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躁状態と垂直運動

人生の垂直方向の運動というよく分からない言葉を使うのだけれど

躁状態の人にわたしはこの垂直運動を学ぶのである

躁状態の人にとってはすべてが神秘で

その謎が解明されるとき

まさに神を知るのである

その感動は涙と共にあり生きる意味を示してくれる

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桃衣

白いのは白衣だから
ピンクのは桃衣

レモンイエローが今時の色

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焼き鳥

焼き鳥屋にもいろいろあって
安い店だと一本80円
鳥だけではなくて豚の串焼きもある

鳥のいろいろな部分を焼くのでバリエーションも豊かだ

豚と牛ならば
自分で焼いても同じくらいうまい
要はいい肉を買えばいい

鳥でもささみならば同じくらいうまく焼ける

しかし鶏の皮とかレバーをうまく焼くのは難しいし
ネギをきちんと甘く仕上げるのも難しい

焼き方を見ていると
遠赤外線のようで炭火と鳥串はかなり遠く離れている

出来立てを食べてもそんなに熱くないし
焼く時間を推測してみると家庭で焼くよりもはるかに長時間をかけている
それでも固くならないのが炭火の遠赤外線効果なのだと思う

塩の振り方はかなり薄い
わずかな塩味がある程度

軟骨と一緒に挽肉にしたつくねなどは真似をするとしてもかなりむつかしそう

ハンバーグを焼くのも私には少し難しい
蒸し焼きは嫌だし
フライパンだとうまく焼けない
グリルで焼けばいいと言われたけれど試していない

ーー
それにしても驚いたのは
目の前でおやじさんが焼いているのだけれど

おやじさんはときどきヴィダーインゼリーのようなものを
チューチュー吸っていた

こんなにうまいものを作って焼く技術があるのに
自分はヴィダーインゼリーだなんて
どういうことなんだ

毎日でも焼き鳥を食べたいのと違うのか?


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甲子園優勝投手

ゴールデンウィークを地域によってずらせばいいという案は検討されているらしいので
次はプロ野球を干支で12チームに分ける案を検討して欲しいが
今日は甲子園の決勝戦
2010年の選抜優勝が決まったので
新橋の焼き鳥屋で食べていたら
隣の公務員が提案していたので報告

高校野球くらいになると
勉強の傍らで野球をしているなどという人はいないはずで
甲子園そのものが就職活動である

だから
甲子園で優勝したピッチャーは特別扱いでいいと思う
そこで
プロ野球は全体としては個人営業の集団でいいけれど
甲子園優勝投手だけは特別扱いで
国家公務員一級試験に合格した人と同じ扱いでいいのではないか
国家が認める最高の資格としたいと思う

給料は国家公務員上級職と同じ
職業は巨人軍のピッチャー
60歳まで保障
(無駄だけれど、それは上級職と同じ)

甲子園で2回優勝したら
巨人のエースナンバー18を与える

現在の18番がいても新しい2回優勝ピッチャーが出現したら
文句なしに18番をゆずる
若い人優先

ーーー
相手がミスをして得点した場合に拍手をして喜ぶのはどうなんだろう
スポーツマンシップとか
スポーツマインドがあるはずだけれど

ーーー
それにしても
野球を見ていても
私にはボールの行方が分からない
外野のどのあたりに飛んでいるのか
テレビカメラできちんと追うことが出来るのだから素晴らしい

ダルビッシュの球がビュンと曲がるのは分かるけれど
あとはよく分からない


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訛り

わたしは田舎の訛りが結構あるんですが
こうして書いていると
訛りが消えてしまうので
自分でもおかしい


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悲しがる君の瞳

銀色夏生の本
悲しがる君の瞳

悲しげな君の瞳でもなく
悲しそうな君の瞳でもなく
悲しい君の瞳でもなく

悲しがる君の瞳
という言葉がぴったりの人がいます

たぶん、悲しがる君の瞳という言葉を知らなければ
悲しそうな君の瞳で
問題ないんだと思うんですが
知ってしまったら
やはり
戻れない道なんだ


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受取拒否

都会で孤独死して
遺族に遺品の引取りを打診すると
受取拒否されるという




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診断学

そうですねえ、昔は統合失調症かうつ病かなんていうことが
話題になったものです

表面的にはうつ病に見えるけれど
本当は統合失調症なんだよと専門家が言ったりします

あるいは鑑別として性格障害とか非定型精神病とか
また摂食障害とか、その背景にある精神病理とか

摂食障害なんかが分かりやすいんですが
摂食障害という病気があるのか
それともそれは症状の一つで
病気の根本は統合失調症とか躁うつ病とか言った方がいいものなのか

わたしは「前景症状」と「背景病理」という言葉で整理していました

私の説は
巨食などの食行動の異常は前景症状であって
診断作業とは
その背景病理を探り当てることである
というものでした
背景にあるものは統合失調症、躁うつ病、強迫性障害などになるわけです

外来で
うつ症状があるという人に対して
統合失調症の診断をどんな根拠でどんな程度に配慮するのか
これは容易ではなく
非常に深刻な問題です

ーーーーー
私は憂鬱だ、眠れない、最近食欲が落ちた、なんていう人に対して
うつ病という診断をつけるのは
いかにも素人でも出来そうな話です

DSMなどであてはめて、
2週間以内に5つ以上の症状があるから
大うつ病などというのは
いかにも本質を見破る専門家の目を無視しているわけです

しかしどうなんでしょうか
専門家という人達が100人いて
その100人の診断と治療が一致しないとしたら何を信じたらいいのかという話になるわけです

あの世の仕組みを話すようなもので
何も裏付けが無いようだというのでは困るわけです

天国なのか極楽なのか
エンマ様がいるのか誰がいるのか

確かな裏付けのあるレベルで話をしようじゃないかということになると
どうしてもいま、目の前にある、客観的な症状を並べてみる、その組み合わせを記述するということになります

病前性格はあてにならないし
病気の経過も実際に確認したわけでもなければあてにならないわけです

幼児体験などは極めて不安定で客観的に評価しにくいものです
子供の頃の絵日記とか学校の通信簿とかを見たりするわけですが
誰でもわかるように、客観的とは言えないものです

ーーーーー
しかし精神のむ分野で
客観的な評価が果たして本当にあるのか
とても疑問になるわけです

病気というものは
それを裏付ける病理標本があるはずのものです
「機能」を裏付ける「構造」があるという話は分かりやすいと思います

その肝心の構造の具体的な姿が欠如しているわけですから
話も始まらない

アルツハイマー病研究がなんとか進展しているのも
顕微鏡で確認できる病理変化があって
それが手がかりになっているところが大いにあります

ーーーーー
何があてになるのかといえば
そこから先がなかなか難しい

わたしは一言で
「測定の問題」とまとめています

身長、体重、機嫌、などと並べるといいと思うのですが
身長はだいたい決まっているもので測定するのも困難ではありません
客観的な測定によく馴染むものです
日によって違わないし、測定者によって違いもあまりないわけです

「柱の傷」は徐々に上に伸びて行くものです
そしてもう伸びなくなった頃には
誰も測ってくれないわけですね
身長が一定になれば大人で
もう人の親になってもいい頃なのです

体重は増減があります
一日で大きくは違わないとしても
季節によって違ったりはするわけです
直前に食事をしたとか
体重計に乗るときにどこまで衣服を脱ぐかとか
身長よりはばらつきが出ます

身が細る思いとは言いますが
どんなに心配をしても身長が縮むことはあまりなさそうです

機嫌が客観的に測定出来るかといえばちょっと難しい
その人の根本的な気質というものは
確かにあって
陽気な人、陰気な人、神経質な人など、いろいろとある
でも、その場その場でかなりの変動があるわけですし
接する人、評価する人、場面でかなり違うこともある
客観的な測定にはふさわしくないものです

その人の性格・気質・性質を「測定」することは
いろいろと工夫はされているわけですが
いまも難しい問題です

客観的な「性格」が存在するのかと問いかけることもできます
接する相手によって違う面が出るわけで
「性格」と思われているものも、半分は相手の性質だとも考えられます

それならばということで、
ある測定者がなるべく一定の態度と手順で
ある一定の室内環境で
他人の性質を判定したらどうかということにもなるわけです

それは測定者が変われば変わってしまうものですが
そんなものははじめから目指さないという考えだってあるわけです
身長のように客観的に測定できれば一番いいけれど
そうではないのだから
そうなる日を願うとしても
現状でできることは
ある一定の測定環境を維持する、その上でデータを比較する、ということでしょう

それならば
気の合う仲間で集まって
診断を共有しあうのも意味があるわけです

そのようにして形成された「診断」もあるわけです

それは身長のように客観的なものを測定しているのではないし、
診断者もそんな客観性を主張しているのではないのです

ーーーーー
お前の顔は四角だとか
お前の顔は丸だとか
診断されたとします

世の中には完全な丸も四角もないわけですから
そのような物の言い方は類型学、Typusといいます

現実の顔は
丸の性質をいくらかおびて、四角の性質をいくらかおびている、
そのように解釈するわけです

理想型と言ってもいいし、類型と言ってもいい、極型でもいい

ここで、果たして、統合失調症とうつ病は
顔で言えば四角と丸の関係なのか、
四角と赤いの関係なのか、疑問が生じます

四角くて赤い顔もある、四角くて青い顔もある、
丸くて赤い顔もある、丸くて青い顔もある、

四角ー丸の軸と
赤いー青いの軸を
二つの次元とすれば
顔はどのように分布しているのかと研究することができます
あるいは時代によって地域によって
分布がどのように変化するかを研究することができます

そういうものなのか

あるいはそうではなくて
四角と丸の関係なのか

ーーーーー
むかし、性格類型と体系を相関づけたものがありました
中学の教科書で見た記憶があります

痩せ型ーー統合失調症
肥満型ーー躁うつ病
闘士型ーーてんかん

というものですが
分かりやすいけれど
例外が多すぎるとも思えます

当たっている部分も多いのですが

ーーーーー
そのように同一平面上で排他的に診断カテゴリーを作るのは正しくないだろうと考えられるわけです



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問題を先延ばしにする理由

一番大事な問題は何かを本人も知っていると思う

しかしその問題にいつ直面するかはなかなか難しい話で
やはり頃合いとかきっかけとか
いろいろとある

大抵の人はおおいにためらう

本気で取り組む前に
しばらく他のことに時間を費やしてみたりする

本質的な問題であればあるほど
ためらう

ーーーーー
その辺を承知している達人というものもいて
たとえば
他人が訪ねてきても容易には会見しない

会わないといえば角が立つので
連絡がとれないということにする

あまりに連絡がとれないと信用をなくすので
スケジュール調整係の秘書が連絡不通になったりする

秘書に居留守を使われるようだと
どんなに鈍感な人でも自ずと悟るところがあるもので
たいていは諦めてくれる

そのようにしてタイミングを調整した上で会見するのである

秘書というものはそのためにある

ーーーーー
本人にとって厄介な問題はやはり先延ばしにしたいので
いろいろと理由をつけて
つまりフロイトでいうと合理化して
なるべく忘れようとする

しかしそれも一時であって
やはりいよいよ直面化しなければならない

人間は良くしたもので
それまでにはいろいろな箇所が整っているものである

逆に言えば
直面化する時期が来たから直面化しているのだと思う

結婚を先延ばしにして遊んでいた女性がいよいよ決心しなければならないとき
多分自分で決心する

ーーーーー
回避するのにも理由があるので
周囲としては
あまりに性急に解決を押し付けてもよくないだろう

人間が生きるのなんて
どうせ100年にも満たないくらい
だいたいは50年内外程度である

それくらいの時期を
少しばかり問題を先延ばしにしてもしなくてもいいだろうと思う
大差はない

どちらにしても辛いのだから
どちらでもいいという程度だと思う

人生が楽になる日はたぶんないと思う


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