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絶望の上になお希望を打ち立てようではないか

病気と死に対しては人間はまだまだ弱くて
どうしようもないことがたくさんある
特に最後には例外なく死んでしまう

すべての努力を無にする運命というものもある
運命も人間には大きな壁だ

そして人間同士の嫉妬や悪意、誤解、怨恨、復讐、
いろいろと困ったことがある

本来ならば助け合えばいいのだけれど
一部分、人間はそのようにはできていないので
それも一つの壁である

しかしそのようないろいろなことを含めて
病気、死、運命、嫉妬、怨恨、そのような現実を認識し
現実的に解決できることは解決し
解決できない場合にはお互いに支え合い
そのようにして生きていこうではないか

かなり絶望的なこともあるが
その絶望を前提にして
その上になお希望を打ち立てる仕事を共同で成し遂げようではないか

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支え合う

現実的な助力でさっさと済ましてしまえるなら
それもいい解決だと思う

しかしそうできない場合もたくさんあって
その場合は解決できないまでも
みんなで支え合うことができる

みんなで支え合おう

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豚インフルの語感について

赤ん坊のお母さんなんですが
「豚インフルエンザなんて繰り返し言ってるから
赤ん坊がかかったら、赤ん坊が豚になっちゃうような気がするわ」
とジョークを飛ばして
わたしが笑い損ねたので
笑い損ねたわたしのタイミングの悪さというかばつのわるさを二人で笑うような具合になり
赤ん坊もついでに笑っていました


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2009-5-1新型インフル状況

横浜の高校生、新型インフルでないと判明…厚労省
新型インフル、呼称を「インフルエンザA」に変更…WHO

30日にはスイスとオランダでも感染が確認され、感染確認は少なくとも13カ国に増加。世界的大流行(パンデミック)の正式認定を意味する「6」への引き上げも現実味を帯びてきた。しかし、WHO幹部は30日、「今日の時点でフェーズ6に引き上げるべき証拠はない」と述べた。

新型インフルエンザ:ほとんどが軽症者 投薬せずに回復--感染研推定

*****
あとはメキシコでの多数の死者の原因が説明されればずっと気分は楽になる


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タンゴの勉強

アルゼンチンタンゴの場合、
本質的には即興で自由に踊るもので
それを決めているのは男性側で女性はリードされていればいいのだと
書いてある

同じ曲を同じ伴奏で踊っても同じ踊りにはならないそうで
踊っている間にわいたインスピレーションを即座に織り込んで
パートナーをリードする

女性は勝手に動かず男性のリードに従う
男性が背に回した指先のリード一つで二人が一体になる

アルゼンチンタンゴを踊っているときは恋人同士である
カウントもないし、スロー・クイックもない

社交ダンスではホールドであるが
アルゼンチンタンゴでは抱擁である

社交ダンスは横から見るとY字型で
アルゼンチンタンゴはA字型である 抱擁して下半身を離す

社交ダンスの二人の視線は合うことがない
お互いが左方向を見ている
アルゼンチンタンゴは同じ方向を見たり見つめ合ったりする

基本はサリーダとかオーチォで、それだけでも困らないらしい

ラ・クンパルシータ
エル・チョクロ
ドン・フアン
リベルタンゴ
バンドネオンの嘆き
フェリシア
などが有名な曲

囚人14号

アストル・ピアソラのCDはこの本に載っているだけで
64枚

ブエノスアイレスな夜
ブエノスアイレスのマリア
エル・タンゴ……ホルヘ・ルイス・ボルヘスの詩と散文に作曲したもの。ボルヘスと解釈の違いで不和。同じエル・タンゴのタイトルで歌手ミルバと作ったものもある。
タンゴ:ゼロ・アワー

藤沢嵐子さんという人が昔の有名な人らしい

「ブエノスアイレスでわたしは死のう」
「3001年へのプレリュード」
「もう一度わたしは生まれてくるわ。もっと強く愛するために」
リベルタンゴについて「自由を手に入れるために別れた人に、いま愛の歌を届けたい」「激しい恋は主張し合うから激突して引き裂かれてゆく」
「裏通りの二人」
「わたしを捨てないで、のぞみはただそれだけ」

1987年 タンゴ・アルゼカチーノ 成功

ブエノスアイレスともう一つ、ウルグアイのモンテビデオ

バンドネオンは1820年代、
ドイツ人ハインリッヒ・バンドが発明したもの
教会音楽のオルガンは持ち運びも不便でどうにかならないかということで考案された
1890年頃、アルゼンチンに持ち込まれた
あまりにもタンゴにぴったりで以後バンドネオンが主役になる

すすり泣くバイオリン
むせび泣くバンドネオン

ディアトニック方式 合理的で発展性があり、最も多く使われている
クロマティック方式 半音階、三つの音がひとつのグループ 日本人の一部はこれを使う

最初はいかがわしい風俗だとして法律で禁止されたこともあった
なにしろ男と女が密着しすぎる
楽譜が書かれ、バンドネオンが導入され、レコードもできた。
ダンス音楽から歌のタンゴとしての側面が強くなった。
ダンスホールが出来、「エビータ」の時代があり、
移民の中でも落ちこぼれが多かったのがアルゼンチンで、
さらにその中心都市がブエノスアイレスで
つまり農地を持たない都市労働者の町であった
そのためアメリカ資本主義の支配を直接に受けた時代があり
さらにテレビの時代が続いていく

歌の基本は
振られた男が自分を捨てた女への未練を歌うというもので
たとえば

「わが悲しみの夜」
俺の人生が一番よかったときに
俺を捨てていった女
俺の魂を傷つけ
心にとげを刺したまま
俺がお前を愛していることも
お前が俺の喜びだということも
燃えたぎる夢だということも
お前は全部知っていながら
俺を捨てていった
俺にはもう慰めがない
お前の愛を忘れようと
酒に身を任せている

未練な酒という主題は日本の演歌でもいつも好まれている

このパターンは男社会の男たちが
捨てられた女が男への未練を歌う歌を歌って楽しむという態度よりも
すこしはいいと思う

マッチョな社会には
それにふさわしいあばずれな女が存在するもので
やはりいろんな事情で男を振ってしまうものらしい

そんなことしているうちに
人生はなくなってしまうのにね


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電話の音量

企業で電話注文を受けつける
コールセンターで働いている人の話

何人もの電話を取って説明していると
もっと声を大きくしてとか
そんなに大きな声で話さないでとか
いろいろとあるらしい

その日は、あんな声が小さいよ、聞こえないよ、などと二人くらい続いていて、
今日は自分の声が通らない日なのかななどと思い、
次の人には少し大きめの声で言ったら
そんな大声で言うなと怒られた
実際は何かもっときつい言い方であったようで
そんな言い方をしなくても、もっと小さな声でいいですよと言ってくれればいいのにとのことだった

考えてみれば
電話を聞いている人は
相手の声が大きすぎたら音量ボタンを押せば調整できるわけだから
そのように文句を言う暇があったら
ボタンを押せばいいはずだ
それなのに時間をかけて嫌われるような文句を言っていると言うことは
音量ボタンの使い方が分からないのだろう

それはたぶん電話メーカーにも責任があるのだと思う
もっと分かりやすい音量ボタンをつけた方がいい

それよりも
最終的なスピーカー音量を一定に調整することくらい簡単にできるはずだと思うのだが
どうしてしないのだろう

耳の遠い人は電話そのものが億劫になるし
骨伝導電話などが役に立つ場合もあるのかも知れない



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カラス

カラスの被害がひどくて
春だから巣作りをするんだけど
電信柱の上に作ってしまうんだって
するとカラスは木の枝のようなものを集めて巣を作るわけで
金属製のハンガーとかそんなものも使ってしまい
電線の間を金属ハンガーでつなぐので停電になったりする

というわけで電力会社では電信柱の上のカラスの巣を片付ける必要がある

昔、カラスの肉を食べてしまえと言う話もあった

テレビのインタビューでは
カラスの卵を処分するのは心が痛みますが停電では困りますので
などと各方面への配慮を怠らなかった

実際カラスはずいぶんと大きいし
ゴミ捨て場などを荒らし回るし
ときどきはヒトが食べているハンバーガーなどを横取りすることもあるし
本当に怖い

遺伝子操作技術があるのだから
まずもう少し小型で
害のないものに置き換えていったらいいと思うが
難しいのだろうか

あるいは天敵を利用することだけれど
カラスを食べる動物ってなにかあるかな

死んで腐りかけて肉を食べるというイメージは実に強力で
いかにも不吉
病気とか死とかを具体化したもののような印象も受ける
もちろんカラスにはそんなつもりもなくて
人間が勝手にそのような役割を振り当てたわけだけれど

それで思い出すのは
昔曾祖母などが
今日はカラス鳴きが悪いから、道を歩くときに気をつけなさいなどと、
カラスの鳴き方とか、カラスの位置が近いとか、そんなことに特別の注意を払っていたことだ

カラスの肉の缶詰を日本が作ったとして
買ってくれる人は誰がいるのだろう
何かの飼料にすればいいのだろうが
コストが合わないのだろう

インフルエンザにおびえているこの時期に
カラスの姿を見てしまうと
何か二つが結びつき人間の限界を感じさせる
まがまがしい黒
カラスということを忘れればずいぶんと美しいとも言えるのだけれど


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何も感じたくないとき仕事に没頭する

確かに忙しくて顔も疲れていたのだろう
事務の人がお疲れですねと声をかけてくれたのに
いえ、全然とか
空気の読めない返事をしていた

駅では疲れていて
エスカレータに乗ったまま動きたくないし
何も考えたくないし
何も食べたくなかった
とりあえず家に到着してやはり何も食べたくないので
やはりこれは疲れているのだと確認できた

*****
自分が疲れているのかどうか分からないとき、うつである。

*****
何も考えたくないとき
何も感じたくないとき
仕事に没頭するのが一番いい

そして疲れ切っていれば
その後も何も考えないし何も感じない
そのまま寝てしまう
それが一番いい

それも一つの処世術である
この世は平穏ではないが
この世を一見平穏そうに生きられればそれでもいい

忘れるために働くのだ



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