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平均的であること

平均的であること
共通の体験を持つこと

そんなことを考えながら
桜の並木の下をたくさんの人の中の一人として歩いていた

靖国神社に行ってきました
すごい人でした
千鳥ヶ淵のあたりを自動車で一回りしてきましたが
大渋滞でした
などの話を聞いていたので
名所は避けて近所の毎年見かけるような桜を今年も見ておこうと思い
一人で散歩に出かける

おじいさんやおばあさんを連れて
桜の花を見せに来たらしい人たちがたくさんいる
子どもたちはこの地域は多くない

一休みしている人たちも
おばあさんに休んでもらって
またもう少ししたらあちらを眺めてこようなどと言って励ましている

子どもはありがたいものだと思う
その母親はきれいねえ、いい桜だねえなどといいながら
何だかもう半分椅子に座って眠っているようでもある

自然現象は結構ランダムな印象を持っているのだが
こうして桜が一斉に開花している様子を見ると
ランダムでもないような感じがする

法則に縛られた側面と個体差の側面をもう少し考え直してみる必要はあるのかもしれない
普段は普遍性は当然のものとして
その上での個体差をかなりクローズアップした診療をしているのだろうと思う
これが個別の治療だと思うからだ

しかしこのように一斉に開いた桜を見せられてしまうと
やはりいいようもなく
法則に縛られた存在であり
個体差もそこからのわずかの誤差でしかないと感じられて
すこし認識が改まる感じはする

*****
これまで当然だけれども桜の咲かない春はなかった
桜を見ない春もほとんどなかったような気がする
立ち止まって桜を眺めていたし写真に撮ったりビデオに収めたりしていた

大学や大学病院で仕事をしていた頃は当然桜がたくさんあった
そこを離れてもおおむね大規模な老舗の病院は敷地も広く桜の古樹があるようなのが普通だった

桜の並木がきれいな住宅街を通って通勤していた頃もある

そんな桜がないときにでも
一応写真でも撮ろうかと思ってカメラを持って一人で散歩に出かけたりしたものだ

春になったら桜を一応は見て
毎年同じだと思いつつも
やはり、ああこれが桜かと思い
何かの感慨を抱く
それは平均的で共有の体験である
そこから平均的な感想も生まれ共有の感情が生まれるのだろう

たとえば
去年は桜を見たのにもう今年はこの世にいない人を思い出す
もっと古い記憶と対照すれば
家族の年譜を思い出すことも多いだろう
年ごとの花見を思い出して感慨に耽る
写真が残っている場合も多いと思う

それもみな平均的な感想なのだと思うと不思議な感じもする
個人的な体験であるはずなのに
共有の体験であり
多くを語らずに通じ合うものである

*****
ちょうど桜の満開の陽に北朝鮮のミサイルが発射されて
結局日本に具体的な被害はなくて終わったようだった
しかし現実にまたもこのようなミサイル実験をされて、
しかも今回は迎撃するとかの騒ぎをずいぶん長い時間をかけて報道しており、
結局、ずさんな体制であることも報道された

今回は発射されたとの誤報が二度もあり
それに対しての各所での対応のまずさがそれぞれに違ったまずさであったとかで
記事になっていた

面白いと思ったのはある地方局で
発射されたとの知らせに接して緊急ニュースにしようとして失敗し
おかしいなと思っているうちに誤報であることが知らされ
まずいということで、さっきのは誤報でしたとニュースにしたが、それも流れず、
結局、発射も、誤報であった旨も、どちらも流れず、
結果としては、それでよかったらしいとのことだった

各地でおかしな反応がいろいろとあってまったく持って不手際であったことが露呈
防衛大臣が弁明していたらしい

海賊が出るから護衛しないといけないと言い
ミサイルが撃たれるから宇宙または領空の防衛が必要であると言い
日本は今後どのようにして世界の中で仕事をしていくのかの話ではなく
そのような方向の話に流れていくのは
何だかよくないだろうと思うけれど
考えてみれば
新聞やニュースで洪水のように流されて
何となくそんな感じに感情も判断も流されるのが人間というもので
それは桜が満開だと言われれば一応足を運んでみたくなる人間の心理と同じもので
どうしようもないだろうし
マスコミが操作しようとしているものは
平均温度何度になれば桜が咲くと言うくらい確実で法則的な部分を扱っているのであるから
かなりの部分で仕方がないことなのだと思う

人民の心がマスコミに支配されない状態を作るのは困難というもので
春になっても桜が咲かないようにすることに似ている
マスコミが人民の心を支配するのはそれは法則に座区する部分として仕方がないとして
ではそのマスコミをどのようにして支配するかをきちんと決めていかないといけないことになる

そこの部分を裏取引みたいに決められていたのでは
人民は救われようがない

*****
平均的でない人は
マスコミで何を言われても独自の鋭さで判断するものだろう

しかし平均的である人が大半であることは平均的であることの定義なのであるから
たいていの人が平均的であることは仕方がない




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雑誌における躁状態の程度について

ある人がため息をついて言う

私は今へこんでいるから
雑誌について行けない
雑誌の通りに洋服を買うと一回出かけるときに6万円もする
わたしはユニクロとイトーヨーカドーで今日の服は全部で一万円もかかっていない

今日の服はとにかくとして、
雑誌の世界というものは実に躁状態なのである。

例の頭の悪いDSM系で引用すると、
躁病エピソードの症状はこんなもの。

 1.自尊心の肥大、または誇大
 2.睡眠欲求の減少(たとえば、3時間眠っただけでよく休めたと感じる)
 3.普段より多弁であるか、喋りつづけようとする心迫
 4.観念奔逸(ほんいつ)、またはいくつもの考えが競い合っているという主観的な体験
 5.注意散漫(すなわち、注意があまりにも容易に、重要でない関係のない外的刺激に転導される)
 6.目標志向性の活動の増加、または精神運動性の焦燥
 7.まずい結果になる可能性の高い快楽的活動に熱中すること(例えば、制御のきかない買い漁り、性的無分別、馬鹿げた商売への投資などに専念すること)

これって、まるっきり、25ansとかoggiなどの誌面だろう。
Vogueなどはすこしはいいと思うが基本は同じ。

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このような分類があるが
躁状態の程度で並べても分類できるだろうと思う。
ポイントは似合わないものを平気で着る。

上の図のように分類するとすれば
同調性と自己愛性で平面を書いたらいいのではないか。
うぬぼれて同調性が高い人はシャネル。
うぬぼれて同調性が低い人は独自の少数派ブランド。
うぬぼれがなくて同調性が高い人はユニクロ。
うぬぼれがなくて同調性が低い人は古着。

わたしはポールスチュアートだから
うぬぼれて同調性が高いタイプ。

*****
一般に結婚式では躁状態にならないとつじつまが合わないので
みんな躁状態を演じるのであるが、
あとの虚脱は覚悟しておいた方がいい

通帳は見ないこと
あるいは親にお願いすること

ゼクシィの躁状態度はかなり高い

結婚式場の担当者は疲れると漏らしている
お祝い事だからいいのだけれど
皆さん相当躁状態になっていて
ときにはかりかりしていて
ときには自己愛の肥大を見せつけるのでなかなか大変

お似合いですよ
とってもすてきですよ
と作り笑顔で言う女になる
そのとき彼女は何も考えていないし何も見ていない

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何もない空間で何もない時間を生きてみること

久しぶりにというのもおかしいが
懐かしい一太郎の、しかし最新バージョンで文章を書いている。
心地よい。やはり慣れの問題なのだと思う。
エディタ画面がついていて私にはこれが一番いい。

事情があってATOKのディスクがなくなってしまい、
今回は最新版を入れ直した。
何という快速快適変換。
ふるさとの心地よさの感覚である。
昔あの場所で必死に何か入力していたことを思い出す。
当直の夜は何もすることにないし、
比較的集中できるのでパソコンをよくいじっていた。

家にいるとあれこれありすぎて集中できないのだと思う。
何もない空間で何もない時間を生きてみることが大切なのではないか。



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『経済は一流』作戦

大田弘子。
経済財政分析担当大臣としているものもあり、経済財政担当相としているものもある。
「日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではなくなった」と国会で発言。

私としては、竹中さんに続いて、アメリカ人であることが分かった、と評価している。

新聞記事によれば、直接には、
2006年の世界の総所得に占める日本の割合は24年ぶりに10%を割り、
1人あたり国内総生産(GDP)は、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で18位に低下した
ことなどを根拠としているらしい。

国民としては、そんな順位は気にしていない。
日本国憲法にも、人間の尊厳は書いてあるが、国際比較は書いていない。
18位でも何位でも幸せになれるに決まっている。
耕す国土はあり、江戸時代からの生活文化の記憶もある。
ましてや平安貴族文学の伝統がある。

まあ、そんなことを言いつつも、マクロ指標も無視できない。
最低、ギリシャに負けるなとだけ言っておこう。
ユーロの中の、ギリシャみたいな位置がいいだろう。

誰とも付き合わなければ、日本という国について考えることもないけれど、
外国に出れば、やはり、国というまとまりで考えたりする。
がんがん来ている国がある中で、
国としてこれでいいのかと不安にもなる。取り残される不安。

アメリカの公共事業としての戦争に適当に付き合えというのも
まあいいけれど、
日本の利益だって少しは考えてほしいものだ。
昔は、アメリカのミサイルにテレビカメラがついていて、
百発百中とか言って喜んでいて、
その部品にはソニーマークが入っていたりした。
最近はどうか知らないが、ソニー自体がサムスンから買っていたりしたのだから、
多分、その関係ではあまり儲かっていないのではないか。
戦争に便乗しろという話ではなくて、
ハイテクやエコ分野で生き残れるかという話だ。

京都議定書にしても、それを積極的に考えて、
「ハイテク競争を仕掛けてひとり勝ちする」くらいの勢いならいいけれど、
そうでもないようで、オイルショック以降、もう日本は充分にエコ努力しているから、
現在を出発点にして比較するのは不利だとか言っている。
それはアメリカの言い分にすぎないのであって、
日本の技術を高い金で買わざるを得ないくらいの高いハードルにしてしまうのも、
一案だと思うのだが。

正直言って、増税なんかしなくても、インフレ誘導すれば、いいだけのことだ。
貨幣をたくさん印刷すればいいだけのことなのだ。
「それはどうか……」といっても、
よその国はそんな感じでイケイケなのだ。
これこそ、他国並みを実現したい。

普通に考えて、金利差がこれだけあると、
円で借りて、すぐに外貨に投資してしまう。
日本の不動産は外資に買い占められつつある。
日本の会社に設備投資する意欲はない。他に利回りのいい投資先があるから。

金利を上げて、インフレ気分にして、利回りのいい投資先にならなければならないが、
そのためには、「日本人が」日銀総裁になってほしい。いままでは多分、アメリカ人だった。
そして、財務省に「日本人に」なってほしい。
現在、アメリカ人である。

昔は、60億の人口を人類が養えるとはとても思わなかった。
現在実際に何か食べている。
天安門広場に集合していた自転車軍団がいまは自動車になっているのだ。
日本の戦後経済成長よりも早く、当時の日本の10個分のエネルギーが、うなりを上げている。
とても考えられないことだ。
しかし技術革新は早い。もっと早くなる。
適当に借金しても、将来は充分に返せるだろうと思う。
大正時代の1000万円がいまどれほどの価値であるか、考えてほしい。すぐに返せる。
一万円札を大量に印刷して、バイオとエコに集中投資し、
ぶらぶらしている若者の目を、
インセンティブでギラギラさせてしまおう。

公文式があるのだから。
文系理系をやめて、バイオ組(京大・大阪)とエコ組(トヨタ・名古屋)に分けて、
段階的に集中学習させる。
東京は金融と行政に特化。

経済は一流で、文化は超一流と言われたいものだ。
このまま悪くすると、グアム島やサイパンみたいな位置づけになる。
本当にギリシャだ。
バリ島みたいな観光で何人養えるか、数えてみたらいい。

英国が支配したインドの歴史を思い出す。
金利とインフレなど矛盾したことを書いているが、
デフレがそもそも矛盾したことだからだ。
技術革新に信頼を置いて、元気を出そうよと言いたい。

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君はもっと幸せになっていいよ

君はもっと幸せになっていいよ。
もっと幸せになれると信じて生きてごらんよ。

今の君が不幸せだとは思わない。
それは一種の幸せには違いない。

注意伝導の大きい、軽躁状態の、にぎやかさ。

いつ合格するか、いつ採用されるか、チャレンジしている時間というものは、
なかなか貴重だ。

*****
たくさんのことをしたの、ホテルの色彩設計とパジャマの選定までして、
すしも握れるし、マックでパンフレットも作れるし、余技がたくさん。

すし屋さんに入門したのは15歳のとき。

お楽しみのデパートだ。
一緒に飲んでいると、歌もある、料理も出る、踊りもあるし、似顔絵を描いたり、
演劇だってやっちゃう。恋人役を演技したりもできる。
そのひとつひとつに理由があり、解説があり、わけがあるのだ。

8丁目の店でたくさんもらったクリスマスプレゼントは
最近は質屋じゃなくて、オークション。

パチンコ屋入りびたりで少し難聴気味だって。
必勝法執筆中。

本も出したし、バンドでCDも出したし、自主映画だけれど主演もしたし、
美大出身だから絵も売れた。
オリジナルの歌を公募に出したらパクラレちゃったのは痛いけど、
まあ、いいよ。

歌詞の印税は結構おいしかった。一年くらいだったけど。

マックで会社のパンフレットを作って印刷所に回すのが、
まあ本職らしい本職。

10年かけて、何かを育てる。そんな態度で人生に向き合ってみたいわ。

いままでは「ひらめき」人生だった。
これからは「育てる」「熟成させる」人生にしよう。
愛でも、音楽でもいい。

一番やりたいのは、いまなら、音楽かな。
とにかく、わたしは「表現者」でいたいのよ。それだけなんだ。
ジャンルとか、そのときそのときの都合であるだけなんだ。
私絵描きとか、わたし映画監督とか、意味のない区別だな。

最近は、歌のうまいかわいい子なんか結構多いから、
その企画の側に回ってもいいと思ってる。
どうなるんだか、とにかく来週もオーディション受けるけど。
せりふ、入るかな、なんとかしよっと。

*****
彼を大事にして、
二人分の幸せを考えてごらん。



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朝日新聞書評欄 アサヒ芸能記者

朝日新聞書評欄で、
「読み返すたびに蘇る衝撃的な感動」との言葉が見出しになっている。
広告ではなくて、記事ですよ。
アサヒ芸能の記者が一部紛れ込んでいるらしい。
紙面は妥協の産物だから、
仕方なく載せているのだろうが、困ったものだ。

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