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わたしはいつでもまじめに生きたい

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湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 

久保田万太郎は昭和38年73歳で没した。
晩年、子供を亡くし、それを機に家を出て赤坂に隠れ住んだ。起居のかたわらに一人の女性がいたが、彼女は37年末に急死した。万太郎は深い孤独に陥り、自らも半年後に急逝した。
この句は相手の女性の死後詠んだ句のひとつ。


いのちのはて という言葉は 強すぎるが 背景を知れば 納得できる

ーー
春の夜のすこしもつれし話かな

春の夜にすこしもつれるのは黒髪に決まっているのだが
それを話がもつれると広げている
そこで王朝文化から現実に還る

久保田万太郎のばあい、話のもつれは少しではないだろう


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うすもものみえすく嘘をつきにけり

久保田万太郎より 変化をつける

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この恋よおもひきるべきさくらんぼ 

この恋やおもひきるべきさくらんぼ

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うすもののみえすく嘘をつきにけり

うすもものみえすく嘘をつきにけり

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おまえがそれを愛というなら

おまえはそれを愛というのか

おまえもそれを愛というのか

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おもかげをしのぶ六日のあやめかな

昭和20年5月6日、十五代目羽左衛門が死んで、久保田万太郎が詠んだ句だそうだ

ーー
根津美術館で
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患者さんの「本当の利益」-2

患者さんの「本当の利益」を考え出すとなかなか微妙である

本当の利益などは分からないし
何が幸福かは分からない
と前提するまでは特に異論はない

しかしその先で
人生の選択について患者さんが自由になることが治療の目的だと言ったりするが
それも怪しい
自由・不自由は意識・無意識のようなもので
いくらでも概念的な操作ができるし
主観の変更もいくらでもできると考えられる

真に自由であることを確認するには
不幸な道をあえて選択するしか方法はない
不適切を承知で言えば
死ぬことも自由だと思うまでは不自由だと言える

無意識の側からの束縛から自由になると言われたりするのだが
いつでも自由の外側があり意識の外側があるのだ
束縛から自由になるなどと考えるのは循環論法を含んでいて
粗雑さの点で円周率を3だと言っているのに似ている

また患者さんの成長や成熟を待つのだと言ったりするが
それも怪しい
成長も成熟も価値観を含んだ言葉である
価値に対して判断しない立場で言えば変化と言うべきだろう
しかし患者さんが変化をしてそれで治療なのか
はなはだ怪しい

いつ、どの方向に変化するのが幸せなのか、考えると途方にくれる

無邪気に患者さんの幸せは「自分の本当の問題に気付いて、自分を成熟させることだ」と
信じている人が羨ましい

自分の売るマンションは良いマンションで
買えばみんなが幸せになると信じている不動産販売会社のようなものである
知らないうちは続けられる
知ってしまえば耐えられなくなる


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