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メディア・リテラシー

テレビや新聞、インターネットで接する情報の質を見分ける能力は
ますます必要になっている

テレビや新聞が国民に何か大切な判断のもとになる材料を与えているはずはなく、
ただ教育しているだけである。
洗脳と言っていいものだ。

それをどんな風にしたら、冷静に真実を見分けることができるのだろう。

一つには、テレビの制作現場を放送する番組があればいいのではないかと思う。
企画、制作の現場を生放送して、
最終的な放送場面も、テレビカメラも照明も、ディレクターも、プロデューサーも、ADさんも、なんでも生放送すればいいと思う。

ドラマでも、その制作の現場を生中継すれば、とてもおもしろいと思う。

各方面から「要望」があって、徐々に真実がねじ曲げられるプロセスを、そのままに映し出して流せばいいのだと思う。
そこから何を読み取ろうと、各人の勝手である。
つまり、できる限り、「編集権」を排除することである。

新聞もその方式がいい。つまり、新聞社のすべてをテレビカメラで生放送する。

どのようなプロセスで新聞記事ができているか、生放送するのである。

最近は食品も、原材料とか生産者を細かに表示しているではないか。
新聞もテレビも、制作現場のすべてを生放送にして、見られるようにすればいいのだ。
たくさんのテレビカメラを常時設置しておいて、
視聴者が好きなテレビカメラを見て音が聞けるようにすればいい。

メディア・リテラシーをいうときは、
そのような、制作の奥の風景が浮かんでこないことには、
リテラシーなんて実現しようがないのだと思う。

政府高官がオフレコで記者団と話している内容が何であるか、
国民は知る権利がないのだろうか。

国民は何を知るべきか、誰がどんな基準で決めているのか、
全く歪んでいる。

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石切の 鑿(のみ)冷したる 清水かな   蕪村

石切の 鑿冷したる 清水かな   蕪村

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急がずば ぬれざらましを 旅人の あとよりはるる 野路の村雨 太田道灌

急がずば ぬれざらましを 旅人の あとよりはるる 野路の村雨 太田道灌

急がないで待っていれば 雨は上がって旅人は濡れなかっただろう

待てないのが若者というもので
濡れてしまうのが若者というものだ
老人にはもどかしいだろう
しかしそれでいい

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日本映画 阿修羅城の瞳

宮沢りえと市川染五郎、
いいねえ、和風絵巻物だ、染五郎!
2005年作

あやかしもの
鶴屋南北も絡んで
http://www.youtube.com/watch?v=A4LfSQVQhGc&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=w0gkl_8CgvY&feature=related

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目黒川的櫻景色

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疲れ果ててこころがしおれている

疲れてしまい
風呂に入る元気もない

風呂は好きだけれど
入る元気がない

この鉛のような疲れを
どうすればいいんだ

と思っているうちにスーツを着たままで寝てしまい
午前3時に首のあたりに汗をかいて目が覚める

東京の夜こそかなし
疲れ果てて
こころがしおれている
東京の夜こそかなし

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ブッダの言葉の背景

ブッダの言葉には特有の香りがある
何だろうかと思って考えると
離人症の感覚に近似しているのではないかと感じた

離人症の感覚とは何かといえば
これはまた大問題で説明しにくいし定義しにくいのだが

離人症の感覚と普通の感覚を比較するとして、
普通の感覚の世界に住む人が離人症の感覚の中に入れられると、
それは耐え難い苦しみであり、
その苦しみゆえに自殺しようとまで思うくらいなのだ。

逆に、離人症の感覚から普通の感覚の世界を見るとして、
それは何となくブッダの言葉に似た部分が出てるのではないかと思う。

ブッダの言葉の中に離人症の感覚が
紛れ込んでいるというのではなく、
悟りといったような高度の認識に至った人からみれば、
この世界に関しての普通の認識というものも相対化されて、
結果として、離人的な感覚で眺めたのと似る部分があるのではないかと思うのだ。

サルトルが樹の根を見て吐き気がするという時、
やはり似た感覚があるのではないか。

通常われわれがどっぷりと浸かりきっている意味の平面の網の目の中から、
垂直方向に抜け出て、その平面を眺める時の感覚である。

時間の外側に視点を置くといったら近いかもしれない。
もちろん時間の外側に存在できるわけではない。
時間の内側にしか存在できない。
しかしながら、時間の外側に視点を置くことならできないことではないと思う。

感覚できるかどうかは難しいが
四次元の球を考えることができるようなものだ。

悟りということと離人的感覚とは一致しないと思う。
それでも何か香りが似ていると感じる。



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夢の中でだけあなたに会える私は

夢の中でだけあなたに会える私は
夢の中でだけあなたに会う

夢の中でこんなにも劇的にあなたに会う

*****
こんな夢を忘れたくないので
記録しておく

それにしてもどうして夢は忘れて
現実は忘れないのだろう

不思議なことだ

夢を必然的に忘れるメカニズムがあるのだと思う

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オバマ失望論

盛り上がった分だけ
失望のインパクトも強いらしくて
早速オバマ失望論がそこここで論じられている

希望と失望のサイクルも速くなっていると思う

皆さんオバマという人をよく知らず
その背景にうごめく人脈もよく知らず
熱狂してましたよね
との論がいろいろ

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将来に希望が持てない

未来に希望が持てないと語る人は多くいて
ひとつは哲学的な問題で原理的なこと
もうひとつは世相に関係したことで
現在は大不況の中にあるので将来に希望が持てないとの感想は多い

実際に将来に希望は持てるのだと
力強く言ってあげたいけれど
どうなんだろう

生きていればどうにかなるとは思っているが

希望というと何か明るい未来を前提にしているようだけれど
ただこの世界を眺めてみるという目的に切り替えたらどうだろう
この世に見物に来たのだという気分

人生劇場の観客になればそれで充分

立派な参加者にならなくていいし
ましてや幸福な参加者にならなくてもいい

幸福を比較的幸福のことととらえるならば
全員が幸福になるはずはないのであって
そんなことを思い続けるだけ無駄というものだ

比較幸福で言うなら
鎌倉時代の人間の生活との比較で考えたらどうだろう
どう見ても現代人の方が少しは幸せではないだろうか



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赤ん坊の体はぴちぴち

赤ん坊の体はどこもかしこもぴちぴちだ

いったん大きくなって縮んだりするとしなびた部分が分かるようになる

25歳くらいの時に
28歳くらいの女性の膝の様子を見て
30も近くなると萎びてくるのかと思ったことが印象に残っていて
いまとなってはそんなことは少しも思わないのだから
印象というものは意味がないものと思う

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