRIをパニック障害、社会不安障害、全般性不安障害、強迫性障害、摂食障害などに広く用いる。

こうした、薬剤の乗り入れは、
説明すれば当然のこととわかっていただけると思う。

現在主流の考えたかは、
ドーパミン、セロトニン、GABAなどの神経伝達物質をコントロールし、
さらにはそのレセプターをコントロールするするものである。
また、神経細胞の過剰発火を抑制するもの、であるから、
うつ病、躁うつ病、統合失調症、それぞれにおいて、どの
作用も有効なのであり、病名にとらわれることはない。

この点については、一つ一つ説明しているけれど、
患者さんによっては、わたしはその病気ではないのに、薬を出されたと思っている人がある。

例えば、高血圧の人に糖尿病の薬を出すのは、
普通はありえないことで、糖尿病の診断がきちんとついているはずである。
だから、患者さんが薬を調べて、適応症の中に、自分の病気があるかどうか、確認することができる。

精神科の薬はそういうものでもなくて、
厚生労働省の認可は、病名になっていて、
実際の効果は、各々の神経伝達物資とレセプターについてのものなので、
ここで食い違いがある。

病名と神経伝達物質・レセプターが一対一対応していれば、
薬も一対一対応しているのだが、
実際はそのようにはなっていない。

将来、「本当の原因」が見つかれば、
その原因部分に利く薬ができて、
その薬は、その病気にだけ用いる薬になるだろう。

今はまだその手前の状態である。

SSRIの効果についても、
3ヶ月くらいなら、セロトニンを増やすこと、
1年くらいなら、セロトニンレセプターを減少させ、体質改善に役立つ。

いろいろ複雑なことがあるのだが、
きちんと説明を聞けばわかると思うので、
理解したうえで、納得して、服用していただきたい。



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エビリファイもうつ病で認可 アメリカ

セロクエルもエビリファイもうつ病で認可という。

若年者の統合失調症の一部がうつ病または神経症の症状を呈し、
一見うつ病のように見えているだけではないだろうか。

SSRIやSNRIでは改善しきれず、
セロクエルやエビリファイを追加することで
奥にある統合失調症がよくなるという構図なのではないかと
よく言われる。

手前にあるものをうつ病と呼ぶか、
奥にあるものをうつ病と呼ぶかの違いである。

手前にあるものはうつ病、
奥にあるのは統合失調症と考えると理屈には合う。
そうすれば、SSRIとエビリファイでいいことになる。

どちらが奥にあるかは、
ドーパミンとセロトニンがどういう位置関係にあるかによる。

複雑に絡んでいるようなので
どちらが前、どちらが奥ということもないのかもしれない。

韓国で見る
二つの勾玉が組み合わされた図のようなもの。



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エビリファイを増量することの効果

エビリファイを増量するということは
どんな事をしているとイメージすればいいのだろう

リスペリドンならば
用量にしたがって、
ふたをするレセプターが増える
という明確なイメージがある
それにしたがって精神療法を工夫することができる

エビリファイの場合には、
少なすぎるドーパミンを補って
多きずるドーパミンを抑制するということなので
エビリファイを増やすとはどういう意味のことなのか
はっきりしない

ドーパミンよりも強くドーパミンレセプターにくっついて
長くくっついていないで離れる
だから、ドーパミンが多くても少なくても関係なく一定と
という事を
多いときは少なくする、少ないときは多くすると言い換えているのかもしれない

3ミリならたとえば10箇所、
6ミリなら20箇所でレギュレーションと言うのでもないだろう
それともそれでいいのかな

V字モデルで考えるとして、
V字の角度が開くとか閉じるとか
深くなるとか
どのように喩えればいいものだろう

不思議な感じの薬である



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エビリファイとディスチミアとロナセン

最近はエビリファイとディスチミアが検索されていることが多いようだ。
不思議なことである。
どこがで勝手に情報がひとり歩きしているらしい。

ディスチミアについては、新型と提唱した中でも、ネーミングが印象的だったのだろう。

エビリファイはどんな人たちに関心を持たれているのだろうか。

さらに新しいロナセンは関心を持たれるだろうか。

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陽水With押尾コータロー ♪リバーサイドホテル

http://jp.youtube.com/watch?v=_A2VLS6p1m4&feature=related
陽水With押尾コータロー ♪リバーサイドホテル

http://jp.youtube.com/watch?v=an2LCGV2YZA&feature=related
陽水With押尾コータロー ♪東へ西へ

こんな格好いいギターがあるか
とある女性が賛美していたので
かなり嫉妬する


陽水Withジェイク・シマブクロ ♪氷の世界
http://jp.youtube.com/watch?v=KkSdNCZAeSo&feature=related

井上陽水 町田康 ♪東へ西へ 2000
http://jp.youtube.com/watch?v=WKeBDZPGURs&feature=related

杏里 with 押尾コータロー - オリビアを聴きながら
http://jp.youtube.com/watch?v=7a4TnFtfRIo&feature=related

鈴木重子×絢香×押尾コータロー - Tears In Heaven
http://jp.youtube.com/watch?v=vzytq9xzsrA&feature=related

押尾コータロー - Merry Christmas Mr.Lawrence
http://jp.youtube.com/watch?v=HQAs5r1EZEs&feature=related

いつのまにか少女は
http://jp.youtube.com/watch?v=Nf1YhS42C5Q&feature=related

八月の濡れた砂  石川セリ
http://jp.youtube.com/watch?v=nnHUY7Yma5Y&feature=related

陽水WIth菊池成孔 ♪ジェラシー
http://jp.youtube.com/watch?v=Ef-PQPyYWmA&NR=1

ワンピースを重ね着する人というのは
昔は陽水の歌かP病院の中にいたものだ
その頃はジーンズの上にワンピースを着ていたり
ロングドレスの上にワンピースを重ね着したりしていて
ああやはり病気は重いのだと思っていたが
今にして思えば乏しい数の洋服を組み合わせて着るという工夫だったのかとも思う
時代が流れれば考え方も変わるものだと思う

※著作権の関係でほとんど消去されています。



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富士山



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搾取

派遣の人が派遣でも働きたいということは
搾取してくださいということで

企業が派遣は要らないということは
搾取さえもしたくないということで

困ったことだ

搾取してくださいといっても
要らないといわれるなんて

そんなにも嫌われて

派遣元の会社は
こんなにおいしい搾取の構造はないのだから
会社から要らないといわれて困っているだろう

派遣元会社は
設備投資も要らないし
ノーリスク・ハイリターンの代表みたいなものだ

ハローワークがあるのにどうして
成立するのかも不思議だ

ハローワークが週間就職雑誌を出せば
それで全部の派遣会社はつぶれるのではないか?

ハローワークがきちんとしないから
派遣元会社は成立しているのだろう

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隣人愛をまじめに考えると

隣人愛をまじめに考えると
ついには隣人と自分がすべてを半分に分かち合うことになるはずで
さらにすすむと自己犠牲的献身にもなるはずで
うっかり隣人愛などと言えるはずもないものである

ほどほどの限界をきちんと設定した上での
献身する側にとっても心地よいボランティア
といった風情ならば
まあまあだろう

逆に鼻持ちならないとも言われそうである
サービスされる方は
ちっともありがたくないなどと言いそうである
でもそれくらいで人間の社会はちょうどいいのである

隣人愛は究極の理想であって
人間世界のことではないのだ

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マスとしての人間

集団を相手にして仕事をしてみると何となく
人間に対しての認識が変化すると思う

たとえば学校の先生、
集団療法を実施している作業療法士。

先日ホテルで見かけたのは
何かの集会のあと、退場する一群の人々。

普段なら日比谷や新橋をうろうろすることはないような人たちだ。
堅実でまじめで節約家で信心深くて約束は守り時間に厳格、
そんな人たちだと思う。
平均年齢は40-60歳くらい。

自分が普段「普通」と認識としている人間の集団がたぶん偏ったものなのだと感じた。

*****
人間を集団として扱うことが習慣になるとなにか独特の割り切りというか
傾向が出てきそうな気がする。
うまく表現できないけれど。
マスとしてみる習慣というのか。

*****
たとえば離れ瞽女(ごぜ)おりんの話だと
盲目の女旅芸人をごぜと呼び、
そのような、一般大衆から見れば、特殊といわれている人々で、
それなりに連帯しているのであるが、
集団の力学はあるもので、
そうした、社会から隔離された集団の中で、さらに隔離される人が出てきて、
それを離れごぜと呼ぶのだそうだ。

そういう人も必然的に存在するだろうと思う。

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若いあなたをもうこれ以上

若いあなたをもうこれ以上
縛ることはできないといわれても
明日からすぐに切り替えることもできそうにない
私の若さなんかに配慮しているふりをしないでほしい

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民主主義というバーチャルなもの 擬制

憲法によれば政治的意志決定は国民の意思によるという

でたらめである

政策決定側の事情でいえば、
まずイデアルな国民を想定する

現状の環境に暮らし、
理想的に理性的な判断を下し、
理想的に情緒が安定し、歴史と科学を理解し
世界情勢に通じている、
そのような理想的な国民がいたとして、
それらの人に国民投票的な形で意見を聞いたらどうなるかと
想定する。
そして出るであろう結論を政策としてまとめてゆく。
それが政策決定ということである。

リアルな国民は理性的でもないし情緒は不安定だし
歴史を理解していないし科学も勿論理解していないし
法律は勝手に思い込んでいるだけだし
世界情勢についても新聞がどんな嘘を書いているのか知っているほどではない。
そのようなリアルな国民に何を聞いても無駄というものだと
思っていると予想する。

現代では、主権者に教育することが行われるのだが
教育さえ受け付けない人々が増加して
予想通りの成果が出ない。
それが自民党の行き詰まりでもある。

こう考えてみると政策決定者は
まったくバーチャルな世界で手探りをしているものと思われる。
理想的な国民がいたらどのように決定するだろうか、考えろといわれても決めてはない。

自分たちが今日牛肉を食べて、その支払いを50年後の子孫に回す、
そんなことをしていいのだろうかと、イデアルな国民はどう判断するだろうかと、
しゃぶしゃぶを食べながら話し合っている。

その場合、
イデアルな国民とはつまり役人である自分のことなのである。

*****
政策担当者としては、結局結論はこのあたりだなと見当がつく。
それで各方面から異論が出ないようにするにはどうするか、
それも一仕事である。
たとえば、科学技術関係の予算配分など、高度な用語が並ぶ領域では
公表しても内容を理解できないと思うので反論も封じられる。
しかしそれも難しい領域がある。

ちゃんと理解すれば結論はこれしかないのになあと
非常に良心的に思いつつ
何かの加減で集中砲火を浴びて降参することもある。
リアルな勢力からの反撃である。

この場合リアルとは不合理で感情的で原始的な部分も含む勢力。

リアルの中から合理性を精錬して初めて、
民主主義が成立するのだが、
それは結局バーチャルなものでしかない。
そしてそれが存在しているのは政策立案者の頭の中だけである。

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Hibワクチンを急げ

インフルエンザ菌 Haemophilus influenzae type b
ワクチン接種のすすめ 福地貴彦(秩父市大滝国民健康保険診療所)

日本におけるワクチン導入の遅れ

 インフルエンザ菌Haemophilus influenzae type b(以下Hib)ワクチンは他の先進国ではすでに接種が一般的なワクチンであるが,日本においては2007年1月にようやく販売認可された。日本の行政によるワクチンへの対応は残念ながら著しく遅い。Hib髄膜炎で後遺症をきたした児を持つ親が,Hibワクチン・肺炎球菌結合ワクチン(PCV)の早期承認・普及を厚生労働省に訴えたと聞く。WHOが1998年にすべての国に対してHibワクチンを定期接種プログラムに組み入れることを推奨してから,すでに9年が経過しようとしている。この9年の間に救えた,そして後遺症を避け得た小児はいったい何人であっただろうか。  さて,そのHibは5歳以下の乳幼児に重篤な感染症,特に髄膜炎,sepsis(敗血症)を起こすことで知られている。Hib髄膜炎の日本での発症頻度は5歳未満人口10万人に対し7.5-8.9人であるとされる。一方,米国では1990年よりHibワクチンが導入され,5歳以下人口10万人あたり25人であった発症率がほとんどゼロにまで劇的に減少している。
 Hibの重篤感染症(Invasive diseases),なかでも髄膜炎に関する最近のエビデンスがほとんどないという事実はご存じだろうか。日本以外の先進国ではHibワクチンが導入されてすでに10年以上経っており,Hibの髄膜炎そのものをほとんど考慮しなくてよいためである。例えば感染症実地診療の有用なツールであるポケットマニュアルSanford『熱病』(2007)によると,細菌性髄膜炎(生後1か月-50歳)の起因菌では,S. pneumoniae,N. meningitidisが「通常」考えられ,H. influenzaeは「現在非常にまれ」とされている。すなわち実際に治療に関わる際,重要な指針となる最近の欧米のエビデンスはほとんどない。しかし日本では今でも決してまれではなく,むしろ起因菌の最有力候補である。さらに肺炎球菌とともに耐性化が進み,H. influenzaeと判明した髄膜炎でのampicillin感受性株は27.7%しかない。

Hib感染症がこれほど多く存在するのは恥ずかしいこと

 日本でBLNARのエビデンスを作ればよい? いや,そもそもこの細菌がこれだけ多数存在することは,世界的に見れば「恥ずかしい」ことなのだ。麻疹が大流行すること,欧米に輸出していることも,とても「恥ずかしい」ことであるのと同様である。感染症診療の基本は予防することであり,ワクチンで予防可能な疾患は,ワクチンで予防を徹底することが最重要である。  些細な理由で各種のワクチン接種を拒否する親を数多く見たし,親からのクレームを懸念するあまりか接種に消極的である医師もいた。国もワクチン問題での訴訟をいくつも抱え,最終的に敗訴になった例もあり全般的に消極的であると感じる。国の最優先課題は訴訟にならないこと,その次が国内のワクチン産業の保護なのではないかと,穿った見方もしたくなるほどだ。
 日本では1990年代にMMRワクチンで使用されたムンプス株が原因の無菌性髄膜炎などの重篤な副作用が発生し,一時ワクチン悪者論のような言論も見られた経緯がある。しかし,世界的な観点,集団医療の観点から,標準的なワクチンを推奨しないのは日本で産まれる小児にとって不幸ではないか。

リスクとベネフィットの両方を明確に説明する

 幸い医薬品医療機器総合機構(PMDA)という厚生労働省の機関が,医薬品の健康被害に対して調査・援助するシステムを構築している。医師が副作用に関して説明するのは当然だが,ワクチンや医薬品に対して親が不安感を持っていたら,ワクチン接種や薬剤投与によるリスクとベネフィットの両方を明確に説明する必要がある。つまりワクチンを接種した場合としなかった場合,および薬剤投与した場合としなかった場合の,想定されうる状況を説明するのが本来のインフォームドコンセントではないだろうか?

自治体から始める

 ところで,現在日本で接種が行われているワクチンで,草の根運動的に公費助成が始まった一例として,23価肺炎球菌ワクチンがある。筆者の属する埼玉県秩父市大滝地区も同ワクチン「ニューモバックス®」の公費助成を行っている。日本では脾臓摘術後にのみ保険適応されているが,高齢者や免疫抑制患者の肺炎球菌感染症の重症化や死亡の予防効果に関しては一定の見解が得られており,2007年6月現在46の地方自治体が何らかの形で公費助成を行っている。市町村名を見ると中小の自治体が多く,へき地勤務の自治医大卒業生が導入に関わっている地域も多いようだ。  厚生労働省が大変重い腰を上げるのを待つ間に,既成事実として実際に地方自治体からHibワクチンの公費助成事業を立ち上げるべく,自治医大のネットワークを利用し呼びかけている。大規模な自治体は小児の数も多く,「予算」と「前例」がないためなかなか始めにくいと思うが,自治医大卒業生が勤務するような小規模な町村では出生数も少なく,意外と簡単に導入してもらえることに期待している。いくつかの自治体が実際に始めたら,その制度の拡大はスピードアップするだろう。事実2006年には,ニューモバックス®の公費助成を導入した自治体は一気に17も増えた。東京都目黒区や千代田区のような知名度の高い大規模自治体にも波及している。さらに数が増えれば,どこが閾値かはわからないが爆発的に増加することも夢ではない。
 医学界新聞の読者には,病院勤務の方のみならず保健や行政にかかわる人もいるだろう。この機会にHibワクチンの重要性を明確に認識していただきたい。そして,ぜひ同ワクチンの接種者を一人でも増やし,Hib感染症に悩む小児を一人でも減らせるよう,多方面からの皆様のご協力をいただきたい。

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ネット社会と精神病理の関係記事-1

困難を乗り越えるとは コラージュ技法

レクリエーション テンポラル・アイデンティティ リグレッション

ネット社会とごっこ遊びと8丁目とリクリエーション・再創造

ネットと幻想的万能感と自己愛的人格障害

ネット社会とハリネズミの針の長さ

理解を照合する

多義性のない言葉・誤解のない振る舞い

ゲーム依存症の浦島太郎

巻き込み型強迫性障害

強迫性障害

思春期危機

言葉は何パーセント伝わっているか

生きづらさの自覚を異物化して解放する

病気と個性

ネット社会との親和性

土浦連続殺傷容疑者捜査関係者に語る

ネット社会の歴史

ナルシスの砦

うその大小

ネットとピラミッド

ネット社会の傾向

肥大した万能感 ネット社会の特質

欲望と道具

エカテリーナ2世

身体性と具体的行動

人生の相談と病気の相談

創心と遊心

ファンタジーの世界と現実の世界

ネット・携帯は人と人を近づけるか遠ざけるか

人格障害タイプとネット社会の特性

脳の欠落を満たすものとしてのゲーム

ネット社会は情報ハイウェイ 降り口で大渋滞

テレビゲームの影響と対策

ネット的環境

裏付けのない情報を拡大するというネット社会の特質とその中に生きる人格

ネット社会とネット言葉

時間が来たらまたもとの自分に戻ることの安定感

人生を一生かけて創る決意

ネット社会の性欲 DNAはネット社会での覇権を脳から回復できるのか

傷つき易い人

自己表現の手段を持つことの大切さ ネット社会の中で自己表現をして自己を創る

深い夢 ネット社会と夢と現実

ネット社会の良い点

ネット社会の知性

ネット世界とメタボリック・シンドローム

知性とは

ネット世界的食事

ネット的環境

裏付けのない情報を拡大するというネット社会の特質とその中に生きる人格

夢の続き  見せてくれる 相手

インターネット依存症に関するリンク集

インターネット依存症 家族や知人のことで困っている方へ

インターネット依存症かどうか

インターネット依存症からの回復法

あなたに忍び寄るネット依存症

「ワンクリック詐欺」の相談が過去最多

続々誕生する新種のネット依存症

PCヘビーユーザーを襲う「マウス症候群」

長時間テレビみる乳幼児に言葉の遅れ

携帯電話持つ中学生は非行に走りやすい!?

知らない間に心や体を侵す「ネット依存症」

インターネットの普及と“心の問題”

ネットの広告市場の可能性

ネット社会とレストラン

ネット社会とディスチミア親和型うつ病の親和性

ネット社会が縮小させたもの

ネット社会が拡大させたもの

Δ精神性的発達

ネット・スタイル・ラブ・アフェア

間合い

文章と人格の乖離

自宅での血圧モニタリング+患者ウェブサイト利用+インターネットを通じた薬剤師の管理支援

ディープエコノミー マッキベン

子供にとっての学校

会社恐怖症になるのは実際に会社は怖いから

翻訳事情

グーグルが医療分野に進出 ヘルス2.0 クリーブランド・クリニック PHR(パーソナル・ヘルス・レコード)

命を守るために不登校児になるという選択

最近の出会いはネット系も多い

「仮想的有能感」と「高等遊民」とリバタリアン

知識の意味づけ 知識の総合地図

B層狙いの情けないネット情報についてネットにおける中傷による精神的被害への具体的対策

現代社会が生む“ディスチミア親和型” 樽味伸

テレビゲームにはまるのは依存症

うつ病に効くオンラインゲームの世界 体験談

ディスチミア(Dysthymia, 気分変調症)親和型うつ病--新型うつ病1

ふんわりとした母性的な雰囲気 

心を創るポイント

ネット依存度チェックリスト

自分を創る 心の栄養

成田善弘「精神療法家の仕事」―22

上部構造は変化を追認する時期が選べるだけである そのくらい無力

ネット社会の地殻変動

ネット社会の人間が生きている現実

ネット社会 自分を創る 心の栄養

ネット社会 情報ハイウェイの過酷な選別 その後の母性的空間

ネット社会 真偽の詮索

ネットが心に及ぼす影響

パーソナリティ構造と防衛機制とうつ病

方法論

自己愛性人格について

携帯電話持つ中学生は非行に走りやすい!?

インターネットリテラシー

グーグルが医療分野に進出

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人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書) (単行本)
トーマス ギロビッチ (著), Thomas Gilovich (原著), 守 一雄 (翻訳), 守 秀子 (翻訳)

アマゾンの紹介から抜粋

人間は誤りやすく信じやすい。前後関係と因果関係を取り違えたり、ランダムデータに規則性を読み取ってしまったり、願望から事実を歪めて解釈したり。迷信誤信のよって来たる由縁を日常生活の数々の実例をもとに明快に整理。人間心理への理解を深める。

誤信や迷信を許容していると、間接的に出はあるが、別の被害を受けることになる。誤った考えを許容し続ける事は、初めは安全に見えてもいつのまにかブレーキが効かなくなる「危険な坂道」なのである。誤った推論や間違った信念をわずかとはいえ許容し続けている限り、一般的な思考習慣にまでその影響が及ばないという保証が得られるだろうか?世の中のものごとについて正しく考えることができることは貴重で困難であり、注意深く育てていかなくいかなければならないものなのである。

日記をつけておいてよかった

誇大広告はなぜいまだになくならないのか。迷信、ジンクスと呼ばれるものが、先進国でも幅を利かせているのはなぜか。怪しげな民間信仰が現れるのはなぜか。超能力者が減らないのはなぜか。

人間も動物である。進化の過程で、外界から全ての情報を得ようとし、それを元に推論を立てたり、その後の行動の予測につなげたりすることは実際的ではない。そのため、必要最小限の情報に基づいた判断(=信念)を確立し、それに則って行動を行う。その情報の取捨選択の中にこそ、「誤信」の生まれる余地があり、冒頭に述べたような、第三者的に冷静に見た場合、眉唾的なものに走ってしまうことになる、と筆者は述べている。

「ものを幅広く見て偏りを排除する」ことが大切だとよく言われる。しかし、本書を読むとなかなかそうしたことは現実には難しく、「誤信」がいかに生まれやすいものであるか、ということが良くわかる良著である。

迷信や誤信に引っかかるのは、人間の知性が拙いからではなく、実は極めて優れているからであるというい逆説的な事実が本書によって理解できると思います。事象が複雑に絡み合った世界の中で、因果や秩序を人間が如何に巧みに洞察するか、ということが「ヒューリスティクス」という概念によってわかりやすく説明されています。
生存のためには(とりわけ人間が進化した原環境である野生環境下では)物事の因果関係を見逃すことは即致命的なミスにつながることがあるので、因果の兆候を検知するとそれを確証する前に速やかに「実在する因果」として同定してしまうという(野生環境下では「正確さ」よりも「迅速さ」のほうがより重要になります)、いわば「生存知」とでも言うべき知性を人間は備えています。この知性は通常は極めて適切に「因果」を見出すのですが、それでも百発百中というわけにはいかず、実際には存在しない「因果」を存在すると誤認識することがあります。これがつまり迷信・誤信の由来なのですが、こうした迷信発生のメカニズムを身近な実例をもとに(例えばツキのような)丁寧に解説してくれています。

どうしてギャンブラーは繰り返し損をしても「今度こそ儲かる」と信じるのだろう...。
どうして占いは当たる(当たっているように感じる)のだろう...。

 人の心はさまざまな情報を自ら統合しつつ外の世界を認識しています。情報量は膨大ですから効率的に処理しなければならず、要らない情報は取り除かれ、重要な情報は他の情報と一緒にまとめられて単純な形にされます。この合理化の機能こそ、コンピューターには到底真似のできない、人の心のすばらしさです。

 ところが、この優れた仕組みがあるが故に、無いものを認識したり、意味の無いものに意味を見出したり、人はしばしば迷信や誤信や過度な自信に、極めてあっさりと陥ってしまいます。

*****
不完全だが迅速な推論が生きるには役に立つ、しかしその代償が迷信や誤信だということらしい。それはそうだろうけれど。それを具体例をいろいろと出しながら話を引っ張るのは芸というものだ。

不可避のものではない。
個人差が大きく、迷信にも誤信にも陥らない方法もあるのだと知るべきだろう。

*****
しかしそうでない種類の迷信も誤信もある。これは人間の脳の癖というよりも、人間の脳の病気の癖とでもいうべきもの。それは治療した方がいい。そんな場合も数多くある。
家族の人たちはじっと我慢していますが。



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幸運な宇宙 [著]ポール・デイヴィス 多宇宙論+人間原理 万物理論 ID シミュレーション仮説

書評から。

*****
幸運な宇宙 [著]ポール・デイヴィス

■ここにいるワタクシの危うさと幸運

 おばあさんは2人。ひいおばあさんは4人。「ひい」が九つ並ぶおばあさんなら千人を超す。そのなかの1人が、ちょっとだけ面食いで「ひい」が九つ並ぶおじいさんを拒んでいたら、今のこのワタクシはいなかった。

 考えてみれば、ワタクシって危うい。

 その危うさは宇宙だっておんなじ。この本は、そこのところを突いてくる。

 一例を挙げよう。星々の核反応の様子が少しでも違っていたら、宇宙のなかに炭素はこんなにできず、地球上の生き物も人もワタクシも生まれなかっただろう。原子核で働く力のさじ加減は絶妙なのだ。

 なんで、こんなに私たちは幸運なのか。物理学者であり、物理読み物の書き手でもある著者は、その問いに真正面から向き合う。

 一つの糸口は、多宇宙論だ。

 宇宙は、この宇宙だけではない。数え切れないほどの銀河があるように、その入れものの宇宙もいっぱいある、という説である。

 これを応援するのがインフレーション理論だ。経済の話ではない。宇宙の始まりに急膨張があったという学説をいう。その理論をさらに進めると、新しい宇宙が次から次に生まれ続けるという世界像も描きだされる。

 もしそうなら、生き物に都合のよい宇宙もよくない宇宙もあるだろう。「自分たちが生物に適した宇宙に暮らしていることに気づいたとしても何の不思議もない。なぜなら、わたしたちのような観測者は、生物を生まぬ不毛な宇宙には出現しえないのだから」

 人間原理と呼ばれる考え方だ。

 無数の宇宙の一つに人がいてもいい。私たちは、偶然がもたらす「巨大な宇宙福引の当選者」だ――この「多宇宙論プラス人間原理」が幸運の謎解きの一つの答案である。

 この本は、ほかの立場もずらりと並べる。

 どんなさじ加減であれ、それをきちんと説明づける理論が見つかるはずだという「万物理論」派、だれかがこの宇宙を設計したのだとする「インテリジェント・デザイン(ID)」派。そもそもこの宇宙は仮想現実だとする「シミュレーション仮説」派……。

 では、著者自身の考えはどうか。種明かしはやめにしよう。ミステリーのように読み進む楽しみがある本だからだ。

 宇宙といえばスペースシャトルが思い浮かぶが、それはほんの庭先の話に過ぎない。

 宇宙は、「ワタクシとは何か」という問いと直結する思索の舞台なのである。

 その思索は、頭の柔軟体操にもなる。

 たとえば著者は、学生時代にボールの飛距離計算をしていたとき、好きな女の子から言われた一言にこだわる。「どうして紙にいろいろ書いて、ボールがどんなふうに飛ぶかがわかるのよ?」。たしかに、宇宙の万物が数学の言うなりというのも不思議ではある。

 ほかにも、物理の法則はひょっとしたら宇宙の一領域だけに通用する「条例」かもしれない、という見方などが紹介されている。

 私たちは、凝り固まった近代科学観に縛られてはいないか。科学のことをもっと自由に考えてもいい。そう励まされる本だ。

   ◇

 The Goldilocks Enigma

 吉田三知世訳/Paul Davies 米国アリゾナ州立大学教授。宇宙論や量子物理を紹介したポピュラーサイエンスの著書が多い。

*****
宇宙論・世界観の方面では最近あまり新しいネタがない。
Paul Davies, "God & the New Physics"などが有名で、
わたしにはとても納得できるのだが、
日本人にはいまひとつフィットしないのだと思う。
Godというともう話が切れる感じがする。
「できる社員の10の仕事術」とか「企業家の7つの秘密」とか「いい社長、悪い社長」とか
そんなもののほうがいいようだ。

「凝り固まった近代科学観に縛られて」いる、思いっきり。
そしてわたしも量子力学の方程式を信じて「多宇宙論+人間原理」を信じている。
理性はそう教える。
それ以外の理性のあり方を
たとえば非ユークリッド幾何学のように
仮定することはできるが、
しっくりはこない。
信じられるものはユークリッド幾何学だと言って
それを狭量だと非難されるなら
もう黙るしかない。
わたしの頭はそういうように生まれついたのだしそれ以外に考えられないし感じられない。
いままでユークリッド幾何学で不都合を感じたこともない。
それで人に迷惑をかけるものでもないから、
許して欲しいと思う。
「凝り固まった」といえなら、Paul Daviesはかなり凝り固まった人で、
歳をとるごとに固まっていると思う。



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ネット社会における脳の直列配列と並列配列

脳が直列につながるイメージとしては、
官僚組織、軍隊、宗教組織などがある。
指揮命令系統である。

脳が並列につながるイメージとしては、
民主主義がある。
生きている一人の人間がいて、他の人間と同等の権利で、話し合い、権利を行使することができる。

検索サイトを通してつながるのは中央集権的であり、能率はいいが画一的になる。

はてなのキーワードなどを利用してつながるものは、より水平的な結合であるが、
能率が悪くて、使う気にはなれない。

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東京ホテル事情

一時、東京に、新型高級ホテルの林立。
始まりが西新宿のパークハイアット。
その後いくつか高級ホテルが誕生し、
日本の老舗も改装などであとを追ったと
新聞には書いてあったけれど、
やはり老舗は老舗で、薄い壁から声が聞こえてくるのは変わらない。
子供の声が聞こえてくるとそれだけでノイローゼになる。

マンダリン、コンラッド、ペニンシュラ、その他あるが
先輩はマンダリンが好きらしい。間違えて公衆浴場に行かないようにしてね。
コンラッドは10日の花火大会の宣伝で忙しい。
コンラッドの好敵手は新しいペニンシュラだと思うが、
まだ値崩れはしていないと思う。
フォーシーズンズは椿山荘も丸の内も高い。
こうしたホテルが古くならないうちにオリンピックで稼ぎたいとの気持ちもあるだろう。
リッツ・カールトンは中に入ったことはなし。

恵比寿ウェスティンは値段ほどではない。
白金のシェラトンは名前が変わっただけでどう見ても都ホテルだ。

オアゾの隣、丸の内ホテルのレストランで、ある芸能人が食事をしていて、
子役の頃から有名な人だけれど、
やはり激しいオーラだった。
人から見られ続けていると人間は一段違った存在になるらしい。

インターコンチネンタル東京ベイなら
(あくまでも比較すればだが)庶民でも検討の余地のある値段の範囲になる。
どうせ寝てしまえば、あとは同じだけれどね。

現実的には
「一休」で検索することになる。
一人だけで一泊して一万円以下もある。

http://4travel.jp/
で見ると、安い宿が価格コムみたいに検索できて、
3000円台から10000円くらいのものがたくさんある。

先日プロ野球巨人の選手が使ったとかで
五反田の1万円しない宿泊施設のことが話題になっていたので
こんな話になったのだが、
だいたい1万円しないで泊まれるらしい。

アコーホテルズのページにいくとあれこれを予約できる。
この系列で三井ガーデンホテル銀座プレミアとか
三井ガーデンホテル汐留イタリア街とかが目に付いた。
汐留はなんと最上階の13階に大浴場。
(といっても、小ぢんまりしたものだが)
イタリア街そのものが競馬関係のものらしく、
JRAがすぐそばにある。

最近赤穂浪士の事を書いていたので、
アコーホテルと入れて変換すると
赤穂ホテルと出てくる。
恐ろしい。

女性ならレディーズプランで
エステとセットのものなどがいいらしい。

清里までの交通費と時間を考えれば、
多少高くてもつりあう、と言っていた。

メルキュールホテル銀座東京(銀座一丁目)というのもアコーホテルの関係で
新橋からはちっよと遠いがメルキュールという通りフレンチらしく
小粋らしい。

八重洲富士やホテルなんていうのも間が抜けていていい。

比叡山延暦寺とかベネッセアートサイト直島というのも話題に上がった。
涼しくなってから直島に行くのは選択だと思う。

那須には二期倶楽部がある。
また那須のホテルエビナールは、屋上に登ると、360度完全な視界を楽しむことができる。窓さえない。

本当は、
清里高原ホテルにて星空を眺めるのも良い。
東京にいたらやっぱりリゾートにならん。

イタリアの貴族の別荘で過ごすというのもいいらしい。
しかし食べものが。
味噌汁はやはり欲しくなるし。白米が恋しくなる。
ナスの一夜漬けなどやはり食べたい。



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現代人の人格変容

双極II 型障害という病態と現代人の人格変容との関連 牛島定信

これまで,情緒的不安定,抑うつ,自傷行為,過量服薬,その他の行動化があれば,境界性人格障害(borderline personality disorder,BPD)として対応しておれば問題はなかった。ところが,この5 年ほど,その周辺がにわかに騒々しくなった感がある。

BPD と診断されている患者に,かつてのBPD のもつ雰囲気を欠いたところがあって,戸惑いを感じることが多くなった。つまるところ,初期の統合失調症,Asperger 症候群を始めとした発達障害,そして非常に非定型な感情障害といったところに落ち着いたが,その結果,今日では情緒的不安定,自傷行為といった症状は疾患特異性を失い,内的な心理的困難の一表現型でしかなくなったという認識となった1)。問題は,むしろ背後の人格傾向となったようにみえる。

BPD を専門とする立場から論じようとする筆者からみると,気分障害がBPD の領域に入り込んできたのは,双極II 型障害(bipolar II disorder,BP II)が初めてではない。最初,BPD が統合失調症と神経症の境界領域の病態として認識されたことは周知のとおりであるが,1980 年代になされた境界例の三つの大きな予後調査で2.5),BPD はむしろうつ病の長期経過に近かったという結果から,BPD はうつ病に近接した病態であるとの見解が示されたことがある。それを受けて,BPD は基底のうつ病を人格全体で防衛したものだという見方まで出たことがある。しかしながら,その後に積み重ねられたさまざまな研究のなかで,抑うつ感のあり様が大うつ病とBPD とでは異なり(表1)BPD の抑うつは抗うつ薬に反応しないという結果7)から,大うつ病の抑うつとは異質のものではないかということで決着がついたかにみえる8,9)。

しかしながら,生物学的精神医学からは,BPD を基盤にした大うつ病の発生率は比較的高いとされ,それを目標にした抗うつ薬による治療は必須だとする考えは,今日にまで根強く続いている。さらに,それとは独立に,Akiskal 10,11)を中心に,BPD と紛らわしい非定型な双極性障害が,予想を超えて多く臨床現場でみられ,診断的に紛らわしい病態が少なくないという指摘がなされるようになったことである12)。この線上で,両者が重複するという見方もまたあるが13),ここでは両者はそれぞれに独立した病態であるという一般的立場14,15)で話を進めることにする。

双極II 型障害の臨床的問題

Akiskal によると,以下の如くである。Kraepelin が1921 年に躁うつ病を概念化したとき,すでに,経過のなかでしばしば軽躁エピソードが混在していることを指摘しているにもかかわらず,臨床的には注目されなかった。しかし,注意をしてみていると,気分の動揺のかたちよりも,精神運動,対人関係,職業の面で問題を呈し,さらには薬物乱用のかたちで認められる異常があるとして,診断・治療を進めるうえで注意を喚起している。

そのなかで,Akiskal は,境界性,不安定性,ヒステリー性人格障害と診断された症例のなかに非定型双極障害(BP II)が少なからずあることを述べ,それらには,繰り返される結婚と離婚,あるいは恋愛関係,時には性的放逸,アルコールや薬物乱用,仕事ないしは学業にみるムラ,住居の定まらなさなどがあり,加えて,一般に爽快感や野心的な社会活動で特徴づけられる躁気分のなかで,不機嫌や焦燥感を前面に出す軽躁が見落とされやすいことを指摘している。また,わが国では広瀬がすでに1977 年に本病態とおぼしき「逃避型抑うつ」を記載しているが16),注目を引くことはなかった17)。

長いあいだ注目されなかったのは,なぜか。BP IIが注意を引いているのはここ5,6 年である。筆者の考えでは,BPD と同じく,時代的影響を考えておかねばならないように思う。従来の倫理観からすると,余程の人格的問題がない限り,前記のような問題行動を呈する患者はそう簡単に出てこなかった。

しかし,この10 年ばかりのあいだに男女問題でも家庭問題でも一般社会の対人関係でも罪意識,規範意識が目に見えて希薄化し,人格の変容を考えざるをえない事態を迎えている18)。それが精神医学的状況に少なからず影を落としているのではないか。

つまり,BPD のような神経質領域の未熟化だけではなしに,古典的な循環気質もまた時代の影響を受けており,それが特有の社会的破綻を伴ったBP II の増加をもたらしている可能性はないかと考えられるのである。

というのは,筆者の観察によると,対人関係を作り,人の世話を焼き,社会的活動を仕掛ける上手さをもっていた従来の循環気質に比べて,BP II 患者はそうした高い社会性を欠いているという印象が強いのである。内海の単極型の気分障害が存在しうるかという疑問17),つまり大うつ病と考えられていた病態も詳しくみると躁的要因がみられる可能性も,またこの人格的な変化と何らかの関連があるのではないかとさえ思われる。

BPD とBP II の基本的な違いは,対象関係が部分的か全体的かということにある。

DSM.IV 診断基準による両者の鑑別点を表2 に示す19)。BP II は,「社交的,善良,情味が深い,親しみやすい」を特徴とする循環気質を基盤にした全体対象関係的人格である。それだけに,人当たりは軟らかで温かみがあり,一体化願望に基づいた対象希求を根底にした,相手との同調的関係を特徴とし,BPD のように葛藤を伴わないのが普通である。

それに対して,BPD は,状況には俊敏に反応するが,傷つきやすく,低い自己評価(劣等意識)をもちやすい神経質者をさらに過敏にした感じの人格で,ともすれば「見捨てられ不安」を浮上させやすい。それだけに,人当たりは緊張,警戒の色を伴った緊迫感に彩られていて,リラックスしているようにみえても治療者の心は休まらない。そして,関係のもち方も,同調的なBP II と違って,対象支配的であり操縦的である。その根底には見捨てられ不安があることはよく指摘されている。一部に,問題行動を起こすような退行状態では,BP II もBPD と同じく部分対象的で,BPD のDSM.IV 診断基準である「見捨てられることに対する気違いじみた努力」が等しく認められるという記載20)を見受けるが,それは治療者の逆転移(慌てたり,戸惑ったりした心理)に由来するもので,BP II の対象希求的な態度を「見捨てられ不安」と見誤っているにすぎない。

DSM.IV 診断基準にあげられている「見捨てられ不安(抑うつ)」は,Masterson 21)に由来するもので,抑うつ,怒り,恐怖,罪意識,頼りなさ,空虚感などが未分化のままに出てくる感情で,怒りながら泣いているといった光景のなかにみられ,BP II 患者でみられることはまずない。

さらに,状況判断,人物像の描写に関しては,BP IIのほうは全体対象的であるだけに,より客観的把握が可能であり,BPD では一方的で主観的になりやすい。

DSM 診断で,診断基準理想化と見下げの両極端の対象関係を発展させるとされる部分である。これと関連して神田橋22)は,「BP II の患者は人物描写をさせると実に的確な描写をする」としている。循環気質者が現実主義者で内省より外界の観察を得意とすることは周知のとおりで,うまい指摘であると思うが,「実に的確な描写」は少々行きすぎの感じがしてならない。

自傷行為などを前にした治療者が慌てずに患者を観察していると,結構,客観的に大人的な状況判断をしているのがわかるといった程度のものである。さらに,BPD でみられる「不適切な怒りの突出」については,躁病では行動制止を受けたときの怒りの突出はあるが,BP II ではまずないように思う。

最後に,同一性葛藤の問題がある。BPD では自己像,職業その他で変転しやすいことがあげられている。この点,BP II でも性的放逸,社会的放埓といわれるくらいに男女関係,職業選択が転々としやすいが,BP IIではそうした行為に葛藤を伴わないのが普通である。その点,BPD では葛藤に富むことが一般的である。

薬物療法に関しては専門家の発言23)をまちたいが,精神療法的配慮について,ひと言,述べておきたい。それは,BP II の診断がつき,薬物療法に簡単な生活指導的援助がなされると,いかにも治療がスムーズに進むかのような記載が多いからである。確かに誤診が治療をあらぬ方向に導くだけに,診断の重要性は否定すべくもないが,BP II の治療にもそれなりの工夫が必要のような気がしている。それは,前述したとおりBP II の循環気質には,躁病を生み出す循環気質に比べて,社会性の発達に,いま一つの問題点があることである。そのため,きちんとした職業生活の枠組みに適応できずに,軽躁を機会に性的放逸,社会的放埓を来たしていると考えられる。

たとえば,解離性同一性障害を呈していたA 子(26歳)は医科系の学生を辞めたとき,BP II であることが判明する一方で,一般的な社会生活が可能になった。また,BP II と診断された看護師のB 子は,職場での人間関係での対応のあり方をいろいろ指導するうちに,看護師の仕事を続け,性的放逸や仕事面での放埓から解放されるようになった。

BPD の同一性形成ほどの深刻さはないが,できあがった循環気質者よりも社会的に子どもっぽい一面のあることに留意し,それを支え続けることが必要のような気がしている。情緒的一体感を得ることができずに,不適応を起こしているかのような感があるのである。

BPD と誤診されがちな病態が最近になって増えたことを述べ,そのなかで,BP II が重要になってきていることを指摘した。その後,BPD の気分障害との関連を歴史的にたどった後,Akiskal に始まるBP II の臨床像を概観した。そして,最近のこの病態の増加は,現代人の人格の変容と関連している可能性のあることを論じた。そして,BPD とBP II は本質的に異質の病態であるとの視点から,両者の鑑別を考えた。

1)牛島定信.境界性人格障害治療の歴史的展望と現状.精神療法2003; 29:
249.56.
2)McGlashan TH. The Chestnut Lodge follow-up study: 3. Long-term outcome
of borderline personalities. Arch Gen Psychiatry 1986; 43: 20.30.
3)McGlashan TH. Schizotypal personality disorder. Chestnut Lodge follow-up
study: VI. Long-term follow-up perspectives. Arch Gen Psychiatry 1986; 43:
329.34.
4)Plakun EM, Burkhardt PE, Muller JP. 14 year follow-up of borderline and
schizotypal personality disorders. Compr Psychiatry 1985; 26:448.55.
5)Pope HG, Jonas JM, Hudson JI, et al. The validity of DSM.III borderline
personality disorder. A phenomenologic, family history, treatment response,
and long-term follow-up study. Arch Gen Psychiatry 1983; 40: 23-30.
6)Gabbard GO. Psychodynamic Psychiatry in Clinical Practice: DSM.IV Edition.
1994. ギャバード著,舘 哲朗監訳.精神力動的精神医学(3)【臨床編: II
軸障害】.東京:岩崎学術出版; 1997.
7)守屋直樹.感情障害と境界例.皆川邦直,三宅由子編.境界例.東京:医学
書院; 1993.
8)牛島定信.境界例の臨床.東京:金剛出版; 1991.
9)牛島定信,上別府圭子,樋口英二郎ほか.境界例,その後.精神医学1999;
41: 346.59.
10)Akiskal HS. Subaffective disorders: dysthymic, cyclothymic and bipolar II
disorders in the "borderline" realm. Psychiatr Clin North Am 1981; 4: 25.46.
11)Akiskal HS. The bipolar spectrum: new concepts in classification and
diagnosis. In: Grinspoon L, editor. Psychiatry Update. Volume 2. Washington
DC: American Psychiatric Press; 1983.
12)大森哲郎.双極性障害は誤診されやすい.臨床精神医学2006; 35: 1395.8.
13)Gunderson JG. Borderline personality disorder: a clinical guide. Washington
DC: American Psychiatric Press; 2001. ガンダーソン著,黒田章史訳.境界
性パーソナリティ障害―クリニカル・ガイド.東京:金剛出版; 2006.
14)McWilliams N. Psychoanalytic Diagnosis:Understanding Personality Structure
in the Clinical Process. New York: Guilford Press; 1994. マックウィリアムズ
著,成田善弘,北村婦美,神谷栄治共訳.パーソナリティ障害の診断と治療.
大阪:創元社; 2005.
15)Gunderson JG, Hoffman PD. Understanding and Treating Borderline
Personality Disorder. Washington DC: American Psychiatric Press; 2005. ガ
ンダーソン,ホフマン共著,林 直樹,佐藤美奈子共訳.境界性パーソナリ
ティ障害最新ガイド―治療スタッフと家族のために.東京:星和書店;
2006.
16)広瀬徹也.「逃避型抑うつ」について.宮本忠雄編.躁うつ病の精神病理2.
東京:弘文堂; 1977.
17)内海 健.うつ病新時代―双極II 型障害という病.東京:勉誠出版; 2006.
18)牛島定信.精神医学における自己愛の障害をめぐって.精神療法2007; 33:
267.72.
19)高橋三郎,染矢俊幸,大野 裕共訳.DSM.IV.TR 精神疾患の診断・統計マ
ニュアル.東京:医学書院; 2003.
20)阿部隆明,加藤 敏.双極性障害と境界性人格障害の鑑別と共存.精神科治
療学2005; 20: 1113.20.
21)Masterson JF. Psychotherapy of the Borderline Adult: A Developmental
Approach. New York: Brunner/Mazel; 1976.
22)神田橋條治.双極性障害の診断と治療.臨床精神医学2005; 34: 471.86.
23)鈴木克治.双極性障害の薬物療法の最近の動向.MEDICO 2007; 38: 29.32.



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ほんとうの生き方

新聞広告に「ほんとうの生き方」という本があり
目次を眺める

人はなぜ働くのか
人間としての成功
打ち込めるものをつかむ
目標のない人生の虚しさ
真剣に生きよう
天は自ら助くる者を助く
自殺について
運命とは何か
夢を持つことの大切さ
熱意からすべては始まる
人間とは「心の存在」である
自由とけじめ
自分の枠を超えて考える

*****
社長訓話のネタ集だと思うので
普通の社員は読む必要はない

この方面の本はいつも
手を変え品を変え
内容は同じで
装丁を変えて販売しているようだ

ヒトES細胞から脳組織がつくられたと報道があった
マッシュルームのような形、
断面で層構造、
神経細胞が自動的に複雑な大脳の皮質を形成していた

不思議がだんだん不思議でなくなる
一歩が開け始めている

理科系の学問はこうして着実に一歩ずつを積み重ねていて、
100年前の人間よりも確実に賢くなっているのに
どうしたものか
人文系は積み重ねということができない

いつでもスタートにかえって反省しているようだ
世代を経て成長している様子がない

ニュートンが出たのに
またアルキメデスとかパラケルススとかそんな感じ

個体発生とはそのようなもので
学習するには一通りのことを経験する必要があるのだろう

こんなにも進歩した世の中でもやはり初恋は初恋である

進歩しない部分
人類として蓄積できない部分であるらしい

*****
私なりに現状を記してみる

1.人はなぜ働くのか
  会社のためでも社長のためでもないまず世の中のためそして自分と家族のため、
  それが結局会社のためにもなる。GMがつぶれたら人員削減になる。そうならないように
  働く。まずは衣食を整えるため、そして世の中に貢献するため。
  そのことで自己実現できればよい。
  個人的には達成感が癖になっているから。

2.人間としての成功
  俗世間での成功など偶然である。
  むしろぼんくらで人に嫉妬されない程度の人が世俗的に成功する。
  しかしそうではなく、ほんとうの成功を考えれば、それは自分と向き合うことだ。
  与えられた人生で自分を磨くことだ。この世界をほんとうに感覚して実感することだ。
  一言で言えば、神様に向かって誠実であることができれば、成功だと思う。
  宗教とか神というものを考えて、自分が人間としてどうかを考えるのは大変有効である。
  人によってはそれは一種の思考装置であり、
  人によっては確実な存在であり、違いはある。  
  死んでゆく存在である我々人間にとって世俗の成功は幻である。
  神の裁きの前に敬虔に頭を垂れて沈黙していよう。

3.打ち込めるものをつかむ
  棒高跳びでブブカはバーがあるからジャンプできる
  バーがなければ自分が昨日よりも高く飛べたかどうか分からない
  自分の今の力を映して判定できるものが必要だ
  天職とも言えるものをつかむには、やはり10年一つの場所で
  「しつこく」「根を下ろして」打ち込む必要があるだろう。
  (これは脳耕民族の発想かもしれない)
  ライバルも必要だ。ライバルに負けたくないということも強い動機になる。
  人間である限りそのようにできている。仕組みを飲み込んで賢く心と体を働かせよう。

4.目標のない人生の虚しさ
  目標があってもうつなら虚しいが
  うつでない限りは目標が見つかると思う
  小さな事でいい。
  風呂付きの部屋に住みたいとか
  私は人生で初めて風呂付きの自分の部屋に住んで感激したことを覚えている。
  あれは達成感だった。
  仕事の目標は立てやすい。
  目標があれば達成がある。小刻みな目標と遠い目標を立てて日々を生きよう。
  それを手帳に書き込んでおく。
  パソコンに常時表示しておく。
  自分で自分を教育する。

5.真剣に生きよう
  逃げていてはいけない。斜に構えていれば人生はすぐに終わる。
  ほんとうに欲しいものに真剣にまっすぐに向かわなければすぐに終わる。
  真剣にかつ丁寧に生きよう。

6.天は自ら助くる者を助く
  何かいいことが起こらないかと待っていても何も起こらない。
  いつ何が起こってもいいように心と体を整えておいてこそ、チャンスは捕まえられる。
  チャンスの女神に後ろ髪はない。
  人が何かをしてくれるのを待つようではいつまでも子どもだということだ。
  そんな人は母親がいないと何も始まらない。
  自分からいいことを始めよう。
  何かを始めれば状況は変わる。
  サッカーでパスを出せば局面は変化する。パスを出さなければ始まらない。
  困難があっても、時間がたてば消えてしまうこともある。
  働きかければ、現実は変わる。
  当たってみて、ダメだったら、そのときに考え直せばいい。
  ダメでもともとが基本である。

7.自殺について
  難しい。単純な説得はできないが、しかし、一時期を切り抜ければ、
  新しい景色がひらかれることも確かだ。
  実際に死んでしまうのはDNAの原則なのだが、
  脳の原則で言うと、一度死んだつもりでリセットして、また始めることができる。
  そのようにして再び歩き始めた人がたくさんいる。
  当たり前の話だが実際に自殺してその後その人がどうなったかは分からないので
  実際、適切には応えられないが、生きることを選んだ人たちは悪いことにはなっていない。

8.運命とは何か
  神様からの問いかけである。こんな人生になったとして、あなたはどう生きますかと問われている。
  実際に生きることで応えようと思う。
  実際あらゆる事が起こる。
  全力で対処しよう。
  仕事だけではない、子どもが授からない悩みとか、髪の毛が薄い悩みとか、
  あるいは子どもが先立つとか、親の介護で人生設計が大幅に狂うとか、
  運命が与える試練である。
  神の意とは最終的にはよく分からないながらも、
  人間の側としては最善を尽くそうではないか。

9.夢を持つことの大切さ
  目標を実現可能なことがらとして、実現は不可能かもしれないが、
  その方向に向かいたいという姿勢を常に保つことで、良い人生になる。
  たとえば今日の私の夢は全人類が納得して共有できる経済システムの考案である。
  お金がお金を産むということがなんだか原因のような気がする。
  もっともどん欲で利己的な人間が自動的に
  人類にもっとも貢献する人間になってしまうシステムを考案したい。
  アダム・スミス以来、それがメインストリームだと思う
  気がついてしまえば、人間がパンツをはくくらい当たり前のことになるかもしれない。

10.熱意からすべては始まる
  熱い人間に接すると何かをもらった気分になる。
  始動のエネルギーは大切である。
  億劫さが増しているとき、うつである。
  こころにブレーキがかかってしまう。
  熱い心は伝染する。
  いいことを考えついたときのこころの明るさを大切にしよう。
  前向きに思い描こう。
  達成した場面を思い描いて、方法を具体的に考えよう。
  Be realistic,try impossible.  

11.人間とは「心の存在」である
  それは脳が考えるからそんな風に考える。
  DNAからいえば、人間は「遺伝する存在」である。
  それはそれとして、心身医学の立場からも、心のあり方が健康状態にまで深く影響する。
  「心の姿勢」を変えるだけで、体が変わるし、現実が変わる。
  その意味では人間は心の存在である。
  自分の「心の姿勢」を定期的にチェックすればよい。
  座禅を組んで姿勢をチェックしてもらうような気分で。
  よい「心の姿勢」は疲れないし能率がいい。

12.自由とけじめ
  けじめを規範と言い換える。規(のり)を超えずと考える。
  人間がある領域に達すると、自由に存分に振る舞って、
  それが、人間社会の規範にも当てはまり、自然法則にも当てはまるようになる。
  そこまで自分を高める必要がある。
  自由に振る舞って、それが世間の規範に反するなら、まだ人間が高まっていない。

13.自分の枠を超えて考える
  これは原理的には無理な話だ。
  しかし趣旨としては、過去の自分や現在の自分にとらわれず、
  考えてみよう、トライしてみようということだと思う。
  自分はあのピッチャーのフォークは打てないと思っていれば、
  いつまでも打てないはずだ。
  一歩踏み出すにはどうすればいいか、
  たぶん昨日までの自分を否定して作り直してみることだ。

経営者は思考としてはこのくらいアバウトでいいらしい
このような訓話をしながら、また聞きながら、
日々を汗して、
世界が回っている。
尊いことだ。

貧しい国の子どもにワクチンをと思うのもいい。
子どもに銃の訓練をさせなければならない親のつらさを考える。
日本でできることをきちんとして、
世界に発信していこう。

14.隣人を愛することから始めよう。
  自分の隣にいる人を幸せにしよう。



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音楽は一切の哲学よりもさらに高い啓示である

ロマン・ロラン

音楽は一切の哲学よりもさらに高い啓示である

なるようになる。
すべてがなるようになる。
ただ人間はそれを愛しさえすればよいのだ

一つの魂が完成するまでには、
長い時間と沈黙が必要なのだ

人生はいくたびかの死と、
いくたびかの復活とのひとつづきである

『ジャン・クリストフ』 

*****
魂は別に完成しなくても構わないが

なるようになるという言い方はいい

音楽は啓示である
なるほど
そのように思考する精神の緊張を私は保ちたい



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神は公平である

神は公平である

才能を与えたものには運を与えない

魅力的な人間は
嫉妬され
ライバルを作る

魅力ある人間は運を与えられない

才能のない者が運を割り当てられる

神は公平である
いいことだ

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いっそのことあばずれと呼ばれたい

あたしね、
いっそのことあばずれって
姉さんたちから呼ばれたいわ
だって世間から見たらみんなあばずれでしょ
そのなかでもっと一番のあばずれっていいじゃない

自分たちがあばずれなんだから
あたしをあばずれって非難できるかどうかおもしろいわ
でもやっぱりあの人たちがあたしを言うときはあばずれって言うのよ
それってね、
他人から自分が言われて
くやしいから
今度は私に向けて、
くやしいだろうっていう気持ちで言うんだと思うわ
だからおかしいのよ

あたしは堂々としていたいけどね
生きるってそういうことだし

あたしはまっすぐ行くだけだから気にしないよ

ときどきはね
普通だったら楽だったなあって
逃げるように思ってみることもあるけどね
普通にできるんだったらしてるんだわ
できないからこうなってるわけで
もう仕方ないわ

で、あしたはあばずれでいいんだけどさ、
あたしをあばずれって言ったあとの
あの人たちの気持ちの歯車のきしみようを見て見たい気持ちはあるよ
それでさ、まっすぐ行けばいいじゃないって、言いたいの

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日本映画「阿弥陀堂だより」 可能な人生

なんてすばらしい自然
91歳の大女優、北林谷栄
人間はいい
この世界はいい

筋書きではなく
自然と北林がいい

パニック障害が関係したお話です。

別の生き方ができるという展望を持つことは
とても大切だ。
歳をとっていけば、いつまでも同じ生活ができるはずもない。
その年代で、自分は一体何がしたいのか、
考えおなそう。
周囲のこと、映画や新聞も含めて、情報を集めて、
どんな人生が「可能」なのか、まず考えよう。



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オレンジ色の水着

オレンジ色のセパレート水着をつけて
あなたははしゃいでいる
バリ島はなんだかあなたをうっとりさせている

プライベートプールで横になって浮いている
オレンジ色が光っている

近くに仏教遺跡があるのだけれど
怠惰なので行きたくもない

若者のように性的衝動が溢れるわけでもない

わたしはあなたの物語を聞きたい
あなたの家族の物語
あなたの小さな冒険の物語

さまざまに変わる
輝く表情を見ていたい

持参したのは偶然タルティーニのセットで
バイオリンが鳴り続けている

わたしって、ピーコックかなと聞く
そうだよ、あなたはオレンジのピーコック
老人をとりこにして
いま味わっている

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自己愛と性 自己愛が性欲を搾取している

100年前には確かに性欲のことが問題だったのだろう
臨床としてはそうだったのかもしれない

しかしフロイトはそれを遙かに通り過ぎて
自己愛の領域についていろいろと書いている

なるほどとも思うが不思議な気もする

現在では性的抑圧の状況はどう判定すればいいのだろう
抑圧というよりも出口を求めてさまよう感じだろうか

原初的な性欲回路がそのまま孤立しているのではなくて、
自己愛回路と結合して、
むしろ自己愛回路の下部回路になっている。
自己愛が性欲を搾取している。

子孫を残すのだから性欲の問題は必ずあり
自分が生きているのだから愛着はあって自己愛の問題も必ずある
異常と正常の区別は難しいこともあり
結局社会の容認次第という部分が出てくるのも否めない
その部分については医学とは少し雰囲気が異なる

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しかし必ず地雷を踏んでしまうのである

専門家なら、地雷を踏まない知恵が必要だ。
しかし必ず地雷を踏んでしまうのである。

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あんたといる所が私の家だわ

前には家に帰りたくてしょうがなかった。
でも今ではどうでもよくなったわ。
あんたといる所が私の家だわ
映画 『道』 フェデリコ・フェリーニ

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中坊公平

朝日夕刊で紹介されている。
先日友人宅に行ったら、中坊公平の著作が何冊かあり、
「懐かしいね」などと言っていたものだ。
時代の寵児が一転して弁護士廃業。
詳細はまったく知らないが、「世の中ってそんなものかな、つらいね」と、
話し合っていた。

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