新平家物語・吉川英治
昭和27年の初版本で紙質は非常に悪い。
紙にシミが沢山浮いている。
印刷はずれているものもあり、活字が不鮮明になっているところがある。
昭和のその頃とはそのような時代だったということなのだろう。
はじめの方の巻は読んだあとのようなものがあり、
手で触ったところが紙のシミのようになっているようだ。
途中からは読んでいないらしい。
配本ごとに栞がついていたようで、
一緒に綴じ込んである。
読んでみると執筆当時の様子が伝わる感じで面白い。
まじめである。
清盛の話から展開して鞍馬山に移り、
話は活劇じみてくる。
天狗という存在が生々しく感じられる。
このようにも精神的距離を変えてしまう筆力に驚く。
鮮やかである。
牛若と常磐の交流は読む私にいろいろな要素を喚起した。
第六巻「稚子文状」で描かれる幼い手紙と稚子舞の片袖。
私も年をとり親の気持ちに半ばなっていて
しかしまた半ばは
お母あ様のお身につけていらっしゃる物を何か一つくださいとの
牛若の言葉に一体化していて、
おもしろいものだと思う。
麻鳥の繰り返し説く、無用な戦乱はよくないとの話はよく分かるのであるが
それにもましてどうしようもなく牛若を駆動する力もまた描かれていて
その仕方なさが切ない。
吉次とのやりとりの中に見える自己愛の肥大の様子も興味深い。
このような自己愛の肥大と形成が共感を持って迎えられる。
そうだろうと思う。
有名な伎王の話などはむしろさらりとしたもののように思った。
というようなわけで、まだ大分お楽しみがある。
2009冬
急速に冷めてしまうので
冬なのだと思っている。
夜、おんぼろアパートの風呂には追い炊きもないので
急速に冷める。
そのことも冬を感じさせる。
二日続けて不眠。
吉川英治の新平家物語などで時間を過ごす。
アパートの外で深夜も工事が続いているのか、
断続的に作業音がしている。
最近は風呂上がりに目のまわりが乾いている。
眠れずに起きていると
おなかがすいて何か食べたりする。
そんなことも少し苦しい。
それだけのこと
あの日
僕たちの逢った最後の日
君は家の車で駅まで迎えに来て
近所のくつろげるところというので
動物園のついたレストランに行ったよね
少し小雨が降っていて
君は上手に馬に餌をあげていた
何とか牧場という名前のレストランでステーキを食べた
そのあと別の店でアイスクリームを食べた
いろんな動物がいて
みんな少しずつ雨に濡れてかわいかった
馬はりりしかったな動物園の中にまっすぐな道があって
両脇に背の高い木が植えられていて
その中に君が立って写真を撮るととても絵になる景色だった
あとで別れようといったとき
いままでの写真は処分してねと
あなたは言った
それだけのこと
朝までテレビ改革案
本を読むのに疲れていたので食事をしながら朝までテレビという討論番組を見た
みんなよく細かい数字をならべている
その意味ではよく勉強していると思う
テレビカメラの前であんな風に言えるのはやはり訓練されていると思う
数字を並べるのが議論のテクニックであることは昔からだ
この人たちは議論の仕方というものを理解していないけれど
このくらいの方がテレビ向きだし司会も恣意的に結論をまとめやすいのだろう
しかし改革が必要だ
司会者の権限を高めて人の話を聞くようにしたいならば
マイクをコントロールして不規則発言をなくす
指名されていない人のマイクは切ってしまう
テレビカメラも指定された発言者を映す
発言したい人は要点のメモをワープロで書いてスクリーンに映しておく
それを常時テレビ画面に映しておいて
それを見て司会が発言を求めるようにする
そうすれば視聴者は司会の不公正も見抜ける
声の大きい人や組織の代表者に多くの発言を割り振るのでは意味がない
それは権力側の宣伝番組というものだ
理性を練り上げることを目指すこともできるはずだと思う
そのためにはまず人選である
政治の改革も必要だけれど
まず朝までテレビの改革から始めたらいいだろう
山月記 中島敦-3 賞賛を求める
袁サンは部下に命じ、筆を執って叢中の声に随(したが)って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡(およ)そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁サンは感嘆しながらも漠然(ばくぜん)と次のように感じていた。成程(なるほど)、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処(どこ)か(非常に微妙な点に於(おい)て)欠けるところがあるのではないか、と。
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思わせぶりな書き方であるが、何が欠けているのか
はたして何が欠けているのか
たぶん秀才故の孤絶と自負、そして共感性の欠如
この人が忙中閑ありの態度でのぞみ、人生の体験を蓄えていけばおそらく第一流になったと思う
しかし多分時代が移り人性が移れば欠如は欠如ではなくなるだろう
だから李徴も気にしないで悠々と作品を作り続ければよかった
第一流かどうかなど気にしても仕方のないことである
そのように割り切れることが秀才の孤絶としては必然である
大衆の心をつかむのは二流であり、大衆に先駆けてしまうのが第一流であるから
理解されないのは必然である
自己愛性の心性は賞賛を求めるからそのように割り切れないことになる
まったく李徴は自己愛の方程式通りに屈折しているのだ
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専業作家というものはえてしてこのようになりやすい。
書く技術は持っているのに、書くことが何もないのである。
書けば人を納得させるものは書ける。
しかしそれは経済的な動機であって、
内発的な動機ではないのだ。
ましてや文学者として成功して豊かにもなりひとかどの文化人として処遇されてもいるとき
書斎を公開して万年筆やカメラの手入れの蘊蓄を語るとして
やはりここにも李徴の声が響いているのである。
山月記 中島敦-2 自己愛の肥大
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実にこのような人がいくらもいるものである
最近のように豊かな社会になればますます増える傾向である
自己愛の肥大と表現してもいい部分もある
自己愛性の心性は「傲慢、賞賛欲求、共感不全」かつ「臆病」
といわれていて
上記の自尊心、尊大、倨傲、そして羞恥心、臆病と一致している。
山月記 中島敦-1
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発狂もよし
思索と詩作にふけるもよし
また
鈍物の下命を拝するもよし
賤吏(せんり)に甘んずるもよし
みな、よし
固く考えるべからず
うまくいくかどうかは時の偶然だ
挑戦しない限りは成功はない
李徴(りちょう)がどの道を進もうといいことだ
退役軍人の3割が精神的外傷―米調査報告
退役軍人の3割が精神的外傷―米調査報告
【ロサンゼルス18日宮城武文】米シンクタンク・ランド社がこのほどまとめたイラク、アフガニスタン戦争の退役軍人の調査報告で、3人に1人が心的外傷後ストレス障害(PTSD)など戦争による精神的障害を患っていることがわかった。米陸軍が先に行った調査では6人に1人の割合で、重度の障害を患っているとの報告が出されていた。ランド社の調査は戦争体験による障害がかなりの退役軍人の生活に影を落とし、しかも今後の職務への不安から障害に患っていることを明らかにせず、治療も受けていないことが明らかにされている。
最新調査報告によると、戦争体験で脳損傷のみを患っている退役軍人は全体の12・2%。うつ病・PTSDのみを患っている人は11・2%。うつ病・PTSD・脳損傷すべてを患っている人は7・3%。イラク、アフガニスタン戦争に従事した退役軍人170万人のうち約30%が障害を持っているとしている。
イラク、アフガニスタン戦争経験者がそれ以前の戦争よりも精神的外傷を患っている割合が多い理由については、イラク、アフガニスタン戦争では、テロリストや反乱組織による攻撃が自爆など24時間いつどこでも起きるリスクにさらされていることと、民間人の犠牲者を頻繁に目撃する機会が多いことなどを挙げている。
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人類は戦争と共にあったのだから、
たぶん、PTSDとともにあった。
それを癒す方法も、いろいろあった。
宗教があり、
芸術があり、
癒しの物語があり、
来世の物語があり、
性愛があり、
迎え酒のように更なる戦争もあった。
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ストレス→うつの兆しを見逃さない
ストレス→うつの兆しを見逃さない
ストレスを受けると、脳や身体各部に様々な影響が出てくる。しかし、これらの変化の多くは目に見えないため、周囲の人間には分からないし、自分自身も認知できていないことが少なくない。
そこで今回は、自分のストレス状態を自分自身が認知するために、またストレス状態にある職場の同僚に気付くことができるように、ストレスをいくつかの段階に分け、各段階で起こる「外側から見える」変化について説明していく。
図1 ストレス→うつの段階
(1)「過剰適応」段階
最も軽症のストレス状態では、すぐに元気がなくなるのではなく、むしろ元気な感じになる。何かストレスがあっても、普通以上にきちんと適応できているかのように見える。この状態を「過剰適応」と呼ぶ。この時点では、本人はストレッサーに曝されていることに全く気付いていないことが多い。
過剰適応が問題なのは、本人が無理をして適応しているため、いつかは適応のためのエネルギーが枯渇して、ストレス状態が次の段階に進んでしまったり、身体的な病気(心身症)になったりする可能性が高いからである。
過剰適応は色々なきっかけで生ずるが、例えば、仕事を始めたばかりの研修医や、異動したり勤務地が変更になったばかりの医師によく見られる。具体的には、新しい環境に早く慣れようとして、遅くまで仕事をしたり、ミーティングなどでも積極的に発言するなどの行動が観察される。
もっとも、この過剰適応は、真面目な医師が「新しい職場で頑張ろう」という気持ちが強いときに表れる行動パターンであり、適応のためには、むしろ必要な段階であるとも言える。
(2)「神経過敏」段階
過剰適応の段階を過ぎると、精神的に過敏になり、イライラしたり、怒りっぽくなったりする。見た目にも疲れが見え始め、タバコの本数が増えたり、些細な刺激にも過敏に反応したりする。同僚と口論やけんかをしてしまったり、後輩をいじめたり、上司に対しても口答えするようになり、さらに悪くなると、看護師に当たり散らしたり、患者や患者家族とのトラブルに発展する場合もある。これが神経過敏の段階である。
神経過敏は、私生活にも影を落とす。自分の家族や恋人、友人とも、ちょっとしたことでけんかしてしまうことが多くなってくる。
この時期の、もう一つの客観的指標は「酒の飲み方」である。しばしば見受けるのは、酒を飲みながら職場や仕事について愚痴ってみたり、上司や同僚の悪口を言っている場面である。また、一緒に飲んでいる同僚や友人にからんだり、喧嘩をしてしまったりもすることもある。「最近、悪酔いしやすくなった」という人は要注意である。
(3)「無関心」段階
さらに悪化すると、いよいよ周囲に対して関心がなくなる段階に入っていく。それまで一生懸命がんばってきたのとは正反対の状態で、仕事への積極性もなくなってしまう。さらに、積極性や生き生きした感じが失われるだけでなく、仕事中も「うわの空」のように見えるようになる。その結果、つまらぬミスをしてしまい、それが大きな医療ミスの原因になる場合もある。そのことについて、上司から注意されたり、叱られても、特別に罪悪感を感ずることもなくなってしまう。
しかし、無関心だからといっても、これは「抑うつ的」とは違う。抑うつ状態のように、悲しいわけでも、憂うつなわけでもなく、心身が消耗した感じで「何も感じない」状態なのである。
この無関心段階では、休憩時間や自宅に戻ってからも、何かを積極的にすることはない。その代わりに、雑誌やネットで「求人広告欄」をボンヤリ眺めていたりする。とはいえ、この段階の人は、現在の仕事をやめて新しい職場を積極的に探しているわけでない。そんなエネルギーは、もうこの段階ではなくなっているのである。「ただ、なんとなく」というのが、この段階には一番ピッタリくる表現である。
(4)「引きこもり」段階
無関心段階を過ぎると、さらに周囲との接触を避けるようになる。具体的には、遅刻が多くなってくる。また、「神経過敏」の段階のように、外で同僚や友人と酒を飲んでウサ晴らしをするわけではなく、家で独りで飲酒するようになり、その結果、二日酔いの状態で出勤することも少なくない。医師の6人に1人はアルコール性肝障害と言われるが、このような段階に達している医師が多いのかもしれない。
(5)「抑うつ」段階
引きこもりを超えると、次は「抑うつ」段階である。この段階では、憂うつ、寂しい、悲しい、つまらない、といった抑うつ気分を本人もはっきりと自覚し、言葉にすることもできる。また「集中力がない」とか「頭が働かない」というような精神機能の低下や、「忘れっぽくなった」という知的機能の低下も見られるようになってくる。
さらに「何も手につかない」とか「何をするのもおっくうだ」といった具合に、運動性の抑制も見られるようになる。これらの症状が、朝や午前中に特にひどいという、「日内変動」も見られることがある。このように、この時期には、いわゆる「うつ病」の患者と全く同じ症状が認められるようになる。
この「抑うつ」段階も、精神症状を自覚できれば、評価や診断はそれほど難しいことではないが、精神症状がほとんどないこともある。例えば、不眠、食欲不振、体重減少といった身体症状だけしか認められない場合である。身体症状は、頭重感、頭痛、肩凝り、腰痛といった症状のこともあるし、下痢や便秘ということもある。このように、抑うつ感がないか、あってもごく軽度で、その代わりに身体症状だけが目立つうつ病を「仮面うつ病」という。
(6)「行動化」段階
この「抑うつ」段階が続くと、最終的には様々な「行動化」が見られるようになる。誰でも色々な感情や欲望を持ち合わせているが、それが行動という形で発散されてしまう場合を、心理学や精神医学では「行動化」と呼んでいる。外からは、衝動的で未熟と評価され、時に危険でもある。
具体的な行動化としては、例えば、無断欠勤もそうだし、何の将来的な展望もないのに、いきなり「退職願い」を提出すような衝動的な転職も行動化である。また、アルコール依存や薬物依存(これらは精神医学的には物質依存としてまとめられることもある)も行動化の表現型の一つであるし、さらにそれが極端になったのが自殺である。