「死んだ金魚をトイレに流すな」
「死んだ金魚をトイレに流すな」という本があって
命の体験の共有とサブタイトルがついている
親が何気なく死んだ金魚をトイレに流すと
それを見た子どもが命を軽く見るようになるという。
そうかもしれない。
現代では命は一部分は操作できるものと考えられている。
しかしその重い命を生きて、一体何をすればいいのか、よく分からないままだと思う。
命の体験の共有とサブタイトルがついている
親が何気なく死んだ金魚をトイレに流すと
それを見た子どもが命を軽く見るようになるという。
そうかもしれない。
現代では命は一部分は操作できるものと考えられている。
しかしその重い命を生きて、一体何をすればいいのか、よく分からないままだと思う。
危ない橋を渡らないとメシが食えない
米国の投資銀行や投資ファンドは
信用力の低い住宅ローン債権を証券化した。
その商品の危うさを充分に知っていた。
危ない橋を渡らないとメシが食えない。
だから「この橋は危なくないよ」と言いながら
誰よりも早く渡ろうとした。
(浜矩子、朝日新聞で)
損をした人たちも別に怒っているわけではなくて
自分の欲深さにあきれているわけです。
信用力の低い住宅ローン債権を証券化した。
その商品の危うさを充分に知っていた。
危ない橋を渡らないとメシが食えない。
だから「この橋は危なくないよ」と言いながら
誰よりも早く渡ろうとした。
(浜矩子、朝日新聞で)
損をした人たちも別に怒っているわけではなくて
自分の欲深さにあきれているわけです。
伸筋系を活用する
8丁目で話を聞く
気持ちいいときは
体を充分に伸ばして弓なりになっちゃう
なんていう
確かに手足の伸筋系をのばすのは気持ちよさにつながる
てんかん大発作の時も充分に延ばすから気持ちよさも頂点に至るようだ
だから私は男の人には充分に突っ張ってもらうようにしているの
とのこと
そうか
逆に女の人にも充分に突っ張ってもらえばいいわけだな
誰にでも当てはまるわけではないかもしれない
すくなくともその人には当てはまりそうだった
しかしはっきりイメージできなかったので
少しだけ教えてもらえないかというと
はぐらかされた
伸展発作の状態でといえば
どうすればいい?
気持ちいいときは
体を充分に伸ばして弓なりになっちゃう
なんていう
確かに手足の伸筋系をのばすのは気持ちよさにつながる
てんかん大発作の時も充分に延ばすから気持ちよさも頂点に至るようだ
だから私は男の人には充分に突っ張ってもらうようにしているの
とのこと
そうか
逆に女の人にも充分に突っ張ってもらえばいいわけだな
誰にでも当てはまるわけではないかもしれない
すくなくともその人には当てはまりそうだった
しかしはっきりイメージできなかったので
少しだけ教えてもらえないかというと
はぐらかされた
伸展発作の状態でといえば
どうすればいい?
トンネルなどお散歩し いきはよいよい 天神様はどこじゃろな
トンネルなど お散歩したり 休んだりいきはよいよい かえりはこわい
天神様の細道じゃ
オスはメスと交尾後、不安が減り、リスクを冒す
日経のサイエンス欄で
ラットの実験、ドイツ、レーゲンスブルク大学
オスはメスと交尾後、
不安が減り、リスクを冒す行動をいとわなくなる
脳内ではオキシトシンが増えていた
これにより
オスは新たなメスを求める冒険に出て
自らの遺伝子をしっかり残そうとする
*****
いつまでもこんな記事が続くのだろう
自らの遺伝子を残そうとするのではなくて
そのように行動する個体の遺伝子が残る傾向があるというだけだ
異性にも子どもにもまめならば遺伝子は残るだろう
お疲れ様なことだ
*****
同じ論文でメスについて言及がないのだろうか
オスの脳のオキシトシンをメスはどう感じているのだろうか
ヒトのメスはラットのメスほど寛大ではないような気もする
*****
後尾のあとではリスクの高い株を買ったり冒険に出かけたりするわけだ
でもそれは結局新しいメスを探すためだなんて
まるで新聞記事のために付け加えたコメントみたいだ
(実際新聞記事だからそれでいいけれど)
交尾を禁止されると不安でイライラしたオスになるかと言われればそうでもないだろうと思うけれど
それは現代先進諸国で見られるだけだろうか
*****
メスとしては異国からの冒険者には興味があり寛大である人たちもいるらしい
英会話教師の例
それは生まれ育った同性グループでの順位付けが
一時的に停止される感覚があるからだろう
青い目には自分がとても魅力的に映ることもあり得るだろうと
信じられるのは不思議だ
ラットの実験、ドイツ、レーゲンスブルク大学
オスはメスと交尾後、
不安が減り、リスクを冒す行動をいとわなくなる
脳内ではオキシトシンが増えていた
これにより
オスは新たなメスを求める冒険に出て
自らの遺伝子をしっかり残そうとする
*****
いつまでもこんな記事が続くのだろう
自らの遺伝子を残そうとするのではなくて
そのように行動する個体の遺伝子が残る傾向があるというだけだ
異性にも子どもにもまめならば遺伝子は残るだろう
お疲れ様なことだ
*****
同じ論文でメスについて言及がないのだろうか
オスの脳のオキシトシンをメスはどう感じているのだろうか
ヒトのメスはラットのメスほど寛大ではないような気もする
*****
後尾のあとではリスクの高い株を買ったり冒険に出かけたりするわけだ
でもそれは結局新しいメスを探すためだなんて
まるで新聞記事のために付け加えたコメントみたいだ
(実際新聞記事だからそれでいいけれど)
交尾を禁止されると不安でイライラしたオスになるかと言われればそうでもないだろうと思うけれど
それは現代先進諸国で見られるだけだろうか
*****
メスとしては異国からの冒険者には興味があり寛大である人たちもいるらしい
英会話教師の例
それは生まれ育った同性グループでの順位付けが
一時的に停止される感覚があるからだろう
青い目には自分がとても魅力的に映ることもあり得るだろうと
信じられるのは不思議だ
五七のリズム
五七のリズムが念頭にあると
それからずれたときの
おもしろさがある
わざと短く終わってみたり
わざと長くつなげてみたり
ちょっと出し入れして
始末がつかない様子を演出する
それからずれたときの
おもしろさがある
わざと短く終わってみたり
わざと長くつなげてみたり
ちょっと出し入れして
始末がつかない様子を演出する
最近のパニック障害
最近はパニック障害については
Gormanの仮説が有名
恐怖条件付けの脳機構
phobic avoidance
Gormanの仮説が有名
恐怖条件付けの脳機構
phobic avoidance
フリージング防御反応
パニック障害のとき
SSRIを服用したとき
認知療法を施行したとき
それぞれで脳血流の変化を測定したりしている
母子分離ストレスの研究は相変わらず続いている
早期の母子分離を経験するとやはり多少過敏になる
これは牛若丸みたいなものかなと思ったりする
セロトニンが不足である
セロトニン・レセプターが過敏である
すこし方向が違うのだけれど
部分部分で違う方向に動いていると考えてもいいわけだ
Panicとひとまとめにしていうけれど
実際はいろいろな病像があって
周辺的な事情についてどの範囲でひとまとめにしていいのかは難しい
ずいぶん違う
DSM4では列記してある症状のうち4つ以上となっていて
4つというのはなかなか絶妙であるらしい
4つ以内だとだいたい1年以内に治療が終わる感じもある
例外は多いけれど
Barlowの誤った警報モデルが有名
具体的な恐怖の原因がないのに警報だけが鳴っている
これがパニック発作
海馬恐怖と
扁桃体恐怖
恐怖の内容を
言語化する事
明確化する事
これで大分治療は前進する
たとえば
地球は丸いというのは最近の人であれば常識である
しかし5千年前の人類の立場に立ってみたらどうだろうと考えてみる
するとたぶん地球は平たくてどこまで行っても平たいのだと考えるのではないだろうか
そう考えたくなる理由もあって
5千年前の人類を想像してみればずいぶんと考え方も感じ方も広がる
非合理的確信を
合理的思考や合理的反応に置き換えられないか考えてみる
不安だからどきどきするのか
どきどきするから不安なのか
悲しいから涙が出るのか
涙が出るから悲しいと思うのか
不安とどきどきと確信の三角形の悪循環
リラクセーション
認知の訂正
行動療法
がそれぞれの部分で効果がある
パニック障害と非定型うつ病の近縁性が言われている
さらに社交恐怖が近い
体をメタルで飾る人がいる
ピアスとかリングとか
攻撃性の亢進を思わせる
認知療法は前頭葉の血流を増加させる
そのことが治療効果に関係しているのではないかと推定されている
自己肯定感を引き出して増大させる事が有効である場合も多い
過剰に自己否定的な人がいる
怒り発作
怒りはときに大切
パニック障害のとき
SSRIを服用したとき
認知療法を施行したとき
それぞれで脳血流の変化を測定したりしている
母子分離ストレスの研究は相変わらず続いている
早期の母子分離を経験するとやはり多少過敏になる
これは牛若丸みたいなものかなと思ったりする
セロトニンが不足である
セロトニン・レセプターが過敏である
すこし方向が違うのだけれど
部分部分で違う方向に動いていると考えてもいいわけだ
Panicとひとまとめにしていうけれど
実際はいろいろな病像があって
周辺的な事情についてどの範囲でひとまとめにしていいのかは難しい
ずいぶん違う
DSM4では列記してある症状のうち4つ以上となっていて
4つというのはなかなか絶妙であるらしい
4つ以内だとだいたい1年以内に治療が終わる感じもある
例外は多いけれど
Barlowの誤った警報モデルが有名
具体的な恐怖の原因がないのに警報だけが鳴っている
これがパニック発作
海馬恐怖と
扁桃体恐怖
恐怖の内容を
言語化する事
明確化する事
これで大分治療は前進する
たとえば
地球は丸いというのは最近の人であれば常識である
しかし5千年前の人類の立場に立ってみたらどうだろうと考えてみる
するとたぶん地球は平たくてどこまで行っても平たいのだと考えるのではないだろうか
そう考えたくなる理由もあって
5千年前の人類を想像してみればずいぶんと考え方も感じ方も広がる
非合理的確信を
合理的思考や合理的反応に置き換えられないか考えてみる
不安だからどきどきするのか
どきどきするから不安なのか
悲しいから涙が出るのか
涙が出るから悲しいと思うのか
不安とどきどきと確信の三角形の悪循環
リラクセーション
認知の訂正
行動療法
がそれぞれの部分で効果がある
パニック障害と非定型うつ病の近縁性が言われている
さらに社交恐怖が近い
体をメタルで飾る人がいる
ピアスとかリングとか
攻撃性の亢進を思わせる
認知療法は前頭葉の血流を増加させる
そのことが治療効果に関係しているのではないかと推定されている
自己肯定感を引き出して増大させる事が有効である場合も多い
過剰に自己否定的な人がいる
怒り発作
怒りはときに大切
うつ病で休んでいるときの掃除
うつ病などで休んでいるとき何をすればいいですか
という話はいろいろと答えがあって
私などはできるだけ何もしないで休もうと言う事が多いけれど
患者さんによってはやや積極的に
散歩やスポーツジムや掃除を勧めることもある
特に身の回りの掃除は効果的と言う人も多い
毎日掃除をしても不都合という事はないのだし
家のどこかの一角には整理整頓を要するものがたまっている事も多いものだ
掃除機とかも気持ちがいいし
最近の化学ぞうきんとかも使ってみれば気持ちがいい
ぞうきんがけというとかなりの体力を使うけれど
そこまでしなくてもいい
しかしエアコンのあたりとか照明器具のあたりとか
普段は掃除をしないあたりも一撫でするだけでずいぶん気分が違う
身の回りがさっぱりすると
気分もさっぱりして眠れそうに思う
という話はいろいろと答えがあって
私などはできるだけ何もしないで休もうと言う事が多いけれど
患者さんによってはやや積極的に
散歩やスポーツジムや掃除を勧めることもある
特に身の回りの掃除は効果的と言う人も多い
毎日掃除をしても不都合という事はないのだし
家のどこかの一角には整理整頓を要するものがたまっている事も多いものだ
掃除機とかも気持ちがいいし
最近の化学ぞうきんとかも使ってみれば気持ちがいい
ぞうきんがけというとかなりの体力を使うけれど
そこまでしなくてもいい
しかしエアコンのあたりとか照明器具のあたりとか
普段は掃除をしないあたりも一撫でするだけでずいぶん気分が違う
身の回りがさっぱりすると
気分もさっぱりして眠れそうに思う
銀座松坂屋のとんかつ
銀座松坂屋の7階で
ヒレカツ御前を食べた
ここは歴史が古いらしい事を書いてある
デパートではじめて大衆食堂を開いた
そのとき作った歌が書いてある
おいしく食べれば富士山が見えるなどの歌詞だ
沢山席があって自由に座っていいと言われる
自由に座る
あとで来た人たちが
自由でいいと言っているのに
隣の席に座ったりする
ヒレカツは丸いのが6つ出て来る
包丁で半分に切れている
一口にちょうどいい
ソースの他に
トマトケチャップがついてくる
試しに食べてみたら
なかなかおいしい
ヒレカツ自体は塩味もついていないくらいのあっさりしたものだ
キャベツは二人分くらいたっぷり出て来るので
おかわりの必要はない
お味噌汁はすこし甘みが強すぎるような気がするけれど
これはこれでいいのかもしれない
ごはんは軟らかめで
これは私にちょうどどいい
別の席では高齢の女性がゆっくりした英語で話をしている
食事が運ばれてきて
Have a good appetite.いただきます。
などと言って食べ始めた。
ゆっくりと区切って言ってもらえれば
私にも分かりやすいと思った
割り箸はいい物を使っている
家でも使おうと思ってお土産に持って帰った
外食はあと一年くらいないと思う
来年まで生きていたいものだ
松坂屋の階段の踊り場にいすが置いてあって
高齢男性ばかり4人がうとうとして座っていた
何か生き甲斐になる仕事なり活動があればいいのにと思った
この年齢層の人たちが消費活動なり生産活動なりするのが
日本の未来だと思う
ヒレカツ御前を食べた
ここは歴史が古いらしい事を書いてある
デパートではじめて大衆食堂を開いた
そのとき作った歌が書いてある
おいしく食べれば富士山が見えるなどの歌詞だ
沢山席があって自由に座っていいと言われる
自由に座る
あとで来た人たちが
自由でいいと言っているのに
隣の席に座ったりする
ヒレカツは丸いのが6つ出て来る
包丁で半分に切れている
一口にちょうどいい
ソースの他に
トマトケチャップがついてくる
試しに食べてみたら
なかなかおいしい
ヒレカツ自体は塩味もついていないくらいのあっさりしたものだ
キャベツは二人分くらいたっぷり出て来るので
おかわりの必要はない
お味噌汁はすこし甘みが強すぎるような気がするけれど
これはこれでいいのかもしれない
ごはんは軟らかめで
これは私にちょうどどいい
別の席では高齢の女性がゆっくりした英語で話をしている
食事が運ばれてきて
Have a good appetite.いただきます。
などと言って食べ始めた。
ゆっくりと区切って言ってもらえれば
私にも分かりやすいと思った
割り箸はいい物を使っている
家でも使おうと思ってお土産に持って帰った
外食はあと一年くらいないと思う
来年まで生きていたいものだ
松坂屋の階段の踊り場にいすが置いてあって
高齢男性ばかり4人がうとうとして座っていた
何か生き甲斐になる仕事なり活動があればいいのにと思った
この年齢層の人たちが消費活動なり生産活動なりするのが
日本の未来だと思う
結婚後と離婚後
離婚の交渉でお金の事を決めたりする
結婚している限りは
裁判所からいくら稼げと命令される事もないのに
離婚したあとでいくら払えとか言われるのは不思議な事だ
結婚している間の方が大事なような気もする
結婚している限りは
裁判所からいくら稼げと命令される事もないのに
離婚したあとでいくら払えとか言われるのは不思議な事だ
結婚している間の方が大事なような気もする
新橋色
新聞で新橋色というものを見かける。調べてみると解説と絵がある。
新橋とは東京の新橋のことですが、明治時代の
おわりごろ新橋の芸者がこの色の着物を愛用し
て、それが世間にも流行したことから色名として
こう呼ばれるようになりました。緑みのある青で
すが、従来の天然染料ではなく、欧米から導入
された化学染料によって染められたこともあって、
そのハイカラな感覚が当時の人にはとても新鮮
に感じられたようです。
新橋とは東京の新橋のことですが、明治時代の
おわりごろ新橋の芸者がこの色の着物を愛用し
て、それが世間にも流行したことから色名として
こう呼ばれるようになりました。緑みのある青で
すが、従来の天然染料ではなく、欧米から導入
された化学染料によって染められたこともあって、
そのハイカラな感覚が当時の人にはとても新鮮
に感じられたようです。
Haruki Murakami: Always on the side of the egg
Always on the side of the egg
By Haruki Murakami
I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.
Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?
My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies.
Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.
So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came.
The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people.
Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.
Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.
And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.
This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.
It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.
Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:
"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."
Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?
What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.
This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.
I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.
My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.
He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.
My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.
I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.
Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.
That is all I have to say to you.
I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.
*****
卵の側にも言い分はあり
壁の側にも事情も言い分もあり
正義というものにも事情があり
そのそれぞれに配慮して総合判断するのが実際だと思う
例えば最近では
ドビルパン前フランス首相が「世界の共存 正義の理念こそ必要」と答えている
ドビルパン前フランス首相が「世界の共存 正義の理念こそ必要」と答えている
今ここに至って正義の観念である
すでに克服された地点かと思われる話が繰り返されている
このような正義は容易に壁になり得るのだが
しかしまた卵を守るものにもなり得る
このような正義は容易に壁になり得るのだが
しかしまた卵を守るものにもなり得る
正義が相対的でしかないと知った上で
さらに現在誰かが抱いている正義の観念は一時的なものでしかないと知った上で
それでも正義を軸とするしかないという
さらに現在誰かが抱いている正義の観念は一時的なものでしかないと知った上で
それでも正義を軸とするしかないという
一段上の議論にもなりうる
また一方で包括的に
そうした正義全般が間違いのもとなのだとも指摘できる
正義のためにつぶされた卵は生き返らない
卵を守る壁として登場して
卵を守る壁として登場して
ついには卵を圧殺する壁になるのが歴史だったと思う
しかしいつでも正義は卵を守ると言い
卵にも沢山の種類があり
卵にも沢山の種類があり
ということはどの卵を守るのかで
正義にも種類がある
その上のレベルでのすべての卵を守る議論はあり
正義にも種類がある
その上のレベルでのすべての卵を守る議論はあり
卵を守るとしても卵の何を守るかの議論になって行く
果てしもないものだと思う
目障りな他人がいない場所に行くしかないような人もいるのだということだ
その意味ではいま人々は近すぎるとも言える
その意味ではいま人々は近すぎるとも言える