資本主義と民主主義
センによれば
資本主義の矛盾を訂正できるのが民主主義であって
この組み合わせに意味があるのだという
なるほど資本主義はインセンティブが分かりやすくてやる気を引き出すが
優勝劣敗がはっきりしていて
敗者には辛すぎる制度だ
そこで民主主義を用意して
大多数の敗者の意見を反映するわけだ
勝者は所詮は少数派である
センの話はそんなに単純ではないが
一応そんな筋らしい
と現役大学生に教えてもらった
スーパー純系XX
後輩が言うには
女性の遺伝子のXXの片方が父親から来ていると思うといやになるのだそうだ
そこで1000年くらいの間、女性同士のXXを合成して生命を繋ぎ、
スーパー純系XXを育成すれば、
後輩としては父親という存在を消去して考えられるのでちっょといいのではないかとのことだ
何がいいのかよく分からないが
そういう意見があることは理解できるような気がする
ーー
キリスト教の聖書の物語では処女懐胎になっていて
そのことは一応解釈できる時代になったが
XXならば可能性はあるのだが
それがXYであることがやはり謎だ
YがGodに由来するとか考えるのは
カテゴリーエラーなのだろう
漢方薬は苦いか
漢方薬は苦いと言う人もいるのだけれど
どう味わってみても苦くないので
おかしいと思う
ものの感じ方とか考え方は根本的なところでずいぶんと違うものだと思う
根本が違うと思うので
やはり
和解は難しいと思う
攻撃性
動物行動学のローレンツ先生の観察なども次第に修正されているようであるが
攻撃性についてはやはり集団の順位制と関係があるのだろうと思う
サルが木の実を石で砕いて食べている
同じことを他のサルにすれば殺害できるが
そんなことは余りしない
カラスは知能がすごく高いので
殺し合いなどしそうなものだが
カラスの大量虐殺など余り聞いたことがない
無用と思える攻撃性がなくならないのはやはり
攻撃性のおかげで自分や家族が有利になる場面があるからなのだろう
悲しいことだ
攻撃性は要するに他人のものを奪うときに有効なのだろうと思う
分配を有利にするのだろう
全体の生産をあげるには役に立たないような気がする
むしろ協調性とか助け合いが役立つように思う
ーー
無用に攻撃的な人というものは存在するし
そのおかげで傷つけられてしばらく悩む人もいる
どうしたらいいものか難しい
煎じ詰めれば
言わなくていい言葉を言っている人なんだが
何故そのような、言わない方がいい言葉を言ってしまうのか、本人も周囲も分からない
分からないながらも遺伝的に絶滅しないのは有利な側面があるからなのだろう
あるいは形を変えて攻撃性が発揮されれば有利な側面があるからなのだろう
形を変えて有効だというのはどんな場面か例示しにくいもののありそうな気はする
攻撃性の遺伝子がやはり有効だから保持されているのだろう
いやだねえ、世の中は
飢饉でも死なない
飢饉とかの研究があって
よほどの凶作でも食物の全体の量を見れば困るほどでもないんだって
分配の仕組みが壊れているから
人々が死ぬんだとか
人が死んでも平気な人がいるから人が死ぬんだとのことです
むしろ殺すつもりなんだそうです
根拠は良く分からないがそんなことを誰かが言っていた
風雪流れ旅
風雪流れ旅って感じでもないんだけど
貧しい雪国では
雪に閉ざされて享楽はないので
花札をしたりトランプをしたり
酒を飲むことくらいしか楽しみがない
子どもの前では変なことも出来ないし
しかし子どもは雪に降られてどこにも行かないしで
ストレスは貯まる一方だ
猫をなでるくらいしか慰めもない
内職でもしようかというわけで何か始めるけれど
肩が凝る割に儲けにもならない
気がつくと子供ばかり増えている
雪は降り止まず
風も心の深くを吹きすぎる
モラルハザード
モラルハザードは
起こす側も悪いんだけれども
起こすような環境を作っておいたほうにも責任の一端があると考えられる
人間管理技術の問題なのだ
ーー
人間を信用できたらいいなと空想し
信用してみて裏切られ
そしてまた人間不信を深くし
だからこそまた人間を信用できたらいいなともっと強く空想し
そんなことを何回か繰り返す間に人生が終わる
というわけでもう終わりも近いです
暑い夏の六本木の坂
暑い夏に何かの手続きで保健所か何かに
六本木の坂を登って歩いた記憶があって
思い出すことがある
東洋英和という学校があってその脇を通った記憶がある