SSブログ

ゆとり教育

同調性の問題で言えば
ゆとり教育にした時点で
表の同調性は弱くなって
裏の同調性が強くなった

同調性という特質が
表から消えて裏に回って生き延びた
根源的なものは裏に回って生き延びる

いじめだとか裏学校サイトだとか

ネット全般も表の議論ではなくて
裏の情報交換になっていて
そこにある種の性格傾向が関係してくる

情報交換というよりも
風を読めないバラバラの発言


共通テーマ:日記・雑感

目立つとアウト

集団の中では
ある程度目立ちたいと思うものだが
目立ちすぎるとアウトだとみんな知っていて
余力を残して
目立たないようにしている

目立つということは
氷の上に立っている
ペンギンの集団の端っこまたは最先端にいるやつが
ドボーンと海に落ちて何かに食べられて
おっと、気をつけなくっちゃと
みんなが引き締めにかかる

ペンギンは真ん中にいるやつが一番安全だ
一番沢山えさを食べられるわけではないが安全
端っこのやつはうまく行くと沢山食べられるが危険

確率で言えばそのような選択になっていて
集団としてはそれでいいのだが
個体は死んでしまうので
なかなか難しい

ーー
昔は
ペンギン集団の真ん中にいるやつが躁うつ病系で
端っこにいるのが統合失調症系と言われたもので
私もそれで納得していたが
真ん中にいるのも少し別のやつで
端っこにいるのも少し別なやつではないかと思う

躁病の人は端っこに行ってしまうことが多いのだから

性格類型を考えて循環型と分裂型と分けるのと少し違う分け方がないかと思う
少し違えばぴったりだと思うのだがどうだろう




共通テーマ:日記・雑感

感情同調性オリンピック

サッカーの報道を見ていると
日本チームは攻撃はだめだけれど
守備はうまいというような意味のことを言っていた

そのあとは一点でも多くとってしっかり守れば勝てると言うだけで
私がうどんを茹でながらでも言えそうなことを言っていた

ーー
攻撃はだめだけれど守備はうまいというなら
多分、一対一の攻撃性とか身体能力ではかなわないけれど
組織的プレイはある程度うまいということかもしれない

感情同調性が高い国民とはいつも言われていることで
その特性を生かすならば

みんなで横になって田植えをして
決して他人より多く働かない競技とか

もう少し建設的にいうならば
100人で横になって二人三脚の拡大版をするとか
100人で輪になって速く走るとか

米国にも中国にもリーダーシップを決して発揮しない作戦を考えるとか

感情同調性を発揮できる競技を考案したらいいと思う

ーー
感情同調性が高い場合は
守備フォーメーションはできるものの
誰かひとりの失敗があると
みんなが同調してがっくりくるからいけないのだと思う

同調性の少ない人材は
若い世代には沢山いるので
そのような人材を選んだら
守備は弱くなるが
攻撃は強くなると思う



共通テーマ:日記・雑感

うつ病の発作

うつ病はあまり発作という言い方をしないけれど
やはりある程度は発作のようなものがあると思う


共通テーマ:日記・雑感

中核信念を書き換える

4676308.jpg

この図を見ていると
精神分析で言う

人生の最初の対人関係で作られたシナリオを
違う舞台で何度でも繰り返し
現在も実生活で反復し
診察室でも繰り返している
という図式を
きれいにたどっているようだ

繰り返されるシナリオ

それを書き換える方法の一つが認知療法ということになる


共通テーマ:日記・雑感

けんかと戦争と躁状態

躁状態はけんかと戦争の時の心理
その後に来るものがうつ

人間が集団でいる限り
仕方のないものなのかもしれない


共通テーマ:日記・雑感

うつに負けない精神力を鍛える

精神力さえしっかりしていればどんな逆境もで乗り越えられる

精神が病んだ人、極端に言えば精神が壊れたり荒廃した人になるのが、精神病だ

うつなんかに負けない精神をどうやったら作れるのか、先生教えてください

人間は危機に臨んだとき「精神力を奮い起こし、魂を鼓舞して」頑張るように作られている。

「精神力で乗り切れるはずだ」

「うつに負けない精神力を鍛える」

「こんなことで音を上げてたまるか」

ーーーーー
一般にはこのように考えられているのだという
なるほど

マラソンを走った後に疲労して筋肉痛になるのは無理もないと思うのだが
どうだろう


共通テーマ:日記・雑感

眠れてますか?2週間以上続く不眠は、うつのサインかもしれません。

眠れてますか?2週間以上続く不眠は、うつのサインかもしれません。

共通テーマ:日記・雑感

西郷さん

上野に銅像があっておなじみの西郷隆盛が
三度結婚して
心中未遂をしていて相手は既遂だという
いろいろあるものだ


共通テーマ:日記・雑感

エクセグラン

エクセグランはてんかんのお薬だが
なんとパーキンソン病に著効例があるという

メカニズムについては説はあるが
確定的ではないらしい

そもそもエクセグランは抗てんかん作用も
メカニズムについては不明部分があるらしい


共通テーマ:日記・雑感

働くほどなぜ人は貧しくなるのか?

働くほどなぜ人は貧しくなるのか?
 ――マルクス、26歳。新しい思想の誕生。


『経済学・哲学草稿』マルクス  長谷川宏・訳  光文社古典新訳文庫 2010年6月10日刊

独自の人間疎外論
マルクスによれば生産手段の私有を基礎とする国民経済のもとでは、
生産手段を所有していない労働者は自己の労働を商品として売らねばならない以上、

①労働生産物は労働者に帰属せず(労働生産物からの労働者の疎外硬外)、

②生産労働も労働者にとって外的な強制労働になるが(生産労働からの労働者の疎外)、

こうした生産物や生産活動からの疎外は、

③人間の類的本質からの疎外を意味するとともに(類的存在からの人間の疎外)、

④労働者と資本家との敵対関係を帰結するものとされた(人間からの人間の疎外)。

 マルクス「疎外された労働」四つの規定というそうだ



共通テーマ:日記・雑感

sick role 病人アイデンティティ

sick role 病人の役割
とか
病人アイデンティティ
とかいわれるものがある

たとえて言えば
ひどい失恋をして反応性にうつ状態となり
家族も友人も親切でお医者さんもカウンセラーも親切だったとすると
うつ状態は案外居心地がいいと無意識に思い
そのままうつ状態を継続する場合である

器質的病変が原因としてあり
結果としての病人の人生を引き受けなくてはならない人もいて
それもsick roleとか病人アイデンティティと呼ぶ
そうでない一部の人は
sick roleや病人アイデンティティの中に
疾病利得を見いだしている

それが本当に人生の利得かどうかは
考え方次第である

たぶん短期の利益か長期の利益かで
違いが出るだろうし

余命一年などという場合には
また特別な計算になるのだと思う

社会というものは
病人だけでは成立しないし
老人だけでは成立しない

病気を抱えながらもsick role ではない部分で生きている人もいる

ーー
頭の中の消しゴムという言い方があるが
頭の中に天秤があって
利害得失を判断している

頭痛で動けないと言えば利益があると無意識に思えば
実際に頭痛が起こり
疾病利得が発生する

その場合
たいていはたいして利得になっていない例が多いので
そこが問題になる

頭の中の天秤が壊れていて
間違った判断しているとしたら
どのようにして訂正できるだろうか

無意識のプロセスである限りは
難しいところがある



共通テーマ:日記・雑感

思春期変身物語

世界中の民話に変身物語があり
男の子のヒーローは変身ものである

何かのきっかけで
変身して大活躍する

ーー
ひとつの側面は
あこがれの投影なのだが

もうひとつの側面は
思春期の突然の変身だろうと思う

ーー
身体能力や知的能力は幼少時からのもので
かなり連続したものだと思うが
性的能力はそれらとは別の、不連続な発達をするのではないかと思う

たとえて言えば、それまで一階建てだったものが
二階建てになるわけで
その接合部分がうまくいかないのが
中学生の時期になる

ーー
自分とは何かという問題についても
性的発達とセットになってふりかかる

ーー
全く突然のように
まぶしく開花してしまう人がいる



共通テーマ:日記・雑感

発達障害と図形認識

発達障害と一言で言ってもそれで何か分かるわけではなくて
1.どの部分で発達の障害があるのか
2.それは将来、徐々にでも発達しそうなのか
などでかなり異なる

50年くらい前までは知能だけが問題で
知能の内訳としていくつかの下位項目があった

最近は対人関係能力とかが測定されるようになってきていて
それも障害のひとつだと言われている

子供の精神障害には大変様々なバリエーションがあって
個々の専門家やグループによって用語も大幅に違うし
とらえ方も違う
脳器質性の見立てと環境反応の見立て、療育要素の比重の違いなど
かなり大きく違う

大人の精神医学を子供に当てはめてうまくいく世界ではない
大人の基準を当てはめて統計を取る場合ももちろんあるし
意味のある研究である

しかし発達途中の人間についてであるから
大人とは別の観点が必要である
つまり、変化するだろう、変化の余力は大きいだろうとまず考える
また、環境に依存して変化する部分が大きいだろうと考える
トレーニングでずいぶん変わることは実証済みなのでなるべくなら適切なトレーニングをしたい
親との関係は特に重要で親が変われば子供が変わることが多い
精神機能の各部分は未分化で測定は容易ではない

ーー
このような変化は科学の進歩という面もあるが
人間社会の変化も関係している

多くの人が会社に所属して
情報をやり取りしながら仕事をする環境では
当然のことながらコミュニケーション障害が問題になる
労働生産性に直接関係するからだ

情報化社会で情報のやり取りに不具合があれば
当然のこととして障害といわれ、治療できないかという話になる

しかしそれは本来の医学モデルとしての「病気」とはいえないようなものだ

100メートルを走って28秒かかったとして
別段病気というわけではないだろう

しかし社会の要求との関係で訂正できるものならして欲しいという場合は
障害と言うことで
医学的な「顕微鏡で追試できる病理標本の根拠」がなくても「治療」の対象とすることもある

ーー
アスペルガーの場合にコミュニケーション障害があるけれども
知能が高いので社会生活を送れるなどという言い方をする場合があるが
どの程度のコミュニケーションができれば障害か障害ではないかのラインは恣意的なもので
やはり医学的概念ではないだろうと思う

顕微鏡でのぞけば
それぞれの人でずいぶん違うということが分かるだけで
共通の異変などは今のところつかまえられていない

前頭前野の活動がどうとか言われるが
まだとっても粗野な領域での測定である

ーー
自閉性の系統とADHDの系統を混ぜてしまうのは
概念としてまずいと思うが
実際の場面では
きれいには分けられない感じもある
このような分け方が適切ではないような一群もあるのかもしれない

ーー
最近では携帯に親和性が高い人が多い
一日でも携帯をいじっている

PCにも親和性がある

ひとつの意見によれば
自閉性障害の人は聴覚認識よりも視覚認識が優位だから
話す、聞くよりも、見る、読む、書くのほうが好きなのだと言われる

そのような点では生きやすくなったとは言える
しかし一方で
それで事が済んでしまうので
コミュニケーション能力は発達しないという事情もある

聴力に障害のある人は
PCと携帯のメールでずいぶん助かっているらしい

それと似たような事情がある

ーー
しかしそうなると
pcや携帯に親和性のある群の別の特性、たとえば衝動性や攻撃性が発揮されて
一種独特な場所になる

その発信の仕方は病気の症状だろうと解釈される場面もしばしばある
不思議なくらいにハイテク機械の進行方向は
自閉性の世界なのだ

人間は元来が衝動性もあり攻撃性もあり惨めで汚いもので
8丁目のお姉さんたちは作り笑いをしなければならないのにできない都合もあって
身にしみているのだが
従来の出版・言論の世界は
そのような人たちの世界ではなかったので
いまよりすこしはましだったのだと思う

ーー
図示するとはっきり頭に入るとか
図解してはじめて理解できるとかの人も少なくない

ブレインマップなどもこのような傾向に親和性が高いと言えるだろう

たとえばの話
音楽を一時間かけて演奏を聴くのではなく
楽譜を見て短時間のうちに感動するとか
そのような能力である



共通テーマ:日記・雑感

発達障害

社交不安障害(SAD)、パニック障害、うつ病などの背景に
発達障害があることがときどきあって
その場合には
積極的に環境調整したり
対人関係にSST的に介入したりする
その場合に知能が高すぎても低すぎても
アドバイスを受け入れる余地がなくなる

対人関係能力の点で発達障害があり
知能には障害がない場合
むしろ独自の興味を発展させることもあると強調されるが
もちろんいいことばかりではなくて
辛いことの方が多いかもしれない

飛び抜けて高い知能の場合は
周囲との共感はできにくいのも当然なので
ある程度対人関係能力が良くないのも原理的に仕方が無いと思う

低知能の人にとっては星空は神話の花園だ
高知能の人にとっては星空は悲しみであり不安である

おおむね低知能の方が朗らかで人気がある

100メートル走のボルトが
足の遅い人の悩みや疲れが理解できるはずはないのであって
ボルトの悩みは質が違う

中程度の知能の場合には
自分のことを基準にしていれば
大抵の人と同調できるので便利である

高知能の人は自分の内心を参照しても
大部分の人とは共感できないので
内心を参照せずに、客観的な観察情報から、共感しないといけない
そんなことはとても難しい

数学ができない人の気持も論理も理解出来ない
数学のすべては「当然」なので
説明などはできない
その場合、未発達な人と呼んだら問題になるので
普通の人と呼んでいる

そうなると普通の人の側は多数決で
高知能者に奇妙な人というレッテルを貼る
あいさつをしないとかそんなこと

幸い高知能者は
物事を知性化して納得できるので
自分はこの世界の異端者なのだと納得し
自分なりのポジションを世界の隅に求めて安定しようとする

立食パーティの壁際でじっとして移動しない

ーーーーー
発達障害者の心理は長い時間をかけて複雑にストレスを貯めていくので
療育は大変むつかしい

私が相談を受けるのは辛い場合だけだから
そのように思うのだろう

発達障害と統合失調症の関係は微妙で
個人的にはやはり別の系統のものと思うが
定義のいかんによるので
関係する場合もありしない場合もありだと思う

発達障害で性的成熟に伴い
対人関係能力の限界を自覚する場合も多く
統合失調症の場合に性的成熟に伴い発症するのと似ている部分がある
区別はできるが似ている部分がある

弟に発達障害のあるお姉さんの恋愛話とかは
なかなか難しい

ーーーーー
PTSDのような事態は当然発達障害の場合にも成立する
フラッシュバックが多いことも言われている
周囲の世界の体験のされ方が違ってしまう

ーーーーー
一般の人の感じ方としても
現在の問題、たとえば繰り返す浮気は、幼児期の体験が原因でしょうかと
いうような質問がかつてはあった
最近は繰り返す浮気は、発達障害の結果でしょうかと質問する人もいる
また、一部では、性格障害でしょうかと、質問する人もある。

それぞれに想定している医学心理学的モデルが異なっている

ーーーーー
それにしても
たとえば30歳で会社員で背景に発達障害があり
仕事に行き詰まりを感じ
対人関係でも限界があり
それでも生活のためには働き続ける必要があり
必要なことと可能なことが分離してしまっているので
どうしようもないのだった

ーーーーー
発達障害は定義から
先天性のもので
ある程度どうしようもないと考えられて
その中核障害を前提として
周辺症状を解消して行く治療がまず求められる

周辺症状を緩和しておくと
中核症状への療育アプローチもしやすい

先天性と認知することが
いい方に働くのか(無理はさせない、正常化を目標としない)
悪い方に働くのか(どうせ無駄、どうせ治らない)


共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。