習わねば人の問はぬもつらからで悔しきにこそ袖は濡れけれ
春の夜の夢にありつと見えつれば思ひ絶えにし人ぞ待たるる
晝は來て 夜はわかるる 山鳥の かげ見るときぞ 音は泣かれける
妹が袖 わかれし日より 白たへの ころもかたしき 戀ひつつぞ寝る
クリエイティブな職場
春たてど 花も匂はぬ 山里は ものうかるねに うぐひすぞ鳴く
雪の内に 春はきにけり うぐひすの こほれる涙 今やとくらむ
春日野は 今日はな焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり
伊勢物語では
男は女を盗み、途中で女を草むらに置き去りにして逃げたにもかかわらず、
多国籍軍の空輸について違憲の傍論
伊東 乾氏の最近の文章から。2008年5月
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自衛隊イラク派遣をめぐる集団訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁(青山邦夫裁判長)は航空自衛隊によるバグダッドへの多国籍軍の空輸が「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示しました
行政は米国などの働きかけで、政治的動機から多国籍軍の空輸を続けたい。実際、今回の判決にも福田首相は「傍論でしょ」と空輸自体は続ける姿勢を示しています。しかし、原告団が国に損害賠償を求めた訴訟そのものは、国が勝訴していますから、国側から最高裁に訴える権利がありません。
報道によれば、原告側は上告しないということですので、今回の「違憲判決」は確定する見通しが高い。
今回の画期的な判決も、青山裁判長が今年3月に依願退職したため、組織内での今後に縛られずに下すことができたものでしょう。官僚機構の内在論理から自由に「司法の独立」を決然と守ることができたのだと思います。
「傍論」ということで下級審を拘束することがなく、司法現場に残る同僚への影響も考慮されている、国は訴訟自体では勝っているから、文句を言うことができない…見れば見るほどよく考えられた判決だと思います。青山さんは歴史に貢献する判例を残して判事を退かれました。
今回の判決にはポイントが2つあります。
1つは「自衛隊の活動は非戦闘地域に限られ、武力行使と一体化しない」という「イラク特措法」の規定に鑑みて、国際的な武力紛争の一貫として人が殺傷されモノが破壊されているバグダッドを「2003年3月当初のイラク攻撃の延長で、多国籍軍対武力勢力の国際的な戦闘が行われている場所」と認定して、そこへの兵員の輸送が自衛隊の活動が「国際的な紛争の解決手段として武力行使を放棄」した憲法第9条第1項に違反すると明言したこと。
もう1つは、原告側が請求の根拠とした「平和的生存権」に関して「憲法9条に違反するような国の行為、すなわち戦争の遂行などによって個人の生命、自由が侵害される場合や、戦争への加担・協力を強制される場合には、(国=行政による)その違憲行為の差し止め請求や損害賠償請求などの方法により、(国民が)裁判所(=司法)に救済を求めることができる場合がある」との見解を示したことです。
この第2の見解は、「平和的生存権」に具体的な権利性があることを初めて判示したものと評価されています。ボーダーレス化の進むグローバル社会で、個人の社会的な責任と権利を得る時、この意味は非常に大きいと私は思います。
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日米関係や安全保障外交について、「平和的生存権」の観点から国民が裁判所に救済を求めることができる可能性があるということになるのだろうか。
外交交渉や条約と憲法の関係はいろいろな議論がある。
いずれにしても、画期的らしい。
本「猫のエッセイ」
実に他愛のない文章が並んでいる
どれも平和で安定していて些末である
はったりもなく悪意もない
夏目漱石の猫以来の伝統芸なのだろうか
とてもよい世界であった
理解しきれないくせに
今年の目標
もう年寄りなので無理をしない。できることだけする。
やればどうせできることは、面倒なので、やらない。
二つ道があったら、楽な方を選ぶ。
一番の目標は長生きである。
自分の中に何か眠っているものがあったら、揺り動かして目覚めさせる。
物置の奥に死蔵しているものがあったらどんどん使う。
いい食器から先に使う。
コンピュータは一番性能のいいものを使う。
いい椅子に座る。
大きなテレビを見る。
なるべくいい音楽を聞く。
いい音楽といい本に囲まれて過ごす時間を楽しむ。
面倒な本物もいいが手軽な偽物もまた私にふさわしい。
この世界はいいところだから、深く味わう。
人に何を言われても、どうせその人は私のかわりをしてくれないのだから、自分のしたいようにする。
この世界を生きることは遺伝子と環境の適合性の試験に過ぎないから、かなり不適応だと見極めがついた時点でもう充分である。
酒飲みとは距離を置く。
死んだときに借金の方が多いくらいにしておく。
ネット・携帯は人と人を近づけるか遠ざけるか
いままで報道があるたびに、
ネットや携帯という手段が
人と人との結びつきを薄めて、希薄な人間関係を作り出し、
引きこもりになったり、現実と遊離した考えを訂正できなかったりといった
論調が強い。
しかしまた一方では、
ストーカーが携帯で大量のメールを送りつけることで分かるように、
過剰に濃密な関係を形成してしまうこともある。
たとえば学校で友達とさようならをして家に帰り、
そのあとずっと友達からのメールを待っていたりもする。
古いドラマのビデオを見ていたりすると、
どうして携帯で連絡しないのかという意見が出たりして、
これは古いビデオなんだよと言ったりもする。
待ち合わせをしてすれ違うというとこもなくなったわけだ。
GPSがついていれば今どこにいるのかリアルタイムで把握できるので徘徊認知症老人にも使える。
ネット社会と引きこもりは正の強い相関になりそうなのだが、
逆にネット社会は強い人間関係の場になっていて、
行き過ぎれば強い束縛となり、強い監視の世界となる。
いつも連絡を入れさせて恋人の
行動を把握していないと済まない人もいる。
愛しているんですねというほのぼのとした話では全くない。
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このように見てくれば、
ネットと携帯の社会は、
近づきたい人間をもっと強くし、
遠ざかりたい人間をもっと弱くしているのではないかと思う。
つまり、ずうずうしくして押しの強い人間はもっとずうずうしくなる。
引きこもりたい人間はもっと引きこもるようになる。
そのようなことらしい。
それはネット・携帯とは関係なく、世の中が多様な生き方を
許容するようになってきたことの結果かもしれない。
夢を活性化
楽しい夢を見続けている
クリエイティブな夢
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今日のは分かりやすいから説明すると、
私はコクヨのような文具機器のメーカーの職員
それまでは、普通のオフィスだったように思う
突然、それでは変更しまーす
とお触れが出て、新しい機材が運び込まれて、
未来オフィスになっちゃった
コンピューターは一切なし
(ここが夢だな)
全体は3つのフロアに分かれていて、
各フロアは4つくらいのセルに別れていて独立した空間になっている
例えていえば、中二階を組み合わせた感じ
各フロアでは同じような仕事ができるのだけれど、
システムが違うし道具が違う
テイストの違う、仕事としてはアイデンティカルな、各フロアがあるわけだ。
それぞれのセルの中で、未来的な事務用品がどっさり並べられている
自分の仕事に必要な分だけ使えばいいし、
一番気に入った場所で働いていいことになっている
(これだと、コクヨの売店みたいな感じだな、違うんだけど、うまく説明できない。
そこで仕事をするんだから、売店じゃない。)
ツールとしてもひたすら一覧性にこだわったものとか
ランダムな思いつきに対応したものとか
いろいろな種類があっておもしろい
(ここまで書いてきて、つまりは、伊東屋の未来館に行ったような感じなのだと納得する)
ちょっとした対人関係も登場していて、
昔々いやなやつだった人が今回もいやなやつで登場
しかしだんだん、実は有能で、もっとずっと仕事を深く考えている人だということが分かって
勉強になった
あとは各製品の楽しさなのだけれど
夢だから、どんどん忘れて行っている
ただ、コンピューター上で展開できるものが大半のようで
それを実際のカードにして、
そのカードのまとめ方を工夫したり、
材質を新しくしたり
切り取り方を簡単に斬新にしたり色を工夫したり
そんな感じ
というわけで、一夜にして、コクヨの未来を大構想してしまったのだった
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夢を活性化できないか
いろいろと試していて、
ここ一週間くらい比較的成功していて、
いろいろと意義深い夢を見ている。
ことの性質上、なんでもない話しか紹介できないのだけれど、
自分としては、本を一冊読むよりも、
カウンセリングを受けるよりも、
深くて、ジャストな、深層展開が見られる、ひと時である。
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たとえば、義母が義父についてやや深い説明をする場面があって、
それは精神医学的にとても納得できる説明で(あたりまえですね)、
そしてさらに、不思議ないろいろがあって、その一つ一つに象徴的な意義付けをして行って、
私としては、いろいろな深層の意味の理解が一気にはかどってしまった夢がある。
まだ記憶にある部分で言うと、
曲線を多用した切り紙細工のようなものがあって
それは二つあって、左右から近づけてあわせていくと、
ある部分で中央部分というか、そのあたりの部分で、ぴったり重なる部分が出来て、
それがそのまま鍵になって、ドアが開くように出来ている。
そしてそのドアと言うのにも仕掛けがあって、家全体がその様な仕掛け屋敷になっている。
江戸時代みたいで、四谷左門のお屋敷の様な感じ。
一種の迷宮のようなもの。
不思議だなあと思いつつ、
夢の解釈は本職なのだからいろいろと考えたたりして、
感慨にふけることになる。
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夢のいつものことで
うまく説明できないのがもどかしいのだけれど、
夢って、いいですね。
解語の花
かいごのはな。解語之花、花解語。
楊貴妃と玄宗皇帝が池を散歩して、立ち止まり、蓮の花を眺めている。
楊貴妃が「なんて美しい花」と言うと、
玄宗皇帝は「確かに美しい。しかしお前は言葉を解する花だ。どの花もお前には及ばない」と言った。
これにより美人を解語の花と言う。
しかしながら解語だから厄介なのであって、
いっそのこと、不解語の花 ふけごのはな ならば さぞ美しかろうとも思う。