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山田選手はかなり練習させられていたらしいよ 私がスミスです

採録
どの分野も専門の人はすごいものだ

ーーーーー
 「私はスミスです」と「私がスミスです」は、どう違うのですか?

 いきなりだが、日本語を勉強している外国人にこんな質問をされたとしよう。「は」と「が」の違い。文法の授業で習った気もする。しかし、普段そんなことは意識せずに使っているわけで……はたして、どう答えるのが正しいのだろうか。

 日本語の文法に基づけば、「○○は××です」の場合、「○○」部分には話し手と聞き手が了解済みの古い情報が入り、「××」に新しい情報が入る、という説明になる。これは「何」「誰」のような疑問を示す単語を用いて会話文にしてみるとわかりやすい。

 Aさん「あの人は誰ですか」
 Bさん「(あの人は)スミスさんです」

 このとき、「○○」にあたる「あの人」は言わなくても通じている。換言すれば「スミスさん」こそがAさんの聞きたい(Bさんの伝えたい)新情報であるというわけだ。

 「○○が××です」という場合はその逆で、「○○」が新情報になる。これも会話にしてみると、

 Aさん「誰がスミスさんですか」
 Bさん「私がスミスです」

 となり、ここでは「スミスさん」なる人物を話題にしていることは双方が了承済みで、Bさんの発信した「私」がAさんにとっての新情報である。

 日本語が母語であれば子供でも「が」と「は」を無意識に区別しているが、こうして筋道を立てて考えてみると、我々日本人は何が新情報で何がそうでないかを瞬時に判断し、それを助詞ひとつで表現していることがわかる。

 こんなふうに、本書は、外国人が学ぶ「外国語」という視点から日本語を見つめ直し、ネイティブスピーカーではなかなか気づくことのできない日本語の特徴や面白さを改めて認識しようというものだ。

ーーーーー
「山田選手はかなり練習させられていたらしいよ」

 日本語は述語(誰か・何かが「どうした・どんなだ」に相当する部分)が最後にくる言語である。そこに使役や受け身など様々な要素が加わると、述語は長く複雑になる。ネイティブスピーカーである我々なら感覚的に理解できるだろうが、外国人にしてみれば、この文章はとてつもなく難解に映るようだ。

 上記の例文の述語を文法的に解析すると、「させ」「られ」「てい」「た」「らしい」「よ」の6要素にわけることができる。

 まず「させ」だが、これは「する」の使役形であり、ここからは山田選手に働きかける他者(おそらく監督)の存在が見てとれる。続く「られ」は受動態だから、元々山田選手には練習する意志がなかったことがわかる。

 「てい」は、ある動作や出来事がどの局面にあるかを表す「アスペクト」という文法形式で、ここでは動作が進行中であることを示しており、次の「た」でそれが過去の出来事であったことを明かしている(つまり過去のある時点において練習を継続して行っていた)。

 そして「らしい」で視点が山田選手から話し手に移り、練習の様子が推測や伝聞であることをほのめかし、最後の「よ」では、さらに話の聞き手に対する念押し的なニュアンスまで込められている。

 何気なくしゃべっているような言葉にも、これだけの情報がつまっていたとは……と、日本語の豊かさを改めて実感するとともに、「ここまで完璧に把握した上で外国人に教えている日本語教師ってスゴイ!」と、素直に感心してしまった。


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人たらし

女たらしというものがいて困るらしいが
人たらしもいてこれはこれで困る

人が褒めてもらいたい、認めてもらいたい要所を見抜き、さりげなく口にできる

人の話を丹念に聴く能力

自分の自慢話ばかりしている人は、人たらしには絶対になれない


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中国は世界の縮図

中国のすごいところは
中国そのものが世界の縮図だというところで
トヨタもベンツもパナソニックもノキアも
似たものならば何でもあり
ミッキーマウスに似たものもいて
充分間に合う

一国で間に合うから何も怖いものはない

濃縮されているというより
若干の劣化コピーなのだけれども
それで満足ならば何も問題はない

何か問題はありますか?
というような具合だ

私は満足だというなら
それ以上なにもない


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イラン制裁強化法

 イランの核開発に対する国際社会の制裁は新たな段階に入っている。展開によってはイランへの金融制裁発動=イラン原油の輸入停止などの事態も想定される。

 6月9日、国際連合はイラン制裁の追加措置を含む安全保障理事会第1929号決議を採択した。

 7月1日、オバマ大統領は米議会が可決したイラン制裁強化法に署名し、国連制裁を上回る米国独自のイラン制裁が発効した。米国はEU、カナダ、オーストラリア、日本などに独自の追加制裁を求めている。

 これを踏まえて、EUは7月26日に独自制裁を実施した。初めてエネルギー分野の制裁が盛り込まれ、石油精製やLNG(液化天然ガス)製造にかかわる新規投資や技術移転が禁止された。

日本はどう対応するのか。米国の要請に対応し、EUの制裁を横目で見ながら、それより穏健な方向で、国連安保理決議第1929号にプラスした独自制裁を秋口に実施することが予想される。

 日米同盟を堅持するという立場の日本だが、イランとの関係は良好であり、イラン指導者の子弟が日本に留学するなど、両国の交流は活発である。日本の原油輸入先としてはサウジアラビア、UAEに次いで3位。原油輸入量の約12%を占める重要なエネルギー供給国だ。日本には苦い経験がある。06年に米国の圧力もあり、アザデガン油田権益の65%を放棄したが、その分を中国が09年にそっくり獲得した経緯がある。

 仮にイラン原油の輸入停止という制裁を日本が実施しても、その原油を「爆食」中国が購入すれば、実効性が薄れる。米国とイランの狭間で、日本は困難な立場に立たされている。

ーー
というような記事があった
そろそろその秋口なのだろうと思うがどうなるのか


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都市計画実現

函館の街で思うのだが
見事な大通り

聞いてみると火事が起きて延焼しやすいので
道を大きくして防ぐのだという

横浜の街も中心部は広くて綺麗だ

ーー
家事で焼けたあとや戦争の空襲の跡などは都市計画実現のいい機会だと思うが



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アメリカ発

日本は戦後65年間、対米従属で保身を図ってきた日本国民と、
それ以外の一般国民に分断され続けてきた。
この国の格差社会の本質はそこにある。

との意見
それだけではないだろうが
確かに一部はアメリカ発の指令や情報だ
でもそのアメリカの実体はどんな人達なのかと思うが


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北朝鮮のY遺伝子

北朝鮮では世襲の決定があり
世襲ということは最大ライバルはそれ以外の血縁との見方があり
いつものように粛清の話

その関係でY遺伝子のつながる人たちの写真が放映される

母親にあたる人はそれぞれ美人なのだが
なぜかみんな似てしまうようで
強力なY遺伝子

母親似がいてもいいのに


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マグロ資源枯渇

若い頃、といっても30歳の頃
まぐろのサクを買ってきてだんだん小さくして食べたわけだが
精力にはかなり関係していたと思う

年をとると何を食べても関係ないのだが
そのマグロが資源枯渇の危険にあるという

ーー
乳製品を多く摂取していると脂肪分が体に適度につくので
最近の人は乳房が充実している

ーー
乳房についてはライトで照らして静脈が青くきれいに浮かび上がる様子がいい


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人生が短すぎる

本も映像も溢れていて言説も物語もたくさん
人生が短すぎる


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タバコの匂い

部屋にいて窓を開けているとタバコの匂いがする
女子大生なのにどうしてタバコか

後輩によれば
最近は女子高生も息がタバコ臭いのだという

子供さんを生むまでは気をつけたほうがいいらしい

東京に住んでたばこの煙もあれば
鼻毛も伸びる


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お魚の精神医学

お魚の精神医学ということで
とりあえず水族館など廻っている

昔から有名な話では
魚の群れを観察していると
むれから離れて孤独なのがいて
それが一種の精神病なんだとか言った人がいて
それはそう言う人もいるだろうが
そんなことをおもしろがって再度語る神経が信じられない

それはそうとして
神経の研究では魚が結構使われる

魚の心臓につながっている神経を一旦切って
それが再度つながるまでの経過を研究していた先輩がいて
ひとりはうなぎでひとりはどじょうだった
どじょうを選んだ人は出来れば自分もうなぎをやりたかったと言っていた

神経を切ったあとで他の病気にかからないように大切に育てる

そんなわけで魚の神経学は多少はあるのだが
精神医学となるとこれからだ

ストレスで病気になりやすくなっていて
抗生剤を大量に使う話は有名

お魚の気持ち

妄想的な魚はいるはず



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米国軍需産業に食い物にされる

採録

ーーーーー
サウディアラビアとかけて日本と解く。その心は。

 どちらも米国軍需産業に食い物にされている哀れな国、である。

 9月13日付の米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが、米国がサウディ
アラビアに対し約5兆円の兵器を売却する計画を週内にも米議会に通告する見通し
だという。なんでも米国の武器売却史上最大の規模だという。

 そんな兵器をどの国に対して使うつもりなのか。

 イスラエルを標的に武器を購入するとでも言うのか。ばかな。米国はそれを
認めない。サウディアラビアがイスラエルと戦っても勝ち目はない。

 サウディアラビアが中東の近隣国との戦いに備えて購入したとでも言うのか。それも有り得ない。

 王制サウディアラビアの転覆を狙う「テロと戦い」はあり得る。しかし
「テロとの戦い」に戦闘機は役に立たない。

 要するにまったく無駄な武器購入をさせられているのだ。

 この売却計画が予定通り進めばボーイング社は米国44州で計7万7000人
の雇用が確保できるという。

 金融破たんで行き詰まった米国への財政支援なのである。

 そう考えた時、真っ先に思い浮かぶのが日本だ。

 日米同盟はもはや米国が日本を守るための同盟ではない。米国の「テロとの戦い」
に協力させられる軍事同盟だ。

 米国から購入する最新兵器も不必要で高い買い物である事はサウディアラビアと
同様だ。

 しかしサウディアラビアは王族支配の非民主国家だ。

 武器購入代金は石油で得たあぶく銭だ。

 日本は違う。まがりなりにも民主国家だ。

 その米国の武器購入費は、苦しんでいる低所得者からも容赦なく召し上げる血税
である。

 同じ米国に食い物にされる国でも、日本の場合のほうがはるか深刻でたちが悪い。

ーーーーー
戦争をすれば強い
戦争しないときはやや古い兵器を売る

買わないなら戦争





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人生に遅すぎるはない気付いた今日が一番若い

人生に遅すぎるはない

気付いた今日が一番若い


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オクラホマミキサー(わらの中の七面鳥)

オクラホマミキサー(わらの中の七面鳥)

面倒くさい手作業をしていて
頭の中はずっとオクラホマミキサー

Turkey In the Straw


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仮説、事実、訂正、再仮説

検察の手法は、予想を立てて、それに一致した証拠を集める。
予想を立てて、事実と比較し、予想を訂正していくのが、正しいが。

人間は根底では予想を訂正しきれないものだ。
何かを思い込んでいれば、それに対して都合の悪い事実は無視したり、ねじ曲げたり、
いくらでもへりくつを考えつくのが人間というもので、
それも無意識のうちにやってしまう
全員が科学のように、仮説を立て、事実と照合し、訂正し再仮説を立てる、というようなプロセスを守っていたら
人類はとてもエレガントな存在になっていただろうと思う。

自然が相手だとへりくつを言い張っていても
ドングリは集まらないしイノシシは逃げてしまう
しかし人間が相手だとへりくつが通ることがあって
そのことでその人間を支配すれば
その人間の筋肉労働で食べていくことができる

恐ろしいことだ

ーー
恐ろしいぜよ

ーー
事実と照合して仮説を訂正するのが
脳の賢いところだ

脳の発達が悪いと
仮説が間違っていたら進化論的に命そのものが淘汰されてしまう

脳の中であれば仮説を捨てるだけでいいので
命は守られる
その方がずっといい



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検察の筋書き

採録

三井環さん:大阪高検の公安部長、検察の裏金問題を告発しようとした
その日は、夕方、テレビ朝日の番組に出ることになっていた。そしたらその直前に逮捕された。

西松建設事件で失敗してしまった。いってみれば一旦拳を振り上げてやっつけようとした人間を潰せなかった。その潰せなかった人間が大きな力を持つようになったら、それは報復されるんじゃないかっていう思いがありますね。

田中派のいわば中枢にいて、田中派のやり方を今もやってると、検察はこう思い込んでいるんですね。少なくとも検察との関係は良くない人間で、もし彼が政治的に権力を握ると検察にとって大変なことになるという危惧感はあったかも知れないですね。

検察が成功したというよりも、検察が小沢氏の事件に関しては力尽きたわけですね、不起訴で。その後今度は二段ロケットとして、検察審査会というロケットがボンと噴射したわけですよ。それを使ったメディアの反小沢キャンペーンが成功してるっていうことじゃないですかね。


新聞が、明らかに検察の関係者がリークする、そういう記事を書くときに、「関係者によれば」とか「検察関係者」と必ず書かない。何故だってある新聞記者に聞いたら、検察関係者と書いたらその新聞の司法記者は出入り差し止めだと。

今のメディアの構造、新聞とかテレビを巡る構造を考えると、そうなってしまうのもやむを得ないと思うんですね。要するに、メディアの構造自体が完全に単一化、単純化されているわけですよ。検察の問題を扱うんだったら、司法クラブと司法クラブ出身者の遊軍で検察幹部と親しい記者たち。

 この人たちが完全に新聞の紙面もテレビの画面も抑えてしまう、支配してしまうんです。ですから、その人たちっていうのは考えてることが検察と変わらないです。特捜検察と同じ方向を向いているんです。

昔、佐藤欣子さんという元検事がおりまして、佐藤誠三郎さんの奥さん。その佐藤欣子さんが検事になるときに先輩から教えられた。検事っていうのはね、つまり作るんだと。

 想像力をフルに発揮して作るんだと。小説家みたいなものね。で、それが正しいか間違ってるかは裁判でやればいいんだと。やっぱり郷原さんも作家のつもりで作っていくんですか、検事っていうのは。

私もやっぱり昔を振り返ってみると、ずいぶん作りましたよ。自分がこういうストーリーじゃないかということを思い描くっていうことはずいぶんありましたよ。で、実際に被疑者とか参考人の側に、こういうことじゃなかったのかと話して、最終的には向こうがそれに納得すれば署名をする。

 それで調書が出来上がれば、供述が取れたということで捜査を進めていったという面はありましたね。

 もともとは去年の3月の西松建設の事件の時点では、小沢さんは野党の党首でした。だからマスコミも検察に対して、「何とか小沢さんやっつけて欲しい」と思いながらも、「自民党の肩を持つようにして、野党の政治家をことさらにやっつけるたんじゃあ国策捜査じゃないか」という見方がずいぶんあった。必ずしも一枚岩にはならなかったです。

 ところが政権が変わって小沢さんが民主党の大幹事長になってからは、もうとにかく小沢さんに対して検察が攻撃を仕掛けるのは正義だ、という話になっちゃった。

検察は小沢さんという政治家が政治権力を持った途端に「権力者には徹底的に自分たちは立ち向かうぞ」とやりはじめたわけじゃなくて、去年の3月から一貫して小沢さんを狙っているわけですよ。そのことを忘れちゃいけないと思うんです。

そういう組織の中にいると、どうしても「自分たちが考えたことが正しい」と思いこんでしまったときに、誰も「そうじゃない」と指摘してくれないわけです。

ーーーーー
検察が検察を調べるって
ノートンがノートンをスキャンするようなもので




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まず自分が幸せになること

他人の事に腹を立てているのは
要するに自分が幸せではないからだと思う

まず自分が幸せになること

そうすれば他人がどうでも腹も立たない


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日本語の崩壊

日本語の崩壊の原因はいくつかあるけれど
pcでのローマ字入力が悪いのではないかと思う




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会社というもの

採録

パナソニックの社長を、どっかの企業が引き抜きに来るかといえば、来ない。こんなの経営者と言わない。いや、パナソニックだけじゃないですよ、トヨタの豊田章夫さんを、どっかが引き抜きに来るかといえば、来ない。もっといえば日本の経営者の多くは新入社員で入って、30数年間社員として働いて、運がいいと経営者になる。問題は、よく言うんですが、日本の場合、経営者になる条件って私は4つあると思う。

一つは30数年間失敗しないこと。企業を取材していたとき、この男はおもしろい、っていうのはいたんですよ。でも彼らは、その後、だいたい常務止まりなんです。なんで常務止まりかというと、こういう男はチャレンジするんですね。チャレンジすると失敗もある。その段階で、日本ではアウトですよ。

2つ目。経営者になるにはね、人づきあいがいいこと。人当たりがいい。だから、悪口を言われないことなんですよ。だいたいね、業績を上げるとか、会社に変革をもたらす人は個性的な人が多い。だいたい個性的なのは、褒める人もいれば、貶す人もいる。貶す人がいたらだめなんですよ、日本では消去法ですからね。貶す人がいない人が社長になる。
3つめは運がいい、そして4つめには力がある。こういう人が社長になる。だから彼らが考えるのは、まず失敗したくないということです。

経営者も調整役だから自分で決定をしない。会議ばっかり何度もやる。
同じ釜の飯30年の人間だけで役員やってると、全員が食中毒にかかっちゃうことだってあるんですよ。

日本の一部上場企業の経営者には、夕食を自宅で取る人はほとんどいない。ビジネスですらない、"つきあい"で忙しいからです。土日は必ずゴルフ行く、これもまた"つきあい"なんですね。ずっと気持ちのいい人、仲間とばかりつきあってるから、それが自分の世界になってしまうんです。会社の外の友だちも全部同年代なんです。これがまた決定的に問題です。今まで日本的経営とか積み上げで内部調整、そういうのでなんとかやってこれたんだけど、今はできない。

ITで今、一番危険なのは食わず嫌いなんです。「なんか流行ってるらしい。だけれど、オレは使ったことがない。だからあれはダメだ」というのがダメなんです。

自分よりできる男を雇い、それを後釜に据えることが本当の経営者のやることだと思うんですよ。

思いきって勝負かけなきゃいけないんです。ちょろちょろっと勝負かけちゃだめなんです。

「ニッポン」って言葉を社名につけてる会社は世界企業になれないって言ってるんですよ。「ニッポン」だもの。NTTは「Nippon telephone Teregraph」でしょう。Teregraph=電信なんてついてちゃだめですよ。いつの時代なんですか。社名は"名は体を表す"ですけど、やっぱりブランディングってすごく重要だと思うんですね。

そういうところもやっぱり経営の意識です。、新しい技術に対する開発もそうです。去年の延長線上に今年、今年の延長線上に来年という高度成長期のやり方は、20年前に終わっちゃってんですよ。去年と同じことやっててもだめなんです。




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他人は何を考えているか

簡単に言うと
他人が今どう思ってどう感じているかを知るために
人間は自分の心を参照して
こんな時はこんな風に考える思う、だから他人もそうだろうと知るわけだ
だからその参照する自分の心というものが一般の他人とかなり違っていたら
他人を理解できないことになる

こころのモデルに即して言えば

秋深し隣は何をする人ぞ

というわけだが
かなり共有できているから
深い秋の中にいての気持ちの共感がある

何しているか分かんないとか
何が問題なのか分かんないとか
何に悩んでるのか分かんないというのだと
自分の心しか知らないと言うことになる

ところが治療者も人間でしかないのでよくトレーニングされていないと
自分が基準になってしまう

それでもいいのは偶然同じ考え方とか同じ感じ方をする人同士が
治療者となり来談者となった場合である







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内田 樹 「腐ったマスメディアの方程式」

内田 樹 「腐ったマスメディアの方程式」
君たちは自滅していくだろう

 日本のメディア業界は、新聞も、図書出版も、テレビも、きわめて厳しい後退局面にあります。ビジネスモデルが、一変してしまいました。とにかくもう業界的には「先がない」状態だと思います。お気の毒ですけど。

 その最大の原因は、ネットの台頭よりもむしろ、従来型マスメディア自身の力が落ちたこと、ジャーナリストたちが知的に劣化したことで、そのためにメディアそのものが瓦解しようとしているのだと思います。

 先日の民主党代表選の報道でも、とても気になったことがありました。

 菅直人総理はじめ、政治家のぶら下がり取材をしている記者たちが、とにかく若い人ばかりなんです。

 20代から、せいぜい30代前半まで。ちょっと前までバラエティ番組で司会をやっていたようなアナウンサー出身の記者までいる。

 政治というのは経験の函数ですから、それだけ若い記者が政治イシューについて深い洞察を含んだ質問をすることなど、できっこないですよね。

 なぜこういうことになるのかというと、現場の記者に求められている取材能力レベルが格段に下がっているからに違いありません。

 新聞は、「こうやって書け」と定型の文体をまず徹底的に教え込み、その通りに書かせている。定型ですから、取材能力などなくても、必要最低限のことを聞けば、ある程度の記事は書けるわけです。

 一方テレビは、「メディアを足蹴にして不機嫌な顔で立ち去る政治家」のような、感情に訴える画を常に欲している。

 落ち着いて縷々政見を語るとか、その政治家の本音のようなものはシャットアウトして、ただひたすら感情的な場面ばかりを伝えようとする。

 だからテレビの政治記者は、トンチンカンなことを平気で聞ける図々しさが必須ということになってくるんでしょう。政治家がそれに怒ってくれたら、思うつぼなんです。

 昨年流行した新型インフルエンザを巡る報道にも、非常に危険性を感じました。専門家たちが、「まず情報を集めて、分析し、危険性を見極めなくちゃいけない」と言っているにもかかわらず、メディアは「新型」というだけで大騒ぎしたのです。口蹄疫でも、同じ騒ぎが繰り返されました。

 いまの報道は、「浮き足立て」、「興奮しろ」、「取り乱せ」ということを要求し、平静にやっていると、「緊張感がない」と怒り出す。冷静に物事の真相を見ようという姿勢とは程遠い。失礼ですが週刊現代も、その例外ではありません。

 こんなことをやっていたら、狼少年と同じで、本当に危険な災害、流行病が来たときに、どんなことが起こるかわかりません。

 そもそもメディアは、本能的に変化を好みます。

 社会が変化しなければ、メディアに対するニーズがなくなるからです。だからメディアは、有名政治家が失言したり、朦朧会見することを望み、乱が起きることを待望し、あらゆる社会システムに「改革」を要求して、社会制度の変化を無条件に良いことだとして、常に変革を求めます。

 しかし、はっきり言って、医療、教育、司法などの現場で地道な下支え的仕事に携わっている人たちの実感からすると、メディアにはもう、かかわってほしくないというのが偽らざる本音なんです。

 私は20年間教師をやってきましたが、「メディアのおかげで教育環境が良くなった」と思ったことは一度もありません。いま日本に100万人以上の教師がいますが、メディアのサポートのおかげで教育環境が整備されたと思っている人は1%もいないでしょう。

 医療関係者も同じです。おそらく、公務員もそうでしょう。毎年のように「改革」を要求して、現場に過剰な負担を強いる。これだけ憎まれているのに、日本のメディアは反省がなさすぎます。

「自分の手は汚れている。カネ儲けのために、若干、あざといことをやっている」と意識があればまだマシですが、一番怖いのは、「自分の手は汚れていない。自分は正しい」と思いこんでいる人たちです。テレビのなかでニュースキャスターたちが、

「こんなことが許されていいんでしょうか」

 と眉間に皺を寄せるシーンがしばしばあります。私にはこれがどうにも許容できない。この発言には、自分はこんな酷い事態にはまったく関与していませんよ、という暗黙のメッセージが含まれている。自分が無垢であることを装う演技性が、どうにも我慢できないんです。

 いま、若い人たちが新聞を読まなくなり、テレビを見なくなり、雑誌を買わなくなっている。一人暮らしの20代の人で、宅配の新聞を取っている人などほとんどいない。それはネットに客を奪われたからではなくて、「偽善的な定型」に安住したメディアの報道に胡散臭さを感じ取っているからだと思います。

 私自身は、民放テレビ局の番組を見ることはほとんどなくなってしまいました。とにかく音がうるさくて、出演者たちの声が癇に障ります。おそらくCMの音量が上がっているので、それに併せて番組の音量も上げているのでしょうが、まったくの悪循環。

 民放は、そういう作り手の配慮の足りなさが際だっています。周りの人との会話でも、民放の番組が話題になることはまずありません。

 その点、最近のNHKは、ターゲットをかなり限定した番組作りをしているように思います。ときには、「この番組は数万人見てくれればいい」と割り切った番組作りをしている。

 だから、マスメディアなんだけれども、部分的には、「数千人から数十万人程度の規模の特定層に向けて発信される情報」であるミドルメディア的な機能を有しています。結果的には、それがすごく成功しているような気がします。

 ミッションステートメント(綱領、行動指針)をはっきりとさせることで、10人中9人には嫌われても、選んでくれた1人にとことん気に入ってもらい、リピーターになってもらう。これからの時代は、そういうメディアが生き延びていくことになるでしょう。それはインターネットだけでなく、いろんな形態があり得るのです。

 ヨーロッパから日本に帰ってくると、新聞のレベルがいきなり急低下してしまうので、本当にガッカリします。『ル・モンド』や『ガーディアン』は日本の新聞のように巨大な読者数ではなく、リテラシー(読解力)の高い少数の読者を想定し、それに向かって発信しているから、ずっと高いクオリティが維持されている。

 それでも経営的には厳しい状況にあることはたしかですが、日本にも、少数ながら強いサポーターがついているクオリティペーパーのような新聞が必要でしょう。

 僕らが学生だった'70年頃、片手に朝日ジャーナル、もう一方に少年マガジンを抱えていましたが、それで大変バランスが良かった。これからは、そういうクオリティの高い活字のミドルメディアにぜひ登場して欲しいと思います。

 テレビは、先にふれたようにNHKはすでにミドルメディアに対応し、番組ごとにターゲットを変えています。民放もこれからはミドルメディア化し、旗幟鮮明にしていかなければ、生き残ることは難しい。

 いま出版社は、「本が売れなくなった」と大騒ぎをしています。図書館に配本するのを規制しようとか、ネット上に流出するのを防ごうとか、新古書店を敵視したりしていますが、根本的に出版メディアの側に欠如しているのは、読み手に対するリスペクトだと思います。

 著作権に対する出版社の発想は、無償の読者を読者としてカウントしていません。それどころか、「盗人」として捉えてしまっている。僕に言わせれば、「図書館で本を読まれたら、おカネが入らないので大損だ。

 だから、図書館にはなるべく本を配るべきじゃない」と考える人には、物書きの資格はありません。図書館は出版文化の支え手です。それを敵視するなんて言語道断です。

 物書きや出版社にとってまずは高いリテラシーを持った読者層を、いかに形成するかがすべてのスタートなんです。

 どんな人もまず無償の読者として出発し、長い時間、場合によっては20年以上をかけて有償の読者に変化します。カネを払わずに本を読み続ける行為を通してリテラシーを形成し、その後にはじめてカネを出して本を買うという行為が始まるわけです。

 出版メディアは、そのプロセスにこそ投資をしなくてはいけません。いまの日本の出版危機というのは、その読者層の形成に対して、十分に配慮してこなかった結果なのではないでしょうか。(談)

ーーーーー
JALの次は築地新聞ではないかとの話です







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目的反応としての「軽症うつ病」

目的反応という適切な言葉を提示している
今のところ読むだけ
目的反応(と異常心因反応)とうつ

誰がどのような手順で区別することが可能であるか

*****
臨床精神医学37(9):1249-1255、2008
目的反応としての「軽症うつ病」
古茶大樹
抄録:職場のストレスに反応して生ずる抑うつ反応の一型をとりあげた。この病態は、長期休職者の一部を構成するもので、企業や社会にとって大きな問題となっている。初期には今日の操作的診断基準で「軽症から中等症のうつ病」と診断され得るが、その内容を精神病理学的に検討する限り、これらは真のうつ病として扱うべきではなく、正常心理の枠内で生ずる目的反応として理解すべきものである。個体の性格傾向、状況、ストレス体験、初期反応、症状の慢性化について論じ、クルト・シュナイダーとエルンスト・クレッチマーの論考を援用し、この病態を精神病理学的に検討した。保身の心理が背景にあるために、うつ病の基本的治療指針である「症状がよくなるまで無理をせずゆっくり休養する」という医師の指示は、症状の慢性化を助長する可能性がある。治療は脱疾病化と本人の回復への意志を支える地道な精神療法である。
Keywords:軽症うつ病(mild depression)、目的反応(purposive reaction)、職場のストレス(work place stress)、抑うつ反応(depressive reaction)、病人の役割(sick-role)

1 はじめに
なぜこれほど多くの偽りの抑うつ、あるいは偽りのものとなった抑うつがみられるのだろうか。その理由はおそらく、苦しみを訴えて医師を受診する人は、総じて逆の意味で選り抜きだからだろう。悲しみを「疾患」と考え、こうした方法で転嫁するなど、昔の世代の人は思いも寄らなかっただろう。今日でも、自分の運命を自身に課せられた課題・責任と見なす成熟した人であれば、そうしようとはしない。もっともなことであろう。(クルト・シュナイダー『臨床精神病理学』針間博彦訳、p47)

この一節は、大きなストレス体験をした後の無力性の病像を呈する患者の中心自ら進んで医師に苦悩を訴える患者を評したものである。今日の気分障害の概念に疑問を感ずる、あるいはcontextを考慮しない今日の操作的診断基準そのものに問題意識をもつ医師にとって、この一節は共感を呼ぶ。シュナイダーにいわせれば、これら「偽りの抑うつ」は厳密に循環病性抑うつとは区別すべきものである。仕事上のストレス、対人関係のストレスなどで、失望・落胆し、あるいは怒りをにじませ、医師に[うつ病]の診断書を要求する患者は少なくない。今日、気分障害と診断される患者の中に、シュナイダーの指摘する「偽りの抑うつ」が含まれている可能性は否定できない。しかしながら、重大な問題は患者の側にあるのではない、理由のある悲しみを「疾患」とみなすことをアカデミズムが承認していることにある。

HorwitzとWjkefieldは共著The Loss of Sadness の中で、悲しみがいかに疾病化pathologizeされたかを多角的に分析し、その弊害を述べている。うつ病の長い歴史の中でも、理由のある悲しみは精神病としての躁うつ病とは厳密に区別されてきたことをわれわれは忘れるべきではない。

ここで取り上げる目的反応としての職場の「軽症うつ病」は、おそらく企業における「うつ病」による長期休職者の一部を構成している。さらには、昨今の「うつ病」の急増とも関係があるだろう。患者は控えめで良心的であり、診断書目的に受診するような積極的な(意図的な)「偽りの抑うつ」ではない。理由のある悲しみ、抑うつ反応に始まり、それが正常心理の機制を経て慢性化(自動化)する病像である。横断面の症状からすれば今日の気分障害(程度が軽ければ適応障害)に相当するが、症状の発生と経過をよく吟味するならば、目的反応Zweckreaktjon(独)purposive reactionとみるべきものである。症状の自動化には、少なくともその出発点においては自己欺届(抑圧の機制)が作用しており、その意味では消極的な「偽りの抑うつ」ということもできる。

なお本文中、括弧つきの「うつ病」は操作的診断基準による広義の「うつ病」を、括弧のないものは狭義の、精神病という意味での内因性うつ病を示す。まず筆者が複数の症例観察を通じて得られた所見を一般化してこの病態の諸特徴を述べ、続く考察では精神病理学的な検討と治療について言及する。

2 個別の症例観察から得られた所見をもとに、再構成されたこの病態の諸特徴
1.個体と背景
症例は大企業の健康管理センターに通院中の患者でいずれも休職中である。おおまかに患者の特性と環境についてまとめる。多くは、入社して1~2年程度の新人女性社員である。性格特徴は、従順、素直、控え目、大人しい、良心的、協調的、自己主張しない、辛くても我慢するなどと評される人物で、新人社員としては歓迎されるタイプであり、仕事も丁寧で人当たりもよいので周囲の評判もよい。就職以前の人生行路は、社会適応・対人関係ともに良好で、人格障害にあたるはどの偏った特性はない。

多くの場合、彼女らは相当な努力をし、希望を抱いて入社しており、客観的にみてもその職場の社会的ステイタスは高い。この背景は、簡単にやめられない、あきらめられないという状況につながっている。さらに付け加えると直属の上司は男性である。入社してまだそれほど時間が経っていないということは、新人社員として新しい職場への適応を努力している過程にあり、自己の職業的なアイデンティティを確立する途上にある。持ち前の従順さで周囲との摩擦もなく、順調に進んでいるところへ、辛いストレス体験・状況が生ずることになる。

2.原因となるストレス
抑うつ反応を引き起こす体験刺激は、特有な職場のストレス状況である。具体的には、ミスを上司からきびしく叱責される、困った状況に陥っているのに周囲からのサポートがない、窓口で客からひどい仕打ちにあうなど、職業アイデンティティの形成に深刻なダメージを与える性質のものである。いずれの場合も、上司はなんらかの関係があるのだが、彼女らの性格傾向ゆえに、辛いこと・納得がいかないこと・助けてほしいことがあっても男性上司に強く訴え出ることをしない、本人の感覚では「そうすることはできない、わがままをいうべきではない」と感じている。このストレス体験を受けても、彼女らは傷つきながらも懸命に努力する道を一旦は選択する。そして「失敗してはいけない」「もっとしっかりしないといけない」「自分が努力しなくてはいけない」というさらなる緊張状態に自らを置くようになる。

3.抑うつ反応
上記のストレスに遭遇して、まず抑うつ・不安感、涙もろさ、あるいは意気消沈といった負の状態感情が出現する。さらに、動悸や下痢・嘔吐といった器官の反射充進症状、無月経などのストレス性の身体症状が認められ、食欲低下や睡眠障害も併発する。ごく短期間にこれらの症状から回復する例はおそらく無数に存在し(それが一般の健常者であろう)これらは医療化することもかく社会的問題にもなり得ない。しかしながら、一部に重症度・症状の持続期間を含め、「軽度から中等症のうつ病」の今日の診断基準を満たすケースが存在する。出社することが辛くなり特に朝になると具合が悪くなるので日内変動があるようにみえるが、それでも出社しようと努力する。仕事への自信がなくなり、自己価値感情もまた低下するが、それは職業についての自信のなさに限局しており、深刻な自殺念慮にまで発展することはない。怒りは意識の中心にはのぼらず、自分に適応力がないと悩み、上司や他者を責めようとはしない(他罰傾向がない)ことも特徴的である。こうなると周りからも明らかに調子が悪そうにみえるので、精神科受診を勧められることになる。本人は、この段階では自分の心身の不調を「病気」とは捉えていないことが多い。

精神科を受診することには大きな意味があるのだが、それは後述する。患者を診察した精神科医は「うつ状態」ないしは「うつ病」、あるいは「心因反応」の診断を下し、自宅での休養を進言するのほまちがいない。そして職場を離れてゆっくり休養することは、初期段階では確かに効果があり、一連の症状は消失するまでいかなくとも軽減する。しかし、その休養期間中にあっても、職場に戻ることを考えない日はなく、それを考え始めるとひどく落ち込むし、症状(反応)がぶり返すことになる。はっきりとした職場恐怖の形を取ることも少なくない。

4.症状の慢性化一自動化
さて抑うつ反応であるとすれば、職場を離れて過ごすことで少しずつでも症状は改善してくるはずである。しかしながら、すでに初期病像に含まれている職場恐怖が症状の改善を遅らせることになる。「これ以上傷つきたくない、職場にいきたくない」という保身の心理が働いていることは、患者がそれを明言しなくとも感じ取ることができる。これが患者の良心との間に葛藤を生じているようにみえる。患者の自己申告に基づけば、病像は、抑うつ、寝込む、意気消沈に加え、引きこもり(対人接触を制限する)、楽しみの制限、他人と比較してさらに落胆するといった様相を呈するようになる。診察室では、症状が十分に改善しないこと(復帰の意志はあるが、それができないこと)をすまなさそうに語るが、これは診療の場が、職場とつながっている健康管理センターであることと関係があるかもしれない。症状の改善が不十分であることから、医師はさらなる休養の必要性を説く(「症状が改善してくるまでゆっくり無理をせず休養しなさい」)ことになり、薬物の調整を行うだろう。しかし、抗うつ薬は十分な効果を発揮することはない。患者は医師からの助言に従い、無理をせずひたすら休養するようになるのだが、症状には改善の兆しすらみえない。病状はほとんどが「軽度から中等度のうつ病」にとどまるので、入院治療するでもなく自宅療養が延々と続くパターンが多い。職場恐怖の自覚はあるので、退職という着想は意識には上るものの、やっと手に入れた職場なのだし、再就職できる見込みも確実ではない、簡単に辞められないという未練がある。これらの患者は退職よりも長期休職を選択する。いずれのケースも、経済的な側面はなんらかの形で安定したサポートがあり、無理をして出社しなければならない事情がない。またこの休職期間中に結婚したケースもある。そのようなケースでは本当にうつ状態なのだろうかという疑いがつきまとうが、彼らの申告が事実をありのままに述べているとするならば、彼らの生活の態様は主婦としての最低限のやるべきことはこなしているが、健常時と比較するとやはり明らかな制限がある。この時期になると、職場復帰が診察場面で話題に上ることも全くなくなってしまい、医師は患者の症状の評価と果てしない薬剤の調整に苦心するような状況に陥りやすい。ケースによっては、この状態で1年以上に休養期間が延びてしまうことすらある。以上が、個人の特性、背景、症状の起始と経過である。治療的試みについては次項の考察で述べる。

3 考察
1.精神病理学的検討
シュナイダーは、ある状態が特定の体験による体験反応であるかどうかの判定基準として次の3つの項目を挙げている。
①原因となった体験がなげれば、その反応性の状態は出現しなかった。
②状態の内容、主題はその状態の原因と了解可能な関連がある。
③その状態の時間的経過は原因に依存する。特に原因が解消されると、その状態も終わる。
第1の基準は必須、第2の基準は必須ではないが、体験反応が存在することの重要な手掛かりとなる。そして第3の基準についてはすべての体験反応に当てはまるわけではない。第2の基準については、特定の体験以後、悲哀的抑うつ気分が存在している場合、原因となる体験が思考の内容、抑うつ気分の主題を形成していないことがわかれば、それは体験反応ではなく、誘発されたうつ病を考える。うつ病が体験によって誘発される場合、その体験はいつまでも思考の内容であることはなく、体験がなくなっても抑うつは改善しない。誘因となる体験と自己苦悩の重症度との間にも、適当な関係がないことが多いとシュナイダーは指摘する。これらが、抑うつ体験反応と誘発されたうつ病との鑑別点である。

ここで提示した病態は、上記の第1・2基準を満たすことは明らかである。筆者もこの第2基準が、診断上特に重要であると考える。これは問診の中で明らかになる、例えば「このような状態にははっきりとした理由があるか」あるいは「その体験がなければこのような状態にならなかっただろうか」という質問がよい、体験反応であるかどうかは患者自身が最もよく知っているはずである。しかしながら、原因となったストレス体験を、特にそのときの辛かった感情を含めて抑圧してしまうケースでは、「思い当たるストレスはない」と答えることもある。そのような場合でも、経過を語らせる中で、抑うつ気分の出現がどのような体験や生活状況の変化と結びついているのかを丁寧に問診することで、原因となったストレスは比較的簡単に見いだすことができる。たとえ抑圧の機制が働いたとしても、それは意識のどこか(中心でなく辺域)にあるはずで、意識化することは可能である。気分や意欲といった症状の評価にとどまらず、思考の内容に焦点を当てる。「ふだんどのようなことを考えているか、どのようなことで悩んでいるか」という質問で、多くの症例では「早く職場復帰をしなければいけないと思う」とか、「復帰のことを考えるとすぐに気分が落ち込んでしまう」「仕事のことは何も考えられない」などの応答が返ってくることが多い。ストレスのあった職場のことを話題に出すのもよい。患者の様子を仔細に観察すると、情緒的に動揺するのがみてとれる。原因となったストレスを意識させると、その場でも反応が生ずることがある。このような方法で体験反応であることを確認する。このストレス体験の暴露からまだ時間の経っていない初期病像を体験反応とみることに異議はないだろう。むしろ、われわれの注意を引くのは、体験反応であるにもかかわらず症状が一向に改善しないこと、症状の慢性化一自動化である。これは上記の第3の基準に関わる。ここで再び、シュナイダーを引用しよう。

この領域全体にわたって、すでに言及した目的という要素がしばしば存在している。最初の情動の嵐は一貫して真性のものだが、これにはすでに危険から離れ、危険の中に入らないようにしようとする欲動か含まれている。後にそれが意識化される。熟慮が出現し、しばしば半ば明らかでしかない願望に応じて障害が堅持される。すなわち「障害の中に入り込む」。これはとりわけ心因性身体障害に当てはまる。この固定がいかにして行われるのか、そこで何か起こるのかは全く不明である。(文献3、54-55ページ)

クレッチマーは「医学的心理学Medizinische Psychologie」の原始反応Primitivreaktionenの章の中で、この症状の自動化のメカニズムについて言及している。治療とも関係があるので、少し長くなるがその重要な部分を引用する。

抑圧Verdrangungは偽装現象に類似の精神的機制と解してよい。抑圧は自分自身に対する偽装である。それで我々は経験的にも内部への抑圧と外部への偽装とが一緒に現われ、密接な機能連関を持っているのを見ることが非常に多く、これはことにヒステリー性病像の特徴になっている。抑圧とは好ましくない事実や二面価値的事実を意識の中心から辺域へとおしやること、つまり自分の精神過程に対する目つぶり政策、嫌なものを見まいとする状態をいう。こうしてひとりでに起こる身体的あるいは精神的過程のすべてのものが(ヒステリー化)histerisierenされる。誰でも軽いけがや関節痛、喉頭炎や原因のある気分変調を経験したことがある。さてこれらの障害がひとりでに消退しつつある時にこの障害が続くことが内心望ましくするような精神的刺激が加わると治癒の過程がひどく遅れたり全然治らないというようなことが起こってくる。‥・このような願望や目的や防御の動機は極めて様々である。・・・平凡な現在ある動機がもとである事もあれば錯綜した古いコンプレクス機制がもとである事もある。〈中略〉

ヒステリー性習慣は我々はあまり気づかない正常の精神身体的根本原則に相応する。はじめから終りまで意識され意志によって行われるような行為は極めて僅かなものである。意志はむしろうまくできあがった回路、「臨機装置」Gelegenheitsapparat(ブロイラー)を一定の目的のために直ちに編制するのであって、こうなればこの装置は自動的に働きだす。…臨機装置あるいは一度与えられた回路は自動的に機能を発揮する。ところでこのような臨機装置は長く用いられると、練習によって要約されて公式となる。その次には固定が始まり、次第に円滑に確実に行き、ついには意志から解放されて反射のような具合に固有活動を始め、そうなると意志によらずに、あるいは意志に反してさえ働けるようになる。…それ故われわれの精神活動の大部分は、分化した、この目的で与えられた意志衝動によって行われるのではなく、固定され独立させられなかば自動化した要約公式によって行われるのである。…正常の治ろうとする意志のある場合にはこの臨機装置はもう必要がなくなれば再び回路から除かれる。しかし治ろうとする意志のない場合、その人間が障害を止めさせる気がなかったり、あるいは端的にそれを続かせる気があるというような意図的な態度になる時は、一度作られた臨機装置はいよいよ固定され、意志から解放され、自動的に限りなく働くようになる。それはこの装置を解体させるものが存在しないからである。(文献2、87-90ページ、一部訳語を改変)

ごく初期の狭義の抑うつ体験反応に引き続いて、あるいは初期の体験反応そのものに「職場にいきたくない」という目的(意志)が意識される、その意志が臨機装置を形成し、それが反復・公式化され、ついには固定化(自動化)するという仕組みである。クレチッマーはこれをヒステリー化と呼んでいる。一連のカスケードは精神病ではなく、正常心理の枠内で生じている連鎖として説明されている点に注意してほしい。ちなみにシュナイダーはこのような異常体験反応を目的反応と呼んでいる。

さて、われわれの症例に戻ることにしよう。保身の心理が働いている患者にとって、保身の心理そのものが症状の自動化の原動力となっていることは疑いないが、それを促進しているのが、精神科医の誤った対応であるように思う。初期段階の休養で症状が十分に改善しなければ、「うつ病」と考える医師(それは今日の診断基準ではまちがっていない!)は「さらなる休養」を進言する。この医師からの「さらなる休養」の指示が、症状の慢性化あるいは自動化へのステップに一役買っているのではないか。「うつ病」という形での休養=職場からの離脱を専門医が保証すること、さらに、「うつ病」は第一に休養が必要という一般社会通念までもが、患者の治ろうとする意志・努力を弱体化させるのではないか。正常な抑うつ反応から回復するときに、誰しもが必要とする努力の腰を折ることになっているのではなかろうか。抑うつ体験反応を、「うつ病」として疾病化することは、クレッチマーのいう「自分の精神過程に対する目つぶり政策」を見事に助長すると同時に、患者に新しい役割、つまり病人の役割sick-roleへの定着化を促す。病人の役割は、仕事からの免除が保証される一方、治療への専念が義務として生ずる。治療への専念とは、まさに医師からの指示を忠実に守ることに他ならず、「症状が改善するまで無理せずゆっくり休む」ことになる。医師の指示の他にも、休職に追い込まれてもなんらかの形(多くは親の同居)で経済的なサポートがあることも見逃せない。職業人としてなにがなんでも自己を確立しなければならないという志向性あるいは必要性は、女性新人社員の場合、男性に比較すると弱いのかもしれない。女性の場合、職業人として成功しなくとも専業主婦という別の役割を生きていく可能性も意識の中にある。それが職業人としてのアイデンティティの確立に投入すべき努力をくじいているようにもみえる(もちろん、このような考え方はすべての男性、女性に一般化できるものではない)。これらの要因が、退職あるいは転職してやり直した方がよいという合理的な判断の選択を遅らせているのかもしれない。保身の心理、医師からの指示、「うつ病」に対する社会的通念、経済的安定、役割を全うすることへの動機の弱さ一おそらくこれらの複合化した効果が、症状の自動化を促す精神刺激として作用しているのだろう。

すべての女性社員がみな一様に上記の目的反応を生ずるわけでは全くない、むしろごく一部であるといってよい。今日の生物学的精神医学は、そのような個体差を生物学的要因に求めるかもしれないが、筆者は賛成しかねる。体験に対する反応の仕方は、生物学的に規定されている部分があるにせよ、人生経験(体験の蓄積)により培われている部分が少なくない。性格傾向や反応の仕方には遺伝子ではわかりきることのできないヴァリエーションがあるはずである。

2.治療について
以下は筆者が現在これらの患者に対して試みていることである。患者が自信を回復するための、傷ついた気持ちに対する温かいいたわりと励ましを含む地道な支持的精神療法である。治療は脱疾病化の治療方向性を自覚させることから始まる。患者の状態は喪失体験(理由のある抑うつ)であり精神病としてのうつ病ではない(狭い意味での病気ではない)ことを明確に告げ、そして治癒に向けて患者がどのように努力したらよいのか、その道筋を提示し、支えていくことである。

職場復帰のことを考えると具合が悪くなることは本人もよく理解しているので、現在の症状が当初のストレス体験の反応であることは容易に受け入れられるだろう。それと同時に症状が慢性化しているのは、当初のストレス反応そのものではなく、傷つきたくないという心理が働いていることを感じ取らせる。その際、「疾病への逃避」という言葉は使わず、そのような心理は誰にでもあることを強調する。さらに現在の「うつ病」診断が、理由のある抑うつを含んでしまうことがあることも伝えておくとよい、それは「うつ病」の基本的治療方針である「よくなるまでゆっくり休養」が必ずしも有効でないことを伝えることにつながる。そして「うつ病」から抜け出さないことがやがて(あるいはすでに)自分にとっても大きな不利益であることを説く、元の職場に戻るか戻らないかに関わらず、この状態から抜けださなければならない。それは「治ろうとする意志」を取り戻すことであり、現状からの回復には、時間だけでは足りず、本人の努力しだいであることを伝える。薬物療法はすでに患者自身が有効でないことに感づいていることが少なくない。薬は可能な限り減量する(終了することもある)、治療は薬ではなく、自らの回復力・自然治癒力であり、それを導くための努力が必要なのである。そこで活動性をあげて自信を取り戻すための工夫をともに考える。かっての元気な自分(行動範囲、活動性、対人関係)をイメージして、それに少しずつ近づけてゆくことを目標にする。寝込むのをやめること、楽しめることをする、楽しめることがすぐにみつからなければ、単に寝込まず、散歩や買い物などの外出の時間を増やしてもらう、そこで自分で変化することができることを感じ取ってもらう。職場復帰については、元気になるまではできるだけ考えないようにする、復帰を考えて落ち込むことで、明日につながる今日が台無しにならないようにする。まずは元気になること、職場復帰するかどうかは元気になってから決めればよい。患者はしばしば同世代の周囲の人と比較しがち(そこで落ち込む)であるので、他人と比較せず自分の回復を考えることを繰り返し説く必要がある。目的反応であるとすれば、一連の働きかけと本人の努力により、治癒への意志と自信を少しずつ取り戻すことができる。最後の重要なステップは職場復帰のタイミングだが、そのためにはお膳立てが必要となる。ストレス体験の生じた職場(部署)へ戻るのは難しいし、本人もそれを望まない、復帰に当たっては異動の可能性を視野に入れることを当初から本人に伝えておく。この提案は復帰への不安を軽減するために、具体化していなくとも治療初期に提示してもよい。持ち前の性格面でのプラス要因があるので、部署を替えれば会社に貢献できるはずと復職へのモチペーションを支え、この最後の段階では異動を実現するべく会社側に進言する必要がある、本人任せでは上手に交渉することができないー医師はここで少し骨を折らなければならないが、それがこの最後のステップがうまくいくかどうかのカギになる。

4 おわりに
目的反応という言葉を初めて耳にする精神科医も少なくないだろう。生物学的視点ばかりが強調される今日の精神医学にとって、もっとも欠如しているのは正常心理の枠内にある精神病理学ではなかろうか。クルト・シュナイダーやエルンストクレッチマーらの古典的精神病理学は、その分野の最良のテキストである。これらの患者は、たとえ今日の診断基準で「軽症から中等症のうつ病」と診断されたとしても、学問的にも、そして治療的観点からも真のうつ病と考えるべきではない。



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お歳暮を届ける先が二つになる

普天間移転問題の日米合意は、米国側の都合で白紙にもどった。グアムの
インフラ整備が米国の予算不足で予定通り進まなくなった。合意された日本の
負担分をさらに増やすしかなくなった。その交渉がこれから始まる。

米国は日本の為に中国と戦う気などはじめからない。もはや米国は潜在敵国の
中国を警戒しながら、当面は手を結び、アジアを共同管理しようとしているのだ。

ーー
というわけでお歳暮を届ける先が二つになる


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自民党からの9/9のメッセージ

以下の記事

民主党代表選挙の真っ只中の9月9日に自民党の新体制が発表された。幹事長になった石原伸晃は早々と公言した。「小沢さんが民主党を出ても組まない」と。総務会長になった小池百合子も新進党で一緒だった小沢と袂を分かって反小沢を鮮明にしている。要するに世代交代とともに自民党は反小沢になったのだ。

小沢に存在感があるのは、手持ちの小沢シンパを従えて党を割り自民党と手を結ぶのではないかという疑心暗鬼である。そのおそれが無くなったとたん小沢はただのはぐれ者だ。

仙谷はここに目をつけた。自民党の新執行部の成立と連動して小沢を封じるべく動いた。そしてその協力者が自民党元幹事長の野中広務である。野中は小沢嫌いにおいて右に出る者はいない。野中は政界のすべての闇を知っている悪だ。その野中と手を結んで仙谷は政局を乗り切ろうとしている。

仙谷がここまで小沢に強気にでられる理由がそこにある。
菅首相が、自民党の要望を丸呑みするから予算案を成立させたいと発言する事が頷ける。



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女性上昇婚

婚活で疲れてしまう原因のひとつ
経済面についてわかり易い説明

社会的・心理的面ではまた別の事情があるようである

ーーー
山田 昌弘、開内 文乃

豊かになったアジア人男性と、停滞した日本に見切りをつけ世界に飛び出す日本人女性が出会って結婚

従来の国際結婚と言えば、日本人男性とアジア人女性、欧米人男性と日本人女性という組み合わせが一般的
現在、アジア人男性と日本人女性というパターンが目立ち始めている

国際社会の中で地盤沈下する日本と発展著しいアジア諸国の経済状況が反映している

結婚したいけれども、結婚できずにいる男女が溢れているのが、日本の現状である

女性から見て、結婚してもよいと思えるような男性の絶対数が不足している

男性は、自分の収入で一家を支えるのが原則だから、結婚相手の職業や収入などにこだわる必要はない。しかし、女性は、相手の経済力にこだわらざるをえない。その際、女性は、自分の現在の収入や、そして、自分の父親の経済力などと比べて、相手の男性の経済力が「上」、せめて、「同等」でなければ、結婚に踏み切りにくい。そうでなければ、女性は結婚によって、生活水準が下がってしまう。これが、「女性上昇婚」の基本的メカニズムである。

女性にとって、将来的に経済力が親よりも高くなる見込みの未婚男性は容易に見つかった。女性の親が相対的に豊かでなかったことも、若い男性に優位に働いた。

オイルショックによって経済の高度成長が終了し、時代は低成長時代に入る。すると、若年男性の収入はなかなか上がらない一方、彼らの親世代の収入は高いままである。さらにバブル崩壊(1993年)からアジア金融危機(1997年)、そして、リーマンショック(2008年)と続く中で、若年男性の経済力は、平均的にみて低下すると共に、男性の非正規雇用が増えるし、自営業の保護も弱まる。結果的に若い男性の収入格差が拡大し、職が不安定になっていくことでもある。

一方、1985年成立の男女雇用機会均等法に象徴されるように、女性も仕事でキャリアウーマンとして活躍するチャンスが広がる。もちろん、すべての女性がキャリアウーマンとなれるわけではない。一方で未婚女性の非正規雇用者も増えている。つまり、女性同士の格差も広がっているとも言える。とにかく、男性と同等以上の学歴を持ち、同等以上の職に就き、同等以上の収入を得ている女性が増え続けていることには違いない。

その結果、女性上昇婚の限界が明らかになる。男性の雇用状況が厳しくなり、女性の職場進出が強まると、女性の上昇婚を可能にするほどの経済力を持つ男性の数が足りなくなる。これが結婚をめぐる男女のミスマッチ拡大の原因なのだ。

一つは、親と同居するパラサイトシングルが増えて、女性が結婚生活に求める生活水準が高くなっていることがある。今の多くの未婚女性は、たとえ本人の収入が少なくても、親と同居して比較的豊かな生活を送っている。そこで、専業主婦を目指す女性の場合、新婚生活を始める時に夫の収入が相当高くなければ今以上の豊かな生活が送れない。それを支えることができる若年男性は減っている。なかなか結婚相手が見つからないから、親元に残り、収入の高い男性と出会うまで待っている女性たちである。これを仮に、「セレブ主婦をめざす女性たち」と名付けておこう。

もう一つは、本人の学歴や職業レベルが高い女性たちである。彼女たちは、自分と同等以上の学歴や収入を持った男性を選ぼうとする。本人の収入が高ければ結婚相手の収入は低くてもいいと考えがちだが、現実は逆である。結婚して「上昇」するという意識の刷り込みは深いということもあるし、自分が仕事を辞めても生活できる男性を求めるという計算もあるだろう。また、周りに対するプライドという要素もあるだろう。いろいろな意味で、収入や職業レベルの高い男性を求めるが、その絶対数が不足しているので、結婚せずにいる女性たちが増えている。これを仮に、「キャリア共働きをめざす女性たち」と名付けておこう。

どちらにしても、より、高収入、高学歴の男性を結婚相手として求めることには変わりはない。ただ、理論的に2つのタイプに分けたが、セレブ主婦、キャリア共働きを目指す女性は、実は、かなり重なり合っている。比較的裕福な親の元に生まれ、高等教育を受けた女性が、キャリアを目指すも、挫折して、セレブ主婦にあこがれるというパターンは多いし、結婚退職するつもりが、仕事の面で能力を発揮して辞められなくなるという女性もいる。結婚をきっかけに夫の仕事を手伝っているうちにいつのまにか、キャリア共働きになっているというケースもある。

結婚していない男性は、収入が低く仕事が不安定な男性が多い。結婚していない女性は、安定した収入の男性と結婚して養って貰いたい専業主婦志向の女性(セレブ主婦志向の女性)か、自分以上の学歴、収入をもつ男性と結婚したいキャリアウーマン(キャリア共働き志向の女性)に多い。この両者は出会っても、女性上昇婚にはならないから結婚に結びつかないだろう。そして、この両極の男女が、増大していることが、国際結婚増大の背景にあるのだ。

国内的には限界に達している女性上昇婚のシステムを維持しようとする、一つの試みが国際結婚と言える。

収入が低く不安定な日本人男性は、国内の女性にとっては上昇婚の対象にはならない。しかし、世界的に見れば、まだ日本人男性の収入レベルは低いとはいえない。発展途上国には、日本では収入が低い男性を、上昇婚の対象として見てくれる女性はまだまだ多いのだ。

 一方、セレブ主婦志向の女性たち、そして、キャリア共働き志向の女性たちともに、彼女たちのお眼鏡にかなう独身男性は日本国内では少なくなっている。しかし、世界を見れば、まだまだいるのである。それが、欧米からアジアに広がっているのが今の状況である。







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黒田アーサー

黒田アーサー
というのは名前の響きがいい


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記憶を自分の都合のいいように改変

記憶がいかに自分の都合のいいように改変されているかを知ることが必要だ
人間は根本的に卑怯者なのだ
そして弱すぎる

各瞬間ごとに都合のいい情報だけを選択して
時間を経験し人生と世界を経験していく
という面もある
構成している

また都合の悪い過去を都合のいい過去に丸ごと取り替えることだってある

偏ったものになるはずである
しかしその際に、都合のいいとは何かという問題があり、意見が分かれる
うやむやになる
うやむやにしようとしているのだからうやむやになる

人間に嘘をつく能力がある限り嘘をつき続けるだろう
しかし問題は
嘘をついていると思わずに嘘をついている現実である
頭が悪いのか卑怯なのかどちらにしても混乱が続く


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検察大坪事件

一方的なシナリオを検察首脳が描き、それにそって強引に周りを固めていく、
物証ではなく供述を偏重することや、その供述を強要する。

その手法が非難されている検察が、今度はその手法で現職幹部を逮捕

マスコミは確かな物証に基づいてではなく、検察から漏れる情報や関係者の内部告発
などを一方的に流して悪者を既成事実化する

大坪らの徹底抗戦に合い、検察が追い込まれる可能性ありとの論評あり

ーー
「漏れる」情報を報道するほかないのかな
忙しいからないろいろ


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自由民主党稲田朋美代表質問

自由民主党の稲田朋美です。
自由民主党。無所属の会を代表して総理の所信に対する質問をいたします。

 冒頭、小沢元幹事長の事案について先ほどの(稲田議員の前の自民党谷垣総裁の質問についての菅首相の答弁)総理のお答えはお答えになっていません。

(議場より「そうだ!」の声)

今一度総理として、民主党代表として小沢氏の説明責任、及び政治的・道義的責任について明確にお答え下さい。
国会任せ、本人次第と逃げずに今一度、責任のあるお答えを求めます。

(議場より「そうだ!」の声)

 民主党政権になって一年、民主党政権には日本の主権を守る意志がない、領土を守る意志がない、家族と地域社会を守る意志がない、そして何よりも国家観が無い。
この国がどんな国を目指すのかという理念も無い。
つまり、意志も国家観も理念も無い空っぽの政党なのです。

 まず、民主党には党の綱領がありません。
一体民主党はどんな党なのか分かりません。
本来政党は理念や政治心情の元に集まります。
ところが民主党は、綱領のない、世界でもまれに見る寄せ集めの政党なのです。

(議場より「そうだ!」の声)

我が党には昭和30年に立党した時の、立党の精神、党の綱領があります。
昨年下野し、もう一度立党の精神という旗の元に一致結集する事を誓い、谷垣総裁を先頭に再出発しました。
我が党こそ、我が国唯一の保守政党であり、国民政党として名実ともに主権国家となり、単に経済大国だけでなく、社会正義の貫かれた道義大国を目指して、政権奪還をかけてこの臨時国会の論戦に望んでいきます。

(議場より拍手)

 まず、所信表明の中に教育・農業という言葉がありません。
国家の体系である教育、そして日本の文化の原点であり、食料安全保障であり、故郷の原風景である農業について語らずに国家観は語れません。
国民に対して自らの国家観をきちんと説明する、これが総理としてまず果たすべき責務ではないでしょうか?
総理は、6月の所信では、強い経済・強い財政・強い社会保障の一体的実現と言い。
参議院選では最小不幸社会と言い。
今回の所信表明では、有言実行内閣とコロコロと言葉だけが変わっています。
しかし、総理の国家観は全く見えてきません。
真実味が無いのです。
かつて総理は、重大な人権侵害であり、国家主権の侵害である拉致実行犯の辛光洙(シンガンス)の釈放嘆願に署名しました。
辛光洙(シンガンス)は横田めぐみさん、福井の地村さん夫妻、原敕晁(はらただあき)さんの拉致犯であり、それにより北朝鮮によりトップクラスの勲章をもらいました。
総理は知らずに署名をしたと言っていますが、その間抜けぶりを挽回するためにこの十年間拉致問題解決のために一体具体的に何をやってきたのかお答え下さい。
また、日本の総理大臣として改めて国民に謝罪すると共に、拉致問題に取り組む決意をお決まりの官僚の作文でなくあなた自身の真実味のある言葉で表明して下さい。

(議場より「そうだ!」の声)

 さらに、総理は国旗・国歌法に反対をした我が国で最初の総理大臣です。
日本の国旗は日の丸で、日本の国歌は君が代です。
国旗・国歌を認めることができない人を日本の総理大臣として私は認める事ができません。

(議場より「そうだ!」の声)

今回の所信表明で、全く触れられていない教育についてですが。
安倍内閣で、教育基本法改正案が60年ぶりに国会に提出され、総理はじめ民主党の反対の中、可決成立しました。
議論のあった愛国心教育について、菅総理はいったいどのように考えておられるのかお伺いをいたします。
また、国旗・国歌法に反対をされましたが、学校現場において、国旗・国歌を尊重する事の重要性についてどのように認識しているのか?
北教組問題に見られるような、教育現場の堕落についてどのように考えておられるのかお伺いを致します。
このように、国家の根本とも言うべき教育について、代表質問で聞かなければ総理の考えが出てこない事自体、とても悲しい事です。
信子夫人の著書によれば、総理は特定の思想とか、主義への思い入れは無いそうですが。
その場対応でどうにかやっていくのが政治だという考え方について私は反対です。
人は苦しくても目標があれば頑張れます。
国も同じです。
どんな国を目指して頑張るのか?
その理想を国のトップである総理大臣が語らずして国民は前向きになれない。
国の発展はありません。

(議場より「そうだ!」の声)

 次ぎに外交保障・・外交安全保障についてお伺い致します。
言うまでもなく外交安全保障政策は国家運営の中核です。
国民の生命・身体・財産・領土そして国家の名誉を守る事が国益であり、内閣の最大の責務は国益を守るための外交・安全保障政策に最終責任を持つ事です。
ところが、菅政権は外交安全保障政策に対し、あまりにも無責任かつ、無策です。
その現れが尖閣問題における無様な外向的敗北なのです。
この問題は先月の7日、民主党が総理になる資格のない小沢さんと、総理を続ける能力の無い菅さんが、国民生活も、国益も犠牲にして14日間もの間コップの中の醜い権力闘争を繰り広げていたその政治空白期に起きました。
領海侵犯した中国漁船が、日本の巡視船に2度も体当たりしてくるという悪質な事案だったので船長の起訴は当然だと誰もが思った時に、突如処分保留で釈放したのです。
国民は呆れ、怒りました。
残念な事に、この国では国民の怒りを共有する事ができない政治家が総理をし、官房長官をし、外務大臣をしているのです。
今回の釈放は中国の不当な圧力に屈して国内法の適用をねじ曲げた主権国家の名に値しない恥ずべき政治判断でした。

(議場より「そうだ!」の声と拍手)

総理は衝突時のビデオを見ていないと仰っていますが信じられません。
総理は一国の宰相として国家国民を守る責務、そして行政府の長として命がけで任務にあたった海上保安庁の職員の安全を守る責務を負っています。
ビデオを見ないで何を判断できたというのでしょうか?
総理は一部新聞報道があったように、とにもかくにも早く処理して無かったことにして欲しい、それが本音だったのではありませんか?
何故ビデオを見なかったのか?
国民が納得するお答えをお願い致します。

総理、及び菅内閣の閣僚は、釈放は那覇地検の独自の判断であったと言い検察当局も同じ事を言っています。
誰も信じない卑怯な責任逃れです。
そもそも外交問題を理由に釈放を決めることは検察の越権行為になると考えますが、その点を総理のご見解を伺います。
また、本件のように極めて高度な政治判断を必要とする外交問題について検察当局に委ねたとすれば、菅総理及びその内閣には重大な外交上の局面において政治判断をする意志も能力も無いことを自らが自らが認めた事になります。

(議場より「そうだ!」の声)

総理にお伺い致します、今回の釈放において日中関係・国民への影響というまさしく国益そのものであり、外交の目的そのものの判断を検察当局に委ねた事は、あなたが理想とし、政権交代の大義である政治主導の自殺行為ではありませんか?

(議場より「そうだ!」の声と拍手)

さらに、総理にお伺いします。
行政機関に属する検察の判断が間違っていた時に最終責任を取るのはいうまでもなく内閣です。
今回の釈放は純司法的判断としても、外交判断としても間違っています。
純司法的判断としては、国内法に日中関係という外交問題を持ち込んだことが間違っている。
検察当局は刑訴法(刑事訴訟法)第248条の「起訴便宜主義」の犯罪後の状況により訴追を必要としない時、に該当すると苦しい解釈を致していますが、ここに外交判断は入りません。

(議場より「そうだ!」の声)

さらに、外交判断、政治判断としても中国の不当な圧力と脅しに屈し日本の主権を放棄するかのようにして中国に治外法権を認めた事。
日本が易々と外国の圧力に屈して、国内法を歪めて処理をする国であると世界に示した事。
さらに、日中間に尖閣をめぐる領有問題が存在するかのような誤ったメッセージを中国及び世界に向けて発信ことなど多くの禍根を残す結果を招いたことで間違った政治判断です。
この責任を内閣として取らなければなりません。
あなたの内閣はこの責任をどのようにして取られるのですか?
結果・・政治は結果です。
もちろん事実関係を明らかにする事は重要です。
菅内閣が腰抜け、ブレた、という国民の批判を恐れ、検察に政治責任と説明責任を押しつける卑怯者内閣であること。
国益を守るという政治意志を示すことのできない意志のない内閣である事を国民に知ってもらう為に逮捕、留保、釈放に至る事実関係は明らかにしなければなりません。
しかし、事実関係を明らかにする事は別に、今回の釈放という判断が検察独自のものであれ、政府の判断であれ、それにより国益を著しく侵害したことの責任を取るのは菅総理、あなたと、あなたの内閣以外にはありません。

(議場より「そうだ」の声)

その事について覚悟を総理にお伺いを致します。

 総理はかつて救国的事実外交試案を出され、その中でまずは議論の前提となる外交や安全保障の根幹の情報を国民にガラス張りにして日本の国益に関する国民の共通認識を醸成し、いざというときに自国の安全を守るための覚悟を国民側に作りあげると提言しておられます。
そうであるなら、早く衝突時のビデオと、捜査資料を全て公開し、国民の共通認識にすべきではありませんか?
何故公開しないのですか?
総理にお伺いを致します。
そもそもこの問題は民主党政権の外交姿勢そのものの甘さにあるのです。
鳩山前総理は、全国知事会で石原都知事から尖閣諸島に日米安全保障条約が発動されるか?と聞かれ。
『確かめる必要がある、帰属問題に関しては日本と中国の当事者同士でしっかりと議論して結論を見出してもらいたいということだと理解している』
と、信じがたい、不見識な発言をし、物議を醸し出しました。
そんな甘い認識だから『友愛の海』などと寝とぼけた事を言っていたのです。

(議場より拍手)

総理にお伺いしますが、我が国にとって今世紀最大の外交課題である対中問題についてどのような認識ですか?
中国を脅威と認識するのか?
それとも総理も東シナ海を『友愛の海』と認識しているのかお伺い致します。

 次ぎにこの問題がもたらした影響について、中国は船長逮捕の後、東シナ海のガス田に関しての国際交渉を一方的に延期し白樺にドリルを持ち込み掘削を始めたと見られます。
政府としてどのような対抗手段を取るつもりなのか総理にお伺いを致します。

 次ぎに、尖閣の領有問題についてお伺い致します。
総理は所信で尖閣諸島は歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土であり、領土問題は存在しませんと言われました。
その通りです、しかし一方で中国は尖閣諸島は中国固有の領土であり主権と領土を断固防衛すると主張し、今回の逮捕について謝罪と賠償を求めています。
例え大嘘でも、国の主権の及ぶ固有の領土という原則から出発して、最後まで妥協せず、釈放後も謝罪と賠償を求めている中国は一貫しており。
反対に、正しいにもかかわらず最後になって中国の不当な圧力に屈しブレたのは我が国です。
総理にお伺いします、中国が一貫した態度を貫き我が国がぶれたことで日中間に領土問題が存在するかのような誤解を世界に発信した事になりますが。
総理にその自覚があるのか、お答え下さい。

中国の温家宝首相は、国連で演説し
『国家主権と領土保全については一切妥協しない』
と述べましたが、総理は国連で何を主張してきたのですか?
報道によりますと
『国連演説で国のリーダーがまず果たすべき役目は不幸の原因をできる限り小さくすることだ』
と、訴えたそうですが、国家主権と領土が侵害されようとしている時にそんな演説で中国の主張にとても対抗できるはずありません。

(議場より「そうだ!」の声)

また、今回、尖閣の日本の立場を国際社会に訴えると言う理由で変更して出席したASEMで温家宝首相と立ち話の会談をされたといいますが、日本側には中国語通訳がいなかったとお聞きしています、本当でしょうか?
通訳がいなくて、あなたがいうように尖閣は日本固有の領土だと主張してきたことになるのですか?
また、日本の総理大臣として真っ先に主張すべき我が同胞のフジタの社員の解放についてあなたは温家宝首相に要求をしたのですか?
また、今回の中国人船長の公務執行妨害罪について抗議したのですか?
抗議も要求もしなくて一体25分間何を話していたのですか?
具体的にお伺いをしたいと思います。
結局あなたが総理である限り国際舞台において日本は不当な事をされても黙っている国という発信しかできていないと言うことではありませんか?
総理は日中関係全般について、大局的観点から『戦略的互恵関係』を組める日中双方の努力と仰っているのですが。
領土は主権の問題であり、お互い一歩も引けない問題ですから。
他の問題では戦略的互恵ということはあり得ても、事、領土に関してはあり得ません。
領土に関わる問題について中国が努力するとか・・譲歩するということはあり得ません。
何故なら中国は尖閣諸島を間違って自国の領土と思ってしまったのではなく。
日本の領土と知りながら実効支配しようとしているからです。
政府は、我が国固有の領土である尖閣諸島を守るためにどのような戦略を考えているのですか?
具体的な策をお答え下さい。


 さて、国内の安全を内閣で司るのは国家公安委員長です。
そして任命権者は総理、あなたです。
今回、そおの国民の安全を守るポストに『韓国で、所謂従軍慰安婦問題で、日本の政府を糾弾するためにソウルの日本大使館に向けて反日デモをし、我が国の国旗を貶めた』岡崎氏を任命されました。
信じられない愚挙です。
総理にお伺いします、総理は岡崎氏の愚かな反日行為をどのように理解されていますか?
今回何故岡崎氏を我が国の治安の最高責任者に任命したのですか?
不適格者を任命した責任についてどのように考えておられますか?

 次ぎに所信に、国を思い切って開くというフレーズがありますが意味が分かりません。
この事に関連して二つのことを連想しました。
一つが外国人参政権であり、もう一つが農業の自由化の問題です。
鳩山前総理は『日本列島は日本人だけの物じゃない』『日本を開かなければならない』というおかしな信念の持ち主でした。
国を思い切って開くと言う中に、鳩山さん的な地球市民的発想が含まれているのですか?
この延長線上に外国人地方参政権をおくと、まさしく自国のことは自国で決めるという主権国家の中核が失われてしまいます。
また、外国人地方参政権付与については、地方議会から反対の意見書が県議会だけでも35と、多数出されています。
総理は今まで一貫して『外国人に地方参政権を与えるべきである』。
しかも『特別永住者だけでなく一般永住者にも与えるべきだ』と発言をされています。
私は国であれ、地方であれ、外国人に参政権を与えることは、日本が主権国家を止める事になると考えています。
憲法15条に『公務員の選定罷免権は国民固有の権利である』と書かれていますが。
その意味するところは、国家の行く末を決めるのは日本人だけであるという国民主権。
そして日本が主権国家である事の当然のようせいなのです。
改めて外国人に地方参政権を与えることについての総理の見解、特に憲法に違反しないか?
主権国家として外国人に地方参政権を与えることが対馬や国境の島の存在を考えていても・・考えてみても安全保障上問題ではないかについて見解を伺います。

さらに、民主党は党員サポーターの資格に国籍を問いません。
今回の代表選においても外国籍の党員サポーターも投票権を持っていました。
野党時代ならともかく、与党になっての代表選は実質上この国の総理大臣を決める選挙です。
と言うことは、この国の総理大臣を決める選挙に外国人が投票権を持つことになり、明らかに憲法違反だと断ぜざるを得ませんが、その点についての総理のご見解を伺います。
総理はEPA(経済連携協定)・FTA(自由貿易協定)を推進する立場であり、所信の中にもTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加を検討とのべ、全く農業への言及がありませんでした。
昨年の衆議院選の民主党マニフェストでも『米国との間で自由貿易協定(FTA)を締結する』と書かれており。
その事に農業者が猛反発をしてかきぶりを変更したということがありました。
ようするに民主党は農業を犠牲にしてでも貿易自由化を進めるということなのです。
しかし、農業は単なる産業ではありません。
地域を守る、文化を守る、伝統を守る、極めて重要な役割を担っています。
お米は日本の主食であり、米作りは日本の文化であり、水田は日本の美の象徴です。
農業を守ることはすなわち日本を守る事なのです。

(この頃からヤジの声が大きくなる)

彼に我が国が全ての国境処置、関税を撤廃すれば農産物の生産額が3,6兆円、GDPが9兆円、雇用が375万人減少し、食糧自給率は12%まで落ち込むと試算されています。
民主党は平成19年の参議院選挙の時、『米の生産調整を止めて戸別補償をする』というまやかしを言って農村の票を取り勝利しましたが、結局生産調整は止めていません。
戸別補償は自由貿易推進のために実施するのでしょうか?
一体何のために戸別補償なのか総理にお伺いを致します。
また、総理は自由貿易によって被る日本の農業の打撃についてどうするつもりなのかお伺い致します。

 さて、昨年我が党が惨敗した総選挙で民主党が掲げたマニフェストは嘘だらけの詐欺とも言うべきマニフェストでした。
詐欺とも言うべきマニフェストで政権をかすめ取ったの民主党です。
そのような民主党に政権をかすめ取られた我が党も情けない。
まず、最も大きな嘘が財源の嘘です。
民主党は子供手当、農家の戸別補償、ガソリン値下げ、高速道路無料化など選挙目当ての不道徳かつ政策的に間違ったバラマキをするための財源16,8兆円について国の予算を組みかえれば20兆、40兆すぐ出せると言っていました。
当時の代表であった鳩山前総理は『財源については心配して頂くに及びません』とまで言われたのです。
選挙後も財務大臣が民間企業でも経営者が変われば一割二割すぐ削減できる、それと同じだと豪語されました。
一体その20兆、40兆の財源はどこへいってしまったんですか?
昨年の事業仕分けで削減できた無駄はわずか7000億。
これぐらいのものは自民党政権下でも毎年削っていました。
消えた年金ならぬ、消えた財源ではありませんか。
20兆、40兆の財源が予算の組み替えでできると仰ったことについて今もその考えに変わりはありませんか?
総理にお伺いを致します。

また、総理は著書『大臣』の中で、『国家予算は例えば総額90兆円になるとしたらマニフェストで国民と約束した7兆1000億を最初に計上する。そして残った額から必要なものを当てていけばよいのである』と、述べられていおりますが真っ赤な嘘じゃありませんか?
それが本当ならマニフェストに従って22年度は予算の最初に7,1兆円を、23年度は12,6兆円を真っ先に計上することにしなければなりませんがそうはなっていません。
結局、財源が無くてできなかったのです。
だから詐欺のようと言われるのではありませんか?
所信では『子供手当は現金給付と、保育所を整備などの現物支給のバランスを取って拡充する方針です』という誤魔化しを述べられていますが。
個々の家庭に配るから子供手当だったのではないですか?
結局政権を取ってみたら財源がないということを認めざるを得ないのでマニフェストを反古にするという事なのです。
消費税については6月の国会を閉じてからいきなり我が党の案を参考に10%と仰いました。
昨年の選挙では4年間は消費税は上げないと約束されていたはずですが、財源が無いとわかりいきなり増税を提案されたのです。
民主党政権になってから民主党内でも、国会でも消費税が議論されたことを私は知りません。
さらに我が党の消費税の議論と、総理の言う消費税とは全く前提が違います。
我が党は長年党内で真剣に議論をし財源については20兆、40兆などといった嘘をつかず、骨太2006などで真面目に歳出削減をし。
所得制限無しの子供手当のようなばかげだバラマキをせず。
使途を・・こうそうかに限定し最小限の増税が必要として昨年の1月に税法不足を明記したのです。
総理の提案された消費税増税は全く議論もなく、しかも昨年の総選挙のマニフェスト違反の増税です。
与野党協議を言う前に、無駄排除で9,1兆円、天下り禁止で12,1兆円、予算組みかえで20兆、40兆の財源の嘘について国民に謝罪をし、バラマキを悔い改める事が先決だと思いますが総理の見解をお伺い致します。

(議場より拍手)

 小沢元幹事長が検察審査会から2度目の起訴相当の議決を受けました。
今度こそ、国内法に則り厳正に対処して頂きたいと思います。
ただこの問題で本当に国民が知りたいのは政治資金収支報告書に虚偽の記載をしたことに小沢氏が関与していたか・・だけでなく。
世田谷の土地を含む10億もの不動産を政治資金管理団体が保有する必要性が何処にあったのか?
また、その不動産の原資は何処からきたのかという点にあります。
いずれにしても全く説明責任を果たさず強制起訴となった小沢氏は議員辞職すべきだし民主党に議会制民主主義を語る資格はありません。

(議場より「そうだ」「そうだその通り」の声)

さらに鳩山前総理の政治と金について鳩山氏は今年参議院の予算委員会で西田昌司議員に裁判資料の提出を約束しておきながら未だに出しておりません。
これは、国会で当時の総理大臣がお約束になったことを未だに履行していないと言うことです。
このような不道徳な嘘が厳正な国会で横行するようでは国民のモラルも民主主義も地に落ちてしまいます。

(議場より拍手)

早急に裁判資料の提出をされるよう求めますが総理のご見解をお伺い致します。
尚、私の質問は全て総理に答弁を求めています。
官僚の用意した原稿を読まず総理自身の政治家としての執権ある御自身のお言葉でお応え下さい。

 最後に今回の尖閣問題は日本国民と政治家に様々な教訓を残しました。
政治の究極の目的は国家国民の安全保障にあると言うこと。
そして領土を守るためには国民の覚悟が必要ということです。
その意味で総理が6月の所信表明演説で
『相手国に受動的に対応するだけでは外交は築かれない、時には自国のために代償を払う覚悟ができるか国民1人1人がこうした責任を自覚し、それを背景に行われるのが外交である』
と、言われたのはまさしく言葉としては正しいと思われます。
しかし、総理は行動は伴っていません。
有言不実行なのです。
我が国の尖閣諸島の領有権を守るためには国民が自国のために代償を払わなければならないこともある、その覚悟無くして領土は守れません。
例え尖閣は日米安保の対象でも自主防衛の気概なくして日米安保は意味が無いと言うことです。

(議場より拍手)

今年の8月15日、菅総理および菅内閣の閣僚はただ1人も靖国神社参拝をしませんでしたが、いかなる歴史観に立とうとも国のために命を捧げた人々に感謝と敬意を表することができない国にモラルも安全保障もありません。

(議場より拍手)

ようは言葉ではなく、守る意志と覚悟の問題です。
その意志も覚悟も無い菅内閣にこの国の主権も領土も国民の生活も国家の名誉も守ることができないことが明らかになった今、総理がなすべき事は内閣を総辞職するか、一刻も早く衆議院を解散し国民に信を問う事であるとことを申し上げ私の質問を終わります。」

(議場より拍手)

<抜粋終わり>


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天下り

天下りが悪いのはもちろん悪いと思うのだけれど
税金を再分配するということは
要するに貧しい人にお金が届けばいいわけで
間に役人や役人を終わった人が入っていても同じではないかと思うのだが
どうだろう

直接渡すのと、間に役人がひとり、その次に天下りの人がひとり、くらい入っても、
別段支障がないように思うが
お金は腐るわけではなないし

ただ酒とかノーパンしゃぶしゃぶとか接待とかそんなに羨ましくもないし
時間がもったいないだけだと思う
酒が好きなら本当に心のくつろげる人と飲むのがいいし
恋愛するならそれなりの恋愛がいいと思う

いつもの人がいつもの場所でいつものことをして時間を潰して税金が出ていくだけで
そんな無駄が国家というものだ
そんなことができるから偉いと実感するだけで人間の時間の価値はみな同じだ

業者さんは役人にぺこぺこするんだけど
当然その時限りのことで
お互いに気持が貧しくなるだろうと思う
それでもこんなことをしているのは
実際に汗を書いた人、つまりペコペコして汗を書いた人に税金で集めたお金を渡しているわけで
これ以外にいい方法もないのだと思う

ん、おかしいな、結局悪いのか、やはり
書いてみていいことは何もない

不思議なことにひとりひとりのお役人さんはとても立派な人で
一般庶民よりはずっと志が高いと思う

そういう人たちにある程度いい思いをしてもらってもいいと思う
本気でみんなのことを考えているんだから

やっぱり選ばれた立派な人達だと思うんです
ひとりひとりは

マスコミも同じ
立派な人達なんです

日本の没落が決定してみると
とりあえず役人とマスコミのせいにしたがるわけだが
そうでもないと思う
もっと大きな必然が作用している

日本人の中では随分優秀な人達が
役人、マスコミ、政治家になっていると思う

ーーー
そう考えるとどういう人生がいいのかとか
これからどう生きたらいいのかと途方にくれる
とりあえず老人ホームのことを考えないといけない
迫り来る現実





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暇な一日

最近はいつも暇なのだけれど
今日は連休の間の日でますます暇で
美術館も博物館もデパートもコンサートも飲み屋もなにもかも退屈で行きたくないので
とりあえず定期で行ける会社に行った
港区にはデパートがないななんて思い
会社でボケーッとテレビを見て新聞を読んでネットを眺めた

それだけでも最悪なんだが
スーパーに買物に行ったら会計のレジの人が計算が終わってもなんだか動かない
ゴソゴソやっても0円の表示
急がせたらいけないと思い平気ですよなんていう顔をしていたら
レジ係の人も呆然と止まってしまい
どうしたのかなと思っていたら
しばらくして「あのー、お金は」などというので
そのクレジットカードですというと、ああそうなんですかというので
時間にすればたいしたことはないが
どうしたものかなと憂慮したのだった

そのあと会社で色々と整理していたら古いパソコンがあって
中を調べてみたらWinXPが入っている
しばらくアップデートしていないようなのでいろいろいじる
そんなのが他にもあったので並行していじる
そのうち一台がピーピー言い出した
いったんアップデートを中止する

何の音かなと思ったらCPU稼働率100%になっている
何もしていないのになと思い
またいじる
アンチウィルスソフトとか復元とか

結果として依然としてピーピーいっている
リナックスを入れてしまおうと思い始め
便利なDVDがどこかにあったと思うが
どこなんだか思い出せなくてまた時間が経つ

暇なんだけど動き続けた一日だった

しなくてはいけない事は山積しているのだが
手をつけると大変疲れるので回避して後回しにしている

どうしようもないものはどうしようもないと思う

テレビでは、NHKの大河ドラマ龍馬を遠くから音だけ聞いていたような具合だが
みんな叫び続けていて躁状態かと思うが
あの時代はこんな感じだったという解釈と演出があってもいいんだろうと許容する
45分間ずっと躁状態という演出もメリハリがなくて平凡に思う

日本海の魚の生態系は特別で
植物プランクトン、動物プランクトン、小型魚、中型魚、大型魚と階層があるのは
他の地域と同様
しかし小型魚が一種類しかいないんだという
4センチくらいの魚
それはまた驚きだ

そして海底の様子を説明して
光が届かないから光合成ができない世界で
生き物にとっては不利なのだと説明していた
そうかも知れない
深海は難しい場所らしいと思う

海底でヒトデとかカニとかが這い回っているらしい
そういえば魚が泳ぐのは鳥が空をとぶようなもので
なんと自由なことだろうと思う
三次元に自在に移動できるのは素晴らしい

人間も植物プランクトンを食べたら能率がいいのにね
日本列島 奇跡の大自然  第2集 海 豊かな命の物語 という番組

ヒトデは印象悪かった












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