日本映画 クライマーズハイ
なべと皿を洗う
気持ちが良い
どんなにこすっても
限度がない
わたしは報われる
皿を洗う
長く使っている食器は
イトーヨーカドーで間に合わせに買ったものだ
頂いたものとか
高級なものは普段はしまっておいてある
食器をたくさん使うと
食器同士がぶつかって欠けたりする
どんな食事も少ない皿で食べていれば
皿同士がぶつかってだめになることはない
だから貧乏を続けていれば
皿は少なくてすむのである
深い考えもなく間に合わせに用意したものが
人生の一番長いパートナーになる
そんなものだ
子どもの疲労とメディア・ネット
歌謡曲シクラメンのかほりで
疲れを知らない子どものように
と歌っていた
しかし最近の子どもは疲れている
テレビ・ビデオ・ゲーム・パソコンで前頭前野の疲労
睡眠不足
朝起きられない
朝ご飯抜き
頭痛、腹痛、自律神経失調症、不定愁訴、むかつく、きれる
遅刻
忘れ物
不登校
引きこもり
などの経過が多い
座ってばかりいるので肥満が多い
寝不足→遅刻→不登校 の順になる
診察場面では
くたびれた姿勢
目の隈
肩こり
が多い
父や兄と一緒に夜遅くまでゲームをしていたりする。
1969年テレビが一般化する前には、
低年齢で興奮しやすく、小学校高学年(思春期)で落ち着いていた。
1979年には
低年齢でおとなしく、小学校高学年では興奮しやすい。
ゲームをすると考える脳である前頭前野の機能が停止してしまう
視覚の領域である後頭葉だけが興奮している
前頭前野は考える脳。集中力、判断力、記憶力、言語、感性、笑顔に関係している。
ゲームは集中力を高めるのではなく後頭葉を興奮させているだけである
ゲームを5分で止めると前頭前野の機能はすぐに回復する
ゲームを15分続けると、なかなか回復しない。脳が「麻痺」する。
これを言い換えると、5分程度のゲームなら、「くどくど」考えることを停止できるので
気分転換になる。
15分になると脳の慢性疲労につながる。
疲労回復には熟眠が必要であるが、夜遅くまで刺激的な映像にさらされていたのでは、
熟眠はできない。
1990年アメリカ小児科学会の勧告
・2歳未満ではテレビを見せない
・その後はテレビは1~2時間に制限
・現実世界での体験をすることが心身成長に不可欠
・メディアの暴力シーンは子どもの健康を害するリスクがある。子どもの攻撃的行動、暴力肯定、悪夢、恐怖心に関係している。
・メディアは性、たばこ、アルコール、他の薬物との関係もある。
新生児ですでに母親の表情を模倣する。1歳児はテレビ画面の人間の行動をまねる。
テレビ画面の英雄は決して罰せられることがない。
ここで学習された行動パターンは一生続く。
仮想現実の世界は正義の使者であふれている。彼らは暴力的であってもよい、武器を使用してもよい、人間を傷つけてもよい。
暴力画面に繰り返し暴露すると、他者が攻撃的であると決めつけ、他者の痛みを感じないまま、相手に対して暴力的に反応することを許してしまう。
8歳未満の子どもはファンタジーと現実の区別がつかない。子どもたちは現実社会が危険な場所であるという観念を埋め込まれる。暴力の犠牲者になることを恐れて武器を携帯する。攻撃的になり、「やられる前にやる」強い動機を形成する。
テレビ・ビデオに時間をとられて、友人と遊ぶ時間、読書、運動の時間がなくなる。
戦争、テロ、火災、地震などの災害のニュースに常時さらされる。注意力低下や多動と関係しているかもしれない。
子どもには他者を模倣する本能がある。その際に、複数の中の誰をまねするかを選択する判断力はない。
思春期以降になり、強いストレスにさらされたときに、暴力を行使してしまうのは、幼年期に学習していた結果かも知れない。
1950年代にアメリカでテレビ放送が開始され、
10~15年たって、殺人の発生が倍増したと言われている。
テレビゲームのあとには挑発に対しての攻撃傾向が増加すると報告されている。
テレビゲームは暴力を学習させる。暴力的な行動に成功報酬を与える。
挑発に対して暴力で反応する学習を反復させる。
長時間プレイしていると上達したい、レベルの高いステージをクリアーしたいとの欲望を持ち、反復しているうちに習慣化し、中毒化する。
孤独であるほどネット・携帯にのめり込む。
保護者に対するメディア教育が必要である
・番組を選択する
・1~2時間に制限する
・子ども部屋にはメディア機器を置かない
・メディアを子守代わりに使用しない
・2歳以下ではテレビを見せない
・メディアに代わる健康的な活動を助言する。読書、スポーツなど。
・子どもの攻撃的行動、不安や恐怖、睡眠障害をチェックする。
・武器の携帯に注意する。
・暴力を正当化しない。
・暴力シーンは排除する。
・ビデオゲームで生き物を標的にしない。
・親子の交流を深める。
転職も異動もプラスに受けとめる
不幸の原因
Making a good thing better
絵本 いつもいっしょに
自動車の安全性能
人生なんて、あっという間
人生なんて、あっという間ですよ。
だって、今までだって、そうだったじゃないですか?
辛いのなんて、一瞬ですよ。
生きているのなんて、一瞬ですよ。
ただ人は、辛いことに固執したりして、
生きてしまうことが多いようですが。
そりゃあ、辛いことばかりに固執していたら、
人生はとてつもなく長く、苦痛に満ちたものになるでしょう。
辛いことに、こだわるのは、もうやめましょうよ。
そして、もっと「さらり」と生きましょうよ。
アタシんちの男子
家族のきずな「弱まった」9割…読売調査
家族のきずな「弱まった」9割…読売調査
世論調査・支持率
読売新聞社の年間連続調査「日本人」によると、「家族のきずなやまとまりは強くなってきている」と思う人は「どちらかといえば」を含めて9%に過ぎず、「弱くなってきている」との答えは89%に達した。
1985年11月調査では「家族の結びつきやまとまりが強くなってきている傾向がある」と思う人は47%で、この20年余りで家族のつながりが薄れたと感じる人が大幅に増えたことになる。
今回の調査は「家族観」をテーマとして12、13日に面接方式で実施した。
日本人の家族については「子供のしつけをきちんとできなくなってきている」と思う人が88%に上った。「一緒に過ごす時間が少なくなってきている」という指摘については84%、「互いに干渉しなくなってきている」には74%が「そう思う」と答え、家族関係が希薄になっているとの見方が強かった。「まとめ役になる人がいなくなってきている」にも73%が「そう思う」と答えた。
自らの家族については「きずなやまとまりを大切にしたい」と思う人が98%を占めた。家族との関係で日ごろ心掛けていることを複数回答で聞くと「できるだけ話をする」67%、「一緒に食事をする」61%、「誕生日など記念日を一緒に祝う」31%――などとなった。「とくにない」は10%にとどまった。
(2008年4月26日22時57分 読売新聞)
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子供のしつけをきちんとできなくなってきているのは
なぜか。
忙しいから。
共働きで疲れ切っているから。
親の話があまりにバカだから。
子供のほうが情報が早いから。
子供は結局家計に責任がないから。
子供は多分、
野球で言えばプレーヤーではなく
解説者なんだろう。
親の凡ミスを嘆く。
解説者は批判することで給料をもらう。
何かあればすぐにお役所に訴えて批判する態度を、
そのまま子供が親に対して取っているのだと思う。
一緒に過ごす時間が少なくなってきているのは
世代によって文化が違うから
互いに干渉しなくなってきているのも
世代によって文化が違い、
言葉が通じなくなっているから。
総じて、文化的な分断が起こっていると思う。
西行による頼朝分析
頼朝は伊東の姫と仲良くなり子が出来たが、伊東は平家を恐れて、子を淵に投げ捨てた。
そのことがあるから、義経の子を海に捨てろと命じた。
頼朝は自分にうけた非情を義経に対して行っている。
頼朝の父は長田にだまし討ちにされた。
それに根ざす。
など。
西行に語らせる吉川英治は渋い
しかし心理分析にもなっていないし
平板な連想と言うべきだ
そんなもので人間が非情になったり冷酷になったりと
説明は出来ないと思う。
最近で言う複雑型のPTSDというとらえ方に近いかもしれないが、
そんなものではないだろうと感じる。
「にもかかわらず」人間を信じるのが
人間なのだ。
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だめな社長が行方をくらましている話
大変だけれど
あなたはどうしますか?
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先日、テレビ会議をしていて、ネット回線が切れて、社員が右往左往しているとき、
支店長さんが舌打ちしていました。
職場の長がこれかと皆さん思ったことでしょう。
舌打ちしている暇があったら説明でもすればいいじゃないですか?
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山本周五郎「おごそかな渇き」
「野分」から
善良で勤勉で謙遜で、いつも足ることを知って、与えられるものだけを受け取り、腰を低くして世を渡る人たち、貧しければ貧しいほど実直で、義理、人情を唯一つの宝にもたのみにもしている人たち、……又三郎にはそれが羨ましいほど充実したものにみえ、本当に活きた人生のように思えた。
このあたりが庶民の暮らしのよき倫理規範であろう。本当に、もしも出来ることであれば、かくありたい。
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「雨あがる」から
妻の名が「おたよ」
知人の祖母の名が「たよ」である。本人はカタカナで書くらしい。知人が漢字を当ててみたところでは、「他与」「多与」がいいだろうとのことだった。
他人に多く与えるこということで、まったくよい名前である。
ちなみに曾祖母の名前は「かや」というのだそうで、伽耶などの文字を当て、朝鮮半島由来の名前ではないかとのことであった。
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短い枚数でここまで活写できるというのも、実にすばらしいことだ。
しつこい人撃退法
恋人になってくださいと
うるさい人
実はわたしはうつ病で
と言っただけで
手のひらを返したようにいなくなる
あんなに熱心そうだったのに
最後は携帯メールたったの二行
事情も知らないで
ごめんなさい
だってさ
こんなときこそ力になってみせなさいよ
うそつき
別の人は
立派な人しかうつ病にはなりません
さようなら
だと
他に言い方はないかねえ
こっちからだって
さよならだ
寄り添っていたい
邪魔なときは言ってください
くらい言えないかな
耳美人と福耳
いったいどうしてこんな奇妙な形になっているのだろう
そしてずいぶんと個人差があるものだと思う
美しい人の耳たぶは必ずしも美しくない
耳たぶを美容整形の対象にする人はいるのだろうか
モーツァルトの耳たぶの話は聞いたことがある
福耳という言葉もある
耳美人というべき人もいて
不思議なものだと思う
ワックスクリーナー
忘れたいことばかり多くってね
でもみんな自分で始末してますから
人と人とのぴったり感
この人と一緒にいられないなら、生まれ変わる意味が無い。
この人と一緒にいられないなら、生まれかわる意味が無い。
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弱っているときにらに傷つきやすくなってしまうことの解釈
人間は弱っているときに
さらに傷つきやすくなってしまう
これは進化論的に言うとおかしなことなのだけれど
多分ストレスが限界を超えると
もうこれ以上生きるよりも死んだ方が集団にとっては利益という
分岐点があるのではないかと思う
そこを超えたら自殺しやすくなるし
感染症にもかかりやすくなるのではないかと思う
慢性疲労症候群は
このような意味でうつ状態とある種の慢性感染症をつなぐものなのかもしれない
王者が挑戦者をとことんまでたたきのめすのは
このあたりのことを狙って
再起不可能にしたいからなのだろう
逆に挑戦者は王者を再起不能に追い込む
弱っている相手をさらに傷つける
映画「ブエノスアイレス」
カフェ デスペラート
アドルフォ・ビオイ=カサーレス『モレルの発明』
聴覚なら録音機、
視覚ならテレビなどの機械がある。
これを拡張して、人間の五感について訴える要素を総合的に、
記録して再生ができる機械があるとする。
その場合にどんなことが起こりますかというのが
この物語らしい。
思考実験である。
というのは、ぱらぱらめくっただけだから。
最初の方を読んでみたが通読する気にはなれない。
面白そうなのは確かなのだが。
映像が魂を持っている仮説、などの言葉も見える。
困った発明らしい。
死ぬときくらい
一客再来
千客万来ではなく、
一客再来が目標だという、
紳士服のアオキの腕利きセールスマン。
朝、会社に行くのが楽しみで、家を飛び出していくのだという。
朝日新聞で紹介されていた。
いいことだ。
仕事に打ち込める人生が一番いい。安定している。
新聞には、純粋蜂蜜に甘味料が混ぜてあった話など。
オリゴ糖は、純粋蜂蜜にも含まれているものであり、
厳密に評価するのは難しい面もあるとか。
「人生のちょっとした煩い」村上春樹訳 グレイス・ペイリー著
村上春樹の翻訳で、いかにも短編らしい短編で、
期待した通りのものがここにある。
期待したものは、人生の細部である。
抽象的な文章ではない。
人生に対しての警句でもない。
安部公房ふうの発明でもない。
その人にまつわりついて離れない現実の情報が、
改めて、文章に固定化されて提示される。
人生は生活の細部に根を張り、養分を吸っている。
そのありさまが懐かしい。
多分、死んで行く時に、心底懐かしいのは、そんな細部なのだ。
日常の反復。
あるいは、ふとした偶然。
それだけのことで、人生は成り立っている。
特に、アメリカの短編はそんな感じがする。