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高菜チャーハン

きょうは高菜チャーハンを作ってみました。

    たまねぎを炒める

    その上で高菜を入れて炒める

    ご飯を炒める

    卵を入れる

    鶏がらスープの素(粉末)を入れる

    あとは胡椒を少しだけ入れる

ポイントはごま油を使うこと。

風味がでておいしーよ☆



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人から愛される徳と、人を怖れさせる欠点とが必要

世の中で成功を収めるには、人から愛される徳と、人を怖れさせる欠点とが必要であろう。
ジューベル


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料理

年とって思うが
料理を人生の早い段階で勉強しておけばよかった

自分の体質や体調に合った食事を食べることがよいので
誰か料理してくれる人がいて
その人が体質や体調を気遣ってくれる人ならいいけれど
人生いろいろなので
いつでもそのような人がいるとは限らない

自分で料理するのは大変だけれど
他人に依存しないという点では
自分で自分にあった料理ができることは大切だと思う

ーー
買い物をすることで社会とつながることができる

ーー
どうせ必要な技術・知識なら
早く身につけた方がよかったと思う


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学校における道徳教育は二重構造をなしている

後輩のレポート むむむ なるほど

(1)学校における道徳教育は二重構造をなしている。それは、特設された「道徳の時間」における道徳教育と、学校全体を通じて行う場合の道徳教育の2パターンで行っている。細かく見ていくと、新たに開設された学習指導要領には、道徳に関して言うと、「各教科、特別活動及び総合的な学習の時間における道徳教育と密接な関連を図りながら、計画的、発展的指導によってこれを補充、進化、統合し、道徳的価値の自覚を深め、道徳的実践力を育成するものとする」と位置づけ、先ほどの二重構造の両者の関係を位置付けているものとして考えることが出来る。それを詳しく見ていくと学校教育そのものが教科指導と教科外指導と分かれている。まず、教科指導から考えてみる。道徳における教科指導の重要性は、人間の財産としての文化的価値を子どもに伝達し、これによって鋭い知性と豊かな情操を育むための基礎をつくることができる。これらの基礎がなければ、学校全体で行う場合の行動としての道徳教育につながることができない。何故ならば、土台がなければ、真に正しい道徳的判断力、道徳的心情、道徳的態度、道徳的行為を望むことができないからだ。理性や知性の裏付けのない道徳至上主義は危険であるのだ。教科活動で教授的方法により知と技を学びこれが人格の形成につながる一つの手段として挙げられているがこれだけでは不十分でもう一つの方法も相互しておこなわなければならない。それが、学校全体で行われる教科外活動である。これは道徳や特別活動にもつながっている。道徳性(情・意)または社会性を身につけさせるために訓育的方法が用いられる。教科指導と教科外指導が相互関係にあり、それによる目的とした知識や道徳性、社会性が人格の形成におおきく作用するというのだ。ただ、教科の指導だけでも、教科外活動をさせるだけでも、人格を形成することはできず、2つのアプローチがあってこその道徳の指導であるというのが二重構造である。「小学校学習指導解説・道徳編」では次のように説明されている。「道徳的実践力とは一人一人の児童が道徳的価値を自分の内面から自覚し、将来出会うであろう様々な場面、状況においても、道徳的価値を表現するための適切な行為を主体的に選択し、実践することが出来るような内面的資質を意味している。」道徳的価値の内面的自覚が普段の生活の中で自覚を持ち、子ども一人一人が自分の心で考えて行動するためには、教授法としての道徳教育と、子ども達が自主的に考え行動するためのチャンスが与えられるような場所を提供し、学校教育活動全体を通して子どもの道徳心の芽を伸ばしていくような教育が道徳教育の二重構造であると私は考える。

(2)私自身、教育実習で道徳の時間を担当した。対象は6年生だった。バスケットコートの取り合いについて、子ども達に討論させた。そしたら、シビアな意見がいくつもでてきた。本当は譲ればいいに決まっているが、でも「早い者勝ちだ」とか、「譲ってばかりしていても人生生きていけるものか」とか、そのような言葉がいくつも出てきた。しかし、クラスの人の一人がこう提案してきた。「半分ずつにすればいいじゃない」という意見が出てきた。そうすると多くの子ども達が、「それがいい、時間を半分ずつにしよう、コートも半分ずつにしよう。」と何かを譲ることがテーマで半分ずつにすることを学んだ。ちょうどいい時期に学活の時間にバスケットボールのクラス対抗試合というものがあって、私は、練習試合の際に、彼らがどのようにして、あの狭いバスケットコートを使うのか見ていると、半分ずつにしたり、業間休みと昼休みで女子と男子が譲り合ってコートを使っている所を拝見して、私は感動した。さっき、道徳の二重構造の勉強をしたが、ただ机上で一方的に教師がモラルを教え込んでも何の人間形成の役に立たない。子ども達はもうすでにどうするのが正しいのかわかっているのだが、でも、その時自分の目の前にその現状が来ると道徳的な対応が取れないから困っているのだ。だから、教壇で教師がただ、「譲り合いましょう、ルールを守りましょう」といったところで、子どもの心には響いていかない。子どもは本当の意味で納得はしていない。だからこそ、授業では子どもが主体となって、本音で話せるような場を教師は作っていかなければならない。皆で道徳の授業で、本音を出し合い、自分たちが納得いく答えを子どもが主体になって出し合うことが大切なのだ。子どもが自分で考えたことであるならば、それが道徳心につなぐよう教師も努力が必要だが、そうすれば集団行動するとき、あるいは学校活動する時、自分で考えて子どもが主体となって道徳のある考えを自分で見つけ出すことができるのではないだろうかと私は考えている。そのためにも道徳の資料の選び方などにもよく考える必要がある。きれいごとに終わらない資料、児童の生活に使える資料、児童の興味、発達に応じた資料、狙いとする道徳的価値があらわに出ていない資料等を用いて子どもの心の本心を探り、リラックスして自分の本当の意見を言える雰囲気を作っていくことが、教科指導で大切な事になるのだと思う。そして、それがいつの日か、道徳の時間に習ったことを子ども達は目の当たりにするときがくるであろう。そういうときに、子どもは迷わず、信念を揺るがすことなく、子どもの道徳的実践を媒介にしながら、道徳的心情を高めることが出来、道徳の意欲と態度を高めることが出来るのだとあたしは考えた。道徳的な実践力というのは子ども達自身の内面から出ていくものであり、当然日常の生活で生きて働くように、道徳の指導も、学校全体を通じて行う道徳指導も相互して行われなくてはならないと思った。



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恐怖症に対する脱感作療法/異性脱感作

例えば蜘蛛が嫌いだったとして、
それに慣れるために(何のためになれる必要があるのか分からないが)
まずマイルドな感じの絵を見て、次に写真を見て、さらにはどぎついような写真を見て、
さらには透明カプセルに入った蜘蛛の模型を見て、次には透明化カプセルに触り、
次にはカプセルをはずして中の蜘蛛の模型に触り、
まあ本物にはどうするのだろう、
かごの中に入った本物を見るくらいはするのだろうか。

このように
段階を追って、徐々に慣れていくのが恐怖症に対する治療法になる。

ーー
全く逆のことを恋愛時の異性について考えることができる。
最初は遠くから見るだけでドキドキする。
最後は何をしても別段どうということもなくなる。

段階を追って、徐々に、どきどきがなくなっていくプロセスである。

ーー
これって同じメカニズムなのだろうか。


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統合失調症とうつ-4

クローの言う陽性症状と陰性症状の区別は単に言葉の使用習慣による部分もあるのではないかと思うことがある。むしろ、ジャクソニスムの原則に立ち返って、陽性症状と陰性症状を定義すればいいと思う。ジャクソンによれば脳は層構造をなし、上位の脳は下位の脳を抑制的に制御している。脳の上位の機能欠落は、その欠落そのものの症状と、その機能が欠落したことによる下位機能の突出を結果する。これがジャクソンのいう陰性症状と陽性症状である。ジャクソンの意見とクローの意見はどのように関係するのか。
 統合失調症の場合、幼児の頃から用意されたドパミン過敏性がある。具体的にはレセプターの数が多すぎるとイメージしよう。そこに脳に何らかの欠落Xが発生する。その欠落が生じることによって、下位の機能の突出が起こる。それまで抑制されていた「世界モデル」からの出力の遅延が生じる。だから自我障害が生じる。これが陽性症状である。この自我障害を補完しようとして生体は反応し、「世界モデル」からの出力を早く届けようとする。

ーー
この説明と、ドパミン・ドパミンレセプターの話をつなぐこと。



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統合失調症とうつ-3

Ⅰ既知の事項のまとめ

1.統合失調症ではうつ状態が認められる例は多く、古くから指摘されてきた。しかもあらゆる病相で認められる。また統合失調症の場合に約10%は自殺するといわれ、一般人口に比較して9倍である。統合失調症に際しては、うつ状態と自殺が直結するものもあり、統合失調症そのものが自殺と直結するものもあり治療も異なるのであるが、すべての病期を通じて、自殺を防止することが重要である。

2.統合失調症患者がうつ状態を呈するとき、鑑別診断が重要である。

1)統合失調症前駆期のうつ状態。つまり、幻聴、させられ体験、被害妄想などが発現する前に見られるうつ状態である。これを統合失調症を基礎とするものと診断することは容易ではないが、相談時の年齢が30歳以下であること、遺伝歴があること、社会適応が悪いことなどが発見の手がかりとなることもある。うつ状態の形をとることもあり、うつ状態類似の統合失調症性陰性症状の形をとることもある。
 治療としては少量のSulpirideが有効であることが多い。女性の場合には高プロラクチン血症による副作用が出ることが多いので、リーゼなどのベンゾジアゼピンを用いる。遺伝歴など明白な場合にはSDAで開始する。統合失調症前駆期のうつ状態を考えたときにはSSRIなどの抗うつ剤は、自殺の危険を高める可能性を考えて、使用しない場合もあり、むしろバルブロ酸などで経過を見ることもある。精神療法としては、症状と距離をとり対象化することを目標とする認知療法がよい。

2)統合失調症急性期におけるうつ状態。つまり、幻聴、させられ体験、被害妄想とともに見られるうつ状態である。統合失調感情障害の可能性を考える。この場合には充分量のドパミン遮断薬が有効である。病識が残存する場合、二次的に抑うつ状態を呈することもあるが、その場合も、抗精神病薬で対処する。精神療法としては、寄り添うこととなる。

3)統合失調症急性期後のうつ状態。精神病後抑うつ(postpsychotic depression)と呼ばれているものである。これは疲弊性うつ状態と陰性症状、さらには薬物性のうつ状態とに鑑別できるはずのものである。実際には容易ではないが、疲弊性うつ状態の場合には疲弊に加えて病識の部分的回復も見られ、悲観的、憂うつ、自責的であり、陰性症状の場合にはむしろ、意欲減退、興味喪失、無為、自閉などが目立つ。
 疲弊性うつ状態の場合には、SDAと併用する形でSSRIなどを使用してよい。陰性症状の場合には、SDAを調節しながら経過を見る。薬物性うつ状態の場合には高力価のドパミン遮断薬を大量に使っている場合が多く、不快気分と活動性低下が主症状となる。対策としては薬物の減量や変更をする。アキネジア性抑うつと呼ばれるものがあり、活動量減少、無気力、無関心を主徴とする。主剤を変更するか抗パーキンソン薬を加えるかする。焦燥感を主とするアカシジアもうつ状態の焦燥感と似るが、これも同様の対処でよい。また、パーキンソン症状が優位になるとアパシー(無欲動)、アンヘドニア(失快楽)などが見られる。これも同様の対処である。
 精神療法としては、病識再出現にあたっての絶望と不安を受容支持する事である。自殺について積極的に話題にし、些細なきっかけも見逃さない。必要があれば再入院を勧める。デイケア、通所作業所などの精神科リハビリテーションでは、患者の回復に合った課題を提案し、役割と居場所を提供し、自信を回復させることができる。また、家族と一時的に距離をとることができる。認知行動療法としては、医学の発展もあり、社会の進歩もあり、決して悲観する必要のないことを伝える。また、自分が今回急性期に至ったきっかけを分析することで、再発のパターンを知り、次回の増悪に備えることができる。また、統合失調症の長期経過を示すことによって、次の急性増悪の予防が大切であること、そのために継続的服薬が大切であることを理解していただく。
 また、一定のレベルダウンのあった患者さんには、SSTのテクニックを用いて、日常生活に支障のない工夫を施していく。焦らずに着実に治療を進め社会に関わるためには、家族の理解と協力が不可欠である。早い時期に家族を治療協力者として役割を与え、位置づける。各種の社会福祉制度の利用も大切で、年金や施設の利用、また自助グループ(たとえばベテルの会)などで患者同士が啓発し合うことで深刻な抑うつから免れることができた例も多い。薬剤のアドヒランスを高めるためには漢方薬を併用することも方法である。サイコ剤(さいこ・・・)を中心にして、補剤(補。・・・)を用いたり、病期に応じて最適なものを調整する。

4)疲弊期から回復しても統合失調性のレベルダウンが残り、うつ状態に類した病像を呈する場合。残遺期と呼んでいるが、環境刺激に弱いので、疎外体験や孤立体験のあった場合や自殺念慮のある場合は入院治療が勧められる。SDAの調整によって不足のある場合にはSSRIを加えることがある。

5)総じて、統合失調症の再発を防ぐことと自殺を防ぐことが、第一目標となる。


Ⅱ背景となる仮説

1.自意識の発生と自意識の障害 ドパミン遮断薬とセロトニン系薬剤の役割

 1) 動物の神経系は感覚器で刺激受容→脳の処理「自動機械」→筋肉の反応→現実→感覚器で刺激受容というように現実と脳を両側においてループを形成している。これだけならば自意識は発生しない。「自動機械」が行動していると形容してもいいだろう。人間の場合、刺激を受容し、その出力としての筋肉の反応の間に脳内の「世界モデル」を発生させ、結果のシミュレーションをする。そして、脳内の「世界モデル」から出力された信号と、「自動機械」からの信号を、比較検討する。違いがあれば脳内「世界モデル」を訂正することによって、さらに正確な予測ができるようにする。
 たとえばこのくらいの力で地面を蹴ったら体はどのように進むか、そのようなことをシミュレーションしながら、そして結果を修正しながら、生きている。ある程度安定した世界に生きていれば、予測は次第に正確になり、「世界モデル」と「自動機械」は必要な部分でほぼ一致するようになる。「自動機械」は世界の必要部分のよい転写である。それをさらに転写して内部に蓄えるのが「世界モデル」である。

 2) 「世界モデル」からの出力と「自動機械」からの出力は、時間差があり、常に「世界モデル」からの出力が、比較照合部分に一瞬早く届くようにできている。このことから、能動感や行為の自己所属感が生じる。(私の理論である「時間遅延理論」)。つまり、人間は「自動機械」部分だけで生きて行くには充分であり、「世界モデル」部分は自意識を発生させるための装置である。
 この自意識が発生したおかげで未来が発生し、目的が発生した。これは人間を強く特徴づけるものであるが、進化の最後に発生した部分であり、壊れやすい。
 上記とは逆に、「世界モデル」からの出力が「自動機械」からの出力に遅れると、自我障害となり、させられ体験、強迫性体験、幻聴、自生思考などになる。これが統合失調症の急性期の事態である。例えば、幻聴は、自分で話そうと思ったことが「自動機械」側よりも「世界モデル」側からの出力が遅れるので、他人が話している、聞きたくもないことを聞かされているということになる。

 3)ドパミン遮断薬はその特性によって、「世界モデル」からの出力と「自動機械」からの出力のそれぞれを違う程度に遅延させる。もっとも強力なものは、両方とも大きく遅延させる。この場合は、「自動機械」も停止してしまうくらいで、これが薬剤過量による不快気分と活動性低下である。ある程度マイルドな処方にすると、「自動機械」からの出力はやや遅延させ、「世界モデル」からの出力は遅延させない。こうなると、自我障害は改善する。逆に、薬剤の特性によって、「自動機械」からの出力を遅延させず、「世界モデル」からの出力を遅延させるものだと、自我障害は改善しない。

4)この場合に、疲弊性以外にうつ状態の説明があるかといえば、例えば、精神病極期にはドパミンなどのモノアミン系が使い果たされて、モノアミン系枯渇状態にあるのだと説明することはできる。そうであれば、ドパミン遮断剤はマイルドに使い、セロトニン系薬剤を重ねて使用しても意味がある。

 4)統合失調症の陽性症状と陰性症状の区別は言語の使用習慣に依存する分類であってあまり意味がないと考えられる。ジャクソニスムの原則に立ち返って、陽性症状と陰性症状を定義すればいいと思う。ジャクソンによれば脳は層構造をなし、上位の脳は下位の脳を抑制的に制御している。脳の上位の機能欠落は、その欠落そのものの症状と、その機能が欠落したことによる下位機能の突出を結果する。これがジャクソンのいう陰性症状と陽性症状である。
 統合失調症の場合、「世界モデル」からの出力を遅延させる方向での欠落が生じている。だから自我障害が生じる。これが陰性症状である。一方、その欠落は「自動機械」の機能の突出を生むはずで、これが陽性症状ということになる。これは現在の常識的な言語使用には結びつかない、特殊な用法になる。

 5)統合失調症前駆期のうつ状態は「世界モデル」からの出力が

6)自我障害が発生した場合の心理的外傷は大きく、充分に抑うつの原因となりうる。また、自分の現在と未来を考えて、悲観的になることも理解できる。こうした事情を含んで精神病後疲弊性抑うつと呼んでいる。この場合には、心因反応として、悲哀のエピソードのあとの抑うつともメカニズムは似ているし、躁うつ病において、躁状態のあとの疲弊性のうつ状態ともメカニズムは似ている。従って治療としては、セロトニン系の調整を眼目とする薬剤を用いてよい。自殺には充分注意し、面接の感覚を1週間程度に短めに設定する。


Ⅲ統合失調症のリハビリについて
 統合失調症のリハビリにおいては、残遺期のうつ状態に類したレベルダウンした状態に対して行うことが多い。その場合に治療者の恐れることは再発・再燃と自殺である。そこで薬剤はなるべく維持しようとする。ドパミン遮断剤を維持すると、ドパミンレセプターにおけるアップレギュレーションが起こる。つまり、薬剤で蓋をしているけれども、実際のレセプター量は増えてしまい、潜在的な過敏さを作り出す。デイケアなどの場面においては、コントロールしつつといえども、少しずつドパミンを放出する活動をするのであって、そこにアドヒランスの悪さがあったりすると、潜在的な過敏さが形成されているので、再発再燃に至る。治療者はそれが怖いのでやはり薬剤を増量する。するとまた潜在的過敏性が用意されるという矛盾が生じる。
 この矛盾を回避するには、まず薬剤を少し減らして、かつ、デイケアでの活動量を増やして、ドパミンレセプターのダウンレギュレーションを目標にしなければならない。しかしながら、薬剤を減量することも、活動量を増やすことも、再発再燃につながるので、慎重かつ細心のプログラムが必要である。うつ病に類した状態からの脱出はなかなか容易ではない。






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統合失調症とうつ-2

統合失調症の場合にみられるうつまたはうつ類似症状をいくつかに分類すると
A.疲弊性うつ、
B.陰性症状
C.薬剤性(パーキンソニスム、アンヘドニア、アパシー、アカシジア、アキネジア)
があり
病期と関連させてみると
1.前駆期……陰性症状
2.極期……幻聴、被害妄想などの陽性症状が前景に立つのでうつは隠蔽される。急性期極期に明らかなうつ状態がある場合には統合失調感情障害を考える。
3.急性期後……疲弊性うつ、陰性症状

postpsychotic depressionつまりICD-10でいう統合失調症後抑うつはA,B,Cのいずれの可能性もある。

薬剤性の場合にはドパミン遮断薬またはSDAの量を調整しまたは種類を調整し、さらには必要に応じて抗パーキンソン薬を加えることによって対処する。

しかしながらここで疑問なのは、
統合失調症の変調の本体がドパミン系の失調であるならば
ドパミン系だけを治療すればよいはずである

それなのにSDAを用いることは、
治療の際にドパミン遮断薬とセロトニン作動薬を併用することと違いがあるだろうかということになる。

図式的に言うと
統合失調症には陽性症状と陰性症状があって、
陽性症状はドパミン遮断薬で、陰性症状はセロトニン作動薬で対処する、
その両方を兼ね備えた薬がSDAである。
そうならば、両者のバランスを微調整するために
ドパミン遮断薬を加えたり、セロトニン作動薬を加えたりするのは意味がある。

しかし立ち返って考えてみると、
ドパミン系とセロトニン系を独立に個々の場合に応じて調整する方が賢明だと言えないだろうか。




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統合失調症とうつ

目の前に初診の患者さんがいて
うつ状態を呈している場合、単純に
うつ病と診断してはいけない。

ーー
統合失調症の場合、初期の陰性症状としてうつ状態を呈することはよくある。
また統合失調症の陽性症状が終わったあたの疲弊性うつ状態であることがある。自分が統合失調症であると認識すること、また陽性症状の体験のトラウマは、精神を消耗させるに充分である。
また統合失調症の陽性症状が弱くなったあとの陰性症状を見ているのかもしれない。
また統合失調症にさしてドパミン遮断薬を使用して二次性のパーキンソニスムが起こり、その結果として無動・無気力になっているのかもしれない。

この場合、疲弊性うつ状態と陰性症状とパーキンソンニスムによるアパシーやアンヘドニアとを区別する必要がある。

おおむねを言うと、
陰性症状では、興味減退、意欲減退は呈するが、うつ状態に比較して憂うつ、悲哀、自責などは少ない。
アパシーでは意欲と興味の減退が主である。行動・認知・情動の動機付けの低下がアパシーであり、興味低下や喜び低下は起こるが憂うつは起こらないと議論されている。
アンヘドニアは失快楽症と言われていて喜びの低下が主となる。
パーキンソニスムに伴うアパシーとアンヘドニアと陰性症状との鑑別は、薬剤を調整してみることで区別がつく。

統合失調症の場合の自殺については、それに至るいろいろな経路が考えられるのだが、
うかつに賦活性の薬剤を出して自殺実行に至るのは危険なので
まずSDAを調整し、次にパルプロ酸を加えるといった慎重な選択をする治療者も多い。

陰性症状と見た場合にはSDAで対処する。
疲弊性うつ状態と見た場合にはSSRIを加える。
パーキンソニスムが関与していると見た場合には変薬するなどして対処する。

疲弊性部分が大きいと見た場合には
トラウマや疲労が回復可能で対処可能なものであることについて患者教育する必要がある。

ーー
また認知症の始まりの局面でうつ状態を呈することはよくある。

さらに身体症状が先にあり、うつ状態を呈することがあり、パーキンソン病とか甲状腺機能異常症の場合である。生理周期に関係してうつ状態を反復する例は多く、また、クッシング病など副腎皮質ステロイドの異常も精神症状を呈することが知られている。

更年期障害で抑うつを呈することも多い。男性更年期も最近は言われていて、性機能の他に、抑うつをはじめとする精神機能の変調を訴えることもある。

ーー
抑うつを呈している場合に、
経過を見ていけば、それが単極性のうつ病なのか、双極性障害なのか、統合失調症に伴うものなのか、認知症の始まりか、身体病に伴うものか、一時的な反応性のものか、区別することはできる。

しかし初診時にそれらの可能性を含めて、対処しなければならないので、難しい。

最も簡単な鑑別は年齢である。
30以下ならば第一は統合失調症を疑う。
30-50歳はうつ病を疑う。
50を過ぎていたら認知症の始まりも念頭に置く。

また遺伝歴も重要である。
家系内に統合失調症、うつ病、躁うつ病、てんかん、いずれが存在するときにも、これら内因性の精神疾患の存在を疑う理由になる。




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ないはずのものがあるとあるはずのものがない

昔、クラシック音楽は
普通ならないはずのものがある種類のもので
それは大切な時間だった

テープでも聞けたけれど
本物はLPレコードの方が近いんだという気分があった

今、クラシック音楽は
普通ならあるはずのもので、なければ寂しい種類のものだ

ーー
統合失調症の陽性症状と陰性症状がそのような説明になっているのだけれど
音楽もそうだなあと思ったりした

ネット配信の音楽を聴いていると
あまりにも切れ切れで
情緒のまとまりが悪くなってくるような気がする

こんなにもクルクルと気持ちが変わるのもいいものではない

ーー
大事なものがある人生の方がいいなあ

蜜を少しずつなめるような喜び


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