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家庭の真実

家庭において妻はしばしば絶対無謬の存在である
一切の批判を受け付けず
自発的な反省もない

走れメロスに出て来る暴虐な王よりもずっと暴虐

嘘を含む情報コントロールによって勝利することは
現代のマスコミの原型である

事実で勝利しようとはしない
情報操作で勝利しようとする

それは精神病的または神経症的と言うことが出来る


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穴の大きさと中身

こころに穴が空いたとするでしょう

すると
心の穴は直径3センチとか測定する人と
その穴に何が詰まっているか記録する人とあると思うんですね

でもよく考えてみると
何が詰まっているかは
そのときどきの偶然であるわけでしょう

本質的なのは
何が詰まっているかではなく
直径何センチの穴が空いたかなんですよね
そしてその原因と治し方

穴に何が詰まっていたかを報告するのは意味がないとは言わないが
情報の質から言うと二次的なものだ

夢なんかもそうですね
夢に蛇が出たという内容ではなくて
夢の構造が問題なのだ


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気晴らしが大切

気晴らしが大切
考えれば辛いのが人生だ
思うようにはならない

考えるより
充実して生きた方がいいじゃないか


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うつは精神の形式の変化である

うつは精神の内容の変化ではない
形式の変化である

当てはめごっこで分かるものではない

DSMは誰にでも分かるように当てはめごっこをしているが
あれは政治的妥協産物である
精神医学とは何の関係もない

経済学とは何の関係もなく
政策決定がなされるのと同じ


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患者さんがお医者さんを育てる側面は確かにある

患者さんがお医者さんを育てる側面は確かにある
いい患者さんに囲まれて
いいお医者さんが育つ


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来談者が病気とは限らない

心療内科に通院しているということと
病気かどうかということとは
ダイレクトに結合しているわけではないです
当然ですが

その人に関わっている、ある人がとても問題のある人であった場合、
当人は自分は正しいと確信していて
周辺の人はさじを投げている場合も多いわけです

みんな遠巻きにして敬遠しているわけですが
立場上どうしても対応しなければならない人も発生してしまうわけです

DNAの問題も、また環境と教育の問題もありますから
周辺の人の何人かがとても問題という場合もあります
そんなときも「どちらが病気なのか」はたいてい政治力の問題になります
お互いにそう思っているわけですから

そして政治的に弱い人が
「自分は誰かに相談しないといけない」と思って
相談に来るわけです

「脳の構造」としての診断と
「いま支えが必要」という診断は別のものです

そんな基本的なことを
改めて言わなくてはならない社会というものは
なにか間違っていると思いますが
現状をすぐに更新するわけにもいきません
少しずつです

家族、血縁、地域社会というような広がりを考えてみて
「脳」や「こころ」を「コンピュータ」にたとえると
最近の「こころ」は近くの現実の人と結びついていないで
遠くの仮想の「情報」と結びついているだけのようです

ぬくもりのある現実の他人と
五感とついでに第六感で、哲学の用語で言えば、共通感覚の次元で
結びつくことができない

コンピュータでなにか情報が得られるとして
それは「こころ」の栄養としてはとても貧しくて不十分なものだと思うわけです

ーー
最近事件が報道されるたびに
「出会い系で知り合った人」という共通項目があるように思います
いったいどうしたんでしょう

どうして近くの人と愛し合えないのでしょう
あなたの隣人はとっても近くにいるじゃないですか

それが問題です

ーー
遠くの人に自己愛をくすぐられて
奇妙な連帯が生じ
隣人を憎んでいる
そんな構図が見えるようです

心から伸びたとげが長すぎる
コンピュータを通した遠くの人となら
とげを意識せずに通じ合える

そこまでは分かります

ではどうすればいいのか
分からない

2000年前から言われている
隣人愛がますます遠のいています


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コンビニと食べ吐き 形式か内容か

コンビニと食べ吐きは
どうも関係あるような気がする

また当たり前の印象だけれど
食べ吐きと
女性雑誌の後半の盛りだくさんのダイエット記事・広告は関係があるような気がする

ーー
わたしがいつも同じ話を聞いているのは
病気が同じだからじゃなくて
病気で空洞になった部分に
同じ内容が入ってしまうからかもしれない

これは昔から
形式と内容といわれている部分だ

形式が破壊されるのが病気であって
内容はそのときの時代背景による

たとえば
妄想でいえば
戦時中は「天皇の子供」
占領時代は「マッカーサーの子供」
ロッキードのあとは「田中角栄の子供」
このように変遷している

これをそれぞれ天皇子孫妄想とか田中角栄子孫妄想とは名付けないのは当然で
血統妄想と名付ける

では食べ吐きは
妄想でいえば
田中角栄子孫妄想のレベルなのか
血統妄想のレベルなのか
統合失調症のレベルなのか
どの階層の話なのか
ということが問題である

そのうち雑誌の後半に違う記事が載るようになれば
食べ吐きはなくなってしまうかもしれないとも思う

それは単に内容であって
形式の指定ではないと考える

いままではそのようにすっきり考えていたのだが
そしていまでも理論としてはそう考えるのだが
このごろは何となくそうではないのではないかとも考えている

特有の形式があるのではないかと考え
その可能性を考えている




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ヴィクトリア・ベッカムのダイエットの詳細が明らかに

ヴィクトリア・ベッカムのダイエットの詳細が明らかに
というのが
MSNビデオに出ている


ーー
こんなのは
フォトショップで調整すればいいだけなのに

まじめすぎるんだと思う


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緑のシロクマ

緑のシロクマ 原因は藻、毛内部に入り増殖…岡山理大教授ら解明

 シロクマが、ミドリグマに?――名古屋市の東山動植物園にいるホッキョクグマの体毛が昨年、半年間にわたって緑色になった。岡山理科大の福田勝洋教授(動物形態学)らが原因を調べたところ、体毛の表面に微小な穴が多数開き、藻が入って増殖していたことがわかった。国内外の動物園でも過去に数件、同様のケースが報告されており、同教授は「研究成果を飼育方法に生かしたい」としている。

 同園などによると、昨年7月から12月にかけ、オスとメスのホッキョクグマ2頭のほぼ全身が濃い緑になった。何度洗っても落ちず、市は対策研究会を発足、福田教授らが調査していた。

 ホッキョクグマの体毛は無色透明だが、ストローのような特殊な構造で、光が散乱して白く見える。当初は、地面に体をこすって傷んだ毛に、施設内のプールで、夏場に増えた藻が入り込んだと考えられた。しかし、通常は藻が多少繁殖しても毛は染まらず、なぜ変色したのか謎だった。

 福田教授は、別の動物園のクマの体毛なども採取し、電子顕微鏡で比較。今回の2頭の体毛表面に、直径100分の1ミリほどの多くの穴が見つかり、そこから「藍藻(らんそう)」が入って増殖していることを突き止めた。藍藻に穴を開ける能力はないことも判明。「穴を開ける微生物と共存している可能性が高い」とし、今後、微生物の特定を進める。
(2009年10月17日  読売新聞)

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ーー
胃潰瘍がピロリと関係していたとかの例もあるので
未知の微生物がまだ解明されていない病気と関係している可能性は大いにある


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紅葉の宿

こんな景色を通ってこんな部屋で休む

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仮の世 コスプレ

秋葉原のコスプレスポットなどに行って話をすると
実にいきいきと割り切っている

この割り切りが
この世は仮のものだという
深い認識と結びついている

心底での笑いがあるのだ
そこで通じ合う

自分を笑うユーモアがある

各種制服はコスプレだし
江戸時代の和服とかちょんまげ、日本髪などもコスプレである

28歳だけど
軽々と高校生の制服を着て
似合っている
この割り切りに乾杯!


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「ヴェルナー・パントン展」

http://www.operacity.jp/ag/topics/091016.php

プラスチック一体成型という世界初の手法


こんな空間で心地よく生きていたいものだ

所詮
仮の世だ


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“肉食系”熟女OL

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映画の情報


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世田谷美術館でオルセー美術館展

http://www.orsay2009-10.jp/
世田谷美術館でオルセー美術館展
工芸が中心らしい

工芸というものは
じつに感動するものだ

現代芸術とは
脳の違う部分を刺激する


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中医協委員から日医執行部外れる

中医協委員から日医執行部外れる
というわけだが
別段どうということもないだろう

日医が影響力を行使したいなら
外部からの遠隔操縦もいくらでもできる
その程度の芸はできる

しかし中にいても外にいてももうダメなのだというのが現状である
いまとなってはもうどの制度が悪かったのかも分からないし
どこを訂正すればいいのかも分からない
思いつきで一ついじれば
また書類が増えて他の法律との整合性が崩れ
すったもんだが始まる
それくらいがちがちに悪い方に固まっているのだ

見かけの診療報酬など
もうどうにならないところまで下落しているし
都心部では家賃さえ払うのが難しいくらいだ

皆さんは知っているかどうか知らないが
港区とたとえば北海道の診療報酬は同じ
家賃と人件費がいくらであろうと違いはない
だから利益率が全然違う
儲かるのは東京の地主さんとビルオーナーばかりなのだ
その人たちも税金で全部吸い上げられる

ワーキングプアとは様相が異なるけれど
でもやっばり
開業医の「やる気が出ない」構造になってしまっているのだ

都会は患者さんが多いではないかというなら
都会のお医者さんは働き過ぎになるはず
数をこなして成立する医療なんてなんだろう
薄利多売モデルなんだろうか
自分が患者さんになったとして薄利多売して欲しいかな

ユニクロなら量のメリットが出る
医療は量のメリットが出るのだろうか

保険診療ではやっていけないから
自費診療を多くするとか言っているのだが
考え方の本筋はそうじゃないでしょう
ということだ

山手線が混んでいるから
鉄道員をやめてタクシーの運転手になるようなもので
そうじゃなくて基幹運送手段を整備するのが本来でしょう
JRで働くのがいやならタクシーに移ってくださいというのでは
いかにも無責任な話

毎日のように流れるCMは医療保険で、万が一の時に備えて、入院保険がいくらとか疾病保険がいくらとか言っている。
いや、万が一の時は、国民健康保険と会社の健康保険で、充分なんですよ
そのための助け合いなんだから
そこのところをきちんと宣伝しなくちゃ
でも広告主に対しては何も言わないのがマスコミというものだ

方向としては国民皆保険は難しい、「自己責任」「選択制」「官から民へ」にしようではないかというもの
それがアメリカからの要望書というか指示書に書いてある
社保がなくなって、大きなマーケットができて、それをアフラックとオリックスで山分け、
問題は国保部分で、国保についてはアフラックもオリックスも引き受けたくないだろう。
赤字なのだから。

むしろ
中医協で「普通の判断」をして欲しいものだが

そんなわけで
お金持ちしか都心部では開業できなくなっている
リスクが大きすぎる

もうここまで来ているのだから
診療報酬をどうするなんてあまり関係ない

医療を取り巻く「諸経費」の包囲網はなかなかすさまじい
まず税金
お医者さんが相手だと
コンピュータソフトも急に高くなるし
医院建築は特別の坪単価だ
検査会社からなにからいろんな会社が寄生している

お医者さんが高級車に乗るのは
好きだからじゃなくて
業者が強力に誘導することの結果でもある
商売トークに乗せられた結果でしかない

みなさんのいい飯の種というわけで
あとには何も残らない
残らないからまた働き続ける

内部留保を形成してそれを再投資して
組織として大きくなるとか強くなるとかは
法律がそのようにできていないので
無理がある

第五次改正の医療法の趣旨から言えば
やはり医療は国家に属するもので国家統制の元にあるとしか言えない
テクニカルに抜け道はあるけれど
だからいいというわけではない
法の趣旨が問題だと思うが、どうだろう


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10年ぶりに糖尿病の診断基準改定へ

10年ぶりに糖尿病の診断基準改定へ
HbA1cの扱い、表記が焦点に(日経メディカル)

 日本の糖尿病診断基準の改定作業が山場を迎えた。HbA1c を現行基準にどう組み込むかが議論の焦点となっている。一方、HbA1c の表記法についても、米国を中心とした国際的な表記法の併記で、国際比較ができるようにする見込みだ。


「国際専門家委員会の勧告は、あくまで任命された専門家の意見にすぎない」と話す東大の門脇孝氏。

 今年7月、米国糖尿病学会(ADA)・欧州糖尿病学会(EASD)・国際糖尿病連合(IDF)の3団体から任命されたメンバーによる国際専門家委員会(International ExpertCommitte)は、A1C(米国を中心とした表記によるHbA1c 値)6.5%以上を糖尿病と診断すべきとする勧告をまとめ、Diabetes Care 誌7月号に発表した(表1)。

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 これまでの血糖値による診断から、原則HbA1cのみでの診断へという大胆な方向転換は、日本の専門医の間でも話題を呼んだ。東大大学院糖尿病・代謝内科教授で日本糖尿病学会理事長の門脇孝氏はこの勧告について、「あくまで任命された専門家の見解にすぎず、各学会の診断基準がそのように改定されたわけではない」と話すが、米国を中心とした国際専門家委員会の勧告が、日本の診断基準改定にどう影響を与えるかが注目される。

日本の診断基準はどうなる
 もっとも、日本の診断基準の見直し作業は、この勧告をきっかけにスタートしたわけではない。勧告が発表される前の今年2月に「糖尿病診断基準検討委員会」が設置され、既に議論を開始していた。同委員会委員長の清野裕氏(関西電力病院院長)は、「日本は世界に先駆けてHbA1cを診断基準に取り入れている。しかし施設間および測定法によるばらつきがあり、同値のみでの診断は難しい。国際的な動向は配慮するが、血糖値を基本とした現行の診断基準はよくできており、この骨子を変えるつもりはない」と強調する。

 それでは、今回の改定でHbA1cの扱いはどうなるのか。

 現行の診断基準では、(1)早朝空腹時血糖値126mg/dL以上(2)75g糖負荷試験で2時間値200mg/dL以上(3)随時血糖値200mg/dL以上─のいずれかが確認されれば「糖尿病型」と判定。別の日に行った検査で(1)~(3)のいずれかが再度確認されれば、「糖尿病」と診断する。

 門脇氏は、「個人的には、現行の3つの血糖値の基準は変えず、HbA1cを加えることで、糖尿病を診断する間口を広げることができるかもしれないと考えている」と話す。現行の基準に(4)として、HbA1c が加わる可能性もあるわけだ(表2)

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臨床現場への影響は
 日本はこれまでも、HbA1cを治療上の血糖コントロール指標として重視するだけでなく、診断基準にも補助的に取り入れてきた。具体的には、血糖値のいずれかが糖尿病型で、同時に測定したHbA1c が6.5% 以上のときには、1 回の検査で糖尿病と診断してよいとしている(表2)。

 ただし、この6.5%という値は日本独自の算出法による表記(JDS値)で、米国などが採用している国際的な表記(後述のNGSP値)だと約6.9%になる。同じサンプルを測定してもNGSP値だと約0.4%高くなる点に注意が必要だ。

 仮に、国際専門家委員会の勧告(A1C6.5%以上)に合わせて、表2のように「HbA1c6.1%以上」という項目が加わるとすると、どのような影響が出るのだろうか。

 朝日生命成人病研究所の大西由希子氏は、「HbA1c が“注釈”ではなく血糖値と同格の扱いになるということ。一般医がHbA1cで迷いなく糖尿病を疑えるようになるだろう」と話す。

 糖尿病治療が専門の細川内科クリニック(東京都港区)院長の細川和広氏も、「空腹時ないし随時血糖値と同じレベルの信頼できる指標として、HbA1cが扱えるようになる意味は大きい。もしそうなれば、健診などで早期の糖尿病患者の拾い上げが進むのではないか」とコメントする。

 今後の日本の診断基準策定のスケジュールとしては、検討委員会のたたき台を基に、11月1日の「糖尿病の診断基準とHbA1cの国際標準化に関するシンポジウム」でパブリックコメントを求めた上で、最終調整を行う見込みだ。

 米国(ADA)の新しい診断基準もまだ発表されていないが、国際専門家委員会の勧告を踏まえ、A1C6.5%以上で糖尿病を診断する方向へ向かう可能性もある。一方、WHOの診断基準検討会議のメンバーの1人でもある門脇氏は、「世界的にはHbA1cを測定できない国が多いことなどから、WHOは従来の血糖値の診断基準を踏襲し、HbA1cは補助的に取り入れることになるのではないか」と予想する。

米国がHbA1c重視の理由
 HbA1cは慢性の高血糖状態をよく反映する優れた指標だ。しかし、10年前の診断基準改定では、血糖値のカットオフ値に焦点が置かれた。できるだけ早期の軽症患者を拾い上げる目的で、日本を含め、ADA、WHOは、一斉に空腹時血糖のボーダーラインを140mg/dLから126mg/dLへ引き下げた。同時に糖負荷試験をほとんど実施していなかった米国は、「空腹時血糖」を重視する方向を打ち出した。

 ところが、ここにきて米国がHbA1cを重視するに至ったのはなぜなのか。東大の植木浩二郎氏は、「糖負荷試験を行わない米国は結局、空腹時血糖だけでは十分に糖尿病患者をスクリーニングしきれなかったということだろう。簡便な指標にしたいというのがこれまでの米国の方針。ようやく米国ではHbA1cの精度管理が進み施設間の測定のばらつきが少なくなったことに加え、世界的な標準化の合意がなされたことなどが背景にある」と説明する。

 HbA1cを診断に使用するメリットとして国際専門家委員会は、長期の血糖状態をよく反映する、測定法の国際標準化が進んでいる、採血後比較的安定しており測定値のばらつきが少ない、採血前の絶食や糖負荷などを必要とせず患者の負担が少ない、既に治療の管理目標に使われている─などを挙げている。また、A1C6.5%以上というカットオフ値については、感度よりも特異度を重視し、糖尿病網膜症罹患率が上昇し始める値としている(図1)。ただし、糖尿病リスクは連続的に増加することを考慮し、6.5%未満でも6.0%以上の場合には、何らかの予防的介入を推奨している(1ページ目、表1)。

 とはいえ日本では、HbA1cのみの診断に疑問の声も少なくない。「糖負荷試験は、明らかに空腹時血糖が高い人などに行うのは問題だが、専門医の補助的なツールとして残しておくべきだ」と細川氏。

 植木氏も、「糖尿病やその可能性のある人を広くスクリーニングするという意味ではHbA1cは優れた指標だが、将来糖尿病になりやすい糖尿病予備軍を見極めるにはインスリン分泌能やインスリン感受性などを見る必要があり、糖負荷試験が極めて有用だ」と指摘する。

日本独自の表記法も変更か
 日本の診断基準にHbA1cをどう組み込むかという問題のほかに、もう1つ大きな議論がある。それは日本独自のJDS法によるHbA1cの表記(JDS値)をどう改めるかだ。

 日本は早くからHbA1cの標準化を進めてきたが、2007年に国際臨床化学連合(IFCC)が国際標準化の検討を実施。その結果、測定はヘモグロビンβ鎖N 末端の糖化物を対象物質とし、測定値はmmoL/moLを単位とするIFCC値と、換算して%で得られる国際標準値(NGSP値)の2つを併記するという勧告が発表された。それ以降、国際的な学会発表や論文などでは米国を中心にNGSP値(A1C)が主流となりつつある。

 日本もこうした流れを受け、「糖尿病関連検査の標準化に関する委員会」(委員長・滋賀医大病院長の柏木厚典氏)で検討中だ。最終的にIFCC値に移行していくことになるとしても、国際的に広く使用されているNGSP値は無視できない。清野氏は、「当面は混乱が予想されるため、日本ではNGSP値とJDS値の併記になるのではないか」と話している。

ーー
血糖値は精神科関係の薬剤を使うときにも気になる点ではあり
また現在のように血糖値が上がりすぎる環境にあり、ストレス解消が血糖をあげること
というような社会では重大な問題である。

ところで
ここ数年、糖尿病と言えばほぼ必ず講演会に出てきて講演している某先生が
このインタビューに登場していないのが印象的。
今度の講演会では何を言うかなと楽しみでもある。

「施設間および測定法によるばらつきがあり、同値のみでの診断は難しい。」なんていう
すべてをひっくり返すコメントもあり、興味深い。


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クリスマスの希望

クリスマスもそろそろだし
神様に今年の分を褒めてもらえるようにしたいな

最終的にはあの世に行ったときに
神様に褒めてほしいな

忘れないでね
神様


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Halloween cookie

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写真 (2).jpg


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生きる理由

生きる理由を考えると確信が持てないというのだが

たぶん誰も確信は持てない

あれこれとスケジュールがあって
気が紛れているだけ

考えることを先送りしているだけ

でも
生きる理由を考えたら人生が充実するか
あるいは
目先のいろいろのスケジュールをエンジョイした方が人生が充実するか
それが判断基準だろう

どちらが人生が充実しそうか


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モバイル版Googleカレンダー

モバイル版Googleカレンダーでは予定の確認だけが可能です。入力はパソコンで行い、携帯電話はいつでも予定を確認できるツールとして利用しましょう。

モバイル版Googleカレンダーにログインする

モバイル版Googleカレンダー
http://www.google.com/calendar

1携帯電話でURLを直接入力し、http://www.google.com/calendarを開く,2Googleアカウントを作成したメールアドレスを入力,3パスワードを入力,4[ログイン]を押す

予定を確認する

予定の名前を押すと詳細が表示される,今日以降の予定が一覧で表示されている,[前へ]を押すと過去の予定が表示される,[次へ]を押すと未来の予定が表示される

モバイル版では予定リストが表示される

モバイル版Googleカレンダーでは、日・週・月のカレンダー形式ではなく、予定が並ぶリストの形式で表示されます。この表示形式は、パソコンでも[予定リスト]をクリックすることで切り替えられます。なお、モバイル版Googleカレンダーでは予定の入力ができません。予定の入力はパソコンがある場所で、出先ではモバイル版でシンプルの予定を確認、という使い分けをしましょう。

モバイル版のカレンダーをカスタマイズしよう

ページの下にある[カレンダー設定]を押すと、表示するカレンダーの選択と、時間の表示形式の変更(12時間か24時間)が行えます。出先で見たいカレンダーだけを表示するなど、使いやすい形にカスタマイズしましょう。



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キャプチャー画面

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200910273.JPG

このお洋服いいですね
似合ってます


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メニエール病、原因は「耳石片」

メニエール病、原因は「耳石片」?
KEYWORDメニエール病

大阪市大教授ら確認

 

難聴や激しいめまいを伴うメニエール病の原因とみられる耳の病変を、大阪市立大の山根英雄教授らが見つけた。

これらの症状は平衡感覚をつかさどる耳の奥の「内耳」にリンパ液がたまって水ぶくれになり、正常な機能が損なわれて起きるが、原因は不明だった。

山根教授らは内耳にある炭酸カルシウムの集まったもの(耳石)から小片がはがれ、液が流れる管を詰まらせるのを確認した。メニエール病は国の特定疾患に指定されている病気だが、今回の成果で詰まりを除去する根本的な治療法の開発などに期待が寄せられる。

耳石は、人間の内耳にある袋に入っている。山根教授らは、メニエール病の患者12人と病気のない12人の協力を得て、耳石の入った袋のうち「球形のう」と呼ばれるものとその周辺をCTで観察した。患者8人で、袋の真下にある直径0・1ミリほどの管に耳石からはがれた小片がたまっている様子が確認できた。他の個所が詰まっているとみられる患者4人に病変はなかった。

(記事提供:読売新聞)



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無血の平成維新・脱官僚

無血の平成維新・脱官僚と演説したわけだが
分からないのは郵政のトップ人事である。

日本郵政社長に斎藤次郎・元大蔵事務次官が就任したのは
どういうことなんだろうか

昔は逓信省だった
その頃に作った病院が逓信病院だ

東京逓信は郵政省で
関東逓信は電電公社だった

電電公社が株式会社NTTになって電波関係が郵政省の縄張りになった
一時は電波許認可権で郵政省は結構威張っていた
関東逓信病院はNTT東日本関東病院と呼ばれることになった

郵政が分割公社化に伴い
電波許認可が総務省の管轄になった

こうなると郵政省関係者はかなり弱体化

いろいろあって今回は元大蔵事務次官にトップを持って行かれた

省庁といってもずいぶんと力関係があるものだと思う

もちろん
世間の批判はそこではない

脱官僚といっている民主党がどうして官僚の大ボスを激しい天下りポストに就けるのかだ

もちろん民主党は嫌だったに違いないが
財務省が仕切ったわけだ
民主党は財務省に負けた
あるいは取引をした
そんなことが新聞には書いてある

しかしこれは財務省が大衆に対して真っ向から宣戦布告したことと同じだと思う

昔からある財務省の実質支配は変わらない
そんなことは分かり切っている
日本に財務官僚以上の人材はいないのも分かっている
選抜された人間が
本気で「内部」トレーニングを受けるのだから
二重の意味で
外部の人間がかなうはずはないのだ

最近は外圧でどうも弱ったものだけれど

さて、そのような実質の権力を持った側が、
何となく風向きが悪いときには、陰から支配するのが普通だ

国民受けのいい人を社長にたてておいて
陰からリモコン操縦すればいいだけで
何の不自由もない

それなのになぜこのタイミングで
このように国民に対して挑戦的な人事をしているのか
それは国民にはすんなりとは理解できない

ーー
推定すれば、
このポストをこのタイミングで斎藤次郎でとらなければ
ほかの勢力に蹂躙されるとの思いがあったのだと思う

一時的には相当の抵抗があるが
何年かの後には
勝利できると踏んで、相当思い切った決断だったと思う

そのために民主党とは取引をした

民主党は脱官僚と言い続け選挙に勝ち
党首の所信表明演説でも脱官僚を語り、
同時になぜか斉藤郵政社長人事である

この平気さが平成味なのだろう


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鳩山首相、所信表明演説

◆はじめに◆

 あの暑い夏の総選挙の日から、すでに2か月がたとうとしています。また、私が内閣総理大臣の指名を受け、民主党、社会民主党、国民新党の3党連立政策合意の下に、新たな内閣を発足させてから、40日がたとうとしています。

 総選挙において、国民の皆さまは政権交代を選択されました。これは日本に民主主義が定着してから、実質的に初めてのことです。

 長年続いた政治家と官僚のもたれ合いの関係、しがらみや既得権益によって機能しなくなった政治、年金や医療への心配、そして将来への不安など、「今の日本の政治をなんとかしてくれないと困る」という国民の声が、この政権交代をもたらしたのだと私は認識しております。その意味において、あの夏の総選挙の勝利者は国民一人ひとりです。その、一人ひとりの強い意思と熱い期待に応えるべく、私たちは「今こそ日本の歴史を変える」との意気込みで、国政の変革に取り組んでまいります。

 この間、私たちは、新しい政権づくり、新しい政治の枠組みづくりに必死に取り組んでまいりました。その過程において、国民の皆さまの変革への期待を感ずる一方、「本当に変革なんてできるのだろうか」という疑いや、「政治なんて変わらない」「政治が変わっても、自分たちの生活は変わらない」というあきらめの感情が、いまだ強く国民の中にあることを痛感させられました。

 ここまでの政治不信、国民の間に広がるあきらめの感情の責任は、必ずしも従来の与党だけにあったとは思っておりません。野党であった私たち自身も、自らの責任を自覚しながら問題の解決に取り組まなければならないと考えております。

 ここに集まられた議員の皆さん。

 私たちが全力を振り絞ってお互いに闘ったあの暑い夏の日々を思い出してください。皆さんが、全国の町や村、街頭や路地裏、山や海、学校や病院で、国民の皆さまから直接聞いた声を思い出してください。

 議員の皆さん、皆さんが受け止めた、国民一人ひとりの願いを、互いにかみしめ、しっかりと、一緒に、実現していこうではありませんか。政党や政治家のためではなく、選挙のためでももちろんなく、真に国民のためになる議論を、力の限り、この国会でぶつけ合っていこうではありませんか。

 変革の本番はまさにこれからです。今日を、その新たな出発の日としようではありませんか。

 ◆戦後行政の大掃除◆

 私は、政治と行政に対する国民の信頼を回復するために、行政の無駄や因習を改め、まずは政治家が率先して汗をかくことが重要だと考えております。

 このために、鳩山内閣は、これまでの官僚依存の仕組みを排し、政治主導・国民主導の新しい政治へと百八十度転換させようとしています。各省庁における政策の決定は、官僚を介さず、大臣、副大臣、大臣政務官からなる「政務三役会議」が担うとともに、政府としての意思決定を内閣に一元化しました。また、事務次官等会議を廃止し、国民の審判を受けた政治家が自ら率先して政策の調整や決定を行うようにいたしました。重要な政策については、各閣僚委員会において徹底的に議論を重ねた上で結論を出すことにいたしました。

 この新たな体制の下、まず行うべきことは「戦後行政の大掃除」です。特に二つの面で、大きな変革を断行しなければなりません。

 ひとつめは「組織や事業の大掃除」です。

 私が主宰する行政刷新会議は、政府のすべての予算や事務・事業、さらには規制のあり方を見直していきます。税金の無駄遣いを徹底して排除するとともに、行政内部の密約や省庁間の覚書も世の中に明らかにしてまいります。すでに、本年度補正予算を見直した結果、約3兆円にも相当する不要不急の事業を停止させることができました。この3兆円は、国民の皆さまからお預かりした大事な予算として、国民の皆さまの生活を支援し、景気回復に役立つ使い途へと振り向けさせていただきます。今後も継続して、さらに徹底的に税金の無駄遣いを洗い出し、私たちから見て意味のわからない事業については、国民の皆さまに率直にその旨をお伝えすることによって、行政の奥深くまで入り込んだしがらみや既得権益を一掃してまいります。また、右肩上がりの成長期に作られた中央集権・護送船団方式の法制度を見直し、地域主権型の法制度へと抜本的に変えてまいります。加えて、国家公務員の天下りや渡りのあっせんについてもこれを全面的に禁止し、労働基本権のあり方を含めて、国家公務員制度の抜本的な改革を進めてまいります。

 情報面におきましても、行政情報の公開・提供を積極的に進め、国民と情報を共有するとともに、国民からの政策提案を募り、国民の参加によるオープンな政策決定を推進します。

 もうひとつの「大掃除」は、税金の使い途と予算の編成のあり方を徹底的に見直すことです。

 国民の利益の視点、さらには地球全体の利益の視点に立って、縦割り行政の垣根を排し、戦略的に税財政の骨格や経済運営の基本方針を立案していかなければなりません。私たちは、国民に見えるかたちで複数年度を視野に入れたトップダウン型の予算編成を行うとともに、個々の予算事業がどのような政策目標を掲げ、またそれがどのように達成されたのかが、納税者に十分に説明できるように事業を執行するよう、予算編成と執行のあり方を大きく改めてまいります。すでに、これまでは作ることを前提に考えられてきたダムや道路、空港や港などの大規模な公共事業について、国民にとって本当に必要なものかどうかを、もう一度見極めることからやり直すという発想に転換いたしました。今後もまた、私と菅副総理のもと、国家戦略室において財政のあり方を根本から見直し、「コンクリートから人へ」の理念に沿ったかたちで、硬直化した財政構造を転換してまいります。国民の暮らしを守るための財政のあるべき姿を明確にした上で、長く大きな視野に立った財政再建の道筋を検討してまいります。

 政治もまた、国民の信頼を取り戻さなければなりません。政治資金をめぐる国民の皆さまのご批判を真摯(しんし)に受け止め、政治家一人ひとりが襟を正し、透明性を確保することはもちろん、しがらみや既得権益といったものを根本から断ち切る政治を目指さなければなりません。私の政治資金の問題によって、政治への不信を持たれ、国民の皆さまにご迷惑をおかけしたことを、誠に申し訳なく思っております。今後、政治への信頼を取り戻せるよう、捜査に全面的に協力してまいります。

◆いのちを守り、国民生活を第一とした政治◆

 ◆友愛政治の原点◆

 私もまた、この夏の選挙戦では、日本列島を北から南まで訪ね、多くの国民の皆さまの期待と悲痛な叫びを耳にしてきました。

 青森県に遊説に参った際、大勢の方々と握手させていただいた中で、私の手を離そうとしない、一人のおばあさんがいらっしゃいました。息子さんが職に就けず、自らのいのちを断つしか途がなかった、その哀しみを、そのおばあさんは私に対して切々と訴えられたのです。毎年3万人以上の方々のいのちが、絶望の中で断たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか。おばあさんのその手の感触。その眼の中の悲しみ。私には忘れることができませんし、断じて忘れてはならない。社会の中に自らのささやかな「居場所」すら見つけることができず、いのちを断つ人が後を絶たない、しかも政治も行政もそのことに全く鈍感になっている、そのことの異常を正し、支え合いという日本の伝統を現代にふさわしいかたちで立て直すことが、私の第一の任務です。

 かつて、多くの政治家は、「政治は弱者のためにある」と断言してまいりました。大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。そのことだけは、私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます。

 今回の選挙の結果は、このような「もっとも大切なこと」をおろそかにし続けてきた政治と行政に対する痛烈な批判であり、私どもはその声に謙虚に耳を傾け、真摯に取り組まなければならないと、決意を新たにしております。

 ◆国民のいのちと生活を守る政治◆

 本当の意味での「国民主権」の国づくりをするために必要なのは、まず、何よりも、人のいのちを大切にし、国民の生活を守る政治です。

 かつて、高度経済成長の原動力となったのは、貧困から抜けだし、自らの生活や家族を守り、より安定した暮らしを実現したいという、国民の切実な思いでした。ところが、国民皆年金や国民皆保険の導入から約50年がたった今、生活の安心、そして将来への安心が再び大きく揺らいでいます。これを早急に正さなければなりません。

 年金については、今後2年間、「国家プロジェクト」として、年金記録問題について集中的な取り組みを行い、一日も早く国民の信頼を取り戻せるよう、最大限の努力を行ってまいります。そして、公平・透明で、かつ、将来にわたって安心できる新たな年金制度の創設に向けて、着実に取り組んでまいります。もとより、制度としての正確性を求めることは重要ですが、国民の生活様式の多様化に基づいた、柔軟性のある、ミスが起こってもそれを隠さずに改めていける、新しい時代の制度改革を目指します。

 医療、介護についても必死に取り組みます。新型インフルエンザ対策について万全の準備と対応を尽くすことはもちろん、財政のみの視点から医療費や介護費をひたすら抑制してきたこれまでの方針を転換し、質の高い医療・介護サービスを効率的かつ安定的に供給できる体制づくりに着手します。優れた人材を確保するとともに、地域医療や、救急、産科、小児科などの医療提供体制を再建していかなければなりません。高齢者の方々を年齢で差別する後期高齢者医療制度については、廃止に向けて新たな制度の検討を進めてまいります。

 子育てや教育は、もはや個人の問題ではなく、未来への投資として、社会全体が助け合い負担するという発想が必要です。人間らしい社会とは、本来、子どもやお年寄りなどの弱い立場の方々を社会全体で支え合うものであるはずです。子どもを産み育てることを経済的な理由であきらめることのない国、子育てや介護のために仕事をあきらめなくてもよい国、そして、すべての意志ある人が質の高い教育を受けられる国を目指していこうではありませんか。このために、財源をきちんと確保しながら、子ども手当の創設、高校の実質無償化、奨学金の大幅な拡充などを進めていきたいと思っております。

 さらに、生活保護の母子加算を年内に復活させるとともに、障害者自立支援法については早期の廃止に向け検討を進めます。また、職場や子育てなど、あらゆる面での男女共同参画を進め、すべての人々が偏見から解放され、分け隔てなく参加できる社会、先住民族であるアイヌの方々の歴史や文化を尊重するなど、多文化が共生し、誰もが尊厳をもって、生き生きと暮らせる社会を実現することが、私の進める友愛政治の目標となります。

◆「居場所と出番」のある社会、「支え合って生きていく日本」◆

 ◆人の笑顔がわが歓び◆

 先日、訪問させていただいたあるチョーク工場のお話を申し上げます。

 創業者である社長は、昭和34年の秋に、近所の養護学校の先生から頼まれて2人の卒業生を仮採用しました。毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない2人に、女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。私たちが面倒みるから就職させてやってください」と懇願したそうです。そして、次の年も、また次の年も、養護学校からの採用が続きました。

 ある年、とある会でお寺のご住職が、その社長の隣に座られました。

 社長はご住職に質問しました。

 「文字も数も読めない子どもたちです。施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て、一生懸命働くのでしょう?」

 ご住職はこうおっしゃったそうです。

 「ものやお金があれば幸せだと思いますか」。続いて、「人間の究極の幸せは四つです。愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること。働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです」

 「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、これは社長の実体験を踏まえた感想です。

 このチョーク工場は、従業員のうち7割が「障がい」という「試練」を与えられた、いわば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。障がいを持った方たちも、あるいは高齢者も、難病の患者さんも、人間は、人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸せを感じるということを、この逸話は物語っているのではないでしょうか。

 私が尊敬するアインシュタイン博士も、次のように述べています。

 「人は他人のために存在する。何よりもまず、その人の笑顔や喜びがそのまま自分の幸せである人たちのために。そして、共感という絆(きずな)で結ばれている無数にいる見知らぬ人たちのために」

 ◆地域の「絆」◆

 ここ10年余り、日本の地域は急速に疲弊しつつあります。経済的な意味での疲弊や格差の拡大だけでなく、これまで日本の社会を支えてきた地域の「絆」が、今やずたずたに切り裂かれつつあるのです。しかし、昔を懐かしんでいるだけでは地域社会を再生することはできません。

 かつての「誰もが誰もを知っている」という地縁・血縁型の地域共同体は、もはや失われつつあります。そこで、次に私たちが目指すべきは、単純に昔ながらの共同体に戻るのではない、新しい共同体のあり方です。スポーツや芸術文化活動、子育て、介護などのボランティア活動、環境保護運動、地域防災、そしてインターネットでのつながりなどを活用して、「誰かが誰かを知っている」という信頼の市民ネットワークを編みなおすことです。「あのおじいさんは、一見偏屈そうだけど、ボランティアになると笑顔が素敵なんだ」とか「あのブラジル人は、無口だけど、ホントはやさしくて子どもにサッカー教えるのもうまいんだよ」とかいった、それぞれの価値を共有することでつながっていく、新しい「絆」をつくりたいと考えています。

 幸い、現在、全国各地で、子育て、介護、教育、街づくりなど、自分たちに身近な問題をまずは自分たちの手で解決してみようという動きが、市民やNPOなどを中心に広がっています。子育ての不安を抱えて孤独になりがちな親たちを応援するために、地域で親子教室を開催し、本音で話せる「居場所」を提供している方々もいらっしゃいます。また、こうした活動を通じて支えられた親たちの中には、逆に、支援する側として活動に参加し、自らの経験を活かした新たな「出番」を見いだす方々もいらっしゃいます。

 ◆「新しい公共」◆

 働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。

 私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。

 国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、21世紀の政治の役割だと私は考えています。

 新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育み発展させてこそ、社会の「絆」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。

 私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが「居場所と出番」を見いだすことのできる「支え合って生きていく日本」を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります。

 

◆人間のための経済へ◆

 市場における自由な経済活動が、社会の活力を生み出し、国民生活を豊かにするのは自明のことです。しかし、市場にすべてを任せ、強い者だけが生き残ればよいという発想や、国民の暮らしを犠牲にしても、経済合理性を追求するという発想がもはや成り立たないことも明らかです。

 私は、「人間のための経済」への転換を提唱したいと思います。それは、経済合理性や経済成長率に偏った評価軸で経済をとらえるのをやめようということです。経済面での自由な競争は促しつつも、雇用や人材育成といった面でのセーフティーネットを整備し、食品の安全や治安の確保、消費者の視点を重視するといった、国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、そして社会へ転換させなければなりません。

 ◆経済・雇用危機の克服と安定した経済成長◆

 先の金融・経済危機は、経済や雇用に深刻な影響を及ぼし、今なお予断を許さない状況にあります。私自身、全国各地で、地域の中小企業の方々とお会いし、地域経済の疲弊や経済危機の荒波の中で、歯を食いしばって必死に努力されている中小企業主の皆さんの生の声をお伺いしてまいりました。まさにこうした方々が日本経済の底力であり、その方々を応援するのが政治の責務にほかなりません。経済の動向を注意深く見守りつつ、雇用情勢の一層の悪化や消費の腰折れ、地域経済や中小企業の資金繰りの厳しさなどの課題に対応して、日本経済を自律的な民需による回復軌道に乗せるとともに、国際的な政策協調にも留意しつつ持続的な成長を確保することは、鳩山内閣の最も重要な課題となります。

 私たちは、今国会に、金融機関の中小企業への貸し渋り、貸しはがしを是正するための法案を提出いたします。また、政府が一丸となって雇用対策に取り組むため、先般、緊急雇用対策本部を立ち上げ、職を失い生活に困窮されている方々への支援、新卒・未就職の方々への対応、中小企業者への配慮、雇用創造への本格的な取り組みなど、細やかで機動的な緊急雇用対策を政府として決定したところです。このような時にこそ、地方公共団体や企業、労働組合、NPOの方々を含め、社会全体が、支え合いの精神で雇用確保に向けた努力を行っていくべきだと考えます。

 年金、医療、介護など社会保障制度への不信感からくる、将来への漠然とした不安をぬぐい去ると同時に、子ども手当の創設、ガソリン税の暫定税率の廃止、さらには高速道路の原則無料化など、家計を直接応援することによって、国民が安心して暮らせる「人間のための経済」への転換を図っていきます。そして物心両面から個人消費の拡大を目指してまいります。

 同時に、内需を中心とした安定的な成長を実現することが極めて重要となります。世界最高の低炭素型産業、「緑の産業」を成長の柱として育てあげ、国民生活のあらゆる場面における情報通信技術の利活用の促進や、先端分野における研究開発、人材育成の強化などにより、科学技術の力で世界をリードするとともに、今一度、規制のあり方を全面的に見直し、新たな需要サイクルを創出してまいります。また、公共事業依存型の産業構造を「コンクリートから人へ」という基本方針に基づき、転換してまいります。暮らしの安心を支える医療や介護、未来への投資である子育てや教育、地域を支える農業、林業、観光などの分野で、しっかりとした産業を育て、新しい雇用と需要を生み出してまいります。さらに、わが国の空港や港を、世界、そしてアジアの国際拠点とするため、羽田の24時間国際拠点空港化など、真に必要なインフラ整備を戦略的に進めるとともに、環境分野をはじめとする成長産業を通じて、アジアの成長を強力に後押しし、わが国を含めたアジア全体の活力ある発展を促してまいります。

 ◆「地域主権」改革の断行◆

 「人間のための経済」を実現するために、私は、地域のことは地域に住む住民が決める、活気に満ちた地域社会をつくるための「地域主権」改革を断行します。

 いかなる政策にどれだけの予算を投入し、どのような地域を目指すのか、これは、本来、地域の住民自身が考え、決めるべきことです。中央集権の金太郎あめのような国家をつくるのではなく、国の縛りを極力少なくすることによって、地域で頑張っておられる住民が主役となりうる、そんな新しい国づくりに向けて全力で取り組んでまいります。そのための第一歩として、地方の自主財源の充実、強化に努めます。

 国と地方の関係も変えなければなりません。国が地方に優越する上下関係から、対等の立場で対話していける新たなパートナーシップ関係への根本的な転換です。それと同時に、国と地方が対等に協議する場の法制化を実現しなければなりません。こうした改革の土台には、地域に住む住民の皆さんに、自らの暮らす町や村の未来に対する責任を持っていただくという、住民主体の新しい発想があります。

 同時に、活気に満ちた地域社会をつくるため、国が担うべき役割は率先して果たします。戸別所得補償制度の創設を含めて農林漁業を立て直し、活力ある農山漁村を再生するとともに、生活の利便性を確保し、地域社会を活性化するため、郵便局ネットワークを地域の拠点として位置付けるなど、郵政事業の抜本的な見直しに向けて取り組んでまいります。

 

 

日本は、経済だけでなく、環境、平和、文化、科学技術など、多くの面で経験と実力を兼ね備える国です。だからこそ、国連総会で申し上げたように、ほかでもない日本が、地球温暖化や核拡散問題、アフリカをはじめとする貧困の問題など、地球規模の課題の克服に向けて立ち上がり、東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明の間の「架け橋」とならなければなりません。こうした役割を積極的に果たしていくことこそ、すべての国民が日本人であることに希望と誇りを持てる国になり、そして、世界の「架け橋」として国際社会から信頼される国になる第一歩となるはずです。

 世界は、今、地球温暖化という、人類の生存にかかわる脅威に直面しています。本年12月のコペンハーゲンにおけるCOP15に向けて、地球温暖化という大きな脅威に対して立ち向かっていますが、このことは、決して生易しいことではありません。

 しかし、私は確信しております。資源小国・日本が、これまで石油危機や公害問題を乗り越える中で培ってきた技術にさらに磨きをかけ、世界の先頭に立って走ることで、必ずや解決に向けた道筋を切り拓くことができると。そして、同時にそれが、日本経済にとっての大きなチャンスであることも、過去の歴史が示しております。

 私は、すべての主要国による公平かつ実効性ある国際的枠組みの構築や意欲的な目標の合意を前提として、2020年に、温室効果ガスを、1990年比で25%削減するとの目標を掲げ、国際交渉を主導してまいります。

 また、途上国支援のための「鳩山イニシアティブ」を実行することで、先進国と途上国との「架け橋」としての役割を積極的に果たし、世界規模での「環境と経済の両立」の実現、「低炭素型社会」への転換に貢献してまいります。そのため、地球と日本の環境を守り、未来の子どもたちに引き継いでいくための行動を、「チャレンジ25」と名付け、国民の皆さまと一緒に、私の政治的リーダーシップのもと、あらゆる政策を総動員し、推進してまいります。

 人類の生存の上で、核兵器の存在や核の拡散ほど深刻な問題はありません。私は、オバマ大統領が勇気を持って打ち出した「核のない世界」という提案に深く共感し、これを強く支持します。しかし、そのことは、米国のみが核廃絶に向けた責任を負うということではありません。むしろ、すべての国が責任を自覚し、行動を起こすことが求められているのです。唯一の被爆国として核廃絶を主張し、また、非核三原則を堅持してきた日本ほど、「核のない世界」の実現を説得力をもって世界に訴えることのできる国はありません。私は、世界の「架け橋」として、核軍縮や核不拡散に大きく貢献し、未来の子どもたちに「核のない世界」を残す重要な一歩を踏み出せるよう、不退転の決意で取り組みを進めてまいります。

 日本はまた、アジア太平洋地域に位置する海洋国家です。古来諸外国との交流や交易の中で、豊かな日本文化が育まれてまいりました。二度と再び日本を取り巻く海を「争いの海」にしてはいけません。友好と連帯の「実りの海」であり続けるための努力を続けることが大切です。このことは、日本のみならず、アジア太平洋地域、そして世界全体の利益だと考えます。その基盤となるのは、緊密かつ対等な日米同盟であります。ここで言う対等とは、日米両国の同盟関係が世界の平和と安全に果たせる役割や具体的な行動指針を、日本の側からも積極的に提言し、協力していけるような関係です。私は、日米の2国間関係はもとより、アジア太平洋地域の平和と繁栄、さらには、地球温暖化や「核のない世界」など、グローバルな課題の克服といった面でも、日本と米国とが連携し、協力し合う、重層的な日米同盟を深化させてまいります。また、こうした信頼関係の中で、両国間の懸案についても率直に話し合ってまいります。とりわけ、在日米軍再編につきましては、安全保障上の観点も踏まえつつ、過去の日米合意などの経緯も慎重に検証した上で、沖縄の方々が背負ってこられた負担、苦しみや悲しみに十分に思いをいたし、地元の皆さまの思いをしっかりと受け止めながら、真剣に取り組んでまいります。

 また、現在、国際社会全体が対処している最重要課題のひとつがアフガニスタン及びパキスタン支援の問題です。とりわけ、アフガニスタンは今、テロの脅威に対処しつつ、国家を再建し、社会の平和と安定を目指しています。日本としては、本当に必要とされている支援のあり方について検討の上、農業支援、元兵士に対する職業訓練、警察機能の強化等の日本の得意とする分野や方法で積極的な支援を行ってまいります。この関連では、インド洋における補給支援活動について、単純な延長は行わず、アフガニスタン支援の大きな文脈の中で、対処していく所存です。

 北朝鮮をめぐる問題に関しては、拉致、核、ミサイルといった諸懸案について包括的に解決し、その上で国交正常化を図るべく、関係国とも緊密に連携しつつ対処してまいります。核問題については、累次の国連安全保障理事会決議に基づく措置を厳格に履行しつつ、6者会合を通じて非核化を実現する努力を続けます。拉致問題については、考え得るあらゆる方策を使い、一日も早い解決を目指します。

 日露関係については、政治と経済を車の両輪として進めつつ、最大の懸案である北方領土問題を最終的に解決して平和条約を締結すべく精力的に取り組んでまいります。また、ロシアをアジア太平洋地域におけるパートナーと位置付けて協力関係を強化してまいります。

 先日来、私はアジア各国の首脳と率直かつ真摯な意見交換を重ねてまいりました。韓国、中国、さらには東南アジアなどの近隣諸国との関係については、多様な価値観を相互に尊重しつつ、共通する点や協力できる点を積極的に見いだしていくことで、真の信頼関係を築き、協力を進めてまいります。

 アジア太平洋地域は、その長い歴史の中で、地震や水害など多くの自然災害に悩まされ続けてまいりました。最近でもスマトラ沖の地震災害において、日本の国際緊急援助隊が諸外国の先陣を切って被災地に到着し、救助や医療に貢献しました。世界最先端レベルと言われる日本の防災技術や救援・復興についての知識・経験、さらには非常に活発な防災・災害対策ボランティアのネットワークを、この地域全体に役立てることが今後、より必要とされてくると思っております。

 東アジア地域は、保健衛生面でいまだに大きな課題を抱えるとともに、新型インフルエンザをはじめとした新たな感染症・疾病対策の充実が急務です。この分野でも、日本の医療技術や保健所を含めた社会システム全体の貢献など、日本が果たすべき役割は極めて重要です。

 文化面での協力、交流関係の強化も重要です。

 東アジアは、多様な文化が入り交じりながら、しかし、歴史的にも、文化的にも、共通点が多くあります。政治経済の分野で厳しい交渉をすることがあっても、またイデオロギーや政治体制の違いはあっても、民衆間で、相互の文化への理解や共感を深め合っていくことが、どれほど各国間の信頼関係の醸成につながっているか、あらためて申すまでもありません。

 今後、さらに国民の間での文化交流事業を活性化させ、特に次世代の若者が、国境を越えて教育・文化・ボランティアなどの面で交流を深めることは、東アジア地域の相互の信頼関係を深化させるためにも極めて有効なものと考えております。このため、留学生の受け入れと派遣を大幅に拡充し、域内の各国言語・文化の専門家を飛躍的に増加させること、そして、日中韓で大学どうしの単位の互換制度を拡充することなどにより、30年後の東アジアやアジア太平洋協力を支える人材の育成に、長期的な視野で取り組んでまいります。

 貿易や経済連携、経済協力や環境などの分野に加えて、以上申し述べましたとおり、「人間のための経済」の一環として、「いのちと文化」の領域での協力を充実させ、他の地域に開かれた、透明性の高い協力体としての東アジア共同体構想を推進してまいりたいと考えます。

 

 

◆むすび◆

 地震列島、災害列島といわれる日本列島に私たちは暮らしています。大きな自然災害が日本を見舞うときのために万全の備えをするのが政治の第一の役割であります。

 また、同時に、その際、世界中の人々が、特にアジア近隣諸国の人々が、日本をなんとか救おう、日本に暮らす人々を助けよう、日本の文化を守ろうと、友愛の精神を持って日本に駆けつけてくれるような、そんな魅力にあふれる、諸国民から愛され、信頼される日本をつくりたい。これは私の偽らざる思いであります。

 日本は、140年前、明治維新という一大変革を成し遂げた国であります。現在、鳩山内閣が取り組んでいることは、言わば、「無血の平成維新」です。

 今日の維新は、官僚依存から、国民への大政奉還であり、中央集権から地域・現場主権へ、島国から開かれた海洋国家への、国のかたちの変革の試みです。

 新しい国づくりは、誰かに与えられるものではありません。現在の日本は、黒船という外圧もなければ、敗戦による焼け野原が眼前に広がるわけでもありません。そのような中で、変革を断行することは、先人の苦労に勝るとも劣らない大きな挑戦であります。

 つまずくこともあるでしょう。頭を打つこともあるやもしれません。しかし、後世の歴史家から「21世紀の最初の10年が過ぎようとしていたあの時期に、30年後、50年後の日本を見据えた改革が断行された」と評価されるような、強く大きな志を持った政権を目指したいと思っています。

 今なら間に合います。

 これまで量的な成長を追い求めてきた日本が、従来の発想のまま成熟から衰退への路をたどるのか、それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだしていくのか、今、その選択の岐路に立っているのです。

 私は、日本が正しい路を歩んでいけるよう、自らが先頭に立ち、国民の暮らしを守るための新たな政策を推し進めてまいります。

 私は、国民の積極的な政治や行政への参加を得て、国民とともに、本当の意味で歴史を変え、日本を飛躍へと導くために、全力を尽くしてまいります。

 国民の皆さま、議員の皆さま、私たちの変革の挑戦にお力をお貸しください。

 是非とも一緒に、新しい日本をつくっていこうではありませんか。

 

ーー
立派なものです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



共通テーマ:日記・雑感

人間は自分のしたひどいことは忘れる

人間は自分のしたとってもひどいことは忘れるようにできています

だから平気で生きてもいられるわけで
まじめで敏感な人は損をします

自分は誠実だとほぼ全員が思っています
他人は誠実さの点では自分ほどではないと考えている人が
多分半数くらい

おめでたいものなんです

ーー
これは原理的に無理もない理由があります

他人の痛みが分かるなら
そもそもそんなひどいことはしないのです

ひどいと分からないからするのであって
そうなると自分はひどいことは一つもしたことがないという記憶になります

ひどいことだと思ってひどいことをする人も少ないものです
ひどくないと思ってひどいことをしているのですから
実際ひどいという自覚は生まれようがありません

ーー
自分はひどいと自覚すれば
自殺したくなったりしますから
それもいいことなのかどうか分かりません

誠実な人が損をすることは確かです

逆に言えばみんなほどほどにずるいから生きているわけで
たとえばマンションの管理組合の会長みたいに
総理大臣にくじでなるとして
マスコミが洗いざらい調べ上げれば
それはもう当人の忘れていたようないろいろが出てくるはず

生きているということは他人を傷つけることでもあるわけです

幸いにして総理大臣になってあれこれ言われる可能性は
ゼロなので平気で生きていられるわけです

ーー
たとえば
先日、菅谷さん冤罪事件で
マスコミが最高裁での仕事の経験のある人にインタビューしていました

そのなかで、自分は間違っていない、悪いとも思わない、と言うようなことをいうわけです
自分たちは検察の提出した証拠を見ているだけで
それがどうしたこうしたは
自分たちの責任ではない
裁判所が自白を強要したのではないとか
というような発言だったと記憶しています
断片的に取り上げても不公平ですので、その点は留保が必要ですが
わたしが見かけた範囲ではそのようでした

マスコミとしては
そのような態度全般が冤罪事件に結びついているのだと思って聞いているのに
まさにその問題の態度を反復しているのです

自覚がないからまたやるだろうと
裁判官なら判断しそうなところ

ーー
この「自覚」が、どのようにして生まれるかは、
なかなか難しい

世界を解釈するときに
地動説でも天動説でも途中までは説明できます

よほど明敏な人でなければ
天動説では無理があるとは気付かないわけです

現代で言えば
人間に自由意志があるなどという確信です

刑法の表面的な基盤でもあり、道徳の表面的な基盤でもあり、
よく理解するにはずいぶんと時間がかかるだろうと思います

裁判所は天動説で間違っているとマスコミが言っているのに
裁判所は相変わらず
我々は天動説を守る機関なのだからそれでいいじゃないかと言っているわけで
話がかみ合わない

ーー
個人のレベルでもそんな感じだと思います

そもそもそんなに悪いと思っていないからやってしまうわけで
それをあれこれとがめられても
驚いたり人のせいにしたりします
挙げ句の果ては、言ってくれた人を非難したり
そんなことが多いわけです

しかたないですね

そんな中を、なんとか生きていくのが人生です


共通テーマ:日記・雑感

保育所の参入規制

保育所の数を増やすことは保育所間の競争を激化させ収益の悪化要因になるので、認可保育所にとっては、参入を少なくして待機児童が多い状態にしておく方が望ましい。そのため、既得権をもった保育所業界は、族議員と厚生労働省を使って、保育所の参入規制の緩和を骨抜きにしてきたという。この問題の解消方法として、鈴木氏は「子ども手当」を保育・教育バウチャーにして、無認可保育所にも切符の受け取りを許可することを提案している。これなら、「子ども手当」が子どものために使われないかもしれない、という心配もなくなる。

ーー
という話だ

ーー

認可保育所の規制緩和

認可保育所とは、児童福祉法に基づく児童福祉施設で、国が定めた設置基準

(施設の広さ、保育士等の職員数、給食設備、防災管理、衛生管理等)を

クリアして都道府県知事に認可された施設です。

 

区市町村が運営する「公立保育所」と社会福祉法人などが運営する

「民間保育所(私立)」があり、国や自治体からの補助や保護者の保育料により

運営されています。


入所には基準があり、「保護者が仕事や病気などの理由で、0歳~小学校就学前の

子供の保育ができない場合」とされています。

 

認可保育所への入所を希望している待機児童が増加している中、

その解消を目的として企業の参入を促進させるために認可保育所の

規制緩和が進んでいます。

 

施設面積や人員配置など、国が示す最低基準を満たせば、認可保育所として

公費援助を受けられる「指定性」の導入や、社会福祉法人だけが対象とされてきた

施設整備補助を企業やNPO法人にも拡大するなどの動きが出てきました。

 

しかし、このような民間参入による「企業経営」の保育所の中には、

業績不振による突然の閉園や、悪質な運営内容や虚偽申請による認証の取り消し、

補助金返還などの問題が起きているのも事実で、問題事業者の参入を見逃してしまうような

規制緩和を懸念する声もあります。

 

利用者の立場に立った保育制度の改革が望まれます。

ーー
となるのであるが
無認可保育所が劣悪だとも限らないのでややこしい



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写真修正失敗例 チェックしないのかな

thebloodystar.jpg

手が多い

carlbloodyzeiss.jpg

Canonが見えている

blickbloodylolita.jpg

手がすごいことになっている

megabloodymagazine.jpg

ごちゃごちゃですね

edwinbloodyjeans.jpg

男性だって修正

ーー
Photoshop Disasters で一番からかわれているのは
Victoria's Secret


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Ralph Lauren: The Hits Keep On Coming

ralphbloodylaurenagain.jpg

Photoshop Disasters にはたくさんの実例

Photoshopで修正したもの

我々の周辺では
就職に使う履歴書写真
お見合い写真
告別式写真
など修正たくさん


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