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軽症期のアルツハイマー病患者に葉酸とビタミンB12

軽症期のアルツハイマー病患者にビタミンB群の一種の葉酸とビタミンB12を投与すると症状が改善する。

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川崎協同病院事件

 「最高裁判決で殺人罪が確定したわけですが、実は私は何も困っていないのです。言い換えれば、“実害”、そして有罪になった実感がない。だから、『殺人劇を演じて』という本のタイトルを提案したこともありました。周囲の皆さんは、私だけではなく、私の家族も含めて大切にしてくださる。私は、2002年3月から開業しています。外来患者さんのほか、在宅の患者さんを診ており、看取りの医療もやっています。がんの末期の患者さんも数人おり、ここ数日はそのお宅を1日2、3回往診する日々です」

  こう語るのは、「川崎協同病院事件」の2009年12月の最高裁判決で、殺人罪(懲役1年6カ月執行猶予3年)が確定した須田セツ子医師(「殺人罪が確定しても、“実害”がない」を参照)。須田医師は、この4月、『私がしたことは殺人ですか』(青志社)を上梓しました。須田医師が、“実害がない”とし、「殺人劇を演じて」というタイトルを提案したのは、「殺人罪」という司法の判断と、今でも日々多数の患者さんを診察している日常とのギャップ、ズレを感じているからです。

  「川崎協同病院事件」とは1998年11月、気管支喘息の重積発作を来し、病院に搬送、その後、昏睡状態が続いた患者さんに対し、気管チューブを抜管、鎮静剤が効かず、その後に筋弛緩剤を投与、死亡した事件。3年後の2002年4月、同病院が記者会見で事件を明らかにし、その後、同年12月、須田医師は殺人罪で逮捕・起訴されています。

  2005年3月の横浜地裁判決では懲役3年執行猶予5年、2007年2月の東京高裁判決では懲役1年6カ月執行猶予3年の有罪判決がそれぞれ下されました。2009年12月の最高裁判決で、須田医師の上告が破棄されています。

 最高裁判決では、「本件抜管行為は、法律上許容される治療中止には当たらない」「気管チューブの抜管行為と、筋弛緩剤の投与行為を併せ殺人行為を構成するとした東京高裁判決は正当」としています。「本を上梓したのは、終末期医療における延命治療の中止が、殺人罪に当たるとされていいのかという問題提起の意味もありました」(須田医師)。

 さらに、「最高裁判決の事実認定には誤認がある」とも須田医師は指摘。須田医師は、「私が、点滴用生理食塩水に混注して筋弛緩剤1アンプルを少量ずつ投与した」と主張していますが、最高裁判決では、地裁、高裁判決と同様に、「須田医師に指示された看護師が3アンプル静脈注射した」と判断しています。

 最高裁判決で有罪が確定しています。それでもなお、これらのことを訴え、医療界をはじめ広く世間一般に問いかけたいという思いから、須田医師は本の上梓しています。


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セクシュアルハラスメント

以下の文章の中で、
セクシュアルハラスメントは、被害者の「性的自己決定権」を侵害しますし、
労働の場では「労働権」を、そして教育の場では「学習権」を侵害します。

しかも、セクシュアルハラスメントには、単純にそれらの権利を侵害するもの
というだけではない、非常に理不尽な構造があります。

セクシュアルハラスメントが起きると、被害者は「性的自己決定権」を守るか、
「労働権」や「学習権」を守るかの、二者択一を迫られてしまいます。

ただいやだ、気持ち悪いではなく、このような形で権利侵害を訴えていくわけです。

*****
セクシャルハラスメントという表記の方がすっきりすると思うがどうか?

*****
1.セクシュアルハラスメントって?

「セクシュアルハラスメント」という現象自体は、昔からどこででも起きていました。
それでも「セクシュアルハラスメント」という言葉と概念は、ある程度新しいものです。
日本では、80年代から少しずつこの概念が広がってきました。

「セクシュアルハラスメント」という言葉ができたことによって、
今まで漠然と感じていた不快感を、言葉を使って説明できるようになったのです。
また、そのように説明をする言葉があるために、現実がはっきりと見えてきました。

1999年4月から施行された男女雇用機会均等法では、
「セクシュアルハラスメントによって、女性労働者が労働条件に不利益を受けたり、
就労環境が害されることのないよう、雇用管理上必要な配慮をしなければならない」と
定められています。

つまり、加害者のみでなく、事業主(学校側)にも責任があるのです。
その視点を持つことが大切だと思います。          

セクシュアルハラスメントを考えるときには、次の3つの点を押さえる必要があります。

①社会的な権力関係が存在すること
  職場の上司と部下、教育の場の教師と学生、職場やサークル、
  ゼミでの先輩と後輩の関係、そしてジェンダーも、社会的な権力関係に含まれます。
②社会的な権力関係の上の者から下の者への、性的な言動であること
③社会的な権力関係の下の者が、その言動に対して不快感や屈辱感を抱くこと

ここで言う「性的な言動」とは、
性的な内容の発言
 (性的な事実関係を尋ねることや、性的な内容の情報を意図的に流すこと
  なども含みます)や、
性的な行動
 (必要なく身体に触ることや、わいせつな図画を配布することなども含みます)、
また、ジェンダーハラスメントと呼ばれる、性別による差別的な言動などのことです。

職場内で発生した場合はもちろんですが、出張先や勤務時間外、
たとえば飲み会や接待の場所などで発生した場合でも、
職場での上下関係や人間関係が存続する場合にはその対象になります。

また、被害者は女性のことが圧倒的に多いのですが、
男性が被害者になることもありますし、
異性間だけではなく、同性間でのセクシュアルハラスメントもあります。

ひとつ押さえておきたい大切なことは、セクシュアルハラスメントは
「性的な関係」ではなく、権力を濫用した「人権侵害」だということです。

セクシュアルハラスメントは、被害者の「性的自己決定権」を侵害しますし、
労働の場では「労働権」を、そして教育の場では「学習権」を侵害します。

しかも、セクシュアルハラスメントには、単純にそれらの権利を侵害するもの
というだけではない、非常に理不尽な構造があります。

セクシュアルハラスメントが起きると、被害者は「性的自己決定権」を守るか、
「労働権」や「学習権」を守るかの、二者択一を迫られてしまいます。
それらの権利は、本来、独立してどちらも存在するはずのものです。
それなのに被害者は、その2つの権利を天秤にかけるよう迫られ、
どちらか一方しか選べない、
またはどちらも侵害されてしまう状況に追い込まれてしまうのです。

しかも強制によって無理やりあきらめさせられたほうは、
被害者が自主的に自分の意志で手放したのだと言われてしまいます。
つまり、不快な性的言動を受け入れたら「合意だった」と言われ、
職場や学校を辞めたら「自主的に辞めた」と言われてしまうのです。

そこが、セクシュアルハラスメントの、非常に腹が立つところです。

2.たとえばどんなこと?

セクシュアルハラスメントは、一般的に次のふたつに分けて考えられています。

< 対価型・地位利用型 >
 仕事上の権限や地位を利用して、労働条件の変更と引き替えに性的な要求を行うもの

 たとえば…
   デートに誘ったり、交際を迫ったり、セックスを要求するなどの性的な誘いかけをし、
   「言うことをきけば給料を高くする」 「つき合ってくれたら昇進させる」
   「言うことをきかないなら辞めてもらう」 「嫌なら配置換えをする」などの
   圧力をかけるもの。

  言葉で圧力をかけなくても、権力の差のあるところでは、
    その構造自体が圧力になります。

< 環境型 >
 性的な言動が繰り返されることで、仕事が円滑に行えなくなったり、
 働きにくい職場環境をつくったりするもの

 たとえば…
   抱きつく、胸や腰を触るなどの身体的接触。
   性的にだらしない女だという噂を流す、卑猥で不快な冗談を言う。
   上から下まで品定めをするようにじーっと見る。ヌード写真を貼る など。


ただし、対価型と環境型は、区分がはっきりしない場合もあります。

また、ジェンダーに基づく差別的なもの(ジェンダーハラスメント)もあります。

 たとえば…
   「男のくせに根性がない」 「女には仕事を任せられない」というような発言や、
   女性であるというだけで、お茶くみ、掃除、私用などを強要したり、
   カラオケでのデュエットやお酌、チークダンスなどを強要したりする など。

3.社会的背景

セクシュアルハラスメントが起きる社会的な背景としては、
次のようなことが考えられます。

①職場と社会全体に、女性差別的な意識がある

 今の社会は、男性が社会的な影響力や経済力などをもっている
 男性中心の社会です。
 女性は、一般職やパートなどの低い地位に置かれ、
 一人前の職業人として扱われないことが多いという現状があります。
 そのような社会の中では、主導権を握っている側の男性の論理でものごとが
 進むことが多く、男性の暴力が容認されやすい社会構造があります。

②ジェンダーによる女性役割が求められる

 一般的に女性の役割は、まわりの人のお世話をすることだとされています。
 男性は、自分たちが主な働き手であると感じているために、
 自分たちが働きやすいように、職場でもそのような固定的な性役割を
 女性に求める傾向が強いのではないでしょうか。
 そのため男性は女性に対して、母親や妻のように身の回りの世話をし、
 陰で支え、快適な職場を作るよう努めてくれることを求めてしまうように感じます。

 また、女性には「職場の花」として、その場を和やかにしたり明るくしたりするような
 役割を求めたり、宴席でのお酌なども「職場の潤滑油」であるとして要求したりします。

 または、もうひとつの女性の役割としての、性的な魅力を振りまいてくれる
 存在であることを期待し、身体への接触や性的なからかいに対して
 女性が寛容であることを求めてしまうのではないでしょうか。

③「性規範のダブルスタンダード(二重の基準)」の存在

 性に関して、女性と男性とにあてはめる社会的な基準が違っています。
 男性に甘く、女性に厳しいのです。
 男性の性は「積極的」「能動的」なもので、「攻める」ものだとされています。
 一方、女性の性は「受動的」なものだとされているのです。
 そのような受け止め方が、セクシュアルハラスメントを起こし、
 また、容認してしまうものにもなっています。

④性に対する男女の認識のズレ

 男性は、性の話題や身体への接触は、職場の潤滑油だととらえていることも
 あるでしょう。
 しかし女性の中には、そのようにとらえない人もたくさんいます。
 性的な言動やプライベートな話題についての、男性とは違う受け止め方が、
 大切にされていないように感じます。
 酒の席でコミニュケーションを図ろうとするなど、男性が女性とコミュニケーションを
 図るための方法が、必ずしも適切でない場合があるのではないでしょうか。

このような、ジェンダーによる差別や思い込みが当たり前とされ、そんなものだと
感じられているために、セクシュアルハラスメントが当然のように
起きてしまうのだと思います。
しかも、被害を受けた人がそれを問題にしようとすると、
「他の女の人は何も言わないじゃないか」 「問題にするほうがおかしい」などと言われて、
正当な異議申し立てさえもしにくい状況に追い込まれてしまうのです。

セクシュアルハラスメントは個人的なことではなく、社会的に取り組まれていく問題です。
ジェンダーという社会的な思い込みのひとつひとつを書き換えていくとともに、
「ジェンダーを自然なことと感じてしまうからくりは何か」
「女性が他の女性の自己実現を邪魔する方向に働きかけてしまうからくりは何か」、
そのようなことも含めてみんなの問題として考えていくことが、
セクシュアルハラスメントをなくし、ひとりひとりを大切にしながら、
対等な立場で共に生きていくことにつながるのだと考えます。

4.被害者への影響

被害を受けた人への影響として、次のようなことが考えられます。

①仕事(学業)への影響

 ・職場(学校)に行きたくなくなったり、やる気を失ったりし、欠勤(欠席)が増えることが
  あります。
 ・また、集中できなくなったり、ミスやトラブルが増えたりすることもあります。

②身体症状

 ・頭痛、集中困難、睡眠障害、無気力、胃腸炎、皮膚炎、体重の変動、婦人科系の障害、
  呼吸困難 などが起きることがあります。

③心理的反応

 ・加害者が信頼していた人であることも多く、また突然のことでもあるため、混乱したり
  当惑したりショックを受けたりします。
 ・最初は、自分がセクハラの被害に遭ったと気づかないこともありますし、自分が被害に
  遭ったとは思いたくない気持ちが働くこともあります。

 ・セクシュアルハラスメントだと気づいたあと、自分に責任があるかのように感じ、
  自分を責めることもあります。
  しかしこれは、被害者にそのように思わせてしまうような、社会的なさまざまな思い込みが
  存在するからです。

 ・「労働権」や「学習権」、「性的自己決定権」などが侵害された悔しさや怒り、悲しみ、苦痛、
  不快感、イライラなどの感情がわいてきます。

 ・まわりに話しても信じてもらえなかったり、かえって二次被害を受けたりすると、孤立感や
  裏切られ感などを感じます。

 ・恐怖、フラストレーション、不安感、無力感、抑うつ、パニックなどの状態になったり、
  悪夢を見ることもあります。
 ・また、精神的な打撃として残り、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が出ることもあります。

④人間関係への影響

 ・まわりに相談したとき、わかってもらえなかったり、理解はしてもらえても結果的に動いて
  もらえなかったりすることも多いようです。
  そのため、「友だちだと思っていたのに」「信頼していたのに」というように、不信感や怒りが
  わいてくることがあります。
  その結果、まわりの人との人間関係が気まずいものになったり、切れてしまうことになったり
  することがあります。

 

  ただ、まわりの人も、同じような権力関係の中にいるために、動きたくても動けない状況に
   いることが多いのかもしれません。
   ですから、被害者の味方をした人が、責められたり罰せられたりすることがないようなシステムをつくり、
   被害を受けた人が孤立することのない状況をつくる必要があるのだと思います。

5.被害者への二次加害

とても悔しいことに、セクシュアルハラスメントや性暴力は、通常の暴力事件とは違って、
被害者が誰かに相談をしたり、その後、事実確認をされる過程で、被害者の落ち度が
問われやすいのです。

強盗に遭った人に、「どうしてそんなところに行ったの?」とか、
「どうしてお金を持っていたの?」「強盗なんてそんなもんだよ」などとは言わないのに、
それと同じようなことを簡単に言われてしまうのです。

加害者の言動よりも、被害者の言動が問題視されてしまったり、事実とは直接関係のない
プライバシーが詮索されたり、暴露されたりすることもあります。

たとえば…

女性側に問題があると責める

 「どうして逃げなかったの?」「あなたにもスキがあったんじゃないの?」
 「あなたの方が挑発したんじゃないのか」 など

抗議する姿勢を非難する

 「あなたの『被害妄想』なんじゃないの?」「それって、本当のこと?」
 「単なる別れ話のもつれなんじゃないのか?」 など

加害者を擁護する

 「まさか。あの人がそんなことをするとは思えないよ」「男なんてそんなもんだよ」
 「相手にもそれなりに理由があったんじゃないかな」 など

当事者の気持ちを無視した励ましやアドバイス

 「あなたよりひどい人もいるよ」「もう、忘れなさい」
 「もう、立ち直ってもいいんじゃないの?」 など

その他、興味本位のうわさなど

 「あの人はセクハラ相談をしたらしいよ」 など

  ここにも、「性規範のダブルスタンダード(二重の基準)」が影響を与えています。
  「男の甲斐性」という言葉が表しているように、男性の性体験の豊富さは容認され、
  ときには奨励されますが、女性の性体験の豊富さは否定的に見られます。

  また、「男は狼」という言葉が表しているように、男性の性欲は女性によって挑発され、
  コントロールできなくなるというような思い込みもあります。

  つまり、何か起きたときには、女性が挑発したのだととられたり、
  被害者である女性が否定的に見られてしまうのです。

  わたしたちは、よく言いがちな言葉について、
  相手を傷つけるものではないか、言われた側にとってはどういう意味になるかなど、
  もう一度見直してみる必要があるのだと考えます。

6.今、必要なこと

ここで、ひとりひとりができることを考えてみます。

 「権利」という視点での認識を持つ

 「気持ちの持ち方」とか「潤滑油」とかではなく、「権利の侵害」だということを
 押さえておいてほしいと思います。

 個人的な問題として片づけない

 職場から加害者や被害者を出さないため、気づいた点があれば注意をしたり、
 相談されたら相談にのったりしてください。

 ジェンダー意識を見直す

 ジェンダーにとらわれない意識や考え方、行動を、ひとりひとりが具体的に
 形にすることが必要です。
 ジェンダーは、「自然」「当然」「当たり前」「本能」などの言葉で
 語られてしまうことが多いので、そのような言葉に注意してみてください。

 ひとりひとりが、お互いの人格を尊重しあう

 誰かが誰かのことを「きっと、○○なはずだ」と勝手に決めつけたり、
 自分の思うように相手を動かそうとしないようにすることが大切です。


< 被害に遭った人へ >

 自分を責めないで

 あなたが悪いのではありません。
 起きたことに対する責任は、加害者の側にあります。
 自分が被害者であることを受け入れることがつらいこともあると思いますが、
 起きたことがセクシュアルハラスメントであると認めるときに、自分を責める必要は
 ありません。

 できる状況なら、あなたの「NO!」を伝えよう

 どんな言葉でもいいから、あなたが嫌だと感じていることを、言葉にしてみてほしいと
 思います。
 できるなら直接相手に、また、それが難しいなら他の誰か安全な人に伝えてみてください。
 たとえ相手に直接言えなくても、自分を責めないでほしいと思います。
 そもそも、セクシュアルハラスメントは「NO」を言えない関係の中で行われるものであり、
 言えないことがわかっていて、そこにつけ込む加害者のほうが悪いのですから。

 誰かに相談しよう

 自分ひとりで解決をしないといけないことなどありません。職場や学校の相談窓口や、
 公的な相談機関、民間の相談機関、友人、家族など、信頼でき、安心できる人に
 相談してみましょう。
 第三者に知っておいてもらうことは、いざというときの証拠にもなります。

 心や身体の不調があれば、病院を受診しよう

 気分が落ち込んだり、身体に暴力を受けたりした場合、病院を受診しましょう。
 それが自分を大切にすることにつながると思います。

< あなたが加害者にならないために >

 相手が不快な思いをしていないかどうか確認をする

 相手があなたの言動で不快な思いをしていないかどうか、相手の反応を確認する
 気持ちをもつことが大切だと思います。
 あなたは親しさの表現だと思っていても、相手はそう思っていない場合もあります。
 もし、相手が不快に思っていることがわかったら、すぐにやめてください。
 また、いつも相手が明確に「NO」を言えるとは限らないことも知っておいてほしいと思います。

 あなたの心に、女性への差別意識はないでしょうか

 女性を男性より劣っていると考えてはいないでしょうか。
 女性にだったらこのくらいしてもいいだろうという思い込みや、男性なんだからこれくらい
 許されるだろうというような思い込みは、できるだけ書き換えていってほしいと思います。

 立場や年齢が下の相手を、軽く見ていないでしょうか

 立場や年齢が違っていても、個人の人権は平等です。
 自分の言動が相手の人権を尊重してのものかどうか、感じ取ってみてください。

 自分の大切な人のことを思い出す

 自分の言動に自信がない場合は、相手を自分の大切な人、または自分より立場が上の人や
 その家族に置き換えて考えてみてください。
 あなたはその人たちに対して、同じような言動をとるでしょうか。
 また、その人たちが見ている前で、同じような言動をとれるでしょうか。
 その人たちにもするからセクシュアルハラスメントではない、とは言い切れませんが、
 このように置き換えて考えてみることで、見えてくることもあります。

 また、セクシュアルハラスメントは、ひとりひとりの意識とともに、企業や学校としてどう考え、
  どう対応していくのかという視点が必要です。
  企業や学校として、セクシュアルハラスメントについてどう考えているのか、
  事前の防止策と発生後の対応について具体的に明文化し、きちんと実施していっていただきたいと
  思っています。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~with3/gyakutai/sexhara/sexhara.htm



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「怒る」「愚痴る」「ねたむ」をやめて イライラをワクワクに

「怒る」「愚痴る」「ねたむ」
の三毒追放

イライラを
ワクワクに変換しよう

たしかにその通りで
目の前に困難があれば
人間はイライラするのだが

その困難を「こうすれば解決できるかも」とひらめいたときに
ワクワクに変わる

ワクワクに変えましょう

それって頭を使えばいいだけなんですから
簡単といえば簡単です

お金もかからないし
特別な知り合いも必要ではありません

解決しなくてもいいんです
解決に向かっているかもしれない
という感覚がワクワクなんです




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アイディアをテストすることがワクワク

アイディアがあるかぎり
それが実際にどうなのかを検証してみたいものでしょう

トライできることが幸せだと思う

結果がどうかについては
環境要因も大きいので
後で分析ができればそれでいい

アイディアの実現が現実に難しいときには
文章で残せばそれでもよい

後で誰かがテストしてくれる

ーー
成功するには
資本金があればなんとかなるもので

お金があれば
人も集められるし
特許を買うこともできるし
収益をあげている会社を買うこともできる

ーー
そんな当たり前のことは
誰かに任せておけばいいではないか

ーー
アイディアをテストすることがワクワクではないか
自分のアイディアを試してみる

そのワクワク感が幸せなのではないか


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正しく使える人には不必要で,必要な人は正しく使えないもの

最近のいろいろな説明書やマニュアルは
大変むつかしい

生まれて初めて聞くような言葉ばかりが並んでいて
何からどう理解していいのか分からない

要するに分かっている人には要らないことばかり書かれているし
分からない人には分かるてがかりさえも書かれていない

分からない人は自分に必要なページがどこなのかも分からない

分かっている人にしか理解できないマニュアル

つまり誰にとっても役に立たず
誰にとっても情報の拡大にならない

これは大変面白い

ーー
最初から分かっている人が読めば分かるけれど
分からない人が読んでもどうせ分からないと言う種類のものは実は世の中に多い

分からない人にも理解できますと宣伝して売りつければ
分からないのは分からない方が悪いので書いた方が悪いのではないと暗黙のうちに理解されている

だからもう一冊くらい本が売れるかもしれない
そのような構造になっている

ーー
まあ、そんな極端なことはないが、
マニュアルを書く人は頭の中がシステマティックになっていなくて
部分ごとのEpisodeに引きずられ
部分と部分、部分と全体の関係が断裂し(これをスキゾと呼んでいる)
結局相手の立場に立って考え感じることのできない人なのだと理解することが出来そうだ

「そんなことができたら、こんな自分でもわけの分からないマニュアルなんか書いていないよ」
そうだね、多分


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