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常盤なす かくしもがもと 思へども 世の事理なれば 留みかねつる 山上憶良

常盤なす かくしもがもと 思へども 世の事理なれば 留みかねつる 山上憶良

(ときわなす かくしもがもと おもえども よのことなれば とどみかねつる)

意味・・常磐のようにいつまでも若いままでありたいと
    思うが、老いや死は人の世の定めなので、留め
    たくとも留められない。

    この歌の前に長歌で次のようなことが歌われて
    います。
    この世の中で何ともする事が出来ないのは歳月
    が遠慮なく流れ去って行く事だ。
    勇ましい若者たちが男らしく馬に乗って獣を追
    いまわしていた、その楽しい人生がいつまで続
    いたであろうか。
    いつの間にやら握り杖を腰にあてがうがうよう
    になり、よぼよぼとあっちに行けば人にいやが
    られ、こっちに行けば人に嫌われ、老人になる
    のはつらいものだ。
    それでも長生きしたいと思うものの施すすべが
    ないものだ。

 注・・常盤=大きな岩のように長い間変わらない事。
       木の葉が年中緑であること、常緑。
    かく=斯く、このように。
    世の事理=世は生涯、寿命。事理は物事の筋道。
      人は年老いてやがて死ぬという定め。

*****
なるほどね。
解説を読むのもつらい。
だけどそれが真実である。
ちっょとの間なんだから我慢してみようよ。


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生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな 大伴旅人

生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間は 楽しくをあらな 大伴旅人

(いけるもの ついにもしぬる ものにあれば このよに あるまは たのしくをあらな)

生きる者はいずれ死ぬのだから、この世
に生きている間は酒を飲んで楽しく過ご
したいものだ。

題意は「酒を讃(ほ)める歌」です。
作歌動機は大宰府に伴った妻と死別して
悲嘆と失望にあり、酒でまぎらわせよう
としたものです。 

*****
失望はいろいろとある
死ぬ必要はない
なんとかなる
なんとかしよう


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慰むる 心はなしに 雲隠り 鳴き行く鳥の 音のみし泣かゆ

慰むる 心はなしに 雲隠り 鳴き行く鳥の 音のみし泣かゆ 山上憶良

(なぐさむる こころはなしに くもがくり なきゆくとりの ねのみしなかゆ)

    あれこれと思い悩んで気が晴れることもなく、
    雲に隠れて飛んで行く鳥が声高く鳴くように
    私も声をあげて泣きたくなって来る。

    「年老いた身に病気を加え、長年苦しみながら
    子供を思う歌」という題で詠まれたものです。

    この歌の前に状況を説明した長歌があります。

    この世に生きてある限りは無事平穏でありたい
    し、障害も不幸もなく過ごしたいのに、世の中
    の憂鬱で辛い事は、ひどい傷に塩を振り掛ける
    というように、ひどく重い馬荷に上荷をどっさ
    り重ね載せるように、老いたわが身の上に病魔
    まで背負わされている有様なので、昼は昼で嘆
    き暮らし、夜は夜でため息をついて明かし、年
    久しく病み続けたので、幾月も愚痴ったりうめ
    いたりして、いっそうのこと死んでしまいたい
    と思うけれど、真夏の蝿のように騒ぎ廻る子供
    たちを放ったらかして死ぬことも出来ず、じっ
    と子供を見つめていると、逆に生の思いが燃え
    立って来る。こうして、あれやこれやと思い悩
    んで、泣けて泣けて仕方がない。

山上憶良は珍しくパーソナルな悲しみを歌う人だった




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「紅旗征戎吾が事に非ず」

「紅旗征戎吾が事に非ず」
『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の撰者・藤原定家(1162-1241)
日記「明月記」の一節「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事二非ズ」
時代は源平合戦のころ。平清盛が栄華を極める一方、源頼朝が挙兵した年。彼は19歳。
世情が騒然としても、自分は和歌の道に生きる

紅旗、朝廷の旗(平氏の紅旗と解する場合もある)による、
征戎、朝敵の征伐など、私は知ったことではない、という定家の宣言。

堀田善衛『定家明月記私抄』、『定家明月記私抄(続編)』が有名。

清盛、頼朝、義経、崇徳、後白河、後鳥羽、西行、その他いろいろな人たちと定家が同じ時代に生きていたという事実。
改めておもしろい。

あついら、同期なの?
という驚き。


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花の降る午後

虚しさといえば虚しい

桜は満開で今散り始めているのだが
そのことも
この世での愛しい人と
別れの言葉もなく別れるような
そんな感覚だ

昔から
でくの坊みたいに
気の利かない様子で生きてきた
別れだというのにたいした別れの言葉も出ないし涙も出ないくらいだ

こころのなかで
あーあとは思っている
口であーあと言うわけにも行かないので黙っている
するとでくの坊になる

京都の桜の写真を見ていたらJR東海のコマーシャルのシリーズが出て来て
並べて見ると
実にそれはわたしが生きてきた時間そのもので
たったこれだけのものであったかとも思い
なおさら沈む

だいたいどの時期も何かに熱中していたことは確かであって
そのことに悔いはない
もっといい人生の先輩がいてくれれば
また違った人生になっただろうとは思うが
私の人生の先輩たちはこのような先輩たちで
そのような顔ぶれになったのも必然があるのだろう

紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾が事(こと)に非(あら)ず
というが、まあ、そんなところだろう

花のしずしずと散る午後と
書こうとしたのだが

ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ 紀友則

の歌を思い出すと
やはり音もなく散るのかと思い
花の降る午後というタイトルの小説を思い出した

花の降る午後
それが今日だ

たったそれだけの景色を残しただけで
人生は終わるのである

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JR東海春

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JR東海冬2

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JR東海冬

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JR東海夏

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JR東海 秋2

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JR東海 秋

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コラージュ的なものとは

シャガールの絵をコラージュ的なものと考えてよいと思うが、
それを言葉でいうなら、

時間と空間の物理学からの自由。
人間の内部にあるイメージ同士、概念同士、イメージと概念の関連について、
潜在している状態のものを顕在化させる。

くらいでどうだろう。

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品川のホテルにて

横須賀線の端っこの駅に私は住んでいて、
娘はまだ小学生、
夫とは離婚して長いあいだ連絡がなかった。

週の真ん中を一日休みにして、
カズタケと品川のホテルで会った。
カズタケは営業で外回りだから、都合をつけて休みにしていた。
私はサングラスをかけて、いつもと違う下着をつけて、電車に乗る。
チクチクして気持ちよかった。

到着するまでに私は、母親でなくなり、女医であることもやめ、
むき出しのままの葉子になる。
わたしは彼の前で、「本性のままの女と彼が思う女」を演じた。
その演技を私は気に入った。
露悪的な気分になり、ホテルのベッドメイクの係に、
紫のため息をつかせてやりたいと思っていた。

だんだんエスカレートして、
ベッドメイクを実際困らせたと思うが、
そんなことは私の知ったことではない。
ただ「没入すること」それだけが目的になった。

テニスも数年間、別の習い事も付き合いだったが数年間、
しかしそんなものは代理の気晴らしに過ぎなかった。
人生の本当の時間がそこにはあった。
「愛」というのとも少し手触りが違う。
何かもっと自分本位なものだった。
自分が生きていくのに必要な行為、そして時間だった。

不思議なことに行為に向けてわたしはとても冷静に乱れ始め、
行為に没入し、行為のあとでとても優美に振る舞うことができた。
「さっきの自分は何だったのだろうと、女は思うものだ」と彼は考えていて、
その通りに私は演じていた。

彼にその頃の自分がどう映っていたのか、
聞きたい気もするが、いまはもう接触しない方がいいと分かっている。
私には失いたくないものがたくさんできた。
私は最後に優美だっただろうか、いまはそれがが聞きたいのだった。

行為のバリエーションはいろんなメディアで目にして耳にしていた。
私は研究するようにしていた。
そのような行為をするとして、私ならどんな表情で、どんな声を出して、
どんなタイミングで、しかしそのタイミングをもっと延ばしてみた場合に、
どこがどんなふうになりそうか、
そしてそれは回を重ねるごとにどうなってしまうのか、
考え続けた。

私は自分の性的欲望のピークがその時にあったと、
はっきり思い出すことができる。
それ以前も、それ以後も、そんなにはできなかった。
それはやはりかわいい少女であり、まっとうな妻であり、娘を嫁がせた母であり、
常識のある社会人である、
そんな「属性」が、私の艶を消してしまっていたのだと思う。
「性的存在」、若い頃自分がそのような一時期を人生の中で持つなどとは思っていなかった。
そしてそのピークを過ぎたいまでは、そんな時間があったなどとは、信じられない。

私たちがしばしば過ごしたホテルの喫茶店を使うことがあるが、
いまも男と女はこの中で不思議な時間を持っているのだと、
改めて強く思うことがある。
春、桜の季節に強くそう思うのかもしれない。



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ホテルの庭でお花見の席

プリンスホテルの中に、
お花見用宴会席もできています。
まだちょっと早かったな、なんて言ってました。
さくらタワーの近く、ステーキ桂のあたりです。



お堂にはありがたいご本尊様。


見あげると月。ありがたい。


最近は高輪あたりのホテルの庭を歩くと、
プリンス系もバシフィックホテルも、
「中華ラーメンのシナチクみたいな臭い」が立ちこめています。
本当にレストランからの臭いとも思えないくらい広範囲ににおいます。
消毒薬か何かなのでしょうか、分かりません。
この区域は東南アジアからのお客さんも多いので、
新型インフルエンザや新型ウィルス感染症の危険地域なのではないでしょうか。
それにしても、何の臭いなんだろう。

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帰り道の花

帰り道にとりどりの花
そのひとつ
毎年同じ所に同じ花
人は年をとるけれど

これを むなしい とか 抑うつ とか
ダイレクトな言葉を使っていうのは
文学的才能がないから仕方がないけれど、
とにかく むなしくて仕方がない



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私は退屈している 宇宙にはもはや知的興奮がない

わたしは退屈している
宇宙にはもやは知的興奮がない

私は退屈し切っている
虫垂炎の傷跡が老化した肌に薄く薄く染みになっている

私は退屈して腐りそうだ
おおむね世界は予想通りに進行している

ただそれだけだ

知るべきものは知り
不可知は不可知のラベルを張り
整理も終わった
あとは静かなものだった

世間が騒がしくても
認識の静謐は保たれる
それとこれとは関係ない
次元が違う

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