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批評

ものや人を批評して
無価値だとか無意味だとかいうのはたやすいことだ

煎じ詰めれば
すべてのものは
無意味なのだから
そのようなタイプの批評はいつでも可能だ

そうではなくて
批評が対象としているものや人を超える価値を
提出することが大切だろう

ーー
批評も人間の営みなのであるから
批評が対象としているものや人と同列に並べることができる
そのときに
無意味を超える何かを提出できていれば
批評にも意味がある

たとえば文学作品に対しての批評も文章には違いなく
同列に評価の対象となる

ーー
たいていの批評は
「よいしょ」系であるから
むしろ「うちわ褒め」であることが多いのだが

ーー
批判するのも結構だが
批判行為そのものも誰かによって判定されているのであり
真に批評的であるなら
対象を越える価値を提出したいものだ

総理大臣などは批評の対象として一般的であるが
対象を越える価値を明らかに提出している批評を読みたいものだと思う



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てっぽううお

鉄砲魚が
水面から
水を発射して
バッタを撃ち落としてえさにする

どうしてこんなことができるのだろう

まず目がいい

そして水を正確に発射できる

落ちてきたバッタを素早く捕らえる

みんなすばらしい

ーー
水面を走ってしまう動物もいる
沈む前に足を運び
結局沈まないで走りきる

そんなことができるのかと驚くが実際にできているのだから
驚異である

ーー
オス同士がメスをめぐって戦う映像もあれこれと紹介されている

ーー
現実への適応はこういうことなんだろうな

それでいい

自分が持って生まれたDNAが、偶然に置かれた環境に、どの程度適応しているか、
それだけのことだ

環境は偶然でしかないし、
DNAも偶然でしかない

よく適応したものが生き残ればそれでいい
それだけのことだ



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勉強に税金はかからない

勉強に税金はかからない
と気がついた

知識にも趣味の洗練にも税金はかからない


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生きているから歌うんだ

僕らはみんな生きている
生きているから歌うんだ

*****
この場合の「から」はどういう意味なんでしょう?

こういう日本語を外国人に説明するときに困ります

英語でなんと言えばいいんでしょう?

*****
”Because”ではどうか
と先輩の"我が家の長女"さんの意見でした。

でもね、
AだからBであるとの命題であると考えると
集合論から言って間違っていますよね

等価の命題である対偶を作ると「not B ならば not Aである」だから
歌わないから生きていない
となる

これでは いま国会でいじっている 脳死問題の第五案E案になってしまいますね
生きているかどうかを確認するには歌うかどうかを見ろ
歌わないなら脳死だ
となってしまうわけで、これでは国会議員くらいしかだませない

We sing because we live.

だと相当無理な感じ。

「歌うなら生きている」は正しいと思います、論理としては

*****
から は いろいろあって
原因と結果 たとえば 老人だからがんこ
病理と解剖 たとえば 脳血管障害だからすぐに忘れる

生きているから歌うんだ
はどんな関係なんだろう?

*****
そんな話じゃないよね

生きているから もうパンパンに張っていて
だから歌うんだ!

ということでしょう

もちろん歌うだけで終わっていたのでは種は絶滅です

*****
鳥がさえずるとか
ホタルが光るとか
たぶん性的な意味があるわけですね

人間が歌うのは
自分はこんなに声がいい、声が出る、健康で絶好調だと
異性にアピールするわけです

さらに
合唱すると気持ちいいですよね

学生時代に合唱します
いいものです
歌えば生きることは素晴らしいと思います

合唱団では結婚するカップルが多く誕生します

合唱というのはその起源からいえば
さあこれから「みんなで」やるぞ
という前祝いの儀式ですね
当然高ぶるわけですし興奮も最高潮に至ります

*****
万葉集には有名な

今夜あこがれの人妻とともにする喜びよ
わたしの妻もよろしく楽しめ

というような意味の歌があります

万葉集巻九の「〈……率(あども)ひて 未通女壮士(おとめおとこ)の 行き集(つど)ひ かがふ刊歌(かがい)に 人妻に 吾(あ)も交はらむ 吾が妻に 人も言問(ことと)へ……」

祭りはそんな機会で
歌垣がそれに当たるわけです

僕らはみんな(パンパンに)みなぎっている
みなぎっているから歌うんだ

というなら意味は分かりますね

生きていることがただそれだけでうれしくてありがたくて歌うんだ
とか
つまりみなぎっているんでしょうね

*****
アイドルが歌を歌って、テレビで放映されて、それをたくさんの人が見て聞くという文化は
いったいどういうことなんでしょうかと、思いますね
間違ってますよ
こんな大切な行為を「商品として消費」するのは
禁止する対象を間違えていますね

*****
そんなわけで
英訳すれば

We sing because we love.

We sing because we are full of love.

でしょうか。

I love ではなくて We love というのが実に古代の雰囲気です。

そんなわけで

僕らはみんな(性の煩悩を)生きている
(性の煩悩を)生きているから歌うんだ

なんていう歌詞を学生が合唱しているなんて
やはり淫靡な文化に満たされている日本人だなあと思うわけです

生きているから性活動をする と合唱で 学校で まじめに歌う

*****
生きることは歌うこと なんて 五木ひろしみたい
これは次元が違う話

*****
それにしても先輩、
大切な先輩の"我が家の長女"さんにこんなブログを見せてはいけないような気がします。
教育上よろしくないかと。


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はな

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はなたば

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はなたば

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中高生のITスターエンジニア

http://lab.jibun.atmarkit.co.jp/entries/559

こんなページを見ると
子供の頃からプログラミングに親しんで
技術を蓄え
アルバイトはIT業界の何かに招待されてお仕事とか
そんなこともあるらしい
セキュリティ&プログラミングキャンプ2009にチューターとして参加する人の
最年少は16歳

英才教育塾があるわけでもないから
やはり元々向いていたということなのだろう

すごいもんだ
こういうところに未来があるのかもしれない



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O Come, O Come, Emmanuel - Enya


正直、振られて寂しかったのですね。
水商売の女ですから振られるのだって商売のうちで
後腐れなく別れるならプロでしょう

でも私の場合寂しくて
子供が出来て結婚したのでした。
いろいろな事に無知だったので恥ずかしい限りです。
水商売の世界は
世間の知恵が集まっているようでいて、
案外純粋な人たちの集まりでもあります。

あまりに無知で未熟だった私を鍛えた神様は、
さぞ鍛え甲斐があったと思いますが、
まだまだとお考えなのでしょうね。
延長戦は続きます。

ーー
もしわたしが最初からずっとずっと賢かったら
そう考えることもある

世間知を利用して
この世での橋頭堡を築くだろう

そしてその上で思弁:speculationを展開するだろう。

たしかに親にいろいろな知恵を授けられて
生き方の要点を学び終えている種族はいて
その人たちの生き方は鮮やかなものだ

我々は後塵を拝するしかない

ーー
結局、どの人も、それぞれの時点で、充分に賢くあることなどできないのだ。
どの程度賢いことが必要であるのか、
よく分からないからだ。

むしろ
青年の純粋さは好まれることがある。

ーー
別れ話がでて
まさかと思っているうちに
あっという間に話は進んで
そんなことならこっちだっていやだったんだ、と意地になっているうちに
むしろこちらが別れを決定してしまったようで
女の方が決めてしまうこともある

すると寂しくて
頭では分かっているけれど
どうしようもなく寂しくて
アフターを毎晩毎晩
深酒をしてでもまた盛り上がることと言ったら、ない
何かのメーターが振り切れている感じで
銀座の醍醐味はこれだと思ったり

わたしはもともとこんな陽気で盛り上がる人間だったんだと
久しぶりに思い出したのだ

深酒は次の深酒を用意し
連鎖する
朝になると虚脱感で泣いている
なぜ泣いているのか自分にもよく分からない。
でも確かに毎日少しずつ泣いている。

心が悲鳴を上げているとも思わない
魂が泣いているとも思わない
ただすこし習慣として朝泣いてみているだけなんだ

あ、次の恋人が見つかれば、それで解決だろうなんて言うわけね
あんたの言いそうなこと

でも、今度は違うんだ。
私はね、水商売なりの本格派でいたいんだ。
筋も通した本格派の水商売だよ。

ーー
うん、でも、
あまりに無知で未熟だった私
というのは
どんなことを言っているのかな



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Enya - The Spirit Of Christmas Past


神様はときどき横を向いているかもと、
カトリックに対する異端派であるグノーシス派の事など
思い、これはわりと好きな話題。

この世界は「善なる神」が作ったはずはない、「悪の神」が造った世界である。
「善なる神」は無関心で、よそ見をしていた。
だからこの世でのことは大して重大な意味がない。
罪のない幼い子どもたちが飢えて死んでいく現実をどう説明するか。
「善なる神」がそれを神の摂理として計画したとでも言うのか。
というわけだ。

これに対して、カトリック側は膨大な反論を構成するわけですが、
そしてそれは確かに壮大なレトリックの伽藍ですが、
やはり、最初の疑問としての、「罪のない幼い子どもたちが飢えて死んでいく現実」を
よく説明はしないでしょう。

あの世で報われるのだとプラトン以来の説明があるわけですが、
それを信じられれば幸せ、信じられなければ少し不幸せ。

パスカルの言うように
神を信じた方が少しは幸せになれるから
信じた方がいいのじゃないかとも言われる

またニーチェのように
キリスト教は奴隷の道徳であり
そこから解き放たれ人間は超人になるべきだとの意見もある

マイスター・エックハルトなどとなると
読むにも時間がかかり
ときどき火花のように思考が輝くが
大半は神秘の向こうにあるようだ

しかし赤ん坊を見てかわいいと文句なしに思ったり、
柔らかい青葉をみて心躍る気持ちになったり、
それは確かで、
それは以上のような思弁とはあまり関係がないと思っている。


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Silent Night - Enya ( Christmas Tree Rio de janeiro )

http://www.youtube.com/watch?v=JkHprPEBNTE&NR=1

私の家庭は
キリスト教はもちろん
どんな高度な宗教とも無縁な家庭だった
どんな数学的思考とも抽象的思考とも無縁だったと言ってもいいのだと思う
それでも
子どもは普通に育った
祖母は幸せそうだった

優しい心はこの世界では傷つけられ損な役回りを押しつけられる
祖母はそれでいいのだと言う
自分は最後でいいと言う

そのあたりも宗教の根源のひとつかもしれない

ーー
ある人が
「母親とは、例え息子に殺されても、
許すような気がします。」
と言う

ドーキンス以来の遺伝子の生存確率で数式化できそうな気もするが
そうした次元の話ではないようだ。

愛情というものの根源に触れていると思う

そのような感情に動かされる人間と
そうでない人間がいるのだろう

そのように種類の違った人間が混在し共存していることが不思議である
一方は損をするわけだが
それで根絶やしにはならない
なぜなのか

そこに人間の希望があると思う

ーー
また別の母親は、
「イライラしていると、息子を思いっきり放り投げたくなる」
とも言っていた
それも真実の言葉なのだろう

そして実際にそうしないのは
なぜなのかと考えると
やはり部分的に、長期的に、命を子どもに与えていると考えることができる

ーー
そのようにして子どもは育つのだし
私もそのようにして育ってきた

これは奇跡の様な出来事だ

人間の赤ん坊は最初のうちはいかにも無防備すぎるのだ
無防備でいて、あるいは無防備だから、無限の愛を集めているのだ

そのようなパラドックスが成立する
不思議さを思う

ーー
無防備で生きることはいかにも危ない
悪い人の餌食になる

しかしそのような無防備な人がいなければ
人間の社会に愛などは存在しないのではないか

契約によって結ばれたイコールパートナーが
愛の社会を作っているのではない

全く無防備な、ノーガードの人間がいて、
愛の社会を築いているのである


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Enya - Silent Night (in Irish) Christmas Lyrics

http://www.youtube.com/watch?v=AN3uPrJR7IY&feature=related

後で振り返ってみると
別の人生もあったはずだと思う

別の人生にならなかったのは
神様の決めたことだろう

しかし何と多くの人が後悔を胸に秘めて生きていることだろう
言っても仕方がないのだし
言われてもどうしようもないものだ

「もしあのとき」と考えられるのは進化の途上で
人間の脳が初めてなのかもしれない

あれこれ考えて
聖夜は過ぎてゆく

神様が決めたこと
その決定の前に敬虔になるしかない


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