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前世

多分私の前世は
エジプトの最下層の奴隷だったに違いない

強制労働が大好きだからだ

ーー
前世と来世があると考えれば
随分と気持ちは楽になる

この人生がすべてではないのだから
気楽にお試しができる

つらいことがあっても
今回の人生は仕方が無いとちょっと余裕で思える

輪廻と前世は元が違うように思うけれど
あまり区別されていないようだ

ーー
生まれ変わっても変わらない何かがあると考えるとして
それが自分では分からず他人にわかるというのも面白いことだ
まふ、いいが


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うどんが透き通る瞬間

わたしは圧倒的に自炊派
イトーヨーカドーでいろいろな麺を買って食べるが
ラーメンとうどんは一番安いのが一番美味しい

腰がないと言われるのだが
わたしはその方が好きだからいい

そばだけは冷凍のものが好きだ

ーー
ゆで方を何分とかと表示してあるが
不思議なものだと思う

生まれて初めて料理をするのでもなければ
当然自分の好きな加減に茹でるに決まっている

生まれて初めて茹でるときでも
自分の目と舌を頼りに茹でるのではないか

自分の感覚と官能を信じないでどうする
食べるのは自分なんだから

ーー
多分彼と彼女で意見の相違のあったときに
だって3分って書いてある!
と言うに違いない

その程度に味盲な女性は実は多い

だから料理学校に行ってレシピをもらい
そのとおりに作る
化学の実験のようなものだ

そしておいしいはずだと言い始めるので辟易

ーー
ほらごらん、うどんが透き通る瞬間があるでしょう
ここがタイミングなんだよと
教えてあげる

しらなかったー、もっといろんなこと教えてね、何て言う

はじめのうちはみんな素直でかわいいのだ

そうだね、とっても大切で、将来きっと役に立つことなんかも、教えてあげる


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報酬決定方式

お仕事をお願いしていて
その報酬を決めるとなると実に難しいものだと思う

競争入札方式で仕事の値段が決まるなら
マーケットが考えてくれるわけでとてもらくちん

でもそうではない場合には
年齢、経験、学歴、その他のプラス要素とマイナス要素を考え尽くし
同僚から見ても後輩や先輩から見ても不満のない公平な考課を
しなくてはならないのだけれど
他人から見えるものも見えない見ものもあり
すべての情報をオープンにするわけにもいかず
またさらには
将来のやる気を引き出すための考課であるなんていう
高等な戦法もありで
難しいものだ

今までの人事考課とこれからの人事考課の比較表

 

今までの人事考課

これからの人事考課

基本的考え方

差をつけて選別しよう。

差を無くしてみんなを伸ばそう。

目的

差別化、選別化。

公正処遇、能力開発、能力活用。

ものさし

なし、相対考課。(部下同士比較する)

基準あり、絶対考課。(基準と比較する)

考課力

なし、個人の価値観で行いバラバラ。

考課者訓練で基準とルール確認を行う。

結果と影響

間違いだらけで、納得性なし。
相互不信、モラール低下。

納得性があり。
相互信頼、モラール向上。

公開性

マル秘。

考課ルール、基準を公開。
結果は本人にフィードバック。



こんな表もあるのだが
こんなことでは職員は働く気にならないだろう

結局ひとりひとりが自営業にならないとうまく行かないのだと
リバタリアンらしく思うことにする

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各仕事の細目に値段をつけて
それを積算することも考える

プロ野球ではポイント制で
「この場面でこの働きをしたらポイントいくつ」などと決まっている
球団の最終的な売上をポイントに従って配分する

送りバントにどのくらいポイント配分したり
フォアボールにどの程度配点するかなどを
調整することでチームの方向性が出てくるずだ

自分の利益として
この場面では打率を考えた方がいいとか出塁を考えた方がいいとか方針が出る

その方針とチームとしての収益が一致すればいいわけだ

表向きは「勝利すること」「優勝に貢献すること」であるが
それを分解して具体的に言えばそんなことになる

しかし状況分析は簡単ではない
「なんやあいつは、あんな緩い球も打たんのか」と思われるか
「いいぞ、球数を投げさせて、相手を疲れさせる」と思われるか
監督の考えは大きい

客観的な数値にできない部分も多くあって
それを無視して何もしないと愚かな経営者だし
それを重く見すぎるとえこ贔屓になる

全員が完全に満足する評価は諦めて
全員が同程度の不満を持つ評価になると
なんだかエネルギーがでない

最大多数の最大幸福と
最小人数の最小不幸との違いの感覚だ

仕事は不幸を分け合うものではなくて
幸せをガンガン生産して分け合うものだと思うが
そうも行かないのが成熟経済だ

しかも多年で見ると
バブルの頃にいい思いをした社員と
そんな体験は一度もない氷河期の社員とがいて
バブルさんにあの頃の思い出があれば生きられるなんて言われたら
氷河さんは救われない

考えれば難しくなってしまい
数式で決定はできないのだが
それでもなんとなくみんなが飲める線を出すのが名人というもので
うまいものだと思うのだ

何かちょっとの部分で報いているらしい
人間はそのちょっとの部分でやる気を出したり腐ったりする

ちょっとの部分がわかるかどうかは
かなり特殊な能力だと思うし
概して女性のほうが分かる感じはある

基本給は会社で決めているのでそれでいいが
ボーナス、勤務地、仕事内容、客の範囲、取扱商品の範囲、
接待費の範囲、人脈の評価、経験経歴の評価、
たとえば新情報をどのタイミングで伝えるかなどは上司の特権だろう
さじ加減は結構ある

お金の評価だけではなくて
総合的な評価だし
忠誠心とか
一体感とか
他人をも盛り上げるいい雰囲気とか
無限に要素はあって
それを総合できる人間というものがいて
やはり興味深い

その人自体はあまり営業としては優秀ではない
固い人であるが

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老いの疲れ

最近は仕事のスタイルを変えて
書類、手続き、運搬、電話、メールなどを
日々の業務にしている

すると楽かといえばそんなことはなくて
やはり疲れるし頭痛もするし風邪もひく

むしろ歩きまわる方が環境が変化するので
よくないのかもしれない

こうしてみると仕事をしていて疲れると感じていたのは
仕事が大変だからではなくて
年とったからなんだろうと思う
あるいはもともと虚弱だったか


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愛用のコレールに昔判決が出ていた

普段はコレールを使っていておかげで洗剤を使わない生活を続けている
調べ物をしていたらこんな記事が見つかった
「この判決が出されたことで、今後、学校給食用食器として強化ガラス食器(コレール)は使用に適さないと考える必要があります。」とのことで、難しい世の中です。

納得できんなー
コレールがずっとええやん

ーーーーー
 1999年に奈良県内の小学校で、学校給食用強化ガラス食器が床に落ちて割れ、小学校3年生の児童が破片で目に大けがをした事故で、国 (国立であるため)とメーカーを相手にした裁判の判決が出されました。
 判決では、メーカーの製造者責任を認め、国の責任は退けましたが、強化ガラス食器(コレール)が、 低学年も使用する食器としては不適であるとの認識を示しました。
 すでに新聞などで報じられていますが、判決文を入手しましたので、詳細にお伝えします。(学校給食ニュース編集)


■事故の概要

 奈良県内の小学校では1999年当時、強化ガラス食器(コレール)が使われていました。 1995年にアルマイト食器が古くなったなどの理由で食器を検討し、 1991年から1種類導入していたメラミン食器に買い換えをする方針を出します。しかし、 メラミン樹脂性の食器に有害物質の溶出の危険性があるという保護者の指摘を受けて、あらためて強化磁器食器導入を検討、その後、 コレール食器についても検討し、最終的に1997年よりコレール食器への移行をはじめました。1999年の事故当時は、 アルマイト食器とボウル型のコレール食器1種類を使い分けていました。
 コレール食器が割れたときにするどい破片が激しく飛ぶことについては、児童に対してきちんと注意をしていたという状況にはなかったようです。 
 1999年2月、給食終了時、食器を片づける際に、他の児童と接触し、コレール食器を取り落とし、その破片が目に入って、角膜を傷つけ、 外傷性の白内障を負いました。


■判決の内容

 強化ガラス食器そのものについては、設計上の欠陥を認めませんでした。
強化ガラス食器には、軽くて取り扱いやすい、有害物質の溶出がないという有用性があること。糸底がないためすべりにくい反面、かさばらない、 運搬や洗浄に便利であること。内容物の温度を実感しながら配膳できることは学校給食食器として有用性があること。危険性として、 強化磁器や一般的な磁器に比べて割れた場合破片が広範囲に飛散するが、反面、衝撃を内部にとどめる構造の結果であり、 割れにくさという有用性と表裏一体のものであること。陶磁器に似た外観も陶磁器への誤信させるものとは言えないこと。などを指摘し、 原告の主張を退けました。
 一方、表示上の欠陥は認めました。
 販売カタログにあるコレールの説明文や使用要項に、「ショックに強く丈夫だから、割れたりカケたりしにくく、多少手荒に扱っても大丈夫」 の表記や「ショックに強い、ガラスでありながら一見陶磁器のようで、しかも丈夫さはその数倍!」などの表記があり、安全性の注意についても 「粒子の粗いクレンザーやスチールたわしを使って洗わないでください」「高いところから落とすなど、急激な衝撃を与えることは避けてください」 「食器は安全に持ちましょう。また安全に取り扱える枚数を運びましょう」「食器同士が激しくぶつからないように扱ってください」 などの記述はあっても、破損した場合に予想される破片の飛散などについて記述がないことを指摘しています。取扱説明書では、 「コレールはガラス製品です。一般のガラス製品や陶磁器より丈夫にできていますが、決して『割れない』『欠けない』ということでゃありません」 「硬いものにぶつけたり落としたりすると割れないことがあります」「また、そのときに割れなくても、ついた傷が原因で、 後になって思わぬ時に割れることがあります」「割れた場合、音をたてて、鋭利な破片となって割れることがあります。 洗浄やご使用時はていねいにお取扱いください」「ガラスにヒビ、カケ、強いスリ傷の入ったものは、思わぬ時に破損することがありますので、 使用しないでください」や「ガラス製品は破損すると鋭利な破片となります。破片は十分注意してお取扱いください」 と一応の注意喚起があることは認めています。
 その上で、判決では、これらの取扱説明書や商品カタログなどで陶磁器や強化磁器などに対して、丈夫で割れにくいことを強調しつつ、 割れたときに、「通常の陶磁器等に比べて危険性の高い割れ方をすることについては特段の記載がない」と、表示の欠陥を認めています。 
 さらに、コレールの割れたときの危険性についてはコレール購入の是非について必要な情報であるとし、その情報が出されていないとして、 製造物責任法(PL法)違反であるとしています。
 「表示上の欠陥があったために、その危険性が十分認識されないまま、本件小学校の給食用食器として採用され、使用され」たものとして、 この危険性を「本件小学校の教諭らが認識していれば、給食用食器としての採用・導入を見合わせたり、あるいは、 その危険性を認識した上であえてその特長に着眼して給食用食器として採用したとしても、 児童らに危険性を周知徹底させるなど適切な対処を行うことは十分可能であった」として、学校側の責任ではなく、 表示上の欠陥による事故であったとしています。
 また、小学生の「落とした」という責任については、「学校給食用の食器は、 危険状態に対する判断力や適応能力が十分でない小学校低学年の児童も使用することが予定されているものであるから、 それを前提にした安全性を備えるべきであるところ、コレールが割れた場合の危険性に鑑みれば、 それを使用者に認識させるだけの警告を書いた表示上の瑕疵(かし)は重大である」こと、 摂食による食器の落下は学校の日常において起こりうることであり、異常な用法でなく、過失を相殺するような責任はないと判断しています。 
 この結果、メーカーに対し、治療費・慰謝料等の損害賠償を命じました。


■学校給食用に使えないと考えるべき判決

 今回の裁判は、製造物責任法(PL法)によりメーカーの表示上の欠陥を認めるものとなりました。
 強化ガラス食器(コレール)については、この事故に先立ち、 1996年7月に東京都足立区で小学校2年生の児童が同様に角膜を傷つける事故を起こしています。そして、1999年のこの事故のあと、 経済産業省が「強化ガラス製食器に関するテスト」を行い、経済産業省外郭の製品評価技術基盤機構が2001年に「積層強化ガラス製食器」 の商品テスト結果として経済産業省のテスト結果を公表し、破損時の危険について注意をうながしました。
 本紙「学校給食ニュース」でも、2002年10月号にて、裁判原告である被害者の保護者から情報をいただき、それまでは、 学校給食食器についてプラスチック食器の問題点のみを指摘し、強化磁器をすすめつつも、強化ガラス食器に一定の評価をしていましたが、 強化ガラス食器は学校給食用食器として適していないとして注意を呼びかけさせていただきました。
 この判決が出されたことで、今後、学校給食用食器として強化ガラス食器(コレール)は使用に適さないと考える必要があります。少なくとも、 小学校においては、低学年が使用した際の危険性を判決で述べており、この判決後も使用し続けることは、万が一事故が起こった場合、 学校や自治体などの重大な責任はまぬがれません。
 もし、強化ガラス食器を使用し続けている場合、事故が起こらないようにする責任が求められます。中学校等で使用を続ける場合にも、 危険情報や取り扱い注意の徹底が求められます。
 もちろん、ポリプロピレン、メラミンをはじめ、近年登場しているプラスチックと金属の複合食器などは、プラスチックの問題点である、 原料や添加剤が企業秘密として公開されないこと、その原料性質上、さまざまな化学物質が溶出することなど、安全面での不安はぬぐいされません。 
 この判決を機会に、強化磁器等への切り替えを求めていきたいと考えます。


(学校給食ニュース2003年11月号)



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両親のDV目撃、脳に悪影響 学力や記憶力も調べたところ、目撃経験者の方が低い

両親のDV目撃、脳に悪影響…熊本大が確認

2010/04/26(月) 子どもの頃に両親の家庭内暴力(DV)を見て育つと、脳の発達に悪影響を及ぼすことが、熊本大の友田明美准教授(小児発達学)らの研究で分かった。
児童虐待防止法では暴力を目撃することも心的外傷を与えるとして児童虐待に当たるとされており、医学的に裏付けられた形だ。23日から盛岡市で始まる日本小児科学会で発表される。

研究は米ハーバード大と共同で米国人を対象に実施。3~17歳時に自身は虐待を受けず、日常的に父親が母親に殴るけるなどの激しい暴力をふるう姿を目撃した18~25歳の男女15人と、虐待のない家庭で育った33人を選び、MRI(磁気共鳴画像装置)で比較した。

その結果、目撃経験者は目からの情報を処理する右脳の「視覚野」の容積が、目撃したことのない人に比べ平均20・5%も小さいことが分かった。

視覚野の血流量を調べると、目撃経験者の方が8・1%も多く、これは神経活動が過敏になっている特徴だという。

学力や記憶力も調べたところ、目撃経験者の方が低い傾向が出た。

(記事提供:読売新聞)

ーーー
容積は減少、血流量は上昇というのは、解釈は簡単ではない。

子供が、虐待している人とされている人のどちらに同一化するのかも違いを生むだろう。


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自由なのに何もしない

一人暮らしだし
老人は衣類を汚すような行為もしないし
体も心も乾いていて
出るものといえばため息とか気体のようなものばかりだ

洗濯物は全自動だし
手間といっても物干し竿に吊るす時間が多少掛かる程度だ

洗濯機の中でからまった衣類を
ほぐして分類しつつ干す

洗濯機の中で撹拌されて
たとえば靴下は二足のペアがもっと離れ離れになっても
よさそうなものなのだが
案外近くに寄り添っているのでかわいい

どんなに激しく遠く動く自由もあるはずだけれど
まあ、自由とは言わない、偶然というべきか、
離れ離れになってもいいのに
意外に分類整理しやすい具合の位置に収まっている

人生もまた同じ


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ネクタイのノット

ネクタイのノットが少し前にツンと出ていると
なかなか素敵だ

平たく下がっていると
なんとなく元気がなくて能力がないように感じる

話によれば
ある程度厚くて固い材質のネクタイ地を選べば
立体的なネクタイ・ノットができるというだけのことらしい

ーー
学校にも行かない反抗児を歌ったロックだとの歌がいろいろあるけれど
そんなのがだいたい
平たいネクタイ・ノットだと思った


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生活習慣病としてのうつ

うつがまさに生活習慣病だとは言わないが
例え話として言える部分もあるだろうと思う

いとぐちは
コレステロールが高い人の場合
肉と卵が単に大好きで食べてしまうという人もいるだろうが
好きの他に、やはり元気をつけるためにも肉と卵を食べたいという人も
いるだろうと思うことだ

実際は大豆たんぱくが良質で、そのほうが良いという意見もあるが
やはり肉と卵と牛乳は元気が出ると思う

すると元気が出て難局を乗り切ることができる
そんな経験がだんだん増えてくると

ますます難局は困難の程度が上がり
肉と卵と牛乳もたくさん食べないと間に合わない
そのうちにコレステロールも上がる

コレステロールを上げたくないから
肉も卵も食べないと決めればいいのだろうが
この人の場合は
そうなると難局で何もできなくなってしまう

そんなに頑張らなければいいんだとの意見もあると思うが
人間の欲望はそんなに淡白なものではない

結局食べるのである

ーーーーー
「肉と卵を食べる」の部分を「勤勉」で置き換えれば
「高コレステロール血症」は「うつ」になる

困難な事態を勤勉さで乗り切ろうとすると無理が生じてうつになる
しかし無理が生じるところまでは人間は頑張る

いい加減なところでやめておけばいいのに
やめられない

勤勉を悪いという人はいないわけだし
どうしても勤勉の癖が出てしまう

ーー
これは生活習慣の問題だし
教育の問題だと思う

困ったときには「肉と卵」とか「勤勉」とか考えて
実際に効果も実感しているので習慣化する

一概にいいとも悪いとも言えないけれど



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