不屈のアスリートたち
年末に近くなりテレビでは今年を回顧する番組も多くなっている
スポーツ界でも不屈のアスリートたちと題して
それぞれの直面した困難に屈することなく努力し続けているスポーツ界の人たちを紹介していた
クルム伊達はそのひとりだ
栄光に包まれて一度引退して年齢と戦いながらの復帰
しかも世界で戦っている
肉体的な衰えはあり
しかも世界のテニスはスピードとパワー全盛である
そんな中でどのようなモチベーションを持って立ち向かうことができるのだろう
20代の頃よりも困難は大きい
しかし挑戦したい
その志はどこから生まれているのだろう
ーー
世の中には
否応なしに頑張らざるを得ない人たちがたくさんいる
家のローンのため、子どもの教育費のため、家族の医療費のため、
また、後輩のため、先輩のため、家族・同胞のため、様々である。
クルム伊達のように
回避も可能だけれど自分で進んで向かう困難ではない
しかし
困難に挑戦する点では同じである
若い頃よりもずっと工夫が必要だし
ずっと気力が必要だ
クルム伊達に学ぼうという人は少なくないはずだ
ーー
思うに
脳の回路に
栄光の記憶がある場合
相当がんばりはきくだろうと思う
とてつもない感動の記憶は人を動かすだろう
デジタルカメラに残っていた写真
自分を成長させるライバル
自分を成長させるもっとも原始的な動機はライバルである
より効率よく
より大きく成長したいと願うなら
もっとも強力なライバルに挑むことである
人間のすべてはライバルに対抗するためにできているのだと思って差し支えない
わたしはおおむね一番の激戦地で仕事を続けている
もっと激戦地があれば私はそこに出かけていくだろう
強いライバルがほしい
そう念願する
ーー
あたしたちも一緒だわと
明るい声がする 遠くで 響いている
性能のマトリックス表示
どうせ注文するなら
合理的に注文したいものだ
マトリックスを考える
1.その前 2.ピーク 3.そのあと
と分けて、それぞれに対して、場所として、
A.入り口、B.中、c.奥と分ける
そしてこの組み合わせの9通りの評価を認定協会が担当して公平にミシュランなんかよりずっと精密に
測定して公表すれば
パートナーを選びやすくなるのではないかと思う
うえはVについてのものだけれど、Aについても、Pについてもそれぞれのものが考えられるだろう。
だから、プロフィールの隅に、AASbbGddRなどと記号が書いてあれば分かる人には分かるということになる
そして自分の特性との一致度を考慮して選択すればいいわけだ。
ーーー
これは写真では確認しようのない官能評価であり
そんなことも数値化の優位性があると思う
あるいは「初めのころのいり口はモンゴルの草原を渡る緑のそよ風」
「ピークの中間部は2回/秒程度の規則的な収縮でコサック兵士の熱狂である」
など言葉で語るとほとんど意味が分からない
まつげの濃い女
まつげを濃くするのはここ最近ずっと流行していて
化粧品業界ではマスカラ戦争である
マスカラは
目を大きく見せるためのもので
まつげを濃いと思わせるためのものではない
それは分かる
しかし事実としてはまつげが濃い
瞬きをするたびに「ばさっ」と音がするような感じもする
泣き始めると
つけまつげをとって、机の上に並べて、存分に泣く女もいる
ある人に言わせると
まつげが濃いと
皮膚粘膜移行部の毛は一様に濃い傾向があるので
いろいろと好き嫌いが分かれるだろうという
つまり、まつげが濃いと言うことは、
いいことばかりではないことを
男性は知っているのだ
やはり優雅でそこはかとなく頼りない様子のものに価値があるのではないかと思われるのだ
北欧のA女子は繊細なタイプで実に申し分ない
疲れ果てて
疲れ果てて一人きりで食事
NHKや朝日新聞のようなバカで下品でしかも自分を知らない人たちはそんなには、いるものではない
テレビをオンしたらNHKでドラマ
外事警察
なかなかハードな感じ
名前の知らない女優も出ていた
いいぞと思っていたら
明治時代の話のコマーシャル
坂の上の雲の番組宣伝は頻繁なようで大変にしつこい
あまりにもバカな話で
本当に司馬遼太郎がこんなつもりで書いて
国民はこんなつもりで読んでいるのかなと
疑問に感じた
センスとしては紅白歌合戦で
NHKにはそんな種族もいるのだろう
明治時代に初めて蒸気機関車が
新橋と横浜をつないで走った
ああ、それならば成田は横浜になり損ねたのだと思って
見ていると、新橋の鉄道記念館が出ている
旧新橋停車場で汐留の再開発でもこれだけは残った
汐留シティセンターとパナソニックとポルシェにはさまれた場所である
鉄道発祥の地でゼロ標識があるという
新橋は鉄道発祥の地で文明開化の発祥の地であったといわれると
そうだとは思うが現在の新橋の空気はそんな風では全くない
ひたすらにオヤジだと思う
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NHKの体質には国民はこの程度のバカであると
見下した傲慢さがあり
見下されている国民がなぜかNHKと同一化して
自分以外の国民を見下しているようだ
大衆はバカで下品であるというNHK的前提を
なぜ見下されている当人である国民が受け容れるのか信じがたい
これが文明開化を経験した国民というもので
自分たちは下品な未開民族であると
西洋人の立場に立って批判したり指導したりしたのだが
やっていること自体はまるっきり日本的なのだ
自分も黄色いのに
黄色いのは恥ずかしいと言ってみている
西洋人と同化して
NHKと同化して
はずかしくないか
大衆はバカであるという前提で社会を組み立てるのはもうやめよう
NHKや朝日新聞のようなバカで下品でしかも自分を知らない人たちはそんなには、いるものではない
(ただ、天声人語の最近の筆者の筆の冴えには舌を巻く。素晴らしいプロだ。)