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Fly me to the moon

Diana Krall - Fly me to the moon
http://jp.youtube.com/watch?v=qVCgf6_M7i4&feature=related

Utada Hikaru - Fly Me To The Moon
これはCDのほうがいいみたい

FLY ME TO THE MOON- Bossa nova
http://jp.youtube.com/watch?v=PSYyw1F5FgA&feature=related

Julie London: Fly me to the Moon
http://jp.youtube.com/watch?v=qC1zYEyUlCU&feature=related

Fly me to the moon - Karolina Pasierbska
http://jp.youtube.com/watch?v=rlU5SKE4eb4&feature=related



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「想像力で立場を変換」

生徒指導計画案

1.目標
友達に何かしてもらったときにはお礼の言葉を伝える。
授業が始まる前に静かに待つ。

一般化して、人に何かしてもらったらお礼を言う。周りの人のことを考えて生活したりできる。

2.目標の理由
野菜を食べたくないから食べない。
つまらないから授業に集中できない。
恥ずかしいから自分の気持ちを素直に表現することが出来ない。
朝眠いから起きることが出来ない。

ひとそれぞれ、苦手な事がある。
自分にとっては難しいことが存在するのは、当たり前で仕方のないことだ。
しかし、これからは自由の中で自分を律すること、
自身をコントロールする力が、中学校から大人にかけて求められてくる。

これから先、もっと辛いことや苦しいことがあるかもしれない。
これを乗り越えることが出来るのは、自分の心の強さと仲間達の存在である。
仲間を大切にできる優しい心、自分の弱さを見つめる勇気、弱さに打ち勝つ強い心。

仲間を大切にする温かい気持ちを持った上で、
自分に打ち勝つ強い精神力を持って欲しい。

ーー
あったかひろしの感想

さてさて、そうですね、小学生を見て、驚いたと思います。
まず授業中も、静かに先生の話を聞いていられない。
ましてや授業前には静かに待つことなんかできない。

友達に何かしてもらったときにお礼が言えない。感謝を伝えられない。
これも生徒としばらく暮らしていると分かることですね。
ソーシャル・スキルが蓄えられていないのですね。

わたしの考えでは、自分の立場と、他人の立場を変換して、
想像できるとということだと思うんですよ、結局は。

大人になって、男と女で立場が違ったりします。
そのとき、「どうせ俺は女にはならないから、男性優位を主張していていいんだ」とか、
「どうせわたしは男性にはならないんだから女性の立場を守ればそれでいいんだ」とか、
もう変わりようのない立場の違いを、
敢えて想像力で超えていく力のない人が多いような気がしますね。

貧富の差もそうだし、出身階級の差、遺伝的な負因の差、
そのようなものは、「想像力で立場を変換」しない限りは、分かりようがないものです。

人に何かいいことをしてあげたときに、感謝されたらとても気持ちがいいものです。
その体験を元に、今度は逆に、自分が親切にされたら、どうすればいいのかを
立場を変換して、判断できないものか。

これからお勉強が始まるというとき、緊張して心静かに待っている人だっているわけです。
そんな人の隣で、いつまでも騒いでいたら、その人にどんなに迷惑か、
立場を変換して、考えることができないか。

自閉症と昔から呼んでいる障害があり、
広汎性発達障害とかいろいろな呼び方に変化しつつあります。
一つの特徴は、相手の立場と自分の立場を瞬間的に入れ替えることができないことなんです。
そのあたりを確認するテストもいくつかあります。
自分には分かっているけれど、相手には分からないはずのことを認識して、
その上で判断する能力が問題になります。
「立場を入れ替えて想像力を働かせる」能力は、
小さい頃から少しずつ育ち、大きくなってからも、育ち続けます。

優しさとか思いやりは、そのような心のあらわれです。
自分は苦しくない。でも、相手は苦しい。そのときに、どうすればいいのか。
所詮、他人は他人だというのも現実です。無限にやさしくなれば、
自分を破滅させてしまいます。
しかし人間の心はそのように「他人を遮断」するようにはできていません。
「人の立場に立って」「痛みを感じる」のです。

そんなわけで、1.目標は、「他人の立場と自分の立場を入れ替えてみる想像力」になるでしょう。

2.の
野菜を食べたくないから食べない。
つまらないから授業に集中できない。
恥ずかしいから自分の気持ちを素直に表現することが出来ない。
朝眠いから起きることが出来ない。

については、やはり、子どもたちとの生活の中で、気がついたことですね。

まず細かいことですが、
野菜を食べたくないから食べないのと、食べられないから食べないのとでは、違うでしょうか。
結局同じでしょうか。
人間の意志をどの範囲で設定するか、難しいところがあります。

4つの項目が挙げられていますが、
わたしにとっては、
恥ずかしいから自分の気持ちを素直に表現することが出来ない。
だけは異質であるように思えます。

恥ずかしいから自分の気持ちを素直に表現することが出来ない。というのは、
心の弱さでもないし、乗り越えなければならない点でもないように思います。
それでいいのじゃないでしょうか。

むしろわたしにとっては、人間はそういうもので、
自分の素直な気持ちを言えたことなんか一度もないような気がします。
言いそびれた言葉ばかり、わたしの胸の中にたくさんあります。
それは弱くてダメなことで、大人になるなら克服していかなければならないのだと言われると、
何だか抵抗があります。

野菜は食べた方がいい。
授業には集中した方がいい。
朝は起きた方がいい。
でも、恥ずかしかったら、言いそびれて、そのままでもいいよとわたしは思う。
それだととっても損をするけれど、それでもいいじゃないか。
恥ずかしいんだもの。

そのくらいは勘弁して欲しい感じはする。

自身をコントロールする力が問題になっている。
自身をどのようにコントロールするのか、それも問題がある。
世間のよい子のように振る舞うのも方法だし、
世間によくあるマイナーグループのように振る舞い、服装とか言葉、考え方まで、
そのようにしてみるというのも、方法だろう。精神発達の一時期ということになる。
ハードロックの一派のように振る舞うというのも
一つの発達の筋道なので長い目で見てあげることだ

最終的には「合理的な判断」に従うのが現代の市民社会の原則なんだけれど、
一方で、現実の社会は、非合理的で、美しい心を圧殺するものに満ちている。
合理的判断の最低基準が法律になるのだろうけれど、
たいして理由のない法律もあるし、むしろ害になっている法律もある。

法律家や教育者というものは
うっかりするとアインシュタインやモーツァルトを
ダメ人間として認定し、矯正しようとするのだ
アインシュタインやモーツァルトは百年に一度しか現れないのだから
あまり気にする必要はないと思うけれど
教育者や法律家はやはり視野を広げておいた方がいいと思う

ーー
辛いことや苦しいことがあるかもしれない。
これを乗り越えることが出来るのは、自分の心の強さと仲間達の存在である。

そうですね。
そうなんだと思います。
人格類型でいうと循環気質の世界戦略です。

しかしわたしは思う
自分の心は強くない、むしろ、弱い

そして仲間はあてにならない
わたしは孤独だ

だから
つらいことも苦しいことも
どうやって乗り越えたらいいのか
本当のところはよく分からない

なぜ乗り越えた方がいいのかも
実は分からないような気もする
しかしわたしの本能は負けないことを命じている

わたしには結局教会に行ってお祈りするしか方法がない
教会の指導者も仲間も、ありがたいのだけれど、結局、人間なのである
わたしは神様にお祈りをする
何も返事はないけれどそれでいい

返事があればわたしはそれは幻聴だとまず思うかもしれないので
神様からは返事がなくて当たり前だと思っている

そう言ってしまっては教育的にもよくないので
やはり仲間は大切だと言いたい気持ちはよく分かる

連帯である
人間であるということの、逃れられない基本条件を共有している、仲間としての、連帯

しかしこれを弱者の連帯と言ってしまえば、
そこからはニーチェの言う、奴隷の道徳まで、至近距離になる

奴隷も困ったものだけれど、超人にすぐになれるわけでもないだろう

奴隷であることの意味も、超人であることの理想も、理解した上で、
現状は現状で、理由があることと、一つの発展段階として肯定する、
そのような穏やかで成熟した、現代人でありたいと思うのだ。

しかし、子どもたちに対するときは、もっと理想的で教育的であっていいと思う。




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微細な高次の脳障害で理性が曇る

一見性格障害の様に見えるのだが
話していると実は理性が曇っていて
強迫症とも違う様態で何度も繰り返し
統合失調症ではなく思考は途絶し
うつ病ではなく思考抑制がある
論理はくねくねとねじ曲がり
これはピカソの絵なのか
理性が曇りガラスの向こうにあるようで
高次脳障害の一つの形と思われるのだが
本人は理解していないし
あくまで他罰的被害的だから話は進まず
それとなく話しても
怒るので怒られた方はまるで何が何だか分からなくて
周囲は全員困り果て
誰も相手にせずひたすら遠ざけられて
寄ってくるのはひたすら金が目当ての人々だけなのだった

妄想性人格障害と言うべきか
理性の微細障害と言うべきか
まあどちらにしても薬はない

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駅伝のたすきのように次に渡す

ダグラス・ワキウリが語る。

自分は走ることで幸福をつかんだ。
独り占めせず、駅伝のたすきのように
次に渡さなければならない

*****
独り占めにして楽しいことなんか
世の中にあるのだろうか。

人に認められたくて
人に褒められたくて生きているものだ

*****
幸せになりたいね、少しの間でも。



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鶯のなみだのつららうちとけてふる巣ながらや春を知るらむ

鶯のなみだのつららうちとけてふる巣ながらや春を知るらむ

結局昔の人もよく泣いていたのだろうね

鶯のなみだのつらら なんてね そんなものないだろうという派と きれいだという派と 別れそうだ


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世界の埋蔵量の半分 ボリビアでリチウム争奪戦

ボリビアでリチウム争奪戦…主要国、塩湖に群がる

ボリビア政府によるリチウム精製実験施設(ウユニ塩湖畔で)=池松洋撮影

リチウムを手に精製実験成功を祝うボリビアのモラレス大統領(中央)=池松洋撮影

 南米の最貧国ボリビアで、日本も含む主要国が、次世代環境技術のカギを握る天然資源・リチウムの争奪戦を繰り広げている。

 電気自動車などに使われる充電池の原料がアンデス山脈の秘境「ウユニ塩湖」に未開のまま眠っているのだ。その量は世界の埋蔵量の半分とも言われている。

          ◇

 地平線の向こうまで、真っ白な塩の大地が広がる。草木は生えず、動物もいない。中心都市ラパスから悪路を車で約12時間。富士山頂とほぼ同じ標高に、東京都の6倍近い約1万2000平方キロの静寂の世界が広がる。

 10月29日、湖畔。リチウム開発を急ぐ政府が精製実験成功の祝賀会を開いた。労働者ら約2000人が見守る中、モラレス大統領は容器に入ったリチウムを片手に「これで資金を集め、工業化を進めよう」と拳を振り上げ、「日本の大使も駆けつけてくれた」と、唯一の外国人賓客である田中和夫大使を紹介した。

 大使は大統領の直接の誘いを受けてともに会場入りした。異例の厚遇を「日本からの資金・技術援助への期待の表れだろう」と分析する。

 だが、中韓欧などのライバルも虎視たんたんとリチウム資源を狙っている。

 ウユニ塩湖が祝賀ムードに包まれている頃、ボリビアの中心都市ラパスでは、各国の代表が提案合戦を繰り広げていた。

 ◆トヨタ登場◆

 10月29、30日に中央銀行など2会場で開かれた「リチウム産業化に向けた国際科学技術フォーラム」。世界15か国から1000人以上が集まり、会場は熱気に包まれた。フォーラムに名を借りてはいるが、実質的には各国のPRの場だ。

 「次世代電池の材料はリチウムしかない」

 日本を代表してトヨタ自動車の技術者が明言すると、会場は大いに沸いた。日本はトヨタに加え、経済産業省、石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)、東京大学などから参加国最多の計5人の合同チームを派遣した。石炭と鉄鋼への集中投資をテコに高度成長した戦後日本の経験に触れ、「リチウムを軸にした産業振興の手助けをできる」とボリビア政府との共同開発を訴えた。

 中国も5人の代表を送り込み、青海省の塩湖でリチウム生産を手がける実績をアピールした。モラレス大統領の出身村に学校を建てるなど、硬軟の戦術を織り交ぜる「侮れないライバル」(経産省幹部)だ。

 フォーラムに参加した韓国やフランスも共同開発を争っている。サルコジ仏大統領はモラレス大統領の訪仏時、電気自動車の試乗までさせている。

 水面下では、さらに多くの国が秋波を送る。「今では隣国ブラジルも含め世界中の国が交渉を持ちかけている」とボリビア鉱山公社のギリェルモ・ロエランツ技術顧問は打ち明ける。

 ◆銀山の反省◆

 各国が競ってボリビア政府にすり寄るのは、モラレス大統領が2013年にリチウムの商業生産を開始し、18年には自動車用リチウムの生産工場を国内に建設する構想をぶち上げているためだ。大統領は「資金・工業化の両面で海外のパートナーを探さなければならない」と各国をあおっている。

 ただ、労働組合出身の大統領は、同時にリチウムの国家所有を掲げてもいる。各国が欲しい利権(採掘権)は渡さず、資金と技術だけを引き出す戦略だ。今年1月に採択した憲法改正では、リチウムを含む天然資源の国家所有を決めた。

 ボリビアには、16世紀以降のスペイン植民地時代、世界最大のポトシ銀山を擁しながら、貧困にあえぎ続けた苦い歴史がある。リチウムを「ボリビア固有の宝」と呼ぶ大統領は、資源の国家管理こそ繁栄のカギと信じている。

 ◆両にらみ◆

 投資を検討する側からは、「利権が得られず、工場の共同運営程度では利益が薄い。思い切った投資に踏み切りにくい」(日本の商社首脳)との声も漏れる。各国とも同じ悩みを抱え、ライバル国とボリビア政府の出方を両にらみしながらの神経戦が続く。

 ボリビアの1人当たりの国民総所得は1260ドル(2007年)で、日本の約30分の1、南米でも最低水準だ。ウユニ塩湖周辺は中でも最も貧しいが、一方で最近、秘境の観光地としての知名度が上がってもいる。日本も含め、世界中から観光客も増えている。

 ウユニ塩湖で観光ガイドを務めるファニータ・ソブリーニョさん(27)は「地元ではリチウムで潤う期待と、開発でこの貴重な自然が変わらないか不安な声で揺れている」という。開発を巡る思惑は国内外で乱反射している。(池松洋)

(2009年11月8日01時44分  読売新聞)


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春日山 おして照らせる この月は 妹が庭にも 清けかりけり 

春日山 おして照らせる この月は 妹が庭にも 清けかりけり 
                        読人知らず

何と言って思想も嘆きもないこの歌の味わいがいい


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金子由香利「めぐり逢い」「不明の曲」


別れて、旅に出て、思い出だけを支えに生きて、昔の町に戻ってくる、
町の小さなお店などが胸を締め付ける、そこにわたしとあなたがいる、
思い出を連れてわたしはまた旅に出る


旅のあと、こうして再会する、男には妻がいて、わたしに少し似ている


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金子由香利「時は過ぎてゆく」



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自殺対策をはじめメンタルヘルスの強化

12年度に診療報酬増額 民主、参院選公約で
2010年4月22日   提供:共同通信社
 民主党の参院選マニフェスト(政権公約)づくりを行っている国民生活研究会(中野寛成会長)は21日、医療・介護などに関する分科会を国会内で開き、2012年度の診療報酬改定の増額を盛り込んだ素案をまとめた。具体的な上積み額は明記しなかった。

 素案は、診療報酬増額を盛り込んだ医療提供体制の整備のほか(1)予防医療の推進(2)自殺対策をはじめメンタルヘルスの強化(3)介護労働者の処遇改善-などで計11項目。

 雇用などに関する分科会では、労働環境の改善を念頭に、雇用の在り方を規定する基本法を制定する方向で一致した。



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セーフティネット

自分でリスクをとって起業する人がたくさん出て欲しいとのことで
そのためには失敗してもまた再起できるようなセーフティネットが必要だといわれるが
どうも話がずれている

失敗しても安心だから起業するなんていう人はまずいないだろう
土台も、この文章自体何を意味しているのか不明だ

起業して成功する人のレベルは
既存の大企業に就職して安定した生活ができる人のレベルよりずっと高い

起業するくらいの力がある人は
うまくいかなくなってもどこかに就職して生きることができるだろう
自分の生活くらいは自分で立てることができる
セーフティネットとはあまり関係がない

会社でうまくいかなくて
押し出されて仕方なく起業できるとも思わないし
うまく行くとも考えられない

むしろ起業する層の人達は
社会を養うくらいの気持ちが大いにある
起業家は一種のセーフティネットを作っている側なのだと思う


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認知特性と経済成長

努力は報われるか、報われないかという議論があって
結論は

全体が成長しているときは各人もある程度報われるので
努力は報われると感じる人が多くなる

全体の成長がなくなる、または縮小すると
成功する人の割合は少なくなるので
努力しても報われないと感じ
結果として福祉制度の充実を望む意見のほうが強くなる

努力は報われるという古典的な価値観を維持するためには
社会政策として成長を持続する必要があるのだが
若年人口割合が急激に減少する今後の日本では不可能であると判定されている

そうなるとそこから派生して
人生は報われない
他人は悪人が多い
社会は冷たい
東京は乾いている、砂漠だ
などの否定的な認知が優勢になる

じゃんじゃん儲かっていれば
東京は花の都で
有楽町は恋の街だ

こうした否定的認知の原因が経済成長の鈍化にあるとすれば
人間の認知とはなんだろうかと
また立ち返って思ってしまう

農業経済の時代の倫理と
工業経済,そしてその後の情報化社会における倫理
さらに少子高齢化,イノベーションの停滞などがもたらす倫理
などというように、昔の言葉でいう、下部構造が上部構造を決定するという事情はありそうである

労働は美徳で
労働を通じて自己実現するなどと思うのは
経済成長時代に基本の価値観を身につけた老人の思うことなのかもしれない


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税金を安く?

よく
税金を安くできます
なんていうセールストークを
みかける

生きている限り
どうせどこかで支払うのだから
税金は高くてもいいし
全部払うのがいい

死んで相続税を払うのとあまり変わらない

税金を国家は無駄に使うとかいうけれど
お金は使ってはじめて回るものなので
最初は税金の無駄遣いでも結構だ

節税なんてしたら
親戚のお役人は困ってしまう
無能な人間がなんとか生きていられるのは税金のおかげだ

節税したら結局その人を親戚が養うことになるかもしれない
そう思えば税金を払った方がまだいい
気まずくならないですむ

社会制度に寄生する人が増えてこまると言うが
寄生して幸せと思う人ならしていればいいので
別段何とも思わない

自分は寄生虫だという自己イメージを受け入れることで
人生がどんなに暗く湿ったものになるかを考えると
簡単には寄生できないと思う

制度がどうなっても自分は仕事を続けると思うのであまり変化はない
税金が重くなったから仕事を減らそうとは全く思わないだろう
蓄財のために仕事をしている人はそんなに多くないと思う

そもそも家に全然財産がない人も少ないだろうし
働かないで暮らせる人も沢山いる
それでもみんな働いているから
蓄財が働く目的ではないと思われる

働いて社会に関わっている方が
ずっと楽しい

所得税の納税の時期
そんなことを考えた


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重税福祉国家では働かない人が増える

重税福祉国家では働かない人が増える
福祉制度に寄生する人が多いスウェーデンが例に上げられる
増税してもまだ税収が足りない

あまりに残酷な制度は良くないが
あまりに制度が充実しても
寄生する人が増えてしまう弊害がある

働くインセンティブを奪ってしまう
いっそ働かないで税金も払わない方が得だと思ってしまう

どう考えても働いた方が得な程度に制度を調整する必要があるはず

でもそれが実現できない
どうしてなのか

あまりに過酷とあまりにぬるま湯の中間に正解はあるはずだけれど
いまのところ正解が見えない
中間を探しているうちはだめなのかもしれない

重税福祉国家という制度に適合する人と
その制度をぶち壊す、適合しない人がいるのだと思う

重税福祉国家に適合する人は厳しい社会でもかなり適合する
重税福祉国家に適合しない人は厳しい社会でもやはり適合しないのではないかと思う

あれあれ、残酷な言い方になったな
やはりちょっと単純化しすぎ
制度設計よりもずっと人間は複雑ということなのだろう


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無駄なことしかやることがない時代

無駄なことしかやることがない時代
というものを考えた

お医者さんの仕事を考えてみると
診察して治療することが一番の仕事でしょう

でも最近はいろいろ難しい
保険請求があるし
電子カルテがあるし
労務管理があるし
その他様々

正味の大事な仕事ばかりではない部分がとても煩雑だ
電子カルテなどは
実際使ってはいるものの
本当は紙カルテが一番いいと私は思っている
コンピュータ関係会社を養うために電子カルテがあるだけで
なくても医療は完全にうまく回ると思う

でもまあ、医者が無駄な電子カルテを使う、そのおかげでコンピュータ会社が存在し
SEはむやみに働き、うつ病になり、医者にかかるのだから
いいような、悪いような、ということになる

なんでこんな無駄なことをしているのかなと考えると
無駄なことをしないと仕事が無いからだ

洗濯機もむ電話も冷蔵庫もテレビも
みんな安くなったし誰でも持っている
新製品が欲しいとも思わない

基本的な薬も普及しているし
食料もなんとか間に合っている
ときどきなにか流行があるだけ

ひげ剃りなどはいつでも新発売で
さらに深剃りとかいろいろ言っているが
別段いまのものに不満はない

サプリメントは散々批判されて
厚労省も国民生活センターもいろいろと情報発信しているのに
ますます潤っている
ますます宣伝してますます儲かるようだ

豊かな時代とはそういうことだろう
シンプルなニーズは満たされていると英語でいう
単純欲求と言えばいいのか
食べる,着る,寝るから始まって
シャワートイレとか音楽とかエアコンとか
別段そんなに不便はなくなってしまった
充分に快適

シンプル・ニーズがなくなってしまって
シンプル・ワークがなくなった

汗を流せば報われる時代は終わったわけだ
単純労働はインド人との対決になって
インド人のコストにロジスティク費用を加えたものより安くしないといけないはずで
もう安くはできないようだ

無駄なモノを売るしかなくなっている
無駄なものを売るには宣伝しないといけない

ーー
医療は不思議で
医学理論は世界共通で、「一流雑誌」で論文が発表されて世界共通の基準で承認されるのに
各国で医療制度が違うので運用は別になる

これは各国の既得権益者が利益の囲い込みをしているからだろうと思う

そうでなければ世界各国で使える薬が微妙に違うなんてことが起こるはずはない
最も合理的な薬剤選択があるならそれを実現すべきであって
アメリカのファーストチョイスが日本で使えないなどという現実はあるべきではない

電子カルテも
たぶん英語で書いて自費診療で運用するようになれば
インド人の書いたプログラムが一番安くて使いやすいだろう

日本語と日本政府がもはや「障害」になっている
健康阻害の原因なのだ

それでもなお世界の長寿国なのだから
なんだかすごいことだ


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伝達力

コミニュケーション能力といわれることが多く
コミニュケーション障害といわれることもあるが
日本人が自分のしていることをコミニュケーションとは概念化していないから
普通に言えば伝えること、伝えられることの能力だ
分かってもらえない、分からないと言ってもいい

その伝達力の障害が問題にされる

会社でうまくいきませんという場合
発達障害に由来する伝達力の障害があることがあり
そのように診断されることもあるのだが
たしかにそのような側面もあると言えるし
そうかな、もう少し考えようよと思うこともある

会社で不都合が生じるのは
結果として仕事ができないからだ
原因はコミニュケーション障害とか言われたりするのだけれど
伝達力が全然なくても
仕事が出来る人はいくらでもいる
大きな組織になればそのような人材を活用するノウハウも場所もある

なにかひとつでも芸ができれば使えるはず

芸のないことと伝達力のないことはどう関係しているか

伝達すること自体が仕事という場合も数多くある
その場合はもう仕方がない
適性がないというしかない

でも伝達力がなくてもコツコツとやればいい仕事も沢山あるので
もう少し考えた方がいい

コミニュケーション・スキルを学ぶなどと考えても
それがいい方向なのかどうか
仕事の中身そのものができるようになった方が早道ではないかと考えられないか

もちろん仕事の中身と伝達力は分離できない面もあるのだけれど
一応分けて考えるとして
もともと苦手な伝達力を今さら鍛えるなんてできるものか考えた方がいい
学生時代を通じてずっと
伝達力を磨く機会はあったけれど
身につかなかったはずだ

苦手を克服するのは難しいのだから
いっそのこと
仕事そのものを深める方向で考えるのもいいのかもしれないと思うがどうだろう


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