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「精神療法家の仕事」成田善弘-7

分析の途中で主訴が変化する。

強迫症状に悩んでいた患者が、途中から、対人関係のあり方に悩むようになる。

主訴が変化したらそのことを確認しておく。
それまでは自我親和的であったものが自我異和的なものになるから、新しい症状になる。

無自覚的、無意識的であったものが、主訴になる。
狭義の症状から、対人関係の質の問題になってくる。
その変化はまず治療者との関係の中に現れる。

*****
対人関係のあり方で悩んでいるということは、
もっといい関係があると信じているまたは夢想しているまたは幻想しているということで、
いいことでもあり、悪いことでもある。
運がよければ、理想的な関係にめぐり合えるし、
運が悪ければ、幻滅ばかりが続く。
幻滅するくらいなら現実的な考えに切り替えたほうがいいと思うか、
傷ついても、求め続けるか、
それは選択だ。
現実は、たいてい、幻滅ばかりが続く。

いい方に解釈してあげたい。
どうせ苦しいばかりの人生なのだから。



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「精神療法家の仕事」成田善弘-6

ベルネ「三日間で独創的な作家になる方法」
「三日間続けて、頭に浮かんだことを、作り事や偽善を交えずすべて書き

留める」
これが自由連想体験。

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自分が言葉にしたものが自分の考えであるという自覚を持って文章を書かねばならない。

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自分の文章を読んで、これが自分の考えであると納得できるような文章を書きたいものである。

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一方で、文章は、ついに、書こうとするものに到達できないのではないか。

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書くことで考えを発見することもある。考えを発展させることもある。

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自分の書いたものが活字になっているとき、
自己愛が満たされる。

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書くことで鍛えられることは確かなことだ。

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ピッチャーになるには、投げるしかない。



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「精神療法家の仕事」成田善弘-5

自立していない人間は
自立していない文章を書く

「母親相手にものを言う」ようなものである
すべてを言葉にしなくても相手が察してくれることを無自覚のうちに期待している

幼児が母親を相手に語るとき、母親は幼児にとって他者ではない。
幼児は自分と一体の全脳の母親がすべてを理解してくれることを当然のことと思っている

これがハイ・コンテクストである。
世間というものはロー・コンテクストである。

*****
なるほどそうかもしれない。
甘えた気分で思うのだが、
人はそのように厳しく自立しなければならないものだろうか。

自立できないでいる人たちは
概ね幸せなのである。
幸せならそれでいいではないかという気もする。

いつかは母親と離れる日が来て
かなりの苦しみであるが
それまで幸せに包まれていたいのならそれでもいいとは思う。

自立するは自立するで苦しいものなのだから。
その苦しみはあとでもいいだろうと思うが。
それは甘やかしだと言われそうだ。

現実の母親と似たものとして仮想の「全能の母」「包み込み理解してくれるもの」を
外部に持つことによって安定することもある。
それはそれで問題であるが、ひとつの解決でもある。
どちらでもいいような感じもする。

厳しいばかりでもかわいそうだと思う。



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「精神療法家の仕事」成田善弘-4

画家ドガと詩人マラルメ
ドガはよい詩を書いた。
ドガがなかなか詩がかけないでいるとき、
マラルメに話した。
「アイディアで一杯なんだが、ちっとも書けない」
マラルメはいつもの静かな様子で
「だけど君、詩というものはアイディアで作るものじゃないんだ。言葉で

作るものなんだ。」

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言葉は色つきのレゴブロックである

翻訳してもそれなりの美しさになるから
アイディアが大切なのだと
思ったりもする

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詩にも
アイディア系と
言葉系があることは
かなり明白だ

短歌でもラップでも
リズムだけが大切な場合もあり
一方で
鮮やかなイメージだけが大切な場合もある



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「精神療法家の仕事」成田善弘-3

人は人生の不幸を直視できない時に神経症になる。

土居先生の言葉。
神経症という選択も許されますか?

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「精神療法家の仕事」成田善弘-2

全人的医療
という言葉が独り歩きしている

医者などというちっぽけな存在が他人という厄介なものを前にして
「全人的」などと気軽に言えるものだろうか

気構えとしてはいいことだが
実際には難しいと思う

二人称の関係の幻想
一対一の幻想
万能の治療者の幻想

全部を理解することはできないと
お互いに分かった上で
それでも行う全人的医療は
実際何をしているのか考えてみる必要がある

かなり限定された控えめな意味での全人的治療で
かなり限定された控えめな二人称的関係を展開することになると思う

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「精神療法家の仕事」成田善弘-1

中年の恋愛は、
将来を計算することがない。
純粋である。
今一度輝こうとする。

純粋でもあり
世間知らずでもあり
厄介でもあり
かわいくもある

子供に対しては充分に世間人であり
部下に対しては充分に模範的である
しかしあるときデーモンに魅入られる
人間的である
弱いが
美しい

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天下り

役人の天下りについて毎日ニュースである

その前提として
学生の人気が官僚に向いていないのはしばらく前からのトレンドである
官僚出身者に天下り後の大活躍ができるのかといわれればそれは怪しい
の二点がある

もし依然として学生の一番人気で官僚が国家を支えているという雰囲気があれば
天下り程度は見逃されるはずである

何しろ、天下りも約束のうちで入省して、そのあと約束を反故にされて、天下りがなくなるのだから、
それは約束違反である。
そう言われないで、役人は優遇されすぎていると、マスコミから叩かれているのだから、
その威信の低下が分かる。

もし役人が非常に優秀な人材で、退職後も引く手あまたであれば、
何も問題はないはずである。
引き受ける側の受け皿が、そんなに金は出せないと渋り始めているのだろう。
本当に仕事のできる人ならば、組織を数年で辞めて渡り歩くなど、
つまらないことを喜ぶはずがない。

省庁の許認可権は低下して、さらに護送船団方式もなくなり、それぞれで工夫してくださいというからには、
パイプとしての天下り役人は必要がなくなるはずのもので、
麻生首相は天下りを根絶するなどとも言えるのは、企業が天下りはいらないと結論を出したことの反映でしかない。
政治のリーダーシップではない。

なにしろグローバル化で、アメリカの要望で政治は決まるのだし、
規制の内容もグローバリズムで国際的に足並みをそろえるならば、
天下り役人なんかいらないはずで、
その場所にむしろアメリカの政府内部事情に通じた人間を置いた方がいいだろう。

企業の声に国民の声が重なったものだから政局に都合がよかったわけで、天下り廃止の合唱となる。

お役人も二種類いて、
まじめなクリスチャンを絵に描いたような夫婦もいれば、
実家の企業の役員にしてもらって、収入は有り余るほどある夫婦もいる。

天下り廃止になってもどちらのタイプも別に困りはしないだろう。
学生たちが、役人は厳しそうだから外資の方がいいかななんていうのはもうしばらく前からの傾向で
天下り問題などは本質ではない。

*****
総じて、問題が大きいから、天下りを禁止して問題を解決しようという話ではないのだ。
もう官僚の力は弱くなっていて、将来はもっと弱体化するだろうと見込まれていて、
だから、こんな話が出てきてしまうということだ。

強くて悪さをしているからとどめるのではなく、
弱くなって目立っているからいじめるのである、血祭りに上げるのである。

*****
さて、問題は、未来の設計図を誰が描くのかである。
充分な情報を持ち、情熱を持ち、知性を持ち、公平に、未来を構想することのできる人は、
どこにいるのだろう。

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