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作り損ねたハンバーグカレー

昨日は冷蔵庫にハンバーグの種が二つあった

一つは焼いて食べて
一つはカレーで煮込むつもりだった

帰り道にタマネギを買って帰った

まずハンバーグを焼いて、
それから煮込むつもりだったので
二つ並べて焼いた

焼いたらどんどん小さくなって
結局二つくらいなら食べてもいいような気分になって
食べてしまった

残ったのはゆでたタマネギだった
仕方がないので
タマネギだけが入ったカレーを作って
今夜それを食べた

男やもめはそんなもの

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愛の手紙を書かず

愛の手紙を書かず

愛の手紙を書かないというブログを書いている

それがわたしの人生のあり方である

それでいいと思っている

すべての喜びはわたしにふさわしくない

ただ慢性の持続的な苦しみだけがわたしにはふさわしい

今夜東京はやや強い雨

東京タワーが煙ってよく見えないくらいだ

海の香りがするから南風だろう

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認知の正しさとは

人間が何かを認知しているとき
それは常に正しいと信じていると思う

正しくないと悟ったときにはすでに
「正しくない」という正しい認知に到達しているはずで
要するにいつでも自分は正しいと信じているのだ

ということは人間は常に圧倒的に間違っているということだ

学校の勉強で×をもらったら素直に間違いを認めるのに
日常生活では決して間違いを認めようとしないのは
不思議なことだ

プライドが邪魔をして正しい認知を回避しているという可能性はある
しかしその場合には現実的な損失がつきまとう
損をしてもプライドを取るという人生の態度である
それはそれでいいけれど
普通はそれではプライドも保てないもので
きちんと理解してこそプライドを保つことができるだろう

どうしてゆがんだ認知のままで
突き進めるのか
それが不思議だ

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奪われるというが実際自分のものだったのだろうか?はたして

その財産を自分の汗の結晶だと思うと
そして長い時間の結果だと思うと
奪われてしまうのはなかなかにつらいものがある
しかしそうだろうか、よく考えてみよう

そもそも無一物で生まれてきた
そして自分の努力で財産を殖やしたのだけれど
その努力というのは他のいろいろな人の努力とどれだけ違ったかといわれれば
そんなに違わないのだろうと思う

元々の得意とか興味とかが違っていて
それが偶然最近の流れに乗っていたからというだけで
特にわたしだけがたくさんの財産を形成する理由などはないのだ

現に理学部にいった人とか工学部にいった人は
財産などにはあまり関係なく
基礎的な仕事をしている

そう思えばやはりわたしの場合にも食べて行かれるものだけがあれば
それで充分幸せだということになる
食べていくだけのない時には誰かに何かを頼ることになるだろう
そしてそのようなこころの正しい人も
少なくないから多分世の中はそんなに悪くはないのだろうと思う

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エレンタールにはグレープフルーツジュースがちょうどいい

エレンタールにはグレープフルーツジュースがちょうどいい
エレンタールで栄養を取ると大便が出ないから
いろいろと便利なことがある

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過去はどこにもない

過去はない
どこにもない

貯金通帳や土地登記の中にある?
いや、ない。
それは残骸である。

そんなものを見直して幸せになれるならおやすいものだ
あなたの人生はそこで終わっている



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京都の夜

花は風に吹かれて
わたしは花びらに吹かれて
夜道を歩いた
高瀬川沿いの桜並木である

京都の夜は暖かく厚みをもって
わたしを満たしていた

ここにあなたがいないこと

*****
それはわたしが意気地なしだからだ
それだけのことだ

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興福寺の阿修羅像はピカソ的である

興福寺の阿修羅像はピカソ的である

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加害者のために神に祈りなさい

あなたが被害者であったとして
加害者のために神に祈りなさい

それがキリスト教の教えである

それは困難と思うが
しかし正しいことだと思う

困難を承知で試みるべきことだと思う

不可能を要求する宗教がキリスト教である

誰もたどり着けないが
その向こうの景色は確かに美しい

バッハでありモーツァルトである

*****
そういえば
興福寺の阿修羅像は加害者のために祈っている必死の姿のようにも思えないでもない


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耐える時間を分かち合う

人生のある局面においては
ただ耐える時間を分かち合うことしかできないことがある

だから静かに耐えよう

キリスト教の教会に親しみがあればそれはそれで助けになるけれど
季節ごとに催し物があったりして
いろいろと付き合いも大変なものである

仏教でもいいし合唱サークルでもいいし
何でもいいのだけれど
ある程度世俗的で常識的でしかしある程度パーソナルな付き合いのある場所で
ともに耐える人を見つけよう

一人ではつらいこともあるのは事実だと思う

*****
ほかの社会ではよく分からないが
日本の伝統的な社会では
「もうここまで来たからには、すべてを胸にしまって、一人で始末してほしい」というような
「要請」が発せられる場合があると思う。

それは他殺ではないけれど
自殺を限りなく期待されるというわけで
実に残酷なものだと思う。

キリスト教では自殺は禁じられているので
自殺を期待することもいけないし
考えることもいけない

*****
それと表裏の現象であるが
ある人を自殺に追い込むように計画する人もいるのだろうと思う
殺人にはならないけれど
ほとんど殺人と同じである
刑法としては殺人にならないだけで
倫理の次元で言えば殺人と同じである

そのようなことをして
なぜか平気で生きていられる人がいるというのは
どういう社会なのだろうか

子供がトンボの頭を残酷にもぎ取るように

*****
しかしそこまでは現実なのだと認識しよう
そのようなこともある世の中である
あなたの身の上に起こったとしても
何も不思議はないのだ
起こったとしても驚かないで対処しよう
そういえばこんなこともあるなと書いてあったなと思い出してほしい

犯罪すれすれのことや
病気や
老化や死
裏切りもあり
愛情の面ならば不倫もある
それが人生である

少しの間泣いたら
また共に歩き出そうではないか
歩けば新しい景色が見えてくる
それでいい
一緒に歩こう

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