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人・本・映画に影響をうけること

精神の治療は
要するに脳を変えることであって
言い換えれば
人・本・映画に影響をうけることだと思う

人間の脳が本能だけで閉じていないで
環境に対して開放されている
つまり
環境に適応できる部分を多く残している
ということは
つまり
学習の余地が大きいことである

脳は状況に応じて学習を受け入れやすくなったり
学習を拒んだりするので
新しい学習を受け入れやすくする状況を作ることが大切だ

学習回路を学習可能にする技術が大切なのだと思う


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社会リズム形成法

脳の一日の活動を記録する

起床、朝食、最初の挨拶、最初の会話、精神活動、昼食、夕食、入浴、睡眠
感情の波、疲労、快感、

それらが一日24時間のリズムでうまく回転するように時間をかけて徐々に生活を調整する

ーー
考えて見れば小学生とか中学生の時代には
まさに24時間のリズムを正しく刻む練習をしているのだと思う

ーー
最近の子供を見ていて
「椅子にじっと座っていられない」子どもが多いので大変驚く


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うつ病の自然経過

抗うつ剤が登場する以前からうつ病はあったはずだと思うし
全員が自殺していたわけではない

むしろ抗うつ剤を販売するためにうつ病が宣伝されて
見かけの上でうつ病が増えているのではないかとも考えられる

PTSD,Borderline,bipolar,developmental disorder,SADなど
時期ごとにdominantな診断名が登場するが
確実な物証はなく自然に消退してゆくものだった

新規抗うつ剤があるからうつ病が増え
躁うつ病に新規効能が追加されると躁うつ病が増える
その一方で
社会制度の問題がある
大企業ではある程度手厚い福利厚生があり、その制度の中で「うつ病」が発生して治療される
零細企業では病気の人を抱えることができくないから「うつ病」は発生しないし、治癒過程も存在しない
リワークはなくて再就職支援・求職支援があるだけだ
その際にはたいてい、社会経済的な階層低下が発生する

薬の開発とか社会制度との関連で病気の解釈が変わったりするのは
伝統的な疾病概念から言えばおかしな話でもあるが
現状での精神的不調はそのような微妙な話なのだと理解しなければならない

たとえば脳波の異常と精神不調をどう関係付けるかについては
脳波の技術が進歩すればますます微細な変化を感知できるはずで
まだまだ進歩の余地がある

また神経の微細構造の面から考えて、神経細胞内の信号伝達系が分かってくると随分と様相が違ってくるだろう
現在はシナプス部分での動きが問題になっているが
同じような信号伝達障害が細胞内でも当然あるはずなので
これも今後の進歩の余地が大きいと思う

ーー
そんなことを背景として改めてうつ病の自然経過を考えると
そんなに悪性の病気ではないのではないかと思われる部分もある

社会が求めるもの、あるいはもっとはっきり言うと大企業が求めるものとの関連で
復帰できるかどうかが決まるなどというのは
疾病の概念から言うとおかしなものである

そうは言いながら、現実はそれを要求しているので
現実と妥協していくしかない

ーー
極端に言えば、安心して休んでもらう制度があれば、それでいいのかもしれない
制度に寄生する人が出現するのはある程度仕方がないもので
教育の問題だと思う


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快楽回路の転用

脳の基本構造として
基本下部セットを何度も転用する傾向がある

従って快楽回路は様々な場面で転用されている

いろいろな内容の快楽があるのだが
最終的には同じ快楽回路が転用されているのではないかと推定される

そのことから逆に考えれば
どのような方法であれ最終的には質的に同じような快楽なのであって
大切な事はそこに至るアプローチなのだと思う


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戦争で失われた勇気のY遺伝子

サッカーで勇気と感動をありがとうとか言っているような気がするが
戦争で最優秀の勇気と感動のY遺伝子が失われた

そしてX遺伝子は残ったので
日本のXXは優秀でスポーツで勝ち続けている

XYのなかで優秀なのはX部分なのでXYはなかなか勝てないのだろう

戦争の負の遺産である


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アルゼンチンが敗けて

アルゼンチンが敗けてシャワーを浴びて考えた

アルゼンチンタンゴは少し年取った男性と若い女性がやはり似合う
リードする側の確信というか自信というか教育者魂というか
結局は女性に献身しているのだけれど

コンチネンタルタンゴというものもあって
人によって意見は違うと思うが
大陸から南米へ、さらにそれが大陸へ、というような移動をしているらしい

その点ではタンゴとサッカーは似ているところがあると思う

ーー
サッカーにおける熱狂は
宗教において作動する熱狂回路がフル回転しているのだろうと思われるフシがあり
そう考えると
タンゴとサッカーとキリスト教がセットになる

ーー
日本では現在は政教分離とかで一応、宗教と政治は分離されていて
おもな宗教法人は表向き葬式仏教が多い

一方で新興宗教は洗脳ビジネスの手法を採用しているケースもあるとかの話で
そうなるとますます怪しい熱狂になり
人々の生活の表舞台からは退場するようになる

表舞台から退場すれば当然裏舞台になるはずで
裏と表の運動が発生する

ーー
神道というものがあって短期間表舞台に踊り出て
現在は裏とも言えないし表とも言えない具合で
存在しているようなしていないような具合である

存在していないというのは非存在というのではなくて
あえて存在を隠匿することで引力を発揮するような存在の仕方といえばいいのか

ーー
裏と表と言うよりも
周辺と中心と言ったほうがいいかもしれない

サッカーで日本チームを応援する人のどれだけの割合が
日本チームの個性とか戦術とか生い立ちとかに共感しているのだろう
どれだけの人たちがただ単に日本人だからというだけで応援しているのだろう
たとえばアジアだから応援するとか
そうした、単なる所属によって、単純に決定されるような帰属意識とか、一体感とかは
とういった構造を呈しているものだろう

ーー
そう考えると日本は神の国とかの言葉が思い出される
そんな言葉を語るのは誰かと考えると
中心にいる人ではないと思う周辺の人が
中心にいる人の事を気にして語っているのだと思う

タンゴもサッカーもキリスト教も大陸に中心があり
南米は周辺だとも言える

ものごとは中心があるだけでは運動に発展しないのであって
周辺がいつでもあって運動が発生する

ーー
中心にいる人間は存在証明を必要としないだろう
自分が何ものであるかは自明である

周辺の人間は多分そうではないだろう
存在の理由を考える必要があるし
自分が何ものであるかを証明する必要がある

そのとき国家とか宗教が存在の後ろ盾になってくれる
プロスポーツもそのようなものの一種で
心理的装置である
プロ野球で巨人が勝てば安心する

ーー
よく知らないで当てずっぽうを言うのだが
沖縄の人の一部は
戦争中は親日本、戦後の一時期は親アメリカ、そして今は反米+反本土、
というような運動をしてきたと解釈される面があるかもしれない
もちろんそこには強制もあり本音とタテマエがあったわけだが
そこには周辺と中心の心理的運動法則が働いているかもしれない

朝青龍という人の心理の内部では何が中心で何が周辺なのだろう

ーーーーー
中心にいる人は多くは何も語らない
周辺が多くを語り中心に接近しようとする

サッカーでも南米、ドイツ、イングランド下層階級、イングランド上層階級というような周辺と中心の図式があり
そこを基盤として心理的運動が発生しているのではないか
この周辺と中心の図式はすっぽりと資本の関係でもある
宗教で言えば南米では一部でキリスト教とマルクス主義が融合したりもする

中心には空洞があるだけだというのが昔からの言い伝えである


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サッカー ドイツ対アルゼンチン

2010年7月3日、土曜日だけれど今日も会社で残業
上からの指示が簡単に変わるから仕事が進まない
きちんと考えぬいた上で確実な指示を出してくれれば
私だってちゃんとやるのに

もともと頭の悪い社員を使って
使う側も頭が悪いんだから
勝ち目は万に一つもないでしょう

なんて思いながら
疲れはてて家に帰ると
知恵の足りない娘がテレビを見てお地蔵さんになっている

またこんなものを見ているのかと思いつつ
カップヌードルじゃないとやーーよなんて歌いつつ
ぼんやり見てていたら目が覚めた

ドイツの二点目、クローゼのゴール
パスが出て、キーパーとディフェンスのぴったり間をすり抜けて
クローゼにドンピシャつながってゴール

こんなことができるものなのか
オリンピックの各競技の洗練度
たとえば男子体操の鉄棒とか
また砲丸投げとか
またゴルフのスーパーショットとか
メジャーリーグの160キロ超えのピッチャーを思うが
たぶん稼いでいる金額で言えばそれ以上の技で戦っているはず

アルゼンチンは監督のマラドーナがやたらに目立っていて
メッシは確かに抜群のスピードでドリブル前進してしまう
とはいうものの

しかしそれよりもドイツが強かった
三点目はなんていう選手か知らないがドリブルでどんどん進んでゴール脇まで進んで
ゴール正面あたりにパスを出して決めてしまった

結果は4対0でドイツの勝利
12時45分頃試合終了

これは興奮するわ

ーー
ドイツがこの何十年にわたり西ドイツ時代からずっと強いのはなぜなんだろう
今回もまだ先はあるけれどイングランドとアルゼンチンを撃破した
サッカーと戦争と経済戦争は別だと思うが
この圧倒的に強いイメージからすれば戦争の一つも仕掛けてみたくなるのも分かる気がする
同盟を結ぶならドイツだろうと思う気も分かる気がする

ブラジル対オランダでブラジルが負けたのもニュースだった
ヨーロッパ対南アメリカの構図になっている

宗教から言えばキリスト教徒が多いような気がする
ゴールのあたりでキリスト教式のお祈りをしている様子が見える

人口割合に比例していないし経済力にも比例していない
ゴルフやテニスはある程度経済力がないと始められないし続けられないような気がする
まあ、野球でも似たようなものだが

南米やアフリカの選手はスポーツで貧困から抜けだしたという人もいるようだが
逆にそんな話が語られるくらい、格差は固定されているということだろう
100メートル走やマラソンは明らかにアフリカ系が強いのに対して
結局ヨーロッパのプロサッカーリーグで活躍している人が強いのだし
なんだかいらいらするようなルールも判定もあり
うまくパスを受けなければならないのでコミュニケーション力が必要で
相手の目を見てパスを受けるような力が必要な感じがして
脳の発達に障害のある人は向かない気がする

ひょっとすると身体能力の高い人達の信号伝達は
何か特別な経路があるのかもしれない
そうでないと
あんなに見事なパスは出ない

ディフェンスが破られて
その先にパスの相手が待っているなんて
どうしても信じられない
敵のつかまえられないパスを
味方がつかまえられるのはなぜなんだろう

つかまえられるようにパスを出していると言えば言えるのだろうけれど
同じことを人間同士だから予想して動いているはずで
その予想を超えるのは難しいし
味方の予想を超えてしまってもうまくいかない

こちらに見えているものは相手にも見えているはずだろうが
動きながらの視野と視力は違うのかもしれない
体の向きによって情報の範囲は違ってくるだろうから
そのあたりを利用するのかもしれない

自分には見えていて相手には見えていない情報を利用する
そうなると全く心理的な争いになるような気がする
最高の筋肉があることはもちろんだけれど
一瞬の情報戦があるのだと思う

つまり、混乱した状況の中で、味方には分かるように、敵には分からないよように情報を回すのだが
お互いプロなのだから予測できない範囲ではないはずで
しかしそれを超えなければならないわけだ
しかしあまりに超えていると味方も理解出来ないから攻撃にはならない

というようなわけでこのような複雑な情報処理ができないチームの得点は
ミドルの直接ゴールキックということになる

ーーーーー
二度に渡る世界大戦でドイツは優秀な人材を多く失った
もしそれがなければドイツはもっと強いだろうと思う
敗戦国の立場でなおこれなのだから
しかも長い間東西分裂、統一されてからは東ドイツの負の遺産を引き継いでなおこれだから
なんていうことも思うくらい強かったドイツチームだった


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