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話して泣けばすっきりする

話して泣けばすっきりするとは言われるのだが
それは話の内容には立ち入らない議論で
なかなかうまい組み立てだと思う

そのような流儀の精神療法もあるのだ

内容に立ち入ってしまえば
解決できないパラドックスにからめとられる場合がある

ーー
悲しい映画を見て泣きましょう



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甘やかしの構造

甘えの構造という有名な本があるが
甘やかしの構造と言うべきものがあると思う

甘やかしたほうが楽なんだ
当然

それだけのことなんだ


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痩せたいのに痩せられないんです

痩せたいのに痩せられないんです
と嘆く人に対して

本気で痩せればいいよ
と言うのは果たしてアドバイスになっているのだろうか

ーー
多分同義反復の要素があり
本人もそう思っているに違いない

ということは
充分に悩みを汲み取っているとも言えるのか?


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誰が支払うべきか

消費税増税を上げないと年金もだめ財政も破綻とか言っているが
それならいままでいい思いをした人に払ってもらいたいものだ

いい思いをしていない我々がどうして払わないといけないのか

ーーーーー
いままで印刷したお金を使ったり溜め込んだりしている人に払ってもらったらいい
それだけのことじゃないのか?


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全然関心がないのにサッカーの話もする

個人的には全然関心がないのにサッカーの話もするのは
社会性というものなのだろう

すごいよねーと枕に置いて、雨の話もして、豪雨の話もしている

一方で金持ちが熱中するゴルフにも全然関心がなくて
それでも一応話題に取り上げたりして
新聞の見出しをなぞっている
あいさつがわり

それが社会だからだ
同調性のサインである

しかしそのくらい原始的な話しか共通の話題がないとも言える
ということは実は貧しい社会性の反映なのだろう

ーーーーー
うれしくて仕方がない時も
人間であることの限界や悲しみを歌う

悲しくて仕方がない時も
愛のしぐさをする

同調したほうが楽だ




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生活習慣病と精神病

最近は生活習慣病という言葉で表現しているが
その内容としては
高血圧
糖尿病
心臓病
脳血管障害
高脂血症
肥満
などである

おおむねを言えば血管を流れる血液の成分に異変が起こり
最終的には血管壁に損傷が起こり
死に至るイメージである

将来移植技術が開発されても血管の総取り換えができるとは思わないので
多分難問として残るだろう

それぞれで別のクローズアップの仕方をすれば
高脂血症+高血圧+糖尿病+脳血管障害+心臓病+肥満
などは容易に想定される

血液と血管壁をめぐるさまざまな事情と言ってもいいのだろう

ーーーーー
同じような事情で
精神病というものも
結局は脳を舞台にして
いろいろな病理現象が起こっているはずで
現在はいろいろな病気の呼び名を作って議論しているわけだが
それぞれが独立しているものとも思えない

性格障害はもちろん子供の頃から傾向としてはあるわけだし
てんかんがあれば発達に障害が出るし
躁うつ病があればそのような気質はもともと持っているとも言えるし
それらと強迫性の素因は背反するものでもないので
社交不安+うつ病+強迫性障害+軽度発達障害+てんかんの素因
などは容易に想定できる
それぞれの専門の医者が診察すればそれぞれの部分を強調した診断と解説がつくと思うが
そのどれも間違いというものでもない
全体のプロセスの一部分としては正しいと思う

たとえばもっと分かりやすい話として不正確な話をすると
知能の障害と感情の障害、また、コミュニケーションの障害とか分野を分けるとして
一つがあればそれぞれに影響が出ることは必然だ

またたとえば発達障害という言葉でどんなに曖昧な病像も言えるし
逆に極めて限定した病像を言うこともできる

子供の頃のてんかん発作はそれ自体トラウマであって
PTSDに類似の状態となるはずで
そのことをてんかんともPTSDとも発達障害とも表現できるのであって
時間軸のどの範囲でとらえるかとか
原因として何を想定するかで
さまざまに表現できる

主観的体験に関して言えば
脳という器官がどのようにしてクオリアを形成しているのか
心脳問題が解決していない現状では
なんとも確定的なことが言えない

側頭葉てんかんとか複雑部分発作とかいわれるような
精神症状を伴うタイプのてんかん発作は
普段からの性格傾向まで含めて特徴があるし
治療として外科手術が勧められることもある
この例などは心の問題が脳の問題に還元できる一例である

ーーーーー
仕事をしていると、人の性格ほど多様なものはないと思うし
性格を形成する幼児体験もさまざまなものだと思う
また一方で遺伝的な要因もさまざまなものだと思う

しかし人間の認識力には限界があるので
それらを軽く平均したり四捨五入して
人間というものはなどとまとめてしまうしそれで納得したりもする

要するにその人の認識力がどの程度のものかによるのであって
それは普段の生活の様式が深く関係している

性格を扱う仕事であれば性格のことは細かく認識するし
靴を扱う人であれば靴のことは深く細かく識別するだろう
牛肉を食べる人は牛肉を細かく名付けるし
椅子を普段使う人はそれぞれの椅子のタイプについて細かく名付けるはずだ

そのような伸縮自在の概念で科学的な認識ができるとはとても思えないので
何とかして測定したい
しかしその方法がよく分からない
というのが現状である

心脳問題を唯物論的に解釈する人は
測定できないものを人間の脳が認識しているはずがないと思うに決まっているので
測定できるはずだと主張するが
測定できたためしはない


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