知略・後出しジャンケン
朱色のひなげし
詩集「マチュ・ピチュ山頂」パブロ・ネルーダ
語り部
日本語表現の可能性
社会経済的地位、健康行動、および死亡率
Socioeconomic Position, Health Behaviors, and Mortality
2010 April 08健康状態における社会経済的勾配の存在を示した多くの研究では、「貧しいより裕福なほうがよい」というメッセージが明示されている。しかし、こうした健康格差の背景にあるメカニズムは依然として明らかになっていない。Londonの縦断的研究において、健康行動が社会経済的地位および死亡率とどのように関連するかが評価された。1985年から2009年にかけて、英国の10,000人近い公務員がフォローアップされた。
性別と年齢で調整した後、社会経済的地位がもっとも低い人々の全死因死亡率は、もっとも地位が高い人々の1.6倍であった。ベースラインの健康行動(喫煙、アルコール摂取、食事、身体的活動)で調整したところ、社会経済的地位が高い人々に対する社会的地位が低い人々の全死因死亡率のハザード比(hazard ratio:HR)は1.31に低下した。さらに、ベースライン時および縦断的に健康行動を調整するとHRは1.14に低下し、もはや統計学的有意水準に達しなかった。
コメント:社会経済的地位、健康行動、および死亡率の関連に関するこの研究は、ベースライン時および縦断的に健康行動を調整した点で独特である。社会経済的階層にわたる死亡率の差は、少なくとも健康保険に加入している英国の公務員の間では、主に健康行動により説明できることが見出された。われわれは、個人の素因あるいは特性が、不健康な健康行動と社会経済的地位の両方を導くという結論を導きがちである。社会的、経済的、およびその他の系統的因子が、個人が特定の健康行動を採用する際に重大な影響を及ぼすと主張する人も多いであろう。
幸せな人
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まっとうな理屈の通じない女性と良好な関係を築く方法
まっとうな理屈の通じない女性と良好な関係を築く方法
他人様のサイトよりみなが納得するようなフェアな道理を筋道立てて女性に説いて、上手くいかず、
女は非論理的だ
とか、
女は愚かだ
と結論づける男性をときどき見かけます。
しかしこういうとき、
間違っているのはたいてい男の方
なのです。
男と女が揉めるのは、たいてい利害と感情の調整が上手くいっていないときです。
そしてそのとき男性が、その利害と感情のこじれを修復するために持ち出す理屈というのは、
「みなが納得するようなフェアな道理」
です。
男ってバカですねー。
そもそも道理というものは、長い人類の歴史のなかで、利害と感情の調整をするために生まれ、使われてきたものです。
利害と感情が完全に調整されていれば、そもそも道理などというものは必要ないのです。
多くの社会人男性は、職場や取引先でたくさんの人間の思惑、感情、利害が複雑に絡み合った状況を乗り切るために、
「誰もが納得せざるを得ないような、筋道だったまっとうな理屈」
を作り上げ、それを駆使して世間の荒波を生き抜こうと試行錯誤し、失敗や成功を重ね、
その道理の感覚が正しいことに対する自信を深めていきます。
こうして、社会正義というか、いわゆる「フェアな道理」の感覚を内面化していくわけです。
ところが、上司と部下との板挟みになって利害や感情の調整に日々苦しんだ経験もなく、
取引先とタフに交渉して自分のプロジェクトの都合を十分に認めさせながら、
良好な関係を維持するという難事業をやるために知恵と勇気を振り絞る毎日を送ったこともないまま、
結婚し、家庭に入った女性にとっては、そもそも、
そんな「集団の利害と感情を調整するための理屈」など、知ったことではありません。
だって必要がないのですから。
もちろん、男性の感覚における「まっとうな理屈」に乗ってくれる女性もいます。
たとえば、やり手の中間管理職で、顧客企業やパートナー企業と良好な関係を築くことのできている女性は
多くの場合「まっとうな理屈」が通用します。
また、たとえY染色体を持っていても、過酷な利害調整業務に疲弊したことがあまりない
世間知らずのおぼっちゃまな男性や、そもそもそういう調整が下手くそで
会社でうだつの上がらないような男性にも、男性の論理における「まっとうな理屈」など通用しません。
ある種の女性がこういう、「必要のない感覚」を持っていないのは当たり前だし、
そういう人に対して男性の論理における「まっとうな理屈」を振り回す男は、
単に愚かであるばかりでなく、女性に対して理不尽な屁理屈を押しつけていることになるわけです。
社会人経験が浅いまま結婚して家庭に入った女性が生きている世界は、
もっと小さくてフラットな世界です。
そもそも、過酷な職場で働く男性の世界は、自分の一つ一つの意志決定が、
地位、権力、お金をリアルに左右する、ちょっと間違うだけで、取り返しのつかないほどの
大出血になってしまうような、シビアな利害関係の世界です。
そこでは、絶対零度と灼熱地獄がとなりあわせな過酷な環境を突き進むスペースシャトルの理屈が適切ですが、
専業主婦の女性が、ご近所づきあいの中で行わなければならない利害関係の調整は、
それほど安易なものではないかも知れませんが、少なくともそれとはかなり異質なものです。
そこに男性の論理を持ち込んで通用しないと愚痴るのは、
スペースシャトルのエンジン部品を軽自動車に取り付けて、うまく動かないと嘆いているようなものです。
ましてや、「軽自動車の部品よりも、スペースシャトルの部品の方が「高級」な部品なのだから、それで軽自動車の性能が上がるはずだ」などという勘違いした理屈をこく男性などは、ほんと(ノ∇`)アチャーという感じです。
そういう女性の小さな世界で必要とされるのは、「道理」ではなく、もっと別の方法です。
とくに家庭のような「小さな世界」では、利害関係が生じる人間の数など
たかが知れていますから「みんなが納得するような道理」など必要ないし、
むしろ不適切なのです。
そもそも、なぜ「みなが納得するような道理」が必要となったかというと、
組織が大きく複雑になり、利害関係があまりに複雑になると、
個別に利害調整するのはコストが大きくなりすぎるからです。
そういう状況では、できるだけ多くのケースに適用できる
「普遍的な公正さ」というものを作りだし、それを使い回すことで、
利害調整の生産性を上げるわけです。
というか、そうやって利害調整を効率化しないと、利害調整ばかりに追われて、
仕事どころではなくなってしまうのです。
ところが、人間の数が限られ、したがって利害関係の複雑さも限られている
家庭のような小さな世界では、利害関係の調整は個別対応ができます。
それどころか、十分な人間の数がいないと、サンプル数が十分でないため、
普遍的な公正さを醸成するには、無理があるのです。
だから、家庭のような小さな世界には、男性が職場で培った「みなが納得するような道理」など
持ち込んでも通用するはずがないし、また、持ち込むべき正当な理由もないのです。
それでは、「みなが納得するような道理」を使わずに、
「個別対応で利害を調整」するには、どうすればいいのでしょうか?
それにはまず、男性は「普遍的な道理に照らし合わせて、どのようなことが正しいのか?」
と無意識に考えてしまうことをやめなければなりません。
そして、「どのようにすれば、結果として個別具体的な誰がどれだけ得し、損するのか?」
「どのようにすれば、結果として、個別具体的な誰がどれだけ感情的に気分が良くなるのか?」
という個別具体的なことだけに、全意識を集中するのです。
そして、女性との関係が良好なときにこそ、女性と「対決」しておくのです。
どんなに蜜月な関係であっても、「対決」をしないと人間関係は腐敗します。
良好な人間関係をたもつために、言うべきことを言わないでおくと、どんどん関係が腐敗していくのです。
「対決」はケンカとは異なります。
それよりもむしろ、「交渉」に近いニュアンスです。
むしろ、「対決」とは、将来の揉め事や不快の芽をあらかじめつぶしておくために、
ものごとがこじれる前に、早期に「決着」をつけておくことです。
男女の揉め事の多くは、対決すべき時に対決する勇気を男性が持たなかったために生じているのです。
女性が、知らず知らずのうちに妻という地位=既得権益のうえにあぐらをかくようになり、人格が腐敗していくケースの多くは、男性の責任も大きいのです。
そういう、いかにも女性的な人間関係の調整には自信がない、
どうしても女性に男性の論理における道理にかなったやり方をしてもらいたい男性は、
利害調整にできるだけ多くの第三者を巻き込むようにするしかありません。
なぜなら、女性が(男性の論理において)どんなにデタラメに理不尽なことを言っていても、
その女性と二人だけで言い争っている場合、どちらが正しいのかなど、決まるわけがないからです。
正しさを作り出し、また、正しさが現実に力を持つのは、
容易に切り離せないほど深く関わるたくさんの人間がいて、その人間たちの
多くがその正しさを支持するからです。
水の入ったバケツを振り回したときに、バケツから水がこぼれないのは、遠心力が生じるためですが、
もし、宇宙に自分とそのバケツしか存在しなければ、バケツが静止したまま自分と宇宙全体が回転しているのか、
それとも自分と宇宙が静止したまま、自分がバケツを振り回しているのかは、区別がつきません。
ですから、そういう状況では、どんなに必死こいてバケツを振り回しても、遠心力が生じるかどうかは定かではありません。
遠心力が確実に生じるのは、我々をとりまく無数の星や銀河があるからだという理屈があるわけです。
これと同じように、男性がもつ「みなが納得するような道理」が通用するのも、
「みながいる空間」においてだけなのです。
二人しかいない空間では、どんなに正しい理屈をこねても、まったく不毛なのです。
だから、どうしても男性の論理で女性を説得したければ、二人しかいない空間ではなく、
周囲に星や銀河がたくさん広がっている宇宙に女性を連れ出して、
そこで女性を説得するべきなのです。
そして、どうしても家庭生活にまで「みなが納得するような道理」を持ち込みたい男性は、
はじめから、星や銀河が広がっている宇宙から来た女性と結婚するという方法があります。
要するに、職場で中間管理職として上司とも部下とも取引先とも良好な関係を築いてきた
実績のある女性と結婚すればいいわけです。
また、社会人経験の浅い若い女の子と結婚するときは、
根気よく男性の論理が通用する人間に育てていかなければなりません。
そのどちらもできない場合、男性の論理が通用しないことをはじめから覚悟し、
「女性の個別対応の論理」に自分を合わせるしかありません。
歳月人を待たず 陶淵明
雜詩其一
人生無根蔕 人生 根蔕なく
飄如陌上塵 飄として陌上の塵の如し
分散逐風轉 分散し風を逐って轉じ
歳月人を待たず(陶淵明:雜詩其一)
此已非常身 此れ已に常の身に非ず落地爲兄弟 地に落ちては兄弟と爲る
何必骨肉親 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
得歡當作樂 歡を得なば當に樂しみを作すべし
斗酒聚比鄰 斗酒 比鄰を聚めよ
盛年不重來 盛年 重ねては來たらず
一日難再晨 一日 再びは晨なりがたし
及時當勉勵 時に及んで當に勉勵すべし
歳月不待人 歳月 人を待たず
人間の生には(植物のような)しっかりとした拠り所がなく、ひらひらと舞い散るさまは路上の塵のようだ、ばらばらになって風に吹かれて飛び散り、もとの通りに居続けることはない
この世に生まれたからにはみな兄弟だ、骨肉の間柄だけではない、歓楽の機会があればすべからく楽しもう、酒があれば近所の連中を集めようではないか、
盛りの年は二度とはない、今日という日は再びは来ない、時に及んでまさに行楽を楽しもう、歳月は人を待ってはくれないのだ
歸去來兮辭 序 陶淵明
歸去來兮辭 序
余家貧,耕植不足以自給
幼稚盈室,瓶無儲粟,生生所資,未見其術
親故多勸余爲長吏
脱然有懷,求之靡途
余家貧にして,耕植するも以て自ら給するに足らず。
幼稚室に盈ち,瓶に儲粟無く,生生資する所 未だ其の術を見ず。
親故多く 余に長吏爲らんことを勸む。
脱然として懷ひ有り,之を求むるに途靡し。
自分は貧しい生活の中で、農耕に励んでも自給もままならぬ、子どもらは家に満ちて常に腹をすかせているのに、ろくに食べさせるものもない有様、そんな自分の窮状を哀れんで、親戚が心配してくれるが、仕官のあてもない状態だった。(耕植は田畑を耕すこと、儲粟は、穀物の蓄え、四方の事とは当時桓武玄や劉裕を巡って世の中が乱れた有様をさす、家叔は伯父、彭澤は江西省にある地名、眷然は反省するさま、矯勵はたわめ直すこと、一稔は秋の収穫、駿奔は急ぎ葬儀に馳せつけること、)
會有四方之事,諸侯以惠愛爲德
家叔以余貧苦,逐見用于小邑
於時風波未盡,心憚遠役
彭澤去家百里,公田之利,足以爲酒,故便求之
會ま四方の事有り,諸侯惠愛を以て德と爲す。
家叔余の貧苦なるを以て,逐に小邑に用ゐらる。
時に於いて風波未だ盡きず,心 遠役を憚る。
彭澤は家を去ること百里,公田の利は以て酒と爲すに足れり,
故に便ち之を求む。
ところが運良く世の中が変わり、諸侯が人材を求めていることに乗じて、職につくことができた。彭澤は家からもそう遠くはないし、収穫をもって酒を作ることも出来る。
及少日,眷然有歸歟之情
何則,質性自然,非矯勵所得
饑凍雖切,違己交病
嘗從人事,皆口腹自役
於是悵然慷慨,深愧平生之志
猶望一稔,當斂裳宵逝
少日に及びて,眷然として歸らん歟の情有り。
何となれば則ち,質性の自然は矯勵の得る所に非らず。
饑凍切なると雖も,己に違はば交ごも病む。
嘗て人事に從へるは,皆な口腹自ら役せり。
是こに於いて悵然として慷慨し,深く平生の志に愧づ。
猶ほ望むは一稔にして,當に裳を斂さめ 宵に逝くべきを。
しかし少日にして帰りたいとの気持ちが強まった。自分の天性はそう簡単に変えられるものではない。いくら生活のためとはいえ、平生の志を曲げるのはつらいことだ。秋の収穫を得たら、さっさと夜逃げしよう。
尋程氏妹喪于武昌,情在駿奔,自免去職
仲秋至冬,在官八十餘日
因事順心,命篇曰「歸去來兮」
乙巳歳十一月也
尋で程氏の妹武昌に喪せ,情は駿奔に在りて,自ら免じて職を去る。
仲秋より冬に至るまで,官に在ること八十餘日。
事に因り 心に順ひ,篇を命じて「歸去來兮」と曰ふ。
乙巳の歳 十一月なり。
そうこうするうち、妹が死んだ。ことここにいたっては、一刻も早く逃れたい。葬儀に参加することを理由にして辞職しよう。
Be realistic:Attempt the impossible.
graffito at Sorbonne
noted by Mortimer Adler
An Agenda for 21th Centry 所収
これはわたしの好きな言葉となって現在に至る。