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おだてられ屋

おだてられて
そんなことはないと
躍起になって反論したりするのも
困ったものだ

相手も商売でおだてているのだし
他に話すことがないから
おだてているだけである

本当に話すことがあればそのことを話しているはずだ

素直におだてられ屋を演じていれば
おだてる方もほっとするというものだ




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ケンカのあと

人と人との関係ではケンカをすることもある

ケンカした後でも
やはりまた歩み寄る場合と
もう決して連絡しない場合いがある

連絡しないですむならやはり
必要のない人間同士だったということになる




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ガソリンエンジンの特許

その人はガソリンエンジンの特許を沢山持っていて
会社からも表彰されて
昇進もして
中国に技術指導にも行っていたが

最近は電気自動車の方向らしくて
ガソリンエンジンの特許は関係ないらしい
厳しい


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鬼は外、福は内

鬼は外、福は内

というけれど
外に行った鬼が何をするか考えると
鬼は外ですむはずがないのだ


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品川の洋服屋

品川には洋服屋さんもないし靴屋さんもないような気がする
よく探したらあるのかな
アトレにシャツ屋さんはあるけれど
100円均一の店もないような気がする

なんて思いながら
カップ焼きそばに
インスタントコーンスープをかけて食べた




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背中まで45年

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桜の咲いていたあの庭で
出会ったときは中学生
違う小学から来た同級生
それが45年前
きれいだったなあ

もちろん憧れているだけで
なにもなくて
高校は同じで
それでもなにもなくて
やはり桜が咲いて卒業したのが39年前
目に沁みるようにきれいだったなあ

そのあとは何も知らず
その人は結婚して苗字が変わっただろうと思い
結局何も知らない時期が長く続いて

しかしそれでも偶然に話は聞こえて
幸せらしいと知ったのが25年前
わたしは不幸のどん底

子どもが育って離婚したと聞いたのが15年前で
私も離婚した頃

再婚したのが10年前で
私も再婚した頃
似ているものだと思ったり
そんな年だと納得したり

死別したのが5年前

背中の指が静かに跳ねて温熱マッサージ
ホットヨーガのあとで
局部にゼリーをゆっくり塗っている

遠回りだったね

いえ短かかったわ

それがいま

中国人留学生から教えてもらった鍼灸で背中を温める
背中まで45年

短かったわ 45年


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党派性

党派性ということを考えている

優秀な人は子分になることを嫌う
するとゆくゆくは親分になれない

党派性を受け入れ継続するのは
優秀な人達ではないらしい

優秀な人達に嫉妬する人たちが
集団で利益を確保しようとする
そこに党派性が生まれて
親分と子分が生まれる

最初は一匹狼で最後は党派のボスという生涯は考えにくい


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これは私の妄想ですか

パートナー選択に当たりいろいろと相談がある

ーー
お見合いのような事になり
結婚する本人以外は全員が賛成しているとする

しかし本人は気が進まない

なぜ嫌なのかを合理的に説明できない
なにしろ周囲の全員が賛成するくらいいい人なのだ
しかし気が進まない
どうするか

これはわたしの妄想なのだろうか

ーー
逆に
恋愛が進展して結婚したいと思うが
周囲の全員が反対している場合もある

周りの人達はあの人のいいところを知らないのだと思う
でもこれは私の妄想なのだろうか

ーー
妄想なのかどうか

さて妄想とはなんだろう
そして客観的判断で正しい判断とはなんだろう

ーー
関係者が30人くらいいて29人が賛成で自分だけが反対という場合は
どうだろう

それでも自分が正しいと言うためには特有の手続きが必要である
科学的真理を証明する手続き
しかしこれがまたややこしい
誰がどこで行っても同じ結果が出るという認証実験が必要だ
しかし実際にはそんなに単純ではない
(誰がどこで行っても同じ結果が出る婚姻などというものはない)

また一般人にとっては
頭のいい人間に丸め込まれる危険があるので
科学の手続きも信じられない
(頭のいいやつがいい女を手に入れるに決まっている)

そんなわけで
現代社会はおおむね多数決の原則を採用している

正しいとは限らないが
政治的に最悪の決定は回避できる可能性がある
などと苦しい弁明が用意されている

なんだ結局、多数決を正しいことと採用している社会なのだ

ならば結婚に際しても多数決しかないではないか

多数決で負ければ妄想に過ぎない

ーー
多数決の原理の向こうにある事情は次のようなものだ

頭の悪い人間は
統計の原則により優れた人間は少数に決まっているし
少数派が頑張ってもどうせ多数派が暴力で勝つと思う

頭のいい人間は
多数決は洗脳でどうにでもできると思う
殺し合いよりは合理的だ

だから多数決で物事が決まるのが合理的だと
みんなで合意している

どちらも自分が優位だと信じているが
これは頭の悪い側の錯覚である

ーー
そうはいうものの結婚には特別の事情がある
神から授かったこの美貌を自分の自由にしてよいのかという問題である
女性の9割くらいはこの悩みで眠れない日がある

肉体も知性も命もDNAも神から授けられて
一時的に私が守っているものだ
それは最大限大切にしなければならない
自殺してはならないのはそれが理由である

神の意志はどこにあるか
私の妄想ではない、神の意志はどこにあるか

そう考えるとやはり多数決が正しいような気もしてくる

30人のうちの29人が賛成しているならば
たぶんそれがいいのかなと普通ならば思う
それが集団の中で生きる人間の同調性でもある
同調圧力である

ひとりだけ違う方向で生きるのは
とても疲れて能率が悪い

わたしは私のものだから私の好き勝手にしていい
なんていうのはあるはずがないのだ

ーー
ということは
周囲の意見に反して
ある人を好きになったり嫌いになったりするのは
おかしいことになる

みんなが好きなスターをわたしも好きなのは
健全なのだ

だからこそ
魅力のピラミッドが出来て
淘汰圧が発生して
種の進化が促進されるのだ

ーー
しかし
政治的に多数決を採用している社会が
婚姻に関しては多数決を採用せず個人の意思決定の自由だとしているのである

これは
目もくらむような矛盾ではないか
憲法はおかしい

社会にとって次世代を正しく優秀に確保することは最重要の課題である
政治課題に関しては議論して多数決をするのに
婚姻選択に関しては個人の勝手というのはありえないだろう
婚姻は社会的なことである

たとえば将来の税収を左右する
将来の国際競争力を左右する
将来の犯罪率を左右する

まるっきり政治的課題そのものなのだ

ーー
たぶん、社会的な強制力によって「よい婚姻」を達成した場合にも
実際の「種の遺伝」は個人の合意によって形成されると達観していて
結局は個人の合意とした方が
制度と実質が適合すると判断したものだろう

なんともニヒルな憲法ではある

嫌なやつと結婚しても
好きなやつの子を産むだろうと
暗黙のうちに前提している

ーー
さて
みんなが反対する結婚を押し切っていいのだろうか
みんなが賛成する結婚を拒みきっていいのだろうか

みんなはなぜ私と違うことを考えるのだろう

やはり妄想なのだろうか

説得不可能な、現実に反した、不合理な確信が妄想である

合理性の究極の担保は多数決しかないと憲法が明示しているのだから
つまりは少数者の確信が妄想なのだと定義して支障はないように思う。

しかし少数の定義は曖昧で
ほとんどどんな場合でも
より少数とより多数を定義できるので
意味を成さない

ーー
歌マイウエイで
「信じたこの道を私は行くだけ」という

(中国人美人留学生が歌い上げる。うまい。
日本語学校で「北国の春」とかこの歌を覚えるらしい。)

信じたその道を行かれたら
社会としては大きな迷惑である

信じたその道が社会の望む道と実は一致しているから
マイウエイでいいのである

なんのことはないお釈迦様の手のひらの上の孫悟空なのだ

ーー
そう考えてみると
みんなが反対するのに結婚するというのも予定された道のようである
みんなが賛成するのに結婚を拒むというのも実は予定された道なのだ

事情を知っている家族は少数しかいない
せいぜい十人程度のものだろう
遥かに大きな数で多数決をしたらどうなるか

たぶんその人個人の判断に近くなるのではないか

結局人間は多数決に従っているらしい

ーー
憲法の原則は本当は誤りではなく
多数決というのも
実は現実の国民ではなく
理想の国民の多数決というすり替えがある

外交や病原菌など一般大衆に説明しても分からないし
情報を公開したら台なし、というタイプの問題も多い

2009年のインフルエンザではゴールデンウィーク前には騒がず
ゴールデンウィークでお金を使わせてそのあとで
実はインフルエンザの危険があると飛行場で足止めした

現実の国民は愚かで何も知らないし部分的な理性しか持ち合わせていない
理想の国民は合理的で充分な理性を持っている

だから理想の国民の声に従うのだと政治家は言うことができる
それが政治家の信念である

自分はそう信じるといえば妄想だが
自分は理想の国民の多数決に従うといえばそれは立派な合憲的判断である

ーー
最後まで成り行きを見守り最後は自分で決める
それが究極の多数の声に近いのだ

妄想でない限りは

しかしそれが妄想なのかどうかについては
知る方法が実はない

というわけで答えがでない
循環論になる


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新しいものはただ新しいから価値がある

新しいものはただ新しいから価値がある

それを主食のおこめが
私を捨てるのとか
私よりいいのとか
言い立てるのも見当違いだ

普段食べるおこめは
間違いなく主食なのだし
取り替えようがない

パスタは珍しいから食べたいのであって
それを主食にしようというのではないに決まっている

新しいものには未知の部分があり
そこに幻想や空想や妄想を投影できるから魅力が膨らむ

詳しく知ることはありもしない期待をを否定されるプロセスであり
幻滅することである

幻滅しないなら
最初から夢など小さかったのだ

ーー
現実的な夢は破れにくい
しかし
それがいい夢なのかどうか分からない


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変化を感じることができる人

たとえば
患者さんについて
一番細かく敏感に変化を感じ取ることができるのは
一番そばにいる家族だとの話も当然正しい
他の人には見せない姿もその人には見せている

しかしまた
変化何一番鈍感なのは家族なのだとも言える
そのことにしばしば驚く

ーー
家族で共有している同型性を
患者さんが突出させた場合
家族は鈍感なのだ
それも道理である


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めったに無いもの・みんなが欲しいもの

人間が欲しいものは
いいものではなくて珍しいものだという話がある

みんなが欲しい物はみんなに行き渡るくらい存在するのがよいはずだ
しかしそうではない
みんなが欲しい物は一部の人しか手に入れられないものなのだ

ーー
酸素はいいものだが
だれも欲しいとは思わない

水や日光も昔は誰にも等しく与えられたものだ

水は最近は売るようになったが
宣伝の効果が大きい

光は日当たりをカネで買う時代だが
夏は暑いぞ

酸素や水や日光は文句なくいいものだが
だれもそんなに欲しいとは思わない

自分が優越しているしるしにならないからだ

ーー
人間が欲しいのは自分が他人に優越しているというしるしである
ただのしるしなのだ

たとえば猫の身になってみればいい
本当に必要でいいものは何かが見えてくる

二重まぶたとか大きなおっぱいとか
大きな腕時計とか

人間は売るものがなくなると
不必要な差異を作り出して
それを拡大して商品にする

人間の脳が差異や新規性・稀少性に対してドパミンを放出するように出来ているのだから
仕方がない

だから浮気もなくならない


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