ハンバーグを焼く
デパートの地下で210円だった
外側だけフライパンで焼いて
あとは電子レンジで加熱しようと思った
フライパンで焼いたら予想以上に脂なのか肉汁なのか出てしまった
よく分からないのでそのまま全部皿に移して電子レンジで加熱した
出してみたらかなり縮んでいた
ちょっと予想外
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一応予備知識としては
外側を焼いて肉汁を閉じ込めるとかは知っていた
多分、焼く前に、もう一度少し薄めに広げて、などをした方がいいようだ
練る時にバニラアイスを入れるの
絶対美味いのよ
という意見があった
外側を焼いたら、あとは蒸し焼きみたいな気分でいいのかな
多分、電子レンジの時間が長すぎたらしい
電子レンジはオーブンにした方がいいのかもしれない
アルミホイルに包んでオーブントースターで蒸し焼きにするのもいいかもしれない
つばめグリル方式
ブルートレイン 富士 ラストラン
時が流れると実感される
私も昔は寝台特急を使ったものです
見送る、見送られる、場面はなかなか忘れがたいものがある
国と地方、第三セクター、独立行政法人などの借金を合計すると約1200兆円の借金
約1200兆円の借金。
その利息を計算すると一週間で1兆1千億円。
国民ひとりあたりで言うと924万円。
二週間の利息で定額給付金の2兆円に相当する。
全部子孫へのマイナスのプレゼント。
年に5%の経済成長とインフレを予定すれば
少しは軽くなるのだろうが
現状ではそれにも頼れない。
感覚の統合処理 リベットの実験
たとえば花火。
光が見えてからしばらくして、音が届く。
雷も同様。
視覚と聴覚の食い違いに驚く。
考えてみれば、1メートル前でテレビが映っている場合も、
目から視覚処理回路に入り、総合処理されるまでと、
耳から聴覚処理回路に入り、総合処理されるまでと、
脳内回路の時間が同じはずはないだろう。
たとえば、足の親指をくすぐられている時、それを見て、聞いているとすれば、
触覚、視覚、聴覚の三者は、やはり統合中枢までの到達時間が異なるはずで、
多分、触覚が一番遅く届いているはずである。
しかし脳は、それらの情報を「同時」のものとして処理している。
これを錯覚と言ってもいいし、内部処理と言ってもいい。
同じ現象については同時だと思いこむように処理しているのだ。
同じような「時間ずらし」の内部処理として、
意思発動部分と運動発動部分の調整がある。
理屈から言えば、意思発動が先にあり、運動発動がそのあとにあるはずだ。
しかし人間はそのように分解して考えてはいない。
あまりに極端な場合は、「とっさの判断」「体が動いた」などとも言う。
意思発動が先にあるから、自由意志も存在すると、自然に考えられている。
しかし病気の一つに、意思の発動性が障害される、
「させられ体験」というものがある。
誰かにさせられたと体験するのである。
しかし客観的に見れば、自分がやっているに相違ないわけで、
意識の内部で錯覚が起こっているのだろうと推定される。
どのような錯覚だろうか?
人間の神経系は、「刺激→脳→運動」として考えることができる。
意思の発動性や自由意志をないものと仮定して、
ただ単に刺激に自動的に反応するだけの、下等な神経系を考えることができる。
人間の脳も、かなり複雑ではあるが、ただ自動反応機械に過ぎないと考えるのである。
ある瞬間に、人間はそのようなものになる。
たとえば、「無意識のうちに改札口で定期券を出していた」とか「いつもの曲がり角を何を意識するわけでもなく曲がった」とか、「自転車を無意識のうちにこいでいた」とか。
たとえば自転車の場合、子供の頃、乗り始めて練習していた時は、きっと自由意志を働かせて、注意深く大脳が指令を出していただろう。しかしそれは次第に熟練運動となり、小脳のループが代用するようになる。そうすると、脳に余り負担がかからず、考え事をしながらでも自転車を運転できるようになる。
本当は人間は自由意志はないのではないかとの疑問がわく。
そこで、自由意志の神経回路は、猿から人間に至る進化の過程で新たに獲得した新しい神経回路であると考えてみる。
刺激→自動反応脳→運動
これと並行する形で、
刺激→自由意志回路→運動
が成立するとする。
自由意志感覚部分を想定して、
そこには、情報が、「自由意志回路」からさきに入り、
次に「自動反応脳」から情報が入るとすれば、
意思が先にあり、運動があとにあるという、人間の普通の実感に合うことになる。
そしてこの部分が何かの原因で壊れた場合、
自動反応脳からの入力が早くなり、自由意志回路が遅れるので、
自由意志の感覚が奪われて、
「させられ体験」に至る。
こうした形の自由意志の喪失感は、最も甚だしいもので「させられ体験」となり、薄い形では、「強迫性体験」ともなり、さらには「自生思考」ともなるだろう。
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マインド・タイム 脳と意識の時間
ベンジャミン・リベット/〔著〕 下条信輔/訳
という本がある。
少しだけ紹介すると、
大脳の誘発電位と随意的運動の研究から見出したのは
脳からは随意運動の意思決定の時間よりも前に運動準備電位が観察されるこれは、ある運動を行おうと意思決定(を意識)した0.35秒前に大脳より運動準備電位が検出されるということだ。つまり、私が動作の意思決定を自覚した時には、すでに0.35秒も前に脳が動作の準備を始めていて、動作は「決定事項」となっているのだ。
「意識」がスタートするには、こと(刺激や運動の決定)が起こってから(膨大な情報を処理して「意識」が認知できるレベルにダウンサイジングするのに)約0.5秒ほど時間がかかるにも関わらず、それを全く自覚させないように「意識」がチューンアップ(というかチューンダウン)されている。
そして、私たちは、自分の「意識」こそが「自分」であり、「自由意思」で「自己決定」していると思っているが、その全て(またはそのほとんど)が、脳というシステムが見せている錯覚である可能性があることを示唆している。
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わたしはこの「自由意志」は「脳というシステムが見せている錯覚」であるという説に賛成である。しかしかなり前の実験でもあり、リベット氏の解釈は余り詳しく検討していない。
問題は、それが錯覚だといってみても、世界は何も変わらない点である。
自意識と無意識
自意識は錯覚であって
無意識が決定した事項についていちいち能動性を生成して感覚しているに過ぎない
そしてその能動性が壊れるととても苦しいと感覚するようにできている
従ってフロイトのいうように
無意識の欲求を意識が蓋をして抑圧しているというモデルではないことになる。
無意識内部での二つの欲求の葛藤が生じ、その結果を自意識は受け取るだけである。
道徳とか合理性とかを無意識に対立したものとしてみたり、
原始的欲求を無意識の働きと見たりするのは
多分違うのではないかと予想する。
自意識がなくても倫理観や合理的判断に相当するものは存在するのではないだろうか。
大昔のうつと現代のうつ
多分、だいたいが自然に治っていたのだろうと思われる。
現代では労働もきついし、心理的にもかなりストレスがきついので、
うつ病で自殺してしまうこともある。
何がストレスなのかといえば
慢性継続性で反復性のストレス。
そして慢性の時間不足。
テレビも、ネットも、ゲームも、酒飲みも、デートも、ゴルフも、その他いろいろやっていると
一日24時間ではとても足りない。
寝不足になって過労になっていつでも眠くて疲れている。
新聞もテレビも、世界中の悲惨な事件を毎日伝える。
携帯やネットではいじめが頻繁である。
会社では陰湿なパワハラもある。
参るはずだ。
大昔は夜になれば眠れたはずだし
仕事が忙しいといっても農業で疲れれば夜は寝たものだろうと思う。
ドーパミンとセロトニンのケミストリー
ドーパミン。これから代謝されて、→ノルアドレナリン→アドレナリンという経路になる。(カテコールアミン)
セロトニン。これはトリプトファンから代謝される。(インドールアミン)
ヒスタミン。痒みになる。抗ヒスタミン剤はかゆみ止め、昔の抗アレルギー剤、また眠くなるので睡眠の補助。