学はもってやむべからず
学はもってやむべからず
荀子
*****
君子曰はく、
「学は以て已むべからず。」と、
青は、之を藍より取りて、藍より青く、
氷は、水之を為して、水より寒し。
木直くして縄に中るも、輮めて以て輪と為さば、
其の曲なること規に中り、槁暴有りと雖も復た挺びざるは、
輮むること之をして然らしむるなり。
故に、木、縄を受かば則ち直く、金、礪に就かば則ち利く、
君子博く学びて日に己を参省せば、
則ち智明らかにして行ひに過ち無し。
故に高山に登らざれば、天の高きを知らず、
深谿に臨まざれば、地の厚きをしらず、
先王の遺言を聞かざれば、学問の大なるを知らざるなり。
干越夷貉の子、生まれたるときは而ち声を同じくするも、
長ずれば而ち俗を異にするは、教へ之をして然らしむるなり。
詩に曰はく、
「嗟、爾君子よ、恒に安息すること無かれ。
爾の位を靖共し、是の正直を好み、
之を神とし之を聴き、爾の景福を介いにせよ。」と。
神、道に化するより大なるは莫く、福、禍無きより長なるは莫し。
*****
昔の君子が言っている、
「学問は途中でやめてはならない。」と。
青は、藍草から取ってできるものだが、藍草より青く、
氷は、水が変化してできるものだが、水より冷たい。
木がまっすぐで定規にぴったり合うようでも、
湾曲させて輪にすれば、其の曲がりようはコンパスにぴったり合うようになり、
枯れて乾燥しても二度とまっすぐにならないのは、湾曲させることがそうさせたのである。
同様に木は定規に当てられれば、まっすぐになり、金属は砥石で磨かれれば鋭くなり、
君子は幅広く学んで一日に我が身を何度も振り返るならば、物事に通じ行動を誤らなくなるものである。
ところで、高い山に登ってみなければ天の高さを知ることはできず、
深い渓谷を間近に見てみなければ大地の厚さを知ることはできず、
古代に聖王の残した言葉を聞いてみなければ、学問の重大さを知ることはできないものである。
干や越、夷や貉といった異民族の子供らは、生まれたときは同じように産声を上げるが、
成長すれば異なった風俗を身に付ける、これは教育がそうさせているのである。
詩経にこうある、
「ああ、おまえたち君子よ、常に安逸をむさぼることがあってはならぬ。
自らの職責を全うし、その正しく嘘のないところを好み、
神的なものを畏敬してこれに従い、自分の大いなる幸いをさらに大きなものにせよ。」と。
ここにいう「神的なものを畏敬する」とは、聖人の学問に感化されることより重要でなく、
ここにいう「幸い」とは、災いのないことより良いものはないものなのだ。
*****
青は、之を藍より取りて、藍より青く
高山に登らざれば、天の高きを知らず
君子よ、恒に安息すること無かれ
荀子
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君子曰はく、
「学は以て已むべからず。」と、
青は、之を藍より取りて、藍より青く、
氷は、水之を為して、水より寒し。
木直くして縄に中るも、輮めて以て輪と為さば、
其の曲なること規に中り、槁暴有りと雖も復た挺びざるは、
輮むること之をして然らしむるなり。
故に、木、縄を受かば則ち直く、金、礪に就かば則ち利く、
君子博く学びて日に己を参省せば、
則ち智明らかにして行ひに過ち無し。
故に高山に登らざれば、天の高きを知らず、
深谿に臨まざれば、地の厚きをしらず、
先王の遺言を聞かざれば、学問の大なるを知らざるなり。
干越夷貉の子、生まれたるときは而ち声を同じくするも、
長ずれば而ち俗を異にするは、教へ之をして然らしむるなり。
詩に曰はく、
「嗟、爾君子よ、恒に安息すること無かれ。
爾の位を靖共し、是の正直を好み、
之を神とし之を聴き、爾の景福を介いにせよ。」と。
神、道に化するより大なるは莫く、福、禍無きより長なるは莫し。
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昔の君子が言っている、
「学問は途中でやめてはならない。」と。
青は、藍草から取ってできるものだが、藍草より青く、
氷は、水が変化してできるものだが、水より冷たい。
木がまっすぐで定規にぴったり合うようでも、
湾曲させて輪にすれば、其の曲がりようはコンパスにぴったり合うようになり、
枯れて乾燥しても二度とまっすぐにならないのは、湾曲させることがそうさせたのである。
同様に木は定規に当てられれば、まっすぐになり、金属は砥石で磨かれれば鋭くなり、
君子は幅広く学んで一日に我が身を何度も振り返るならば、物事に通じ行動を誤らなくなるものである。
ところで、高い山に登ってみなければ天の高さを知ることはできず、
深い渓谷を間近に見てみなければ大地の厚さを知ることはできず、
古代に聖王の残した言葉を聞いてみなければ、学問の重大さを知ることはできないものである。
干や越、夷や貉といった異民族の子供らは、生まれたときは同じように産声を上げるが、
成長すれば異なった風俗を身に付ける、これは教育がそうさせているのである。
詩経にこうある、
「ああ、おまえたち君子よ、常に安逸をむさぼることがあってはならぬ。
自らの職責を全うし、その正しく嘘のないところを好み、
神的なものを畏敬してこれに従い、自分の大いなる幸いをさらに大きなものにせよ。」と。
ここにいう「神的なものを畏敬する」とは、聖人の学問に感化されることより重要でなく、
ここにいう「幸い」とは、災いのないことより良いものはないものなのだ。
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青は、之を藍より取りて、藍より青く
高山に登らざれば、天の高きを知らず
君子よ、恒に安息すること無かれ
人を知らざることを患(うれ)う
子曰、不患人之不己知、患己不知人也、
子の曰わく、人の己れを知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患(うれ)う。
先生がいわれた、「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ。」
子の曰わく、人の己れを知らざることを患(うれ)えず、人を知らざることを患(うれ)う。
先生がいわれた、「人が自分を知ってくれないことを気にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ。」
学べば則ち固ならず
子曰、君子不重則不威、學則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改、
子の曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)からざる者を友とすることなかれ。過てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ
先生がいわれた、「君子はおもおもしくなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。[まごころの徳である]忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友達にするな。あやまちがあればぐずぐずせずに改めよ。」
子の曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)からざる者を友とすることなかれ。過てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ
先生がいわれた、「君子はおもおもしくなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。[まごころの徳である]忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友達にするな。あやまちがあればぐずぐずせずに改めよ。」
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人間関係は水平関係だけでうまく行くものではない。それなりに上下の関係はきちんとした方がいい。乱れたこの世でせめて経験者や年長者を大切にしたいものだ。
学問をしてますます頑固になるものがいて、問題がある。学問をしてますます謙虚になるのでなければ、学問の意味がない。
忠義と信義を貫くのでなければ学問の意味が無い。
友人を選ぶことは第一に大切なことで、自己形成の第一歩である。
友人を選ぶことは第一に大切なことで、自己形成の第一歩である。
朱に交われば赤くなる。
間違ったことをしたと気がついたら、ためらうことなく、改めるのがよい。改めないものが何と多いことだろう。
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孔子の時代には現代とは違い地域により、知識、習慣、習俗などにかなりの違いが見られたものだろうと思う
多分、言葉さえうまく通じなかっただろう
現代の日本でも方言は他の地域には通じないものがたくさんある
そのような状況で、どのようにして臣下の礼を納得させるか、難しい話だっただろうと思う
その点では学問は、自己陶冶の意味よりも統治技術のひとつだったのだろう
戦争とか人殺しは分かりやすい共通言語だし
稲作による作物なども分かりやすい共通言語である
偉い人に尊敬の念を示すというのも共通言語であるが
誰が偉い人であるのか良く分からない
結果としてでっかい宝石をつけているような人間に頭を下げておけばいいということになる
現代人も結構じゃらじゃらつけて歩いているので似たようなものだが
昔よりは宝飾品に頼らずに人品を判定できる
サービス業の生産性
「デフレ」といわれているのも、本質的にはグローバル化による相対価格の変化である。
工業製品の価格は大きく低下している。
新興国の貯蓄過剰によって長期金利も世界的に低下し、国際資本移動が大きくなったため、
今や金融市場に国境はない。
だから中央銀行が通貨を過剰に供給して景気を刺激しようとするのはナンセンスで、
余ったマネーは他国に流出して資産バブルを引き起こす
――日銀の量的緩和がアメリカの住宅バブルを引き起こしたことで裏づけられた。
日本は、かつてのような高度成長を再現することはできない。
いつまでも近代の「ものづくり」パラダイムにこだわっていることが産業構造の転換を遅らせ、
潜在成長率を低下させている。
いま必要なのは、労働生産性の高い製造業の生産性を上げることではなく、
生産性の低いサービス業の生産性を上げることだ。
特に流通、運輸・通信、金融業で「生産性革命」が必要だ。
というようなわけで
どうしようもないといえば確かにどうしようもない
サービス業の生産性を上げる画期的な考えはあるか
人材総入れ替えでもしない限りは今の日本では難しいかも
既得権益者が多すぎる