結婚式関連の費用
嫁婿どちらがどのように負担するのか、意見が食い違うこともあるらしい。
地域とか社会階層とか、貧富とか、見栄とか、いろいろとある。
企画が上手ければ黒字にもできるわけだけれど、たいていは赤字という。
参加者の人数とお祝儀を計算して、比例して両家に配分するのも合理的と言えば合理的だが
それだけではすまないところもある。
女性の方が衣装代はかかりそう。
男性の客の方がお酒は飲みそう。
わたしならせっかくの場所だしお祝いムードなので
独身時代品決算処分のオークションを行う
またトトカルチョを企画してその胴元になり一儲けする
第一子の命名権をオークションする(多分おじいちゃんなどが意地になって値段をつり上げる)
など
その前の仕込みとして、おじいちゃんの考える式場と様式で孫たちの結婚式をやりたいが、
自由にやる権利というものを確保するためにおじいちゃんに出資して欲しいなどと言ったら
どうだろう
自分の娘の時には業者に儲けさせておかないで
一儲けさせてもらうつもりだ
最初からあちらの意見ばかり聞いてあげていたら後々思いやられるという話もあり
適当な妥協線はどこなのかむつかしい
よくあるのは
最初から婿の母親が強力で
「わたしの王子様」という雰囲気だという
お姉ちゃんがいて嫁いでいるから
娘の側の気持ちも分かるはずというのだが
息子の結婚となると記憶はすべてなくなっているらしい
現代ではそれぞれの事情でそれぞれの分配になるのだろうが
結婚の最初からまずい問題が横たわっているといわざるを得ない
経済的に余裕があればそれはそれでいいようにも思うが
金銭の問題ではなく心理の問題になるので
余計に妥協が難しく
こじれてしまう要素がある
それに一度だけのことなので双方いつまでも覚えている
後に離婚訴訟になれば
そもそもあのときからすでに気に入らなかったと蒸し返すもので
意外なことに両家ではそのときの領収書を大切に保管していたりするものだ
こんなこともこじれて初めて分かる浅ましさである
そうならないように気をつけることだけれど
はっきり言って譲り合うしかない
そしてなるべく早く親から離れることだ
親子は垂直関係
夫婦は水平関係で
別のものだ
婿は自分の親を
嫁は自分の親を
しっかり抑える必要がある
だいたい多いのは
婿が「俺だって自分の親に言いにくいところを精一杯やっているんだ、どうして分かってくれないかな」と
いきなり甘えモードになってしまうこと
これははっきり言って嫁に母親になれと言っているだけで
明らかな危険信号だと思われる
どうして分かってくれないか?
分かってもらう努力が足りないのではないかと思うのですが。
夫婦というものはいつまでもどこまでも努力です。
美しい夫婦は物語の中だけ。
現実は地雷です。
雌雄を決する
雌雄を決すると言ってもだいたいは雌雄は最初から決まっているし
勝負して強い方が雌雄どっちということもないわけで
困ったものだ
負けた方は雌だというらしいがその背景にある思想がまずいし貧しい
訴訟戦略
自分の雇っている弁護士が頼りになるという印象を
依頼者が持つようにするための材料というものもないわけでもない
裁判官は余り重視しないと分かっていても
あえて提出して、依頼者には、効果的でしたねなどと説明しておく
くだらないことだが、
裁判の半分は、依頼者を説得して納得させることだ
依頼者が適当な程度に愚かであれば
むしろそのようにして依頼者の心理を操作するようになる
弁護士の心理学である
インセンティブ
勝ったらどんないいことがあるか
オリンピックの野球で金メダルだった韓国は兵役免除というインセンティブがあったと伝えられている
もちろんそれ以外にもあれこれ
アメリカ人選手のインセンティブはあまりなかっただろう
別に、どっちでもいいじゃないかという程度
日本人としては
ここで名前を売っておけば
メジャーリーグに移籍するときの値段を高くできる
かつての松坂のように
当然イチローのインセンティブと
ダルビッシュ、岩隈、青木らのインセンティブには違いがある。
イチローはもうすべてを手に入れていて、
上手くやらないと失うばかりだから、かなり手強い勝負だったはずだろう。
伝説に傷をつけないためには、と少しは考えたかもしれない。
韓国選手も多分メジャー移籍の値段がちらついていただろう。
ところで、韓国美人と日本美人と、どちらかがご褒美に出るとして、
どちらがやる気が出るかな。
そんなにがっかりするのか?
そんなにがっかりするのかというくらいがっかりしている人がいて
わたしは驚く
たかが野球だし、あなたには何の不利益もないし、人生に影響もないし、心の傷にもならないでしょう、
不思議なことだ。
一種のなりきりなんでしょうね。
このような人が、本当に人生の一大不幸に遭遇したらどうなってしまうのだろうと心配。
*****
優勝した選手は、
子どもに野球をやって欲しいなどと言っている。
まあ、野球もいいが、日本人なら、勉強が先だろうな。
野球なんて、貧しい人々からの収奪の積み重ねの上に成立している、商業スポーツなんだから。
かなり広い場所で、かなりたくさんの人が、
自然にはあり得ない道具を使い、それで初めて成立する。
そのような一種の贅沢が成立している一方で、
誰が貧乏に泣いているか、
心が痛まないか。
貧しく死んでいく子どもたちに野球を勧めるか?
普通は水と食料と教育と仕事だろう。
*****
だいたい、審判がいて、ボールとストライクを判定し、アウトとセーフを判定するなんて、
もうあり得ないスポーツである。
100メートル先にある獲物を先に捕るのがスポーツじゃないだろうか。
*****
人間と人間が競い合う競技というものも、
遠い将来は、野蛮かつ人間性を傷つけるということで、禁止になるかもしれない。
たくさん耕して、たくさん収穫するとか、それがよい競技ではないか。
人のものを取るなんていい競技ではない。
ましてや野球は野村流などもあるわけで、スポーツなのか何なのか怪しい。
最近は相撲の横綱みたいな選手が増えている。
平たく言う
何も新しい発見がないのに
新しい名前と新しい概念をねつ造して話をどんどんややこしくしているのはいかがかと思う。
平たく言えば言えるじゃないかと思うのだが。
学術分野でもそうだし、
経済では新聞記事にまでどんどん新しい頭文字用語が乱発されて、
それがどんどん理解を遠くしてしまっているような気がする。
実際に数学や工学の専門家が関わって金融工学という分野になっているわけだが
平たく言えないものか。
学術分野では新概念の提案があっても
その有用性については
結局政治的産物でしかない。
2、3年もたつとまた新しい概念に取って代わられている。
検索しても引っかからないので
用語が安定しないのはよくないと思うが。
無意識の行動と意識的な行動について
無意識の行動があって、防衛規制があって、そして意識的合理的行動があって、という図式になる。
私の考えは少し違っていて、
無意識の行動だけがある。
それを解釈して、「意識的行動だ」とか「無意識のうちにやってしまった」とか、後付で感じているだけだと思う。
だから意識の領域で自覚をはっきりと持ち、無意識領域の行動を訂正しようというのは
どだい無理な話だと思う。
そうではなくて、オペレーションは直接無意識の行動領域そのものに向けられるべきである。
意識的に行動を正そうと考えているときも、
それは無意識領域の訂正になっているので、
結果として、行動が訂正できる。
その意味では、厳密に言うと、認知を訂正することではなくて、
行動を訂正することが友好である。
認知は行動の後付解釈でしかないからだ。
とても広く了解を得られる話ではないし、細かい説明が必要な話で、
まず用語の混乱から説明しないと行けないようなもので、
面倒なので書きっぱなしにしてしまうけれど、
とりあえず、そんな感じで考えている。
*****
要するにメイン・ルートは刺激→処理→行動である。
ここに副次的に主観的意識が発生して、
能動性が副次的に・錯覚的に生じている。
だから、その錯覚を訂正しても、行動は訂正できない。
行動は訂正する必要がなくて、それについての考えだけが間違っているときは、
認知を訂正するだけでいい。
しかしそれは主観的な苦しみにとどまる。
客観的なレベルでは障害はないわけだ。
病気としてもマイルドなことも多いけれど、たとえば、離人症状のように耐えがたい苦しみに至ることもある。
行動が間違っていて、認知が間違っているとき、
やはり行動そのものにアプローチすべきである。
普通言っている認知療法は結局は行動領域を訂正することになっているので有効なのである。
行動が間違っていて、認知が正しい場合と言えば、考えるのは少し難しいけれど、
まさに行動療法的な解決になる。
*****
こうして考えてみるとまさにここが心身問題である。
こころの問題を、それは身体(脳)の問題ですよねと言うならば、
また言葉の再定義から始めなければならないようなもので、
そんなことは誰か親切な人がやってくれそうな気がする。
世の中に おもひやれども 子を恋ふる おもひにまさる おもひなきかな 紀貫之
おもひ が三度も出ていて
おもしろいというか
おもしろくないというか
沢水に 空なる星の うつるかと 見ゆるは夜半の 蛍なりけり 藤原良経
蛍は実は何のことで……というような詮索は必要ない
平明な描写 こんなのもいい
西行は少し気持ちがしつこい
あはれにも みさをに燃ゆる 蛍かな 声立てつべき この世と思ふに 源俊頼
みさをに燃ゆる 平然と燃える 平気に燃える
声を立てて 苦しさを嘆きたいと思うこの世であるのに 蛍は 声も立てないで燃えているよ
ひとり暮らしと牛乳の味
1リットルパックの牛乳の味が
急激に落ちるような気がすることだ
パックを開けたては何となく牛乳の香りがしている
そのあと急激に風味が落ちるこまめに買えばいいのだけれど面倒
カルシウムと良質のタンパク質ということで一応牛乳は飲みたい
牛乳配達は今でもサービスがあって
お隣の人のところには配達が来ている
飲みたくなくなると
新聞みたいにたまってしまうのかと考えると怖い
片っ端からヨーグルトにしそうだ
積極的な減塩対策
WBC 日本二連覇 MVP松坂連続
何に相談しているのかな?
患者さんが薬の相談に来て
自分の場合にはどんな薬が良さそうかをまず聞く
そしてそれを持ち帰って何かで調べて
そのあと実際に飲むかどうか決めるという
*****
その場合、薬を選択して、飲むかどうか決めるという、命に関わる重要なことを、
なにを根拠として判断しているのだろうと、その先生は苦しんでいる。
何を根拠にして判断しているのだろう。
本を参考にするとすれば、もちろん専門家でなければ、どの本を見たらいいのかがまず難しい。
ネット情報では、どの情報が確かで新しいのか、判断が難しい。
身近な人がいるとして、その人を信用するのだろうか。
理解していなければ情報の評価は出来ないわけで、
たとえば、本の体裁がきれいだとか、ネットの画面がやさしくて親切な感じとか、
そのあたりが入り口になるのだろうか。
*****
というわけで、その先生はかなり絶望的。
説明の仕方が悪いのかなとぼやいている。
いろいろな要因があると思う。
分かってくれる人も確実にいるので、とりあえずはそれでいいじゃないかと思うが。
風流と風情
中世文藝の世界
のだそうです。
風流とは、わび・さびの対極にあるもので、
豪華で人目を驚かすもの。
余韻があるとか、かすかな情緒とか、そんなものではないという。こちらは風情。
ものが古びていって、はかなく、質素に、うつろになること。
VSRADとは
Voxel-based Spesific Regional analysis system for Alzheimer's Disease
ブイエスラッド
官僚支配
そもそも1881年に国会が創設されたのは、諸外国から相手にしてもらうためには、形だけでも国民が政治参加しているように見せかける必要があったからだった。国会は、形だけのものとして誕生した。政治家は市井から選出されたが、政治は、戊辰戦争に勝利した藩閥により採用された官僚が行うようになっていた。明治から敗戦まで、政治家は政治を自分たちのものとしようとよく戦ったが、しかし、お金まみれスキャンダルで失脚させられたり、暗殺されたりして、政治は一度も政治家ひいては国民のものとならないまま、戦争へ突入し、敗戦を迎え、GHQの占領後も官僚の支配は続き、戦後60年以上たった現在に至っている。
小沢氏が陥れられようとしているお金まみれスキャンダルとマスコミを使って政治生命を断つというのは、国会が創立されて以来の官僚の伝統芸で、そうして、官僚たちは、政治家へ政治を渡さないように官僚政治を守ってきた。言い換えれば、国民主権を封じ込めてきた。
*****
のだそうです。
そうは言っても官僚も
夜は銀座とか赤坂とかそこらで安い酒と脂肪のかたまりを流し込んで気の毒ではあります。
朝起きること SL広場古本市
もう仕事を辞めたくなっているが
仕事を辞めたら私の場合何もすることがなくなってしまうので
生きるために仕方なく仕事をしていて
そのために仕方なく朝起きている
朝やっくり寝ていて
仕事もせずに
充実した人生になるならそうしたいが
私には趣味もないし友達もいないし気晴らしもない
家族もいないし子どももいない
やりたいことは何もないし出来ることも何もない
仕事しかない
古い日本人はたいていそんなものではないかと思う
朝起きることが一日を長く使うコツだと最近は悟っている
私の場合夜更かしはよくあるがそのせいで朝寝てしまうと一日何も出来なくなってしまう
本を読んでもたいてい忘れているし
何か書いても質が悪い
そんなわけで新橋駅に着くとSL広場では古本市である
毎年、季節ごとに開かれていて、本の内容もさほど変化していないように思われる。
それなのに毎年開いているのは
多分客が毎年入れ替わっているからだろう
転勤や退職、入社で人が入れ替わるから
同じような本を出していてもそれなりに売れるのではないだろうか
むしろ毎年売れる本が今年も売れるという構造ではないかと思う
しかしこの寒さではゆっくり本を見つくろうこともできないだろう
春の嵐、梅雨時、9月の雨と、本当に悪いときにタイムリーに開かれているSL広場古本市
不幸への対処 進歩する
どうしても起こるもので
何とか対処しなくてはならない
不幸が引き続くとそれなりに対処が出来るようになってくる
まず現実的に対処できるかどうか、考える
人に相談する
だめなら、じっと待つ
待つ間につらかったら、気を紛らす
電車の中で必死に携帯電話をいじっている人が多いものだが
そのことで本質的な問題を考えないようにしているのだ
考えてみれば人生において本質的な問題があるのかどうかよく分からない
深く考えて生きても
ほとんど考えないで生きても
何も違いはないかもしれない
私の祖父はよく考える人だった
私の祖母はほとんどなにも考えない人だった
たぶん祖母の方が幸せな人生だった
本質的な問題が何かあるとして
それを解決できることは稀である
ただ待つことが出来るだけ
待つ間につらかったら忘れることが出来るだけ
そのうち死んでしまうから
問題は解決しなくても消滅してしまう
ざっとそんな事情だと飲み込んで
理性的に対処するのが得策である
おおむね不幸の原因は病気・怪我と他人である
病気・怪我の場合は分かりやすい
専門家に相談して解決できればそれでいいし
解決できなければ我慢して忘れるしかない
言葉で書くとたったこれだけであるが
発見も衝撃的だし
専門家のいうことを納得するにも抵抗があるし
解決できない場合に障害が残ったり死亡したりするのだから我慢して受け容れるというのも難しいのだけれど
とにかく言葉で言えばそういうことになる
我慢することや忘れることを助けるために宗教があるし様々な気散じがある
もう一つの不幸の種である他人についてはもっと複雑である
病気・怪我は回避できればそれでいいのであるが
他人というものは幸福をもたらす面と不幸をもたらす面との両面があり
人間は愚かだから幸福の面は享受したいと願い、
不幸の面は回避したいと願う、
しかし幸福と不幸は同時に一人の他人の中に含まれているのであって、
分離することは出来ない。
ハリネズミまたはヤマアラシの話で有名で
そばにいると暖かいのだけれど棘が刺さって痛いのだ
痛くない程度まで離れると今度は寒い
そのような構造であるから、
他人と接する場合、
この人が連れて来る幸福と不幸の内容をそれぞれ分別して
よく考えることだ。
100%幸福だけを連れて来る人は原理的にいないのだと知る必要がある
自分が不幸に弱いタイプだと思うならば
他人との距離を遠く保っておいた方がいい
自分は不幸が怖くて幸福を諦めることは出来ないとかんがえるならば
他人との距離を縮めてみればよい
書けばたったこれだけである
具体的なことは自分で考えるしかない
または天使に聞くしかない
コンパニオンさんに話しかけられ
パーティに行って、
やはりコンパニオンさんに話しかけられ、
精神療法的に対応しているのだった。
彼女らは、ほとんど女性で構成さされている派遣会社で、
携帯で連絡が来て、指定の日時に、
仕事をするかどうかを返事すればいいのだという。
その点では自分で自由にスケジュールを決めていい。
その人は4月には京都に花見で1ヶ月東京を留守にするというから、
宴会シーズンの東京の春には申し訳ないけれど、
こんな年があってもいいでしょうと言っていた。
秋には黄葉の京都を見て過ごしたとのことだった。
しかしあまり断っていれば、次の仕事が回ってこないから、
そこは上手にやらなければならない。
一応受けておいて、個人的に、別の人に回したりもする。
会社としてはそれでもかまわない。
別の個人ルートからの、そんな話を受けたりもする。
勤務時間も長くない。
宴会時間が近くなったら、
お化粧をして髪をセットして、
衣装ケースを抱えて、
ホテルの坂を登る。
それがわたしたち。
友達が、携帯も解約して、もとの住所には誰もいなくなって、
急に消えるんです。
ぜんぜん連絡がつかなくなる。
そして、また急に携帯番号を送ってよこして、
「帰ってきましたー!」なんていっているんです。
何ヶ月くらいかな。
心配するほうがばかばかしいと最近は思っているんですが、
彼女には彼女なりの悩みがあって、
悩みが限界になると、行方不明になるようです。
こういう人には何て言ってあげたらいいんでしょうか。
専門の人に相談したいと思っていました。
先生の新橋のクリニック行ってもいいですか?
第一ホテルの隣だったら、とても便利なんです。
わたしはホテルでの宴会のコンパニオンだから。
先日も第一ホテルでコンパニオンやったんですよ。
コンパニオンさんで患者さんいません?
旅行は京都のほかにも、国内が好き。
海外は、香港や台湾くらいで、もう決まったあたりしか行かないんです。
遠いのは面倒で。なじみの方がくつろげるんですよ。
友達同士で、日帰りなんかします。
スケジュールを一日だけあければいいわけだから。
いまは韓国も日帰りできるし、国内のイチゴ狩りとか好き。
りんご狩りはおなか一杯になっちゃいますね。
りんごはおなかがふくれちゃう。
わたしは都内で親と同居だから、お金はあまり関係なくて、
自分の旅費を貯めている程度です。
結構おもしろい仕事ですね、いろんな話を小耳に挟む感じで。
話というより、単語ですかね。
この人はそろそろ帰るぞとか、そんな言葉にアンテナを張っているんです。
頼まれるのは土曜日が多いな。
11,12月と、3,4月くらい。会社の何かの都合があるんでしょうね。
決算期とか、年度替りとか。
おもてなしの仕事だから、
いろいろとマニュアルがあって勉強するんですよ。
役に立ちます。
応用がいっぱいあって、楽しいんです。
どの業界はどんな感じとか、
まず偉い人からお酒やお食事をおすすめするんですけれど、
どの人が偉い人なのか、
きちんと見分けるとか。
その場を支配している人っているんですよ、
その周囲3人くらいに、差別なく、同時に、サービスする感じ。
間違えたらいけないコツがあるんです。
お料理も、順番があるし、肉や魚はお年によって量も加減して、
デザートは量が少ないので、少なめに早めに回します。
お酒の種類も量もちょっと難しい。
高いお酒をたくさん回してもいけないし。
男性は嫉妬心が強いから、
自分より優先されたと感じたくないんですね。
だから、何人かに、なんとなく同時にサービスして、
後回しにされたと感じないようにして、
笑顔も、なんとなく均等に分割するんですよ。
最近は、奥さんのほうが不倫しているらしいですね。
「別れてやる」とか騒いでいた女性が電車にいて、
聞くつもりはなかったんですが、不倫しているのはその人らしいんですよ。
ああこんな世の中なのかなと思いました。
わたしはおくてだからだめなんです、そんなことは。
会社も女性ばかりで、家に帰っても、家族がいて。
仕事に来ると年配の人ばかりでしよう。
バイアグラを処方しているんですか。
あの青い薬。
最初のころは、実は持ってるんだよとか、
結構話題にしていたようですね、みなさん。
パーティで結構盛り上がっていました。
実物を見せたりしていました。
女性としては、少し、目を伏せてという感じでした。
最近はもうあまり話題になっていないようです。
普通になったということなんですね。
時々眠れない日があって、
お酒を飲んだりします。
いけないんですってね。
もうすぐわたし きっと あなたをふりむかせる
微笑み見つめ合う 見覚えある二人
あのこが急になぜか きれいになったのは
あなたとこんなふうに 会ってるからなのね
好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと
もうすぐわたし きっと あなたをふりむかせる
まちぶせ 1976 三木聖子 1981 石川ひとみ
徳永さんの歌も
主な動因は嫉妬であるという事実
ライバルが人を動かす