批評
ものや人を批評して
無価値だとか無意味だとかいうのはたやすいことだ
煎じ詰めれば
すべてのものは
無意味なのだから
そのようなタイプの批評はいつでも可能だ
そうではなくて
批評が対象としているものや人を超える価値を
提出することが大切だろう
ーー
批評も人間の営みなのであるから
批評が対象としているものや人と同列に並べることができる
そのときに
無意味を超える何かを提出できていれば
批評にも意味がある
たとえば文学作品に対しての批評も文章には違いなく
同列に評価の対象となる
ーー
たいていの批評は
「よいしょ」系であるから
むしろ「うちわ褒め」であることが多いのだが
ーー
批判するのも結構だが
批判行為そのものも誰かによって判定されているのであり
真に批評的であるなら
対象を越える価値を提出したいものだ
総理大臣などは批評の対象として一般的であるが
対象を越える価値を明らかに提出している批評を読みたいものだと思う
てっぽううお
鉄砲魚が
水面から
水を発射して
バッタを撃ち落としてえさにする
どうしてこんなことができるのだろう
まず目がいい
そして水を正確に発射できる
落ちてきたバッタを素早く捕らえる
みんなすばらしい
ーー
水面を走ってしまう動物もいる
沈む前に足を運び
結局沈まないで走りきる
そんなことができるのかと驚くが実際にできているのだから
驚異である
ーー
オス同士がメスをめぐって戦う映像もあれこれと紹介されている
ーー
現実への適応はこういうことなんだろうな
それでいい
自分が持って生まれたDNAが、偶然に置かれた環境に、どの程度適応しているか、
それだけのことだ
環境は偶然でしかないし、
DNAも偶然でしかない
よく適応したものが生き残ればそれでいい
それだけのことだ
生きているから歌うんだ
中高生のITスターエンジニア
http://lab.jibun.atmarkit.co.jp/entries/559
こんなページを見ると
子供の頃からプログラミングに親しんで
技術を蓄え
アルバイトはIT業界の何かに招待されてお仕事とか
そんなこともあるらしい
セキュリティ&プログラミングキャンプ2009にチューターとして参加する人の
最年少は16歳
英才教育塾があるわけでもないから
やはり元々向いていたということなのだろう
すごいもんだ
こういうところに未来があるのかもしれない
O Come, O Come, Emmanuel - Enya
さぞ鍛え甲斐があったと思いますが、
まだまだとお考えなのでしょうね。
Enya - The Spirit Of Christmas Past
カトリックに対する異端派であるグノーシス派の事など
思い、これはわりと好きな話題。
この世界は「善なる神」が作ったはずはない、「悪の神」が造った世界である。
「善なる神」は無関心で、よそ見をしていた。
だからこの世でのことは大して重大な意味がない。
罪のない幼い子どもたちが飢えて死んでいく現実をどう説明するか。
「善なる神」がそれを神の摂理として計画したとでも言うのか。
というわけだ。
これに対して、カトリック側は膨大な反論を構成するわけですが、
そしてそれは確かに壮大なレトリックの伽藍ですが、
やはり、最初の疑問としての、「罪のない幼い子どもたちが飢えて死んでいく現実」を
よく説明はしないでしょう。
あの世で報われるのだとプラトン以来の説明があるわけですが、
それを信じられれば幸せ、信じられなければ少し不幸せ。
しかし赤ん坊を見てかわいいと文句なしに思ったり、
柔らかい青葉をみて心躍る気持ちになったり、
それは確かで、
それは以上のような思弁とはあまり関係がないと思っている。
Silent Night - Enya ( Christmas Tree Rio de janeiro )
許すような気がします。」