SSブログ

自殺

睡眠障害の自殺危険28倍、飲酒3倍…厚労省調査

2010年3月16日   提供:読売新聞

 

 

 

 睡眠障害や飲酒行動に問題がある人は、自殺する危険性が通常よりそれぞれ28倍、3倍も高いことが、厚生労働省研究班調査で明らかになった。

 研究班は2007年12月-09年12月、自殺した76人(15-78歳)の生前の様子について、遺族から聞き取り調査を実施(複数回答)。うち49人について、一般人145人と比較検討した。

 その結果、睡眠障害などのほか、うつ病などの気分障害は通常より6倍、死に関する発言をした人は同4倍、不注意や無謀な行為のあった人は同35倍も自殺の危険性が高かった。

 国内での年間自殺者は、1998年以来12年連続で3万人を超えている。研究班でデータ分析にあたった松本俊彦・同研究所室長は「自殺のサインを見逃さないよう国民への啓発活動が必要。かかりつけ医や精神科医の診断能力の向上も求められる」と指摘している。



共通テーマ:日記・雑感

自己関係づけと自己中心性

自己関係づけの時に
自分と関係ありそうな気もするけれど
そうとばかりも限らないと
考え直すことができなくなっているのは
なぜなのか

考え直すことができない
訂正できない
それが昔から言う
妄想の定義の一部でもある

この世界は自分などとはほとんど関係なく回っているのだと
なぜ気がつかないかと言えば
当然であるが
自己中心的で未熟なままの心性が誰の心にもあるからだということができる

天動説と地動説ではないけれど
最初は天動説が自然なとらえ方というものだろう

自己関係づけは天動説のようなもので
どちらも自己中心であることとして集約できるように思う

心はタマネギのような構造をしていて
外側には立派な大人がいるけれど
中心部分には未熟で自己中心的で親をこき使う赤ん坊が存在している

だから自己中心的であることがあるというなら
そのこと自体は不思議ではないのだけれど
いつも自己中心的とか
ときと場所をわきまえず自己中心的とかというならば
自分に不利な状況でもなお自己中心的に振る舞うというわけで
それは損得の勘定ができていないし
つまりは自分をも含めた現実把握ができていないということだろう

知的には低くないのに
現実把握ができていないということが
精神病状態の簡単な定義である

しかし知性も一次元で測定することはできないもので
低くないとは言っても
その様態にはさまざまがあるわけで
簡単ではない

被害妄想が普遍的である理由は
一つには被害妄想は、原発性の欠損を埋めるための反応であること
そして一つには
何でも自分と関係づけるという原始的な自己中心性の心性と関係していること

この二つの理由で
普遍的なのではないかと思う




共通テーマ:日記・雑感

俺はさ、お前に説教なんかしてるんじゃないよ

新橋焼き鳥を食べて飲んでいるわけですが
隣になんだかうるさい人がいます

俺はさ、お前に説教なんかしてるんじゃないよ
たださ・・・

とかなりきつい説教をしている
顔を見たら都知事によく似ていてよく日焼けしている
ゴルフ焼けなのだろう


共通テーマ:日記・雑感

自分の欠点を隠すために他極に振れる

極限状態に置かれると本性がでる。
余裕があると本性を隠す。

自分の欠点を隠すために他極に振れる。

例えば細かすぎる人は大局的な議論を好む。
その人は世間並みの「普通」を実現しようとして
つい対極にまで突き進んでしまう。
それでようやくバランスがとれて
世間並みを実現したと思えるのではないか?



共通テーマ:日記・雑感

「早く死ぬことがみんなのためだ」という圧力

「早く死ぬことがみんなのためだ」という圧力


共通テーマ:日記・雑感

人間関係だけになってしまう

他者との関係が人間関係だけになってしまうことが多すぎる。
農作物や家畜、また自分で工作する産品、また神、
これらが心に占める割合が縮小して
もっぱら人間との関係ばかりが
気にかかるようになる。

人間との関係は支配の順位に従うものである。
そこで向上への圧力を常に受けている。



共通テーマ:日記・雑感

やさしさの人と道徳の人はちがう

やさしさの人と道徳の人はちがう。
大切なのはやさしさの人である。



共通テーマ:日記・雑感

精神の檻をこわすことは誰にも難しい

肉体の檻をこわすことは容易でも
精神の檻をこわすことは誰にも難しい。

大きな精神ほど檻から逃れにくい。
いっそ小さな精神の方が檻のすきまからするりと
抜け出ることもできるだろう。



共通テーマ:日記・雑感

小さなきれいな心で世の中の小さなきれいなものを 喜んでいれば

くだらない自分になるのも
世の中がくだらなく見えるのも
そうした固くこわばった自分が原因かもしれない。

小さなきれいな心で世の中の小さなきれいなものを
喜んでいれば幸せだろうに。

大きな心になろうとして固くなり孤立してしまう。
小さな心はますます柔軟になりあるがままの自然に応じて自分を任せる。



共通テーマ:日記・雑感

他人の気持ち

完全に客観的な観察だけから他人の気持ちがわかる
ようになるか?

それとも自分の内心を混入させて解釈する
ことが不可欠か?

前者なら人間的共感もなくモルモットを扱うときと同等である。

後者なら自分を他人にまで拡張して仮想的に解釈して
いるにすぎない。
他人の気持ちではなく自分の気持ちである。

そこまで厳しく言わないとしても
いろいろな問題はある。


共通テーマ:日記・雑感

他人というものを発見しなければ

人の気持ちを大切にしなくてはならない。
自分の価値観を他人にもあてはまるものとして
考えてしまうのは恐しいことだ。

他人というものを発見しなければ。



共通テーマ:日記・雑感

鳥たち

みんな小さな確実な人生を生きたい。
踏みはずすのが何より怖い。
みんなと同じ苦しみを苦しみ
みんなと同じ喜びを喜びたい。
みんなと違う苦しみや喜びには耐えられない。

みんな一斉に同じ方向に飛んで
一斉に方向を変える
鳥たち


共通テーマ:日記・雑感

自然になす愛

義務の感覚から発する行為と
自然な愛情から発する行為と、
ちがいがあると思う。

敢えてする善と自然になす愛との差。



共通テーマ:日記・雑感

ことばは脳の構造の一部を決定する

ことばは単なる手段ともいえない。
ことばは人の脳を刻む。
構造の一部を決定してしまう。

そうでなければ
言葉による治療の可能性はない

ーーー

ことばはないものをあるとも言えるし
あるものをないともいえる。

別々のものなのに同じ名で呼べるし
同じものなのにちがう名で呼べる。



共通テーマ:日記・雑感

磨けばますます寒くなる

磨けばますます敗けられなくなってしまう。

自分を磨いても毛が生えてますます暖かくなるならよいけれど
本当は針が生えてますます寒くなってしまうだけかもしれない。
誰も寄りつかなくなる。



共通テーマ:日記・雑感

人と人とが愛、思いやり、やさしさによって結びつくには

人と人とが愛、思いやり、やさしさによって結びつくには
どうすればよいのか。自分にも事情があるのだと言い張れば
businessになってしまう。
相手が愛の人になるまでとりあえずは一方的に愛を注が
なければならない。

寛容も同じ。

子育ても、花を育てるのも、同じ。

時間を待つ。


共通テーマ:日記・雑感

強迫的性格の人

強迫的性格の人は義務の感覚が強く、自己像は高い。
まじめすぎて、いつでもかみしもを着けている。



共通テーマ:日記・雑感

やさしさを与えることをどうやって学ぶのか?

苦難を背負っていれば やさしさを受けることは知る。
やさしさを与えることをどうやって学ぶのか?



共通テーマ:日記・雑感

やさしくした人間は変わる。

やさしくされた者が得をするのではなく
やさしくした者が得をする。
やさしくした人間は変わる。



共通テーマ:日記・雑感

本当のやさしさは絶望をくぐってきた人だけにそなわる。

本当のやさしさは絶望をくぐってきた人だけにそなわる。

ーー
何であれ、病気は相当深刻な絶望体験である



共通テーマ:日記・雑感

学んだことのたった一つの証しは変ることである

学んだことのたった一つの証しは変ることである。

その意味でなら解剖実習は本当に何かを学ぶことに相当するだろう。
人間観が変わる。強烈な学習である。



共通テーマ:日記・雑感

過酷さの度合いが過ぎると妙に可笑しくなるときがあります。

過酷さの度合いが過ぎると妙に可笑しくなるときがあります。



共通テーマ:日記・雑感

いい人ほど勝手な人間になれないからつらくて苦しい。

いい人ほど勝手な人間になれないからつらくて苦しい。



共通テーマ:日記・雑感

科学とは経験の純化である

科学とはsensory nerve, motor
nerveをそれぞれ入り口、出口とする
経験を純化するものである。

ーーー
人間の考えの中には妄想も考え違いも入っているものだ
その中で信頼できるものを抽出する手続きが科学である


共通テーマ:日記・雑感

懐かしい昔話になりますよ

懐かしい昔話になりますよ
はじめの頃は大変だったね、とあとで言い合いましょう


共通テーマ:日記・雑感

いちいち繊細に傷ついてもいられない

そうだなあ、
いちいち繊細に傷ついてもいられないし、
ほどほどにして切り上げるんだな

恨みを忘れろとまでは言わないけれど
恨みで自分の人生を損なうのはばからしいことだ

人を恨んで得があるなら恨めばいい
得がないならほどほどで切り上げよう
そうは考えられないかな

人生は
一時は客観的になって
自分の人生の観客になり批評家になることも必要だ
いつもいつも主演では疲れてしまう

外側から見てみることだ
いいことばかりあるはずもないし
悪いことばかりあるはずもない

よほど運が悪くても
珍しい体験をしているんだなと
外側から見ることもできる

苦しいのは山々だけれど
苦しいあとに快感が来るのじゃないかな
我慢したり痛かったりするから
そのあと快感なんだと言うじゃないですか

0から10に行くよりも
-10から+10に行く方が激しいでしょう
二倍です
それが大人ですよ

ーーー
私ならやはり
もう一度全速力で走ると思う
そうすればすべてを忘れられるから


共通テーマ:日記・雑感

rat race (= constantly busy competition)

競争社会 rat race (= constantly busy competition)
"rat race"は、仕事に関して使うことが多い言葉です。rat raceと言う人はたいてい、忙しすぎるといった理由で仕事に不満を感じていて、もっと時間に余裕のある充実した仕事に就きたいと考えています。ネガティブな表現ですので、人との競争を好み、仕事にやりがいを感じている人はrat raceとは言いません。

 例) I’ve been longing to quit the rat race, get a lovely house down in Florida and just relax 
    by the sea.
    (もうこんな厳しい仕事は辞めて、フロリダに家を買って海辺でのんびり暮らしたいな。) 

ーーー
3日もすれば rat race に戻りたくなるって。


共通テーマ:日記・雑感

精神医学の一つのジレンマ

目の前に私はうつだと思うと語る患者さんが現れる

そうかも知れませんねといって診察をして診断にたどり着くのであるが
30歳前のサラリーマンや20歳くらいの大学生が現れたとき
DSM、SDS、HAM-Dなどで評価したとして、
現在はうつ状態を呈しているとまでは言えるがそこまでだ

そのうつ状態がはたして躁うつ病の一部分症状としてのうつ状態なのか
うつ病の症状として考えた方がいいのか
統合失調症の一部分としてのうつ状態なのか
あるいは
人格障害の一部分としてのうつ状態なのか
鑑別しなければならない
あるいは正常反応としてのうつ状態もある

当然
現在症だけでは決定できない
経過を参考にすることになる

それは
過去のどのような経験があるか
そして
病前性格はどうか
などであるが

それを聞くなら経過診断になってしまう
経過診断は
結局長い経過を見てからでなくては判断できないはずのもので
しかも従来の経過から判断する疾病分類は解体されたかに見える現状なのである

ーーー
うつ状態をうつ病の症状なのか
あるいは
正常反応としてのうつ状態なのか
さらには
その両方の要素があって、半分程度は正常反応としてのうつ状態であるが
それだけでは説明できない部分があり
それはやはりうつ病の症状として理解した方がいいだろうとか
微妙な話になる

しかし治療としては同じなので
実践面では特に問題はないのであるが
知的には割り切れなさが残る

ーーー
経過診断や病前性格診断によらず
現在症から疾病分類をしたいという思想はよくわかる
そうでありたいし、そうであるべきだ

しかし現在症診断は挫折しているし
経過診断も
病前性格診断も正確には破綻しているのである

長期経過を予言することはできないし
長期経過によって疾病分類をすることもできない

正確に言えば
長期経過によって特徴付けられる疾病の一群があるだろうとは思うが
どの一群であるか分かっていない
従来言われていた分類は不十分で不正確であったことはすでに判明しているように思う

ーーー
不正確ではあるが
話を簡単にして言えば
昔は統合失調症と躁うつ病とてんかんが対比的に考えられて
同一平面を三分して、それぞれの特徴が言われたものだ

てんかんが抜けて
二大精神疾患になり
統合失調症と躁うつ病が対比されて
両極のものとして把握された
病前性格の点でも、また長期経過の点でも、そうである

しかし現在はそのような統計的データは乏しいと考えられている

知性・認知の病と感情の病と分類されたとして、
その分類は人間の作った分類であって
脳の仕組みがその分類に従っている保証も理由もない

むしろ、それぞれは甲状腺の病気と副腎皮質の病気のように大体は独立のもので
時に同時に起こる場合がある
程度の把握が妥当だろうと最近は考えられているようでもある

その背景としては
統合失調症とは何かとかうつ病とはなにかとか
その概念の輪郭自体が変質しつつあることが挙げられる

このあたりは難しくて
疾病の輪郭を限定したい、そのためのデータ集積がDSMの最初の志なのだけれど
途中までやって分類を変更したりして
なかなかすっきりしない

たとえば妄想状態の場合でも
拘禁反応のように反応性に起こるわけで
ある種の感覚の間違いが系統的に起こった場合には拘禁反応と似た状況になり
妄想でさえ了解可能な反応性のものと把握出来る場合もないではない

昔は
病態レベル診断として
神経症レベルと精神病レベルの対比が言われたりした
現実把握が間違っているものが精神病レベルである
神経症レベルの場合には現実把握は間違いがない
神経症は現実把握は正しいが、その認知に対しての反応が間違っているという系統の考えになるだろう

神経症という言葉の一面はもちろんフロイト以来の精神分析でいう神経症の意味であって
防衛機制の種類によって精神病と神経症の分類がされていて
そこから現実把握の程度によって分類するとの考えが出てきたと思う

ーー
いずれにしても
肝心なのは
うつ状態を呈してはいるが
本質的に統合失調症であると診断して
ドパミン系の薬を始めるについて
必要十分な判断基準は何かということだ

ーー
その判断基準として
経過や病前性格を持ち出すのは先祖返りである

私のような古い精神科医が経過と病前性格と遺伝因子によって診断するのはいいだろうと思うが
若い人はあくまでも現在症による鑑別にチャレンジして欲しいものだと思う


共通テーマ:日記・雑感

人間としての壊れやすさ

街を歩く人々を見て思うのは
百年前の日本の人々はほぼ同じ遺伝子でかなりちがった生活をして
ずいぶん違った考え方をしていたことだ

環境要因が大きく作用していて
ほぼ同じ遺伝子でも
形態発現としてはここまて変化してしまうものかと感心する

環境とか教育はやはり決定的に重大な影響を与える

しかし一方で
「人間としての壊れやすさ」も考える

発達障害は多いし
うつも多いし自殺も多い

自分は幸せだと思えない人間が多い

これは環境や教育が原因でもあると思うが
一方ではなにか人間を壊れやすくしている要因があるのではないかと思う

百年前にはなかった排気ガス、電磁波、人工保存料、着色料、得体のしれない食べ物

子供そのものが弱くて壊れやすくなっている


共通テーマ:日記・雑感

同じ方向に飛んで泳ぐ

鳥は一斉に同じ方向に飛ぶ
魚は仲良く同じ方向に泳ぎ
突然みんなで向きを変える

人間もたぶん同じなのだろう


共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。