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小沢問題と検察

これまでの経過を見ると
検察は小沢関係の事件を解決したいのではなくて
小沢を政権政党党首として潰したいのだと思える

検察が引き金を引いて
そのあとはマスコミがせっせと洪水のように情報を垂れ流し
自分たちの宣伝がどれだけ効果があったかを
世論調査の形でまた垂れ流す

自分たちの宣伝を自分たちで費用化しているのだから世話はない
結局電波の割り当てをしてもらっていて
参入不可能な独占企業だからできることだ

新聞にしても
すぐに全国紙ができるわけでもなく
既得権益の上に乗っている
何も知らない国民の代わりに俺たちが考えて
必要な部分だけ報道して導き
その結果を世論調査の形でまた選挙の形で検証しようというわけだ

これはうまくいかないと
マスコミというビジネスモデルの破綻であるから
譲るわけにはいかない

企業や政権党の注文があればその通りの数字を作り出さなければならない
そののために電波独占企業になっているわけだから

*****
それにしても
小沢は田中、竹下、金丸と検察とけんかしてきた歴史があるので
小沢が政権を取ると
まるで韓国の歴代元大統領のように
罪が暴露され、
組織の維持ができなくなるのではないかと
恐れているらしい

意地悪を言えば
そんなにすごいことなら一回やらせてみようじゃないかと
思ってしまう

いま、タイではタクシンと反タクシンとでデモ合戦になり大変なことになっているが
なるほど時に強権、時に報道操作、ときに国策操作、なんでもありで、
現状を維持するのも、
まあまあ、悪いことではないのだろう。

いま不幸な人たちがそのまま不幸なだけだから
特に問題はないと支配層は考えるだろう。

*****
こんなにも小さな問題で検察が攻撃してきたことを思えば
大きな問題は小沢周辺なになかったということだし
小沢は検察に関して特別の注意を払ってきたということでもあり
だからこそ
検察は怖いのだろう

検察は小沢が若いに応じればそれで手を打つはずだけれど
小沢が承知しないのだと思う

検察としては、なぜなんだ、
俺たちは田中、竹下、金丸をいじめたけれど、小沢を直接いじめたわけじゃないし、
小沢さえ手打ちしてくれれば、
今後は小沢と検察が組んでやっていけばいいだけじゃないか、
どうして小沢は検察に敵意を持つのか、
という回路で考えているのではないかと思う。

普通なら小沢もここまで来たら
手打ちをして、昔のことは昔のこと、
まず目の前の政権交代を検察にも認めてもらえばいいと思うだろうに、
小沢はそうではないらしい。

ハードディスク二重化の必要性

どうか皆さん
ハードディスクは壊れるものであること
そのときのためにハードディスクの情報を二重化しておくこと
専用のソフトを使ってもいいしRAIDでもいいが
月に一度決めた日に外部ハードディスクにコピーするだけでもいい

やったほうがいいってば
実際被害にあった人がいて
ハードディスク復旧会社の人に相談したら8万円といわれて
いろいろと交渉したら4万円にまでなって
まだ注文しないでそのままになっているという

空海の言う即身成仏

空海の言う即身成仏

大日如来と一体になることである

大日如来とは宇宙そのものであるから、つまり「自分が宇宙になる」ことが即身成仏である

この宇宙全体が、すべて自分にほかならないこと、
その意味で、宇宙にはただ一人自分しかないということ、
宇宙のすべてのことは、自分の中にあるものとして、完全にわかるという「全知」を持つこと、
それが密教でいう「法界体性智」の世界だ。

簡単な設問として、
自分は即身成仏したと勘違いしている人がいたらどうなるか?

ほとんど何も起こらない。
何の苦しみも起こらない。

それがすごいところだ。

宇宙の全体を認識するのは所詮この脳でしかない。
それ以外は知っているのかどうかも知り得ない部分があり
知るかどうかが問題ではないのだ。

人生の選択の仕方

いまから思い返してみると
人生の選択の仕方にはこつがあるように思う

要するに定期預金のようなもので
「満期」をいつに設定するかということが重要だと思う

比較的短期間のうちに小さな成功が欲しいか
比較的長い時間がかかってもいいから大きな成功が欲しいか
そこをよく考える

まず自分の親戚を見回してみて長生きしているかどうか見てみるといい
長生き家系だと思ったら
長い時間がかかってもいいから大きな成功を計画する
長生き家系でないと思ったら
短い時間で可能な小さな成功を狙う

*****
たとえば役人になって偉くなろうと思ったら
若い頃はいい思いは余りできない
じっと我慢である
その代わり年を取ってからいろいろと人にはできないことができる
権力というものは我慢した年寄りのものである

自分は手っ取り早くお金が欲しいと思ったらその道もいい
しかし年を取ってからはそれなりのばかばかしさを覚悟しないといけない
下らない役人の作った法律に縛られて不自由になる

アカデミックな世界でも
お金に縁のない世界に生きれば比較的
平和に生きられるけれど
何だかとてつもなく退屈な会議や義務的仕事がまとわりつく
誰がやってもいいような時間のかかる仕事を何となく押しつけられて
事務員に回せば予算がかかるし自分でやれば時間がかかる

まごまごしているうちに
何となく道が決まり
今さら方針変更はしたくてもできないところにまでいってしまう
それが大半の人の人生で
偶然と諦めである

*****
成功は偶然が作用する部分も大きいから
大きな成功をつかむには何度もトライすることも必要で
結果として時間がかかる

定期預金のようなもので使ってしまえば減ってしまう
使わないでいれば複利計算で大きく増えるけれど
使わないでいる間の幸せをどうやりくりするかが問題だ

その点では家が裕福だったりすれば
当面の小さな幸せは実家から供給してもらえるので
長期の大きな成功狙いができる
結果として裕福な家の子どもがさらに幸せになり裕福になる循環も生まれる

それはなんとも不合理なような神様の不公平なような気もするが
冷静になって
幸せと成功は少し違うと考えてみたらどうだろう

たとえばこの春の桜をどれだけ深く楽しめたかについては
お金も教養も余り関係はないだろう
そのような点では人生は案外と公平なものだと感じる

素直な心とかそんなものが人生では大事なのであって
ここでいう人生の基本設計などは実は余り問題ではない

しかし素直な心とか寛恕の心とかの大事さの次のクラスの大事さで
人生の成功があるとすれば
やはり正直な話、成功しないよりはした方がいいのであって、
何とかやりくりしたいと考えるものだろう

*****
困るのは
長い先の大きな成功を狙っていたのに早く死んでしまう場合と
短期間の小さな成功を狙って、実際に手にして、計画よりも長生きしてしまう場合だろう

早く死んでしまえばそれは何ともどうしようもない
社長確実といわれて早く死んでしまう人は少なからずいるものだ

早い時期に小さな成功を実現してしまいあとは何の計画もない人も
そのあとの人生は何となくつらい様子だ

これは複利で増える20年満期の定期預金の増え方と
3年定期の増え方とを比較するようなもので
圧倒的に違う

しかし3年後の1000万円がいいか
20年後の10億円がいいか
確実にどうとも言えない

確実なのは
5年以内に死ぬのなら3年定期にした方がいいし
30年生きるのなら20年定期にしてもいいということだ

5年くらいで死ぬだろうと思って
資産を使い果たして
まだ生きているとしたら
なんだか困るだろう

もう一度最初からと考えるのも
楽しいようでもあるが
大変なようでもある

*****
すばしこい人間ならば誰もやりたがらないようなつまらない仕事を
若いうちに引き受けるような人は
あとになって偉くなる

それはそれにふさわしい人徳があるのだとも言えるし
つまらない人間なのだとも言える

人間観の違いである

*****
ある人は人生の最初には
医者の子どもだった

いいことはあまりなかった
父は厳しい人だった
世間の常識からはずれていた

しかも早いうちに医者をやめてしまい
家は貧しく
さらに厳しいことになった

幸いなことに学校に行って
世間というものを知り
人間というものはもっとのんびりとした幸福なものであることを理解した
そうでなかったら
厳格なクリスチャンであった母親の影響で修道院に行き
しかし神父様などにはなれるはずもなく
下っ端の僧侶で終わっただろう

学校では何となく幸せに過ごして
自分も医者になった

忙しくて大変だと思っているうちに
医者の娘と結婚した
医者の子どもであることは実に幸せなものだと感じた

そのうち離婚した
今度は医者と結婚した
女医の夫であることは幸せではないと分かった
忙しいばかりだった

また離婚してまた結婚してこんどは子どもができた
彼から見て子どもが幸せだとはどうしても思えない
親であることが幸せだとも思えない

そんな人生
どこかで何かを間違えているのだと
方程式の結果を見てそう思うのだが
途中が複雑すぎてよく分からないままで放置している

医者の子ども、医者の義理の子ども、医者の夫、医者の元夫、自分が医者であること、
離婚経験のある医者、そういったそれぞれを経験し、
あとは子どもが医者になって、その結果幸せかどうか見れば
何となくフルコースのようだが
そんなことはもうどうでもいいと思う
どれもこれも幸せとは関係がないようだった

*****
幸せになる薬とか
幸せになれる漢方薬とか
そんなもののほうが手っ取り早いかもしれない

しかしそんなものはなく
ギャンブルとか
麻酔薬とか酒
そんなもので忘れるしかないのだろうと
いろいろな小説は教えているようでもある
もちろんギャンブルは大嫌いだし
麻酔薬で幸せになれるはずもないし醒めたときにどうするんだと先回りして考えてしまい
酒はもともと飲めないし
なんともどうしようもない

*****
というわけで
桜がしずしずと散っている
風もない
明日は満月だという

明日の夜よりも
明日の夜の幸せを想像している今夜の自分が幸せだと思う
変な自分である

『彼女の名はサビーヌ』 自閉症の妹

姉が自閉症の妹に贈る「映画」という「抱擁」

第60回カンヌ国際映画祭 ─ 監督週間で国際批評家連盟賞を受賞し、観た人全ての胸が締め付けられたという一本のドキュメンタリーが話題にのぼった。
『仕立て屋の恋』の主演などで知られるフランスを代表する女優サンドリーヌ・ボネールの監督デビュー作『彼女の名はサビーヌ』である。25年の歳月をかけて撮影された自閉症の妹 ─ その映像によって観客は、過去の生き生きとした若かりし頃の妹と、入院を経た現在の彼女の「変化」を容赦なく見せ付けられる。同時に、その「視点」は今も昔も変わることなく愛に満ち溢れた姉の「眼差し」であり、完成された映画は妹への「抱擁」である。

『彼女の名はサビーヌ』
監督・脚本・撮影:サンドリーヌ・ボネール
出演:サビーヌ・ボネール
2007年/フランス/85分/video/カラー/1:1.66/フランス語  
原題:Elle s’appelle Sabine

何かを嘆くのでもなく、非難するのでもなく、
ただ「この私を見よ」と迫ってくる目、
これまで映画がこのような目をとらえたことはなかったと思う。
―黒沢清(映画監督)

11人兄弟の七女に生まれたサンドリーヌ・ボネールには一歳違いの妹、サビーヌがいた。陽気で美しく、芸術的才能が豊かなサビーヌは幼い頃から特別なケアを必要としてきた。─彼女は自閉症である。同級生から「バカ・サビーヌ」とからかわれる日々。やがて姉妹兄弟がそれぞれの人生を歩み出す中、一人、母親と暮らす彼女。兄の死をきっかけに彼女の孤立感は増し、不安は家族と自分に対する衝動的な暴力として現れた。そして自閉症としての適切な診断を受けることなく28歳で精神病院へ。入院は5年に及ぶが、退院時の姿は変わり果てていた。

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